2017年12月アーカイブ

長く続けないと意味がない

──治療などの医療活動は基本的に個人で行っているとのことですが、医療系の国際NGOの一員として活動するということは考えたことはないのですか?

岩田雅裕-近影1

僕も個人で活動しつつ、国際NGOの医療チームに依頼されて参加することもたまにあります。その時、現場で支援の仕組みなどいろいろ学べるのはいいのですが、活動の内容に関して支援者の意向が反映されることもあるんです。もちろん、ある程度は当然のことなのですが、そうなると100%患者さんのための医療が難しくなりますよね。そういうことを目の当たりにすると、どうなのかなと思うんです。

また、こういう活動は長く継続しないと意味がありません。ある年、某NGOに十分な支援金が入らず、途上国に行けなかったことがあったんです。でもそんなことは現地の人にとっては全く関係ないことですよね。今年の何月に来るだろうと待っているのにいきなり来ないということになると、現地の人は困ります。そういうことはやりたくないなと。だから団体に属さず、自分ができる範囲で活動をしてきたわけです。といっても僕自身も数年前から社団法人ウィズアウトボーダーを通してご支援いただいていて、そのお金で患者さんのCT代や転院の交通費など治療以外の部分が賄えるので非常に感謝しています。

貧しい患者さんを支援するための資金もまだまだ足りていないので、支援者の方が増えてほしいと思っています。

それと、現地に行く時は、極力身一つで行くようにしています。どうしてもそれがなかったら手術ができないものは持って行きますが、それ以外は材料も器具も人も極力持って行かないようにしています。それは最初から決めていることです。


──それはなぜですか?

途上国へチームを組んで行く人はたくさんいますが、それだと行かなくなった誰も何もできず、何も残らずに終わってしまうので。僕1人で行って地元の医師やナースを使って、そこにある器具で手術をしていれば、仮に何かの事情で僕が行けなくなっても何かは残るかなと。そういう考えで最初から身一つで行って、現地であるもので何とかできるように工夫しているんです。

治療以外の活動

──治療以外の活動について教えてください。

上顎多形成腺腫の手術の様子。ラオス大学口腔外科マスターコースの若手たちが、岩田さんを囲んで熱心に術式を覚える(写真提供:ウィズアウトボーダー)

上顎多形成腺腫の手術の様子。ラオス大学口腔外科マスターコースの若手たちが、岩田さんを囲んで熱心に術式を覚える(写真提供:ウィズアウトボーダー)

カンボジアUP大学で歯学部の学生に講義する岩田さん。テーマは骨造成について(写真提供:ウィズアウトボーダー)

カンボジアUP大学で歯学部の学生に講義する岩田さん。テーマは骨造成について(写真提供:ウィズアウトボーダー)

現地には専門医がいないので、その育成ももう1つの大きな仕事として力を入れています。そのために、手術には必ず現地医師を立ち会わせて手術の方法をリアルタイムで教えています。そうすることで、元々は消化器外科の医師だったのが顔面も治療できるようになるんです。このような教育の仕方のほかに、大学で講義したりもしています。


──先ほど日本から医師を連れて行くスタディツアーも実施しているとおっしゃっていましたが、その目的は?

スタディツアーのひとコマ。カンボジアの病院にて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

スタディツアーのひとコマ。カンボジアの病院にて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

日本の医療教育の中では海外の医療現場を見る機会がほとんどないので、多くの日本の医者は何でも設備が整った、ほしいものは何でも手に入る日本の恵まれた医療現場しか見たことがありません。そんな彼らに途上国の何もない医療事情を見てもらいたいと思ってスタディツアーを始めました。それは何も、CTを撮らないで手術をするとか、材料・器具がない状態で工夫して日本でやってくださいという意味ではなくて、途上国の医療事情を自分の目で見ることによって、日本医療を少し考え直してもらえればというのがスタディツアーの目的です。参加者の中には若手医師や、医学部・歯学部の学生さんもいるのですが、そういう人たちに何か感じ取ってもらえばと。


──他に治療以外の活動は?

子どもたちへの歯磨き指導(写真左)と孤児院への生活物資の提供(写真右)。これらの活動は岩田さんの妻の宏美さんが中心となって支援者とともに行っている

現地の幼稚園や小学校に行って、子どもたちにヘルスチェックや歯科検診、フッ素塗布、歯磨き指導など、予防のための活動や女性のための保健衛生活動もしています。現地ではそういうことも遅れてますからね。また、僕の活動に共感していろんな支援をしてくれる方が増えてきたので、その支援金で孤児院へ衣類や文房具、トランプ、歯ブラシ、歯磨き粉、石鹸、お菓子や生理用品など生活用品を届けるプロジェクトを行ったりしています。これらの活動は主に妻の方が「一般社団法人ウィズアウトボーダー」の中のTOOSMILE PROJECT活動として行っています。

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つらいと感じる点

──素晴らしい活動でやりがいは大きいとは思うのですが、ものすごく大変ですよね。つらいと感じることもないんですか?

