2013年9月アーカイブ

みんなが混ざり合う社会を目指して[後編]

障害者の就労体験活動

──インタビュー前編では障害者の就労機会を増やす取り組みもされているというお話もありましたが、障害者の就労問題も大きな社会問題ですよね。なかなか企業は障害者を雇用しようとしません。

国内で障害者手帳をもっている人は約745万人、全人口の約6%もいるにもかかわらず、企業などに雇用されている障害者は約38万人しかいません。昨年度(2012年度)までは障害者雇用促進法により、各企業は全社員の1.8%にあたる人数の障害者を雇用しなければならないと定められていましたが、全国平均はそれを大きく下回る1.69%。法定雇用率未達成企業は46.8%という状態です。一方で今年4月には障害者の法定雇用率を1.8%から2%に引き上げる改正障害者雇用促進法が施行されました。

私見ですが、法律の施行から何十年経っても法定雇用率を達成できなかったのですから、おそらく2%は単なる数字にしか見えません。ならば2%の障害者の終身雇用じゃなくて全人口の6%の障害者に短期的な就労機会を与え続けてくれませんかというのが僕らの提案なんですよ。


──実際にはどのような活動をしているんですか?

現在はネクスタイドのソーシャルパートナーになっていただいている横浜FCさんにご協力いただいて、神奈川県下の福祉施設の利用者さんとの就労体験をコーディネートしています。

横浜FCさんはホームグラウンドで試合を開催するときに約100名のスタッフが働いていますが、そのうちの6%、約6人の就労枠のキャスティングをする権利をお預かりしています。

まずは弊社スタッフがそのグラウンドの近くにある複数の福祉作業所を回って、チケットのもぎりなどの作業ができそうな利用者さんを選び、本人、保護者、作業所の責任者、作業所を統括する区の福祉協議会、市の福祉協議会、県の福祉協議会などすべてに話を通しています。そしてこの(2013年)5月の試合のときには、横浜市保土ヶ谷区と神奈川区の2カ所の福祉作業所から合計6名の障害者の方々が運営スタッフとして参加し、スタジアム入り口でチケットもぎりやチラシ配布を行いました。この活動は今年(2013年)で2年目を迎え、担っていただく仕事の幅も広がってきました。

ニッパツ三ツ沢球技場で行われた横浜FCのサッカー試合でチケットのもぎりを行う福祉施設の利用者のみなさん

障害者へのギャランティはすべて横浜FCさんからいただいており、僕らのコーディネート料などは協賛金として頂戴しています。

横浜FCさんの親会社も企業として2.0%の障害者雇用に取り組んではいますが、これから企業として生き残っていくためには、本業であるサッカーを通じて地域に対して貢献する要素が必要不可欠だと本気でお考えなのです。

他にもさまざまなイベントとコラボして障害者の就労体験の機会を増やしています。

2012年11月に代々木公園で開催された「TOKYO OUTDOOR WEEKEND」という環境イベントでイベント参加者に混じって会場清掃を行う障害者のみなさん(写真中央は須藤さん)。ピープルデザイン研究所は同イベントの主催者から会場の管理、ハンドバイクの試乗会、会場清掃の3つの仕事を受諾。NPOグリーンバードの協力を得て障害者の職業体験の場にした

2012年10月には「ピープルデザインミクスチャー」を開催。「展示」「セッション(語り合う場)」「イベント」などの形で、シブヤの将来像を来場者と一緒に体験し、考え、語り合う企画展は大盛況だった。第2回は2013年10月12日から14日まで、東京体育館で行われる国体「スポーツ祭2013」の障害者スポーツデイにおいて開催予定。当イベントにおいてピープルデザイン研究所が屋外スペースのイベント運営管理を受諾。東京都のスポーツ振興局と渋谷区の教育委員会スポーツ局と連携してハンドバイクの試乗会やブラインドサッカーの体験会を行う。このイベントでも障害者の職業体験を実施する

最近ではイタリアの自動車メーカーのアルファロメオ社(フィアット クライスラー ジャパン社)が我々の思想や活動に賛同して活動資金を提供してくれています。彼らもまた、いいものをつくり、いいサービスを生み出すだけでなく、「社会的な活動」がマーケティング活動上の重要課題だと本気で思っているからです。外資系企業の方がその傾向が強いですね。

学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう講演会"TED Conference(テド・カンファレンス)"でピープルデザインについてのプレゼンテーションを行う須藤さん。これがきっかけでアルファロメオから支援を受けられることとなった

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マイノリティ目線で常に考えている

──そういったさまざまな企画は須藤さんが考えて企業や団体にプレゼンしているのですか?

