2015年9月アーカイブ

生きることすべてが音楽活動[後編]

最初の夢は教師だった

──みなさんがミュージシャンを志した理由と経緯を教えてください。

わたなべだいすけ-近影1

わたなべだいすけ(以下、わたなべ) 「僕は最初からミュージシャンを目指していたわけではありません。最初の夢は小学校の先生でした。その原点は小学校1、2年生のときの担任の先生にあります。朝、教室に入るなりギターを弾いてみんなで一緒に歌うというちょっと変わった男の先生で、それがとても楽しかった。その先生にあこがれて僕も中学3年生のときからギターを始めて、高校3年生のときに曲を書き始め、将来は僕もギターを弾いて子どもと一緒に歌える先生になりたいと思っていました。僕はうたを作るとき、1回聴いただけで子どもにもわかるようなうた、意味がわかるようなうた、すぐ覚えられて一緒に歌えるようなうた、そしてちょっとしたメッセージが込められているようなうたを作ることを心掛けているのですが、それは確実にその担任の先生の影響です。それが僕の音楽スタイルのルーツですね。

それで大学受験では教育学部を受けたのですが、落ちてしまって。あのときもし受かっていたら、今はきっとどこかの小学校の先生をしていると思います。


──教育学部の大学に落ちてからミュージシャンを目指そうと思ったのですか?

わたなべ いえ、放送の仕事にも興味があったので、日本大学芸術学部(日芸)放送学科へ進学し、テレビやラジオの制作について勉強しました。こちらの方がおもしろければ放送の道に進もうと思っていたのですが、やっぱり自分で曲を作って歌うのが一番楽しいなと改めて思ったんですよね。それで就職活動を一切せず、卒業後、アルバイトをしながら音楽活動を開始。曲を作って1人でギターを抱えてライブハウスなどで歌い始めました。それがスタートですね。


──大学を卒業して就職せずにミュージシャンを目指すと言ったとき、ご両親は反対しなかったのですか?

わたなべ 実は大学は日芸ともう一つ、神奈川県にある大学の経済学部にも受かっていて、親としてはそっちに入学して将来は普通にどこかの企業に就職して会社員になってほしいと思っていたらしいんですね。でも僕が日芸を選んだ時点であきらめて、お前のやりたいようにやれと言ってくれたんです。入学してから日芸の友だちを実家に連れて来たとき、母がその友だちをすごく気に入って、こういういい友だちができたんだから日芸に行かせてよかったと喜んでくれました。父は大学に行くときに「他人に迷惑をかけることだけは絶対するな。あとは好きにしろ」と言ってくれました。それはいまだに心に留めていて、「何をするにしてもまず親に言えないようなことはしない。他人に迷惑をなるべくかけない」ということは根っこの部分にもっています。そんな両親だったので、就職せずにミュージシャンを目指すと話したときも全く反対されませんでした。


──すごくいいご両親ですね。

わたなべ 僕もそう思います。ただ、僕自身としては両親に対して、大学まで行かせてもらったのに申し訳ないという後ろめたい気持ちをいまだにどこかにもっています。だからこそ、両親がそろってライブを観に来てくれたことがすごくうれしかったわけです。

余談ですが、先ほど小学校の先生になりたかったという話をしましたが、実は今、それに近いことをしていて、知人のつてで小学校に行って夢を叶えることについて子どもたちに話したり、一緒にうたを歌ったりしているんです。それは僕のライフワークだと思って取り組んでいて、僕1人でも、ニコルズとして行くこともあります。

大学卒業後、プロを志す

鈴木健太-近影1

鈴木健太(以下、鈴木) 僕は栃木県の鹿沼市出身で、中学生のときにギターを始めました。きっかけは本当に何となく、ですね。父が趣味でフォークギターを家でよく弾いていたり、両親が音楽好きで家でよくレコードをかけていたりと、音楽が身近にある環境で育ちました。でもずっと僕はゲームばかりやっていたので、あるとき両親に何か趣味を探したらと言われたんです。それで、家にギターがあるしやってみるかなと、そういう軽いノリでギターを始めました。でもギターを始めてみたらおもしろくて、それまで夢中になっていたゲームもパタっとやらなくなり、どんどんギターにのめり込んでいきました。

僕は元々1つのことをやり始めたらとことんハマる性格で、中学のときにすでに「ギターのようなすごくおもしろいことを見つけたから、できれば将来は音楽を職業にしたい」と作文に書いているんです。高校に入ってからは友だちとバンドを組んで、ライブハウスで演奏していました。高校卒業後、一緒にバンドをやっていた友だちの多くはプロのミュージシャンを目指して東京に出て行きました。でも、僕はそんな勇気も度胸も自信もなくて、地元の国立大学に進学したのですが、結局4年間ひたすらバンドをやっていました。当時はこの4年間を猶予期間ととらえ、将来の身の振り方を決めようと考えていました。

でもいろいろ考えたのですが、やっぱり音楽以外にやりたいことがなくて、僕も就職活動を一切せず、卒業後はアルバイトしながら地元で音楽活動をすることにしました。将来、音楽で何とか身を立てたいと本気で思い始めたのはこの頃ですね。それまでは自分なんかがプロになんてなれるわけない、プロの世界で通用するわけがないと思っていました。ずっと自分のギターのレベルの低さを身に染みて感じていたので。でもとにかく音楽が大好きだったので本気ではやっていました。

D.W.ニコルズ-近影1

──就職しないでプロを目指すと言ったときのご両親の反応は?

鈴木 僕の親も全く反対しませんでした。「あ、そう。やっぱりね」みたいな(笑)。自分で生活費を稼いでやるなら好きなようにやれと言われました。ただ、覚悟は問われたような気がします。大学では工学部の電気電子工学科に通っていたのですが、単位をそろえれば教員免許やいろいろな資格が取れるんですね。そのことを親に話したら「そんな保険をかけるようなずるいマネはするな。やるなら覚悟を決めてやれ」と逆にハッパを懸けられたんです。


──鈴木さんのご両親もすごい人ですね。

鈴木 そうですね(笑)。それで大学卒業後も地元でバンド活動を続けたのですが、そのバンドが解散してしまうことになり、そのタイミングで、2005年、25歳のときに上京しました。それから東京でアルバイトをしながら音楽活動を始めていたところ、まなんに声をかけられたんです。

高校時代からプロを目指す

千葉真奈美-近影1

千葉真奈美(以下、千葉) 私は子どもの頃からバンドが大好きで、自分でもやりたかったので、高校では軽音楽部に入って3年間ベースを弾いていました。在学中から、卒業後もずっとバンドをやりたいと思っていたので、受験勉強も就職活動もしませんでした。両親にもその気持ちを早い段階で話したのですが、私が音楽しかできないことを知っていたので、「どうせ勉強しないんだから大学なんて行かなくていい、好きにしなさい」と言ってくれました。それで高校を卒業後、音楽の専門学校に進学して、アルバイトをしながらバンド活動を始めました。

岡田梨沙(以下、岡田) 私は中学3年生のときにバンドに入ってドラムを叩き始めました。高校に入っても同じくドラムをやっていたのですが、進学校だったので高校2年生のときには受験勉強に専念するため、バンドを辞めざるをえませんでした。大学は横浜にある国立大学の教育学部に進学、当時は何となく数学の教師になりたいなと思っていました。ちなみに小中高の教員免許をもっています。でも結局、大学でロック研究会に入部してドラムを叩いているうちに、この先ももっとバンドでドラムをやりたいと思うようになりました。大学を卒業する時点で本気で続けて行きたいバンドがあったので、卒業後は就職せずに派遣社員をやりながら、そのバンドで音楽活動を続けていました。でもしばらくして解散してしまっていろんなバンドのサポートをしていたある日、ニコルズでドラムを叩かないかと声をかけられたんです。


──そもそもは先生になりたいと思っていたということですが、その夢は簡単にあきらめられたのですか?

