2016年4月アーカイブ

パラレルキャリアのススメ[後編]

まずはADからスタート

──大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社したわけですが、実際に仕事をやってみてどうでしたか?

ミヤザキケンスケ-近影1

僕が配属されたのは「ASAYAN」という番組制作チームで、シャ乱Qのつんく♂さんが「モーニング娘。」をデビューさせようとしていた頃。そんな時にテレビの世界に足を踏み入れたんです。

まずはアシスタントディレクター、ADとしてスタートしたのですが、毎週全国各地で開催される地方オーディションに行って、応募してくる何千人という女の子を最初にふるいにかけるのが僕に最初に与えられた仕事でした。すごく楽しくて、働くっておもしろいと思いましたよ。バブルの余韻が続いていて、テレビも元気な時代でしたしね。でもADって雑用全般を行う一番下っ端なので、仕事はめちゃくちゃ忙しかったですね。入社して3ヵ月くらいは家に帰れず会社に泊まり込んでましたし、半年間くらいは休みが1日もありませんでした。


──ADだと理不尽なことも多かったのでは?

それはもうたくさんありましたよ。まず現場で立ってたら怒られるし、座ってても怒られるんです。つまり、1日中ずっと動いてなきゃいけないんですよ。止まったら怒られるっていうのはすごくおもしろかったなあ(笑)。


──つらかったことは?

つらかったことは多すぎですが、例えば盆暮れ正月など世間一般の人が休んでる時も普通に仕事していました。ご存知の通り、テレビは年末年始に特番を組むんですが、AD時代は番組の立ち会いで、局にいて視聴者の問い合わせやクレームに対応しなきゃいけなかったので大変でした。だからテレビ業界といっても現場の仕事は全然華やかじゃなくてめちゃめちゃ地味でしたよ。だからみんなあっという間にいなくなるんです(笑)。同期入社の社員が20人くらいいたんですが、1年後は僕以外に1人か2人くらいしか残っていませんでしたね。それでも僕は全然嫌じゃなかったですよ。むしろ、そういうテレビ業界の、常識では考えられないめちゃくちゃなところがおもしろかった。毎日がお祭りみたいな感じで楽しかったですね。

入社翌年にディレクターに

──ADは何年ほどやったのですか?

ミヤザキケンスケ-近影2

それが僕はすごくラッキーで、たまたまADをやり始めて1年半くらいの時に誰もディレクターをやりたがらない通販の番組があったので、やりたいですと手を挙げたらディレクターをやらせてもらえることになったんですよ。普通はADを3、4年経験しないとディレクターにはなれないので、奇跡のようなラッキーでしたね。もしADを3年もやらなきゃいけない状況だったら辞めていたかもしれません。

その後、ニユーテレスに勤務して6年が経った頃、番組制作部がなくなるというので、ネクサスという「開運!なんでも鑑定団」や「美の巨人たち」を作っていた番組制作会社に転職しました。そこでもディレクターとして6年ほど勤務しました。辞める直前にはカフェをやりたいと思って物件をいろいろ探していたのですが、なかなかイメージに会う物件が見つからなかくて。でも「ひなぎく」と出会ったので退職し、2008年12月にディレクター時代の後輩と6次元をオープンしたんです。(※現在の場所で6次元を運営することになった経緯については前編を参照)

でも、いきなりカフェ1本で生計を立てるのは難しいし、ネクサスを辞めた後、NHKから声がかかったので、フリーのディレクターとして引き続き番組制作の仕事をすることにしました。最初はNHKの国際局で4年ほど海外向けの番組を担当し、その後Eテレの番組を担当しました。6次元のオーナーもやりつつだったので、ものすごく忙しくて毎日ドタバタでした。合計で20年近くテレビ業界にいたので、僕の人生の中ではテレビの仕事をしていた間の方が圧倒的に長いんですよね。


──ディレクター時代はどんな番組を?

情報、ワイドショー、旅、ドキュメンタリー、バラエティ、ドラマなどあらゆるジャンルの番組の制作に携わりました。


──一番好きだったジャンルは?

やっぱり旅番組ですかね。世界中の未知の土地を自分の価値観で選んで取材して紹介するのが超楽しかったですね。いろんな国に行けることも魅力でした。これまで訪れた国は約40ヵ国。世界中を車で旅する番組では女優さんと一緒に3、4週間海外ロケに行ったりしてたのですが、あまり公言できないハプニングもたくさんあってすごくおもしろかったですよ(笑)。

パプアニューギニアでのロケ
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パプアニューギニアでのロケ

ダライラマ取材
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ダライラマ取材

──テレビディレクター時代に得たことは?

あらゆるジャンルのテレビ番組の制作を通じていろんな知識やノウハウを得られたことですかね。それが今の6次元の活動にすごく役立っています。働くことのよさって、その時はわからなくても後々わかるんだなと、今頃気づきましたね(笑)。

あとは、会社に泊まるときはいつも床で寝ていたので、固い床でも平気で寝られるし、椅子が3つあれば熟睡できるし、10分あれば移動中でも寝られます。1ヶ月くらい監禁されても平気ですね。ごはんを食べる時間もなかったから忙しい時は5分で食べることもできます。どんな状況でも生きていけるように鍛えられたことも大きいですね(笑)。

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テレビ業界を離れた理由

──テレビ業界から離れようと思ったのはなぜですか? ディレクターの仕事が嫌になったとか?

ナカムラクニオ-近影4

いや、そんなことないですよ。ディレクターとしてうまくやれてたと思うし、仕事そのものは楽しかったです。ただ、先程もお話しましたが、とにかくテレビ番組を作る仕事は超激務で、1年360日くらい働くわけですよ。1ヵ月ほど会社に泊まることもあるし、突然明日から海外にロケに行けと命じられることもよくある。それでも若い頃は平気だったんですが、30代も半ばを過ぎるときつくなってくるんですよ。そしてあるとき気付けばほとんどのプロデューサーが自分より年下になっていて、やりにくさを感じるようになります。そもそもフリーのディレクターなんて立場的にはものすごく弱いですから。

そしてあっという間に40歳を過ぎ、そしてその先のキャリアが見えなくなる。テレビ局の正社員ならまだいいのですが、僕みたいな制作プロダクション上がりのフリーランスだと特にそうなんですよね。だからこのままずっとテレビの仕事をしてたら、50歳くらいになった時にある日突然会社からいらないって言われて、あるいは燃え尽きちゃって、人生が終わるんじゃないかという危機感は常にありました。実際に、僕の先輩とか身近でそういう人をたくさん見てきましたから。これは切ないですよね。そのときになって、こんなにこの仕事に人生を捧げてきたのに......と思っても遅いわけですよ。そこを反逆したい。だったら自由に生きてやると、人生のあるとき自然と気持ちが切り替わったんです。

もう1つは、マスコミ特有の体質にも違和感を抱いていた部分も大きいですね。特にテレビは数百万、数千万の人々に情報を発信できるという強い影響力をもつ媒体なので、実力以上に自分はすごいと勘違いしている人がいました。やたらと偉そうで、周りを見下しているような人も多くて、自分もそうなるのが嫌だった。

それで徐々にテレビ業界からフェイドアウトしようとネクサスを退職してフリーランスでディレクターをやりつつ、2008年末に6次元をオープンしたというわけです。


ナカムラクニオ-近影5

──カフェの仕事は未経験だったわけですよね。

その点に関しては何の不安も疑問もなかったですね。やればできると思っていたので。でも実際にやってみたらやらなければならないことが多すぎて大変でした。開店から3年間くらいは週5日間、12時から0時まで営業していて、食事も出していたので本当にしんどかったし、ちょっと無理かなと思ったこともありました。でもオープン時間を不定期にして、食事を出すのをやめて、イベントメインにすることで、今、カフェとしてようやく落ち着いてきたという感じですね。


──並行してフリーのディレクターの仕事はいつ頃までやってたんですか?