いえ、そうではありません。僕ひとりでやっているわけではなくて、ネクスタイドやピープルデザイン研究所に関わってくれている大勢の人びととの対話からさまざまなアイディアが生まれます。それをまたプロジェクトごとにかかわってくださる社内外の人たちで実現可能な企画レベルにブラッシュアップします。ただ、それらを実施するかしないかの最終的な決断と企業へのプレゼンは代表である僕の役目です。あくまでチームとして活動しているんです。


──とはいえ須藤さんご自身が思いついたアイディアもたくさんあるわけですよね。

ネクスタイドを立ち上げてから10年間、障害児の父としてマイノリティの人たちがこの社会で生きる上で感じている問題・課題をリサーチしてきたともいえます。いわゆる数の上では少数派に分類されるマイノリティの方々とのネットワークもできました。だからマイノリティ目線で混ざり合う状況を実現するためにはどうすればいいかということを常に考えているので、その解決策のアイディアも次々と湧いてくるわけです。特に次男が障害者なので彼の成長にともなって、就労に関する課題も当事者として興味が高まってくるんです。

大学の講師も務める

──須藤さんはいくつかの大学で講師としてもご活躍されてますよね。

はい。国内では慶應義塾大学商学部の牛島ピープルデザイン研究室や滋賀大学経済学部で学生たちにピープルデザインについて教える機会をいただいています。これまでの僕らの活動の実例で、目の前にある社会課題の解決という行為を経済に直結させて考えていくということを主にレクチャーしています。最近の学生は社会的な活動に非常に関心が強いので伝え甲斐がありますね。

滋賀大学経済学部の講義にて

海外ではオランダのデルフト工科大学のMBA下期マスター取得コースでピープルデザインの授業を行なってきました。


──オランダでの授業は英語で行なっているんですよね。

もちろんです。生徒はオランダ人、フランス人、イタリア人、ギリシャ人、台湾人、中国人、韓国人、アメリカ人など世界各国から来ていて授業は英語で行います。みんなピープルデザインという哲学に強い興味をもってくれて、僕の授業を全身全霊で聞こうという姿勢で来ています。英語という言葉はあくまでも考え方を伝えるツールにしかすぎません。オランダをはじめとする先進国では「ダイバーシティ」の思想は必要不可欠なものです。また、社会問題の解決策を法律のみに頼ることなく、市民レベルでどうクリアしていくか、その方法論を常に模索しています。そこでこれまでのネクスタイドの活動実績を元に「ピープルデザイン」という思想、それを具現化するプロダクトデザインやシステムデザインの創出に、世界中から集った彼らは前のめりで取り組みます。彼らの本気度を目の当たりにすると「ピープルデザイン」という日本製の概念に大きな手応えを感じています。

デルフト工科大学にて

そもそもピープルデザインという考え方は特にヨーロッパの国々からの関心が高く、2007年からフィンランドのアントレプレナーたちにピープルデザインについて伝えているんです。

また、今はまだ詳細は言えないのですが、北欧のある国から高齢化の問題を解決するための思想的ツールとしてピープルデザインを取り入れたいというオファーもいただいています。


──なぜ国内よりも外国の方が関心が高いのでしょうか?

一番の違いは、政治家や国民が当事者としてその国の未来を考えているということだと思います。デンマークとオランダって社会貢献性やジャーナリズムへの関心度が先進国の中でも常にトップクラスなんです。その理由のひとつとして、その2国は国としての規模が小さいということが挙げられるかもしれません。デンマークは人口600万、オランダは1700万くらいの規模しかないがゆえに、国民一人ひとりが自分の国の未来を真剣に考えているんですよね。その証拠にその2つの国の投票率は80%を超えています。

方や日本は震災後の対応や反応を見ていても、この国の未来を国民一人ひとりが真剣に考えているとはとてもじゃないけど言いがたい。考えていたとしても言わない。その当事者意識や国民性の違いだと思いますね。

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自分の時間をコントロールする権利

──働き方についておうかがいしたいのですが、やはり会社を辞める前と後では働き方は大きく変わったと思います。一番の変化はどんなところにありますか?

以前にも少し触れましたが、僕が2000年に会社を辞めた理由は次男が重度の障害をもって生まれてきたことです。

会社の中でサラリーマンとして働くということは、会社に自分の時間を差し出す代わりに給料をもらうという形態です。言い換えれば、就労とは、毎月1度、会社から生活費をもらう代わりに、自分の時間をコントロールする権利を会社に差し出すという意味合いが強い。

でもあの頃の僕にとって最も重要なことは、自分の時間と家族の時間を自分でコントロールする権利でした。つまり、僕の人生の中では、次男の成長の過程を見守り、サポートすることの方が、毎月の安定的な収入を得ることより重要だなと思ったのです。それでマルイ渋谷店の副店長になって2年後の2000年の夏に会社を辞めてフジヤマストアを設立したんです。

あれから今年(2013年)でちょうど13年、経済的に苦しい局面はありましたが、このときの選択は間違っていなかったと心底思います。自分で自分の時間をコントロールできるようになって、僕自身も家族もより大きな幸福感、人生の充実感、何よりも納得感を得られるようになりました。その思いは年々加速度的に大きく、別次元にまで広がっています。毎日が充実していて、気がつくとあっという間に1年、2年は経ってしまっています。時間だけはすべての人に平等に与えられているといいますが、アインシュタインの言うとおり時間の感じ方と質量は平等じゃないと思いますね。人によって違います。

自分で自分の時間をコントロールするということはすなわち、自分の人生の主導権を自分で握るということ。それができれば自分の人生に納得できる。納得できたら後悔は皆無ですよね。そのときにしかできないこともできるし。だから働く時間や仕事の内容、仕事をする相手などすべて自分で決められる今の働き方にはとても満足しています。

子どもの成長とともに働き方も変わる

──仕事とプライベートは分けているんですか?