岩田雅裕-近影2

そりゃありますよ。お金ないから(笑)。でもそこはうまく切り詰めるしかないのかなと。そのために日本での仕事を増やしていて、日本にいる時はいろんな病院で休みなくずっと手術しています。


──現地にいる間もずっと仕事してますよね。

だから基本的に僕の休みは飛行機の中だけ。あと現地でたまにほっと休める日ができたりするんですよ。例えば手術を予定していた患者さんが急に体調悪くなって中止になるとか。そういう時は近くのホテルに帰って休んでます。


──驚異的な体力、精神力ですね。

もう勢いで行くしかないですね(笑)。今のところはもってますが、これからどのくらい僕自身続けられるかはわからないですけどね。


──そのために体を鍛えたりしてるんですか?

いえ、トレーニングやスポーツなど何も全くしてません。体力だけは元々あったんでしょうね(笑)。


──もういい加減疲れた、嫌だとはならないんですか?

疲れてるんでしょうけど、あんまり感じてはないですね。


──では活動をやめようかと思ったこともないですか?

この活動自体をやめようと思ったことはないですね。

国内での医療活動

──フリーランス医師としての国内での医療活動について教えてください。クライアントの病院ってどのくらいあるんですか?

今、定期的に治療に行っている病院は8ヵ所くらいですね。個人経営のクリニックから、大きな総合病院までいろんな病院があります。それ以外に年に1、2回、手術だけをしにいく病院まで含めるともっとたくさんあります。

活動範囲は僕が住んでる関西圏が中心で、後は名古屋、東京、千葉などにもよく行っています。


──主にどんな治療をしているのですか?

基本的に手術しかしません。例えばクリニックでは腫瘍の切除、親知らずの抜歯、インプラントなど。総合病院ではカンボジアでやっているようなガンの切除手術や顔の骨折の手術などを行っています。

フリーランス医師と勤務医の違い

──フリーランスと病院勤務との違いは?

岩田雅裕-近影3

収入の安定などいろいろありますが、一番の違いはプレッシャーですね。同じ手術でもフリーランスの方が全然重いです。26年間病院勤めをしてきましたが、今から思えばフリーランスと比べると気楽でしたね。いろんな意味で病院に守られていましたから。でもフリーランスになると全部僕1人の責任でやらなければならない。手術で少しでもミスしたら、もう2度と依頼は来ないでしょう。1回1回が真剣勝負。それは途上国でも同じですけどね。カンボジアやラオスで手術してうまくいかなければ次は呼ばれないでしょうから。

そのプレッシャーはすごいものがありますよ。もちろん病院勤めをしていた時も手術は真剣勝負で緊張感をもって行っていましたが、フリーランスになってプレッシャーがより大きくなったし、質も変わったということですね。常にそんなプレッシャーとともに生きています。

でも幸い、これまで手術してきた病院からいきなりオファーが来なくなったことはないので、大丈夫だろうとは思ってますけどね(笑)。

ラオスの医師と一緒に(写真提供:ウィズアウトボーダー)

ラオスの医師と一緒に(写真提供:ウィズアウトボーダー)

──岩田さんほど何千回と手術をやってきた方でもいまだにそのプレッシャーは感じるんですね。

そりゃ感じますよ。手術では毎回あります。よかったのがフリーランスになる前から途上国でフリーランスと同じ立場で手術を重ねていたこと。だから日本でフリーランスになってもやっていけたのかなと思いますね。


──個人で全部やるとなるとスケジュール管理も難しいのでは?

いつもスケジュール帳とにらめっこですね(笑)。国内でも海外でもいかに効率よく病院を回って手術ができるか、頭を悩ませてますが、これも妻が手伝ってくれているので助かっています。


インタビュー第4回はこちら

カンボジアでの医療支援のきっかけ

──カンボジアに初めて行ったのはいつ頃で、どんなきっかけだったのですか?

