2015年6月アーカイブ

馬搬を通じて森の健全化と林業再生へ

ホースロギングファニチャープロジェクト

荒廃した日本の森を再生するため、長野県黒姫で私財を投じて放置されていた森を買い取り、アファンの森として再生を実践してきた、C.W.ニコル氏。その活動は林野庁も動かし、2012年にアファンの森に隣接する国有林の整備を、民間団体として初めて協定を結び委託されました。

まずは暗く荒れ放題の人工林に光を呼び込むため、残すべき木を選び、健全な成長が見込めない木の間伐を、森林管理の一人者である京都大学名誉教授の竹内典之先生の指導のもと実施しました。放置されていた人工林には作業道もなく、伐り出した間伐材を運び出す手段としてホースロギング(馬搬)を行うことになりました。

人工林はもともと木材を生産し森の経済を循環させる重要な役割があります。そのため切り出した材を有効活用することが肝要と考えたニコル氏の協力要請により、ホースロギングで伐り出された木材をオカムラで家具にして世に出し、人工林の再生方法やホースロギングの振興を世の中にアピールするため、ホースロギングファニチャープロジェクトが立ち上がりました。放置された人工林のスギの間伐材を販売できる家具にすることは課題も多いのですが、ニコル氏の熱意により、人の汗と知恵と愛情をもってプロジェクトは推進されています。家具に出来なかった部分は、チップにして森の散策路に散布し土に戻したり、簡易製材を行い、森のベンチや設備に生まれ変わりました。

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森にやさしい伝統技術 ホースロギング(馬搬)

馬は、歩きやすい道を知っています。森のなかで、人から木材を託されると、馬はじぶんで歩く。目的地まで先に行き、待っていることさえあるそうです。人と馬が一体となって、森から木を運びだす「ホースロギング(馬搬)」。日本の森で昔から行われてきた、自然に寄り添う林業技術です。

馬が歩くと適度に耕され、山菜がよくとれる。そう言われることもあるように、「馬搬」は森にやさしい手段。車体の重い重機に比べると、地表へのダメージは極端にすくない。新たに作業道をつくる必要もなく、小回りがきき、立木を傷つけることもほとんどない。重機が入れない斜面や、いりくんだ森林でも活躍できる。斜度25度くらいまでなら、馬が引ける。そして、森にやさしいだけではありません。日本で一般的に行われている小規模林業において、馬搬は手間やコストの面でも有利なことが多いのです。ヨーロッパでは今でも活発に活用されている優れた林業技術なのです。

ほんの数十年前まで、日本各地の森林であたりまえの光景だった「馬搬」。その技を受け継ぐ人は、いまでは岩手県遠野市に残るだけとなり、名手2人も高齢化してしまいましたが、それを継ぐ次世代のチームが「馬搬」の普及や啓発に取り組んでいます。

古くて新しい自然によりそう林業技術を、日本でも復活し普及することをめざし、ホースロギングファニチャープロジェクトは続きます。

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森の経済を循環させる家具「ホースロギングファニチャー」

森をいためることなく木を運び出す伝統技術「馬搬(ホースロギング)」によって伐り出された木材を使用して作られた家具のシリーズです。

KURAページ
ホースロギングファニチャーのfirst collectionとなる"KURA"は、家具にすることが決まる前に、間伐された材を用いた為、木材として使える部分はかなり少なく量が確保できませんでした。スギは柔らかい木材なので強度を確保することがスツールをつくるためには課題となり、オカムラの持つスチールの技術を生かし金属材と混合のハイブリッド仕様となりました。

TROTページ
Second collectionの"trot"テーブルは最初の教訓を生かし、間伐する段階で家具に出来そうな木材をある程度選別しました。またこのプロジェクトに共鳴した南会津のNPOも活動に参画し、南会津でもホースロギング(馬搬)を実施し木材の量も増やすことが出来ました。そしてオカムラがこれまで培ってきた地域材活用ノウハウをもとに南会津にて家具まで製作しました。

アート × 幼児教育の可能性[後編]

「なんで展」での新しい気付き

小笠原舞さん(以下、小笠原) 8日間の開催期間中、前半の方は遊びに近くて、後半はアートに近づいたと感じました。作品の中には来場者の手によって時間の経過とともに変化していくというインストラクションアートもあったのですが、私たちの意識もたぶん日々変化して、2日目からこの部屋は必ず先に説明を読んでもらってから回ってもらうようにしたら1日目と雰囲気が変わったり。そういう意味ではまさに私たちにとっても実験だったし、遊びとアートってすごく近いけど、違う部分もあるということを体感できた。例えば幼児は単にこれはアートだよと言われてもなかなか理解できないけど、大人がどういう言葉をかけてどういう環境を設定するかで全然説明しなくてもアートにもなる。でも説明がされないとただの遊びになる。そのへんがすごくおもしろかったですね。