子どもたちがまだ幼い頃は、仕事とプライベートはきっちり分けていました。必ず土日は休むようにしていましたし、家族との時間を起点に仕事の時間を決めていました。でもその子どもたちは年齢とともに成長し、親から離れていきます。現在3人の息子たちがいますが、一番下は高校生で、ハンディキャッパーの次男は来年の春に養護学校を出て、どこかの作業所に入ります。長男は大学生で先日二十歳になったのでもう名実ともに大人ですね。ですから以前のように土日は必ず家族とともに過ごすというわけにはいきません。現在はピープルデザイン関連のイベントはほとんど土日に行うので、土日も働いていることが多いですね。このように子どもたちの成長にともなって働き方も変わってきています。


──毎日どんな感じで働いているんですか?

だいたい8時半からお昼くらいまでは主にフジヤマストアの仕事で、それ以外はすべてネクスタイドとピープルデザイン関連の仕事をしています。デザイン系の仕事はアメリカやヨーロッパのデザイナーとのやり取りが多いのですが、時差の関係で深夜の0時過ぎのスカイプミーティング等も頻繁にあります。寝るのはだいたい夜中の3時半から4時くらいで、朝は7時半くらいに起きます。もちろん毎日ではないですが、1年の全就労時間の半分はそんな感じですね。先ほどお話した通りオランダの大学をはじめ、ヨーロッパの国々での商談のため海外にもよく行きます。

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オフィスは必要ない

──ハードな毎日ですね。オフィスはどんな感じなのですか?

打ち合わせや取材に対応するための事務所機能は一応、渋谷区神宮前にありますが、いわゆる日々出勤してそこで仕事をするという意味でのオフィスはないです。日々さまざまな人との打ち合わせが連続しているので、いろんなところで仕事をしています。ノートパソコンやスマートフォンがあればどこでも仕事場になりますからね。


──フジヤマストアの社員のみなさんはどこで働いているのですか?

全員、クライアントの会社や指定される場所で1日中働いています。いわゆる「直行直帰」です。つまり普段はみんなバラバラに働いていて、定例ミーティングのときや、必要なタイミングだけ集まるという感じです。


──それで不具合はないですか?

まったくないですね。普段の社員との連絡は電話とメールでほぼ事足ります。プロジェクトの節目では社員全員集まって顔を付き合わせて打ち合わせをしますが、その場所も決まっていません。情報を共有する必要があるときに一番効率のいい場所に集まって打ち合わせをするという感じで10年以上、問題を感じたことはありませんね。

こういう働き方を始めたのは会社を辞めて独立した2000年くらいからです。そのときは世の中にSOHOという言葉くらいしかなくて、それでもその言葉の最後に「オフィス」とついていた以上、オフィス空間の重要性がなんとなく前提としてあったんだと思うんですよ。でも今、僕らのような専門性の高い職種であればあるほど固定的な自前のオフィスはさほど必要ありません。

職種にもよりますが、むしろ今、1日中同じ空間にいる必要がある仕事ってごく一部なんじゃないですかね。もちろん中には守秘義務や企業機密を取り扱う部署では固定的なオフィススペースの自分の席でしかできない仕事もありますが、これからICTの進歩などでさらに加速度的にどんどん減っていくと思います。

この先人口が減り、今までのやり方ではもう昔のような成長は望むべくもないとわかってしまった時代に、どうすれば生き残っていけるかを考えたとき、経営陣はまずコストを下げようとするのは自明の理ですよね。営業上、人件費を下げるのには限界があるので、下げるとしたら継続的に大きなコストがかかる事務所費です。実際に、大手企業が都心の一等地から少し離れた地域に本社を移転し始めています。本当に重要なことは所在地ではなく、人の能力であるとわかってしまった。従来では考えられなかったことですが、これからはこのようにフリーアドレスを前提として、固定的に高いコストがかかる事柄への、よりドラスティックな見直しを多くの企業が加速させるのは、今さらいうまでもない事実だと思います。企業も人も、業態も働き方も時流に適応するということは、すなわち精神的にも物理的にも「動く」ということだと思います。

現場により近い場所で働くことが大事

──では現在の固定のオフィスをもたない働き方は須藤さんのような職能をもつ人には合っているってことですね。

僕は今、主に渋谷の価値を上げるという大きな目的のために動いているわけなので、より現場に近い、現場の空気感を肌で感じる場所で働く必要があります。そういう意味では今僕が使わせていただき、過ごさせていただいている行動半径と時間と場所には非常に満足しています。

今までは経営の大きな方向性や戦略を考える人と現場を知っている人とが別れていて細分化されていた時代もあったけれど、これからは一人ひとりが経営の発想から現場の実務までタテ軸で理解している必要があるのではないでしょうか。僕たちが取り組んでいる環境や社会の課題解決という行為に携わっていなくても、モノやコトをつくる人が想定する現場をどれだけわかっているかがプロジェクトの成否を分ける気がするんです。

日本の未来のために

──仕事観についておうかがいしたいのですが、須藤さんにとって仕事とはなんですか? 誰のために働きたいと思っていますか?