岡田 私の母はピアノの先生、兄は数学の先生と教師の家系だったので、先生になりたいというより、何となく自分も将来は教師の道に行くのかなと思っていたんです。でも、大学に入って教師になるための勉強をしてみたところ、自分は教師にそれほど向いていないことがわかり、それなら音楽の方が好きでやっていて楽しいので音楽の道に進むことにしたんです。

両親の反対を押し切って

──ご両親は反対しなかったのですか?

岡田梨沙-近影1

岡田 「大学にまで行かせたのに音楽なんて」と反対されました。最初から反対しているのはうちの親だけですね(笑)。実はずっと「いつまで音楽をやるつもりなんだ」と言われていたんですよ。その割にはライブを観に来て「だいちゃん、かっこいい」とか言ってるんですけどね(笑)。私が一度やると決めたら折れないのは知ってるので、最終的には「あなたが決めたんだからやりなさい」とは言ってくれています。やっと最近は「いつまでやるの」とは言わなくなりました。

鈴木 口では反対していてもライブを観に来てくれてるんだからまだいいよ。りっちゃんと同じく音楽を志していてもどうしても家の事情や親の反対で音楽を辞めていった友だちは本当にたくさんいるからね。どうであれ音楽活動を続けられている時点でラッキーだと思う。

千葉 本気で反対する親はいつまでも絶対ダメだって言うしね。ライブなんて絶対来ないし。

わたなべ まあそれが普通だと思うけどね。

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プロを目指すことの不安・葛藤

──メンバー全員、就職活動を一切せずに高校や大学を卒業後、アルバイトをしながら音楽の道に入ったわけですが、将来に対する不安はなかったのですか?

D.W.ニコルズ-近影2

わたなべ もちろん不安だったし、今も常に不安ですよ。そもそも生きてくこと自体に不安があるので、生きていて不安じゃないときはないですね。それがその時期によって大きいか小さいかの違いだけ。ましてや音楽でメシを食って行こうと思っていたらずっと不安だし、メジャー契約をしたり、CDを出したり、ライブに何百人もの人が来るようになっても、常に不安はあります。でも多分、他の仕事をしている人も同じだと思いますよ。どんな仕事をしている人でも不安なんて全然ないという人はなかなかいないんじゃないでしょうか。


──とはいえ、プロの音楽バンドとして成功する可能性は確率から考えてもかなり低いと思うのですが、例えば何歳までにものにならなければあきらめるといった線引きはしていなかったのでしょうか。

わたなべ さっきも話したように、僕は30歳までにメジャーデビューすることを目標にしていました。それが叶っちゃったから今まで続いちゃったということなんですよね。その後の線を引くのを忘れたという(笑)。ただ、今35歳なので40歳まで続いたらそのままこのバンドでずっと行けると思うので、この5年が勝負だと思っています。この間にプロとしてこの先もやっていくために、地盤をしっかり固めたいなと。

鈴木 僕は27歳をひとつの目安にしていました。僕が上京したのが25歳のときなので、上京してから2年でなんとかプロのミュージシャンとしてやっていけるというめどをつけたいと漠然と思っていました。でも実際は、27歳のときにはもうニコルズの一員になっていて、全力で打ち込めるいいバンドでやれていたから、年齢での線引きなどということは考えなくなったんですよね。すでにメンバーみんなが向いている方向が一緒で、ニコルズで何とかしたいとみんな思っていたので。もしそのときに思うように音楽をやれていないとか、メンバーが固まっていないというような状況だったらどうなっていたかわかりません。

音楽活動の魅力・やりがい

──では、音楽をやっていてよかったなと思う瞬間は?

わたなべだいすけ-近影2

わたなべ おお、今までそういうことは考えたことはないですね(笑)。通常僕らが受ける音楽媒体のインタビューでは主に作品について聞かれるのですが、今回は僕ら1人ひとりという人間について質問していただいているのですごく新鮮で楽しいです。本題に戻ると、先ほどお話した通り、そもそも僕は教師になって子どもたちにいろいろなことを教えたいと思っていたんですが、今、それを音楽を通してやれているような気がするんです。僕が、ふと気づいたことをうたにする、あるいは、明るくて楽しいうたを作って多くの人に音楽の喜びを感じてもらうことで、人生の不安が少し軽くなるということもあると思うんですよ。教師になってやりたかったことを、曲を作ることやライブ活動を通して、少しかもしれないけれどできているような気がするので、音楽の道を選んでよかった、D.W.ニコルズというバンドで音楽活動ができてよかったと心底思っているんです。

鈴木 僕は、音楽をやっててよかったと思うのはライブをやってるときかなあ。ニコルズというバンドでギターを弾くことそのものが楽しいし、ライブに来てくれた大勢の人たちが泣いたり笑ったり盛り上がったりしているのを見るとさらにうれしい。自分がこんなに楽しいと感じることを何百人もの人たちと共有できる、一緒に感動を分かち合える。こんな素晴らしいことってないなとつくづく思うんです。

生きている意味をリアルに感じられる

D.W.ニコルズ-近影3

岡田 私もライブですかね。観に来てくれたオーディエンスたちが本当に楽しそうで、私の前で演奏している3人のメンバーもいつも楽しそう。それを見てると私もうれしいしテンションが上がります。私がニコルズでドラムを叩くことで大勢の人びとが喜んでくれる、つまり、人のために生きている実感を得られて、私の生きる意味はここにある、生きててよかったとすら思えるんです。それを最も感じられる場がライブなんですよね。音楽をやっててよかったと思える瞬間ですね。


──そんなことを感じられる職業ってなかなかないですよね。

岡田 そうなんですよね。世の中のすべての仕事は誰かのためになっているのは確かなことなのですが、それをリアルタイムで実感できるのはすごく稀で幸せなことだなと思います。

このバンドに救われた

千葉真奈美-近影2

千葉 私はそもそも暗い人間で友だちもあんまりいなくて、ちょっと心の闇みたいなものを抱えていたんですが、まずだいちゃんに出会って歌を聞いた時、ちょっと救われた気がしたんです。そしてだいちゃんに声を掛けて一緒に音楽を始めて、私自身も人に音楽を届けられるようになった。そしてニコルズというバンドを始めてから私自身も生きることに前向きになれたので、それ自体が音楽をやってて一番よかったと思うことなんです。

