2015年8月アーカイブ

留職で人の可能性を信じ、挑戦を応援[後編]

教師になる予定が......

──後編ではまず小沼さんがクロスフィールズを立ち上げるまでの経緯を教えてください。そもそも学生の頃からビジネスと社会貢献をつなげるような活動をしたいと思っていたのですか?

小沼大地-近影1

いえいえ、大学を卒業したら教師になるつもりでした。小中高といい先生に巡り会えたことと、高校時代に『陽のあたる教室』という映画を観て、教師って人の人生にこんなにも影響を与えられるんだと感動して、僕も教師になりたいと思ったんです。


──どんな教師になりたいと思っていたのですか?

中高時代は野球部、大学はラクロス部に所属して、顧問の先生からかなり影響を受けたので、僕も将来は学校の部活動の顧問になりたいと思っていました。それで大学では教職過程の単位を取り、教員免許を取得しました。


──それなのに教師にならなかったのはなぜですか?

僕が取ったのは高校の社会科の教員免許だったのですが、僕自身が社会を知らないまま生徒に社会科を教えるというのはどうなんだろうと疑問を感じました。それでまずは社会に出てみようと。一般の企業に就職するのもよかったのですが、普通ではなかなか見られない変わった世界を見てみたい、おもしろいことを経験してみたいと思っていました。そんなある日、電車に乗ったとき青年海外協力隊募集の中吊り広告が目に止まりました。それまでは青年海外協力隊には全く興味がなかったのですが、こういうのもちょっといいかもと興味を引かれ、JICA(国際協力機構)が主催している青年海外協力隊のOBと触れ合える会に参加してみたんです。そして、出会ったOBの方が最高にカッコいい方で、僕もそんな大人になってみたいと隊員への参加を決めました。大学卒業後、大学院に進学すると同時に、休学して中東のシリアに赴任することになったんです。


──そのとき電車の中吊り広告で青年海外協力隊を見なかったら人生変わっていたかもしれませんね。

小沼大地-近影2

確実に変わってましたね。今頃どこかの学校の先生をしていると思います。でも、実は今も教育に携わっている気持ちではいるんですよ。もともと僕は人に影響を与えたいという想いから教師を目指していました。振り返れば協力隊での経験こそが自分に一番影響を与えたなと感じるので、協力隊のような経験を誰かに提供することこそが、もっとも人に影響を与えられる手段だろうと。そう考えて今、クロスフィールズという組織で、僕が教師としてやりたいと思っていたことを全部やるつもりで、こうして事業に取り組んでいるんです。

青年海外協力隊員としてシリアへ

──協力隊員としてシリアではどんな活動を?

活動の前半は、人口2000人ほどの村に住み込んで、貧困層向けに低金利で融資を提供するマイクロファイナンスの事業に携わっていました。本当は環境教育の業務を行うはずだったのですが、配属されたNGOで環境分野の活動はストップしていて、「おまえはいったい誰だ?」と言う状態でした。そりゃあびっくりしましたよ。僕は一体何しにシリアに来たんだって(笑)。ただ、それでも必死に活動をして、マイクロファイナンスの活動でも成果をあげていたとは思います。

ただ、青年海外協力隊事業を手がけるJICAとしては、やはり環境の仕事をしてほしいということで、配属先のNGOを変更にすることになりました。まだ任期はかなり残っていたので、自分で環境教育活動の企画書を作成してシリアの民間企業やNGO、政府組織に片っ端から飛び込んで、こういう活動をやらせてほしいとプレゼンしました。すると首都ダマスカスの環境局が採用してくれて、現地の小中学生向けの環境教育プロジェクトを一緒に作れることになったんです。それからはいろいろ試行錯誤が続いたのですが、僕の後にも後任の隊員が何代かにわたって派遣されていましたし、そういう意味では何らかの結果は残せたのではないかなと。

青年海外協力隊としてシリアで環境教育活動に取り組んでいた小沼さん

青年海外協力隊としてシリアで環境教育活動に取り組んでいた小沼さん

──全然知らない国で、自分で仕事を作って働き口を見つけてきっちり結果まで出すってすごいですね。「話が違う」と何もしないでそのまま任期をやりすごす人もいると思うのですが。

逆に、予定通りにいかないことが多発するのが、青年海外協力隊のいいところだと思うんです(笑)。もちろん僕に起きたことは客観的にみたら最悪といえる事態だったかもしれませんが、それを最悪で終わらせるかどうかは自分自身の問題。そういう最悪の事態を成長のチャンスと捉えることができる人にとっては、こんなにいいプログラムはないわけです。

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人生を変えたシリアでの経験

──シリアでの活動で得た収穫は?