つい最近までやっていました。やっぱりテレビ業界も人手不足だし、僕みたいなディレクターって重宝がられるんですよ。扱いが非常に難しい女優を使う番組や突発的なトラブルの解決とか、難易度の高い仕事が好きで得意だったので、そういう依頼が多かったです。でも6次元が軌道に乗り、年々本関係の仕事など他の仕事も増えてきて、テレビの仕事をやらなくてもやっていけるというか、やる時間がなくなったので、去年(2015年)の始めからは一切受けてないです。

等身大の自分に戻った

──テレビ業界から完全に離れた今の心境は?

ナカムラクニオ-近影6

先日、テレビ局に行って入館証を返却した時、ついにテレビ業界から完全に足を洗ったんだなと思って感慨深いもの、一抹の寂しさもありましたね。ああ、もうここは僕のいる場所じゃなくなったんだなと。でも、その一方ですっきりしました。今、やっと映像の方は終わった感があるので、必死に他の仕事を増やしているところです。何でもやりますという感じで、テンションは高いですよ。今、第2の人生が始まったばかりというか、1年生のような新鮮な気持ちですね。

あとはやっぱり自由な感じがいいですよね。時間や仕事に追われず、平日の昼間に優雅にいろいろ好きなことをできるってのは幸せですよ。だからこそ気付けるいいことってあるんです。こうやってコーヒーをゆっくり飲むってすごくいいなあとか、絵をのんびり鑑賞する時間ってすごく重要だなと感じます。

それから、テレビ業界から離れて今やっと等身大の自分に戻ってきた感があります。働くというのはこういうことかと。店のテーブルを拭いたり、コーヒーを淹れたりすること一つとっても楽しいんです。


──それは自分で手を動かして働くことが楽しいということですか?

そうですね。単純にそれもありますが、もっと言うと、自分の力でお金を稼ぐ実感がより得られるというんでしょうか。1つひとつの仕事の値段がわかるのも新鮮で楽しいんですよね。「この記事、1本5000円なんだ」とか「1日これやってこれだけもらえるんだ」とか。(笑)。「小商い」を始めた感じがおもしろくて。

そういうの、今なかなかないでしょ? 自分で手を動かして額に汗して働いて、お金をもらう。それは働くということの原点だし、忘れちゃいけないと思うんですよね。会社員だと、だいたい毎月決まった給料で、営業職でもフルコミッションでない限りはもらったお金を全部自分だけの力で稼いだ感覚ってないじゃないですか。個人事業主になると、もらった分は自分だけの力で稼いだ感が強いし、その日働いた分をその日にもらえるみたいなのがすごい楽しいですね。それが5000円でも1万円でもすごくうれしいんですよ。

50万より5000円の方がうれしい

──でもフリーのディレクターとしてテレビ番組を1本作ったら比較にならないほどのお金がもらえるでしょう? それこそ桁が違うというか。それでも1本5000円の方がうれしいんですか?

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うれしいですね。テレビは大勢の人たちでつくりますが、書いたりイベントを企画するのは自分1人ですから。自分でお金を稼ぐ実感が得られるので、満足度が高くてすごく幸せなんですよ。だから50万円のテレビの仕事の依頼は全部断って、5000円の書き仕事の方を受けているわけです。こちらの方が今の自分にとって価値があるんです。

あと今は自分が企画したことがそのまま形になる、考えたことがダイレクトに実現することが多くなっていて、それが何よりおもしろいんです。こういうことって今までなかったんですよ。テレビのディレクター時代は、自分で書いた番組の企画書が滅多に通らなくて。ディレクターを20年くらいやった中でも実際に自分の企画といえるものって数えるくらいしかないんです。

それに規模的にも、ディレクターとして3ヵ月に1本くらいの頻度で、大規模な番組を担当してたのですが、作り終えてもそれほど達成感や幸福感ってなかったんです。何ていうんでしょうね、ただ仕事に追われちゃってるみたいな。でも今は小さくてもたくさんのプロジェクトを同時に走らせて、確実に達成しているので、満足感が高く、日々が幸せなんです。そんなに大儲けはできないけれど、それでもこっちの方が断然いいと思っています。

ナカムラクニオ-近影8

あともう1つ、やりがいという意味で大きく違う点は、極端な話、自分が作ったテレビ番組を数字の上では数百万とか数千万人の人が視聴していても、次の日に「見たよ」とか「おもしろかったよ」と言ってくれる人なんて誰もいないわけですよ。作った人の名前すらほとんど認識されないわけだから。自分がこんなに一所懸命やっているのに全く手応えが感じられなかった。でも今は観客が20~30人程度の小さなイベントでもすごくたくさんのリアクションがリアルに受け取れる。それがすごくうれしいんです。今はマスコミよりも6次元のような小さいメディアの方に可能性があると強く思っているんですよね。6次元という"ミニコミ"を使ってマスコミに逆襲したいというのが今の活動のモチベーションとしては一番大きいですね。


──それが6次元のようなカフェをやろうと思った動機なんですね。

カフェというよりもこういう「スペース」ですよね。カフェという名の自分の「村」をもちたかったんです。といっても村長とかリーダーをやりたいというわけではなくて、いろんな人が集まる村を作って、うまく運営していくことに興味があったんです。

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人との出会いが一番の財産

村上春樹作品の翻訳で知られるアメリカの日本文学翻訳家、ジェイ・ルービンと
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村上春樹作品の翻訳で知られるアメリカの日本文学翻訳家、ジェイ・ルービンと

チリの映画監督・アレハンドロ・ホドロフスキーと
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チリの映画監督・アレハンドロ・ホドロフスキーと

──6次元を立ち上げて一番よかったと思うことは?