ニコルズのファンの中にも意外と私と同じような人もいて、ニコルズの音楽に救われているという声をもらったりすると本当にうれしいんですよね。ああ、昔の自分とおんなじだって。だから自分のためになってるし、誰かのためにもなっているということが実感できるのがすごくうれしいし、そんなときニコルズで音楽をやっててよかったとすごく思います。それがリアルに感じられるのが、みんなの顔が観られるライブなので、私もすごくいい場所だと思います。


──何百人もの人が自分たちのパフォーマンスを観に集ってくるというのはすごいことですよね。

千葉 そうなんですよね。ニコルズを求めてそこに来てくれるというだけでもすごいことじゃないですか。その上盛り上がったり喜んでくれたり感動して涙を流してくれるわけですからめったにあることじゃないですよね。

岡田 そんなこと、10年前にはとても考えられなかったのでやっぱりすごくうれしいです。音楽続けててよかったなと一番思う瞬間ですよね。

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曲の作り方

──ニコルズの曲の作詞作曲はすべてわたなべさんということですが、曲はどのようにして作るのですか?

わたなべだいすけ-近影3

わたなべ 曲は高校3年生の頃から書き始めたのですが、曲と歌詞のどちらを先に書くかはそのときどきによって違います。常にメロディの断片は探してストックしているし、歌詞として使いたい言葉のストックもたくさんあります。しいて言うなら歌詞を書く方が好きですかね。いかにその歌詞を多くの人にちゃんと伝えるか、そのために曲を書くので、優先順位としては歌詞の方が上ですね。


──バンドのためだけではなく、企業から依頼を受けて曲を書くこともあるのですか?

わたなべ ありますよ。一番有名なのは「日本和装」の着物の歌です。あと「誰だって波瀾爆笑」というトークバラエティ番組(日本テレビ系列で毎週日曜朝9:55‐10:55に放送中)のエンディングテーマも番組のために書き下ろしました。僕は誰かに求められて曲を書くのが好きなんですよね。相手の構えているミットの真ん中に球をズバッと投げられたとき、すごくうれしいんです。作曲のヒントはもちろんあって、その企業が人びとにどう映っているのかを考えれば自ずと曲のイメージが浮かんできます。そういうこと自体も楽しいので、今後もどんどんやっていきたいと思っています。あとはメンバーからもこういうタイトルでこういう曲を書いてみてと言われて書くこともあります。

決して埋まらない溝

──曲を書けるってすごいと思います。普通の人にはできない、特殊能力ですよね。

わたなべ よくそう言われるんですが、そう難しいことではありません。みんなやればできると思いますよ。ただ、不思議だなと思うのが10年やってていまだに埋まらない「溝」があるんです。


──どういうことですか?

わたなべ 自分が書いたうたと他人が書いたうたの間にある溝です。それが一向に埋まらない。例えばお米なら、もちろん農家や作り方、品種によって味は大きく違いますが、お米はお米ですよね。でも僕の場合、自分のうたと他人のうたではお米とパソコンくらい違う。完全に別物なんです。だからCDショップでニコルズのCDと他のバンドのCDが一緒に並んでいるのを見るとすごく違和感を覚えるんです。それが不思議なんですよね。自分でもなぜそう感じるのかわからない。いつになったらその溝が埋まるのか楽しみにしているのですが、10年やってても一向に埋まらないんです。


──その溝というのはもう少し具体的に言うとどんな感じなのですか?

わたなべ 決して嫌な溝じゃないんですよ。ただそこに溝があるというだけで。どっちの曲が上とか下とかじゃなくて、水と油みたいなもの。それはカラオケに行ったときに如実に出てくるのですが、カラオケで自分のうたを歌っているときにも違和感を覚えるんです。他の曲と全く乖離した世界にあるものが同じ空間にある不思議。うまく説明できないんですが......。

千葉 だいちゃんが自分で曲を書いてるからそう思うのかな。

D.W.ニコルズ-近影3

わたなべ そうだと思う。

岡田 確かに私にとってもニコルズの音源は他のバンドのものとは別物で、同じようには聴けないな。溝は埋まらないと思う。

千葉 私はどっちも普通に聴けちゃう(笑)。

わたなべ 単純に曲だけじゃなくて、ライブでもそうで、例えばフェスに出演したときも自分と他の出演者との間にやっぱり超えられない溝を感じるんですよね。


──同じ土俵に立つミュージシャンとは思えないということですか?

わたなべ そうですね。別に「自分たちは他のバンドとは違うぜ」と斜に構えてるということではなくて、一緒に楽しく喋っていてもどこか別の世界にいるみたいな感じなんです。不思議ですよ。特にデビュー前からずっと個人的に好きなミュージシャンに対しては、同じステージに立っているという実感は10年やってもまだないですね。でもみんなそうなんじゃないかな。

鈴木 確かにその実感はないね。いつまでたっても仲間入りできないという。

千葉 それはわかる(笑)。何か壁があるのかな。

岡田 一緒に音を出したらその溝は埋まるんだろうか。

わたなべ 埋まらないと思う。

千葉 難しいね。

わたなべ でもみんなそんなこと感じないで音楽を楽しんでいるから、別に考えなくていいんですが、ふと僕らと彼らは別だなあと感じるときがあるんですよね。

好きなことを仕事にするということ

──みなさんは10代の頃から音楽が好きで、目指していたプロのミュージシャンになっているわけですが、好きなことを仕事にするということはどうですか?

わたなべ すごくいいことですね。

千葉 毎日楽しいし、幸せだよね。

岡田梨沙-近影3

岡田 仕事なのでもちろん楽しいことばかりじゃなくて大変なことやつらいこともあるのですが、自分が好きなことだから頑張れるんですよね。ニコルズにはこの先もっと大きなバンドになるという夢があるので、そのためならどんなに大変でも頑張れる。その先にはきっと楽しい結果が待っていると信じられるから。

わたなべ 好きなことを仕事にするというのは簡単なことじゃなくて、ある種の覚悟を決めてやっているわけです。その時に大事なのは、好きなことを仕事にすることで嫌いになったら本末転倒なので、そうならないようにすること。


──本当に好きなことはあえて仕事にしないで趣味にするという人も多いのはそのリスクがあるからですよね。

わたなべ そうですよね。音楽なんて特にそういう人が多いです。だから僕は好きなことを仕事にすると決めた時点で、それを嫌いにならないようにどうすればいいかを考え、好きなことを楽しんでできることが大事だと思いました。楽しければ嫌いにならないですからね。じゃあそのためにどうすればいいかと、一つひとつ考えてひたすら実践していった結果、好きな音楽が嫌いになったことはこの10年間で一度もなく、楽しく音楽活動を続けることができているんです。


──具体的にはどういうことをしたのですか?