僕にとっての仕事の定義は東日本大震災によって変わりました。あの震災以降、仕事の意味を違う角度で考えるようになったんです。

仕事とは「仕える事」と書きます。では何に仕えるのか。サラリーマン時代はなんとなく「会社」。それが引いては自分の利益に直結していたので結局「自分」に仕えていたってことです。独立してからは家族に仕えようと考えていました。ハンディキャッパーの次男を含め、子どもたちの成長とともに若干のウエイトは変わったとしても基本的には家族のためです。

実は実家が福島にあるのですが、大震災以降のこの日本の振る舞いを見たときに、本当にこの国は簡単に滅びてしまうのではないかと感じました。将来にツケを回しながら現在のお金を追い求めることのみを経済というありさまに疑問を感じています。だから、この国の未来のことをそれぞれの専門性や職能をもっている人びとが真剣に考え、この国に仕えるというアクションを起動させないといけないと感じたんです。この国の未来のためというのはすなわち、子どもたちの未来のためです。

そのためにさまざまな企業や諸外国から評価され求められているネクスタイドやピープルデザインの活動をすべて投入していきたい。自分がもっている、自分が生み出したものだけじゃなく、ご縁やネットワークも含めて、そういうものを総動員して子どもたちの未来、引いては日本の未来のために働きたいと強く思っているんです。

みんなが混ざり合う社会を目指して[前編]

ダイバーシティの実現

──まずは須藤さんが現在取り組んでいる活動について教えてください。

我々の目指しているのは障害者も健常者も、マイノリティもマジョリティもすべて当たり前のように混ざり合っている社会の実現、すなわちダイバーシティの実現です。そのために2002年に国内外のクリエイターとともにソーシャルプロジェクト「ネクスタイド・エヴォリューション」(NexTidEvolution・以下、ネクスタイド)を開始しました。プロジェクト名はnext(次の)とtide(潮流)とevolution(進化・形成)をくっつけた造語で、次なる潮流を進化・形成していこうという意味を込めて名づけました。ネクスタイドの活動は国内外に及んでおり、日本には渋谷区神宮に東京ブランチが、アメリカにニューヨークブランチがあるのですが、去年(2012年)10周年を迎え、ストックホルムにブランチを立ち上げました。

ネクスタイドは「意識のバリアフリー」をコンセプトに、「違いは個性、ハンディは可能性」をキャッチコピーとしているのですが、従来の福祉的な事業との最大の違いは、同情や慈善、慈悲ではなく、ファッション、デザイン、エンターテインメント、スポーツといったワクワクするコンテンツをツールとしてダイバーシティを実現していくという点です。この思想を我々は「ピープルデザイン」と呼んでいます。

ピープルデザインは、
1)ファッション・インテリアデザインとして洗練されている
2)ハンディを補う機能や、社会の課題を解決する要素がある
3)第三者への配慮・共存・共生への気づきがある
この3つの条件のうち2つ以上を満たすプロダクトデザインやサービス・役務と定義しています。簡単にいえば日本人がそもそももっている思いやりの心を具体的な"行動"に換えてさまざまな人が生きやすい社会をつくっていきましょうというメッセージ活動です。また、社会課題を解決することで本業の収益を上げていく、ソーシャルイノベーションの柱のひとつとして企業の皆様と協業しています。この活動をさらに広げるため、昨年(2012年)NPO法人「ピープルデザイン研究所」を設立しました。ネクスタイドの活動から生まれたダイバーシティの概念、つまりピープルデザインという思想を使って非営利で今後の未来を作っていこうとする団体です。

そしてこれらの活動を支えるフジヤマストアという会社を経営しています。大手企業をクライアントとしたマーケティングや経営・人事コンサルティング、社員教育などを主な事業とすると同時に、ネクスタイドやピープルデザインのブランドビジネスも展開しており、ネクスタイドで企画した製品のロイヤリティもここに入ってきます。つまり継続的に活動を続けるための利益を生み出している会社です。現在雇用している7人の社員や僕の給料もここから出ています。いわばフジヤマストアが僕らのすべての活動のエンジン部分ですね。

そしてフジヤマストアに入ってきた利益を使ってネクスタイドやピープルデザインのいろいろなイベントを開催しているという事業構造になっているんです。


──そのような活動に取り組もうと思った経緯は?

そもそもの発端は18年前(1995年)にさかのぼります。当時私は若者向けの百貨店のマルイに勤めていました。次男が生まれたのですが、彼は重度の脳性まひでした。生まれた当初、医者から一生寝たきりだろうと告げられました。そんな重度の障害をもつ子どもの親になり、いろんな障害をもった子どもたちやその親御さんと触れ合い、障害者を取り巻く世界や日本の福祉の環境を知ったときに、とてつもなく地味な世界だなと感じたんです。

そもそも、日本は戦後60年、見苦しいものは見えないところへ隠そうとしてきました。いわゆる「臭いものには蓋」という考え方です。障害者を「見苦しいもの」としてあまり表に出さないように促し、それを正当化するために時の為政者達が「弱者」と美化表現した習慣が、現在の福祉を取り巻く関係者の根っこにあるような気がするんですよね。

僕がこれまで会ってきた福祉業界で働く人々も、年配の人であればあるほど、「かわいそうな人たちに施しをしてあげている」という「弱者救済」的考え方が染み付いていました。かつては世間の多くの人たちも「障害児」をあまり人前に出すなという価値観だったし、「障害児」をもつ親も極力人前には出さないようにしようとしてきたと思います。

しかし、障害児の親となって初めてわかったのですが、こういう世の中は障害をもつ本人やその家族にとって居心地がいい社会であるわけはありません。だから次男が成人したときに少しでも暮らしやすい社会に変えたいと思い、自分がもってる知識やノウハウで次男を取り巻く福祉の環境、あるいは日本の習慣を変えるために何か行動を起こそうと模索し始めた。それがそもそもの原点です。

