共通点の多さにびっくり
菊池宏子さん(以下、菊池) 舞ちゃんに初めて出会ったのは、2014年5月にコミュニティデザインや公共性のあり方について議論するコモンズ研究会でした。研究会代表の大学教授が舞ちゃんを連れてきたんだよね。
小笠原舞さん(以下、小笠原) その先生とはたまたま他の会合で出会って、私が取り組んでいるasobi基地の活動を話したら、地域づくりのヒントになるかもしれないから研究会で活動内容を話してほしいと言われて行ったんです。そのとき初めて宏子さんに会ったんですが、そのときはあんまり話さなかったんですよね。
菊池 そうそう。名刺交換しながら少し話したくらいだったよね。でもそのとき、舞ちゃんの活動に興味をもったんです。
小笠原 私も同じで、宏子さんは子どもを対象とした現代アートのイベントをやってたから今度改めて会ってちゃんと話しましょうということで、後日カフェで会ったんです。
菊池 そのとき、いろんな話をしてお互いの活動やものの考え方、目指している方向などがすごく似てると感じた。あと、アーティストも保育士も非常に社会的立場の弱い職業で社会的に認知されているようでされていない。だけど、私たちはプライドをもって仕事してるよね、という話で意気投合したよね(笑)。
小笠原 したした! そこがすごく似てると感じたんだよね。
菊池 しかも私たちは女性だしね。アートの世界も保育の世界も女性がすごく多いから、女性という観点で労働環境とか政策の話もしたよね。私たちはアクティビスト(活動家)だということではなくて、弱い立場が理解できるからこそできることってないかなとか、私たちの属する仕事の領域に対しての問題意識みたいなものもお互い共有しながら話したのもすごく覚えてる。それで一緒に何かやりたいねという話になって。
アートと幼児教育は近い
小笠原 私もアートと幼児教育が近いと直感的に感じたんです。私はアートのことはよくわからないんですが、アートは幼児教育に有益だとされているし、そもそも子どもたちが生きていることそのものがアートなんじゃないかと何となく感じていたんですよね。一般的な大人の社会ではある行為をアートと呼ぶけど、asobi基地のような保育の現場はアートという言葉を使わなくてもその行為を子どもたちが普通にやってるということが多かったので、そもそもアートってなんだろうみたいなことも考えていました。
菊池 まさに現代アートは想像力をフルに生かしてアートと日常の関連性を突き詰める考え方で、目の前のプロセスに向き合うからおもしろさがある。こっちの世界ではアートは概念になってるけど保育の世界には日常にアートがあってそれがふっと重なったって感じだよね。
小笠原 言葉で表現すると保育・幼児教育とかアートとかになるんだけど、たぶん「社会を見てみようよ」みたいなメッセージなのかなと思っていて。宏子さんも私も人を見るときに子どもとか大人という記号で捕らえてなくて、年齢性別関係なく、あの人おもしろい、興味ある、みたいな感覚がすごくあるんじゃないかなと。
菊池 素直におもしろいんだよね。私の好奇心をくすぐる小さい人というか、なんでこの小さい人はこんなことを考えるんだろう、こんなことやるんだろうというすごくたくさんの問いをくれる。それは「子どもだから」と理屈づけて終わってしまう人がほとんどだろうけど、私たちはその意識があまりない。子どもと付き合う仕事は大好きだし、子どもはかわいいけど、いわゆる子ども好きではないんだよね。ただ大人も子どももこの社会を構成する一員同士なんだから、そこに区別はなくてただおもしろい人が好きだという(笑)。
小笠原 そうそう。
菊池 私が取り組んでいる現代アートと舞ちゃんが取り組んでいる幼児教育は重なっている部分が多いというのは私も感じたのですが、本格的にコラボする前に、現代アートと保育の研修会をやったんです。
小笠原 そうでした。asobi基地に関わってくれる保育士さんたちに子どもとの接し方などを教える研修会を定期的に開催しているのですが、その場でそういう世界を保育士たちに伝えてほしいと思って宏子さんにお願いしたんです。実際にどんな研修をやればいいのかは宏子さんに丸投げして(笑)。
菊池 投げられて、それを受け止めたんだよね(笑)。研修では私がやってきた現代アートと子どもと大人に対するワークショップやプログラムの話や、人の想像力・創造力はどうやってできあがるんだろうという話をしたらすごく盛り上がって、その勢いでみんなでイベントをしようということになって開催したのが「自分のなんで実験室」(以下、「なんで展」)という展覧会です。
