2015年11月アーカイブ

CMFで世の中をより豊かに[後編]

プロダクトデザインの道に入ったきっかけ

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細谷らら(以下、細谷) そもそも玉井さんがデザインに興味をもたれたきっかけは何だったのですか? 武蔵野美術大学を卒業されていますが、高校生の頃からデザイナーを志していたとか?

玉井美由紀(以下、玉井) いえいえ、私の時代はデザインに対する認識がほぼなくて、デザイナーという職業があるということすらも知られていませんでした。ちょうどバブルで女子大生がチヤホヤされてる時代に、美大に進学するって言ったら「え、画家になるの?」みたいな感じですごい迫害されてましたよ。変わってるよね~とか言われて(笑)。

細谷 そんな時代に美大に進もうと思ったのはなぜですか?

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玉井 私、元々すごく変な人なんです(笑)。子どもの頃からいろんなものに馴染めなくて、自分がこの世に生きている実感がないというか、すごく引いた感じで世の中を見ていたんです。みんなと騒いでいても自分だけ冷めてるというか違和感があるみたいな。高校までそういう状態が続いていたのですが、仲のよかった友だちが美大に行きたいから予備校に行き始めたと聞いて、私も試しに一回行ってみたらすごく楽しくて。元々絵を描くことが好きだったということもあり、私も絶対行きたいと思って予備校に通って、美大に入りました。実際に行ってみたら全然違和感ない! ここが私の居場所だ、やっと見つけた! と思いました(笑)。私より変な人が周りにいっぱいいたのがうれしかったんですよ。そこで水を得た魚のようになってピチピチと。そこから人生が楽しくてしょうがなくなったんです(笑)。

細谷 (笑)卒業後はホンダにデザイナーとして入社されるわけですが、やはり昔から車が好きだったのですか? 学生時代、私の周囲では、車に興味がある女子が少なかったように思います。

玉井 車は今も大好きなんですが、プロダクトとしてというよりは、移動手段としての道具、空間として車が大好きなんですよ。特に自由に動き回れる点が。それでどうせなら好きな車に関わりたいとホンダに入ったんです。ららさんはどういうきっかけでプロダクトデザインの世界に?

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細谷 私の場合は中学生の頃にすでにデザインという言葉は周囲で普通に使われていて、デザイナーという職業があることも知ってました。そもそも私は母がデザイナーだったのでデザインは少し身近な存在だったんです。その影響は確かにあるとは思うのですが、小さい頃はデザイナーだけには絶対になるまいと固く心に誓っていたんです(笑)。

玉井 なぜですか?

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細谷 母はメーカーに勤めた後、独立して自宅で仕事をしていたのですが、毎日忙しくしていました。あれは私が小学3年生のとき。友だちとローラースケートで遊んでいて転んでケガをしてしまいました。家に帰ると珍しく母がいて、「腕が痛い」とアピールしたんですが「明日締め切りだから!」と何にもしてくれなくて。でも本当に痛かったので一晩中「痛いよー」とアピールしたんですがそれでも放置で。さらに朝起きても痛かったので「痛いよー!」と訴えたところ、母もこれはさすがにやばいかもと思ったらしいんですが、それでも仕事に行っちゃったんですよ。その後病院に行ったら腕の骨が折れてて。その時子ども心に「この状況はデザインという仕事のせいか!」という思いを抱き、以来、私はデザイナーにだけは絶対にならないぞ、とずーっと思ってたんです(笑)。

玉井 それはかわいそう(笑)。それなのにデザインの道に進んだのはなぜですか?

細谷 私は小さい頃から物を作ること、学校の教科では図工が大好きだったんですね。高校に上がって「将来何がしたいんだろう」と考えた時、モノのカタチをを考えるプロダクトデザインという世界があるということを知り、何となくおもしろそうだなと思ったのがそもそものきっかけです。まぁ結局...母の影響を受けてますね(笑)。

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公共的なプロダクツに興味

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玉井 なるほど。やっぱり最初から二次元じゃなくて三次元、立体系のデザインに興味があったんですね。

細谷 そうですね。でも当時から色とか素材とか表面を意識してたわけじゃ全然ないんですよ。もちろん当時はCMFという言葉もなかったですし。でも、学生時代に手掛けた作品で、色や素材の力で空間がこんなに変わるんだと感じたモノがあるんです。大学3年生の時、大学近くの病院に行ったときに、白基調で緊張感があって、少し寒々しい空間だと思いました。それで人にとって心地よい空間にするための家具を数人で考えて、提案しました。

玉井 どんなふうに提案したんですか?

