2015年5月アーカイブ

農業をあこがれの職業NO.1に[後編]

一国一城の主の夢

──宮治さんが現在のような活動をするに至った経緯についてうかがいたいのですが、宮治さんご自身も以前は東京の大手人材サービス会社に勤務していたそうですね。なぜ会社を辞めて実家に戻ったのですか?

そもそもの始まりからお話すると、僕は小学生の頃から歴史小説が好きでよく読んでいました。その影響でやっぱり男として生まれたからには一国一城の主となり天下を取らなきゃいけないと思うようになりました。しかし今の時代、隣の農家に攻め込んでここはおれんちの領土だと占領するわけにはいきません(笑)。そこで現代の一国一城の主って何だろうと考えたとき、会社の社長だなと思い、高校生の頃には漠然と起業を志すようになりました。それで起業家を数多く輩出している慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部に入学して経営学を学びました。とはいえ在学中にいきなり起業というわけにはいきません。なにせ、自分にはそのような才覚も具体的にやりたいこともありません。取りあえず若いうちから裁量ある仕事を任せてもらえそうなベンチャー企業に入社して勉強しようと思い、人材サービス会社に就職しました。入社後は営業、企画、新規プロジェクトの立ち上げなどに従事しながら、毎朝、出社前にカフェでいろんなビジネス書や歴史小説を読みつつ、どんな事業で起業するべきかを研究していました。このときは実家の養豚業を継ぐなんてことは全然考えていませんでした。

僕にとって起業とは、自分の命と生涯を懸けてやり遂げるもの。その強い意志と覚悟がなければとてもできるものではないと思っていたので、必死で考えました。なぜ働くのか。何のために働くのか。その過程で、自分自身が農家のこせがれであることを改めて認識しました。子の代、孫の代まで存続させていく農業は男が一生を懸けて取り組む仕事だと気づき、実家の養豚業に関心が向くようになりました。それ以来、農業関係の本を片っ端から読みあさり、日本の農業の現状と課題について自分なりに勉強した結果、2つの大きな問題にたどり着きました。

解決策を考える

1つは農家に価格の決定権がないこと。もう1つは生産物が生産者の名前が消されて流通することです。この2つの問題を解決するためには何が必要なのだろうと考えていた時、大学2年生のときに実家で開催したバーベキューを思い出しました。そのときたまたまうちで育てた豚肉が大量に自宅にあって、家族だけではとても食べきれないから友人たちを呼んでバーベキューをやりました。うちの豚肉を頬張った友人たちは口々に「こんなにうまい豚は食べたことがない」と言い、やたら感動していたのを見て、20歳にして初めてうちの豚ってうまいんだと気づきました。でもその直後、友人から「このおまえんちのうまい豚肉はどこに行けば買えるんだ?」と聞かれた瞬間、頭の中が真っ白になりました。そんなことは今まで考えたことすらなかったので親父に聞いたら先ほど話した理由で親父もよくわかっていませんでした。

第1回REFARM会議で行われたみやじ豚バーベキュー

厳密に言えばどこどこのスーパーで何とか豚として売られているという程度まではわかるのですが、銘柄豚は基本的に周辺の養豚農家の豚肉が混ざっています。そのパックの中に入った豚肉の切り身が果たしてうちが生産した豚なのか、隣の養豚農家が生産した豚なのかは絶対にわからないようになっているんです。だからうちの豚はここで買えるから食べてねと自信をもっては言えないんですよ。それって仕事のやりがいを失っているということだと思ったんです。僕も4年3カ月人材会社で勤務していましたが、お客様からありがとうと言われるとうれしいし、それが大きなやりがいになっていました。でも一般的な農業の仕組みでは地域で肉を一緒にして市場にもっていって、あとはどう流通して誰が食べているのかわからないから、消費者からありがとうとかおいしいねとは絶対に言われないわけですよ。それでは仕事のやりがいが得られないですよね。

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農業を6Kから3Kへ

そこで、今までは生産して出荷するまでが農家の仕事だったけれど、その後の流通も考え、マーケティング、営業、販路の拡大、商品開発といった生産からお客さんの口に届けるまでを一貫してプロデュースできれば価格決定権を自分で持ち、消費者の声を直接聞くことができる。そうなれば、農業がとても魅力的な仕事になる。従来の、きつい、汚い、かっこ悪い、臭い、稼げない、結婚できないという6K産業を、かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にできる。そうひらめいたとき、会社を辞めて実家に戻り親父の後を継いで養豚農家になろうと決意したんです。