菊池宏子さん(以下、菊池) そうそう! それがすごくおもしろかったよね。いろんなパターンがあって、私たちの予想どおり子どもたちが飛びつくものもあれば、逆にこれはちょっと難しいかなと思いつつ挑戦的に出したインストラクションアートが意外とすんなり受け入れられたり。それらの作品の中で私が一番びっくりしたのが、たくさん絵本を置いて、その絵本の中に自分を描き込むという「自画像の作品」と題したインストラクションアート。ただの白い紙に自分を描くのではなく、世の中にすでにある物語の中に自分をはめてみるということがそもそも自我を見つめるということなんじゃないかと思ってつくりました。ところが、絵本を前に立ち止まる人がすごく多かったんですよ。絵本に絵を描いていいんだっけ? みたいなことを親御さん同士で話していたり、子どもはほんとに描いていいの?と親の顔色を伺い、いいよと言えば描き始めるんだけど、そこにも程度があったりして。

そんな状況の中、一人の親御さんに言われたことが印象的で。「自分が子どものときに読んだ絵本を娘にも読ませていて、絵本は落書きなどせず丁寧に扱うように躾けていたけど、私も子どものときに絵本に絵を描いておけば、今の子どもが私が描いた絵を見てそこに絵を書き足して、またその子どもがその絵本を見たときにどういうストーリーができるんだろう」という話をしてくれたんです。その時、インストラクションアートは、きっかけさえあれば、自分の世界に入り込み、果てしない想像力をかきたてる役割があるんだと改めて思い、感慨深いものがありましたね。そういうエピソードがインストラクションアートによって一つずつあるんです。

小笠原 今回8日間で27のインストラクションアートをやってみたんですが1つを1日かけてやって親子の行動観察をもっとしたいなと思ったし、それを通して今の社会の親子のあり方とか家族のあり方とかが見えてくるんじゃないかなと思いました。子どもが興味を持つインストラクションアートもさまざまで、ひたすらクリップをつなげるインストラクションアートが好きな子もいれば、自分をじっくり描いている子や、ずっとトイレットペーパーを出し入れしている子もいました。子どもたち自身も自分の好きな世界を探求して好きな場所で留まるということもわかりました。またあそこに行きたいとママに言ってる3歳の女の子もいるんですよ。

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菊池さんは日本でも子どもに現代アートを体験させるワークショップを開催してきた

菊池 それはすごくうれしいよね。さっき舞ちゃんも言ってたけど、今回はアートの展覧会という位置づけで、それを全面的に表に出さなかったし、舞ちゃんとコラボしたからということもあって普段美術館に行く層とはちょっと違う方々が来てくれたこともうれしかった。実際来てくれたアート側の人は、これだけの前衛アートを親子がやってるというシーンにかなり衝撃を受けたと言って驚いていました。

一般的に、現代アートって限られたある層が内輪で楽しむものというメージがあると思うのね。でもそうじゃなくて本来、日々の生活や世の中をちょっと違うレンズで見たり、考えたりするのが現代アートだから、そこに引き戻していくための一つの手法として今回の「なんで展」みたいなものは有効で、今後もどんどんやっていきたいと思った。同時に一人のアーティストとして「なんで展」をやることによって、現代アートのおもしろさは伝え方によっては多くの人びとに伝わるんだなといういい自信にもなったので、すごくやってよかったと思いますね。

小笠原 私も今回の「なんで展」を通して、現代アートは身近なものだということがわかってよかった。新しい見方や考え方に触れに行くために美術館があったり、その橋渡しをしてくれるアーティストがいるんだなと。親子で過ごす何気ない日常の時間、例えばなんでお花はあんなにきれいなんだろうとか、なんで雲があんな形なんだろうとか、なんで空はあんな色なんだろうとか、普段子どもと歩く散歩道の途中に見えるあらゆることがアートになるし、それに気づければ子どもとの時間がより楽しくなる。それをとにかく多くの親子に伝えたい、広げたいという思いが強くなりました。

菊池 私も同じで、現代アートって、実は身の回りにあるどんなものでもできる。今回の展覧会でもasobi基地で使ってる紙コップやひもやトイレットペーパーなど、日常にあふれているもので子どもや大人の創造力を研ぎ澄ますような場にもたぶんなっただろうしね。

小笠原 現代アートは難しくないよという(笑)。子どもたちがもってる力をそのまま出せるような環境を残しておきたいと思っていろいろ活動していく中で、大人たちがそれに気づくか気づかないかということが一番の大きい分かれ道だなと。そこが変わっていくと家庭が実験室になって、ゆくゆくは世界が変わっていくと思う。その大人の意識をどう変えていくかという問題を解決するための一つの方法論として企画してみたのが、今回の現代アート×幼児教育の「なんで展」だったのかなと。結果はすごく有効で、やってよかったと思っています。

菊池 うん。同感!