<$MTPageSeparator$>
アート × 幼児教育の展覧会を開催
菊池 「なんで展」は幼児教育×現代アートというテーマで、「一人ひとりが異なる価値観や感性を持って人生を歩んでいるということを見つめ直す」をコンセプトとしました。会場は、「わたし」「わたしとあなた」「わたしたち」という3つのセクションで構成。「展示物」という鑑賞だけのものはなく、自身が参加することで自分だけの「作品」を生み出すインストラクションアートという手法を使い、今まで考えたことのなかったような質問に答えることで自分自身を知り、人との違いを知るという展覧会です。8日間の会期中は大勢の大人と子どもでにぎわいました。お互い初めての試みでしたが、大成功といっていいと思います。
小笠原 ほんと、大成功だったよね。
菊池 現代アートは家庭環境の影響などで、知る機会がなかなかないし、想像力を発揮しないとおもしろくないという非常にはっきりとした見方があって、その見方さえ知ればおもしろくなるというジャンルだと思ってます。それならば実際に想像力・創造力が非常に豊かな時期の幼児期の子どもたちに、意味も目的がなくても自由に何でもやらせるというだけでアートになる。もちろん、例えば折り紙で目的に向けて創作するという技術的、機能的な教育も必要なのですが、同時に人がアートというものを生活の中のひとつの営みとして使って成長していく場合、どういう形でアートを教育の中に浸透させていけばいいのかということをずっと考えていました。その一つの方法が以前私が企画した「アートで上手に大人になる方法」というワークショップなのですが、その内容を舞ちゃんに話をしたらそれはすごくいいとなって、あっという間にチームができて(笑)。
小笠原 宏子さんの話で一番印象的だったのが、「1000円分の私」。百円均一のお店で自分らしいと思うものを10個買ってきて、それを分解して1個につくり上げるというインストラクションアートがあるんだよと聞いたとき、ビビビ!って来て、それ子どもたちとやったらどんな風になるんだろうと思ったんです。さらに親子でやると両者にすごく学びがあるだろうなと想像したとき、とてもワクワクしました。これって現代アートっていうんだと理解できたと同時に私たちが日常的にやってる幼児教育に通じるものがあるとしっくり来ました。それで現代アートと呼ばれているものを意識的に保育の現場に取り入れることでまた違うおもしろさが生まれる気がして、宏子さんと一緒に何かコラボしたら絶対おもしろいと思ったんです。
菊池 舞ちゃんは保育の何でも屋、私はアートの何でも屋、じゃあ2人で現代アート×保育というテーマで何かやろうと。現代アートを世の中に浸透させたいという私の思いと、保育士の専門性や役割を世の中にもっと知ってほしいという舞ちゃんの思いが偶然の出会いでふっと結びついたという感じだよね。
小笠原 保育士が日々やってることもそうだけど、子どもたちが日々過ごしている日常の中に素敵なことがいっぱいあるということを、「なんで展」を通して大人たちに見つけてほしいという思いも強かったよね。
展覧会のタイトルに込めた思い
菊池 だから今回の展覧会は大人も子どもも関係なく自分に向き合って、自分に「?」を投じてほしいという思いで「自分のなんで実験室」というタイトルにしたんだよね。
小笠原 今は自分と対話したり、向き合うということがあまりされていない社会だなと感じていて。私の個人的体験ですが、保育の現場で子どもたちを目の前にしたときに、自分と向き合わなければ保育ができなかったんですよ。自分が子どもや子どもがやることに対してどう思っているかとか、自分は保育というものをどういうふうに考えているかとか、自分が果たしてそれができているのかということを毎日問いながら保育という仕事をしていました。だから私にとって子どもに何を教えるべきかというようなことはさほど重要ではなくて、むしろ教えることは何もないと思っていたので、子どもたちをよく観察し、彼らがもっている力をどう引き出して、そこにどう寄り添っていくのか、私が知ってる世界をどうすれば彼らに伝えられるかというようなことを毎日考えながら保育をしていました。つまり保育という仕事を通じて日々自分と向き合わざるをえなくて、それによって自分の気持ちが整理され、やりたいことが明確になって、今の私がある。だから保育を仕事にしてすごく幸運だったと思います。やってなければ、こんな風に自由に生きていないでしょうね。