細谷 寒々しいスチール製のベンチを温かみのある木製にして、単色でキチッとした規則正しく張られた張りぐるみをやめ、ベンチの上にすべての形の異なるカラフルなクッションをたくさん並べました。

玉井 学生時代からパブリックな家具、個人の家よりも公共性のあるものに興味があったんですね。

細谷 そうですね、当時は何も意識していませんでしたが。うれしいことに、医師や患者さんに好評で。人が留まる空間になりました。こういう、その空間に漂う緊張感を少しでも和らげるようなデザインを通して、私がやりたいのはこういうことかもと考えるようになったんです。

玉井 それで数あるプロダクトの中で家具のデザインをしたいと考えるようになったのですか?

細谷 当時同級生の多くは家電のデザインを志望していました。私もいくつかのメーカーのインターンに行ったのですが、モノによっては3ヶ月で新しいデザインに変えることを知り......それよりは人に長く愛着をもって使ってもらえる製品サイクルの長いモノを作りたいなと思い、今の会社に入社しました。最近では、素朴な素材感を追求した化粧板や触り心地のよいデニム調のニット布地をデザインしました。

細谷さんがデザインに関わったオフィスシステム「PRECEDE(プリシード)」

細谷さんがデザインに関わったオフィスシステム「PRECEDE(プリシード)

クリエイティブファニチュア「Alt Piazza(アルトピアッツァ)」

クリエイティブファニチュア「Alt Piazza(アルトピアッツァ)

女性ならではの葛藤

細谷 玉井さんの前回のインタビューを読んで、会社を辞めるときにすごく悩んだというお話(※)がありましたが、女性特有のものですよね。
※詳しくはこちら→https://www.okamura.co.jp/magazine/wave/archive/1306tamaiA_4.html

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玉井 そうですね。やりたい仕事に打ち込んでいる女性って、30代の前半までは自分のキャリアアップに一所懸命でそこにすごく集中するんですよね。でもある程度キャリアが積めてきて、そろそろ次のステージに行こうというタイミングで「あれ? 次どうしよう」みたいになるんですよ。私も30歳くらいのときはとにかく覚えたいことがいっぱいで仕事に集中して、仕事が楽しい! みたいな感じで、毎日が楽しくて先のことなんて全然考えてなかったのですが、35歳前後で突然「あれ?」ってなったんですよね。女性に組み込まれてるんじゃないですか、そのタイミングが。子どもを産むならそろそろだよ、みたいな。

細谷 ふと周りを見渡したら、みたいな?

玉井 いえ、周りの人がどうしようが全然関係ないんですよ。次のステージに行こうと思ったらまた4~5年かけて新しいことを覚えないといけない。そうすると40歳を過ぎる。そうなったら子どもを産むタイミングなど色々難しくて。子どもを育てながらこの会社でキャリアを積むことは、当時はロールモデルもいなかったし考えにくかった。それで本当にいいのかということですごく悩んだんです。ららさんはまだ29歳だから実感はないでしょうね。

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細谷 私はまだ全然考えられないですね。結婚も出産も、リアリティが全然ないです。今はデザイナーとしてレベルアップしながら、日々楽しむことしか考えていません。

玉井 そうでしょうね。30歳くらいのときの私と同じです。女性はいろいろな適齢期もありますし、結婚して例えば夫が海外転勤になったりすると、大体の人は自分が好きでやりがいを感じて仕事をしていても辞めてついていきますよね。そういうことも含めて結婚、出産、キャリアというのが30代中盤から後半になるタイミングで考えだすんじゃないですかね。

細谷 なるほど......。

玉井 私はその辺を考えて、会社を辞めて独立という道を選びましたが、子どもを産んで育てようと思ったら会社に残るのもいいと思いますよ。産休や育休という手厚い制度を利用した方がいいに決まってますから。だけど、フルタイムで働けないために、能力は高いのに会社でのキャリアが伸びなくなってしまう。それはちょっと違うなと思ったんですよね。

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独立・起業に悔いはなし

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細谷 それで玉井さんは独立・起業という道を選んだわけですが、やはりその選択をしてよかったと思いますか?