意識のバリアを壊す

当時はバリアフリーやユニバーサルデザインという言葉が一般化してきた頃だったのですが、バリアは物理的なものだけじゃないと感じたんですよね。ましてや全員に便利というユニバーサルな状況・デザインはありえないと感じました。

例えば、欧米では足の不自由なおばあさんが車椅子に乗ってひとりで街を散歩しているというのはごく当たり前のことで、電車に乗るため駅の階段を上り下りする場合は、その近くにいる人びとが自然にサポートします。しかし同じシチュエーションでも日本の場合は駅員が3人がかりで車椅子専用のリフトでホームまで上げて電車に乗せています。これほど健常者と障害者の扱いの違いが大きい先進国は日本くらいなんですよ。

個々人に善意はあっても「自分には関係ない」と分けてしまう。言い替えればバリアは意識の中にこそあるんです。これは健常者の僕たちもそうだし、障害をもつ子どもを人目に触れさせたくないという親御さん、そして障害者本人の中にもある。だから障害者は家や施設に閉じこもり、人目に触れにくい。それがゆえにたまに街で障害者を見かけて力になってあげたいと思っても、健常者はどうしていいかわからない。その根っこにある意識のバリアを壊そうと思ったわけです。

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さまざまな活動

──具体的にはどういう活動をしているのですか?

さまざまな活動をしていますが、大きくわけて「モノづくり」「コトづくり」「街づくり」の3本の柱があります。

「モノづくり」はネクスタイドを設立して最初に取り組んだ活動で、いわば我々の出発点です。そもそもマルイというファッションをメインに扱う会社でバイヤーや店長を歴任してきたのでファッションやデザインに関する知識や人脈をつくる技術は豊富にもっていました。それらの武器を使い、世界各国の才能あふれる著名なファッションデザイナーやディレクターに思いを伝えて協力をお願いしたところ「ファッションとデザインの力で従来の福祉の価値観を変えていくというテーマは世界的に見ても非常に新しいアプローチでおもしろい。俺には世界のデザイナーのネットワークはあるから一緒にやろう」と快諾。以降、障害者の視点に立ち、機能的で街に出てきたくなるようなデザインの服、靴、バッグなどのファッションアイテムを世界のデザイナーたちや国内のメーカーとともに開発し、販売してきました。障害者だけではなく健常者にもクールでおしゃれでかっこいいと感じてもらえるようなデザインにしたので多くの若者から好評を得ました。また、障害をもつ人でも着脱しやすいシューズは世界的にも有名な日本の一流プロアスリートにも気に入っていただけました。

ネクスタイドが企画した商品の一部。手先が不自由でも、履きやすく脱ぎやすいシューズや、開けやすく、閉めやすいバッグ・財布。機能性とファッション性を兼ねそろえているのがポイントだ。

視覚障害者でも楽しめる映画を

また、視覚障害者の方でも映画を楽しんでいただこうと映画の音声ガイダンスの制作をプロデュースしています。2010年3月の「時をかける少女」(谷口正晃監督)以来、毎年1作品を目安に音声ガイダンスを制作してきました。(音声ガイダンス入りの映像はこちら

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音声ガイダンス制作風景

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「時をかける少女」の上映後のトークショー

さらに今年(2013年)は新しい試みに挑戦しています。9月7日公開の「共喰い」という映画では、音声ガイダンスなしでも情景がわかるような工夫が施されています。なぜそんなことをするかというと、「音声ガイダンスつき」というとどうしても「視覚障害者のため」というイメージがついてしまいます。しかし障害者と健常者が普通に混ざり合っている社会を実現する上ではその形容詞そのものを排除したい。そこで視覚障害者のみなさんが音声ガイダンスなしでも楽しめる映画製作のあり方を模索して、製作会社のプロデューサーの協力を仰ぎ「共喰い」でそれを実現したというわけです。映画のエンドロールに「ピープルデザイン監修」としてNPOピープルデザイン研究所とネクスタイドが初めて登場しています。

また、僕らの活動に賛同してくれている要潤さんが主演の「劇場版 タイムスクープハンター 安土城 最後の1日」(8月31日公開)では視覚障害者の方々の視点を活かして、映画の内容がより理解できるスマホ用電子書籍アプリを開発することに成功しました。

さまざまなイベントを開催

2つめの柱である「コトづくり」では、さまざまなイベントを開催しています。例えばブラインドサッカーの体験会では、子どもたちがアイマスクをして目の見えない状態でプレイすることで、声をかけ合うことの大切さや、目の不自由な人との接し方を体験できます。子どもの頃から障害者と接する機会を提供することで障害者のいる場が普通なんだという意識をもってもらうためです。18歳で失明したブラインドサッカー日本代表の加藤健人選手や有名スポーツ解説者などを講師に招いて渋谷と川崎で4年前から行っており、企業研修としても採用されています。

ブラインドサッカー体験会

ほかにも聴覚障害の方にライブを「聴いて」楽しんでもらうイベントなどを企画・開催していますが、このようなイベントを行うことで、障害をもつ人びとが街に出てきて、健常者と障害者が混ざり合う場をコツコツ増やして、それが常態化した社会を目指しているんです。