小沼大地-近影3

僕の人生を変えるほどのたくさんの収穫がありましたが、一番大きかったのは、働く喜びや幸せの価値観をシリアの人たちに教えてもらったということですね。シリアに行く前は、いい学校に行っていい会社に就職すれば幸せになれるという価値観や、経済が発展している富める国が貧しい国を救ってあげるという図式でしか世界を見ていなかったのですが、それが見事に壊されたんです。

実際、最初は「よし、困っているシリアの人たちを助けてあげるぞ」という気持ちで行ったのですが、逆に助けられることの方が多かったし、僕たちより彼らの方が幸せそうに暮らしていることに衝撃を受けました。仕事に関しても、何のために働くかという「働く意義」をしっかりと自覚していて、多くの人が、生き生きと自分の仕事の意味について語っていました。そんな彼らを見て、価値観やものの見方が逆転したわけです。確かに経済的な軸だと日本が優っているけれど、幸せ軸ではシリアが完全に上だと感じました。そのとき、正しいことというのは1つじゃないし、価値観の物差しは沢山あるんだなと思ったんです。

もう1つ、赴任先のNGOで、ドイツの経営コンサルティング会社からプロボノとして派遣されてきたドイツ人経営コンサルタントたちと出会ったことも、その後の僕の人生に大きな影響を与えました。僕は教師になるつもりだったので、ビジネスには全然関心がなく彼らの役割も知りませんでした。でもそのドイツ人たちはコンサルタントとしてのスキルを使ってNGOの経営課題を次々と解決していったんです。その光景を目の当たりにしたとき、ビジネスというものが社会貢献や国際協力の世界でも価値を発揮できるんだと衝撃を受けました。

そして、はじめはクールに仕事をこなしていたコンサルタントたちも、現地の情熱あふれる人たちとともに社会課題に向き合ううちに、その情熱が伝播して、彼らもまたより目を輝かせて仕事をするようになっていったんです。そんな彼らの様子を見て、「ビジネスと社会貢献の世界をつなぐことで、新しい価値が生まれるかもしれない」と思い始めました。これがクロスフィールズを立ち上げて留職プログラムをスタートさせる原点となったんです。

コンパスポイント設立

──帰国後はどうしたのですか?

小沼大地-近影4

2年間の任期を終えて帰国したときの僕はシリアでの衝撃的な経験ですっかり興奮状態。これを早く大学時代の友人たちに話したいとみんなを集めて居酒屋で熱く語りました。みんなも興奮して聞いてくれると思っていたのですが、彼らはすでに大企業に就職してサラリーマンになっており、「こっちは毎日の激務でそれどころじゃないよ。いいよなお前は、いまだに夢ばかり語っていられて」みたいなしらけムードに。ほとんどの友人にはまったく響かず、逆に引かれてしまいました。学生時代は「社会を良くしよう」とあんなに熱く語り合っていたのにと、かなりショックを受けました。

でも中には「確かにお前が言っていることは正しい。そんなことは忘れかけていた」と言ってくれる友人もいて、その友人たちと定期的に居酒屋に集まって熱いことを語り合おうという話になりました。この会を「コンパスポイント」と名付け、2007年12月に活動をスタートさせました。最初のうちは飲み会レベルだったのですが、同じような想いを持つ仲間たちが徐々に集まってきて、社会起業家などを会に呼んで話を聞くという勉強会のような形に発展していきました。

コンパスポイントで主催していた勉強会の模様

コンパスポイントで主催していた勉強会の模様

同時に、シリアでの経験を通じて抱いた「社会活動とビジネスをつなぎたい」という夢を実現するためには課題解決能力を身につけなければと思い、コンサルティング会社に入社しました。その就職活動の過程で後にクロスフィールズを一緒に立ち上げることになる松島由佳と出会い、意気投合。彼女とは何かの縁があると直感的に感じて、コンパスポイントの活動にも巻き込みました。

コンパスポイントの活動を始めたのは僕が就職する直前だったのですが、コンパスポイントを立ち上げた最大の理由は、僕自身が就職して情熱を失うのが恐かったからかもれません。会社で働くのは3年間だけと決めて面接でもそう公言していましたが、このときは将来的に起業しようとは全く思っていませんでした。

コンサルティング会社で得たもの

──外資系の戦略コンサルティング会社に入ってどうでしたか?