玉井 はい。少なくとも後悔は全然ないですよ。もともと後悔はしないタイプなので。やっとここ1年くらいで会社も少し大きくなりましたしね。でも同時に苦労も増えました。会社が成長するにしたがって経営のことなど、これまでやったことのない仕事もやらなければなりません。できないことがたくさんあって、毎日が試行錯誤で、戸惑いだらけですごくたいへんですが、でもそれらを1つずつクリアしないと前に進めないので、頑張るしかないですよね。

細谷 自分の専門外のことを一からやっていくのは大変なことですね。同時に、やりたいことに割ける時間も限られてきますし。

玉井 でも私は変わることが好きで、常に何かに挑戦してクリアしていくことが楽しいしやりがいを感じます。それを自分自身で主体的に選んでできるから、今はたいへんなことも含めてすごくいい状況だと思っています。

仕事のやりがい

玉井 ららさんは仕事のやりがいや喜びはどんなときに感じますか?

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細谷 元々プロダクトデザインをやってきたので、デザインした製品が形として完成したとき、すごく喜びを感じますね。もちろん最初のデザインの段階から完成形をさんざんイメージしてきて、たくさんの案の中から考え抜いて作るわけですが、それが最終形になったときは感動しますよね。それは初めて担当した製品のときにも強く感じたのですが、CMFデザイナーに変わってもイメージしていたものに近い製品ができたときの感動は同じですね。

玉井 それはデザイナーとしてすごくよくわかります。私も自動車メーカーで働いていた頃はデザインした製品が工場のラインを流れてきた時、「うわー! 来た来た!」というような喜びと感動がありました。でも今は企業の外にいる立場で、その現場は見られないのですごく寂しいですね。

細谷 なるほど。では玉井さんの現在の仕事の喜びややりがいは何ですか?

玉井 私の仕事でお客様が喜んでくれたときですね。その中でも難易度が高い仕事をクリアしたときが一番うれしいし、やりがいを感じます。もっとも、難易度が高い仕事ばかりなんですけどね(笑)。私は自分で自分を極限まで追い込むのが好きなんですよ。自分で設定したハードルが高ければ高いほどクリアしたときにとてつもない達成感を得られるのでどんどんハードルが高くなって苦しくなってしまう。でもそれが楽しいんですよね。

クリエイターには海が有効

細谷 クリエイターにとってONとOFFの切り替えが非常に重要だと思うのですが、玉井さんは休みの日は何をしてますか?

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玉井 私は海が大好きで、真冬の1月から3月以外は通年サーフィンをしによく海に行っています。最近気がついたんですが、海には治癒力があって、海に入ると心身ともにすごく癒されるんですよね。長年気のせいかなと思っていたんですが、タラソテラピーというのを知って、今まで知らず知らずにそれを毎週してたんだと(笑)。実際、仕事が忙しくてしばらく海に行けなくなると悪いものがたまってる感じになって具合が悪くなるんですよね。

細谷 その感じ、よくわかります。私も一時期ディンギーヨットをやっていたのですが、海に行くと心が一回リセットできますよね。癒やし効果があるからまた新たな気持ちでものづくりに取り組めるのでしょうか。私も海は大好きですね。最近は登山にもはまっていますが、サーフィンにも是非挑戦してみたいですね。

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死ぬまでCMFでやっていく

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細谷らら-近影3

玉井 ららさんは今、夢や目標はもってますか?

細谷 今は毎日目の前のやるべきこと、楽しむことに夢中というか、10年後、こういうふうになっていたいと明確に語れるものがないんですよね。夢がないというとネガティブに聞こえがちですが、目の前のことをしっかり一所懸命やってたら、私の望む未来に繋がっていると思っています。

玉井 それで全然いいと思います。私も10年後の自分の理想像なんて一切ないですよ(笑)。

細谷 それを聞いて安心しました(笑)。玉井さんの夢や目標は?

玉井 人生の夢はハワイに移住することです。毎日サーフィンをして暮らしたい(笑)。仕事の目標はいろいろありますが、CMFで世の中をよりよく変えていくことが究極の目標です。もう少し具体的に言うと、CMFでものづくりを変えていったり、人の心を豊かにして幸せにするお手伝いがしたいと思っています。死ぬまでCMFでやっていくと肚をくくっているんです。

細谷 現時点でそれはどのくらいの達成度ですか?