渋谷という街そのものを媒体に

こんな感じで10年間活動を継続する過程で、たくさんのアイテムを世に送り出し、イベントで混ざり合う場をつくるという手法のインフラは整いました。しかしこれまでと同じ事をしていたのではなかなか社会を大きく変えることができないので、これまで取ってきた手法よりも、より社会にインパクトをもたらす影響力のある方法はないかなとここ数年ずっと考えてきました。

そんなとき、僕が出演したテレビ番組、「地球ドキュメントミッション--ファションの力でめざす 心のバリアフリー」(NHK BS1、2011年1月30日放送)を見た人から一度お会いしたいという連絡をいただきました。その人は長谷部健さんという渋谷区の区議で、彼もまたグリーンバードという街の美化を目的とするNPOを立ち上げるなど社会的な活動をしている人でした。彼の話は、社会的な課題解決を同情や善意に頼るのではなく、ファッション、デザイン、エンタメ、スポーツというわくわくするコンテンツで解決していくネクスタイドという活動、そして人びとに行動を喚起させるピープルデザインという思想が非常におもしろいから渋谷区の区政に取り入れられないかというものでした。

僕自身も学生の頃から渋谷が遊び場で、サラリーマン時代も入社2年半で渋谷店に着任し、最後の職場も渋谷店。現在の事務所も渋谷にあります。このように渋谷という街とは縁が深く、言ってみれば僕のホームタウンなわけです。だから、長谷部さんからこういう話を聞いたときはとてもうれしく、ぜひ取り組んでみたいと思ったんです。

それで、渋谷という街そのものを媒体にマイノリティとマジョリティが混ざり合うダイバーシティを実現していく。その手段としてピープルデザインという思想を持ち込む。すなわちマイノリティ目線で街を見渡して、彼らが困っている課題・問題を見つけたとき、それを建物などのハードウェアだけで解決するのではなく、街にいる人々のちょっとした配慮や思いやりの一声、お手伝いしましょうかといった具体的な行動で解決していこうということを、今度は渋谷という街を媒体に展開していきたい。そういう思いから昨年(2012年)、「ピープルデザイン研究所」というNPOを立ち上げました。

ピープルデザイン研究所は渋谷がきっかけで生まれましたが、その活動範囲は渋谷だけに限定するものではありません。まずは渋谷をホームグラウンドとして渋谷の価値を上げていく。それをロールモデルとして全国、全世界に広げていくことを目指しています。

つまりこれまでは活動の主軸をファッション・デザイン・イベントなどの「モノづくり」「コトづくり」に置いていたのを、これからは「都市の価値づくり」に大きくシフトいくということです。もちろんファッションを主軸としたモノづくりにも今後も継続して関わっていきますが、後継者が育ってきているので、ファッション関連は若手に移行しています。

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都市の価値を上げていく活動

──「都市の価値づくり」とは具体的にはどういうことなのでしょうか。

日本はあまり積極的ではありませんが、ここ15、6年、世界は自国の都市の価値をいかに上げていくかということに必死になっています。都市の価値が上がればそこに住む人口が増え、経済が発展し、財政もうるおいます。そうなると税率を低く抑えることができ、よりよいサービスを住民に提供でき、治安もよくなり、さらに人口が増える。この好循環を目指しているわけです。

ひと昔前は、世界の最先端の都市はロンドン、パリ、ニューヨークでしたが、今はアムステルダム、コペンハーゲン、ポートランドの3都市が魅力のある、学ぶべき点が多い場所だというふうに世界のものさしが変わっているんです。

日本ではかつては渋谷も個性的な街で、ファッションを中心に渋谷発、あるいは渋谷オンリーのカルチャーもたくさんありましたが、今は渋谷にしかないものがなくなり、全国どこでも同じ物がお手軽に買えるようになりました。長谷部さんの言葉を借りれば「渋谷が全国化してしまった」状態。そこで長谷部さんは再び渋谷にしかないものを立ち上げていきたいという強い思いを持っていたのです。

折しも渋谷駅周辺では大規模な開発が行われています。確かに大きな建物が完成したりして見た目が変わるといっときは話題になるでしょう。でも長い目で見た時、街の価値を上げるのはモノではなくなるはずです。形なき文化、価値観というか日本人がそもそももっている思いやりの心、「向こう三軒両隣」的な心をもう一回復活させて、困っている人の目線で課題を解決し、手を貸してあげよう。それを街全体に広げていくことで、渋谷という街の価値を上げていきましょうという提案がピープルデザインなる試みです。そうしたら長谷部さんも同じようなことを考えていたようで意気投合して、この1年一緒にやってきたわけです。

そもそもは僕の次男が障害をもって生まれたことから出発したネクスタイドでありピープルデザインですが、彼がお世話になっている障害者施設や住んでいる地元地域に全エネルギーを投入して100の実績をつくるより、渋谷というすでに世界的にも有名な場所で10の実像を見せる方が数年後に1000になる速度は早いんじゃないかと思っているんです。

渋谷区役所にピープルデザインを導入

──具体的にはピープルデザインを渋谷区にどのように取り入れているのですか?

都市の価値づくりやピープルデザインについて桑原渋谷区長にお話したところ、「渋谷に集う人は住んでいる人、通勤、通学のために来る人、買い物に来る人、通りすぎる人、いくつかの種類に分けられる。その中で渋谷という地域の価値を底上げしていくためには、まずは渋谷区の行政を担う区役所で働く人びとの発想を変える必要がある」とおっしゃいました。それで今年(2013年)から渋谷区役所の部長、課長などの管理職と、20代、30代の職層研修にピープルデザインが導入されました。管理職研修の後、職層研修は先々月(7月)に始まったばかりですが、今後半年をかけて課題解決のためのピープルデザインを実践形式で展開していきます。

渋谷区の職員に「"ピープルデザイン"な渋谷の街づくり」というテーマで講演する須藤氏

──具体的にはどういうふうに展開していくんですか?