しかし、すんなり実家に戻れたわけではありません。昔ながらの養豚農家である父に自分の考えを話しても「お前の言っていることは地に足がついていない」「理想論だ」などと反対されました。ですが、盆や正月などことあるごとに実家に帰って説得していたら「そこまでいうなら勝手にしろ」と言ってくれたので2005年、会社を辞めて実家に戻ったんです。実家に戻って驚きました。僕より2カ月先に弟が勤めていた外食チェーンを辞めて親父を手伝っていました。兄弟2人分の給料はうちでは支払えないなと思って途方に暮れました。

バーベキューマーケティング

──そこから具体的にはどうしたのですか?

生産現場は弟に任せて、実家に戻るきっかけとなった学生時代にやったようなバーベキューをやろうと思いました。うちの肉のおいしさを直接お客様に伝える一番いい方法だし、お客様からの喜びの声も直接聞くことができる。さらに自分で価格も決められます。当時の実家が抱える2つの問題点が一気に解決できると思ったんです。そこでそれまでに知り合った友人800人にバーベキューをやりますというメールを配信したところ、大勢の人たちが参加してくれて、学生時代の友人と同じようにとてもおいしいと感動してくれました。丹精込めて作った豚肉を目の前でおいしいと言いながら食べてくれるお客様の笑顔を見て、うちの親父もとてもうれしそうでした。毎月開催したバーベキュー大会はその後口コミでどんどん広がり、今や3カ月待ちという状況にまでなったのは先にお話した通りです。

大人気のみやじ豚バーベキュー

バーベキューは思わぬ効果も生み出してくれました。バーベキューを通していろいろな人と知り合いになり、レストランを紹介してもらって肉を卸す話が決まったり、イベントを開いてうちの豚を食べる機会を作ってもらったり、メディアに紹介してもらいました。うちの名前をとって「みやじ豚」と命名し、売り方もこれまでの作り手の顔も買い手の顔も見えない売り方から、オンラインショップを開設して直接インターネットで販売したり、飲食店に卸したり、銀座松屋で販売を開始しました。こんな感じで僕はプロデューサーとしてみやじ豚のブランド化を図り、流通経路を変えて販路を広げ、取り引き先を増やすということをしていったのです。とはいえありがたいことに、ほとんど紹介紹介で僕自身ほとんど営業はしませんでした。

バーベキューをはじめてすぐに「これはいけるな」という手応えを掴みました。1年後の2006年に株式会社みやじ豚を設立。2008年には父や弟がおいしい豚を育てる努力が実って、農林水産大臣賞を受賞。同業者からも「神奈川のトップブランドはみやじ豚だな」と言われるようになりました。そして2009年には売り上げが株式会社化する前の5倍になりました。みやじ豚をはじめて5年目でやっと、サラリーマン時代3年目の給料を越す収入を得られるようになりました。とはいえ、同期は僕よりももっと高い給料をもらってるはずですが(笑)

だけど僕の夢はあくまでも日本の農業を変革し、かっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にすることなので、うちだけが成功しても不十分。それで2009年に農家のこせがれネットワークを立ち上げて、これまでお話してきたような活動をしているというわけです。


──これまですべて宮治さんの思い描いた通りになっているという感じですごいですね。

いえいえ。僕はこれまで戦略的に物事を考えて実行してきたというわけではないんですよ。いつも行き当たりばったりで、何となくこういうことをやればいいんじゃないかなと思ってやってきたことが運良くはまってるという感じでしょうか。

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全国を飛び回る日々

──いろいろな活動をしている宮治さんですが、日々、どんな感じで働いているのですか?

日によってやることは全然違いますが、だいたい毎日朝6時くらいに起きて、読書をします。それから7時に朝ご飯を食べて、8時くらいから自宅で事務仕事を始めます。以降はカフェでWeb制作会社の人やみやじ豚を扱いたい飲食店の人と打ち合わせをしたり、農家のこせがれネットワーク関係でこせがれや農業で何かやりたいという人の相談に乗るなど、とにかくいろいろな人とお会いします。

講演の依頼もよくいただいていて、全国各地で多い年だと年間50~60本の講演をしています。月の半分以上、関東圏以外に行くこともあります。最も依頼が多いのはやはり農業者の集まりですね。あとは中小企業の経営者の勉強会や官僚の新人研修の講師として呼ばれることもあります。その他は教育機関も多いです。キャリア教育の一貫で中学校や高校などでこれまでの取り組みなどについて話をしたり、大学で講義のゲストスピーカーとして呼ばれて話すこともあります。これまで慶應義塾大学、早稲田大学、明治学院大学、高千穂大学、名古屋大学、大阪大学などいろいろな大学で講義をしてきました。


──講演ではどのようなことを話しているのですか?

