2013年7月アーカイブ

生きるように働くということ[後編]

さまざまな仕事

──「シゴトヒト」では「日本仕事百貨」(以下「仕事百貨」)を中心としてさまざまなプロジェクトを推進していますが、中村さんご自身はどんな仕事・業務を担当しているんですか?

大きくわけて3つあります。まずひとつは書く仕事。「仕事百貨」で求人企業を取材して記事を書いています。ひとりで運営していた頃は月に10本ほど書いていた時期もありました。あのときはきつかったですね。でも今はスタッフもいるし、他のプロジェクトも多数走らせているので時間が取れないのと、何よりあまり抱え過ぎると記事のクオリティが落ちてしまうので、今はだいぶ減らして月に4本ほど受け持っています。一定のクオリティを保つのは月に8本、週に2本が限界だと思っているので、それ以上やらないように調整しています。

また、2012年にいろんな生き方、働き方があることを本の形で伝えるという「シゴトヒト文庫」を創設し、『シゴトとヒトの間を考える』(友廣裕一さんとの共著)という本を出しました。これは単に本を書くという仕事ではなく、新しい仕事のあり方というか可能性を提示するようなものになっているんです。

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中村さんの仕事道具。基本的にパソコンとスマホとカメラさえあればどこでも仕事ができるという。

通常、出版社から本を出す場合、著者の取り分、つまり印税は多くて総売り上げのわずか10%。10%もらえればいい方で、最近は7~8%というケースが普通になっています。1000円の本が1万部売れても70万円ほどにしかなりません。これだと正直生活していけませんよね。

でも制作と販売ほとんど自前でやればどうでしょう。『シゴトとヒトの間を考える』の場合、3000部刷ったのですがかかった印刷製本費が35万円。1冊の価格は1200円なので、もし全部手売りで売れたら粗利は90%の325万円になります。これだとかなりの利益になりますよね。このシステムは、元々は「建築と日常」という本を出しているゼミの先輩の手法を真似たものです。

本は最初の1カ月で1500部ほど売れて、現在は2000部ほどです。今後、仕事百貨の5周年記念のイベントを開催する予定で、そのために在庫を残しておきたいので今は積極的に販売していません。現在は第2弾の本を執筆中です。

2つめはさまざまなプロジェクトの統括です。現在進行中のプロジェクトだけで7つほどあり、水面下で動いているものも含めれば10を軽く越しています。それらが常に同時並行で動いています。もちろんすべてを完璧に把握しコントロールするのは物理的に不可能で、プロジェクトごとに担当スタッフはいるのですが、最終的な判断を下すのは僕なのである程度は把握する必要があるんです。僕含め、各担当はプロジェクトごとにいろんな業種・職種の人たちと組んで仕事をしています。

一緒に歩いて行く仕事

3つめは、うまく説明するのが難しいのですが、何か問題を抱えている人の側に立って一緒に考えるという仕事です。例えばある地方の会社の人から求人をしたいと相談を受けたのですが、よくよく話を聞くと今必要なのは求人ではなくその会社が地元でどんな仕事をつくることができるのか、その可能性を探ることがまず先決なんじゃないかと判断したのでそう伝え、そちらの方向で一緒に考えていくことになりました。ビジネス的にはそのまま求人広告の依頼を受けた方が正解なんでしょうけどね。

重要なのは目先の利益ではなく、相談者の視点に立って、本当の問題は何で、それを解決するためにはどうすればいいかを考えることなんですよね。そうすることによって、この先それが新しい事業になるかもしれないし、それを行う場を一緒につくることで相談いただいた会社に興味を持ってくれる人も増えるかもしれません。それが最終的に求人につながる可能性もありますし。

その他にも地方の移住促進の問題など、いろんな社会課題に関してほとんどまっさらな状態から相談を受けることもけっこう多いです。僕はこれまで多種多様な仕事を見てきているので、問題解決のための引き出しをたくさん持っているんです。相手の抱えている問題を引き出して、それに対して解決策を提示すると喜ばれることがとても多いですね。

それって「相談者に寄り添って一緒に歩いていく」という感じで、コンサルタントともアドバイザーともちょっと違うんですよね。相談されると「じゃあまずはお茶でも飲みながら話を聞きましょう」とか、「まずは一緒に考えてみましょうか」というところから始まって、当初の話とは全く違うプロジェクトに発展することもあります。例えば東北の仕事と人をつなげる「みちのく仕事」や鹿児島の口永良部島に居住者を募集する「島で生きる」がそうですね。その他にも現在進行中のプロジェクトなど、そういうケースがたくさんあります。


──やっていくうちに次々とプロジェクトが生まれてその分仕事がどんどん増えていくという感じなんですね。たいへんじゃないですか?

正直たいへんです(笑)。だから営業は一切やってないんですよ。でも相談者から喜んでもらえるし、最終的に求人につながることもあるので。


──さまざまなプロジェクトの中でも、事業の軸となっているのは?

