2013年11月アーカイブ

馬搬文化の継承・発展に取り組む[後編]

馬搬はポケットモンスターのようなもの

愛馬・サムライキングとうまくコミュニケーションを取り、木を運搬する岩間さん

──「遠野馬搬振興会」ではどんな思いでどんな活動に取り組んでいるのですか?

さまざまなイベントや研修会などを開催して、日本での馬搬振興に取り組んでいます。近年、自然との共存やエコという言葉が叫ばれていますが、馬で木を運ぶ馬搬は山を傷めずCO2も排出しないのでまさにそれを具現する働き方。「自然との共存」に興味をもつ若い人も増えているので、新しい可能性が開けると思います。実際「遠野馬搬振興会」を立ち上げてから3人の若い研修生が入会しました。

僕もそうでしたが、馬と一緒に働くシーンを実際に間近で見るとみんな驚いたり感動したりしてとても強いインパクトを受けます。だからいろんな人に見てもらいたいんですよね。特に子どもは喜ぶと思います。子どもの間ではポケットモンスターが大人気ですが、いわば馬搬はリアルポケモンのようなものなんですよね。生きている動物を意のままに使って作業を行ってますから。子どもたちがあれほどポケモンにハマっているのなら、そういう目線での見せ方もありだろうと思っています。加えて自然環境にもやさしいということを教えるとさらに興味をもつんじゃないかと。そこから将来、馬搬をやってみたいという子も出てくるかもしれませんよね。

このような活動を通してこれから里山で馬と働くという昔ながらの風景が遠野を起点に徐々に広まったらおもしろいなと思っています。遠野ならずとも全国どこにでも山はたくさんあるし、馬搬も日本中どこにでもあった文化ですからね。

また、馬搬をより環境保全に役立てるためにさまざまな企業や団体に協力していただき、環境イノベーションとしてカーボンオフセットに関する事業にも取り組みたいと思っています。やはり社会的な影響力を考えると企業と協力した方がより効果的ですからね。

ブランディングにも注力

また、馬搬に付加価値をつけるためにブランディングにも取り組んでいます。馬搬で伐り出した木で絵馬やまな板、置物、家具などを製作しているのですが、それらには馬搬の木の証として「Horse Logging Wood」の焼印を押しています。オカムラさんには馬搬の木で椅子を製作してもらいました。

馬搬材で作った置物と家

ズームアイコン

オカムラとC.W.ニコル・アファンの森財団がコラボレーションし、スギの間伐材と馬搬を活用して製作したスツール「KURA」。2013年12月より発売を開始する

また、農作物でも昔から馬糞の堆肥で作った米はうまいと言われていますし、実際に食べてみても一般的な肥料で作った米よりも確かにおいしいんですよ。科学的にも馬糞は窒素・リン酸・カリの配合がバランスよく、米のつやや輝きが通常の米よりもよいなど実証されているんです。そこで、馬の糞の堆肥でできた米を「馬米(うまい)」と名づけて販売しています。馬糞で作った野菜も、ほうれん草は「ホースレンソウ」、ピーマンは「ピー馬ン」、トマトは「ウマト」など馬糞を活用する農業では、意味のあるダジャレが数多く生まれます。

うまいと大好評の馬米

このように馬搬そのものに加え、馬搬から生まれるさまざまなものを馬搬ブランドとして商品化することで、馬搬をより広く社会にPRしたいと思っているんです。さらに将来的には、馬搬材で作った家や馬と一緒に遊べる宿、馬搬馬で林業と農業が体験できる宿などができて、馬搬がひとつの経済として成立し、馬搬で十分生活できるようになればもっとやりたい人も増え、地域の活性化にもつながるんじゃないか。その可能性は十分あると思っているので馬搬のブランディングに力を入れているところなのです。

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──いいことづくめで、さらにそれで生活できるとなるとこれから馬搬をやりたいという人も増えるかもしれませんね。