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玉井 1~2割の感覚ですね。2割は超えてないです。独立当初はCMFの認知度を上げることが目標だったのですが、それもまだまだで、思った以上に知られていないし、理解もされていませんしね。

細谷 そうなんですか。思っているより低くて、意外ですね。私は認知度が上がってきたかなという感覚はあるんですが......でも確かに開発、デザイン業界以外の例えば営業の方々にはまだ知られていませんよね。自分がやるべきことは多いなと日々思います。

玉井 そもそも日本で感性価値やCMFのような概念が理解されることはかなり厳しいと思うのですが、そこに挑戦したいんですよね。

カラー系職業の地位向上を

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細谷 今の話とも関連するのですが、私、玉井さんに聞きたいことがあって。CMFって数年前より少しずつ認知度も上がってきて、玉井さんの影響を受けてCMFデザイナーになった人も少しずつ増えていると思うんですね。

玉井 そうなんですね。ありがとうございます。

細谷 そう思います。世の中にCMFデザイナーが増えてきたと感じているとか、同じような事業を始めた人が出てきたよ、とかご自身の他者に与える影響みたいなことを感じられることってありますか?

玉井 今のららさんのお話を聞いて思ったんですが、私が昔勤めていた自動車メーカーではデザイナーってそんなに地位が高くないんですね。その中でも一番地位が低いのがカラーマテリアルでした。そういう業界の中で、もし私がCMFの重要性を広く社会に訴える活動をすることで、大勢の人びとがCMFって大事だなと思ってくれる世の中になればいいなと。今まで一番下で軽んじられていたカラーマテリアルの仕事が見直されて重要だと認識され、そこで働く人たちが仕事に誇りをもてるようになればいいなと思ったんです。自分の仕事は重要だと思えることはすごく大事で、みんながそう思えるように、プロフェッショナルとしていい仕事ができるように、環境を作れたらいいなと思っています。

細谷 ああ、そうなればいいなと私も思います。

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玉井 直接ものづくりに関わるだけではなく、CMFの講演やセミナーで話すことで、多くの人びとがCMFはやっぱり重要なんだとか、CMFデザインに関わっている人びとがこのまま頑張っていていいんだと思ってくれることがすごく大事だなと思っています。さらに企業の上層部の人たちにもそれを伝えてCMFの重要性を理解してもらって、現場の人たちにどんどんやってくれとかCMFのプロに任せたいという感じになってくれればいいなと。

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細谷 そうですね、そこにCMFの未来がある気がします。私自身、ものづくりや働くということの意識が少しずつ変わってきたと感じています。今後、CMFをもっと盛り上げたいと思いますのでよろしくお願いします。

玉井 ありがとうございます。一緒に頑張りましょう!


インタビュー前編はこちら

CMFで世の中をより豊かに[前編]

デザインを通してつながる

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細谷らら-近影1

細谷らら(以下、細谷) 私は今年(2015年)からCMFデザイナーとして働き始めましたが、玉井さんはCMFという概念を日本に導入した先駆者で、私にとっては師匠みたいな存在です。そんな方と対談させていただけるのはとても光栄で恐れ多いのですが、本日はどうぞよろしくお願いします。

玉井美由紀(以下、玉井) いえいえ、そんな大層なものでもありませんよ(笑)。こちらこそよろしくお願いします。

細谷 私、一方的ですが、玉井さんと初めてお会いしたときのことをすごく覚えているんですよ。

玉井 いつ、どこでですか?

細谷 私が入社してすぐの頃だから6~7年前、場所は当社の会議室です。素材の専門家を招いてデザイナーを対象にしたプレゼン会を開催するという案内が社内であって、私も当時他の社員8~9人と聞きに行ったんです。

玉井 ああ、あのときですか!