やはり「日本仕事百貨」です。僕らのスタート地点でもありますし、それがメディアとなっていろんなつながりが生まれているので。

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リアルな「まち」をつくるプロジェクト

──プロジェクトの中で今最も力を入れているのは?

リトルトーキョー」のページ

リトルトーキョー」ですね。ひとことで言うと、東京の真ん中に新しい、リアルな「まち」をつくるプロジェクトです。この場所では自由に仕事と関わることができます。生活の糧を得るための仕事は必要ですが、それ以外の余った時間は何をやってもいいはずですよね。そんなときにみんなが自由に仕事ができるような場所をつくれたらいいなと思って始めました。

いくつか実際に空き地や物件を借りて「まち」として、その中にカフェやイベントスペース、パブ、オフィス、映画館などをつくろうと考えています。そして、リトルトーキョーの市民になるとそこで仕事を提供することができます。例えばヨガが得意な人ならヨガ教室を開いてもいいし、旅好きな人なら旅のドキュメンタリー映画をつくって映画館で上映してもいい。イベントを開催してもいいし、何にもとらわれる必要はないので、本当に自由に発想して仕事をつくってもらえばいいんですよ。


──すごく楽しそうですね。具体的にはどうやって「まち」として運営してくのですか?

運営費は「税金」という名目で市民から集めて、各活動に充てようと思っています。政治システムは直接民主制を採用するので、その予算を市民全員で審議して決めます。例えば新聞社をやりたい人は、そのために必要な予算額を議案として提出してもらい、それが可決されれば新聞をつくることができます。その過程は100%オープンにするんです。投票はその場に来れなくてもインターネットでもできるようにして、いろんなプロジェクトが生まれていけばおもしろいなと。

さらにそのプロジェクトの履歴をネット上に残して、その人が関わったプロジェクトの一覧がすぐにわかるようにしようと思っています。そうするとその人がどんな職能をもっているかすぐにわかるし、履歴書にリトルトーキョーで手がけた活動を書くことで現実世界での就職・転職につながるかもしれません。現在では、新しい事業を起ち上げたいときの資金集めの方法もクラウドファウンディングなどいろいろありますが、通常は事業コンセプトとその人の思いみたいなことしか基本的にプレゼンできません。でも、もしリトルトーキョーで行った活動をアピールすることができれば、投資する側もその人のスタンスや能力などいろいろなことがわかると思うんですよね。

こういうふうに、仮想の「まち」を作ってそこで遊ぶように働くことを通して、結果として現実世界の仕事にいい影響を与えるような場所にできればいいなと思っているんです。

「リトルトーキョー」誕生秘話

──そもそもなぜ「リトルトーキョー」をやろうと思ったのですか?

まず根本としてあるのが、僕は独立するにあたって生き生きと働く人を増やすために人と場をつなげることを最初に仕事にしましたが、僕自身が当事者として場をつくりたいという思いです。それはやっぱりずっと強くもっていたわけです。

「リトルトーキョー」をつくろうと思った直接のきっかけはドイツの「ミニ・ミュンヘン」です。夏にミュンヘンに子どもたちが集まって3週間限定の町をつくり、子どもだけで自治を行うんです。選挙もあるし、ハローワークみたいなところで仕事を得たり、なければ自分でなんでも起業していいんです。ある子どもはおもちゃの車でタクシードライバーになったり、大工になったり。通貨もあって自分の仕事に対する報酬はきちんともらいます。

それってはたと考えると立派な「仕事」なわけですよ。しかもみんなすごく楽しそうにやってる。仕事は生活するために必要でもあるし、現実的に考えなきゃいけない部分もあるものの、一方ではそういう子どもたちみたいな状況に置かれたら、大人も遊ぶように働くことはできるんじゃないかと思っていて。それで東京にもそういう場をつくろうと思ったわけです。


──「リトルトーキョー」の具体的な場所は決まっているのですか?

今年(2013年)の5月末に虎ノ門にあるビルの数フロアとその隣の空き地とお鮨屋さんだった物件を借りました。これからつくるところです。ちなみにシゴトヒトのオフィスもこのビルに引っ越しました。(※編集部注:このインタビューは引越し当日に行われた)

オフィスの入るビルの隣の鮨店。ほぼ手付かずの状態

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引っ越したばかりのオフィス

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オフィスビルと鮨店の間の空き地。ここから最初の「リトルトーキョー」が生まれる

これから市民が増えて納税額も増え、もっと物件や土地を借りるべきだという結論に達したらどんどん借りて場所を増やしていけばいい。また、東京だけじゃなくて田舎の空き地に「リトルトーキョー」の小屋を建てて、市民が共有できるみたいなものもあってもおもしろいと思っています。

7月に正式オープン

──秘密基地がどんどん増えるみたいな感じで想像すると楽しいですよね。現在はどんな状況なのですか?