僕が好きで会いたいと思っていた憧れの人が、向こうからお客さんとして来てくれることですかね。中には親しくなって個人的に付き合うようになった人もいます。テレビのディレクター時代にも有名人や芸能人にはたくさん会いましたが、あくまでも仕事上の付き合いで、ロケが終われば関係も終わりだったのですが、6次元みたいなレトロで家庭的な店をやっていると信頼してくれるんでしょうか、すぐ仲良くなっちゃうんですよね。

外国から6次元に来た村上春樹ファンたちと

外国から6次元に来た村上春樹ファンたちと

また、例えば出版のイベントをやったとき、担当編集者にこの人の本もすごく好きなんですよと話したり、twitterでこの作品が好きとかこの人に会いたいとかつぶやくと、何日後かに「じゃあイベントやりましょう」という連絡が来るんですよ。だからこの6年間くらいで憧れの人にほぼ全員に会えました。やっぱり一番よかったのはこれですね。人との出会いが僕の一番の財産になってます。

カステラの法則

あと、人だけじゃなくて仕事もそう。テレビの仕事をしていた頃は対外的にあんまり実名、顔出しはしてなかったんですが、フリーランスになってtwitterを本名、顔出しでやり始めたら急に仕事が来始めたんです。ロケついでに海外の本屋さんの写真をいっぱい撮ってきたから連載したいなとつぶやいたら、すぐ朝日新聞の記者から連載しませんかとtwitterでリプライが来て「世界の本屋さん」という連載が決まったんです。こんなふうにtwitterで仕事が来るんだ、おもしろいなあと思いましたね(笑)。

ソウルの書店でロケ中のひとコマ

ソウルの書店でロケ中のひとコマ

だから自分の好きな物やしてほしいことを自分からガンガン発信することが大事なんです。そうすれば向こうの方からやってくる。「カステラの法則」って知ってますか? カステラが食べたいって毎日会う人会う人に言っていると、絶対何日か後にカステラが確実にやってくるんです。これ本当なんですよ(笑)。日々実感していて、今はかなり意識してやってます。

これを僕の言葉で「好き好きマーケティング」って言っているんですが、好き好きって言い続けると絶対プラスに働いていくと確信しています。だって好き好きって言い続けると相手の人も絶対嫌な気はしないし。そのおかげでいいことがいっぱい起きているような気がします。こういうふうに日々働きながらうまいやりかたを学んでいってる感じですね。

結果よりもプロセス重視

──今の仕事の喜びはどういうときに感じますか?

ナカムラクニオ-近影12

僕はそもそも結果には興味がなくて、そこに至るまでのプロセスが好きで、途中で試行錯誤している時が一番幸せなんですよ。特にあえて困難なことにチャレンジして、クリアしていくのが好きなんですよね。テレビ時代からそうで、あえて取材拒否のところに何度も通って交渉して口説いて、取材許可を得られたとき、無常の喜びを感じるタイプなんです(笑)。でも取材と編集が終わったらもう興味がなくなる。

だから6次元もその困難をクリアしていくライブ感が楽しいんです。例えば以前、苔の本というすごくマニアックな本を作った編集者から、この本を売りたいんだけど何とかしてくださいって頼まれた時、うわ~苔か~これは集客難しいなあと思いながら、同時にどうやって売ってやろうかなってどこかでワクワクしている自分もいるんですよ。そういう無茶振りされるとうれしくなって、しかもそれが難しければ難しいほど燃えるという(笑)。厄介事や問題を解決することそのものが楽しいんです。

大盛況だった苔ナイト

大盛況だった苔ナイト

それでお客さんを集めて苔の本を売るためのイベント企画をいろいろ考えて仕込んで、知り合いのメディアの記者に今、苔ブームが来てるから取材に来てくださいと告知。事前にお客さんに苔っぽい服を着てきてくださいとお願いして、イベント当日、緑の服を着た人たちが用意しておいた苔ドリンクや苔スイーツを食べて苔を愛でてるというシーンを作りました。そういう絵はインパクトが強いから新聞も喜んで記事にしてくれるんですよね。その結果、イベントもすごく盛り上がったし、その記事が新聞や雑誌に載ったことで苔の本が2万部も売れたんですよ。そうやって苔ブームを作ったわけですね。

ときめきが大事

──働き方で大事にしていることは?

今は仕事は楽しくないと続けられないと思うので、自分がその仕事に対してときめくかどうかが重要ですかね。ときめきスイッチみたいなのってあるじゃないですか。その仕事に出会ったとき「来た!」みたいにときめく。それがあればいくらでも続けられるので、直感みたいなものを大事にしています。

そもそも働くこと自体、しんどいことの方が多いので、自分に合わない仕事をするのはつらいと思うんですよね。だからいかに早い段階で天職を見つけられるかが大事。テレビの仕事は天職だと思っていましたよ。でももう1つくらい一生を懸けられる仕事がしたいなと思ったので、今の働き方にシフトしたわけです。今の僕がやっている仕事も間違いなく天職ですね。特に金継ぎなんかは(笑)。(※金継ぎに関しては前編を参照)

──今は好きなことしかやってないという感じなんですね。仕事とプライペートの境は?

今はないですね。金継ぎのように元々趣味だったことが今仕事になっていますし。趣味を仕事化していくことにも興味がありますね。そういう働き方もできるんだということがわかりましたよね。こういうことって、会社員時代は考えたことすらなかったんですよ。仕事って上から降ってきて、有無をいわさずとにかくやらされるみたいな感じだったので。でも今は自分でいくらでも開拓できるんだって思いますね。

自分で仕事は創れる

──ナカムラさんは自分で仕事を創っていますもんね。

ナカムラクニオ-近影14

完全に自分で仕事は創れますね。仕事そのものを創るのっておもしろいじゃないですか。そういう仕事クリエイター、「創職系男子」を目指しているんです(笑)。これまでにない肩書きだって勝手に作っています(笑)。例えば、僕は出版業界の人間じゃないのに、最近本について取材を受けることが多くて、『フィガロ』という雑誌でも僕が本屋さんの未来予想について語っているんですよ。そういう依頼がものすごく多くなったのは、僕が本屋さんが大好きで詳しいという設定で今、いろんな媒体で連載をしているから。そういうことをしているから本屋さんが大好きで詳しいという設定になったともいえるんですが、そういう設定になると誰も疑問を抱かないのがすごくおもしろいなと(笑)。最近、勝手に肩書きを作れば何とかなるんだと思っているんです。

──自分で仕事を創るってすごいですよね。なかなかできない。どうすれば自分で仕事を作れるようになるんでしょうか。

本当に好きなことを貫き通すのが大事でしょうね。嫌いな仕事は創れませんから。

──好きなことをとことん極めるってことですか?

それが大事ですね。そして発信していく。例えば金継ぎでは、器のことに関して誰からどんなことを聞かれてもだいたい答えられます。極めていてそういう自信があるから金継ぎのワークショップをどんどんやれるし、多くの人たちが参加してくれるんだと思います。

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現状における課題

取材に来たタイの国営放送のスタッフと一緒に

取材に来たタイの国営放送のスタッフと一緒に


──では今の働き方や仕事に関して課題や問題は?

