2016年3月アーカイブ

農と馬で農村コミュニティの再生に挑む[後編]

のびる多面的機能自治会

アグリードなるせの安部社長(右)と佐々木常務(左)

アグリードなるせの安部社長(右)と佐々木常務(左)

佐々木和彦(以下、佐々木) 八丸さんたちと一番劇的に関係性が深まったのは、2014年の3月、C.W.ニコルさんのアファンの森財団と一緒に、社長や私が執行役員を務めている「のびる多面的機能自治会」にメンバーとして入っていただいたことですよね。

安部俊郎(以下、安部) 少子高齢化は日本全体の社会課題ですが、特に地方の農村部では深刻な問題です。農業分野では、農村地域の過疎化や高齢化によって農用地、水路、農道などの協同作業による整備が難しくなっているのですが、そういう共同活動に対して助成する「多面的機能支払交付金」というのが2014年から始まったんですね。この行政と農業分野を合体させて作ったのが「のびる多面的機能自治会」というわけです。地域を守っていくために、農家・非農家に関わらず、すべての人々が参画できる母体ですね。日本初の団体だと思いますよ。

佐々木 一番の目的はこの地域における自治コミュニティの醸成。会員さんのいろんな困りごとの相談からこの地域の課題解決まですべてやってます。もう1つ地域づくりという意味では、ここは農村エリアなので農業の慣習が地域を守っている部分もあります。ゆえに自治会がそれをうまく調整、あるいはリーダーシップを発揮して地域づくりを推進しているんです。現在、加盟しているのは個人会員が48名、企業・団体が8つですが、全部が農業者ではなく、非農家の方も少なくありません。

「のびる多面的機能自治会」による地域活動の一コマ

安部 会長は非農家の方。農家がトップに立つと運営にゆがみが出るからです。非農家の方々の目線で考えてもらって、私たち農家はそれを支えるという形になった方がより健全なんですよね。副会長は2人制で1人が自治行政の担当、もう1人が農業担当。その農業部門を私が担当しています。アグリードはこのエリアを網羅した会社だから私が農業関係の担当の副会長として、すべての農業機関を束ねているわけです。あと、各役員も教育、保健、生涯学習などそれぞれ担当をもっています。以前は行政区長がすべてに対応していたのですがそこを変えたわけです。

佐々木 もう1つ特徴的なのは地元の人だけではなくて、震災後、復興活動を推進していく中で、アファンの森財団や八丸さんたちの美馬森Japanなど、ご支援いただいたいろいろな方々にもこの自治会のメンバーになってもらっているということです。この地域を明るく元気にしたいという熱意のある人は一緒にやりましょうということなので、東京の方でも同じ思いを共有していればこの自治会に入れるシステムになっています。

自治会では地区の夏祭りも主催。挨拶する安部社長(写真右)

安部 これからこの地域振興のためにいろいろとやりたいことがあって国に申請しているのですが、なにぶん新しい団体なのでなかなか認可が降りません。人口がどんどん減少していて、そんな中でも豊かな地域づくりに取り組んでいかなければならないのだから、それに応じて制度自体も変化しなければならないと考えています。今後も粘り強く意見していくことによって、国も動き始めると思います。

佐々木 この自治会を作ったおかげでこの地域でいろんなイベントができるようになりました。福幸祭も最初の頃はアグリードなるせが主催だったのですが、現在はこの自治会の主催となっています。

馬で地域活性化

野蒜小の子どもたちに農業体験を指導する安部社長

野蒜小の子どもたちに農業体験を指導する安部社長

稲の苗を植え(写真左)、収穫する(右)子どもたち

安部 福幸祭では野蒜小学校の子どもたちを対象に農業体験をやってたんですが、八丸さんたちに加わっていただいたおかげでバリエーションがすごく増えています。1、2年生がサツマイモの栽培体験、3、4年生がアファン財団に協力してもらって生き物調査。5年生が稲の栽培と収穫。その中で八丸さんたちに馬耕を実演してもらったんです。昔この地元で使っていた馬耕用の農作業具を引っ張りだして八丸さんの馬のダイちゃんに引いてもらったら子どもたちが大喜びでね。

八丸健(以下、健) 我々ものびる多面的機能自治会との連携事業として、馬耕実演・馬車運行などいろいろやらせてもらってます。馬耕は僕らの方が慣れてないから、安部社長にも手伝ってもらいましたよね。やっぱりベテランは全然違う(笑)。

佐々木 ダイちゃんには汗かいてもらったよねえ。子どもたちだけじゃなくて、大人もお年寄りもこの地域の人たちみんなが盛り上がって、それがおもしろかったですよね。

安部 70歳80歳のお年寄りが奮え立ったからね。懐かしいって(笑)。我々はデイサービスも経営してて、そこに来てる認知症の方々が馬耕を見たとき、一瞬、脳内の配線がつながったもんね。これはおれの仕事だと(笑)。そういったことなんだよね、地域の結びつきというのは。

馬耕には子どもたちも興味津々

馬耕には子どもたちも興味津々

佐々木 今年の1月に野蒜小学校の校長と話したときに、馬耕はぜひ学校を挙げた行事としてやりたいと。野蒜小学校は今年の4月に合併して宮野森小学校になるんだけど、そこの子どもたちに馬耕を体験してもらうためにカリキュラムを作ってるんですよ。本当にありがたいですよね。