細谷 はい。あのとき私もいたんです(笑)。それからずいぶん時間がたって、初めてお話させていただいたのは、1年半前くらいですかね。

玉井 それは覚えています(笑)。

細谷 社内プレゼン会で初めてお見かけした玉井さんは、華やかなオーラを身にまといながら力強く語ってらして、かっこいい女性デザイナーだな、と感じました。そもそも当社には女性デザイナーが少ないのですが、大手自動車メーカーでカラーマテリアルのデザインを手掛けた後、独立して会社を立ち上げCMFデザイナーとして活動してるなんてすごい方だと、強烈なインパクトを受けたのを覚えています。そのとき初めてCMFという言葉を聞いたんです。

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玉井 当時はCMFという言葉自体、デザイン業界の中でも全然知られていませんでしたからね。

細谷 私も当時は入社したばかりでしたし、もちろんCMFについては全然知らなかったので、こういう考え方があるんだというくらいでした。

独立当初はつらかった

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玉井 実は、正直、当時のことは思い出したくないんですよね、つらすぎて(笑)。CMFなんて誰も聞いたことがないから、とにかく何を言っても伝わらないんですよ。聞いている相手はぽかーんとしてるのがわかるんです。それに、独立したばかりの頃だったので実績として見せる物も何もなかったですしね。

細谷 確かに私もぽかーんとしていたと思います(笑)。

玉井 そうですよね(笑)。自分がCMFの重要性についていくら一所懸命に説明しても、聞く側に全く興味をもってもらえていないというのがわかる。その挫折感たるやハンパなものではないんですよ。だからあんまり当時のことは話したくないのですが、最近それを少しずつ克服するためにあえて話してます(笑)。当時、いろんな人から「玉井さんのやってることはすごいけど、なかなか世の中に認められにくいよね」ということを言われ続けていたんですが、うまく説明できなかったんですよね。最近はCMFに興味をもっている人が聞きにきてくれるのでだいぶ楽になりましたが、2年前まではつらい状況が続いていました。

細谷 それはつらいですね。私は最初のプレゼン会ですべては理解できませんでしたが、何か引っかかるものがあって興味をもち、玉井さんが主催している「青フェス(※)」にも参加しました。

※青フェス:玉井さんが代表を務める株式会社FEEL GOOD CREATION主催。優れた技術をデザインの視点からとらえ直し、日本のものづくりの活性化を目的として開催されている、日本唯一のCMFデザイン展。優れた技術をもつメーカーの技術サンプルにFEEL GOOD CREATIONがデザインを加えてマテリアルを展示し、新規顧客に対する技術PRや他技術を持つメーカーとの協業、用途開発に繋がるニーズのヒアリングなども行われている。第1回は2011年の東京デザイナーズウィークで開催

過去に開催された「青フェス」の模様
過去に開催された「青フェス」の模様

過去に開催された「青フェス」の模様

玉井 当時、「青フェス」というイベントに興味をもってくれる人はほとんどいなかったので感動ですね(笑)。

細谷 そうやって知れば知るほどCMFが社会的に認知される時代が必ず来ると密かに思っていたんです。また、自分が実際にプロダクトデザインの仕事をすることで、CMFのような概念がものづくりにおいて重要だということがわかってくるわけですよ。奥が深いなと。そういう意味で、玉井さんが以前、WAVEにご登場いただいたのは2013年6月ですが、当時と2年4ヶ月ほど経った今とでは、CMFの社会的認知度が上がってきているような気がするんですが、その辺いかがですか?

玉井 どうでしょう。2年前はCMFは全く知られていなかったので、そのときよりは少しはましになってきたかなという感じでしょうか。といっても、知っているのはデザイン業界のごくごく一部の人で、一般的に認知されるレベルまでには到底及んでないというのが実感ですね。

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CMFにまつわる変化

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細谷 この2年間で新しく手掛け始めたことや変化したことなどはありますか?

玉井 当社のスタッフが増えたりして当時よりは会社の体制が整ったことで、やれることが少しずつ広がってきたという感はあります。一番うれしい変化は、業界内でCMFの理解度が上がってきたことで、最近、クライアントさんから「過去に手掛けたCMFデザインの事例を出してください」と言われなくなったことですかね。これまでずっと言われていたんですが、ここ1年は言われなくなりました。

細谷 ということは玉井さんご自身の認知度が上がってきたということで、それってすごいことだと思います。

玉井 起業した当時は企業を回って営業してみても全く相手にしてもらえなかったので、その当時に比べたらだいぶ楽にはなってますね(笑)。

細谷 玉井さんはCMFのセミナーも継続的に開催されていますが、セミナーを通じて、何か変化は感じていらっしゃいますか?