当NPOの理事でもあり、NPO法人シブヤ大学の学長でもある左京氏とタッグを組んでカリキュラム化しました。区長から部課長まではまずピープルデザインという思想の定義や概念を説明します。そして、渋谷の価値が上がって人が集う未来はどういうものか、渋谷の価値を上げるため、世界先進国の中で群を抜いた渋谷らしい価値を創造するためにピープルデザインをどう使うか、その基本的な考え方を対話によって明らかにしていきます。

その下の職層研修では、ピープルデザインを実務の中でどう具現化するかという"当事者としての策"を数名単位で職場の異なるメンバーでグループをつくり、考えていただきます。今年後半の研修ではそれを一般の方々に見える形で開示していこうと計画しています。

これは区役所にとってはこれまで経験したことのない、かなりダイナミックな試みなだけに、職員のみなさんのほとんどが不安を感じているかもしれませんが、区長自ら先頭に立ってくださっているので、渋谷に集うさまざまな人たちを交えて課題を明らかにして解決策を導き出すさまが今から楽しみなんです。

──ピープルデザイン研究所の代表として、他にはどのような仕事を手がけているのですか?

1つは課題解決型の公開ディスカッションイベントの企画、運営です。僕らはマイノリティとマジョリティが混在している状態の寛容。すなわちダイバーシティの実現を目指しているわけですが、これまで「マイノリティ」という言葉を使うとき、そもそもの活動の発端は僕の次男がハンディキャッパーであることだったので、身体・知的・精神障害者という意味合いが強かった。しかしマイノリティの中には従来型のイメージ内の"弱者"だけではなく、最近話題になることの多いLGBT(レズ・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)という性的マイノリティも含まれます。また渋谷には子育て中の若いお母さんも多いのですが、赤ちゃんを乗せたバギーを押したり、片手で荷物を持ちながらもう一方の手では2歳くらいの幼い子どもの手を握ってデパートで買い物したり街を移動したりという光景をよく見ます。常に両手を子どもたちに取られて自由が効かないという意味では彼女たちも期間限定のハンディキャッパーといえるんですよね。また来日期間中、日本語がうまくしゃべれない外国人も期間限定の言語障害者です。

2013年ゴールデンウィークに、セクシャルマイノリティの人たちがより自分らしく暮らせる社会をみんなで応援しサポートしようというイベント「東京レインボーウイーク2013」が開催された。NPOピープルデザイン研究所はこのイベントの告知・集客に協力したほか、LGBTについてに啓蒙型公開セミナーを実施した

そう考えていくと、マイノリティとは障害者手帳をもっている人だけではなく、さまざまな種類の人たちが含まれます。このような日常生活に不自由を感じている人たちの目線でいろんな問題や課題をあぶり出し、具体的解決策を導き出すためにピープルデザインカフェという課題解決型の公開のディスカッションイベントを2ヶ月に1回渋谷で開催しています。これまで(2013年7月現在)10回ほど開催してきました。

ピープルデザインカフェの模様。学生やさまざまな業界・業種の企業人など、毎回多種多様な人びとが参加している

渋谷ヒカリエで行った公開型ディスカッションイベント

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コミュニケーションチャーム

また、障害者の方から気軽に助けを求めることができるアイテムをプロデュースしています。日本人は基本的にはやさしいので困っている人がいたら手伝ってあげたいという気持ちはもってはいるけど、シャイだし障害者と接した経験もほとんどないので実際にそういう人を見かけてもなんて声をかけていいのかわからないという人が大勢いると思うんですよね。例えば、電車やバスに乗っているとき、「お腹に赤ちゃんがいます」というバッヂをつけている女性には席を譲りやすいけれど、妊婦かどうかわからない人にはなかなか声をかけづらいですよね。また駅などで困っている外国人に対しても同じです。

そこで、そんな人のために「コミュニケーションチャーム」をつくりました。日本に来た外国人が困った時によく使うというYES/NO、トイレ、電話、病院、電車、Excuse me/Thank youの6つをアイコン化し、デザインしているので、言葉がうまく喋れなくても、アイコンに指を差したら困っていることがわかるというコミュニケーションカードです。NPO法人ピープルデザイン研究所を設立して最初に作ったアイテムです。

コミュニケーションチャーム

これを身に付けている人は、「困っていたら私に声をかけてください!」「私、何でもお手伝いします!」「ハンディがある方をサポートをします!」という意志を表明していることになります。そういう心意気をもつ人をもっと増やして、困っている人が声をかけやすくなる状況をつくりたいと思っています。

何かで困っている人は「すみません、ちょっと手伝ってください」と誰かに助けを求めてくださいよ。中でもこれをつけている人ならきっと助けてくれるから。だからどんどん街に出て来てください。というメッセージをコミュニケーションチャームには込めているんです。


──確かに困っている人を見かけたらお手伝いしたいのになんて声をかけていいのかわからないというのはよくわかります。でも向こうから助けを求められれば喜んでお手伝いしますという感じですもんね。まさに逆張りの発想ですね。デザインもわかりやすくておしゃれですよね。

世界的なブランドのデザインを手がけているアーティスト・クリエイターにデザインしてもらったので、おしゃれなチャーム・アクセサリーに仕上がりました。携帯用チェーンのゴムひもは本来廃棄処分されてしまうものを使用しています。

障害者の利益にもなる

もうひとつの大きなポイントは、このコミュニケーションチャームは障害をもつ人びとの仕事の創出と収入アップに貢献できるということなんです。そのためにこのようなデザインにしたんです。


──どういうことなんですか?