安部 そういう意味でも八丸さんたちにもっとこの地域に入ってもらわなければ。子どもたちに馬を通して自然との共生を教えていただきたいですね。

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野蒜の強み

「美馬森Japan」の八丸夫妻

「美馬森Japan」の八丸夫妻

 私たちもこういう活躍の場を与えてもらえてうれしい限りです。継続することが一番大事ですからね。震災をきっかけに東松島とご縁をいただいて本当によかったです。ただ、本格的に東松島市で活動して、私たちの力を発揮するためには、しっかりとここに拠点を築いて根付くことがまず第一だと考えています。

八丸由紀子(以下、由紀子) 今はその前段階で、市やアグリードさんにいろんな機会をいただいて、馬耕や馬搬など馬を使ったイベントを通して、馬と人との関わりを地域の方や外から来た人々に伝えているわけですが、それこそ安部社長や佐々木常務が思っている地域づくりかなと。つまり、目には見えない大事な部分を伝えるお手伝いをするのが私たちの役割かなと思っていて、実際に始めてもいます。ただ、今はそういったイベントがある時だけ盛岡から東松島に来ているのですが、早く東松島に拠点を築いて日常的に活動したいんですよね。そうなってこそこの地域と本当の繋がりができると思うんです。

 今後は各地方で自治会の仕組みや地域のみんながそれぞれの能力を活かし合う方法を考えたとき、問題や課題が出てくると思います。そのときどんなふうに解決したかという事例は、この地域にはたくさんあります。そこが強みなんですよね。アグリードのお2人は、早い段階から復興を進めていく上での課題や問題を理解して、情熱をもって取り組んでいる方だったので驚きました。

佐々木 早く八丸さんたちの活動の拠点がこの地域にできて、馬耕などをしてくれるとおもしろいと思うんですよね。農地はいっぱいあるんだから全部やっちゃっていいんですよ(笑)。

福幸祭で実施した「魔法のじゅうたん」。子どもたちも大喜び

福幸祭で実施した「魔法のじゅうたん」。子どもたちも大喜び

 馬耕はヨーロッパではどんどん機運が高まっていて、道具自体も馬により負担がかからなくて、いい仕事ができるといった感じでレベルが上がってるんですよ。それを我々も取り入れているところです。今年は東松島市に牧場として活用できる土地の候補地をいただくなど協力してもらって牧場づくりに本格的に着手しているところなので、安部社長や佐々木常務など地元のリーダーにご協力をいただきたいと思っています。

由紀子 震災後、野蒜地区で地域の方々と一緒に福幸祭の中で子ども向けの活動をやらせていただいたことで、他の地域でもやってくれないかという声がかかっています。もちろん単発ではできるのですが、継続していくのはとても難しい。一番のネックは地域の方々の繋がりなのですが、この野蒜地区はそれがとても強いんですよね。私たちはこの野蒜地区で馬文化を根付かせてから、日本中に広めていきたいと強く思ってます。

 単なる牧場ではなく、牧場の中に馬の学校を作りたいと思っているんです。馬搬や馬耕、馬車など、馬と関わる仕事について一通り教える職業訓練校のようなイメージですね。この牧場で馬の世話や扱い方を覚えてそれぞれの地域に帰って、農業、林業、教育、観光など様々な業種で馬を活用して事業やプロジェクトを推進して地域を盛り上げていく。そんな地域活性のキーパーソンになるような起業家の育成がしたいんです。

プロセスに関わらせることが大事

アグリードなるせの農地には毎年白鳥の群れが飛来する

アグリードなるせの農地には毎年白鳥の群れが飛来する

佐々木 今、自治会でも地域づくりの計画を練ってるわけですけど、八丸さんたちの美馬森Japanがこれから東松島に作る牧場、アファンの復興の森、私たちの農村をそれぞれテーマパークに見立てて、これらを馬のダイちゃんの馬車で巡回していただく。将来的には、東名運河や港まで八丸さんたちの馬が人々を運んだりできれば、みんなもこの土地に来やすいんじゃないかと思うんですね。

馬車に子どもたちを乗せて野蒜の町を走らせる由紀子さん

馬車に子どもたちを乗せて野蒜の町を走らせる由紀子さん

安部 この地域の高台が被災者の方々の集団移転先になっていて、来年、再来年になれば今、仮設住宅に住んでる人たちが400世帯ほど入ってくる。彼らにも、今までご苦労さんでしたね、頑張りましたねという励ましになればいいかなと。また小学校と中学校もできるので、子どもたちは自然とさまざまな観察や学習ができる。八丸さんたちの存在はありがたく、革新的な自治会を作った意味もあると思う。その馬車での巡回を実現するために、今からうちの農産物処理加工施設(NOBICO=ノビコ)工場の前に馬車の停留所を作ろうと準備してます。