菊池 自分というのがどういう人間なのかを、一人ひとりが自身に問い続けることが豊かな世の中をつくることにつながるような感覚をずっともっているので、それをタイトルの中に込めたいということが1つ。もう1つは、私は現代アートの境域も含めて人生ってトライ&エラーで、おおげさですが、世界という名の実験室にいるような感じがいつもあるんです。型にはめられたことをやれといわれればできるけど、型を破ることを繰り返しやっていくことで納得するような生き方を見つけられるのかなと思うので、それをそのままシンプルにこの展覧会の内容にしてみたんです。
<$MTPageSeparator$>
新しい自分を発見してほしい
菊池さんはアメリカ時代、アートをツールに地域づくりをしていた
菊池 来場者に「なんで展」を通して新しい自分に少しでも気づいてほしいという思いもすごく強かったですね。また、今回のインストラクションアートは一人ひとり捉え方が違うんだよ、「違い」が実は美しいんだよ、人と違っていいんだよというのが一番伝えたい大きなメッセージでもありました。子どもたちはそれを当たり前のように受け止めていると思うけど、大人になるにつれて、人と違うということを敏感に感じだして違いを恐れ、周りと無理して合わせようとします。そうしなくていいんだよということを伝えたかった。あと、「自分のなんで?」というのはそもそも私たち自身が自分を考えるきっかけでもあったし、現代アートと幼児教育を掛けあわせたときにいったいどういう化学反応が起こるのだろうということも無意識だけど考えていたよね。
小笠原 うん。だから「なんで展」には、お互いが主催しているイベントに普段来ない人に来てほしいと思って、イベント告知ページには「幼児教育×現代アート」をあえて全面に出したんです。私は保育・幼児教育の世界で活動しているので、asobi基地や子どもみらい探求社が主催するイベントには保育・幼児教育に興味がある人たちが集まります。同じように宏子さんが開催するイベントにはアートに興味がある人たちが集まります。この人たちは普段は活動区域が違うけど、2人でコラボしてイベントをやることによって混ざり合います。そのことでまた何か新しい化学反応が起きることもあるんじゃないかなと期待したわけです。
世界観が同じだった
小笠原 今回、宏子さんとコラボしてみて仕事の仕方というかスタンスが似ていたから楽しかったですね。例えばとりあえずやってみようという点とか、お互いに得意な部分は完全に任せて口を出さないというのが一緒だったから。宏子さんはメインプロデューサーという立場でインストラクションを作って、私は夜の部のトークショーのゲストの人選や出演交渉を担当するという役割分担がきちっとできたのがよかったですね。
菊池 確かにそこは似てたね。なんで展に設置するインストラクションを120個ほど作って、そこからスタッフみんなで取捨選択して最終的に27個に絞り込みました。振り返ってみれば短い準備期間でよくやったよね(笑)。
小笠原 お互いを信頼して任せ合う。ここは宏子さんがそう決めたならそれでいい、みたいな。
菊池 お互いの専門性を尊重する。自分の知らない領域は詳しい人にやってもらって、そこから学ぼうみたいな感じだったね、お互い。
小笠原 どちらかが細々としたことが気になるタイプだったらうまくやれなかったと思う。
菊池 決して気にならないというわけではないんだけど、気にするところと気にしないところがお互い似てるんだよね。あと、さっき舞ちゃんも触れたけど、アートを活用した地域デザインと幼児教育の現場デザインは共通する部分も多いし、その一方で幼児教育という領域で私が知らない世界を舞ちゃんが知っている。だけど、ただ使ってる言語が違ってるだけで同じことを話してるということが話せば話すほどわかった。話せば話すほど共通言語ができていって、お互いの知らない領域のことも理解できて、それが安心して任せられることにつながっていったよね。
小笠原 たぶん世界観が同じだった。
<$MTPageSeparator$>
大人のことを考えていた