まずは3月半ばから4月頭にかけて一緒にこれからリトルトーキョーを作っていけるような「開拓者」を募集したところ、応募者が殺到し、すぐに1000人を越えたので今はストップしています。

4月8日にキックオフイベントとしてヒカリエで第一回市議会を開催して、市をつくることを宣言したり、こういう場所ですというのをお披露目しました。全国から人が集まり、かなり盛り上がったんですよ。

新しく借りた物件はまだ手付かずの状態だったので、6月8日に約30人の開拓者のみなさんと一緒に掃除をしました。新しい街をつくるところから一緒に始めたわけです。こちらも最初のイベントとあってかなり盛り上がったんですよ。

リトルトーキョーの掃除の模様と集まった開拓民のみなさん

そして今月(7月)いよいよ正式にオープンとなります。最初から完成させるのではなく、実際に運営しながら状況の変化に合わせて少しずつ変えていくような場作りをしようと思っています。その方がおもしろいし居心地がいい気がするので。


──市民にはどんな人が多いのですか?

20~30代の若手会社員が多いですね。学生は1~2割といったところでしょうか。

居心地のいい場所が何よりの幸せ

──中村さんにとって「場をつくる」ということがすごく大事なんですね。

その通りです。それがいろんなかたちでプロジェクト化していったという感じですね。

僕にとって一番幸せを感じるのは、仲のいい友達・家族などと一緒に楽しく飲んだり話したり暮らしたりする状況なんです。人と人のつながりが何よりの財産だと思っていて、そのために一番必要なのはお金などではなく、居心地のいい場所。それがあれば十分満足なんです。

冒頭でも話したとおり、僕には地元と呼べる場所がないのですが、これからどんどん地元がない人が増えていくと思うんです。これから多くの人たちが希求するのはお金でもないし、究極的には仕事でもない。居心地のいい自分たちのコミュニティだと思います。だから多くの人にとって居心地のいい場所をつくるために、東京の中に地元、あるいはコミュニティをつくりたいんですよね。


──それが中村さんを突き動かす原動力なんですね。

そうですね。そういう人たちに喜んでもらえるような場所をつくるにはどうすればいいかということを考えています。

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独立したスタッフとフリーエージェント契約

取材当日居合わせた専従のスタッフと一緒に。引っ越ししたばかりのオフィスでひとつの机でわきあいあいと働く

──独立してしばらくはおひとりでやっていたとのことですが、現在スタッフは何人いるのですか?

専従のスタッフは4人です。「仕事百貨」の取材・執筆の他に、それぞれがプロジェクトを担当しています。それ以外に外部の提携しているライターが数名と、現在インターンもけっこう増えているので関わってもらっているのは合計で20人くらいですかね。


──専従スタッフの雇用形態は? みなさん社員として雇用しているのですか?

いえ。「東京R不動産」と同じでそれぞれの独立した個人事業主と業務委託契約を結ぶというフリーエージェント・スタイルです。うちの場合はオフィスに出勤するのは週3日で、報酬はスタッフと話し合ってお互い納得のいく額を決めています。あとは他の仕事をしてもいいし自由にやってもらってます。


──報酬はどのような形態なのですか?

まずは担当するプロジェクトを仕切る業務委託費がベースにあります。それに「仕事百貨」の取材・執筆・編集費が上乗せされていくというシステムです。取材があまりない月でもスタッフが生活していけるようにこういう2層のシステムにしているのです。やはり、いくらフリーエージェント・スタイルがいいといっても、ベースとなる収入が全くないと人は精神的につらくなると思っているので。

働き方に関するポリシー

──働き方についておうかがいしたいのですが、中村さんが大事にしているのはどういうことですか?

まず、「打算的に働くよりは贈り物をするように働きたい」、「他人事ではなくて自分事(じぶんごと)として仕事をしていきたい」、そして「生きるように働きたい」、この3つですね。


──中村さんはいろんなところで「自分事」とよく言っていますが、具体的に言うとどういうことですか?

例えば休日に本屋をぶらついているときに、自分が担当しているプロジェクトに役に立ちそうな、あるいは参考になりそうな本が見つかったとき、それを手に取るか取らないかはけっこう大きな違いだなと。思わず手に取る人は自分事として仕事をしてる人だと思います。もっと言うと、今は誰かに必要とされてなくても自分がこれをどうしてもやりたいんだとか、どこかに絶対に必要としている人がいるとか強い確信や信念をもって取り組んでいる状態。それが「自分事」というイメージですね。


──では仕事とプライベートの境目はないですか?

そうですね。24時間働いているわけではないのですが、明確にオンとオフをわけるという時間の過ごし方はしていません。言わば休んでいる時でもパソコンがスリープ状態のような感じで、何かあったらすぐ起ち上がる。それはすぐに仕事を始めるというよりも、これおもしろいなと思うことを発見したら、こういうこともできるんじゃないかと思考が際限なく広がり始めるんですよね。

僕はいつもいろんな仕事の何がおもしろいのか、おもしろい点を発見したら、どうしてそれが成立するのかを考えちゃうんですよ。例えば仕事外の時間でもこの飲食店いい感じだなあと思ったら、店内を観察して席数や客層、スタッフの数から、客単価、料理の原価、回転数、利益などをつい考えちゃうんですよね。こういうことを考えることも仕事と捉える人もいるでしょうけど、僕の場合は完全に楽しんでやってるんですよね。おもしろいことが世の中で起きていて、それがどういうふうに繰り広げられてるのかを明らかにすることが好きというか、癖なんですね。気がついたら考えちゃっているという(笑)。


──では「ワークライフバランス」に関しても...