障害者の収入っていくらくらいかご存知ですか? 例えば来春(2014年春)から次男が働くことになるB型の福祉施設の日給ってだいたい400から700円くらいなんですね。交通費は出ないので赤字になってしまいます。それなのになぜ通うかというと、親の気持ちとしては「障害者がひとりで家にじっとしているよりは赤字になったとしても福祉作業所に通う方が断然いい」からです。よって月給にして約8000円、多い人で1万3000円から4000円。これに障害者手当6万5000円を足してなんとか実家で暮らしているというのが現在の大多数の次男と同じレベルの障害者の実情なわけです。

そこでこのコミュニケーションチャームの製作が彼らの仕事にならないかなと考えました。まずは当社のスタッフが1年かけて渋谷区にある12の福祉作業所を回ってリサーチした結果、多くの障害者は「組み立てる」「紐を編む」「通す」「結わえる」という作業はできることが判明。それらのエッセンスを盛り込んでデザインしてほしいと、作る要素、仕事の要素を前提にデザイナーに依頼してできあがったのがこのコミュニケーションチャームなのです。ゴムひもを編んだり、結んだり、取り付けたりという製作作業と完成製品の梱包作業は、現在渋谷区内の4ヶ所の福祉作業所に通う障害者のみなさんの手で行われています。


──困っている人の役に立つと同時につくる側の障害者の利益にもなるというのは素晴らしいですね。売り上げ的にはどうなんですか?

海外でも絶大な人気を誇る日本人アーティストや俳優の要潤さん、そして各ショップの賛同を得て、セレクトショップのSHIPSや裏原ブランドで有名なハイパーハイパー、渋谷区役所の売店など取り扱い店舗は確実に増えています。そのほとんどがおしゃれなファッション店舗であることが特徴的です。販売数も確実に増加しているので製作に携わっている障害者のみなさんの収入も増えています。このコミュニケーションチャームを身に付ける人をどんどん増やし、渋谷の風物詩のひとつにしていきたいと思っています。

渋谷区へのピープルデザインの導入を打診し、現在須藤さんとともに推進している渋谷区議の長谷部健さん(写真左)、須藤シンジさん(中)、ピープルデザインという思想に共感し、コミュニケーションチャームの告知などに協力している要潤さん(右)●写真/SHIPS MAG

富士宮市との協業

──街を媒体にピープルデザインを具現化していくというのは斬新で壮大な試みですね。

地域との協業という意味では渋谷以外にもいくつかの地域とコラボしています。そのひとつが静岡県富士宮市です。

多くの地域では認知症患者は健常者との暮らしの中で苦慮されています。富士宮市では宿泊業や観光業、運輸業などに携わる人たちが配慮、協力して、認知症の人も安心して楽しめる街ということを集客のひとつのキーワードにしようとしています。つまり富士宮市は認知症の人たちにとってフレンドリーな土地だということを地域の価値にしていこうというプロジェクトを2年前から推進してきました。今年、ピープルデザインという発想を持ち込みたいということで総務省のプロジェクトからお声がかかり、先月(8月)から我々も活動に加わりました。

なぜ認知症かというと、現在の認知症の人の実数が2012年時点で約462万人で、いつ認知症になってもおかしくない人を含めると1000万人弱もいるらしいんですね。私の叔父が認知症なのでいかにたいへんかというのはリアルにわかります。

今度はメディカルという領域で、「病人」として一般の人と分けるのではなく混ぜていくためにピープルデザインという発想で地域の観光産業等と連携します。富士宮市が認知症のフレンドリーな地域だということを街の価値にしていくことが狙いです。

滋賀県とも協業

また、滋賀県の地域興しに苦慮されている方から相談を受け、廃れつつある地域産業の継承をネクスタイドのアプローチ、つまり社会的弱者がものづくりや農業を通じて社会に出て来られるような手法を使って実現するという活動を3年ほど前から行なっていました。

例えば農業再生の活動に障害をもっている人たちに参加してもらう。通常、野菜は形の良し悪しで流通が決まる傾向がありますが、ここでは形にかかわらず彼らに収穫してもらう。それを集めて乾燥させ、砕いて粉末にしたものを「野菜パウダー」として商品化する。これを有名シェフや小売店バイヤーに営業していく。こういった一連の流れを田畑のオーナーや地元の福祉法人と連携して展開しました。このように、従来の障害者の成果物が従来のような「この絵はがきは障害者が一所懸命つくりました、買ってください」というような同情とは違う軸でつくられた、買う方も喜んで買ってくれるようものならお互いハッピーになれてステキじゃないですか。そんな状況を実現したくてずっと関わっているわけです。こんな感じで、最近では従来型の福祉の発想に縛られない若い新世代の福祉従事者も増えてきました。同時にピープルデザインが地域再生のキーワードのひとつになりつつあることを実感しています。


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