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結果ではなくプロセスを楽しむ

菊池 舞ちゃんの話を聞きながらやっぱり私と性格が似てるなあと思った(笑)。例えば私、編み物とか、単純作業が好きでたまに編むんだけど、基本、完成したら全部ほどくんだよね。マフラーそのものを作りたいという気持ちはあんまりなくて、そのプロセスが楽しいから編む、みたいな。だからもう1回プロセスを楽しむために、できたものをほどいて最初から編む。小さいころからこういう性格で、作ったものとかものに対する執着がない。何時間もかけてものを作るその過程で考えたいろんなことが私にとってはすごく大きな財産なんです。明確には言葉にしにくいんだけど、そういうことって自分の中で大切だなと思う。これって、はたから見たら意味のない行為だよね。ひたすら顔にシールを貼って剥がしてまた貼るというのを繰り返す子どもみたいな(笑)。

小笠原 それわかる。今は結果主義の世の中というか、大人は仕事上で結果を求められるのはしょうがないけど、結果主義を刷り込まれた大人が無意識に結果や成果を子どもにも求めてしまうのはよくないことだと思う。子どもにとってはすごく意味のある自由な時間が、大人の価値基準だけで無駄、無意味となってしまうと子どもは自由に振る舞うことを控えてしまって、結果創造性を阻害してしまうことにもなりかねないなと思うんです。大人は意識的に子どもにプレッシャーをかけずに見守ることができたらいいなと思うのですがなかなか難しい。その辺、何とかならないかなというジレンマがあります。

菊池 それこそ何が無駄で何が無駄じゃないのかっていう哲学的な議論になっちゃうかもしれないけど、本当にそこの部分が不透明なことっていっぱいあると思うんだよね。でもそういうことを考えるきっかけの1つに例えば現代アートがなればいいな、考えることの幅を広げるみたいなものがもっと増えればいいなと思って。そのために「なんで展」のようなものがどういう形で貢献できるんだろうとか、実際舞ちゃんたちが取り組んでいる活動というコンテクストの中でどう働きかけられるのかなとか考えてて、だから今は考えることが楽しいし、実験してるって感じ。結果が見えたら飽きちゃうから終わっちゃうんだよね。飽きていないということはまだまだやることがあるということだから。

今後の展開

小笠原 はい。今後も幼児教育×現代アートというテーマで、こどもみらい探求社の共同代表の小竹めぐみも入り、一緒にやっていく具体的な企画始めています。今回開催した「なんで展」のようなものが常設だったら子どもや大人にもっと伝えられることもきっとあるだろうなとか、逆にゲリラ的にやるかとか話してますね(笑)。公園にトイレットペーパーを設置して子どもがどう行動するのかを観察したりとか。

菊池 今回の学びをより良いものにするためにも、一度っきりでなく編集してさらに良いものを作りたいね。遊び心も大切なんで、今回やったようなインストラクションアートを公共の場に設営したらどうなるかも、舞ちゃんと妄想話たくさんしてます。

小笠原 どっちにしても次はもうちょっと子どもとの距離感を取りたいなと。遊んでる子どもの隣にずっといるんじゃなくて、ちょっとだけ離れて子どもを見守る。子どもが一番自由かつ自然な形でそこにいられるような環境をつくって、保育という面からちょっと仕掛けを入れたら、たぶん「なんで展」当日に起こった出来事とは違う、もっといろんなことが起こるのかもしれない。

菊池 子どもは放っておいても天才的なことをやってるから非常に安心して見ていられる小さな人たち。逆にその子どもの周りにいる大きな人たちに対して、もっとアートを使って働きかけたい。どうすればアートが、舞ちゃんがやってる活動の手助けになるのかなといつも考えているんですが、それは私の専門領域であるアートを使ったコミュニティ・デザイン、エンゲージメントの考え方にも、実は深く繋がっているんだよね。今回できたものを違う環境でやることで、自分のコミュニティ生活環境を考える・学ぶきっかけづくりとしても使えるし。本来自由な発想で生きる人が増えるということは、豊かな街が育まれているって証だから。そのために私ができることは、現場で人と直接関わっていろんな考え方のおもしろさをアートを通じてわかってもらうことだったり、そこを卒業したら違うところに別の形でアートの触れ合いの場やプログラムをつくることだったりすると思う。舞ちゃんもたぶんそういう感じで保育という観点でいろんなことを考えて活動してるんじゃないかと思う。