小沼大地-近影5

すごくよかったです。3年間という短い期間ではありましたが、問題解決のスキルを身につけられたし、自分よりも数十倍も優秀な人たちと一緒に仕事をするという刺激が常にありましたから。


──コンサルティング会社で働いているときは現実的に起業を考えていたんですか?

そうですね。入社2年目にアメリカに滞在していた際、複数の現地のNPOを訪ねて、いろんな人に話を聞いて、初めて自分自身で事業モデルを書くという経験をしました。その頃ですね、自分で団体を立ち上げることを意識し始めたのは。

当時、コンパスポイントも立ち上げから3年が経過した頃で、そろそろイベントを開催するだけではなくてもう一歩先に進んだことをしようと、NPOの活動を支援するプロジェクトをスタートさせました。支援したのは世界の食の不均衡をなくすというコンセプトで活動している団体で、松島がリーダーとなって最後までやりきりました。

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退職メールを書いているときに大震災が

──その経験は留職で起業することにつながっているのでしょうか?

小沼大地-近影6

つながっています。ビジネスで培ったスキルを活かしてプロジェクトを成功させ、NPOの活動に貢献できたことに自信を深めて、「NPOとビジネスがつながる機会をもっと増やしていきたい」という想いをさらに強くしました。また、プロジェクトに参加していたメンバーたちが自分のスキルを活かして世の中の問題解決に貢献することで、彼ら自身も生き生きしているのを間近で見て素晴らしいと感動しました。

一方で、僕の青年海外協力隊の経験との違いも感じました。会社終わりとか土日だけ片手間でボランティア活動をするのと、数ヶ月~数年というロングスパンで現地に滞在し、100%の時間を使って全力で取り組むのとではコミットのレベルが違うので、やはり後者の方がより人が変わる「原体験」になりやすいだろうなと感じました。だからボランティア活動やプロボノ活動の発展形として、現地NPOに数ヶ月間出向して100%全力で支援活動に打ち込む留職の仕組みを作ろうと考えたのです。

そういったことを含め、コンパスポイントのメンバーで起業について話し合い、2011年3月初め頃に現在のクロスフィールズの構想がおぼろげに固まりました。そしてメンバーの中でも中心的だった僕と松島の2人でまずはクロスフィールズを立ち上げようという話になり、予定通り3年で勤めていたコンサルティング会社の退職を決めました。しかし、退職のメールを書いていたその瞬間に東日本大震災が起こったんです。

大震災を乗り越えて起業

──大震災で予定が大幅に狂って大変だったのでは?

翌週以降のスケジュールは全部白紙に戻りました。とにかく自分たちの事業はいったんストップして被災地の支援をやろうと、緊急支援のNPO団体のスタッフとして2ヶ月間、被災地向けに物資輸送をする活動に従事しました。このときほど寝ずに仕事をしたことはないというほど、この活動には全力で取り組んだことを覚えています。

そして5月の連休に東京に戻り、松島と事業計画を改めて練り直し、2011年5月3日にようやくクロスフィールズを創業したんです。

クロスフィールズを創立した頃。共同創立者の松島さんと

クロスフィールズを創立した頃。共同創立者の松島さんと

100社以上に断られる

──立ち上げてからはどうでした? 留職というこれまでにないプログラムを企業はすんなり受け入れてくれたのでしょうか。

やはり立ち上げからしばらくは厳しい状況が続きました。仲間や知り合いのつてをたどって100社以上の企業を訪問しプレゼンしたのですが「前例がないから導入できない」と断られ続けました。でもコンパスポイントの仲間たちが「うちの会社にも提案しよう」「うちの人事を紹介するよ」と、次々と僕らに企業を紹介して励ましてくれたんです。このとき心が折れなかったのは本当に彼らのおかげですね。

突破口となったのは、営業に行ったある企業の方のひと言でした。留職は現在は海外の団体への派遣が主ですが、そもそもは国内にこそ深刻かつ大きな課題たくさんあるので「青年"国内"協力隊」という名称で、それに挑戦し解決していく人たちを増やしたいと思っていたんです。今でこそ「地方創生」という文脈でかなりニーズが高まってはいますが、私たちが起業した2011年当時はそのことを企業にいくら訴えても「何を言っているんだ。それで人がどう育つのかわからないし、会社にとって何のメリットもないじゃないか」と全然相手にしてくれませんでした。もう本当にニーズがなかった。でも何度も企業に足を運んで説明していく中で、ある企業の人事部の方から「今企業に求められてるのはグローバル人材だと言われてるから、海外への派遣だったらありえるんだけどね」という言葉をいただけたんです。