仕事とプライベートはどっちも大切なことですし、バランスさせるものではないと思っているので、僕の場合は常にどっちも混ざっているようなものですね。

「生きるように働く」とは

──「生きるように働く」は「仕事百貨」のキャッチフレーズになっていますよね。この言葉に込められた思いは?

先ほどの話とかぶる部分も多いのですが、明確にオンとオフの区切りがあるわけではなく、仕事だから割り切るという状態でもなく、仕事とプライベートが連続した、波のようにつながっている状態を「生きるように働く」だと思っています。

もうひとつは、生きている人はみな「生きている」ということを日常ではあまり意識しませんよね。僕自身、働くというのもそれくらい自然なことなので生きるように働きたいと思っています。

だからといって、みんなが生きるように働けばいいとは全然思っていません。仕事は生活の糧を得るための手段と捉え、平日に働いて週末は家族や趣味のために使うという生き方・働き方も全然ありだと思います。

ただ、「仕事百貨」の場合はそうではなく、僕と同じような、仕事とプライベートを分けることなく、納得感をもって働きたい人に向けて情報を発信しているので、まさに生きるように働く人のためのメディアなんです。

中村式「日々の過ごし方」

──日々のスケジュールはどんな感じですか? 仕事をする時間や休日などは決めているのですか?

基本的に働く時間は決めてないです。集中できないので家で仕事をすることはないので会社には行っていますけど。「仕事百貨」のような締め切りが明確に決まっている仕事以外は自由にやってます。

基本的に土日は休むようにはしていますが、仕事をしているときもあります。土日だからこそじっくりゆっくり仕事ができますからね。

仕事以外ではトライアスロンやトレイルランに出場したり、そのための練習をしています。またそんなにハードではなくても野外でシートを広げてピクニックしたり、そういう時間の過ごし方もしています。相変わらずサラリーマン時代に通っていたバーにもひとりでよく行ってますし。

誰かと一緒にいるのも好きですが、ひとりになる時間もすごく必要なんですよね。だから休みというよりはひとりになる時間と誰かとコミュニケーションしている時間、どっちも必要です。寝るのも好きですよ。その辺が渾然一体となっている感じですね。


──働き方に関する社内ルールはありますか?

スタッフは出社は週に3回、あとは仕事は10時から19時まで、それ以降はしちゃダメと言ってます。やりだすとキリがないですから。それくらいですかね。

あとルールではないのですが、オフィスで仕事をしててどうしても眠くなるときってあるじゃないですか。そういうときはオフィスのソファで遠慮なく寝ていいことにしています。少し寝るだけでその後の効率がかなり上がるし、そういう余裕があると人って精神的に健やかになりますよね。結果をちゃんと出していれば、また、結果を出そうとする真摯な姿勢があれば、その他のことは別に問題ないです。

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いいことづくめの働き方

──サラリーマン時代と今を比べて独立してよかったと思いますか?

それはもう間違いなくよかったですね(即答)。会社員時代とは精神的な健やかさ加減が全然違います。もっとも、より忙しくなっているので肉体的にはきついですけどね(笑)。


──独立してよかったと思う理由は?

まずは働き方や、やる・やらないの選択権などいろんな意味で自由だからです。同時に自由であるがゆえにいろんな責任もともないますが、それは自由が前提にある責任なのでまったく苦になりません。やっぱりすべて自分で決めたことなので結果がどうなっても納得感があります。

あとは「コミュニティ」ですかね。おもしろい人とのつながりがどんどん増えて、自分がつくるコミュニティもすごくおもしろくなっているという思いはとても強くもってます。

サラリーマン時代のつながりって同じ社内の人が多いと思うんですよ。そうするとそれが当たり前だと思っちゃうんですが、会社から出て独立すると、世の中にはいろんな人がいるなと実感できるし、自分とは違う生き方、働き方も全然ありだと思えます。すると、自分はどうしたいのか、どう生きたいのかと考えたときに制約がどんどんなくなって、より自由な状態になってるような気がします。

今は独立する前に願っていた、自分の居場所を作りたいという夢が叶っているので、とてもいい状態だと思います。


──逆に独立してデメリットに感じることは?

ないですね(即答)。

働くとはどういうことか

──中村さんにとって働くとはどういうことでしょう?

生きることとほぼ同義です。それくらい自然な行為。もちろん楽ではなくてたいへんなこともたくさんありますが、自分の生きていくこと、暮らすこと、あらゆることに自然と接しているというかつながっているというか、そういうものが仕事でありたいです。


──では何のため、誰のために働いていますか?