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小笠原 宏子さんの話を聞いて、それぞれの領域が現代アートだからとか保育だからとかどうでもいいというか、入り口が私は保育、宏子さんはアートだったというだけで、たぶんやりたいことや目指している社会は似てるんだなというのはいつも感じてる。宏子さんのWAVEのインタビュー記事を読んで、宏子さんがやってきたアートを使った街づくり、台湾のトレジャーヒルプロジェクトとか私もやりたいなと思ったし、子どもたちと一緒にやったら楽しいだろうなと思ったことがたくさんあったから、やっぱり宏子さんとは近いんだなということを改めて感じたんだよね。例えば今度は「子どもたちと地域を知るという」というイベントを一緒にやるとしたら、タイトルの頭に「保育士と一緒に」という言葉がついただけで参加者の枠って広がっていく。保育士がいるのなら3歳の幼児でも連れていけそうと年齢の幅が広がっていくので、うまくお互いの強みを使って、もっと地球そのものが実験室みたいな感じになっていったら一番おもしろいだろうなって思う。日本とアメリカとで同じ場所にトイレットペーパーを置いたら子どもの反応は違うのかというような実験をいろいろしたい(笑)。毎回趣向を変えて企画するのもおもしろいかなと。

菊池 そう、実験したい(笑)。社会実験的なことは楽しいよね。いわゆるあまりアートっぽくない形、想像力の賜物みたいなアートが日常の中にあふれてほしいし。世の中からアートとか、文学とか藝とか文化とかの会話がなくなるって寂しくないですか? 今でも社会の中でアートはごく一部の限られた人が楽しむ特殊なもの、人が生きていく上で必要ではない飾りという扱いかもしれない。でも、私はアートに救われたし、アートは生きていく上で必要不可欠で、実際に日々の生活をより豊かにしてくれる。そして、もっといえば、世の中を変えるなんらかの機動力にもなると信じているので。アートというものを、この先の未来にずっと残していくためにどうすればいいかって考えて、そうしてたらコミュニティに関与する仕事に導かれた。エゴかもしれないけど、アートという言葉をこの世からなくしたくないというのはあるんですよ。うんちくはこれくらいで(笑)。まずはアートに触れて感覚をわかってもらった上で、実はこれもアートなんだよと伝えたい。先日もasobi基地で子どもがひたすらストローを切って遊んでるのを見て、これこれ! これが意味のないアート作品だよね! って2人で言い合ったよね(笑)。

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子どもたちが自分の好きな素材を使って自由に表現できるasobi基地

小笠原 asobi基地では子どもがずっと顔にシールを貼ったり、ひたすらストローを切ったり、新聞を破っているんですが、これらは大人にとっては無意味な行動だけど、子どもたちはすごく楽しそうに笑顔でやっているんですよね。そういう彼らの姿から人ってこんなに幸せに生きられるんだなということを教えてもらって、すごく楽に生きられるようになった。子どもという人に出会って新しい気づきをもらったり、今までの概念をいい意味で崩してもらった。私の場合は人生での大切なことを気付かせてくれたのがたまたま出会った子どもたちだったので、子どもたちに恩返しするために彼らの自由な発想を守ってあげて、いい社会をつくりたいと思っているんですね。そのためにいろんなプロジェクトやっているわけです。それと同じで宏子さんはアートという言葉をなくしたくないというのはアートに恩返しをしたいみたいな思いもあるんじゃないかな。

菊池 うん。同じだね。

小笠原 こういう話をするとあなたのミッションは壮大だねとか言われるんだけど、自分では壮大だなんて思っていなくて、それをしないと自分が大事に守りたいものが守れないから、社会に対していろいろ働きかけているという感じ。あとは、今宏子さんがアーティストやクリエイターたちと立ち上げようとしているNPOとコラボして、幼児期の子どもたちと大人が一緒にアートを学べるきっかけをつくっていきたい。

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「社会の中の自分」

菊池 幼児と親世代だけではなく、いろんな世代でさまざまなことをやっていくこともすごく大切だと思っているんですよね。

小笠原 うん。保育士として、子どもに関わる1人の人間として、自分の世界を広げるためにもあまり知らない分野でもきになるなと思えばイベントに参加したり、いろんな人に話を聞きに行くという姿勢は常に持ち続けていたい。実際に体験・行動することで本当に自分が興味のあることもわかるだろうし、それを子どもたちと一緒に経験することで私も常に進化していきたい。そうすることで、子どもたちが舞ちゃんといると楽しいなとか新しい世界が見えるなと感じてくれたらうれしい。アーティストも自分と対話しながら作品をつくっていたり、プロセスを大事にしているわけだから、アートと保育、宏子さんと私の感性や意識は極めて近いなと感じる。「社会の中の自分」という意識がすごく強い気がする。