クロスフィールズのスタッフと一緒に

クロスフィールズのスタッフと一緒に

それを聞いた時、なるほどそうかと思わず心の中で膝を打ちました。国内でも海外でも留職の基本的なコンセプトは同じで、大事なのは参加した人が既存の企業の枠組みの中から外に出て社会の課題と向き合い、会社のリソースと自分のスキルを使って現地のために何ができるのかを考え、行動するということなので。むしろ海外の方が挑戦のフィールドがより広がるし、文化の違いもわかりやすい。その分、赴任した本人はより多くの刺激を受けて、激的に変化する可能性が高い。だからまずは海外でやってみようとプログラムを作り直して再び企業をまわり始めました。

小沼大地-近影7

そんな中、プレゼンに行ったパナソニックさんで「仕事を通して途上国の課題を解決したい」という想いを持つ社員に出会いました。彼らに留職のコンセプトを熱く語ったところいたく共感して、彼ら自身が社内で留職の導入を働きかけていただきました。そのおかげで立ち上げから約1年の2012年2月、ついに初めて留職を導入していただけたんです。このときはすごくうれしかったですね。これ以降、これまでの苦労がウソのようにどんどん導入してくださる企業が増えていったんです。留職導入第1号になっていただいたパナソニックさんはもとより、海外でやった方がいいんじゃないかとアドバイスいただいた方に深く感謝しています。

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今後の展望

新興国での活動を通して大きく成長する留職者たち

──今後の展望を教えてください。

それをまさに今、団体の中で再構築していこうとしているところです。方向性はいくつかありますが、1つはターゲットを広げるということです。これまでは比較的若手の社員向けにプログラムを提供してきたのですが、今後は経営幹部向けのプログラムを作っていきたいと考えています。実際、まさに今、いくつかの企業において、経営幹部が新興国のNGOをめぐるスタディツアーのようなことを企画しています。

また、プログラムの価値を突き詰めることも大事だと思っています。人材育成だけが留職の価値ではなく、そこから新しい事業やコトが起きる可能性だってあるはずです。そういう観点で、より新しい価値を生み出せないかという挑戦をしていく予定です。


──今後国内での留職を増やしていくお考えは?

国内でのプロジェクトは2014年から着手しています。もちろん今後増やしていく考えがありますし、実際に増えています。先ほどもお話しましたが、そもそも国内と海外との分けが本質的なものではないと今でも思っているので。

新興国現地NPOのスタッフと

新興国現地NPOのスタッフと

仕事と家庭のバランス

──日々の働き方ついて教えてください。現在ご家族は?

結婚していて、もうすぐ2歳になる娘がいます。


──仕事と家庭のバランスは?

小沼大地-近影8

うちの奥さんはキャリア志向で今もバリバリ働いているのですが、彼女の仕事上の挑戦を応援したいという気持ちが強く、子育てなどはできる限り分担してやるようにしています。保育園の送り迎えも、日によって担当を分けながら協力してやっています。土日は仕事が入ることもありますが、何もなければできるかぎり家族で過ごすように心がけています。とはいえ、それがなかなかできずに怒られていたりもするのですが...(笑)。

そもそも僕は仕事と家庭をあまり分けて考えていないんですよね。妻が生き生きと働くということは、広い意味では僕がクロスフィールズの活動を通して目指している世界と合致するので、まずは一番身近なところからやっていこうと。それができなければ自分のやってることに説得力をもたせることができませんからね。


──小沼さんにとって働くということは?

自分の志を体現することです。今は幸いにも、まさにこのために生きていると思えることを仕事にして取り組めているので、いろいろ大変なことがあっても乗り越えられるんですよね。

幸福は後から振り返ったときに感じるもの

──現在大きな理想に向かって突き進んでいるわけですが、小沼さんご自身は今、充実感や幸福感は感じていますか?