今は手を広げすぎちゃってやることが多すぎなので、正直もうちょっと絞っていきたいと思ってます。特に今は出版関係だけでも5、6冊同時進行でもういっぱいいっぱいで(笑)。何も考えずに来た仕事を全部受けるというのはフリーランスの初心者ならではの失敗ですよね。

ともすると働き過ぎちゃうんですよね。確かに並行してどこまでやれるか、自分の限界を探るというのも大事だけど、逆に失うものもあるなと最近、気づきました。だから、最近ようやく仕事を断ることができるようになったんです。例えば村上春樹について語ってくださいという取材や執筆依頼が毎日のように来るので、今は半分くらい断ってます。あと、去年はオシャレ雑誌のカフェ特集の依頼もすごく多かったんですが、勇気を振り絞って断ったんですよ。そしたらすごく楽になったんですよね。


──仕事を増やすことで失うものとは?

増やし過ぎると1つひとつの仕事の質が保てなくなりますよね。書く仕事も本来は1つに集中してじっくり作って、終わったら次に取り掛かるというのが理想ですよね。でもなぜかいつもある時期に仕事が集中するんですよね。イベントも異常に集中する週があるんですよ。おもしろいくらいリズムってありますよね。だからその辺をうまくコントロールしてやっていくのってすごくたいへんだと思います。まあ、それを乗り切るのが楽しいことではあるんですけどね(笑)。仕事の分量ってすごく重要なので、適度に仕事の量を配分するというのは今後の課題としてありますね。

もう1つは自分のモチベーションのコントロール。これも非常に重要ですよね。組織に属さず個人で働いている人は出勤の義務もないし上司や先輩もいないのでお尻を叩いてくれるような人は誰もいません。やる気の出ないときでも、時には自分が上司になって自分を動かさなければならない。いかに自分自身を操作するかが大事ですよね。例えばこれが終わったらご褒美にこれをやると、自分の鼻先にニンジンをぶら下げたりしてます(笑)。

第3の場所で第2の顔を持つ

──現在の人びとの働き方について感じていることは?

ナカムラクニオ 近影16

毎日6次元から中央線を眺めてるんですが、働き方は考えさせられることが多いですよね。朝夕のラッシュ時はものすごい人で、しかもよく止まってるんですよ。おそらく人身事故で。そういうのを見て、みんな働き過ぎだよなというのは日々実感しています。

あと、平日の昼間は堅い会社でサラリーマンをやっていて、休日や夜は6次元を使って何かをしたいという人が今、すごく増えているんです。家でも会社でもない第3の場所で第2の顔をもって活動するみたいな。昔はあんまりいなかった。それもすごくおもしろいなと感じています。

例えば、よく店に来る某デパートの社員はコーヒーを入れるのが趣味で自宅焙煎していて、それを人々にふるまいたいんですよ。だからカフェの1日店主になって自分が焙煎したコーヒーを淹れる会をやりたいから6次元を使わせてくださいとか。そういう人がすごく増えていて、会社員の夢を叶える場にもなっているんです。みんな、仕事とは別に何か好きなことをやりたいんだなと。生きがいを得るために、本職以外のもう1つの顔をもって生きるというのがこれからのトレンドになるんじゃないですかね。

もう1つは、最近みんなお金とか物に対する欲望、執着がどんどんなくなっていると実感しています。僕らが若いときは就職したら車や家を買いたいというのが普通でしたが、今の若い子たちは全然そんなこと思ってないんですよね。僕自身もだいぶ変わってきました。テレビディレクター時代は車もマンションも買いましたが、車は手放したし、いまさら不動産もほしいとは思いません。それより日々の暮らしが楽しい方が重要ですね。今テレビの仕事を受けた方が収入は何倍にもなるけど、テレビに戻りたいと全然思わないというのはそういうことだし、専門学校で教えているのもお金じゃなくて学生と触れ合うのが楽しいからやっているんですよね。収入軸じゃなくて好きとか楽しいという軸で仕事を選ぶというふうに、生き方、働き方をシフトしている人が多いんじゃないかなと感じています。

ニュータイプの寅さんを目指して

──生き方に関するポリシーはありますか?

ナカムラクニオ 近影17

僕は変化していくのが好きなんですね。以前、6次元に来た外国人に「ここは毎日来るたびに違うのはなぜだ? カメレオンカフェだね」と言われたことがあって、それがうれしくて。どんなに環境が変化してもそれに合わせて順応して生きていくことが重要で、それ自体が楽しいと感じる。だから一生変化し続けたいと思っているんです。

何かの本で読んだのですが、人には2種類いると。土の人と風の人。土の人は1ヵ所に定住したい人で、風の人は常に移動するのが好きな人。僕は完全に風タイプで移動して変化することに快感を覚える。一生ずっとふらふら移動、変化しながら生きるというのが一番自分に合ってると思うんです。常に新しい仕事を作りながら活動領域を広げていく。そういうふうに生きていければいいかなと思いますね。

理想にしているのがフーテンの寅さんです(笑)。トランク1つで全国を旅して生きていくというスタイルは、今流行りのミニマリストの理想形なんじゃないかなと。そういう生き方ができればいいですよね。だから僕も最近、荷物をものすごく減らしているんですよ。先週も、最小限の荷物だけを持って、金継ぎのワークショップで地方を転々としてました。そういう次世代型、ニュータイプの寅さんを目指していて、ここ数年でかなりイケるという手応えを感じてます(笑)。

リアルな村を作りたい

ナカムラクニオ 近影17

スペインから来た村上春樹ファンと

──これからやりたいこと、目標は?

会社員でもフリーランスでも働き方や生き方について悩んでいる人たちが、6次元のような場所を使って自由に小商いができるようなシステムを作りたいですね。6次元で何かをしたいという人がいたらすぐに受け入れてイベントを開催して、その企画者にもお金をちゃんと払える仕組みができればいいですよね。こういった雇用を生み出すイベントを増やして、もっとみんなにメリットがある働き方を開発していきたいんです。「内職ナイト」みたいな、何かを創る系のイベントで、みんなで一緒に創ってお金をもらえるようなイベントもあってもいいですよね。そういう小商いをうまくビジネス化していくことをどんどん実験的にやっていきたいと思っています。

また、コミュニティをゼロから創ることに興味があります。6次元は村みたいなもので、それを運営するのが楽しいんですが、その村を地方にリアルに作りたいと思っているんですよ。秋田にそういうことを実験的にやっている人がいて、お金を寄付すると村民になれて、いつでもそこに行けるというシステムなんです。これはおもしろいなと。

ナカムラクニオ 近影19

僕も東京で6次元をその第1号としてやってみて、うまくいったらそのノウハウを活かして地方とか海外でリアルな村を作ってみたい。特に国内には人口激減で廃村になりかけている村がたくさんあるから、行政や住民の皆さんと組んでうまく一緒にやれればなと。実際に、今、山形、八戸、大阪などで実験的に種まきをしているんです。数年後にはできるかなと踏んでます。どのみち6次元はもうかなり築年数が経っているので、この先何十年も使えるわけじゃない。数年後にはもっと発展した形で別の場所でやることになるでしょうね。