菊池 そうだよね。アメリカに住み始めたころから「自分が生かされてる感」がずっと消えないんです。いろんな人にものすごく助けられて今がある。それに対して漠然と恩返しがしたいということじゃなくて、1人じゃないんだから自分以外のことに対しても何かをしなきゃいけないと。私は、だから大きなことをやりたいというよりは、自分の身の丈でやれることをやりたい。それなら確実に実現できるし、そこをきちっとやっていかないと結果よからぬ方向へ行ってしまうだろうから、そういう意味での目標を見失わないようにしています。また、お互い感性や考え方、目指している方向が同じ人とたくさん、いろんな企画を考えてやっていきたい。だからこそ舞ちゃんとのコラボも1回でおしまいじゃなくて、もうちょっと企画を煮詰めていくことで、絶対新たな何かができあがると思うんですよね。あと、舞ちゃんが普段保育の活動をしているとき、私と一緒に活動して得たことが何らかの形で生かされると思うし私自身も舞ちゃんから学んだことはアートの活動にかなり生かされている。こういうことがたくさん起きればいいよね。

小笠原 お互い日々、自分自身の活動を通して進化して、また会って一緒に活動することで進化する。こういうことも実験だなという感じ。これから何が繰り広げられるかは私たちにも分からないところはあるし、逆に見えなくても楽しいよねと言えるから、いつまでに何かをやろうとかも別にないよね。

菊池 いい意味でも悪い意味でも一緒に「仕事」をしてる感はないよね(笑)。

小笠原 そうだね(笑)。

菊池 まずは自分たちが納得いくことをやり遂げるとう思いは、たぶん今の2人の暗黙の了解。そして、たくさん時間もかけたいから、もちろんいずれは何らかの形で仕事に繋げないといけないけれど、たぶん繋がるという確信はあるよね。

小笠原 あるある(笑)。あと、私が個人的にすごく意識しているのは、自分が今やりたいと思ってることを内にとどめておくと誰にもわかってもらえないから、宏子さん含めいろんな人とまずはやって形にしてみたい。誰もやったことのないことは失敗するかもしれないけど、失敗を通して私自身もどんどん成長していけるし、私の失敗を見た他の誰かがインスパイアされて新しい挑戦をすることに繋がるかもしれないので、失敗を恐れずにチャレンジしたい。そういうことを伝えたいし、私が楽しく一所懸命いろんなことを形にして生きていくことが、子どもであれ大人であれ誰かのためになっていればさらにうれしいなと思います。

菊池 私もいろんな新しいことをやるのは好きだし、舞ちゃんも共感してくれているので、自分たちのジャンルの中だけに埋もれることなく、挑戦的な活動はお互い今後もしていきたいですね。私たちは考えるよりもまずはやってみようというタイプなので、今後もアート×幼児教育というテーマで断続的に新たな実験をしていきたいですね。

アート × 幼児教育の可能性[前編]

共通点の多さにびっくり

菊池宏子さん(以下、菊池) 舞ちゃんに初めて出会ったのは、2014年5月にコミュニティデザインや公共性のあり方について議論するコモンズ研究会でした。研究会代表の大学教授が舞ちゃんを連れてきたんだよね。

小笠原舞さん(以下、小笠原) その先生とはたまたま他の会合で出会って、私が取り組んでいるasobi基地の活動を話したら、地域づくりのヒントになるかもしれないから研究会で活動内容を話してほしいと言われて行ったんです。そのとき初めて宏子さんに会ったんですが、そのときはあんまり話さなかったんですよね。

菊池 そうそう。名刺交換しながら少し話したくらいだったよね。でもそのとき、舞ちゃんの活動に興味をもったんです。

小笠原 私も同じで、宏子さんは子どもを対象とした現代アートのイベントをやってたから今度改めて会ってちゃんと話しましょうということで、後日カフェで会ったんです。

菊池 そのとき、いろんな話をしてお互いの活動やものの考え方、目指している方向などがすごく似てると感じた。あと、アーティストも保育士も非常に社会的立場の弱い職業で社会的に認知されているようでされていない。だけど、私たちはプライドをもって仕事してるよね、という話で意気投合したよね(笑)。

小笠原 したした! そこがすごく似てると感じたんだよね。

菊池 しかも私たちは女性だしね。アートの世界も保育の世界も女性がすごく多いから、女性という観点で労働環境とか政策の話もしたよね。私たちはアクティビスト(活動家)だということではなくて、弱い立場が理解できるからこそできることってないかなとか、私たちの属する仕事の領域に対しての問題意識みたいなものもお互い共有しながら話したのもすごく覚えてる。それで一緒に何かやりたいねという話になって。

アートと幼児教育は近い

小笠原 私もアートと幼児教育が近いと直感的に感じたんです。私はアートのことはよくわからないんですが、アートは幼児教育に有益だとされているし、そもそも子どもたちが生きていることそのものがアートなんじゃないかと何となく感じていたんですよね。一般的な大人の社会ではある行為をアートと呼ぶけど、asobi基地のような保育の現場はアートという言葉を使わなくてもその行為を子どもたちが普通にやってるということが多かったので、そもそもアートってなんだろうみたいなことも考えていました。

菊池 まさに現代アートは想像力をフルに生かしてアートと日常の関連性を突き詰める考え方で、目の前のプロセスに向き合うからおもしろさがある。こっちの世界ではアートは概念になってるけど保育の世界には日常にアートがあってそれがふっと重なったって感じだよね。