間違いなく自分のためですね。自分が楽しくあるために。そう自信をもって言えるようなことならば、結果として誰かに贈り物をするような仕事になると思うので。

今後の仕事と働き方の変化

──今後の世の中の仕事や働き方はどう変わっていくと思いますか?

最近特に思うのが、10~20年前までは何かをつくる職業がけっこう人気だったと思うんですよ。でも「仕事百貨」を5年やってきて、ここ最近人気が集まっているのは、つくるよりも「つなげる」仕事なんですよね。

例えば僕らが学生だった10年前は、デザイン系の就活イベントに優秀な学生が集まっていたのですが、今はコミュニティをつくるような仕事やシェアハウス、シェアオフィスのようなコミュニティ関連の仕事などにすごく優秀な人が集まっているんです。

モノはすでにたくさん世の中にあふれています。それにどう関わるかとか、人と人をどうつなげるかということの方がよほど大事だと多くの人は思っているように感じています。だから、これからは広い意味で「編集する」というか「つなげる」という仕事がもっと増えていくんじゃないかなと思います。

働き方としては、あらゆる境界や垣根や障害がどんどんなくなり、働き方自体がフラットになり、あらゆる意味でどんどんシームレスになっていくと思います。

例えば会社という枠組みや時間の制約などがなくなり、縦割りの中で仕事をするということがなくなる。それってたぶん生きるように働くということのひとつだと思うんですが、自分が望む生き方を実現するために大きな会社を辞めて独立する人も増えていくでしょうし、フリーエージェント・スタイルみたいに組織に半分所属しながら独立して自由に働く人も増えるでしょう。

人生の夢

──今後の目標は?

まず目の前の目標としては「リトルトーキョー」をおもしろくしていきたいですね。僕らは世の中の既存のシステムを与えられる、享受する立場じゃないですか。だけどその与えられる側がつくったものがもしかしたら世の中のシステムの変化を促すかもしれませんよね。それを目的にやっているわけではないんですが、何よりも自分たちがフラットに考えて、楽しくて、気持ちがいいことを居心地のいい場で実践していき、リアルな形としてつくっていきたいですね。

──人生の夢はありますか?

夢ですか......夢ってなんだろう? 僕はあまり未来のことは考えていないんですよね。こうじゃなきゃいけないと思うこともないですし。

よく思うのは、「未来」や「社会」という大きなものを対象とするよりも、まずは「今」や「目の前にいる身近な人」を大切にしたいということです。目の前のことにちゃんと誠実に取り組んでいけばいいご縁、いいつながりが生まれていくという実感があるので、それをまた贈り物をするように誰かにお返しするというか、それを積み上げていくことこそが僕の望み、やりたいことですね。

生きるように働くということ[前編]

幼少期の体験

──現在の中村さんをつくった原点を教えてください。

僕の父はいわゆる転勤族だったので、小学生の頃から1、2年おきに引っ越しを繰り返していました。ですから「あなたの故郷、地元はどこですか?」と聞かれてもよくわからないんです。そんな生活をしているうちに、段々と自分の居場所を作りたいという気持ちが強くなりました。高校でその先の進路を考えるときにも建築業界なら自分の居場所作りというか場作りができるんじゃないかなと思い、建築学科へ進みました。

大学院まで進学したのですが、建築について勉強するうちに考えが変わりました。建築家になれば自由に建築デザインや場作りができると思っていたのですが、実際はまず最初に不動産会社が建築物を建てる敷地や用途、予算などを決めて、建設会社に発注。そこから建築家や設計者が細かく厳しい制約や条件の中で仕事をしていくということに気づきました。ならば、まずどこに何のために何を建てるかという一番川上に行った方が場作りという僕のやりたいことに近いし、楽しそうだと思ったんです。

さらにどうせなら投資家の資金運用や、建物を建てた後の管理運営まですべてを経験できるような会社がいいなと。それでOB訪問を重ねて情報収集したところ、僕の希望にぴったりな不動産会社を知り、入社したわけです。


──入社後はやりたい仕事ができたのですか?

入社してからは不良債権の処理から大きな複合商業施設の開発・運営などを担当しました。やりたい仕事ができて充実はしていましたが、入社して約3年7ヶ月後に退職しました。


──なぜ退職したのですか?

理由はいくつかあります。まずは、確かに不動産会社での仕事はやりがいもあったし、待遇もよく、この先の可能性を感じられるものではあったのですが、自分が本当にやりたいことはもっと他にあるような気がして。それは一体なんだろうとモヤモヤした気持ちを抱えていたんです。

その時点では自分のやりたいことと会社の仕事は大枠ではズレてはいないのですが、もしこのままこの道を歩んでいった場合、10年、20年後にたどり着くのが自分が本当に望んでいたのとは大きくズレている場所なんじゃないかと思ったんです。