例えば農業系の学校でよく話しているのは、学校を出てすぐに実家の農業に従事するんじゃなくて、就職活動して一度会社勤めを経験した方が絶対にいいということです。僕自身の経験からも、会社に入って学んだことや経験したこと、身につけたスキルは農業をやるときに絶対に生きます。逆にそれらは学校を卒業してすぐに家業に入ると絶対に身につきません。家族同士だとお互いに甘えも出るし、父親もビジネスの経験がないので変化を嫌い古い仕組みを押し付けたり、こうした方がいいんじゃないかと意見を言っても半人前のくせに偉そうなことを言うな、お前はおれの言うとおりに農作業をやっていればいいんだとそれこそ理不尽なことを言われます。そうなってもすぐに実家に入ると逆らえないんですよね。

だけど一回外の世界でビジネスを経験したら、父親がもっていないスキルやノウハウ、ネットワークを得られるので、それらを武器にすれば父親よりも優位に立てます。新しいことをやるときでも、親父はインターネットの使い方も知らないんだから、そこはおれに任せろとか言えるわけです。だから一度外の世界に出るのは遠回りのように見えて実はそうじゃないんですよね。農業技術以外で父親より優れた能力を身につけて初めて農業もできると思った方がいいということを話しています。

農家のこせがれネットワークでのイベントの様子

──みやじ豚と農家のこせがれネットワークでは仕事の割合はどちらが多いのでしょう。

現在はみやじ豚の方が多いです。意識的にそうしていて、自分が若い農業者の手本にならないといけないという意識で農業に従事しているので、みやじ豚がきちんと成功してないと、僕の話に説得力をもたせられないからです。だからまずはきちんと利益が出るように自社の経営をしっかりやって、それと平行して全国を回って悩める農家のこせがれや農業者のみなさんと交流をもち、講演会や経営相談会を行っているんです。

理想のライフスタイルを実現

──そのビジネスの感性というかセンスがすごいと思いますが。仕事の魅力、やりがいはどんなところにありますか?

農業の最大の魅力は自分の理想のライフスタイルを実現できることです。法人化して株式公開を目指すこともできるし、田舎で自給自足的な暮らしも実現できるし、僕のように農作業は一切せず、全国に仲間をつくりながら農業経営もできます。


──宮治さん個人の理想のライフスタイルとは?

夢を掲げて実現するために働くことが理想のライフスタイルです。僕の夢は先にも話したように、一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業にすること。それを実現するために、みやじ豚の代表と農家のこせがれネットワークの代表の二足のわらじを履いているんですよね。それが僕の理想の働き方でもあるんです。

学校に行って講演するときには、「夢=職業じゃないよ」という話をよくしています。生徒に将来の夢について作文を書かせると、自分の夢は医者になること、警察官になること、プロ野球選手になること、歌手になることなどと、ほとんどの生徒が職業を書きます。でも夢って職業じゃないんですよね。僕の夢は一次産業を3K産業にすること。この夢を実現するためには職業は政治家でも、先生でも、八百屋でも、農業者でも何でもいい。たくさんある仕事の中から最も自分がやりたい、自分に合っている仕事を選べばいいんですよ。

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ワークとライフを一致

──職業は夢を実現するための手段、ツールであるという考え方ですね。ワークライフバランスについてはどう考えていますか?

僕は基本的には仕事とプライベートは一致できた方が幸せだと思っています。なぜなら、仕事って1週間のうち5日会社で働くとすると、人生の約7分の5もの時間を費やすことになるでしょう? だとすると会社での生活が不幸だと人生の7分の5が不幸になってしまうということですよね。それでいいわけがない。仕事とプライベートを分けるからそうなるわけで、だから僕にとってはワークとライフをいかにバランスさせるかじゃなくてどう一致させるかが重要だし、それを考える方が幸せだなと思いますね。その理想となる最適な形が家族経営なんです。

激務の会社員の場合、平日は子どもと全然顔を合わせられないという話をよく聞きますが、農家の人と午後3時くらいに家の前で立ち話していると子どもが学校から帰ってきてただいま、おかえりと言い合える。そういうのを見ると農家って幸せだなと思いますよね。子どもが興味をもてば仕事の現場を見せることも体験させてあげることもできますしね。それは幸せなことだなと思いますよね。


──確かに家族経営だとまさにワークもライフも一致しますよね。奥さんも株式会社みやじ豚の一員として仕事をしているとのことですが、夫婦で働くというのはいかがですか?