小笠原 言葉で表現すると保育・幼児教育とかアートとかになるんだけど、たぶん「社会を見てみようよ」みたいなメッセージなのかなと思っていて。宏子さんも私も人を見るときに子どもとか大人という記号で捕らえてなくて、年齢性別関係なく、あの人おもしろい、興味ある、みたいな感覚がすごくあるんじゃないかなと。

菊池 素直におもしろいんだよね。私の好奇心をくすぐる小さい人というか、なんでこの小さい人はこんなことを考えるんだろう、こんなことやるんだろうというすごくたくさんの問いをくれる。それは「子どもだから」と理屈づけて終わってしまう人がほとんどだろうけど、私たちはその意識があまりない。子どもと付き合う仕事は大好きだし、子どもはかわいいけど、いわゆる子ども好きではないんだよね。ただ大人も子どももこの社会を構成する一員同士なんだから、そこに区別はなくてただおもしろい人が好きだという(笑)。

小笠原 そうそう。

菊池 私が取り組んでいる現代アートと舞ちゃんが取り組んでいる幼児教育は重なっている部分が多いというのは私も感じたのですが、本格的にコラボする前に、現代アートと保育の研修会をやったんです。

小笠原 そうでした。asobi基地に関わってくれる保育士さんたちに子どもとの接し方などを教える研修会を定期的に開催しているのですが、その場でそういう世界を保育士たちに伝えてほしいと思って宏子さんにお願いしたんです。実際にどんな研修をやればいいのかは宏子さんに丸投げして(笑)。

菊池 投げられて、それを受け止めたんだよね(笑)。研修では私がやってきた現代アートと子どもと大人に対するワークショップやプログラムの話や、人の想像力・創造力はどうやってできあがるんだろうという話をしたらすごく盛り上がって、その勢いでみんなでイベントをしようということになって開催したのが「自分のなんで実験室」(以下、「なんで展」)という展覧会です。

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アート × 幼児教育の展覧会を開催

菊池 「なんで展」は幼児教育×現代アートというテーマで、「一人ひとりが異なる価値観や感性を持って人生を歩んでいるということを見つめ直す」をコンセプトとしました。会場は、「わたし」「わたしとあなた」「わたしたち」という3つのセクションで構成。「展示物」という鑑賞だけのものはなく、自身が参加することで自分だけの「作品」を生み出すインストラクションアートという手法を使い、今まで考えたことのなかったような質問に答えることで自分自身を知り、人との違いを知るという展覧会です。8日間の会期中は大勢の大人と子どもでにぎわいました。お互い初めての試みでしたが、大成功といっていいと思います。

小笠原 ほんと、大成功だったよね。

菊池 現代アートは家庭環境の影響などで、知る機会がなかなかないし、想像力を発揮しないとおもしろくないという非常にはっきりとした見方があって、その見方さえ知ればおもしろくなるというジャンルだと思ってます。それならば実際に想像力・創造力が非常に豊かな時期の幼児期の子どもたちに、意味も目的がなくても自由に何でもやらせるというだけでアートになる。もちろん、例えば折り紙で目的に向けて創作するという技術的、機能的な教育も必要なのですが、同時に人がアートというものを生活の中のひとつの営みとして使って成長していく場合、どういう形でアートを教育の中に浸透させていけばいいのかということをずっと考えていました。その一つの方法が以前私が企画した「アートで上手に大人になる方法」というワークショップなのですが、その内容を舞ちゃんに話をしたらそれはすごくいいとなって、あっという間にチームができて(笑)。

小笠原 宏子さんの話で一番印象的だったのが、「1000円分の私」。百円均一のお店で自分らしいと思うものを10個買ってきて、それを分解して1個につくり上げるというインストラクションアートがあるんだよと聞いたとき、ビビビ!って来て、それ子どもたちとやったらどんな風になるんだろうと思ったんです。さらに親子でやると両者にすごく学びがあるだろうなと想像したとき、とてもワクワクしました。これって現代アートっていうんだと理解できたと同時に私たちが日常的にやってる幼児教育に通じるものがあるとしっくり来ました。それで現代アートと呼ばれているものを意識的に保育の現場に取り入れることでまた違うおもしろさが生まれる気がして、宏子さんと一緒に何かコラボしたら絶対おもしろいと思ったんです。

菊池 舞ちゃんは保育の何でも屋、私はアートの何でも屋、じゃあ2人で現代アート×保育というテーマで何かやろうと。現代アートを世の中に浸透させたいという私の思いと、保育士の専門性や役割を世の中にもっと知ってほしいという舞ちゃんの思いが偶然の出会いでふっと結びついたという感じだよね。