最近は問い合わせが増えたり、馬搬に興味をもって遠野に引っ越して住み始めている人も出始めています。やっぱり乗馬や馬術など馬と元々接していた人が多いですが、林業関係や建築関係、デザイン関係など、さまざまな職種の人が興味をもってくれています。僕と同年代の30代の人も多く、そういう若い世代に共感してもらえるのがうれしいですね。

ただ馬でスポーツをしたり遊んだりするだけではこうはならないと思うんですよ。馬搬は環境や仕事として存在意義のあるものだと感じてもらっている、そして馬搬が求められている時代なのかなと感じています。この機械全盛の現代に馬で働く人が増えたらおもしろいですよね。

遠野馬搬振興会はもちろん、行政も全面的に協力してくれているので、馬搬をしてみたいという人の声にはどんどん応えていける用意をする必要があります。遠野には山がたくさんあるので馬搬をやりたい人をいくらでも受け入れることができるし、そういう人が増えれば働く馬ももっと増やせますしね。

とにかく実際に見てみないことにはわからないと思うので、馬搬に少しでも興味のある人はまずは遠野にぜひ来てもらいたいですね。僕や僕の師匠をはじめ、教える人もいるので、まずは一緒にやってみるところから始めたいと思います。未経験者でも最初は小さい馬で練習すればいいので問題ありません。本格的に始める場合でも、僕が最初に買った馬は100万円ほどですが、もっと安い馬はたくさんいるので、経済的なハードルはそれほど高くないと思います。こういった情報を含め、馬搬はほとんど知られていないので、知ってもらうための活動をもっとしていかなければと思っています。

馬搬の本場欧州・イギリスへ

──これまでの活動で特に印象に残っていることは?

遠野馬搬振興会では、馬搬についての勉強会を開催しています。あるとき、岩手大学で馬搬の作業効率と土壌について研究している教授に、世界の馬搬事情について講義をしてもらいました。その中でイギリスには「ブリティッシュ・ホース・ロガー(British Horse Loggers:英国馬搬協会)」という団体があるということを知りました。

そのとき、やっぱりイギリスにも馬搬団体があるんだと思いました。元々馬術が盛んで技術レベルも高いヨーロッパなら働く馬も絶対にいて、馬搬の技術もレベルが高いんだろうなと思っていたので直接この目で見てみたいなと。もうひとつは馬搬がどの程度社会的に認められているかを知りたいと思いました。日本の馬搬も馬を操る技術としては相当レベルが高いと感じてはいましたが、社会に広めるためにはどうすればいいか、思い悩んでいました。もしイギリスの馬搬が社会的に広く認められていればその経緯ややり方を学ぶことで日本でも実現の可能性はあるんじゃないかと。それで2010年の年末に、まずはとにかくイギリスへ行ってみたいと、英語が堪能な人にお願いして「イギリスの馬搬を見せてもらいたい」という旨の英文メールを書いてもらって、英国馬搬協会に送りました。そうしたらすぐに理事長のダグ・ジョイナーさんから「2011年5月に英国馬搬協会の総会が開かれるのでどうぞ来てください。同時に馬搬競技会も開催されるので出場してみてはいかがですか」という返事が届いたんです。一度も会ったことがないにもかかわらず、こんな温かい返事とお誘いをいただいて感激しました。それで2011年5月に馬搬を一緒に志す八丸健さんとイギリスに飛んだんです。


──実際に行ってみてどうでしたか?

イギリスの馬搬競技会の参加者と一緒に

日本とは大違いで、人びとは馬搬にとても高い関心をもっていることがわかりました。森のオーナーや貴族の人たちは森を大事にしようという意識が強く、チャールズ皇太子や世界的大企業が馬搬の振興活動を支援していました。英国馬搬協会の総会には政財界からいろいろな人が40人以上出席していて活発な議論が展開されていました。

馬搬競技会も多くの人びとが出場してとても盛り上がっていました。僕より若い男性や女性もたくさんいたし、会場には老若男女、大勢の人びとが観に来ていたのには驚きました。馬搬を職業としてではなく、競技として行っているアマチュアの人びともたくさんいるんですよね。