菊池 おもしろいなと思ったのが、お互い子どものことを考えているようで実はすごく大人のことを考えていたということ。世界観が同じだったから大人へのメッセージにもなったと思う。どういうことかというと、インストラクションアートってインストラクション(説明)を読んで行動するものだから、展覧会のときはインストラクションを大人の目の高さに設置して、材料は子どもの手の届く位置に置きました。子どもは基本的に材料からインスパイアされるものなので説明などなくてもそれで勝手に遊び始めますが、インストラクションがあることでそれを読んだお母さんが子どもにこうやって遊ぶのよと教えます。そういう親子の対話が生まれることもあれば、親が子どもの行動を止める場合もある。これは子どもにやらせたくないとか。そういう親子によっていろんな関係性が見えてきておもしろかったよね。
小笠原 展覧会終了後に反省会をやったんですが、単なる遊びではなく親子でアート体験をするための展覧会として開催するとしたら、いきなりインストラクションアートに入るのではなく、最初に「序章」みたいな感じで親に対してのガイダンスが必要だったかもしれないねという話も出ました。それは新しい気付きで、これから私たちは何をどう発信していくかを考えるためのいい材料になりました。一方で、子どもはインストラクションアートの説明は読めないし、理解できないんだけど、見なくてもその説明通りに遊んでたということがけっこう多かったのに驚かされました。例えば「地球の音を知る作品」という聴診器を通して地球を感じるというインストラクションアートでは子どもは聴診器を取って床に当てて聞き始めたり、息を吹きかけたりしていたけど、大人たちは置いておいただけでは積極的にはやらないんじゃないかなと思いました。
菊池 子どもたちはなんかわかんないけど楽しそうだったよね。聴診器を通して自然と体で地球の音というものを体験しているわけだよね。でも大人になってくるとそういうことを考えることの余裕や時間もなくなってきてそれができなくなる。ただ今回の展覧会のようなちょっとしたきっかけで、子どもの頃にもっていた自由な感性を取り戻して、身の回りのことが全部遊びでありアートなんだということに気づいてほしいという願いもありました。
子どもも大人も同じになる
小笠原さんは子どもも大人もハッピーになれるasobi基地を立ち上げ、運営している
小笠原 「なんで展」をつくるときによく出たのが、「子どもも大人も関係なくフラットになれるのがいいよね」という話。大人たちはいろんな仕組みや概念を知っているからこそあえて現代アートという言葉を使って、気づきをもって帰ってほしいなというのがすごくあって。
菊池 そうだね。一つひとつの展示をワークショップにしようとすればできた。でもそうじゃない形で展覧会をやってみたというのは、我々が働きかけてできることに加えて、来場者自身で自分のペースと解釈で、自発的に何かを作ってほしいという思いがあったよね。実際に私たちが手を出したいこともいくつかあったけどそこをぐっとこらえて観察側に徹したこともあったし、ちょっと声がけをするだけで来場者の振る舞いが変わったりしたこともあった。1回目は次のアウトプットをどういう形にしようかと考える第一歩だったよね。
小笠原 実験しながらみんなでいろいろ積み重ねていった結果、「なんで展」ができたという感じだね。現代アートと幼児教育を掛けあわせたらおもしろいという確信だけで具体的に何ができあがるかはわからず走り始めたんだけど、そのプロセス自体を楽しめたよね。
菊池 そうそう。新しいことをやるときにはある種実験のようなことも多々ある。「教育」という領域では実験しにくいことも多いと思いますが、我々はお互いにフリーランスというどこの教育機関にも属さずに動いてる立場なので、逆に学校という組織・システムの中ではできない新しい学びの方法を探求していかなきゃいけないんじゃないかなと思ってる。あと思い起こすと、スタッフミーティングのときにこの展覧会はアートであって遊びじゃないよねという話をした記憶があって、それが印象に残っています。つまり、この展覧会はasobi基地でやっている遊ぶという概念の元に作られているけれど、普段のasobi基地とは違い、アートを作る場所なんだよということを来場者の親にもっときちっと伝えておく必要があったと思いました。
小笠原 遊びとアートって近いけど、主催者の設定の仕方でどっち側にも転ぶということがよくわかった(笑)。
菊池 そう。それは一つの反省点でもあるけれど、すごくおもしろいと感じた点でもあって。改めて物事のコンテクスト化の仕方を考えることができたからよかった。
「自分のなんで実験室」展覧会
動画(動画撮影・編集・音楽:池田浩基 )
スライドショー(撮影・編集:小穴啓介)
インタビュー後編はこちら