もう1つの夢としては、学校を作りたいと思っています。今でも6次元のイベントは学ぶ系のものが多くてお客さんもすごく集まるんですよ。今、多くの人の学ぶことに対する欲求がすごく高まっていて、お金を払うことをためらわない。だから大人の寺子屋的なものを作るのは今の自然の流れかなと。いわゆるカルチャースクールじゃなくて、6次元のようなゆるい空間で1回2000~3000円くらいで気軽に、楽しく学べる「夜の学校」みたいな感じがいいかなと思っています。今後、「大人の寺子屋」をどんどん発展させていきたいですね。

インタビュー前編はこちら

パラレルキャリアのススメ[前編]

多岐にわたる活動を同時並行的に

──まずは現在の活動について教えてください。

ミヤザキケンスケ-近影1

最近いろんな仕事がどんどん増えていて、自分が一体何屋なのかますます曖昧になってきていますね。でもそれは意図的に狙ってやっている部分もあるんですよ。ちょうど今、パラレルキャリアに関する本を書いている最中ということもあって、どこまで同時並行的にいろいろな仕事ができるか、それによってどういう相乗効果が生まれるか。それが今の僕のテーマなんです。だから今はあえてこれまでやったことのない仕事を増やしているんです。仕事によって働き方はバラバラで、それがおもしろいんですよね。自分を実験台にしてどうやったらうまくできるんだろうと試している段階です。


──具体的には、現在どんな仕事をしているんですか?

大きくわけると、「6次元」というカフェの運営、金継ぎのワークショップ、執筆・編集業、出版プロデュースなどの本関連の3つの分野があって、その他に大学や専門学校で教えていたり、町づくりにも関わっています。以前はテレビ番組を作る仕事にも携わっていましたが、去年(2015年)の始めくらいからはやっていません。


──本当に幅広いですね。ではまず6次元の運営から教えてください。6次元とはどのようなカフェなのですか?

2008年末、東京の荻窪に開いたブックカフェです。現在は決まった定休日や営業時間を設けておらず、僕が店にいる時は、お客さんが来たらいつでも受け入れるという非常にフレキシブルなスタイルにしています。この辺は夜型の人が多いから、夜中の2時とか3時に来る人もいるのですが、そういう時でも開けることもあります。

6次元ではコーヒーを出すだけじゃなくて、イベントもやっているのですが、終わってもお客さんはなかなか帰らなくて夜中の1時くらいまでいるのは普通だし、話が盛り上がったら朝までいることもあります。特にオープン当初はみんな朝までいました。僕はそういうのが全然苦にならず、むしろおもしろいと感じるタイプなんですよね。そこから生まれた企画も多いですし。

6次元には世界中からお客さんが集まる。多国籍読書会にて

6次元には世界中からお客さんが集まる。多国籍読書会にて

実は最近、6次元は外国人向けの観光地のようになっていて、毎日多くの外国人のお客さんが来るんですよ。特に去年(2015年)の夏がすごくて毎日40、50人もの外国人が押し寄せていました。今でもお客さんの6割は外国人ですね。先日もポーランドの小説家がやって来てなんかやろうよというから、2日後にイベントをやったくらいです。

お客さんだけじゃなくて外国のメディアもたくさんやって来ます。先日もクロアチアのメディアやアルジャジーラ、タイの国営放送局が日本の文化を紹介するという企画で取材に来ました。英語で取材を受けてみると新しい発見があっておもしろいんですよ。だから極力断らないで、おもしろそうだと思った話は何でも受けるという姿勢ですね。そうしているとどんどん人脈が増えて、それが仕事に繋がるという好循環になっています。今は毎日いろんな外国人が扉を開けてやって来ることを楽しんでいます

※クロアチアの記者が来た時の記事 → http://breakfast.rs/rokujigen-puno-vise-od-samog-murakamija/

村上春樹に関する本を執筆しているナカムラさんの元には世界中からハルキストが集まる

ポーランドの翻訳家Anna Elliottと
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ポーランドの翻訳家Anna Elliottと

アルジャジーラの文学取材
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アルジャジーラの文学取材

イベントカフェとして

──イベントはどのくらいの頻度でどういう内容のものをやっているんですか?

ナカムラクニオ-近影5

2日か3日に1回、年間200回くらい開催しています。イベントには大きくわけて先方から頼まれて開催するものと自分で企画するものの2種類があります。半分以上は前者ですね。イベントの中には非公開のものもあります。だからいろんな人から6次元はいつ行っても開いてないって言われているんですが、外から見たら閉まってるように見えても、実は中ではほぼ毎日何かが行われているんです(笑)。


──イベントは6次元をオープンする時からやろうと思っていたんですか?

そうですね。それを6次元のコンセプトの1つにしました。2次元の平面的な紙やWebで展開されている内容を立体化することに興味があるんです。例えば本の出版イベントの場合、著者が2時間かけて解説してくれる体験は3次元ですよね。つまり2次元で書かれた文字を3次元化するその瞬間ってすごくおもしろいと思うんです。だからこの店を開く時、なるべく体験型のイベントを開催することを1つの決まりにしました。2次元のものを3次元化すると2×3で6次元になるので、店名を「6次元」にしたというわけです。こういう「6次元化する」、つまり、平面のものを立体化して現象化することが大事だと思っていて、今後のテーマになると思っています。

6次元では毎日のようにさまざまなイベントが開催されている。(写真はふなっしーのデビューイベント)

6次元では毎日のようにさまざまなイベントが開催されている。(写真はふなっしーのデビューイベント)

だから店をオープンしてすぐイベントを始めたんです。最初は読書会だったんですよ。店を貸し切って読書会をやらせてくださいというオファーが来たのでやってみると、その1日だけで、コーヒーの売り上げの1ヶ月分にもなったんです。読書会って意外と儲かることがわかって、それから読書会や朗読会を増やしていきました。それまで読書会が商売になるなんて考えたこともありませんでした。自分だけだったら間違いなく思いつかなかったので、お客さんにはとても感謝しているんです。これ以外にもお客さんからアイディアをもらって開催しているイベントは多いので、お客さんに支えられていると常々感じています。

開店以来、イベント開催の申し込みは途切れることがなく、世の中にはこんなにイベントをやりたい人が多いんだと驚きました。特に多いのが本の編集者です。新刊本が発売されるタイミングでプロモーションがしたいからイベントを企画してくださいという依頼が圧倒的に多いんです。

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魔法のようなシステム

──イベントはどういうシステムになってるんですか?