小沼大地-近影9

今が充実しているとか幸せを感じているというのとはちょっと違うと思いますね。幸せというのは振り返ってから感じることなんじゃないかと。例えば創業期は、「この先、生活していけるかすらわからない」という悲壮感に支配されていたけれど、今振り返れば「あの時はがむしゃらで楽しかったし、幸せだったなぁ」となります。同じように、現在はこれからの組織のあり方や事業を再構築していくことに悩み苦しんでいる時期ですが、2、3年後に振り返ったとき、あのときの苦しみは健全な苦しみだった、幸せだったと感じるでしょうね。

ただ1つ、確実に言えるのは、常に困難に逃げずに向き合ってはいるので、自分自身に後ろめたい気持ちはないですね。志や使命から逃げたら一番後悔すると思うので、今、後悔しない生き方をしているという自負はあります。これからもどんなに苦しくても自分自身に恥ずかしくないように、誠実に生き、働いていきたいと思っています。

留職で人の可能性を信じ、挑戦を応援[前編]

留職とは

──クロスフィールズのメイン事業である「留職」とはどのようなプログラムなのですか?

小沼大地-近影1

企業で働いている人が新興国のNGOやNPOなどへ赴任し、数ヶ月間にわたって、本業で培ったスキルを活かして現地の人々とともに社会課題の解決に挑むというプログラムです。海外に留まって学ぶ「留学」になぞって、海外に留まって職務を遂行するという意味で「留職」と名づけました。我々クロスフィールズは赴任先の国の団体と社員を送り出す企業とをつなげる架け橋としての役割を担っています。

2012年2月、パナソニックさんに最初に導入していただき、現在(2015年5月)までにアジアの途上国8カ国の団体に、20社以上、約70人の方々の留職を実現してきました。


──留職を導入している企業で特に多い業界・業種は?

留職第1号がパナソニックさんだったので最初の頃は電機メーカーが続きましたが、現在ではシステム会社や自動車メーカー、食品メーカー、医療機器メーカーなどのメーカーや、大手広告会社、人材会社、教育産業など業界・業種の裾野が広がっています。

インドの社会的企業に半年間留職したNECの研究者

インドの社会的企業に半年間留職したNECの研究者

──参加者の年代は?

20代から50代まで幅広い年代の方が参加していますが、最も多いのは30代で、全体の約6割を占めています。留職は現地に貢献することが最低条件なので、何かしら「これができる」という経験と自信のあるスキルをもっていることが求められることもあり、あまりに経験の少ない若手の方が参加するということは推奨していません。

また、単にスキルをもっていればいいというものではなく、現地では困難なことが待ち受けているケースが多いので、往々にしてその自信が打ち砕かれます。ただ、その経験こそがリーダーシップを育む上では不可欠だと考えています。そういう意味でも、新人クラスではまだ打ち砕かれるだけの自信をもっていないので難しいのです。

自信が打ち砕かれることが重要

──自信が打ち砕かれることが大事なのですか?

小沼大地-近影2

多くの大企業では社内で評価されているのは、新しいことにどんどん挑戦していくタイプではなく、上から指示されたことをちゃんとこなして失敗しないというタイプなんですね。つまり、できそうなことと難しそうなことがあれば、極力自分にできそうな仕事ばかりを選んできたから成功してきたというタイプが多いんです。しかし、留職で現地に行くと沢山のできないことにぶつかります。そういう不確実性の高い状況の中でも問題解決に挑戦してもがき、最後まであきらめずに結果を出すというプロセスの中で人として大きく成長できます。それがこの留職プログラムの神髄なのです。


──確かに途上国は日本とは環境が全然違うので、日本ではやれることも現地ではやれないという状況も多いでしょうね。そういう状況の中で挑戦することでより成長できるということなのでしょうか。

僕らは「枠を超える」という言葉が好きでよく使っていて、そうした経験こそ、人が劇的に成長する鍵だと思っているんですね。でも日本の企業で働く人たちは会社の枠、既存事業の枠を超えて挑戦することは大変そうだし失敗するリスクも大きいから、今ある仕組みや製品を改良はするけど大きくは変えたくないという人が多い。特に大企業の場合は減点主義で失敗したら降格されたり出世の道が閉ざされてしまうから枠を超えることを恐いと思っている人がけっこう多いんじゃないかと感じていて。

だからそういう枠が一切ない海外へ行って、挑戦する楽しさ、枠を超えることで成長する喜びを感じて日本に帰ってきてほしい。そして企業内の枠、自分自身の枠の存在に気づいてその枠を壊す存在になってほしいという気持ちでこの留職プログラムに取り組んでいるんです。

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留職を通して目指していること

──そもそも小沼さんが留職を通して目指していることとは?