佐々木 そのために馬が停めやすいようにアスファルト舗装ではなく、わざわざ芝生にした(笑)。

 社長は何でも早いんですよね、行動が(笑)。本当にすごいと思います。

安部 とにかく子どもたちは地域の宝だから、地域が一体となって全員で育てるのが大切。少しずつその成果が出始めていて、給食の残食率が野蒜小学校は1%なんですよ。東松島市の小学校の平均が15.2%だからこれは驚異的な数字なんですよ。市長が嘘だろうと言ったくらいびっくりしていました。これが我々がサツマイモの栽培などの農業体験を通してやってきた食育の成果だと思います。

安部社長自ら野蒜小学校の子どもたちにサツマイモの苗植え(写真左)から収穫(右)までを指導している

 サツマイモなどができる過程を子どもたちに体験させているからだと思いますよ。できたものをただ食べるだけではそれが当たり前になって、食べ物の大切さは実感しにくい。でも実際はサツマイモができるまでにはさまざまな苦労がある。もしかしたらできないかもしれない。そういう作物ができるまでの過程を学ぶことで、食べ物を粗末にはできないという意識が芽生えるんだと思います。僕らも福幸祭で馬耕をやらせてもらっていますが、将来的には先ほど佐々木常務におっしゃっていただいたように、実際に田畑で馬耕をやらせていただきたい。馬耕をやることそのものが目的ではなく、子どもたちに実際に作物ができるまでのプロセスを体験させたい。それによって、今ご飯を食べられているのは実はすごいことなんだと分かるかもしれない。それがやりたいんですよね。

由紀子 子どもたちをプロセスに関わらせるというのはすごく大事ですよね。私たちも、牧場に来た子どもにいきなり馬に乗せたりなんかしないんですよ。まず馬への挨拶から始まり、それから触る、ブラッシングする、お世話することを教え、最後の最後にちょっとだけ乗せるんです。あと、子どもたちに物事は思うようにいかないということを教えたいんですよ。小さい犬や猫は自分の思い通りにひょいっと抱えてどこかに自由に運べますが、馬はポニーでも子どもたちでは思うように動かせません。動かすためにはいろいろな工夫や努力が必要になる。そこに気づきと学びがあるんですよね。それを子どもたちには知ってほしいと思っています。

安部 思い通りにならないことを学ばせることが大事というのは本当にその通りですよね。

佐々木 震災後、社長も私も思い通りにここまで来たわけじゃないので、本当にそう思います。

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農と馬を使った地域振興

近影11

安部 現在、国の政策としては産業政策と地域政策を両輪のごとくうまく進めなさいという方針なのですが、当社では地域政策の方に6割ほど重きをおいています。その理由は、経済的なことだけを優先すると、必ず大きな落とし穴が待っているからです。儲けに走るとろくなことがない。

今は農業でも何でも機械化だと叫ばれていますが、いろいろ考えてみると基本に忠実な昔ながらの方法に一回戻ることが必要だと思うんですね。その時、浮かび上がってくるのが馬の存在、馬の大切さなんです。昔は馬がいなければ農業をすることができませんでした。言うなれば馬は農業の原点。そこに立ち返って、もう一回ものの考え方を転換しましょうと強く言いたいんですよ。もちろん、今の機械を100%馬に換えることはできないので一部、少なくとも5~10%くらいは馬を使ったゆとりのある農業を展開すれば必ず将来、この地域はよくなる。それを地域の子たちを交えてやっていきたいと思っています。

 社長のその考え方には大賛成です。去年も福幸祭で馬耕をやらせてもらいましたが、この地域は住民間でいい形の繋がりがあるんですよね。例えば高齢者の方々が馬耕実演を見た時に懐かしさで気持ちが和らぐということもあれば、もっとこうやるんだと教えてくださる方もいる。さらに子どもやその親など老若男女が集うからいろんな繋がりが生まれる。福幸祭後の懇親会に参加させてもらった時は、地元のお年寄りの方々が話しかけてきてくださって、初対面にも関わらず話題が尽きなかったんですよ。これも間に馬がいるからなんですよね。どんな地域でもよそ者とうまくコミュニケーションが取れないのが問題となってますが、馬を介すればその壁が取っ払われるんですよね。もっとも、そもそもこの地域の方々が外部から来た人間でもすぐ受け入れてくださるという土地柄もあるのですが(笑)。

馬の周りには自然と人が集まり、交流が生まれる

由紀子 だから先ほど社長がおっしゃった地域の繋がりを強化するということは馬の力でかなりできるんじゃないかなと思ってます。将来、私たちの牧場に学びに来た人たちは、馬耕の技術だけではなくてこういうことを肌で学べるんですよね。こんな地域は日本全国を見渡してもそうそうありません。そういう意味で、アグリードさんはこれからの地域のあり方を考えて実践している団体として全国でも最先端を走っている。安部社長はすごい感覚だと思いますよ。

近影13

佐々木 この地域は少子高齢化が進んでいて、昔のことを知るお年寄りが減りつつあります。そういう状況に危機感を覚えて安部社長や地域の自治会のメンバーが取り組んでいるのが、地域の歴史を後世に伝える試みです。昨年、福幸祭と同時開催した北原ライフサポートクリニック東松島さん主催の「のびるウォーキング」がすごくよかった。のびるの村を八丸さんの馬と一緒に歩きながら、高齢者の方にこの地域が昔どんなことをどういうふうにやってきて今に至っているのかという時代背景を教えてもらったんですよね。