小笠原 保育士が日々やってることもそうだけど、子どもたちが日々過ごしている日常の中に素敵なことがいっぱいあるということを、「なんで展」を通して大人たちに見つけてほしいという思いも強かったよね。

展覧会のタイトルに込めた思い

菊池 だから今回の展覧会は大人も子どもも関係なく自分に向き合って、自分に「?」を投じてほしいという思いで「自分のなんで実験室」というタイトルにしたんだよね。

小笠原 今は自分と対話したり、向き合うということがあまりされていない社会だなと感じていて。私の個人的体験ですが、保育の現場で子どもたちを目の前にしたときに、自分と向き合わなければ保育ができなかったんですよ。自分が子どもや子どもがやることに対してどう思っているかとか、自分は保育というものをどういうふうに考えているかとか、自分が果たしてそれができているのかということを毎日問いながら保育という仕事をしていました。だから私にとって子どもに何を教えるべきかというようなことはさほど重要ではなくて、むしろ教えることは何もないと思っていたので、子どもたちをよく観察し、彼らがもっている力をどう引き出して、そこにどう寄り添っていくのか、私が知ってる世界をどうすれば彼らに伝えられるかというようなことを毎日考えながら保育をしていました。つまり保育という仕事を通じて日々自分と向き合わざるをえなくて、それによって自分の気持ちが整理され、やりたいことが明確になって、今の私がある。だから保育を仕事にしてすごく幸運だったと思います。やってなければ、こんな風に自由に生きていないでしょうね。

菊池 自分というのがどういう人間なのかを、一人ひとりが自身に問い続けることが豊かな世の中をつくることにつながるような感覚をずっともっているので、それをタイトルの中に込めたいということが1つ。もう1つは、私は現代アートの境域も含めて人生ってトライ&エラーで、おおげさですが、世界という名の実験室にいるような感じがいつもあるんです。型にはめられたことをやれといわれればできるけど、型を破ることを繰り返しやっていくことで納得するような生き方を見つけられるのかなと思うので、それをそのままシンプルにこの展覧会の内容にしてみたんです。

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新しい自分を発見してほしい

菊池さんはアメリカ時代、アートをツールに地域づくりをしていた

菊池 来場者に「なんで展」を通して新しい自分に少しでも気づいてほしいという思いもすごく強かったですね。また、今回のインストラクションアートは一人ひとり捉え方が違うんだよ、「違い」が実は美しいんだよ、人と違っていいんだよというのが一番伝えたい大きなメッセージでもありました。子どもたちはそれを当たり前のように受け止めていると思うけど、大人になるにつれて、人と違うということを敏感に感じだして違いを恐れ、周りと無理して合わせようとします。そうしなくていいんだよということを伝えたかった。あと、「自分のなんで?」というのはそもそも私たち自身が自分を考えるきっかけでもあったし、現代アートと幼児教育を掛けあわせたときにいったいどういう化学反応が起こるのだろうということも無意識だけど考えていたよね。

小笠原 うん。だから「なんで展」には、お互いが主催しているイベントに普段来ない人に来てほしいと思って、イベント告知ページには「幼児教育×現代アート」をあえて全面に出したんです。私は保育・幼児教育の世界で活動しているので、asobi基地や子どもみらい探求社が主催するイベントには保育・幼児教育に興味がある人たちが集まります。同じように宏子さんが開催するイベントにはアートに興味がある人たちが集まります。この人たちは普段は活動区域が違うけど、2人でコラボしてイベントをやることによって混ざり合います。そのことでまた何か新しい化学反応が起きることもあるんじゃないかなと期待したわけです。

世界観が同じだった

小笠原 今回、宏子さんとコラボしてみて仕事の仕方というかスタンスが似ていたから楽しかったですね。例えばとりあえずやってみようという点とか、お互いに得意な部分は完全に任せて口を出さないというのが一緒だったから。宏子さんはメインプロデューサーという立場でインストラクションを作って、私は夜の部のトークショーのゲストの人選や出演交渉を担当するという役割分担がきちっとできたのがよかったですね。

菊池 確かにそこは似てたね。なんで展に設置するインストラクションを120個ほど作って、そこからスタッフみんなで取捨選択して最終的に27個に絞り込みました。振り返ってみれば短い準備期間でよくやったよね(笑)。

小笠原 お互いを信頼して任せ合う。ここは宏子さんがそう決めたならそれでいい、みたいな。

菊池 お互いの専門性を尊重する。自分の知らない領域は詳しい人にやってもらって、そこから学ぼうみたいな感じだったね、お互い。

小笠原 どちらかが細々としたことが気になるタイプだったらうまくやれなかったと思う。

菊池 決して気にならないというわけではないんだけど、気にするところと気にしないところがお互い似てるんだよね。あと、さっき舞ちゃんも触れたけど、アートを活用した地域デザインと幼児教育の現場デザインは共通する部分も多いし、その一方で幼児教育という領域で私が知らない世界を舞ちゃんが知っている。だけど、ただ使ってる言語が違ってるだけで同じことを話してるということが話せば話すほどわかった。話せば話すほど共通言語ができていって、お互いの知らない領域のことも理解できて、それが安心して任せられることにつながっていったよね。