クロスフィールズのスタッフの皆さん

クロスフィールズのスタッフの皆さん

我々が目指している世界観は大きく2つです。1つは、たくさんの人びとが社会とのつながりを感じながら目をキラキラさせて自分の仕事に打ち込んでいる世界を作りたいということ。その仕事は必ずしも直接的に社会の課題を解決する必要である必要はありません。自分の仕事に対して誇りをもちつつ、自分の仕事を「志事」、すなわち志を体現する事ととらえ、何のためにこの仕事をしているのかを理解し、これが本当に自分のやりたいことなんだと思って仕事に打ち込んでいる状態の人を増やしたいんです。


──留職を経験することによってなぜ働く人の目がキラキラになるのでしょう?

僕がこのプログラムを始めたきっかけは、大企業に就職した友人たちが急速に熱意を失っているさまを目の当たりにしたことです。僕は大学卒業後、青年海外協力隊の隊員として途上国に2年間赴任したのですが、帰国後同世代の友人に会ったとき、学生時代のときのような元気が失われていて、途上国の人たちの方が圧倒的に幸せそうに生きていると感じました。それはどうしてなんだろうと今日まで突き詰めて考えているんですが、最近なんとなく答えが見えてきたんです。

インドの社会的企業に留職する日立製作所のエンジニア

インドの社会的企業に留職する日立製作所のエンジニア

大きな組織で働いている人ほど、最終的に社会との接点をもつ機会が奪われてしまっていることに原因があるんじゃないかと。つまり、組織が大きくなればなるほど分業制が加速し、仕事が細分化されるので、働いている個人と社会との接点が減り、自分の仕事に対して誰かからありがとうと言われる機会がほぼなくなっている。そのため自分は誰のため、何のためにこの仕事をしているんだろうという、自分の仕事の意義がわからなくなっている。それがグローバル化やIT化によってより加速され、多くの人びとが仕事に対する熱意やモチベーションがもてず、目の輝きも失っている。これが現在の日本をはじめ世界の先進国の状況だと思うんですね。

そういう人たちを、ある日突然途上国のしかも小さな団体に送り込むことにより、全身で社会と接する経験をもてるということが、留職プログラムの価値なのです。大企業の中に埋もれて働くことの意義を失っている状態から現地に行くと「日本から来たビジネスマンにこれをやってほしい」と全力で期待される。本人もその期待に応えたいと思うけれど、最初は勝手が違いすぎるし日本では考えられない問題も頻発するから不安で逃げ出しそうになる。それでも現地の人たちのために何とか役に立ちたいと肚(はら)を決めて踏ん張って、困難を克服して、最終的には結果を出して現地の人たちからありがとうという言葉をもらう。そのときに自分がした仕事、あるいは自分が培ってきたスキルは社会とこういうふうにつながっているんだということをまさに身をもって実感する。そして帰国しても会社という組織がどういうふうに社会に貢献しているかということが想像できるようになるので、仕事そのものは変わらないけれど、社会との接点と仕事に対する姿勢が変わる。だから自ずと人柄が変わり、仕事が志事に変わる。結果、目をキラキラさせて働くようになるというわけです。

小沼大地-近影3

もう少し大きな視点で言うと、日本と途上国の良いところと足りないところのバランスを取りたいと考えています。途上国の人たちは自分のコミュニティや自分の住む国をよくしていきたいという情熱をもって働き、結果、仕事に対して楽しさや幸福感を抱いています。ただ、途上国の特に農村部には発展するためのリソースや経済力は圧倒的に不足しています。日本は真逆の状況で、技術力などのリソースや経済力は豊富ですが、一方で、多くの人びとは生きる意味、働く目的を見失っているように感じます。そのお互いに足りない部分を補完し合う、つまり「想い」と「技術」を取り引きすることによって、世界の不均衡をなくしたい。これが僕たちのやりたいことなんです。


──2つ目の目指していることとは?

現在日本にはさまざまな社会問題がありますよね。しかもどれも深刻で行政の力だけでは解決が難しくなってきていて、NPOの役割に注目が集まっています。ただ、NPOは社会問題を解決したいという志は強いけれどヒト・モノ・カネのリソースが少ない。そこに豊富なリソースをもつ企業や行政が入ってきて力を合わせれば問題を解決できる可能性はぐっと高まります。だから行政、企業、NPOの3つのセクターが連携しながら一緒に課題を解決していくという世界を創りたいんです。

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4つのフェーズ

──留職は具体的にはどうのように運営しているのですか?