わたなべ 例えば、「○○をしなければならない」という義務のようなことはどんどん排除していきました。何日までに曲を書かなきゃいけないと思うと義務感がどんどん強くなってつらくなるので、なるべくそうは思わないようにする。日頃の考え方や発言含め、こういう細かいことを1つひとつやっていくと、好きなことをずっと好きなまま楽しく続けられると思うんです。

他のメンバー (深く頷く)。

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生きていることすべてが仕事

──働き方についてお伺いしたいのですが、仕事とプライベートのバランスはどんな感じですか?

鈴木健太-近影4

鈴木 結局好きなことを仕事にすると、仕事とプライベートの境目がなくなるんですよね。ちょっとでも時間ができたらいろんな音楽を聞いたり、ギターの練習をしているのですが、それは仕事ともいえるし、プライベートともいえる。1日でもギターを触らないと不安になるんですよね。

わたなべ 僕の場合は、確かに音楽を生業とはしていますが、自分のことをミュージシャンだとは思ってないんですよね。僕の仕事は曲を作って歌って人びとに届けることですが、生きている中で思ったり、気づいたり、伝えたいことを歌詞にして歌っているわけなので、どうやって生きて生活しているかが重要になってきます。そこがちゃんとしてないと聴く人の心に響く曲や詞が生まれてこないんですよね。僕の曲を聴いてくれる人も同じようにこの世界で生きて生活しているわけですからね。作品づくりやライブだけでなくラジオで話すときも、普段思っていることや日常の出来事をリスナーに伝えているので、そう考えると、音楽を仕事にしているというよりも、生きていることそのものが仕事になっているという感じなんです。その辺はおもしろいなと思います。

鈴木 そうだね。仕事がプライベートになっているというよりは、プライベートが仕事になってるという感じだよね。

千葉岡田 うんうん、そうだよね。

音楽に対する思い

──みなさんはどういう気持ちで音楽に取り組んでいるのでしょう。

わたなべだいすけ-近影4

わたなべ バンドとしては、自分たちの音楽でたくさんの人を元気にしたいという思いが大前提としてあります。僕らの音楽を聴いて元気になる人が1人でも増えてくれればこれほどうれしいことはありません。僕個人としては、曲を書いて歌っていく上で身の丈というのをすごく意識して、そこからはみ出ないように意識しています。それだけは音楽を始めたときから唯一変わらないことですね。


──具体的にはどういうことですか?

わたなべ 例えば変にかっこつけたような言葉やきれいな言葉を使ったり、パフォーマンスをしたりしない、つまり自分を実物よりも大きく見せないということです。

岡田 私はこのバンドにおける私のドラムスとしての役割、目的は自分のテクニックを見せつけるためではなく、だいちゃんの書いた曲を人びとにちゃんと届けること。そのためにドラムを叩いているので、そこは絶対忘れないようにしています。

千葉 私は初めてだいちゃんに出会ったときの気持ちを忘れないようにという......。

D.W.ニコルズ-近影4

わたなべ 恋人か!(笑)

他のメンバー (大爆笑)。

岡田 あはは、ほんと恋人みたいだねー(笑)。

鈴木 びっくりしたわ~(笑)。

千葉 そこだけ聞いたらそうだよね(笑)。でも初めてだいちゃんに出会ってだいちゃんのうたを聴いた時に感動した気持ちを忘れないで、これからもニコルズで音楽活動を続けていきたいなと本当に思ってるんです。この先10年、20年経っても色褪せない音楽をたくさんの人に届けたいというのはいつもみんなで話していることで、バンドとしても一番モットーにしてるところです。だいちゃんとバンドを始めて10年経った今でも一緒にバンドをやれているのはすごいことだなと思うし、同時にこれまでできたんだからこれから10年先もできるだろうという自信もあります。

鈴木 僕の言いたいことはあらかたまなんとりっちゃんに言われちゃったな(笑)。それ以外のことで言うと、僕なりのこだわりを忘れないように心がけています。胸を張ってやれることをするというか、ここまできたからには何かに媚びたりせずに、自分のやりたいことをやっていく。例えば、僕は昔からあるようなオーソドックスでシンプルな音楽が好きなので、そのよさをちゃんと伝えたい。大きいことを言うと、日本の音楽シーンによい音楽を残していきたい。それはニコルズの一つの大きな使命なのかなとも思っています。流行りものにとらわれずによい音楽をメジャーのポップシーンの第一線でずっと奏でて、ちゃんと人びとに届けていく。そう思いながら音楽に取り組んでいます。

小さいことからコツコツと

──バンドとしての目標を教えてください。

わたなべ わかりやすい目標としては武道館でライブをやるというのがありますが、まずはこれまで10年やってきたので、さらにこの先10年続けていくことですね。さっき話したように、好きでやってる音楽を嫌いにならないためにはどうしたらいいか考えながら、楽しく続けていくことが日々の目標です。その先にすべての大きな目標がある。根っこの部分をちゃんと固めて、小さい目標を一つひとつクリアしていかないと、大きな夢を描くことはできません。どんな仕事でも同じだと思いますが。

他のメンバー (深く頷く)。


──メンバーそれぞれの個人的な目標があればお願いします。

岡田梨沙-近影4

岡田 先日、まなんがブログに「メンバーみんなの親孝行がしたい」と書いていたんですが、私も本当にそう思います。例えば大晦日の紅白歌合戦への出場とかも、それが最終目標ではないけれど叶えば親孝行になりますよね。1度でもいいから自分の娘が紅白に出たよと言わせてあげたいですね。

鈴木 僕はニコルズの認知度をもっと上げたいというのが一番の目標です。これはよくだいちゃんも言っていることなのですが、みんな僕たちのことを話題に出すとき、「D.W.ニコルズというバンドがさ...」と言うのですが、その"という"を取りたい。トップレベルに売れなくてもいいのですが、バンド名を聞けばほとんどの人がわかるようなバンドになりたいですね。

千葉 確かにお茶の間層にもっと浸透したいというのはあるよね。携帯でバンド名を打つとき、dと打ったらD.W.ニコルズって変換予測で出てくるようにいつかなれればうれしいなと最近思いました(笑)。

わたなべ 僕は飛び上がってやった! と叫ぶような、スポーツ選手が感情を爆発させて喜ぶような瞬間を迎えたいということ。それに匹敵するくらいうれしいことはきっと起こってるはずなのに、年を取るとなかなかそういうことってないので。

千葉 よし、今年中にだいちゃんを胴上げするようなことを起こそう(笑)。

とにかくライブに来てほしい

──最後に読者に伝えたいことがあればお願いします。

わたなべ このインタビュー記事を読んで僕らのことがちょっとでも気になった人はニコルズのWebサイトにアクセスして、メールマガジンに登録してください。そこから僕らとの関係をスタートさせましょう(笑)

岡田 ぜひ私たちのライブに来てほしいですね。きっと楽しんでいただけると思うので。

鈴木健太-近影4

鈴木 そうだね。だいちゃんのうたは聞き取りやすいしわかりやすいので、曲を知らなくても、初めての人でも、普段ライブに行かない人でも、老若男女問わず楽しめます。それに関しては絶大なる自信があります。とりあえずだまされたと思って気軽に来てほしいですね(笑)。

千葉 最近のライブでは小学生以下は無料にしていて、子どもたちが増えているので、お子さん連れでもお気軽にどうぞ(笑)。

──なぜ小学生以下は無料にしているのですか?