レースは平地の決められたコースで6mの丸太を運び、そのタイムを競うというもの。山での馬搬と同じく、馬とのコミュニケーションが鍵になります。僕はもちろんこのような馬搬のレースなど経験したことはなく、とりあえず参加することに意義があるという軽い気持ちで出場したのですが、ダグさんがいい馬をあてがってくれたおかげで優勝できました。ヨーロッパの馬は働きやすいように訓練されているのでとても扱いやすかったです。

初参戦ながら見事優勝した岩間さん。左は英国馬搬協会理事長のダグさん

ダグさんの話ではイギリスでも馬搬は20数年前までは衰退の一途だったけど、そこからダグさんたちの活動でここまで復活したということでした。

このような事情を知り、日本でもやりようによっては馬搬が再度盛んになる可能性は十分あると感じました。イギリスの馬搬に関する事例を日本で紹介することによって人びとの関心を集められるだろうし、レースの件でも、馬と働くという以外に競技に出るという目的があると馬搬人口の裾野が広がりますよね。競技には馬と簡単な道具と土地と丸太があればいいので開催するのはそれほど難しくありません。いろいろなヒントが得られてとても有意義な視察となりました。

競技会で馬を操る岩間さん

※イギリス視察研修の模様はこちら

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第1回日英馬搬シンポジウムを開催

第1回日英馬搬シンポジウムの模様(撮影:村上昭浩)

──それはすごい収穫ですね。

収穫はほかにもあります。日本に帰ってからもダグさんとの交流は続き、今年(2013年)9月26日に衆議院議員会館で「第1回日英馬搬シンポジウム」を開催できました。それまでダグさんは日本にはあまり興味がなかったのですが、僕たち日本の馬搬関係者がイギリスに行って馬搬を通じて交流したことで日本に対する興味関心が生まれ、日本に行ってみたいと思ってくれたんです。ダグさんは馬搬の啓蒙活動をしているので、せっかく日本に行くのならただの観光ではなく馬搬に関する意義のあることがしたいと言ってくれました。それは馬搬を多くの林業関係者はじめいろいろな人に知ってもらうPRにもなるし、林野庁など政府機関へのアピールにもなるなど、こちらにとってもすごく大きなメリットがあるのでシンポジウムを開催しようということになったんです。オカムラさんにも後援していただき、当日は120名ほどの参加者や多くのメディアにも来てもらって大盛況でした。

このシンポジウムにはダグさんの他に、日本で長年森作りに取り組んできたC.W.ニコルさんにも出席していただけました。

馬搬を通じてニコルさんとも交流

C.W.ニコルさんと

──ニコルさんともお知り合いだったんですか?

いえ。イギリスに視察に行く前に、20年かけて日本の森を見事に再生した英国出身のニコルさんにひとことご挨拶しようと、ドキドキしながら電話したところ、これまでなんのつながりもなかったにもかかわらず、ぜひ会いましょうとおっしゃってくださってアファンの森に会いに行ったんです。

そのときに馬搬のことや我々の取り組みをお話すると、ニコルさんは長年自然保護活動に取り組んでいるのでとても興味をもって、アファンの森でも馬搬をやりたいと言ってくださって。その後も馬搬を応援していただけるようになったんです。

その後イギリスに行ってダグさんと日英の馬搬振興会のつながりができて、帰国後ニコルさんにもダグさんを紹介して両者の交流が生まれました。それでシンポジウムへの参加をお願いしたところ、快諾していただいたというわけです。シンポジウムの後、ニコルさんとダグさんが遠野の森に来てくださって遠野の馬搬関係者と交流を深めました。

このように馬搬のおかげでなかなか会えない人と交流が持てたり、海外で活動したり、さまざまな経験をすることで世界が広がりました。また、これまでは文化なんて考えたこともなかったのですが、馬搬文化の再発展・継承活動にも携われたことで見えてきたものもたくさんあります。ですので今となっては、建築じゃなくて馬搬の道を選んで本当によかったと思っています。建築の世界にはすぐれた建築家や設計士やデザイナーがたくさんいますが、遠野馬搬振興会を立ち上げることができたのはたぶん僕しかいなかったと思いますし。しかし今は、やる気のある一般の人にも馬搬と馬搬振興の活動をしていただくのも僕の使命・役割だと思っています。今後もっといろいろなネットワークを作りたいですね。そうすれば今までなかったことを生み出せるんじゃないかと思っています。

馬と働き、生きていける社会を

──何もないところから道を切り拓いてきた行動力に感服します。今後の目標は?