また、農村エリアですからいろんな信仰がある。社長が提案してくれたんですが、いまだにこの辺には江戸時代から続いている庚申講があって、年に6回やっているんですね。その日に村に旗を立てたらお年寄りたちがざわめいた。歴史的なものと現実の馬や人たちのおかげで過去と現在が入り混じった一種独特の雰囲気が醸し出された。子どもたちにもすごくよい地域だと自慢ができるんじゃないかなと思いますね。

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観光も馬の力で

近影15

安部 とにかくこの地域に人が集まる状況を作りたいんですよ。そのためには奥松島全体で観光に力を入れることがまず第一。昔ながらの東名運河の活力、馬搬、馬車、いろんなことができると思うので、八丸さんたちに期待したいですね。

佐々木 私は八丸さんの美馬森Japanがやってる馬の活動は地域のいろんな場所と場所、人と人とを結びつけてくれる存在だなと思ってます。観光の話では宮戸地区の水産の人たちと農村部を馬で結びつけることも可能。東名運河の昔の歴史的遺産があって、馬が荷物を積んだ船を引いたりした歴史があるので、そういうイベントもできるでしょう。地域づくりという大きな視点で考えた時に、こういう観光イベントを通していろんな人が集まって交流するというエリアに段々育っていけばいいなと思ってます。私たちと八丸さんたちはお互いに必要としているからこうやって結び付けられているんじゃないかなと思うんですよね。

近影16

 今まで私たちがこの地域でやらせてもらったことはそれまでにはなかった全く新しいこと。新しいことをやるときは、周囲から批判されることを恐れて「やらない」という選択をする人の方が多いと思うんですね。やれたとしてもものすごく時間がかかる。でもアグリードさんはこれまでになかったものでも地域のためによさそうだと思えばどんどんチャレンジできる下地を作ってくださるので、すごく助かっています。安部社長は「できるかできないか」で考えているのではなく、「やるかやらないか」で考えているんですよね。現状では課題があっても、どうやったらクリアできるかを考えて一気に動き出しちゃう。その先を読んで行動する力がすごいと思います。当初はそういう安部社長の行動力や何でも受け入れてくれる柔軟さにものすごくびっくりしました。だから僕らとしてはアグリードさんに対しては感謝の念しかありません。これまで話したような事例は本来すごく難しいことなのに簡単に実現できてるのはアグリードさんのようなリーダーがいるからこそなんですよ。

先ほど安部社長が話した、馬で船を引っ張るイベントも近い将来に実際に開催されるでしょう。それくらいスピードが早いんですよね。だからこそ国内屈指の先進的な地域になっている。今後も地域の資源をつなぐというやり方で、地域創生のモデルになると感じています。

安部 やっぱりね、失敗を恐れちゃダメなんだよね。とにかくチャレンジあるのみ。失敗してもダメな部分を改善していけばいいだけのこと。それを毎年繰り返していけば必ず成功しますから。あれこれ議論しているだけではダメで、行動に移さなければいつまでたっても前に進めないということですよ。

佐々木 我々は地域のみんなの喜ぶ顔がみたいからやってるわけですからね。

 馬は機動力、行動力の象徴なので、今後もますます馬を活用していきたいですね。

「昔とった杵柄」で馬耕を行う地元のベテラン農家

「昔とった杵柄」で馬耕を行う地元のベテラン農家

誰もが住みたくなる町に

安部 多くの人がこの地域に住みたいと思う町をつくることが我々の究極の目標です。そのためにいろんなことをやっているわけですが、中でも、私たちは農業サイドの人間なので、農業が医療、福祉、観光、教育などのあらゆる分野とコラボできる運営をしていきたい。1つの狭い分野だけで頑なにやっていても住みにくいところが出てきますが、いろんな分野がまとまって共有することで結びつきができて、最後には自然との共生も可能な、みんなが住みたいと思う町づくりが実現できると思うんです。

佐々木 本当にその通りですよね。この地域に住んでいる人々がいろんな分野を共有しないと心のレベルが下がったままになってしまう。それを上げてみんなで本当に豊かな環境をつくればいい。社長とはいつも酒を酌み交わしながら目標に向かって頑張ろうと励まし合っています(笑)。

安部 これからの地域は独立独歩で努力して頑張らないといけない。そのためには子どもと老人を守ることをしっかりやらなければならない。逆にこれさえできれば絶対に間違いない。そのための第1ステップが2014年につくったデイサービス「和花」なんです。

アグリードなるせが運営するデイサービス「和花」

アグリードなるせが運営するデイサービス「和花」

佐々木 あとはこれから仮設住宅に住んでいる方々が移転してくるので、地域のみんなが集える場所が必要だとも思っています。だから今、社長に提案しているのはこの地域に住んでいる人たちの買い物する環境を変えたいということ。この地域で作ってる自家野菜の足りない部分を買ったり、余剰野菜を販売したりできる市場、マルシェみたいなものを定期的に開きたい。それができればより豊かな町になるんじゃないかと。

 僕らも早くこの地域に牧場を作って、子どもやお年寄りが動物と遊べたり、自然との共生を学べたり、リラックスできる空間を提供したいですね。そのためにいろんな分野の方々とつながり合って、これまでにない新しいものを生み出し、みなさんに元気になっていただきたいですね。そのために生きていきたいと思っています。