出版社からはイベント開催の手数料は取っておらず、その代わりにお客さんが払ってくれるイベントの参加料をいただきます。そしてその中からイベントのスピーカーである著者に出演料を払っています。出版社にしてみれば無料で本のプロモーションができるし、イベント会場でも本が売れるからメリットしかない。だからやりたがる編集者が多いんです。著者はその上に出演料ももらえる。お客さんも楽しかったと喜ぶ。僕としてもコーヒーを売るより売り上げも利益もはるかに多い。だから6次元でのイベントは関わる人全員が幸せになれる魔法のようなシステムなんですよ(笑)。


3月14日に行われた鹿の写真集『しかしか』(石井陽子/リトルモア刊)発売記念イベント「鹿ナイト」。鹿を愛する大勢の参加者で賑わった

3月14日に行われた鹿の写真集『しかしか』(石井陽子/リトルモア刊)発売記念イベント「鹿ナイト」。鹿を愛する大勢の参加者で賑わった

イベント会場の6次元では写真集を販売。数人のお客さんが購入。出版社や著者としても直接お客さんの顔を見ながら手渡しで売れるのはうれしい
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イベント会場の6次元では写真集を販売。数人のお客さんが購入。出版社や著者としても直接お客さんの顔を見ながら手渡しで売れるのはうれしい

お客さんが購入した写真集にサインをする著者の石井陽子さん。著者と直接触れ合えるのもイベントの魅力の1つ
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お客さんが購入した写真集にサインをする著者の石井陽子さん。著者と直接触れ合えるのもイベントの魅力の1つ

聞き手となりイベントを盛り上げるナカムラさん(写真右)
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聞き手となりイベントを盛り上げるナカムラさん(写真右)

僕の一番のメリットは出版業界の人脈が増えること。僕が書いたりプロデュースした本の多くは、元々はここのイベントで仲良くなった編集者から本を出しませんかと声をかけてもらったものなんです。

出版系のイベントは、僕自身も出版のことに興味があるので、今一番力を入れています。その本がおもしろいと思ったら別の新聞社の記者やテレビ局のディレクターに紹介したりもしています。いろんな媒体で掲載、放送されると担当編集者や著者も喜びますからね。


──もう1つの独自で企画するイベントは?

主にワークショップ系のイベントですね。ネタは基本的に僕自身が勉強したいことです。例えばこれまで何度も開催して、告知したら一瞬で満員となって回数を増やした大人気企画の「校正ナイト」は、僕が校正を勉強したかったので企画しました。プロの校正者に講師になってもらって校正の授業をしてもらったのですが、僕自身もとても勉強になったし参加者にもすごく好評でした。3年も続けている「能楽ナイト」も同じで、能楽に興味があって勉強したかったので、知り合いの能楽師を紹介してもらってやり始めたんです。これも一石三鳥くらいあるんですよ。例えば能楽のイベントをやると、参加した能楽初心者のお客さんが後日、講師の能楽の会に来てくれるんです。さらに僕も能楽が勉強できて収入にもなる。能楽師、お客さん、僕の全員が得をする最高のシステムなんです(笑)。

編集者の石黒謙吾さんが講師を務める「石黒ゼミ」。大好評で毎回ほぼ満員に

編集者の石黒謙吾さんが講師を務める「石黒ゼミ」。大好評で毎回ほぼ満員に

また、作家がここで作品を作って販売するまでをすべてひっくるめてイベントにすることもあります。去年も台湾のアーティストがいらなくなった紙を集めてきてミキサーにかけてその場ですいて、新しい紙を作り、参加したお客さんに売るというイベントを開催しました。1次産業から3次産業まで全部この空間で完結したので、すごくおもしろかったですね。最近、産業の6次元化って注目されているじゃないですか。それをアートでもやってみようという実験的なイベントでした。実は6次元には、1次産業×2次産業×3次産業という意味も込められているんです。

このような、いろんなことを同時にやることによってイベントに関わるみんなが喜ぶ、一石三鳥みたいな仕組みを考えるのが好きですね。それが今、非常にうまくいっているので今後も増やしていきたいと考えています。

編成力を活かして

──6次元のイベントはバラエティに富んでいておもしろいですよね。

なるべくお客さんを飽きさせないように、いろんなジャンルから企画しています。僕は6次元をオープンさせる前、テレビ業界で働いていたのですが、その頃に培った編成力が活かされてますね。同じようなテーマが続いちゃうと人ってつまらなく感じてしまうので、並びや配分をいつもすごく意識してます。1ヵ月のおおよそのイベントスケジュールを俯瞰して見て、この辺に全然違うイベントを入れた方がいいなというふうに。

ルーシー・リー鑑賞会イベント

ルーシー・リー鑑賞会イベント

告知した瞬間に満員になる人気のイベントもけっこうあって、特に美術関係のイベントに多いですね。例えば東京の各美術館とタイアップして開催することも多いですし、ルーシー・リーの鑑賞会などは、知り合いの学芸員や新聞社の記者にお願いしたら美術館に展示してある本物の作品を6次元に持ってきてくれることになったんです。これはかなり画期的で、美術館はこういうことはまずしてくれません。そのためにはやはり普段からの彼らとの交流が大事ですね。こういう他ではできないイベントは盛り上がるので、今後も力を入れていこうと思っています。


──他にイベント運営でこだわっている点はありますか?

基本的に、自分自身が好きで興味があることしかやらないようにしてます。興味がないけど集客がよさそうだからやるということはしないですね。だって、お客さんには僕が本当に好きなのかどうかって絶対バレますよ。イベントの主催者である僕自身があんまり好きじゃないんだなって思うと興ざめしますよね。だから、そもそもあんまり好きじゃない企画を持ってくる人は少ないんですが、たまに興味をそそられない企画はやんわり断ることがあります。好きなことを好きって言い続ける姿勢はぶれないように心がけていますね。

あとは、イベントへの参加申し込みの仕方は自動フォームとかではなくて、参加希望者に直接メールで送ってもらっていて、その返信もあえて1人ひとり全員に僕がメールを書いて送っているんです。


──それだけイベントをたくさん開催してれば来るメールの量も多くて手間がかかりますよね。あえてそうしている理由は?