この遠野で「馬搬で暮らす」ことをサスティナブルなライフスタイルとして確立し、環境イノベーションを起こすことが目標です。人の生活に馬が組み込まれて、経済活動として持続的に稼働すればすごく楽しいと思うんですよ。そのために先程もお話しましたが、馬搬のブランディングに注力しているわけです。馬搬は意義や誇りがちゃんと感じられて、しかも楽しめる仕事です。そうすると里山が生かされて、新しい生き方が生まれます。それを目指しているんです。


──馬搬を普及させるために具体的にやりたいことはありますか?

一般の人にも馬搬をより身近な存在として感じてもらうために、遠野に誰でも馬搬を体験できる「馬搬センター」を作りたいですね。本格的に馬搬を学びたい人には、森でまず1日か2日、馬をコントロールして実際に丸太を引っ張ってみるなどの短期の体験ができ、そこから徐々に難易度の高い長期のトレーニングができる「馬搬学校」ような施設を作りたいです。なんでもそうですが、こういった学ぶ場がないとなかなか普及しないと思うんですよね。

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自然の中で生き物と働くということ

──現在の岩間さんの働き方に関してうかがいたいのですが、毎日どんな感じで働いているのですか?

馬搬などの林業の他に元々実家が農家だったので農業や畜産業にも従事しています。朝はだいたい4時か5時くらいに起床して、馬搬のシーズンには毎日山へ木を伐り出しに行っています。それを1日中行うこともあれば馬搬は午前中にやって午後からは農作業を行ったり、その逆もあったりで、季節やその日の状況によって仕事を自分で組み立てます。日常の仕事としては牛や馬の世話もあります。遠野馬搬振興会を立ち上げてからは、馬搬文化の継承、PRなどの仕事も増えました。

馬の世話も大事な仕事のひとつ

基本的に雨が降ると林業や農業はできないので、薪を作ったり、馬搬で運んだ木で木工品を作ったりもしています。やろうと思えば仕事はいくらでもあるんですよね。だいたい18時か19時くらいまでには仕事を切り上げ、21時には就寝しています。


──働き方に関して大切にしていることはありますか?

特にこだわりはないですが、できれば社会にとって意義のあることをしたいと思っています。馬搬を始めたのも遠野馬搬振興会を立ち上げたのもそのためです。

また、同じことをするのなら極力インパクトのある方法でやるように考えます。例えば馬搬のイベントを開催するときもより注目を集められそうな出演者にお願いしたり。

これまでを振り返ると「これをやったらおもしろそうだな」と思えることに取り組んできたように思います。基本的に自分の好きなことややりたいことをやっているからあまりストレスはないですね。そもそも働いているという感覚が希薄なのかもしれません。生きることと働くことがイコールという感じなので。それはこれからも変わらないでしょうね。

馬はすばらしいエネルギー

──馬搬に関して特に伝えたいことがあればお願いします。

今は自然エネルギーといえば太陽光や風力を思い浮かべると思うのですが、実は馬もエネルギーなんですよね。馬はたくさんの物を引いたり運んだりして、人間社会をサポートしてくれます。その馬の力の源は草です。しかも草を食べて排出した糞はおいしい農作物を作る肥料となります。このように馬は化石エネルギーや原子力エネルギーのように自然環境を破壊しないばかりか、自然をより健全な状態にしてくれるんですよね。しかも馬は機械のように人から仕事を奪うこともなく、むしろ雇用を創りだしてくれます。馬とコミュニケーションを取りながら働いていくうちに強い絆も生まれ、働く喜びや誇りも生まれます。実際に僕もそうでした。

このように我々は草を食べる動物を肉として食べていますが、肉になる前に我々と共存して一緒に働くことも可能なんだということを都会に暮らす人びとに知ってもらえれば、自然やエネルギー、働き方に対する考え方も変わってくると思うんですよね。人の気持が変わればこの社会もよくなるかもしれません。馬にはそういう可能性があると信じているんです。

馬搬とは何か

馬搬をする岩間さんと愛馬・サムライキング

──岩間さんが現在取り組んでいる「馬搬」とはどんなものなのですか?