近影19

由紀子 前にもこの地域につくる牧場は単なる牧場ではなく、その中に起業家育成の学校も作りたいと話しましたが、その授業料を払うのが難しい研修生には、例えば困ってるお年寄りの家に行って農作業や薪割りや草刈りなどを手伝ったら作業に応じてポイントがもらえて、それを授業料に当てることができるというシステムにしようと思って市に提案しています。こうすれば血縁はないけれどみんなが支えあう温かい地域ができるんじゃないかなと思うんです。

安部 それができれば温かい町になりそうですね。話を聞いてるだけで熱くなってきたね(笑)。ぜひ一緒に実現させましょう。

子どもも老人も幸せな暮らしに!

子どもも老人も幸せな暮らしに!


インタビュー前編はこちら

農と馬で農村コミュニティの再生に挑む[前編]

震災発生直後から支援活動に尽力

左から「アグリードなるせ」の佐々木常務、安部社長、「美馬森Japan」の八丸健さん、八丸由紀子さん

左から「アグリードなるせ」の佐々木常務、安部社長、「美馬森Japan」の八丸健さん、八丸由紀子さん

八丸健(以下、健) 「アグリードなるせ」さんの安部社長や佐々木常務と初めて出会った日のことはよく覚えています。復興の森のツリーハウス(※C.W.ニコルさんが理事長を務めるアファンの森財団が東松島市野蒜地区で作っている「復興の森づくりと森の学校プロジェクト」の象徴的施設)の地鎮祭でしたよね。

安部俊郎(以下、安部) 2012年の10月だったね。あれから八丸さん夫妻には東松島市の復興支援活動にご尽力いただいて助かってます。

八丸由紀子(以下、由紀子) 震災の時はすごく大変だったんですよね。

安部 うちの会社の田んぼのほとんどが津波で浸水、壊滅的な被害を受けました。津波に流された家や車などの瓦礫で埋まってしまってね。施設や農業機械も被災しました。

佐々木和彦(以下、佐々木) 社員総出ですぐ周辺住民の避難指示、人命救助、行方不明者の捜索、避難所への誘導や支援活動に奔走しました。安部社長は当時消防団の副分団長をしていたから現場で陣頭指揮をしてね。避難所となった中下地区センター、定林寺の支援活動だけでなく、新町地域、亀岡地域、東名地域へは会社が持っていた米や機械などを提供し、被災地域の食料支援を行いました。

東日本大震災で甚大な被害を受けた東松島市

安部 すぐ捜索活動を始めたんだけど、その途中で見えるわけですよ、亡くなっている方が。もしかしたら途中でご遺体を踏んでしまっていたかもしれない。申し訳ないけれども、当時はとにかく生きている人を探すことに一所懸命だった。捜索活動も3月いっぱいまで、後は自衛隊のみなさんにお願いすることになり、消防団は自宅待機ということになった。4月1日に会社に社員を集めてこれからどうするかいろんな話をしました。何にもしないままだとどうにかなりそうだったから、できることの可能性を探りたかった。その中でやっぱり米を作りたいと思ったんですよ。亡くなった人たちの顔が浮かんで、何とか立ち上がらなければという一心だったね。

アグリードなるせの安部社長

アグリードなるせの安部社長

それで県、市、農業関係のあらゆる事務所を回って「稲を植えたい」と訴えたわけです。そしたら県の職員は「まだ田んぼが海水と瓦礫で埋まっているような状況で何を馬鹿げたことを言ってるんだ」と言うんですよ。「そっちこそ何を考えてるんだ、今からやらなきゃいけないんだ!」と大ゲンカになってね。この一件で「アグリードの社長は頭がおかしくなったようだ」という噂が広まったんです(笑)。

佐々木 農業関係で何かやろうと思うと県の方に伺いを立てないとダメなんですよ。ここの地域も排水関係は県の管轄なので、自分たちで勝手に田んぼから津波の水を排水できないんです。あと水の中に有害物質があるかもしれないし、行方不明者もいるし、今思うと県がダメって言うのも当然なんですよね。でも社長はそれを全部知った上でとにかく稲を植えたいんだと。まあよく言ったなあと思いますよね。私の隣で社長が県の職員と電話しているのを聞いていたんですが、話している社長の声が段々大きく、オクターブが上がっていくんですよね。ああだこうだ言ってないでとにかくやろうと必死で説得してました。

また米を作りたい

 当時は津波をかぶった田畑は数年間は復旧不可能だと言われていたと思うのですが、よく震災の直後にまた米を作ろうと思いましたね。

安部 この地域では沿岸部にしょっちゅう海水をかぶる田畑があって、昔から塩害との戦いはあったわけです。私は元農協マンで15年間、干拓地の営農を指導してきました。佐々木常務も元市役所の農林水産課担当だったから一緒にこの地域で除塩に取り組んでたんですね。もちろん今回の震災による津波は規模も被害もハンパじゃなくて、田んぼは14日間も浸水してたんですが、それでもこれまでの経験から得た知識とノウハウがあればここの田んぼも絶対除塩できるというのが2人の共通見解だった。