大きく4つのフェーズがあります。まず1つ目のフェーズは「企画設計」。留職プログラムの導入を考えている企業の担当者と一緒に、留職を導入する意義、展開方法などを検討します。導入が決定したら、面接などのプロセスを経て留職者を選定します。そして、その留職者のもっている経験やスキルに応じて、実際に留職する現地の組織とそこでの業務内容を調整していきます。企業の担当者と一緒に協議し、派遣元企業と、留職する先の団体の双方のニーズに沿った設計をします。この両者のマッチングが留職最大のポイントなので、うちのプロジェクトマネージャーが現地に実際に行って、派遣先の団体の人と話して双方にとってメリットがあるかを見極めます。

クロスフィールズのスタッフが現地NGOを訪問し徹底的に調査する
クロスフィールズのスタッフが現地NGOを訪問し徹底的に調査する
クロスフィールズのスタッフが現地NGOを訪問し徹底的に調査する

クロスフィールズのスタッフが現地NGOを訪問し徹底的に調査する

2番目は「事前研修」。出発前に1~3ヶ月程度の間で計3回、日本国内で実施します。研修では留職先の地域や組織についての情報を知るとともに、留職先の組織が抱える課題と業務内容に対して理解を深めていきます。また、現地業務に向けて留職者が自身の成長目標の設定も行います。

そして3番目はいよいよ「現地業務」。約1~12ヶ月間、留職先団体の職員として、社会課題の解決に向けた実践業務に従事します。留職者が本業で培ってきたスキルを最大限に活用し、配属された機関の現地スタッフの方々とともに一丸となって目標に向かって業務を推進していきます。これまでたくさんの方々が数々の目覚ましい成果を挙げています

任期を終えたら帰国となりますが、まだ終わりではありません。最後のフェーズ「事後研修」では、1~2ヵ月間で、事前研修で設定した業務面・個人成長面での目標に対する達成度合いを振り返った上で、得たものをどのように今後の業務にどう活かすかを議論していきます。さらに、プログラムの成果については、最終報告会を実施し、留職者の上長や社内の関係者に対して活動の成果を発表して頂き、一連の留職プログラムは終了です。

単に留職者を現地に送るだけではなく、現地に行く前から帰ってきた後まで、キメの細かいサポートをすることによって、現地活動の成果を会社での本業に活かせる形でフィードバックする仕組みがあることが、留職の最大の特徴だと言えるのです。

あらゆるプロセスで熱を起こす

──留職を運営する上で大事にしていることは?

小沼大地-近影4

一番大事なのは、この4つのフェーズを含め、あらゆるプロセスの中に熱を起こすということです。企画設計のさらに前段階、留職に興味をおもちの企業に留職についてお話するときも、とにかく熱のある企業の方々とお付き合いすることを心がけています。単に巷にあふれるグローバル人材育成プログラムの中で、「とりあえずどれでもいいや、あ、何となくこれなんかいいかも」という程度の気持ちで問い合わせをしてくる企業は、こちらからお断りしています。それではたとえ留職を導入したとしても期待する成果は得られないと思うからです。

ですので、本気で会社を変えたいと思っていて、そのために留職プログラムをぜひ導入したいと熱く語る企業の担当者とお付き合いさせていただくようにしているのです。


──企業側の留職導入の目的、あるいはメリットにはどのようなものがありますか?

導入いただいた企業の方からよく聞くのは大きく3つあります。1つはこれまで話してきたような「リーダー育成」です。多くの会社はグローバルな環境で活躍できるリーダーの育成に対する投資という意味で導入しています。未知の国で自らゴールを設定して最後までやりきるという、通常業務ではできない修羅場経験を通して大きく成長し、帰国後にも活躍している社員が多いようです。

2つ目は「現地の理解」。留職は、自社の現地法人で働くのとは全然違って現地の人と一緒になって課題解決に取り組むので、現地のことを肌感覚で理解することができてよかったという声をたくさんいただきます。

3つ目は「組織活性化」です。留職から帰ってきた人は非常にイキイキして帰国するので、社内での働き方がこれまでとはガラッと変わり、それが周囲にいい影響を与えることが多いようです。

インドの衛生環境改善を支援するNGOに留職したパナソニックの社員

インドの衛生環境改善を支援するNGOに留職したパナソニックの社員

──留職を通じて事業拡大につながったというケースは?