自動化しちゃうとつまらないし、その方がイベントの"空気感"のようなものがわかるからです。メールには「参加希望します」だけじゃなくて、「先日のイベントがおもしろかったから今回も参加します」みたいにいろいろ書いてくれる人もけっこういるんですね。そういう自動返信システムではわからないお客さんの生の声を手作業だと得られるんですよ。あとは、スピード感も大事だと思っていて、来たメールはなるべくその場ですぐ返すようにしています。移動中の時間をよく使っているので、今はスマホがあって助かってますね(笑)。

中央線文化の地層

──店内はレトロというか昔のどこか懐かしい時代にタイムスリップしたような不思議な空間になっていて、そこが外国人に人気の理由だと思うのですが、雰囲気づくりでこだわっている点はどういうところでしょう。

異世界に足を踏み入れたような錯覚に陥る6次元

異世界に足を踏み入れたような錯覚に陥る6次元

もちろんこの空間デザインも意図してやっていることです。中央線沿いにある店なので、有名なアートディレクターや空間デザイナーが手掛けたようなおしゃれでかっこいい感じじゃなくて、ちょっとゆるい感じの方がおもしろくていいと思うんですよね。もちろん僕自身の好みでもあります。


──確かに中央線沿線って一種独特の文化がありますよね。

そうですよね。「中央線」がけっこう大事なポイントで、店の窓からちょうど目線と同じ高さに中央線の電車が走っているのが見えるんですよ。特に夜はきれいで、お客さんたちがコーヒーを飲んだり、本を読みながら電車を愛でている。ある日、その風景が隠れ茶室のような感じでおもしろいなと感じたんです。

この場所は、6次元の前は「ひなぎく」というカフェ、その前は「梵天」というジャズ喫茶だったんですが、どちらも伝説的な店で、いわゆる中央線カルチャーを作っていた編集者などクリエイターたちのたまり場でした。今でも時々当時の常連客がやってきます。だからここは中央線文化の地層になっているんですよ。超有名ジャズ喫茶だった「梵天」、閉店するとき保護しようとして受け継いた「ひなぎく」、さらにそれを保存したのが「6次元」。お寺を代々保存していく、昭和文化遺産の保存会みたいな感じで、そういった文化を僕が受け継げているのが誇らしいと思っています。

6次元はこういう空間に巡り会えたから始めたわけで、ここじゃなかったらやってなかったかもしれません。カフェをやりたいと思っていていろいろ探していたのですが、なかなかこれだという物件がなくて。ここは探していた本当に僕の求めていたイメージぴったりでした。

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金継ぎワークショップ

ナカムラクニオ 近影13

──6次元以外の仕事について教えてください。金継ぎのワークショップとはどのような仕事なのですか?

「金継ぎ」とは、割れたり欠けたりした器を漆で接着し、継いだ部分を金で装飾する伝統的な修復法です。今、金継ぎのワークショップを開催して講師として金継ぎのやり方を教えています。東京近辺だけじゃなくて地方でも開催していて、毎回満員になるほどの人気なんですよ。


──金継ぎを始めたきっかけは?

ナカムラさんが金継ぎした作品

ナカムラさんが金継ぎした作品

僕は元々骨董オタクで長年「開運!なんでも鑑定団」のディレクターをやっていたこともあり、自分でも世界中の美術品を集めていたのですが、ある日気付いたんですよ。割れてると1万円なのに修復すると10万円になる器があることに。どうして欠けていると捨てられるのに直すと高値が付くだろうって不思議に思ったんですが、僕も割れている器を買うことが多いので、それを安く買って自分で直せばいいやと。それで6年前くらいから独学で始めました。やってみたら直す作業自体も地味に楽しいんですよね(笑)。

だから元々は器を売るために金継ぎを始めたわけじゃなくて趣味が高じてって感じなんですが、自分で直し始めたら人から頼まれることが増えてきたので、参加費をもらって教えるワークショップを始めたというわけです。


──金継ぎワークショップの魅力は?

壊れた器が完全に修復できるので、参加者のみなさんにとても感謝されることですね。ワークショップが終わると、参加費をいただいているのに毎回御礼のメールや手紙をたくさんいただくんですよ。だからすごくやりがいがありますね。お金じゃない部分の喜びがすごく大きい。これからもっと本格的に金継ぎを研究して、将来的には金継ぎ職人になりたいと思っているほどです。

金継ぎワークショップの模様

本関係の仕事

──本関係の仕事は具体的にはどのようなことをしているのですか?

ナカムラさんの著作

ナカムラさんの著作

まず自分で執筆する仕事として、アート系の雑誌やWebに連載を6本ほどもっていたり、『イラストレーション』という雑誌の編集もしています。主なテーマは「アート」と「本」ですね。書籍もこれまでに2冊ほど出していて、今年(2016年)中にも何冊か出す予定です。

映像は基本的に放送されたら終わりなので残らないんですが、紙やWebは自分が書いたものが残るという点がすごくうれしいです。そして、執筆者として自分の名前と肩書きがちゃんと掲載されることもうれしいですね。以前、テレビ番組を作っていた頃は、3ヵ月間、すべての時間と心血を注ぎ込んだにも関わらず、制作者として自分の名前が流れるのは、番組終了間際の最後の1秒間だけ。しかもほとんどの視聴者は見ていないという残念な状況でしたから。それだけに小さくても自分の名前や肩書きが紙やWebに載るというのはものすごくうれしいんです。

媒体としては、Webはいつでも見られるので将来的にはおもしろいなと思います。そういう意味では今はWebに一番興味があるんですよね。将来的には6次元で行われてるイベントを動画で配信するWeb放送局を作ろうと思っていて今テスト中です。


──それはすごくおもしろそうですね。

ナカムラクニオ 近影17

僕は元々マスコミにいた人間なのですが、マスコミに逆襲したいという思いがあるんですよ。今は個人でもやり方次第ではマスコミに負けないくらいおもしろいものを作れるし、影響力をもてる時代だと思うんですよね。

あとは出版エージェントのように出版企画を立てて、知り合いのアーティストを出版社に売り込んだり、編集者として本を一緒に作ったりということもけっこうやってます。実はそうやってこれまで何10人も知り合いのアーティストを作家デビューさせてるんですよ。だけどこれはほとんどお金をもらってないので正確には仕事とは言えないですね。おもしろいからやってるだけです(笑)。本だけじゃなくて、イラストレーターと企業を繋いでアート商品を開発したりもしています。

大学講師・町づくりも

──講師としての仕事は?

山形・東北芸術工科大学で教鞭をとっている

山形・東北芸術工科大学で教鞭をとっている

この4月から東京コミュニケーションアート専門学校で小説を書くためのアイディアの出し方やタイトルの付け方について教えています。小説の書き方というよりは発想法ですね。この時もテレビ番組のディレクター時代に培ったノウハウが応用できるんです。例えば、人が1秒間に認識できる文字は10~13文字なんですが、意外と知らないでしょ? だからタイトルは13文字で考えてみようとか、自己紹介はまず1秒間、13文字以内でやってみようという授業をしているんです。小説なんて書いたことのない子にいきなり書きましょうといってもなかなか書けないから、テレビ的な発想をもってくる。そうすると誰でも書けるようになる。これもけっこうおもしろいと思います。

あとは山形の東北芸術工科大学で町全体を一冊の本にするというプロジェクトに関わっていて、定期的に教えに行ってます。授業では学生に町の中にある1つの場所について小説を書いてもらっています。自分たちの住んでいる町について小説を書いて、それを本にして町中の人が読めるというプロジェクトです。先日この本が完成しました。これは町の活性化の一貫として行われたので、町づくりの仕事でもあります。

山形交換読書会

山形交換読書会

町づくりという意味では、去年は北海道の森の中で読書会をやってくださいという依頼があって、町おこしの一環として実施しました。また、青森県八戸市長の八戸を本の町にしたいという意向を受けて、八戸の本屋さんで朝まで小説を書くワークショップをやったり、来年完成する八戸ブックセンターのプロモーションのお手伝いもしました。どちらも多くの地元のマスコミが取材に来て、大きく取り上げられました。

どうしてナカムラは、毎週いろんな地方に行っているんだろうと思っている人も多いでしょうが、こういう事情もあるんですよ。みんなどうすれば地元のことを世間に広くPRできるかわからないのですが、僕はそれが一番得意なので代わりにやっているんです。

つらい過去が今に活きている

──具体的にはどのようにするのですか?