岩田雅裕-近影1

2000年6月、33歳の時で、当時は広島の総合病院に口腔外科部長として勤務していました。最初のきっかけは、カンボジアにしょっちゅう通って撮影していたカメラマンの友人から誘われたことです。というのも、実は僕はそれ以前、1997年から中国の湖南省に医療支援に通っていたんですよ。当時の中国はまだ発展してなくて医療も遅れていたので、現地で手術をしたり大学で講義していたんです。中国は通い始めて今年(2017年)で20年になりますが、今も年に1回は必ず行っています。当時は有給を使って1年に1回行く程度の細々とした活動でしたが。それを友人は知っていたので、カンボジアは中国なんて比べ物にならないくらい医療が遅れていて、その医療さえも受けられない子どもがたくさんいるから1回見に行かないかと声をかけられたのが最初のきっかけです。

最初は正直、まあ誘われたから1回くらい現場を見に行ってみようか、ついでにアンコールワットでも見ようか、というくらいの軽い気持ちでした。だから最初からカンボジアで困っている人を助けるんだという高いモチベーションで行ったわけでもないし、まさかこれだけ長くカンボジアでの医療を続けることになるなんて全然思っていませんでした。


──実際に行ってみてどうでしたか?

衝撃的でしたね。こんな何にもないところで治療しているのかと。カンボジアではベッドも足りない、検査機器もない、医療器具もない、医者もいない、でも患者さんはあふれかえっているという状況でした。病院があるのはまだいい方で、野外や、とても医療施設とは呼べない建物、例えば学校の教室の机の上で診察が行われることも普通でした。カンボジアは世界の医療最貧国の1つで、これまでそんな劣悪な医療現場は見たことがなかったので衝撃を受けたわけです。

当時から中国に通っていたといっても、カンボジアに比べれば全然ましでした。湖南省も田舎なのでそんなに恵まれた環境ではないのですが、取りあえず何とか医療はやれてるという状況でしたから。

その時は、現地の病院のアメリカ人の院長とも会っていろいろ話をしました。また、カンボジア人の外科部長に手術があるのでまた来ないかと誘われました。この時はこの程度で、診察や手術は全くしていません。

カンボジアの病院で現地医師たちと。左端は岩田さんの妻で、一般社団法人ウィズアウトボーダーの代表でもある宏美さん(写真提供:ウィズアウトボーダー)

カンボジアの病院で現地医師たちと。左端は岩田さんの妻で、一般社団法人ウィズアウトボーダーの代表でもある宏美さん(写真提供:ウィズアウトボーダー)

──もうその時点からカンボジアで医療をすると決めたのですか?

いや、この時はまだ決めていません。でも帰国して、医療者として、治療を受けたくても受けられない、あのたくさんの困っている人たちを放ってはおけないと思いました。だから僕が手術して少しでも助かる人が増えるのであれば、行ける範囲でカンボジアに行こうと決めたんです。当時はまだ病院に勤務していたので行ける日数も限られますからね。

それで初めて行った年の秋か翌年かにもう1度カンボジアに行きました。その時したのが最初の手術ですね。でも今から考えると、最初に行った時、現地の病院の院長や医師と話したのは面接だったような気がします。向こうとしては最初からその気だったんでしょうね(笑)。


──そこから通うようになったわけですね。当初はどのくらいの頻度で通っていたのですか?

年に2回、1週間ずつくらいですね。そのために休みや有給を全部使っていました。あとはアジアで開催される学会に参加したついでに、2、3日休みをくっつけて行ったり。その後、無料で手術してくれる日本人の医者がいるという噂が広まるに連れて段々オファーが増えて、年に4、5回行くようになりました。

ラオスの病院で診察中の岩田医師(写真提供:ウィズアウトボーダー)

ラオスの病院で診察中の岩田医師(写真提供:ウィズアウトボーダー)

さらに、いろんな地域やカンボジア以外の国からも依頼がどんどん増えていきました。そうなると行く回数ももっと増やさなければいけない。でも病院勤めのままだとどうやっても全部に対応するのは不可能。それまでもできる限り対応していたのですが、限界に達したので、2013年、病院を辞めてフリーランスの医師になったわけです。それからは行く回数をもっと増やしました。

総合病院の口腔外科部長を辞職してまで

──辞める時はどんな立場だったのですか?

大阪の総合病院の外科部長でした。


──大きな病院の外科部長の職を辞してフリーランスになると年収も激減しますよね。迷いとか葛藤とかはなかったんですか?

岩田雅裕-近影2

そんなにはなかったかなあ。でも外科部長の時代からいろんな病院から依頼されて手術をしていたのですが、そういう病院がそのまま継続して手術しに来てくださいと言ってくれたのでなんとかなるかなと。それよりも途上国で困っている人を1人でも多く助けたいという思いの方が強かったですね。


──でも辞めた当初はかなり大変だったんじゃないですか?