最近、留職プログラムに紐付いて新規事業が立ち上がったという企業の例も出てきていて、我々としてもうれしい限りです。それにともない、人材育成に加え、留職を機に途上国市場を攻めたいというビジネス寄りのニーズをもった企業が増えてきました。それに応じて我々も個人の成長、リーダーシップ育成という観点からさらにもう一歩進んで、留職が新規事業につながっていく仕掛けをもう少し入れていきたいなと考えているところです。

また、最近は認知度が少し上がってきたのか、採用面接で「御社が導入している留職にぜひ参加してみたい」という学生もいると人事の方から聞きました。優秀な学生を獲得できるというメリットがあるとも言えそうです。

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大手食品会社の30代の研究職の場合

──印象に残っている留職の具体的なケースを教えてください。

小沼大地-近影5

最近ではハウス食品グループ本社さんの30代の研究職の方のケースが印象に残っていますね。人ってこんなに変われるんだと驚きました。彼は入社以来10年間、研究所で業務を行ってきたのですが、自分はこのままでいいのだろうかという疑問をもち、インドネシアのNGOへの3ヶ月の留職を決意します。

「食」という観点で、インドネシアの農村部に暮らす人たちの収入向上に貢献するというのが彼に与えられたミッションでした。これまで身につけたスキルを使って頑張るぞとやる気に燃えて現地に赴任したのですが、赴任早々打ちのめされます。当然あると思っていた研究設備などあるはずもなく、あったのはコンロと包丁と鍋だけ。最初の1ヶ月間は何もできなくてずっと苦しみ続けていたそうです。それでも彼はあきらめずにもがき続け、不安な状況の中で試行錯誤を重ね、最終的にはある農作物をお茶とドレッシングに加工するという2つの試作品を完成させることに成功しました。その製品の作成方法を伝授するワークショップまで開催し、しっかりと現地に引き継がれました。自分たちの力では想像もできなかった製品ができたことで村人たちはとても喜び、彼にとても感謝しました。彼自身も村人の笑顔に仕事の喜びを感じつつ帰国しました。

グアバの商品開発に挑戦したハウス食品グループ本社の研究者
グアバの商品開発に挑戦したハウス食品グループ本社の研究者
グアバの商品開発に挑戦したハウス食品グループ本社の研究者

グアバの商品開発に挑戦したハウス食品グループ本社の研究者

帰国報告会での自信と誇りに満ちたプレゼンを聞いて、彼の変わりように上司や同僚みんなが驚いていました。彼はインドネシアでの留職で得た圧倒的な原体験によって枠を超え、自信をつけ、大きく変わったわけです。彼の話を聞いて僕自身も非常に感動しましたし、このプロジェクトに携わったクロスフィールズの職員は涙を流しながら聞き入っていました。
(このプロジェクトについての動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=n9JiYag2QZg&feature=youtu.be)

「人の可能性を信じ、挑戦を応援する」

──すごいですね。留職でこんなに劇的に人間性そのものが変わる人もいるんですね。

小沼大地-近影6

去年(2014年)、「CROSS FIELDS WAY」という行動指針をつくり、職員全員で話し合って、我々が大事にしたい価値観9つを明文化しました。その中に、「人の可能性を信じ、挑戦を応援する」というものがあります。僕たちにとっては、企業が留職の導入を決めてくださって事業が大きくなることよりも、留職された方が自分の枠を超えて大きく成長するのを目の当たりにする瞬間とか、最後に留職に参加してよかったと言ってくれるのが、何よりもうれしいのです。それがこの仕事の最大のやりがいでもあります。


──小沼さんのクロスフィールズの代表としての仕事・役割は?

僕の重要な役割の1つはクロスフィールズのビジョンを対外的に発信していくことだと思っています。例えば企業への営業活動や講演活動、それからこういった取材対応などですね。あとは組織全体が進むべき方向性を決めたり、経営戦略を練ったりという部分はいわゆる企業の経営者と同じですね。特に現在は組織が拡大している真っ最中なので、どうすればいい組織・事業を作ることができるのか、日々悩み苦しみながら取り組んでいるところです。

ズームアイコン

講演のオファーも多い

ズームアイコン

主催フォーラムを終え、特別顧問の米倉誠一郎氏や登壇者の方々とともに

──現在職員は何人ほどいらっしゃるのですか?

徐々に増えて現在は正職員が13人になりました。全員中途入社で、留学や国際協力・海外ボランティアの経験がある人が多く、職歴としては、コンサルティング会社や商社の出身者が多いですね。


──仕事をする上で大事にしていることは?

先ほどもお話しましたが、そもそも人が劇的に変わる瞬間に立ち会えたり、そこに仕事として自分が携われることが重要だと考えています。ですので、仕事でもプライベートでも、誰かと接するときでも、真摯にその人を鼓舞するようなコミュニケーションを取るということを心がけるようにしています。


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