津波にやられた田んぼは2003年の大区画補助整備事業で、田んぼがぬからないように、排水がよくなるように、地下60~80cmに暗渠管(あんきょかん)が埋設されているんですよ。その暗渠管の近くまで亀裂を入れてやれば絶対塩水は流せるという確信があったわけです。

アグリードなるせの佐々木常務

アグリードなるせの佐々木常務

佐々木 ただ地震の揺れがものすごく大きくて、埋設した暗渠管が大丈夫かという議論を三日三晩やりましたね。でもやってみなきゃわかんないし、正直なことを言わせてもらえば、生かされた命なんだからとにかくやってみようと。

安部 さらに我々には強い味方がいましたから。2007年9月、熊本県の田んぼが高潮により甚大な被害を受けた時、除塩作業に貢献してノウハウを持っていたスガノ農機さんから除塩作業のご協力をいただけることになりました。

佐々木 スガノ農機さんは熊本県で除塩作業をしていた時のデータを持ってきた上で、具体的にここでどういうふうにして除塩作業を行うかということをきちっと私たちに提案してくれた。あれは助かりましたね。

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除塩に成功

復旧させた農地をバックに微笑む安部社長(右)と佐々木常務(左)

復旧させた農地をバックに微笑む安部社長(右)と佐々木常務(左)

安部 こういう強い味方を得たということも宮城県にちゃんと説明して、なるべくケンカせずに穏便に説得していこうと何度も話し合いを繰り返した結果、4月16日に県から除塩作業の許可が降りたんです。ただし、田んぼの中には海水と一緒に車や家や家具、家電製品、金属類などいろいろな瓦礫が流れ込んできていたので、まず海水の中に基準値を超える重金属類が含まれていないか、それを検査して、含まれていなければ除塩作業に着手しましょうということになりました。

それから待つこと2週間、4月28日の夕方に県から「重金属類は含まれていなかったので大丈夫です」と連絡が入ったんです。それでその次の日からスガノ農機さんと私たち、あと10アール以上の農地をもってる農家の人たちに全員参加してくれとお願いして、みんなでねじりはちまきで除塩に走ったわけです。まずは瓦礫拾いからやってね。大きい車なんかは無理だから残して、可能性のある田んぼから手を付けた。

除塩のポイント

①除塩事業としての圃場確認(地域確定)
  • 暗渠設備があること
  • ヘドロの堆積が2cm未満であり、有害物質が含まれていないこと(公的機関の分析検査)
②土壌分析による塩分濃度の把握
  • 1,000ppm目標
③ガレキ・稲わら・ごみ等の除去握
④揚水・排水機能の確認
  • パイプラインが壊れていないこと
  • 揚水が真水であること
  • 排水機能が確保されること
⑤除塩の工法確認
  • 粘性の強い圃場は、心土破砕を多めに
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除草剤散布

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小ガレキ・ゴミ拾い

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揚水排水施設確認

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3日間浸水

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土壌採取作業

佐々木 もう1つ、たくさんの方々が協力してくれた背景にはこういうこともあったと思いますよ。この地区は津波による行方不明者が多いんですよ。だから当時は本当に一晩寝ないでこの地区のみなさんと議論した上で、除塩作業をしながら行方不明者の捜索もやってたんですよ。今、社長はこういう話を普通にしていますが、それができるようになったのは本当にすごいことなんです。

除塩の方も自分でもびっくりするほどうまくいきました。正直、暗渠管からサーっとヘドロみたいな濃い水が出てきた時は「やったー!」と思いましたよ。

安部 あの排水は海岸を歩いている時に感じる磯の匂いと同じでした。農地で嗅ぐ匂いじゃないよね。水を全部流しきった後、県を交えて田んぼの水を測ったらびっくりするデータでね。海水の塩分濃度ががくんと下がって、県の職員も「これなら問題なく稲が植えられますよ!」と。

震災の年に最高品質の米を作る

震災からわずか3ヶ月後に田植え完了。驚異的なスピード

震災からわずか3ヶ月後に田植え完了。驚異的なスピード

その後、5月25日に田植えを開始して、全部植え終わったのが6月8日。秋の収穫も収量は例年と変わらなかった。もっとびっくりしたのが米の品質。過去にないくらいの高品質で、97.5%が1等米という結果でした。これは田んぼに入った海水のミネラル分のおかげでしょうね。結局、津波をかぶったその年に海水が入った33町ほどの田んぼを復元して収穫までできた。いろいろ恵まれたというか、いろんな面で守ってくれる人がいたおかげだよね。

佐々木 今は震災前の農地の風景に戻ってますけど、当時はあるラインを境にして向こう側は津波に流された車や家なんかで埋め尽くされた瓦礫の農地、こっち側はきちっとした田んぼという二層構造になってました。でもね、苗を植えて、6月頃に青々と田んぼが輝いてくると、みんなの表情ががらっと変わって和らいだ。田んぼを見て、これで落ち着いて米が食える、ありがてえなあと。やっぱりここは農村エリアなんですよ。それが一番印象的でしたね。