当時、そういうモヤモヤしたことをお気に入りのバーでよく考えていました。そのバーには毎晩のように通っていたのですが、ある夜「どうして僕はあまりお酒も飲めないのにこのバーにこんなに毎晩来ているんだろう」と考えたときに、「食事やお酒はおいしいし、内装を含めた雰囲気も僕好みだし、自由にとてもリラックスできる居心地がいい空間。でも、一番の理由はバーテンダーに会いに来てるんだな」と気づいたんです。そのバーテンダーはトークもとても楽しいのですが、何より毎日とても生き生きと働いていて、彼がいるだけで居心地がよかった。やっぱりその場所に合った人が働いていると、その人自身も生き生きとしてくるし、その結果、その場所は居心地のいい場所になる。そんな好循環が生まれるんだなあと。それまでずっと居心地のいい場を作りたくて建築を勉強したり不動産開発の仕事をしたりしてきたんですが、一番大切なのはその場にいる人だと気づいたんです。自分が作りたいと願っていたのはまさにこのバーのような場所だろうと。

もうひとつのきっかけとしては、バーに通ってた頃、働き方研究家の西村佳哲さん(インタビュー第1回に登場)の『自分の仕事をつくる』という本に出会ったことですね。この本には組織に縛られず、自分らしく、生き生きと働いている人たちの話が多数収録されていました。自分の身の回りにこの本に登場するような人はほとんどいませんでしたが、世の中には実際にこういう生き方、働き方もありうるんだ、こんなふうに生きて、働いてもいいんだとすごく勇気をもらったのを覚えてます。ちなみにこの本は今まで3、40回ほど読み込んでいて、今でもときどき読み返します。

より自由に働きたい

──当時、ご自身で「こんな働き方をしたい」という確たるイメージはもっていたのですか?

根本にあったのは、自由に働きたいという思いでした。当時勤めていた会社もやることさえちゃんとやって結果を出していれば細かいことは言わないという自由な会社だったので、そういう意味では僕に合ってはいたのですが、より自由にやりたいという思いが強くて。


──それは独立したいということですか? そもそも独立したいと思っていたとか?

いえ、独立ありきではなく、将来的に独立もありうるなという程度でした。働いていくうちに独立の方に気持ちが傾いていったという感じです。

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今までにない求人サイトを

──独立後はどんな事業をしようと考えていたのですか?

そもそも仕事って誰かに贈り物をするように働くか、とことん自分ごとでじっくり取り組んでいくということから始まっていると思うんですね。僕自身もそういう仕事の仕方がしたいと望んでいたので、実現するためにはどんなことをすればいいか、いろいろと考えました。

当時、同じ不動産業界だったので、馬場正尊さん(インタビュー第2回に登場)はじめ、「東京R不動産」の方々とも公私共にお付き合いがありました。彼らの仕事からもすごく影響を受けました。

「東京R不動産」は定量的ではなく定性的な情報を発信していますよね。例えば通常の不動産サイトのような広さや間取り、駅からの距離、家賃などではなく、「屋上・バルコニーが広い」とか「レトロな味わい」などその物件の個性を主軸にカテゴライズして、物件を探している人の感情や好みに訴えています。

当時いろいろ考えていた事業プランの中に求人サイトがあったのですが、そういう定性的な伝え方って、求人サイトでもできるはずだと思ったんです。従来の求人サイトって、募集職種や勤務地、給料、勤務時間などの定量的な諸条件がメインなのですが、そうじゃなくて求職者が「こういう会社で働きたい」と思うような求人サイトをつくることができれば、求人している会社と本当にその会社に合った人が出会えるんじゃないかと。もちろん、給料や勤務地も大切ですが、それ以上の何かを伝えられれば、世の中にもっといい場所が増えていくんじゃないかなと思うようになったんですよね。僕がよく通っているバーのような。それでこういう求人サイトをやろうと決意して会社を辞めたわけです。


──なるほど。それはまさにサラリーマン時代にバーで感じたことと直結していますね。流れとしては先に独立ありきではなく、働いていくうちにモヤモヤした思いを抱え、同時並行で西村さんや馬場さんの影響を受け、自分の本当にやりたい仕事・働き方に気がついた。そして「日本仕事百貨」をやろうと決めて独立したという流れですね。しかし会社を辞めたときはまだ20代ですよね。不安はなかったですか?

確かに不安はありましたよ。安定的な働く場と収入を捨て、独立した方が状況は厳しくなるのはわかっていましたし、当時考えていた新しいビジネスも本当に成功するかなんてわからない。まったく先の人生が見通せなくなるので、恐い部分もありました。

そのリスクは承知していましたが、でもそれ以上にこのまま会社にいることのリスクの方が大きいと感じたし、このまま会社にい続けたら何十年後かに絶対に後悔するとも思いました。独立を選ぶ方が自分が望む生き方として違和感がなかったんですよね。つまり不安を超えるくらい、やりたい仕事をやりたい、一度独立にトライしてみないと納得できないという思いの方が強かったということです。

その辺は恋愛と同じようなものだと思いますよ。好きな人がいてもそのとき勇気がなくて告白できなかったら、後であのとき告白しとけばよかったと悔やみますよね。もし告白して振られても死ぬわけじゃないじゃないですか。独立も同じで、当時はリーマンショック前で求人もいくらでもあったので、失敗してもなんとかなるかなと(笑)。

最初はブログからスタート

──独立してからはどのような感じで仕事をしていたのですか?