馬搬とは、馬を使って山から伐採された木を運ぶ作業のことです。「地駄曵き」とも呼ばれています。馬は重機が入っていけないような狭いところにも行けて、かつ山を削って重機を入れるための作業道を作る必要もありません。また、CO2も排出しないので環境にもやさしい昔ながらの運搬技術です。10年ほど前(2002年)から岩手県遠野市で仕事のひとつとして馬搬に従事しています。

遠野は古くから馬搬が盛んな地域で、昭和の中頃までは40人以上の馬方がいました。でも今は3人しかいません。このままではこの優れた馬搬が消えてしまうので2010年に馬搬振興会を立ち上げて、馬搬の文化と技術を継承、宣伝、普及するための活動にも取り組んでいます。


──幼い頃から馬搬に興味をもったのですか?

いえ。木に興味をもつまで馬搬についてはまったく知りませんでした。昔は馬で働いていたという話を知ってるぐらいでした。ただ、家の近くにはそれなりに馬がいたので身近な存在でした。高校生になると乗馬を始めて、馬術競技の選手としてオリンピックに出場することを夢見ていました。

その頃夢がもう一つあって、建築家にもなりたいと思っていました。父が大工で、うちの山の木を切って家を建てたりするのを見て、こういう仕事もいいなとあこがれていました。でも馬術選手の道もあきらめきれなかったので、とりあえず建築と馬術の両方を2年ずつほどやってみておもしろい方を選べばいいかと。それで高校卒業後、まずは東京に出て、2年制の建築の専門学校へ入学しました。その間も土日は乗馬クラブに通って馬術の練習をし、卒業後は乗馬クラブに就職して2年間働きました。

2年間両方を経験した結果、やっぱり馬の方がおもしろいなと思ったので、馬を飼いやすい遠野に戻ることにしたんです。東京で馬を飼うのはたいへんですからね。馬術の大会で上位入賞できるようないい馬は数千万円もするので買うのはとても無理ですが、自分で繁殖させて仔馬をいちから育てて調教すればお金はそれほどかかりません。そこで、家の近所にあった、いい種馬もいて繁殖や調教ができる「遠野馬の里」で馬の繁殖改良と育成調教を始めると同時に自分の馬の生産も始めたんです。ここには3年間勤めました。また、自分の馬で馬車を作って遊んでいました。

馬搬に感動

──馬搬を始めた直接的なきっかけは?

炭を作るために実家の山に入ったのですが、運搬用の重機が入れるような山ではなかったので、上で伐採した木を下まで自分の力で運ぶのはかなりの重労働でした。これはしんどいな、何かいい方法はないかなと考えたとき、そういえば昔は馬で山から木を運んでいたという話をおじいちゃんから聞いたことがあるなと思い出したんです。それが馬搬でした。人が行けるところなら馬も行けます。当時、大きな白い馬を持っていたので、よしやってみようと。人に聞いたり調べたりするとまだ現役で馬搬をしている人が近所にいるとわかったので、実際に馬搬するところを見に行って教えてもらおうと訪ねて行きました。それが僕の馬搬の師匠の菊池盛治氏さんと見方芳勝さんでした。おふたりともその当時60代ですが現役バリバリで馬搬を行っていました。訪ねて行くとおふたりとも快く迎えてくれて、実際に山に行って馬搬をするところを見せてくれました。