わたなべ 多くの子どもたちに僕らの音楽を聞いてほしいと思ったからです。ライブ会場内にはなるべくキッズエリアを作るようにもしているので、親御さんも子どもを連れてきやすいと思いますよ。

千葉 初めて観るライブがニコルズだったら一生忘れないんじゃないかなと(笑)。子どもたちがたくさんいるライブっていいねと言ってくれるファンもいます。会場全体がいい雰囲気になっていて、私たちのライブは大人も子どもも入りやすいんです。

岡田 10月11日に赤坂ブリッツで開催するライブは入場料1000円なので、ぜひ気軽に観に来てください!

インタビュー前編はこちら

生きることすべてが音楽活動[前編]

誰もが楽しめる音楽で人気

──D.W.ニコルズ(以下、ニコルズ)は今年(2015年)8月で結成10周年ということですね。おめでとうございます。まずは簡単なバンドの紹介からお願いします。

わたなべだいすけ-近影1

ボーカルとギター、作詞作曲を担当しているわたなべだいすけ

わたなべだいすけ(以下、わたなべ) 「D.W.ニコルズ」は、ボーカルとギター、作詞作曲を担当している僕、わたなべだいすけ(愛称・だいちゃん)と、ベースの千葉真奈美(まなん)、ギターの鈴木健太(けんちゃん)、ドラムの岡田梨沙(りっちゃん)の4人で構成されているバンドです。2005年8月に僕とまなんと僕の友人の3人で「D.W.ニコルズ」を結成したのですが、2006年にけんちゃんが加わり、2007年に僕の友人が抜けてりっちゃんが加わり、現在の4人になりました。これまでにシングル、アルバム含め21枚のCDをリリースしています。音楽性としては、わかりやすい歌詞と親しみやすいメロディを心がけているので老若男女を問わず楽しめると思います。


──バンド名の由来は? やはりC.W.ニコルさんと関係しているんですか。

わたなべ 最初は、僕が作った曲を演奏するバンドだし、わかりやすい名前がよかったので「わたなべだいすけバンド」でもいいかと思っていたんですが、せっかくバンドを結成するんだからもっとそれっぽいバンド名を考えようという話になりました。いくつか候補を考えているうちに僕のイニシャル「D.W.」を入れたいなと。その時にC.W.ニコルさんの名前がパッと脳裏に浮かびました。僕自身、神奈川県の葉山という自然の豊かなところで生まれ育って、僕らの音楽もナチュラルな感じだったので、ニコルさんの人柄や活動に反するものではないし、バンドだから複数形でニコルズにして「D.W.ニコルズでどう?」とふざけ半分でメンバーに言ったら、それいいね、となって(笑)。

千葉真奈美(以下、千葉) 「ニコ」って何となくかわいいし、アルファベットとカタカナの組み合わせが他のバンド名と並んだ時に目立つのでいいかなと。

わたなべ でもその後、ある音楽関係者の方からニコルさんサイドに早めに名前の使用許可の連絡をした方がいいと言われたので、すぐニコルさんの事務所に連絡しました。「D.W.ニコルズというバンド名で音楽活動をしたいのですがいいでしょうか」とお伺いすると快諾していただき、胸を張って使えることになりました(笑)。ニコルさんにはとても感謝しています。


──バンドのリーダーは?

わたなべ この間もインタビューで聞かれて、ずっと当然僕だと思っていたんですが、みんなは違ってたみたいで。リーダーって誰だ? ってなりました(笑)。

千葉真奈美-近影1

ベースの千葉真奈美(まなん)

千葉 だいちゃんがリーダーじゃないと言ってるわけじゃないんだけど、改めて聞かれたときにそういえば誰なんだろうと(笑)。


──リーダーって、バンドを組むときに決めるものじゃないんですか?

千葉 私たちは特に決めてなかったんです。最初から何となくちゃんと役割分担されていたので。

わたなべ 部長が4人いるみたいな感じなんですよね。僕は作詞作曲部の部長。けんちゃんはアレンジやバンマス的な役割。りっちゃんはWeb系に強いから運営部長。まなんは広報とか渉外部の責任者、みたいな感じで、みんなそれぞれの担当があるんです。

日々の活動

──現在、バンドとしては日々どのような活動をしているのですか?

わたなべ ライブ、曲作り、レコーディング、練習、ラジオ出演、取材対応などですね。

鈴木健太-近影1

ギターの鈴木健太(けんちゃん)

鈴木健太(以下、鈴木) 基本的には作品を作ってライブツアーを行うというのが活動の柱です。その合間に単発のライブやフェスに出たり、各地のイベントに呼ばれて出演したりします。また、例えば半年後に全国ツアーが予定されているとしたら、その前に主要都市でライブを行ったりもします。


──ライブはどのくらいの頻度で行っているんですか?

わたなべ 2015年上半期は53本でした。3、4日に1回はどこかでライブをしてるという感じですね。

岡田梨沙(以下、岡田) 今年はニコルズ史上、一番多いよね。

わたなべ 例えて言うなら、遠距離恋愛している恋人が全国各地にたくさんいるようなものなんですよ(笑)。恋人は電話だけじゃ満足しませんよね。たまには会いに行ってあげないと寂しがるので、年に1とか回決まったときだけじゃなくて極力時間を見つけて会いに行って好きだよと伝える。そうすると私のことを気にかけているんだと思ってくれるので(笑)。だから車に機材を積んで、常にみんなで全国各地を飛び回っているという感じなんです。

岡田梨沙-近影1

ドラムの岡田梨沙(りっちゃん)

岡田 全国ツアーのときは、会場まで1日かけて行くこともあるので移動も仕事のうちですね。北海道にはカーフェリーで行くのですが、フェリーの中でもミーティングしています。けっこうみんな真面目なんですよ(笑)。

グッズの企画・デザインまで

メンバーみんなでグッズのデザインを考えている

メンバーみんなでグッズのデザインを考えている

わたなべ その他の仕事としては、CDジャケットのデザインやアーティスト写真のコンセプトや方向性、さらにはニコルズのグッズの企画、デザイン、売り方などまで、すべてメンバー含めてスタッフと一緒に考えながら行っています。だからミーティングも多いんです。

千葉 だいちゃんは絵が上手なのでグッズのイラストを全部描いているんです。だから最近は「画伯」なんて呼ばれていたりして(笑)。

わたなべ 僕が描いたイラストを本職のデザイナーがデザインに落としこんでいるんです。

鈴木 デザインのたたき台ができたら、みんなで「この線はもう少し細いほうがいいんじゃないか」とか「ここは手描きの方がいいんじゃないか」など、細かいところまで意見を出し合ってよりよいものに仕上げていきます。

D.W.ニコルズ-近影1

わたなべ グッズの使い方も考えたりします。例えば僕らがデザインしたこのタオルは、ライブ中にかざすという使い方を広めました。ファンに手拍子をしてもらうことや、ファンと一緒に歌うのはこれまでもやっていたけど、他のアーティストのパフォーマンスを参考に、自分たちなりの使い方を考えてみたんです。こういうタオルの使い方を考案したのは、会場全体の一体感を作りたかったことはもちろん、もっとファンにライブを楽しんでもらいたかったからです。やっぱりお金を払ってライブを観に来てくれた人たちには来てよかったと満足して帰ってもらいたいんですよね。楽曲を完成させるまでは自分たちだけで一所懸命頑張ればいいのですが、ライブはナマモノで、その時その場所でしかできないものなので、どうしたらファンのみんなにもっと楽しんでいただけるかは常に考えています。

岡田 それをやったらタオルが売れるようになったんです。みんながタオルをかざしていると自分もやりたくなるんでしょうね。

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ブランディングにこだわる

──なぜミュージシャン自身がグッズのデザインや使い方まで考えるのですか?