安部 みんなのあの顔を見たときはうれしかったなあ。この独特の除塩方式は県の方々が「なるせ方式」という名前をつけて、その後、県内の田んぼの除塩作業の手本になったんです。県とは散々ケンカしたんだけどここまで言ってくれるのかとうれしかったね。

佐々木 次の年は県とすごく仲良くなってましたからね(笑)。

秋には稲が田んぼ一面にたわわと実った。収穫量は例年と変わらず。米の品質もアップした

秋には稲が田んぼ一面にたわわと実った。収穫量は例年と変わらず。米の品質もアップした

お寺の総代長にも

安部 あと震災の話をする時は、もう1つお寺の話もするんですけどね。

佐々木 これしなきゃだめだ(笑)。

安部 この地域にあった長音寺というお寺が本堂も前年に完成した会館も津波で流されて、和尚さんまで亡くなったんです。互助会役員である会長、副会長も亡くなり、300名以上の檀家の方がお手上げ状態になってしまった。私もお気の毒にと思ってはいたのですが、こちらも会社と農業の建て直しをやらなきゃいけないのでそちらの方にあまり気を配れなかったのですが、檀家の方から安部に総代長をやってもらわなきゃ困ると白羽の矢が立ってしまった。お寺は全部流されたけど、偶然にも運河にポカリと浮いていた屋根裏にご本尊がすべて残ってあって流されなかったことから、再建できる可能性があると確信。そして、自衛隊の方々に全部引き上げてもらって、アグリードの社屋に移したんです。

佐々木 アグリードなるせが一時、寺院になってた。

安部 長音寺の仮事務所になってた。常に社内が線香の匂いがしてて、社員のみなさんには我慢してねってお願いして。そんなこともあったね......。

佐々木 当時は総代長の仕事と本業でたいへんでしたよね。社長はいまだに総代長をやってますからね。なかなかできることじゃないと思います。

安部 この地域の住民4200人のうち、この近辺だけでも516人も亡くなってるわけです。そういった中でね、守られてるんですよ、我々は。八丸さんたち含め、震災後に出会ったいろいろな人たちのご縁も、亡くなった方々が結びつけてくれた。そう信じてます。

長音寺の跡地には慰霊塔や墓石などが設置されている

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6次産業化を実現

アグリードなるせのみなさん

アグリードなるせのみなさん

安部 この震災で当社も大きく変わりました。当社のそもそもの始まりは鳴瀬地区の中下地域で結成された中下農業生産組合で、水稲収穫作業一貫体制に取り組んでいました。その後2006年2月、地区内での効率的かつ安定的な農業経営の実現、そして次世代の人材育成や農業の担い手確保など地域農業の受け皿となることを目指し、「有限会社アグリードなるせ」を設立しました。10年後に農地を100haに拡大するという夢をもっていましたが、震災で離農した方々の農地を引き受けたので、3~4年一気に早まってしまいました。

また、震災後、生産から加工、販売まで一貫して行う6次産業化のための施設「NOBICO」を2015年7月に完成させました。ここでは国産にこだわる小麦の製粉、米の精米・製粉、野菜のパウダー、納豆、バウムクーヘンの製造を行っているのですが、震災がなければこういうことも考えず、土地利用型の農業、一辺倒な生産をするだけの農業だったと思います。

6次産業化を目指して作った「NOBICO」

6次産業化を目指して作った「NOBICO」

佐々木 バウムクーヘンといえばこれもおもしろい縁があったんですよ。2013年に東京で開催されたフーデックスという食関係のイベントに参加したとき、バウムクーヘンを作る機械を作ってる不二商会さんとたまたま出会ったのですが、阪神淡路大震災で被災していたんですよね。いろいろ話すうちに安部社長と意気投合しちゃって。

安部 あれは引き寄せられたね(笑)。

佐々木 お互い、同じ匂いがしたって(笑)。バウムクーヘンを作りたいなら教えてあげるからおいでと言ってくれたので、社長と2人で神戸まで行ってバウムクーヘン作りの体験をやって、これはいいなと。被災後、津波で田畑がダメになって離農した農家からその田畑を買って、農業だけではなく、もう一度町づくりから始めようと話し合ったときに、社長と2年3作で大豆と小麦を作ろうという計画を立てて、そこからトントンとバウムクーヘンを作ろうということになったんです。

NOBICO内で作られているバウムクーヘン。地域外からも買いに来る客が大勢いるほどの人気

 そもそもなぜ6次産業化を考えたのですか?

安部 この地域の雇用対策のためです。震災でこの地域がめちゃめちゃに破壊されたので、とにかく地域の立て直しを図らねば、そのためには周年で働ける場を作って、雇用を増やさなければと思ったわけです。今はパート含めて約30名の方々に働いてもらってます。

佐々木 当時家も田畑も津波にやられて仮設住宅で放心状態だった農家の仲間がたくさんいたんですよ。もう本当に気の毒でした。そういう人たちを社長が先頭切ってここに集めてきたんですが、やっと農業ができると喜んでましたね。

安部 農業の場合は何でも機械化したせいで人と人との繋がりが希薄になり、結(ゆい)の精神がまるでなくなってしまっていた。これが進むともっと恐い世の中になるから、ちょっと立ち止まって、この地域のみんなで手を組んでいくという心の余裕が必要だろうと常々思っていたんですよ。