そのときの感動は今でも鮮明に覚えています。2人の師匠たちは木が立ち並ぶ狭いスペースの中、1トンもある大きな馬を手綱もなしに「止まれ」「行け」と声だけで自由自在に操り、伐採した大きな丸太を何本も馬につなげたそりにくくりつけて、いとも簡単に運び出しました。それを目の当たりにしたときは、度肝を抜かれましたね。とにかくすごい技術、すごい人、すごい仕事だと。僕も馬術の経験があるのでそのすごさが普通の人よりもわかったんです。この機械全盛の現代に馬力で仕事をしている人がいるということにも感動しました。

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仕事の実感が得られる

馬で運んだ丸太の数々。1度に最大6本運ぶことができ、1日だいたい20往復する

同時に、馬で木を運ぶ行為がとても合理的でおもしろいなと感じました。当時やっていた馬車もおもしろかったけれど、馬搬を繰り返すと運び出した木がたまっていきます。仕事の成果が目に見えてわかるので働いたという実感がもてます。それで馬で何かをやるなら馬搬がやりたいなと思ったんです。これが馬搬を始めたきっかけです。ですから最初は山を傷めないからとかエコだからという理由ではなかったんです。

それで早速2人に弟子入りしました。馬搬のやり方は人によって違うので、1人じゃなくて2人の馬方に教えてもらった方がより幅広い技術を身につけられると思ったからです。

師匠のひとり、見方さんと

馬搬をするには丸太を運ぶそりや、馬とそりをつなぐ器具などが必要なのですが、それらの道具は馬搬をやめた人を訪ねて譲ってもらいました。それから師匠と馬とともに山に通う日々が始まりました。

馬と人間の共同作業

──岩間さんが馬搬をするところを見せてもらったときは同じように驚きました。馬って人間の言葉をあれほどよく理解していうことを聞くんですね。一人前になるまでどのくらい時間がかかりましたか?

僕の場合は自分で馬を持っていたし、師匠も近くにいて毎日のように山で教わることができたので、半年もかかりませんでした。それほど難しいことではないので僕のような環境ならすぐできるようになりますよ。ちなみに馬搬が盛んなイギリスでは馬搬の研修コースがあり、期間は3年です。まったくの未経験の場合は3年から5年といったところでしょうね。

──馬搬の実演を見て、すごいと思ったのと同時に細心の注意を払っていると感じました。

木が密集した林の中で馬を操り重い丸太を運ぶわけですから、まずは危険がある作業だということを頭に入れる必要があります。だからこそ師匠は例えば馬と木の間に挟まらないために立ち位置をどうするかなど、まずは危機管理の技術を徹底的に教えてくれるんです。


──木を伐るのも自分で行うのですか?

はい。自分で伐ります。その方が馬で運びやすいように考えて伐れるので。ただ、馬搬が盛んだった頃は木を伐る担当の人もいたようです。

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馬搬の魅力

岩間さんとサムライキングは強い信頼関係で結ばれている

──馬搬の魅力やおもしろさはどんなところにありますか?

まず馬とコミュニケーションを取れることが大きな魅力です。相手も生き物なので、すごくこちらに気を遣ってくれていることがわかるんですよね。そして馬は何本もの大きな丸太を運ぶという僕ら人間には不可能なことをやってくれます。馬を使う仕事というよりも生き物とコミュニケーションを取る仕事といった方がしっくりきます。そういう仕事ってなかなかないですよね。また、「馬車馬のように働く」とか「馬力」とか、昔からある馬に関する言葉をリアルに感じられるのもおもしろいです。

それから、今の時代、山を傷めず合理的に木を運べる馬搬ができる人はあまりいないので、数少ない馬方として自分の仕事に誇りももてます。

初めてお金をもらった仕事


──印象的な仕事は?