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玉井 ららさんは今でも私のセミナーに参加してくれてますよね。最近の講演のテーマは「感性価値」で、最近注目されているのですが、それを表現するためにCMFが必要だという時代になってきています。だから私が何かしたというよりも、時代が変わってきたという感じですね。

細谷 参加者に関しての変化はありますか? 私はプロダクトデザインからCMFに入っていったのですが、例えばデザイナーではなくて、マーケッターが聞きに来るようになったとか。

玉井 元々、CMFに興味をもってくれる人は業界を問わずプロダクトデザイナーばかりだったのですが、ここ1年くらいで急にプロダクトの設計や技術系の職種とか、あとは部品メーカーの人が多くなりましたね。

細谷 そうなんですね。部品メーカーの方々とCMFがなかなかつながらないのですが......。

玉井 2011年から開催している青フェスは、デザイン表現を組み入れたCMF技術展というテーマで技術メーカーさんと一緒に開催しているんですね。ですので、私たちはCMFデザインと技術は密接な関係にあると思ってるんですよ。技術がないと表現できませんから。

細谷 確かにそうですよね。おっしゃるとおりだと思います。ご自身の活動として2年前から変化したことはありますか?

玉井 いろいろな企業から依頼を受けて、よりよい製品を作るために社内体制を整えて、社内デザイナーなどにものづくりにおけるCMF戦略を正しく伝えるというコンサルティングのような仕事が増えてきました。

企業もCMFに注目

玉井 ららさんは、今年から社内のCMFデザイナーになったということですが、どういう経緯で?

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細谷 これまで当社では製品単体における造形美やデザインの斬新さ、新しい機能など、人がその製品を見て「ほしい」と思ってもらえるような開発を重視しており、1つの製品の担当者が形や色を決めていました。一方で、当社は製品単体だけではなく、空間の提案をしている会社でもあるのですが、その製品をレイアウトする床や壁など、空間全体のことまでは製品単体の開発の段階では深く考えられていませんでした。「かっこいい」だけでは物が売れなくなってきたこの時代、従来の開発姿勢ではまずいと会社が危機感を抱き始め、居心地のよい空間をデザイン提案するためには、製品単体だけではなくいろんな物のコーディネーションが重要だから、みんなでその辺をきちんと共有して開発しようという流れになってきたんです。

玉井 時代の流れに即した正しい考え方だと思います。

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CMF推進室を設置

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細谷 それでも、何かが合わないと何となく感じてはいたのですが、目の前の仕事に追い立てられていたということもあり、明確な答えが出せないでいました。そんなとき、玉井さんの最初の素材プレゼン会を皮切りにCMFという概念を知り、「うちに必要なのはこれなんじゃないか」とまずは製品デザイナーが気づいたわけです。CMFという尺度でいろいろな物をつなげて空間に広げていけば、「この空間で働いてみたい」という気持ちにさせる製品が開発できるんじゃないかと。それでまずは、部の中にCMFデザイン室を作ろうとなったわけです。しかし、社内では「CMFという言葉自体がピンとこない」と名前を却下されてしまったようで。じゃあCMFに代わる言葉として、みんなが理解できる言葉を、と上司が考えた結果、色ならわかりやすいだろうということで「カラーデザイン担当」という役割ができて、私がその担当になったんです。それが2年前(2013年)です。

玉井 なかなか理解されないという苦労は痛いほどわかります(笑)。

細谷 玉井さんはそれを何年も繰り返してきたわけですからね。それから2年経って、依然としてCMFってわからないという人もいるのですが、すでに製品デザインや開発の中ではCMFの重要性が浸透していたので、今年(2015年)「CMF推進室」ができて、私がそこのCMFデザイナーになったというわけなんです。だから、玉井さんはCMFという重要な概念に気づかせてくれた方なんです。

玉井 とっかかりは私だったかもしれませんが、その後は細谷さんたちの努力の賜物ですね。

ものづくりのポリシー

細谷 今やデザインは車や家具という狭い枠でくくる時代ではないという感覚をもっていて、さっきも話しましたが、この椅子がかっこいいから買うという人ももちろんたくさんいるでしょうが、この椅子があるライフスタイル、ワークスタイルをイメージして買うと物も空間もつながってきますよね。プロタクト単体で物を売るというよりはライフスタイルを売るというふうに変わってきているというか、内装、建物も含めてデザインが昔より広がりをもってきたな、という感覚があるんですよね。そこに当社がCMFに注目している理由があると思うんです。