わたなべだいすけ-近影2

わたなべ すべてはニコルズというバンドを自分たちが思い描いている通りに、世の中に正しく伝えていくためです。そういう意味では企業のブランディングに似ていると思います。ニコルズというバンドのブランディングを自分たちできちっとやっていくということ。そのためには音楽性は元より、グッズやデザインなどすべてにおいて統一されたコンセプトがなければならない。それを自分たち発信で考えていくことにより、グッズなどもメンバーの血が通うものになって、ブランディングがより強固になったと思いますね。

鈴木 ブランディングについては日々考えていて、思いついたことはすぐにみんなで話し合っています。さっきりっちゃんも言いましたが、全国ツアーなどの移動中でもよく話してますね。それをこの10年の間でしっかりできるようになったと感じています。最初の頃はそこまで考えてなかったんですが、数年前からブランディングの重要性がわかるようになってきたんです。

岡田 ただ演奏するだけがバンドマンじゃないということですよね。自分たちのバンドをどうプロモーションしていくかを自分たちで考えた方がファンにより濃く、正しく伝わるからファンのみんなも喜ぶと思うんです。


──プロモーションといえば、YouTubeにアップされているミュージックビデオ(MV)もすごく凝っているというか完成度が高いですよね。

わたなべ YouTubeのような世界中の人が視聴するインターネットの動画配信サイトは、たくさんの人が僕らを知る第一歩になる可能性が大きいので、そこにアップされているものは僕らの魅力が詰まったものでないといけない。だからそのMVを見ただけで僕らのライブに行きたくなるような、いろんなことを誘発する作品をと思って作っています。僕らの曲をただ聴いてもらうためのものではないんですよね。

C.W.ニコルさんとの交流

──ミュージックビデオにC.W.ニコルさんも出演していますね。

わたなべ 2010年10月にリリースした「一秒でもはやく」という曲で、MVを制作した当時のレコード会社の人のアイディアです。ニコルさんが僕らのライブに来てくれていて面識はあったので、出演をお願いしたら快諾してくれたんです。


──C.W.ニコルさんとの交流は?

わたなべ 初めてお会いした時も、ニコルさんは僕らの歌の歌詞やハーモニーがいいねと褒めてくれて、「僕のことをD.W.ニコルズのおじいちゃんだと思ってね」とまで言ってくれたんです。先日はニコルさんのアファンの森にも行って、森の中で数曲レコーディングをしたんですよ。森の中のレコーディングはすごく楽しかったです。そしてご飯を一緒に食べながらいろいろと話をしました。

岡田梨沙-近影2

岡田 最近ニコルさんとここまで親交が深くなれたのは、ニコルズの結成10周年のお祝いコメントをニコルさんにお願いして、快諾していただいたことがきっかけです。じゃあひさしぶりにご飯でもということでみんなで焼き鳥屋に行ったのですが、その時にアファンの森に遊びに行く約束をし、そこからまたトントン拍子にアファンの森でレコーディングしようという話にまで進んだんです。

セルフブランディングにこだわる理由

──音楽関係以外の活動は?

岡田 例えば以前、よくライブをするライブハウスの下にあるカフェを期間限定で「ニコルズカフェ」と銘打って、オリジナルメニューを作ったり、店内をニコルズのライブ写真パネルで飾ったり、私たちがセレクトした曲をBGMとしてかけたりしたんです。メンバーが一日店員になって接客するイベントもしました。ニコルズはただライブをしてるだけの4人組じゃないということをいろんな人に知ってほしい、また、ニコルズはいつも何かおもしろそうなことをやっているバンドだなと認知してほしいから、カフェのような企画もみんなで練って実践しているんです。このように、私たち自身がプロモーションやブランディングのアイディアを考えて実践するようになって、以前より確実にグッズなどは売れるようになりました。その成功体験の積み重ねでここまで来たという感は確かにあります。

わたなべ 確かにそれはあるよね。そもそもこういったことは自分たち自身で考えざるをえなかったから始めたことです。でも自分たちでやる方が楽しいし、メンバーも自分で自分たちのバンドを動かしているという意識が芽生えてきたのでよかったなと思います。

バンド結成の経緯

D.W.ニコルズ-近影2

──バンド結成の経緯をもう少し詳しく教えて下さい。

わたなべ 僕は大学卒業後、プロのミュージシャンを目指して1人でライブハウスでギターを弾いて歌っていたのですが、ある日まなんに声をかけられました。それがすべての始まりです。

千葉 当時私はライブハウスでアルバイトをしていたのですが、たまたまそのライブハウスに出演しただいちゃんのライブを観てすごくいいなと思ったんです。歌詞がストレートに伝わってきて、曲の雰囲気とメロディが好みでした。それからだいちゃんのライブを観に行くようになり、「バンドはやってないんですか?」と聞いたらやってないと。私はベースをやってたので、「私とバンドを組んでやってみませんか?」と誘ったのが最初です。それが2005年くらいですね。当時は私もいくつかのバンドを掛け持ちしてベースを弾いていたのですが、自分のイメージにぴったりのボーカルがなかなかいなくて、自分の働いているライブハウスでいろんなシンガーを見て探していたけれど、グッと来る人になかなか出会えなくて。そんなときにだいちゃんと出会えたので声をかけたというわけです。

わたなべ まなんに声をかけられたとき、ちょうど僕も周囲を見て「このままこの場所で弾き語りをしていてもダメだ、別の世界に行きたい」と思っていたので、バンドという世界に踏み込んでみたら違う可能性が拓けるかもと思い、まなんの誘いに乗ることにしたんです。まずはまなん(ベース)と僕の高校時代の友人(ドラム)と僕(ボーカル&ギター)の3人でバンドを結成し、「D.W.ニコルズ」と名付けました。それがバンド誕生の瞬間ですね。


──ギターとドラムはどのような経緯で?