近所にこれまで日本の有名なお寺を造ってきた「社寺工舎」という会社があるのですが、その会社がお寺を造るときにその檀家さんに山から木を伐り出してほしいと頼まれたことがありました。それが馬搬としての初めての仕事で、いくらでできるかと聞かれたのですが知識もあまりなかったので適当な額を答えました。今から考えると相場よりも断然安い料金でしたが、その時は知らなかったので作業が終わってみると結構いいお金になると感じました。重機を使うとなると重機を現場まで運ぶだけでかなりのお金が必要になりますが馬ならそれほどかからないので、安くていい仕事をしてもらったと依頼者の檀家さんも喜んでいました。


──馬搬だけで生活できるものなのですか?

今は伐採を待っている山がかなりあるので、仕事はたくさんあるし、1日約3万円の収入になります。実際に最近まで馬搬専業で生計を立てている人もいました。でも僕を含め農業と兼業の人が多いですね。夏場は暑くてブヨも多いので早朝の数時間だけ馬搬をして後は主に農業をします。逆に冬場は積雪により農業ができないので山に行って木を伐り出すわけです。山に雪が積もると凸凹がなくなり、摩擦も減るので山の斜面での作業がやりやすくなるんです。そもそも林業は元々冬に行う仕事ですからね。だから馬搬のシーズンも9月から6月までなんです。

馬搬のシーズンは冬。雪が積もった方が人も馬も作業負担が減る

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馬搬が衰退した理由

──昭和の中頃までは40人以上の馬方がいたとのことですが、なぜ馬搬が廃れたのでしょうか。

それはすべての産業がそうであるように機械が出てきたからです。昔は農耕や田植えも馬や牛で行っていましたが、今はトラクターやコンバインですよね。木を伐るのも斤やのこぎりからチェーンソーに変わりました。機械でやる方が効率的だし楽だから。しかし効率重視の行き過ぎた機械化は自然を猛スピードで破壊してきたので、現在は機械を使わないやり方も見直されています。どちらの発想もあってよくて、今は両方選べるからいい時代だと思います。木の運搬も重機を使った方が楽ですが、だからこそ逆に馬搬をやる価値もあると思っています。

それで馬搬を仕事としてやるだけではなくて、2010年に遠野馬搬振興会を立ち上げて、馬搬文化や技術の継承と普及の活動にも取り組んでいるわけです。

遠野馬搬振興会

──遠野馬搬振興会はどんな経緯で発足させたのですか?

あるとき、岩手県の林務担当の職員から「県としても馬搬を林業技術として残したい。もしやる気があるなら応援するから振興会を作ってみないか」と言われたんです。それまで県内で馬搬をしている人は60代、70代のお年寄りが4~5人しかおらず、このままでは馬搬文化が消えてしまうのは確実でした。それは県としてもなんとかしたいと思っていたのですがその伝統や技術を受け継ごうとする人がなかなか出てこなかった。そこに僕みたいな若い世代が馬搬をやり始めたので県の職員も可能性を見出したんじゃないでしょうか。

もちろん僕自身も馬搬は素晴らしい伝統文化だと思っていたし、自分だけで淡々とやり続けることもできますが、そのままだと馬搬に価値は生まれないし、誰にも知られません。そうなるといずれ馬搬は消滅してしまいます。それはもったいないので、馬搬の価値を上げて多くの人に伝えて馬搬を広めたい。遠野だけじゃなくて全国に木を伐り出すための山もたくさんあるので、馬搬には絶対に可能性があると思っていました。でもそれは自分だけではできないので、仲間と一緒にやりたいと思ったんです。それに30代には自分が中心になって何かをやりたいという思いもありました。

それで県の支援が受けられるならぜひやらせてくださいと、2010年に他の馬搬従事者や森林組合、NPOなどと「遠野馬搬振興会」を立ち上げて、馬搬文化と技術の継承、宣伝、普及活動を始めたんです。会長には菊池盛治さん、副会長には見方芳勝さんの2人の師匠に就任してもらいました。菊池さんは1936年生まれで16歳から馬搬を始めた達人。1945年生まれの見方さんもこの道50年のベテラン。おふたりとも「森の名手・名人100人」に認定されている馬搬の名人です。僕は事務局長として会の運営全般と、馬搬のイベントを仕掛けたりメディアの取材に対応したりと馬搬のPRを担当しています。


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