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玉井 価値観には変わるものと変わらないものの2つあることをしっかり理解して、変わる価値観が何なのかを見極めないとものづくりは失敗します。多くの人に受け入れられる製品を作るためにはその変わっていく価値観をしっかり見極める必要があるのですが、多くの人はそこを意外と見ていないし、なかなか理解されづらい。「変わったことを数値で説明しろ」みたいな感じにどうしてもなるんですよね。数値で説明できないこともあるということをまず認めないといけないと思うんですが、特に日本は感性とか感覚などを全部数値に置き換えようとする傾向があります。そうすれば全員が心地いいと感じる物を作ることができると思っているんですが、私は違うと思うんですね。そこの価値観の違いとか感じ方の違いを理解して物を作って提供していかないとうまくいかないんですよね。

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変わる価値と変わらない価値

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細谷 確かに感性に関しては、この製品を人は心地いいと感じるかどうかという研究などが多くされていて、その結果を「お客様を説得するための材料」として使うのはいいのかもしれませんが、それが絶対的な正解だというような世の中は恐いなと思いますね。例えば多くの人にアンケートを取って解析したら、「赤」がすごく人気だったからこの製品の色は「赤」が正解だ、というふうに物事をとらえたくないというか。わからないから数値に頼る研究が進んでいる一方で、変わらない価値もあるわけですよね。それはどういう価値なのでしょうか。

玉井 例えば尖ったものが迫ってきたら恐いと感じるのは、人によっても時代によっても変わるものではないでしょう。狭くて真っ赤でトゲトゲした空間に閉じ込められるより、もっと広々して緑豊かな空間の方が誰もが気持ちいいと感じますよね。こういったフィジカルな部分、基本的に生き物が心地いいと感じるものや空間に関しては昔から変わりません。変わらない価値観とは例えばこういうことです。でもそれ以外の感覚的な部分は大きく変わります。例えば昔の自分の写真を見るとすごく恥ずかしいと思うことってないですか?

細谷 あります! なんでこのとき、この髪型にしてたんだろうとか(笑)

玉井 このメイク何! とか。そのときは最先端だったんですよ、今は超恥ずかしいけど(笑)。こういうのは変わる価値です。時代によっても地域によっても大きく違いますが、その変わる価値をCMFという考え方でキャッチしてものづくりに生かす。それが私の役割、使命だと感じているんです。

理想の働き方とは

細谷 働き方という視点では、ご自身が企業内デザイナーだった頃と、独立して企業から依頼を受ける立場になって変わったことはどんな点でしょうか。特に開発職って、ずっと会社の中にいると外で起こってることに気づけない部分があると思うんです。情報交換する場みたいなのがなかなかないので、自分で積極的に動かないとCMFというキーワードにも出会えなかったと思うんですよね。

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玉井 それが普通だと思いますよ。企業にいながら積極的に外に出て活動をしている人はあまりいないですよね。ほとんどの会社員は会社の中のことしかわからない。もっと言うと「外のことを知らない」ということを知らないと思います。私も会社員だった頃は外部の人との仕事上での交流は一切なかったので、会社から出るまで外の世界のことは全くわかりませんでした。会社から出て、なんて自分は狭い世界で生きてきたんだろうと痛感しましたよ。

一方で、会社に長くいてよかったとも思っています。特に大企業、メーカーには優秀な人たちが集まっているので、彼らと一緒に仕事をしたことですごく勉強になったし成長できたからとても感謝しています。そのおかげで今があると思っているので。また、会社の中にいないと経験できないこともあるし、いいこともたくさんあります。例えば世界中のお客様に商品を届けるなど、今私が経営しているような小さい会社では絶対できないような大きな仕事ができます。

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細谷 大企業の中で長くデザイナーとして働いたことが今に生きているというわけですね。

玉井 そうですね。私の場合は最初から1人でやっていたら仕事のやり方もわからないし、うまく会社を経営することもできなかったと思います。私は1つの選択肢として会社から出ることを選びましたが、会社員と事業主、どちらにも一長一短があるのでいい・悪いの問題ではないと思います。

細谷 なるほど。幅広い業界・業種・職種の方と仕事をされ、広い視野を持たれた玉井さんのような方を介し、積極的に交流していくことが企業のこれからの課題かもしれません。業界を超えて、CMFという点でつながれたらいいなと思います。


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