千葉真奈美-近影2

千葉 ギターのけんちゃんとは2006年の5月頃に対バンを通して知り合いました。けんちゃんのギターを聴いてニコルズにすごく合うと思い、打ち上げの席で当時の状況を聞くと、けんちゃんも色んなバンドを掛け持ちしていてとても忙しそうでした。でも「音源だけでも聴いてくれませんか」と連絡先を交換。後日音源を聴いてもらったらすごく気に入ってくれて、サポートとしてもらえることになったんです。

鈴木 当時は自分のバンドをやりつつも、他のバンドから誘われたらサポートギターとしてライブに出演したりレコーディングに参加したりと、いろんな人といろんな音楽を試すことで、自分のすべてを懸けられる場所をひたすら探していました。バンドも5、6個掛け持ちしていたのですが、どれももう一歩決め手に欠けるという感じで。そんな時にまなんに誘われたんです。当時一番忙しい時期で、関わるバンドをこれ以上増やすのは無理だと思っていたのですが、まなんからもらったニコルズの音源がすごくよかった。シンプルで土や太陽の匂いがする、地に足をつけた音楽だなと。奇をてらっていないオーソドックスなスタイルという点も僕のプレイスタイルと一致したので、このバンドならあれこれ難しいことを考えずに自分のいいところを出せるなと感じました。ただ、最初から正式メンバーでやる余裕はなかったので、まずはサポートメンバーとしてニコルズに入ることにしました。それが2006年の夏頃ですね。

わたなべ その頃からニコルズでプロのバンドとしてちゃんとメシを食っていきたいと思うようになりました。でもそう考えた時、ドラムだけが技術的にも覚悟的にも不安でした。当時のドラムは高校時代から仲がよかった同級生だったのですが、正直に話したところ、彼は「おれはお前が有名になってくれればうれしいから、おれは抜けるよ」と言ってくれました。その時のことは今でもよく覚えています。ちなみにその後、彼は公務員になり結婚して子どもももうけて、僕らより幸せな人生を手に入れました(笑)。

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ドラムス加入で現在の4人体制に

鈴木健太-近影2

鈴木 プロとして本気でやっていくのであればドラムを変えた方がいいんじゃないかという話をしていたとき、僕はかねてからドラマーとして知っていたりっちゃんをまず候補として考えて、水面下でそれとなくアプローチをかけていました。

岡田 健太君に声をかけられた2007年当時、私も仕事とバンドをいくつか掛け持ちしていました。自分のバンドも持っていたし、色んなバンドのサポートでもドラムを叩いていたんです。健太君ともその中で知り合って意気投合し、何かの形で一緒にやれたらいいねという話はずっとしてたんです。まなんとも、彼女が働いていたライブハウスに出演していたので繋がっていました。そしてある日、健太君が「最近サポートで始めたいいバンドがあるんだよね」と当時のニコルズのライブDVDを持って来てくれて、それを観たらすごくよくて。だいちゃんの声も曲も歌詞もすごくいいと思ったし、健太君のギターもすごく好きだったし、まなんのベースも上手だし、いいメンバーがそろったバンドだなと。このメンバーの中で私がドラムを叩いている姿が自然とイメージできて、すごくいいバンドになりそうな気がすると思ったんです。その時に健太君から「ドラムを探しているんだけどニコルズで叩いてみない?」と言われたので、やりますと即答しました(笑)。でも私も複数のバンドを掛け持ちしていたので、最初はサポートとして入りました。

鈴木 僕とりっちゃんはしばらくサポートメンバーだったのですが、他のバンドを少しずつやめていって、2007年3月にニコルズに正式に加入したんです。

デビュー後しばらくはトントン拍子

──4人体制となってからは、翌年の2008年1月にインディーズで6曲入りミニアルバム『愛に。』を発表。10月には初のワンマンライブを下北沢のライブハウスで開催してチケットはソールドアウト。2009年2月には初めての全国ツアーを開催。9月にはメジャーデビューと、4人体制になってからはトントン拍子という感じですね。

千葉 そうですね。割とすぐにワンマンライブや全国ツアーができるようになり、CDも最初の頃は自主制作で作ってライブ会場だけでコツコツ売っていたのが、全国流通に乗るようになったりしましたしね。

岡田梨沙-近影3

岡田 最初に出したミニアルバム『愛に。』が好評で、ラジオで流れたりもして色んな人に届くようになり、そのうちにメジャーデビューの話もいただいて、という感じである意味トントン拍子ではあるかもしれないですね。

千葉 少なくともバンドメンバーを集めることに関してはトントン拍子ですね。何といってもメンバー集めが一番大変なことなのに、ギターもドラムもけんちゃんとりっちゃんにしか声をかけてないし、すんなりと入ってくれたのですぐ今の形になりました。普通、こんな簡単にいいメンバーは見つからないんですよ。

わたなべ でもメジャーデビューした後も一度インディーズに戻ったりして、いいことばかりではなかったんですけどね。

軌道に乗る最初の火種

──ではこの10年間を振り返って、一番印象に残っていることは?

鈴木 僕は2008年にインディーズで出した最初のCD『愛に。』が、狭い下北沢という界隈でしたが、ちょっとした話題になったことですね。どうして盛り上がったんだろうね。

千葉 ほんと何でだろうね。口コミかなあ。当時私たちは下北沢を拠点にライブやイベントなどを行っていたのですが、その下北沢にあったインディーズ専門のCDショップで『愛に。』がたくさん売れたんです。

わたなべ 初めてそのショップの売上チャートの上位にも入ったよね。

鈴木 そのショップでインストアライブをやったときに、店の外まで入場待ちの行列ができたんです。その後初めてのワンマンライブを開催したとき、チケットがソールドアウトしたことにも驚きました。その時のオーディエンスが、僕たちをワクワクしながら観ているのを感じました。いろんなことがうまく転がり始めて、僕たちを取り巻く環境がいい方向に変わりつつあると実感したことがすごく印象的ですね。僕たちイケるんじゃないかと。下北沢という狭い界隈ではあったんですが、それが今の僕たちに繋がる最初の火種だと思うので、一番印象に残っています。

初めてのファンクラブ

岡田 私はここ1年がとても濃くてその印象で頭がいっぱいで、もちろんこの10年でいろんなことがあったのですが、あまり昔のことが思い出せないんです(笑)。しいて言えば、結成10周年記念イベントの一つとして、初めてファンクラブを作ったことですね。ファンクラブに入ってくれる人は大勢のファンの中でもより濃いファンで、私たちにとってすごく大きな存在です。ファンクラブ会員限定のイベントを開催したときも異様に盛り上がって、ファン同士で仲良くなってくれたこともうれしかったですね。また、先日ワンマンライブをやったときもすごく盛り上がって、ファンクラブ会員もそれ以外の人たちからも、ニコルズをどうにか盛り上げたい、応援したい、という愛をひしひしと感じて感動しました。今やファンも一緒にニコルズを動かしていると言っても過言ではありません。それがここ最近一番の変化で、10年続けてきてよかったなと強く思うことです。