ナカムラクニオ 近影20

例えば、このイベントは何時頃にどこの誰に連絡すれば、○日付けの新聞や○月号の雑誌に載るかとか、○日○時からの番組で放送されるかというのが、テレビディレクターとして20年近くやってきた経験からだいたいわかるんです。マスコミ各社に知り合いがいるので、ネタに応じて連絡したり紹介したりできるんですね。

テレビディレクターを辞める直前は仕事がつらかったはずなのに、結果的に今の仕事にすごく活きているんです。6次元の運営に関しても同じで、テレビ番組を作るとき出演者のキャスティングをずっとやっていたから、6次元もスタジオのセットだとしか思えないんですよ(笑)。イベントもこのセットの中でキャスティングをしているという意識は常にあるし、イベントの内容に合わせて本棚の本も全部並べ替えますしね。テレビ時代にやってきたことが染み付いているのかも(笑)。

だからテレビ時代のつらい過去があったから幸せな今がある。これがこのインタビューで一番言いたいことの1つです。ちょうどいいタイミングで今の仕事、働き方にシフトしたなという感があるんですよね。たまたまだったけど、いろんなことがあって今はすごく恵まれてると思いますね。

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リスクヘッジも考えて

──テレビディレクター時代の話は後ほどじっくり聞かせてください。そんなにいろんな仕事をしていて大変じゃないですか?

ナカムラクニオ 近影21

全然ストレスはないですね。すごくおもしろいですよ。いろんな仕事を選べるし。今は、6次元の運営と金継ぎの職人、本関係の仕事をバランスよくやるというライフスタイルを模索している感じですね。いずれにしても今は楽しんでやっています。


──なぜそんなにいろんな仕事に取り組むのですか?

この先10年、20年のロングスパンで自分の人生を考えた時、1つの仕事だけでは60、70歳になった時に行き詰まると思うんですよね。だからリスクヘッジのためになるべく稼げる仕事を増やしておいた方がいいと思い、意図的に並行していろんな仕事を進めているわけです。今のうちから少しずつ種まきをしておこうという感じですね。

でも、確かに全然違ういろんな仕事をしているように見えますが、僕としてはいろんなことをやっているという感覚はなくて、1つのことしかやっていないという感じなんですよね。つまり、6次元というコアとなる大きなプロジェクトの中で、いろいろな小さなプロジェクトを同時進行で回しているって感覚なんです。だから毎日いろんな仕事をしていて面倒くさくないですか? って聞かれるんですが、僕としてはそっちの方が落ち着くんですよね。

多国籍読書会

多国籍読書会

高校生の賞金稼ぎ

──ここからはどういう経緯を辿って現在のナカムラさんに至ったのかについて聞かせてください。ナカムラさんといえばアートというイメージですが、アートとの関わりはいつ頃から始まったのですか?

高校1年生の時に東京都美術館で現代美術家のジョナサン・ボロフスキーの企画展を観て、すごく衝撃を受けたんですよ。それ以来、現代美術にハマりました。だから以前、東京都美術館の協力を得てイベントを開催した時は、ついに僕も憧れの都美館とコラボする日が来たかと、すごく感慨深いものがありましたね。

高校生の時はお小遣いやお年玉を全部使って、狂ったように画集や美術書を買い集めていました。美術書だけの部屋があったくらい美術オタクだったんです。展覧会にも足繁く通っていたのですが、そのうち『月刊ギャラリー』という雑誌に展覧会の批評を書くようになりました。雑誌に投稿すると編集部からいろいろな展覧会の無料チケットを送ってもらえたので、それでまた観覧して書くということを繰り返していました。


──ご自身でも絵を描いていたのでしょうか。

ナカムラクニオ 近影23

はい。自分でも絵を描くようになって、ある日横尾忠則さんが審査員を務める絵の公募展に出品したら入賞して、10万円の賞金をもらったんですよ。自分が描いた絵で10万円ももらえるのかと自分でもびっくりしましたね。それから他の絵も出品したら続々入賞して賞金をもらえたんです。高校生にしてみたら5万とか10万は大金ですからそれ以来ハマって絵で賞金稼ぎをしてました(笑)。当時はコンペがたくさんあったんですよ。あとは個展をやったり、結構アクティブに活動していましたね。


──高校の美術部に入ってたり、画家に師事したりしてたのですか?

いえ。美術部員でもなければ、誰かに教えてもらったわけでもありません。完全に独学、自己流です。いろんな美術書を読んでいて膨大な知識はあったので、それらを参考に好きなように描いてました。高校卒業後、大学に入学してからも相変わらず美術オタクで、美術館でアルバイトをしたり、美術書の収集をしていました。日本にない美術書はアメリカとかフランスとか海外に買い付けに行っていました。


──美術系の大学には入らなかったのですか?

実はイギリスの美大に留学する予定だったのですが、諸事情で断念せざるをえなくなったんです。日本の大学ならどこでもいいやという感じだったので、美大ではない一般的な大学に入りました。


──日本の美大に入ろうと思わなかったのはなぜですか?

それは最初から全くなかったですね。美術に関する知識は日本の美大で教えてる先生よりも僕の方が上だという自信があったので、高校生のとき美大で教えようかなと思っていたくらいなんです。


──高校生でそう思うなんてすごいですね。

いやあ、オタクってすごいと思うんですよね。すごい知識を得ると誰にも教わらなくていいというレベルまで行く。そのくらい美術に関してはオタクでマニアックだった。今思えば若かったですね(笑)。

画家からテレビディレクターへ

──大学時代も絵を描いていたんですか?

ナカムラクニオ 近影24

はい。画家を目指して絵をずっと描いていたのですが、途中で現実的には絵だけで食べていくのは無理だなと気づいて、取りあえず就職しようと。職業として自分のやりたいこと、できることを考えた時、当時放送していた「なるほど・ザ・ワールド」というテレビ番組が好きで、毎月海外ロケに行けるような仕事っていいよなと(笑)。それで、ちょっと浅はかな感じなんですが、「なるほど・ザ・ワールド」を制作していたフジテレビの子会社でニューテレスという制作会社の採用試験を受けて入社したんです。僕が入社した頃には「なるほど・ザ・ワールド」は終わってたんですけどね(笑)。


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