確かに辞めたことで年収は5分の1になり、退職金も食いつぶして、一時は貯金も底を尽きました。ただ、それは一時的なもので、その後国内で手術を依頼してくれる病院も増えたので、年収も徐々に当時と同じくらいに回復しています。

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活動のモチベーション

──一時的とはいえ、年収大幅ダウン、貯金も底をつく状態になり、しかも現地での治療は無料で、旅費まですべて自費ですよね。そこまでして縁もゆかりもない途上国の医療に身を投じている動機、岩田さんを突き動かしているモチベーションは何なのですか?

岩田雅裕-近影3

非常にシンプルで、そこに困っている患者さんが大勢いて、僕は治せる技術をもっている。だったら可能な限り治してあげたい。それだけですね。

そもそも「病気やケガで困っている人を自分のもっている技術で救う」というのは医療の原点。僕もそれがやりたくて医療従事者になったわけです。日本の医療現場でそれが感じられればわざわざ途上国に行く必要もなかったかもしれませんが、日本も他の先進国と同じように発展していくにつれて難しい状況になっていきました。もちろんほかの日本の医者も最初はみんなその原点から医者になったと思うんですが、特に大きな病院で働くうちにだんだん違う方向に行ってしまう。日本にはもはや医療の原点はないと言っても過言ではないと思いますね。日本では医療がビジネスライクになりすぎているような感じがして。もちろん医療もビジネスであることには違いないのですが、それ以上に大切なものが本当はあるはずで、僕が日本で医療従事者になった頃はまだそれがあったんです。ビジネスではあるけれども、患者さんとのいい関係も確かにあった。それがだんだん少なくなっていって、ビジネスの部分だけが残ってしまっているような気がします。だから今はいろんな面で患者さんとの関係って非常に難しいですよね。

でもカンボジアやラオスなどの途上国にはその医療の原点がある。手術してよくなったら、子どもやその親から「ありがとう」と感謝されるんですよ。もちろん、それを求めて手術をしているわけでは全くないんですが、やってよかったなとは思いますよね。自分がしたことで喜んでくれるというのは非常に大きなやりがい、生きがいだし、喜んでくれる人がたくさんいるというのは非常に大きなモチベーションになります。

よく、心の底からほっとする瞬間があるんですよ。患者さんとのいい関係が実感できる時が。現地の人たちは本当に純粋で純真ですからね。帰る時、見えなくなるまでずっと手を振ってくれるお母さんがいたり。言葉が通じないのですが、その仕草を見ててずっとありがとうと言ってる雰囲気が伝わってくるので、それがすごく印象に残りますよね。だから続けられているんでしょうね。

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娘の手術が終わってほっとするお母さん。ラオスにて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

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子どもの患者と宏美さん。ラオスにて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

今さらやめられなくなった

──でも自分の収入を減らしてでも、かなりの額を自腹切ってでもやるというのは、普通の人にはなかなかできないですよね。

岩田雅裕-近影4

確かに普通じゃないかもしれませんね(笑)。あとは、今さらやめられなくなったというのも正直あります。途上国での医療は続けなければ意味がないんですよ。今は毎回100人近い患者さんが待ってるという状況になっているんですが、どう考えても1週間に70人も手術できないんですよ。30人が限界です。現地でも病院は週に2日は休診するので。だから手術を受けられない人も必ずたくさん出る。その人たちは次回に持ち越しとなる。だから僕が来るのを心待ちにしている患者さんがたくさんいるので行くしかない。その繰り返しなんです。だから正直、やめられなくなったというのが実際のところですね。

それと、日本には僕と同じような手術ができる医者はたくさんいますが、それができる医者がいない国が目の前にある。だからやらざるをえなくなったというのもあります。

人の幸せは金ではない

──お金にはさほど価値を感じていないってことですね。

いや、お金はほしいですよ(笑)。あれば困ることはないので。ただ、人生の中でそれほど重きはおいてないですね。


──それは昔からなのですか?

いえ、やっぱり病院勤めの時はそれなりに給料をもらっていて、すごくいい生活とまでは言わないけれど、何の不満もない生活をしていました。でもね、ブータンに行った時感じたんですが、みんなお金はないけど幸せそうなんですよね。それを見てて人の幸せというのはモノではないんじゃないかと再確認しました。だから高価な物がほしいとか、いい車に乗りたいとか、いい家に住みたいとか、そういう物欲がなくなりましたね。すごい贅沢をしたことはないのですが、それなりにやってみて、別にそれはどうでもいいかなというのが今の正直な気持ちです。

ブータンにて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

ブータンにて(写真提供:ウィズアウトボーダー)

──1回生活レベルを上げてしまうとなかなか戻せないっていうじゃないですか。その辺は大丈夫だったのですか?

全然大丈夫でしたね。辞めた後、ものすごく貧しい生活になったわけでもないし、それなりに生活できているので。それ以上のものをほしいとは思わないってことですね。


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