千葉真奈美-近影3

千葉 私が一番印象に残っているのは、2009年の最初のメジャーデビューですね。そもそもバンドとしてプロを目指すと決意したときから、メジャーデビューは最初の大きな夢でした。このバンドなら必ずいつか人気が出ると思って始めたので、メジャーデビューが決まったときはまず1つ夢が叶った気がしてすごくうれしかった。また、メジャーデビュー曲『マイライフストーリー』が全国31のラジオ局でパワープレイを獲得して、だいちゃんと一緒に全国のラジオ局を挨拶とお礼のため回ったのですが、これまで行ったことのないいろいろな土地に行けたことも大きな思い出ですね。今まで下北沢というすごく狭いエリアで活動していたので、見知らぬ土地でニコルズの曲が流れているということだけでもすごいと思ったし、ニコルズを知らない人がたくさんいるところに私たちの曲を届けられることがうれしかった。その時いろんなラジオ局の人と仲良くなって、いまだに関係が続いている人も多いんです。自分たちだけで活動していたら絶対にここまでは広がらないけれど、たくさんの人たちが力を貸してくれることで私たちの曲が全国に届いていく、ということを実感して、メジャーデビューの力の大きさを感じました。この経験は今にすごく繋がっているし、一番思い出に残っています。

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両親の応援

わたなべだいすけ-近影3

わたなべ 僕はメジャーデビューする前、インディーズで初めてCDを出した頃、両親が初めて下北沢のライブハウスにライブを観に来てくれたことが一番印象に残ってます。2人そろって観に来てくれたことがすごくうれしくて。30歳までにメジャーデビューをしようと心に決めていたのですが、当時28歳で、だいぶいい方向に行き始めていたので、そのタイミングで親に観てもらえたことがすごくうれしかったんです。

これは余談ですが、今でもニコルズをやってて誇りに思うのは、メンバーの家族がこのバンドをすごく応援してくれていることなんです。やっぱり家族に反対されるとストレスになりますからね。例えばメンバーは僕の書く詞を好きで信じてくれていても、メンバーの家族があんまり好きじゃなかったら僕もやってて楽しくないので、周りの人がニコルズを好きでいてくれるのは、音楽活動をしていく上で心の支えになっているし、すごく誇らしいんです。

鈴木 それは本当に思うよね。僕らは家族の理解に恵まれてる。だから続けられてると思う。

千葉 うちの親なんてニコルズの大ファンで、だいちゃんが1人で弾き語りをやってる頃からずっとライブを観てるんですよ。チケットはもちろん、グッズも最初の頃から買って支えてくれています。「この10年間でどれだけあんたたちに投資したと思ってんの」と言われているので、絶対、何が何でも売れて、恩返ししなきゃという気持ちが強いんです(笑)。あと今でも覚えているのが、初めてのワンマンライブをやったときに、全員の親がご祝儀をもって観に来てくれたんです。お祝いの気持ちを抱いてくれたのがすごくうれしかった。そのとき親同士で初めましてと挨拶してて。

岡田 授業参観みたいな感じでちょっとおかしかったよね(笑)。

仲良しの秘訣

D.W.ニコルズ-近影3

──メンバー同士、リハーサルやレコーディング、ライブツアーなどで一緒にいる時間はやっぱり長いのですか?

わたなべ そうですね。ほぼ毎日一緒にいますね。


──お話をうかがっていて感じるんですが、それだけ毎日一緒いるのにみなさんすごく仲良しですよね。ケンカしたり雰囲気が悪くなったりすることはないのですか?

わたなべ ケンカはしないですね。注意はするけど(笑)。

千葉 注意はよくされますね(笑)。

わたなべ でもみんな注意したらはいって素直に聞くしね。

千葉 親しき仲にも礼儀ありという感じで、「ありがとう」と「ごめんなさい」はちゃんと自然と言える仲なので、10年一緒にいても人間関係が変にこじれることはないですね。

岡田 理不尽にキレたりする人もいないしね。誰かが怒るときは必ず理由があって、それをメンバー同士で常に話し合うのでケンカにならないんですよね。思ってることはちゃんと言い合うのがいいんだと思います。

わたなべ 確かに常にいろいろなことについて話し合ってるよね。

岡田 あとはそれぞれ気持ちを切り替えてるからじゃないですかね。たまのプライベートまで一緒に遊んでいるわけじゃないですしね。

千葉真奈美-近影4

千葉 そうそう、常にベタベタしてるわけじゃないからね。むしろプライベートまで会いたくない(笑)。日々散々会ってるからプライベートくらい他のことをしたいよね。

岡田 他の友だちに会えなくなっちゃう(笑)。

鈴木 でも一週間全然会わないことはまずないですね。数日会わなかった後に会うとすごくほっとする。不思議なもので(笑)


──全員の相性がすごくいいということなのでしょうね。

千葉 相性がよくないと10年も続かないですしね。

バンド存続の危機

──ではこの10年でバンド存続の危機もなかった?

D.W.ニコルズ-近影4

わたなべ この4人になってからはないですね。ただ、存続の危機というのとはちょっと違うのですが、続けていくのがたいへんな時期もありました。結成して4年でメジャーデビューができましたが、期待されていたほどには売れずに2011年にはインディーズに戻らなければならなくなりました。そのとき、今後の方針について改めて4人で話し合いました。メジャーデビューしてからの2年間で僕たちなりに頑張ったのですが、正直、自分たちの魅力をもっと多くの人たちに伝えるにはまだまだ足りないという歯がゆい思いを抱えていました。僕自身、今後についてはまだ答えが出ていなかったのですが、けんちゃんが「だいちゃんはどうしたい? だいちゃんが今後もニコルズを続けたいというならみんなやるよ」と言ってくれました。その言葉で、もう一度メジャーに這い上がれるチャンスは必ず来るから、それまでもう一回一から出直すつもりで頑張ろうと決意できたんです。

同時に、みんなと音楽活動を続けるモチベーションをどうキープするかについて話し合ったのですが、そのとき僕らが選んだ方法は、もう一度自分たちを見つめ直すこと。見つめ直すことで課題が出てきます。それを1つずつクリアしていくことで前に進む原動力になりました。つまり自分たちを見つめ直すことが未来を見つめることになり、ちゃんと先が見えていたのでこれはいけるなと思えた。その結果、2013年に別のメジャーレーベルと再契約をして再びメジャーに上がれたんです。

岡田 その2度目のインディーズ時代がバンドを続けていく上で一番しんどい時期だったよね。メジャーから1回インディーズに落ちたことでみんな自信をなくしたのですが、人って自信をなくすとどんどん悪循環に陥ります。でも、そこで全員でもう一回自分たちを見つめ直して、D.W.ニコルズのスタイルを再定義して、音楽活動を再スタートしました。そして私たちが自分たちで作ったミニアルバムを聴いたEMIというレコード会社の人が今のニコルズを応援したいと言ってくれて2回目のメジャーデビューの話をいただけた。そのときはすごくうれしかったですね。自分たちは間違っていなかったんだとまた自信を持てるようになったので。あのときみんなで踏ん張って本当によかったなと思いました。


後編(9月15日リリース予定)へ続く
※後編では各メンバーが音楽の世界に飛び込むまでの経緯や音楽活動への思いなどについて語っていただきます。乞うご期待!

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