独立したばかりの頃はひとりだし、それほど広いスペースは必要なかったので、知り合いのオフィスに間借りさせてもらいました。構想していた求人サイトはまずひとりでできるところから始めようと思って、2008年8月1日にブログとしてスタートしました。これが現在の僕らの主軸となっている事業「日本仕事百貨」の始まりです。当時は「東京仕事百貨」と名づけました。

日本仕事百貨」。すべてはここから始まった

──なぜブログ名を「東京仕事百貨」としたのですか?

立ち上げ当初にやりたいと思っていたのは、東京のどこかにある、僕自身が納得した商品だけをそろえている小さな百貨店というイメージでした。それで「東京仕事百貨」という名前にしたんです。

でもその後、北海道から沖縄まで、東京以外の地方の求人がどんどん増えて、2年ほど経ったら半分以上を占めるようになってしまいました。サイト名の最初に「東京」とついていると東京近郊限定なんだと思ってしまう人も多く、せっかくの縁や機会を失うことになりかねません。「東京」を外すことで、より多くの人に、変なバイアスを与えることなく、もっといろんな生き方、働き方を伝えたいと思い、2012年に「日本仕事百貨」に改称したんです。

でも実をいうとこういう事態も見越していて、もしかしたらこの先サイト名を変える可能性もあると思っていたので、サイトのurlは"tokyo"も何もつけず"shigoto100.com"にしていたんです。「仕事百貨」だけは変わらないなと思っていたので。現在は海外の企業からの求人広告依頼も増えているので、いろんな人から「そのうち"世界仕事百貨"になるんじゃないの?」とよく言わるんですが、そこは日本でいいかなと(笑)。

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苦しい日々

──立ち上げてからはどういうふうにお客さんを増やしていったのですか?

最初のうちは知り合いのつてを辿って、いろんな会社に「無料で結構ですので僕のブログで社員募集をさせてください」とお願いして回りましたが、無料でもほとんどの会社に断られました。たぶんわけのわからない、どこの馬の骨かもわからない奴には無料だとしても大事な求人広告は出せないと思われていたんでしょうね。媒体も個人がやってる単なるブログですし。

しばらくは苦しい状況が続きましたが、それでもあきらめないで粘り強く営業していると少しずつ求人を出してくれる会社が増えてきました。それにともなって採用に至る募集も増えていき、同時に求人広告の依頼も少しずついただけるようになりました。このような好循環でビジネスとして成立する目処が立ったので、スタートから半年が経った頃に有料にしたんです。

でも有料化したといっても、ひと月に数件なので、「東京仕事百貨」(以下、仕事百貨)だけではとても生活していけるだけの収入は得られませんでした。


──そのとき、やっぱり「仕事百貨」をやめようとは思わなかったんですか?

正直きつかったですが、「仕事百貨」はどうしてもやりたくてやっていることだったので、うまくいかないから、お金にならないからといってやめる理由にはなりませんでしたね。


──「仕事百貨」でお金を稼げない間は生活の糧はどういうふうに得ていたのですか?

「仕事百貨」の仕事と平行して、建築、不動産の仕事をしていました。例えば、店舗を造る案件では、図面を描いたり、設備やインテリア、内装などの提案をしていました。いわゆる設計事務所的な仕事ですね。これらは今まで会社にいたときに仕事として手がけたことはないのですが、基礎的な知識はあったので自分で調べたり人に聞いたりしてこなしていました。あとは他の会社の役員をやらせてもらったり。最初のうちはそんなことをしながら食いつないでいました。

そのうち仕事百貨への掲載依頼が増えて、1年くらいで副業はしなくてよくなりました。


──求人広告を増やすために工夫したことは?

継続しているうちに営業の手法が洗練されていった部分もあるでしょうけど、それよりもいい人材が採用できた会社の人が別の会社に紹介してくれたことが大きいですね。それでどんどんつながっていったという感じです。やっぱり僕ら自身が「仕事百貨はこんなにいい求人サイトなんですよ」と売り込むより、実際に仕事百貨を使って満足していただいた人が勧めた方が説得力がありますからね。そんな感じで1年ほどで「仕事百貨」だけでなんとかやっていけるかなという状態になりました。以降、営業をまったくしなくても売り上げ、利益ともに順調に伸びています。PVは月間60万以上(2013年7月現在)。現在は毎日3件ほど求人広告掲載の依頼をいただいており、月に20~30件掲載してます。

他の求人サイトとの違い

──営業しなくても口コミや紹介で依頼がどんどん舞い込むということは、利用者の満足度が相当高いということでしょうね。他の求人サイトとの違いはどんなところにあるのでしょう。