小笠原 たぶん世界観が同じだった。

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大人のことを考えていた

菊池 おもしろいなと思ったのが、お互い子どものことを考えているようで実はすごく大人のことを考えていたということ。世界観が同じだったから大人へのメッセージにもなったと思う。どういうことかというと、インストラクションアートってインストラクション(説明)を読んで行動するものだから、展覧会のときはインストラクションを大人の目の高さに設置して、材料は子どもの手の届く位置に置きました。子どもは基本的に材料からインスパイアされるものなので説明などなくてもそれで勝手に遊び始めますが、インストラクションがあることでそれを読んだお母さんが子どもにこうやって遊ぶのよと教えます。そういう親子の対話が生まれることもあれば、親が子どもの行動を止める場合もある。これは子どもにやらせたくないとか。そういう親子によっていろんな関係性が見えてきておもしろかったよね。

小笠原 展覧会終了後に反省会をやったんですが、単なる遊びではなく親子でアート体験をするための展覧会として開催するとしたら、いきなりインストラクションアートに入るのではなく、最初に「序章」みたいな感じで親に対してのガイダンスが必要だったかもしれないねという話も出ました。それは新しい気付きで、これから私たちは何をどう発信していくかを考えるためのいい材料になりました。一方で、子どもはインストラクションアートの説明は読めないし、理解できないんだけど、見なくてもその説明通りに遊んでたということがけっこう多かったのに驚かされました。例えば「地球の音を知る作品」という聴診器を通して地球を感じるというインストラクションアートでは子どもは聴診器を取って床に当てて聞き始めたり、息を吹きかけたりしていたけど、大人たちは置いておいただけでは積極的にはやらないんじゃないかなと思いました。

菊池 子どもたちはなんかわかんないけど楽しそうだったよね。聴診器を通して自然と体で地球の音というものを体験しているわけだよね。でも大人になってくるとそういうことを考えることの余裕や時間もなくなってきてそれができなくなる。ただ今回の展覧会のようなちょっとしたきっかけで、子どもの頃にもっていた自由な感性を取り戻して、身の回りのことが全部遊びでありアートなんだということに気づいてほしいという願いもありました。

子どもも大人も同じになる

小笠原さんは子どもも大人もハッピーになれるasobi基地を立ち上げ、運営している

小笠原 「なんで展」をつくるときによく出たのが、「子どもも大人も関係なくフラットになれるのがいいよね」という話。大人たちはいろんな仕組みや概念を知っているからこそあえて現代アートという言葉を使って、気づきをもって帰ってほしいなというのがすごくあって。

菊池 そうだね。一つひとつの展示をワークショップにしようとすればできた。でもそうじゃない形で展覧会をやってみたというのは、我々が働きかけてできることに加えて、来場者自身で自分のペースと解釈で、自発的に何かを作ってほしいという思いがあったよね。実際に私たちが手を出したいこともいくつかあったけどそこをぐっとこらえて観察側に徹したこともあったし、ちょっと声がけをするだけで来場者の振る舞いが変わったりしたこともあった。1回目は次のアウトプットをどういう形にしようかと考える第一歩だったよね。

小笠原 実験しながらみんなでいろいろ積み重ねていった結果、「なんで展」ができたという感じだね。現代アートと幼児教育を掛けあわせたらおもしろいという確信だけで具体的に何ができあがるかはわからず走り始めたんだけど、そのプロセス自体を楽しめたよね。

菊池 そうそう。新しいことをやるときにはある種実験のようなことも多々ある。「教育」という領域では実験しにくいことも多いと思いますが、我々はお互いにフリーランスというどこの教育機関にも属さずに動いてる立場なので、逆に学校という組織・システムの中ではできない新しい学びの方法を探求していかなきゃいけないんじゃないかなと思ってる。あと思い起こすと、スタッフミーティングのときにこの展覧会はアートであって遊びじゃないよねという話をした記憶があって、それが印象に残っています。つまり、この展覧会はasobi基地でやっている遊ぶという概念の元に作られているけれど、普段のasobi基地とは違い、アートを作る場所なんだよということを来場者の親にもっときちっと伝えておく必要があったと思いました。

小笠原 遊びとアートって近いけど、主催者の設定の仕方でどっち側にも転ぶということがよくわかった(笑)。

菊池 そう。それは一つの反省点でもあるけれど、すごくおもしろいと感じた点でもあって。改めて物事のコンテクスト化の仕方を考えることができたからよかった。


「自分のなんで実験室」展覧会
動画(動画撮影・編集・音楽:池田浩基 )
スライドショー(撮影・編集:小穴啓介)

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