佐々木 農業政策も過渡期にきてますが、八丸さんたちのような牧場を運営している方々と、我々農家がきちっと手を結ぶことが必要だと思うんですね。例えば我々が作った飼料を馬に食べていただいて、それを原動力に馬が動いて、私たちに労働力や堆肥、セラピーなどを与えてくれるという。

 それは環境にもやさしい、究極の循環なんですよね。

佐々木 私たちが作ってるバウムクーヘンはそういった願いも込められているんです。鶏に私たちが作った飼料用のトウモロコシをあげて、生んだ卵をバウムクーヘンに使っています。ずっとそんな感じでやれればなあと思ってます。

震災以降、何をするにしても、みなさんと運よく、いいご縁でつながっているんですよね。いろんな人がアグリードの周りに集まってきてくれていろんな話をしていくうちに、できることを協力しながらやってきたという感じですね。八丸さんたちも地元の人じゃないのによくやってくれました。

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美馬森Japanとの関わり

アグリードなるせ(安部俊郎社長・佐々木和彦常務)-美馬森Japan(八丸健・由紀子)-イラスト
東松島市野蒜地区にある「美馬森(みまもり)ヴィレッジ」にて

東松島市野蒜地区にある「美馬森(みまもり)ヴィレッジ」にて

 元々我々は岩手県の盛岡で馬の牧場を経営していたのですが、「馬は人を集める」という馬特有の魅力を活かして、温かい社会の実現を目指して、馬搬(ホースロギング)による森林整備事業や子ども活性事業、ホースセラピー事業などさまざまな活動を行ってきました。震災が起こったときは馬を使って何か支援をしたいと、「馬」と「森」をキーワードに、「馬(ま)っすぐに 岩馬手(がんばって) 必ず 馬(うま)くいくから」という団体を設立。癒しの場と体験学習の機会を提供し、岩手県・宮城県の沿岸被災地の子供たちに笑顔と喜びを届けることを目的とする活動を行ってきました。

八丸由紀子-近影1

由紀子 私たちは元々C.W.ニコルさんと繋がりがあり、ニコルさんが東松島市で森の学校を作る支援活動を行っていたので、それをきっかけとして東松島市との関係ができました。震災後、東松島市は「環境未来都市構想」を掲げ、甚大な被害を受けた野蒜・東名地区の森を整地して住宅地を作り、野蒜・東名の人々を高台移転させる計画を立てました。その東松島市の新たな"町づくり"の構想に共感し、高台移転計画のある野蒜地区の森の中に、多くの人が馬や森に癒される馬の牧場「美馬森(みまもり)ヴィレッジ」を作りたいと東松島市へ提案したところ、東松島市復興事業提案制度に採択されたので、高台移転用地の北部に位置する市有林をお借りして活動を始めました。

 これまで地域の子どもたちを対象に馬を使った環境・情操教育プログラムや、我々と同じく震災復興をきっかけに東松島市を応援している医療機関と連携し、地域住民を対象に行う「セルフケアプログラム」などを実施してきました。

クリスマス馬車。沿道にはたくさんの人々が集まった

クリスマス馬車。沿道にはたくさんの人々が集まった

由紀子 クリスマスの日に馬車でこの地区の沿道を走って、C.W.ニコルさんにサンタさんになってもらって子どもたちにプレゼントを渡すという企画をやったり。そういうご縁でアグリードさんとも知り合って地元の復興のために取り組んでいる活動に私たちも参加させていただくことになったんですよね。

八丸健-近影1

 初めてお会いしたツリーハウスの地鎮祭のときは、盛岡の牧場から連れてきた馬のダイちゃんの世話で手一杯で安部社長や佐々木常務に挨拶する暇がなかったんですよね。あの後、東松島市にも牧場を作りたいと東松島市役所に相談したとき、この地区の認定農家の代表のアグリードなるせさんをご紹介いただいて訪問したんです。

由紀子 佐々木常務にこれから東松島市で支援活動をさせていただきたいと話したら、課題はいろいろあるけど何とか一緒にやっていこうとすぐおっしゃってくださって。そこからアグリードさんとのコラボが始まったんですよね。2013年の夏頃だったと思います。

福幸祭でコラボ

佐々木 「福幸祭(ふっこうさい)」でも協力していただいてね。

安部 福幸祭は東日本大震災の翌年から、この野蒜地域の豊作と震災からの復興を願うことを目的に開催してるイベントです。地元の人たちがたくさん集まる地元のためのお祭りだから、八丸さんたちにも地元との繋がりを作ってもらうためにぜひ参加していただきたいと思って何かできないかなと話したら、馬を使って子どもたちが喜ぶ企画をいろいろとご提案していただいてね。

由紀子 私たちは震災前から、イベントやお祭り以外にも、馬たちが働いていたり、子どもたちやお年寄りが馬と戯れているという風景が日常的に見られる町づくりを目指しているのですが、その私たちの思いと東松島市やアグリードさんたちの思いが近いなとすごく感じました。東松島市の復興のため、我々にも出番をいただいたということですね。そういう活動を通じてアグリードさんや東松島市との関係が少しずつ深くなっていったんですよね。

八丸夫妻による馬耕のデモンストレーション


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