「仕事百貨」を立ち上げた理由のところでも触れましたが、まず、僕たちはその会社に合う人に応募してもらうために、「その会社で働くということ」をよりリアルに伝えたいんです。記事を読んだ人が実際にその職場に行って働いている人に会って、社内の雰囲気を感じて、さらにその職場でずっと働いていけばどうなるかを想像できるように、複数の社員に長時間インタビューして、仕事にかける思いなどを聞き出し、その会社ではどんな人たちが働いているのか、職場の雰囲気はどんな感じなのかをかなりの分量を割いて書いています。その中には取材者の主観もかなり入っていて、それにより、よりリアルで血の通った記事になっています。

また、いいことばかりではなく、仕事のたいへんな点やつらい点などネガティブな面もできるだけ包み隠さず書いています。それによって求職者が安心して仕事を探せると思うからです。この辺がその他の求人サイトとは決定的に違う点だと思います。

もちろん本当のところは実際に入社してみないとわかりません。でも深く丹念に取材して正確に伝えることで、両者がこんなはずでは...と思うミスマッチのリスクも減らせ、長く勤められる可能性が高まります。それはつまり求人企業側にとってもメリットになりますよね。このことも求人広告の掲載依頼が増え続けている大きな理由のひとつだと思います。

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すべての依頼を受けるわけではない

──それだけ丹念に取材して書く分量も多いと、一件につきかなり時間がかかりそうですね。

はい。取材から掲載まで2~3週間はかかります。求人票に諸条件などの必要事項を書けばすぐ掲載できると思っている人も多いのですが、そのようなリクエストに応えることは不可能です。また、中には仕事百貨ではお役に立てないと思うような求人案件もあります。その場合は正直に伝えてお断りします。そういうケースも少なからずありますね。お金さえいただいたらどんな求人でも掲載するわけではないというのも、他のサイトとの大きな違いかもしれませんね。


──他の大手求人サイトのように、採用が決まったら別途報酬を請求するということはないのですか?

成功報酬はいただいていません。もしそれをしてしまうと、強引にでも採用を成功させようとして、編集するときに無意識にバイアスが働いてしまう危険性が生じてしまうからです。その結果、ミスマッチが起こるかもしれない。それだけは絶対にしてはならないことなんです。

もちろん、成功報酬をありにしても、うちの場合はそうはならないという自信はありますが、今月どうしてもあとひとり決めたいという状況になったときなど、スタッフ全員が絶対に少しも揺らがないとは断言できません。人間って弱い生き物ですからね。だから僕らはあくまで求人広告として広告料のみをいただくというスタンスでやっているんです。


──求人広告の掲載期間はどれくらいなんですか?

2週間です。だいたい1件の求人に対して平均で32人の応募があります。しかも普通の求人サイトよりも文章が長く、それを全部読んだ後にようやく主要条件にたどり着けます。サイト内で検索する機能もあえてつけていませんし、ある程度しっかり会社や仕事のことを理解しないとエントリーできない仕組みになっています。会社のことがよくわからないままエントリーする人はほぼいません。ゆえにほとんどの求人企業が2週間ほどで採用したい人に出会えているのです。

しかし、例外的に、応募者数が少ないときには無償で掲載期間を延長したり、もう少し様子を見たいという会社に対しては有料で延長、再掲載をすることもあります。その辺は柔軟に対応しています。

社名に込めた思い

──中村さんは独立して2年後の2009年10月に株式会社「シゴトヒト」を設立していますが、法人名を「シゴトヒト」にした理由は?

ひとことで言えば、仕事と人の間に立って、両者をつなげることを基本的な事業にしたいと思ったからです。事実、「仕事百貨」を含め、現在僕らが手がけているのはすべて仕事と人をつなげるプロジェクトです。

「シゴトニン」となると急に職人的な、あるいはワーカホリックなイメージになっちゃいますよね。「シゴトビト」でもなんかしっくりこない。「シゴトヒト」なら仕事と人の関係性がフラットで中性的で音的にもいいかなと思って。


──中村さんの経営理念、あるいは経営哲学は?

正直、「経営理念」としてあまり深く考えたことはないですが、大事にしていることとしては例えば、代表の僕含め現在契約しているそれぞれのスタッフが自分の意志で自由に働くというのがあります。

新しいオフィスでスタッフたちと(このインタビューは引っ越し当日に行われた)

経営者として持続可能な事業をしていかなければならないと思っていますし、そのためにはお金が必要なのはよくわかっています。でも、何よりも重要なのは、その事業を自分たちがやりたいことかどうかです。本当にやりたいと思うことなら儲からなくてもやるというスタンスです。

また、経営理念とは違うかもしれませんが、仕事をする上で大切にしていることは、利用者も自分も裏切らないということです。特に自分を。お金さえいただいたらどんな求人でも掲載するわけではないというのも、自分に嘘をつきたくないからです。最終的な決裁権は自分たちにあるという、自分のことを信じることができるような働き方なので、精神的に非常に健康でいられます。自分の仕事に納得できますからね。

そんなスタンスで仕事をしていると急激な需要の広がりはないでしょうけど、少しずつでも着実に確実に広がっていくと信じています。だから今後もそこだけはぶらさないでいこうと思っています。


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