もちろん幸せなことだなと思っています。常に一緒にいられますからね(笑)。

第1回REFARM会議にて

──今後の目標や展開は?

うちの核である父と母はもう高齢なのでいつまでも働けるわけではありません。彼らが引退した後も、これまで通りに養豚業を継続していくにはどうするべきか。今から新しい体制を考えておかなければなりません。あとはまだまだ肉の販売先が足りないので、どうやってうちの豚の認知度を上げて、扱ってくれる取り引き先を増やすか。これが永遠の課題ですね。

よりよい世の中をつくるために

──世の中の人びとに訴えたいメッセージがあればお願いします。

規模は小さくてもいいものを作って顧客と直接対話する農家が増えればいい世の中になると思っています。豊かな暮らしをするためには、多様な選択肢があることが大切だと思います。地方が東京のものまねをしても魅力的な地域にはなりません。その地域ならではの独自性があるからこそ若者のIターン先や観光地として選ばれるのです。日本の中にそうした多様性や独自性を担保するためには、生活者がお金の使い方を変えることです。例えば、子どもたちのために国産のおいしくて身体にいいものを食べさせたいと思ったら、安さだけを基準にするのではなく、少しばかり高くても、国産のものを買う。できれば、顔の見える生産者から買う。そうすれば私も含め日本の生活者は、国産のおいしい食材を今後も購入することができます。世の中を変えるのは、政治家や革新的な商品を創出する起業家だけではありません。私たちが何に対してお金を使うかによって変わるのです。

農業をあこがれの職業NO.1に[前編]

養豚農家の代表として

──現在の活動について教えてください。

大きな柱としては2つ。養豚業の「株式会社みやじ豚」の代表取締役社長としての仕事と、「NPO法人農家のこせがれネットワーク」の代表理事としての仕事があります。


──ではまず前者からうかがいたいのですが、株式会社みやじ豚とはどのような会社なのですか?

そもそもは養豚業が盛んな神奈川県藤沢市で野菜農家だった祖父が養豚を始めたのがスタートです。父の代で養豚専業農家となりましたが、最近まで地域の4軒の農家と共同で大きな養豚場を経営していました。その片手間に家業としても小さな養豚業を営んでいました。東京でサラリーマンをしていた私が実家に戻って養豚業に関わり始めたのは2005年で、翌2006年、私が代表取締役となり父の個人事業だった養豚業を母体として株式会社みやじ豚を設立しました。現在は家族5人で経営する、生産頭数は月に100頭という小さな養豚農家です。

おいしさの理由

──「みやじ豚」といえば肉好きの間ではおいしいと評判のブランド豚で、2008年には農林水産大臣賞受賞していますよね。おいしさの秘密は?

2008年に農林水産大臣賞受賞したみやじ豚のお肉

おいしい豚をつくるには「血統」「えさ」「ストレスフリーな育て方」の3つが重要な要素です。まず「血統」は「おじいちゃん豚とおばあちゃん豚のそれぞれ違った良さを引き継いだお母さん豚」と「また別の良さをもつお父さん豚」を掛け合わせた「三元豚」を使用しています。こうすることで3種類のよさをもつ豚を産ませるわけですが、この三元豚自体は一般的な農家が育てている豚で、珍しいものではありません。ただ、うちの場合は交配する際に、肉質の柔らかい豚が生まれるように、お母さん豚とお父さん豚を肉のつき具合はもちろん、歩き方までみてじっくり吟味しています。

2つ目の「えさ」は、一般的な養豚農家は豚にトウモロコシを与えていますが、うちではこうりゃん、小麦、大麦、さつま芋などの穀類・芋類を特別配合したえさを与えています。これはかなり特徴的で、こうりゃんを食べさせることができれば肉質のいい豚に育つのですが、豚にとってはこうりゃんは苦いらしく、普通の豚は食べないんです。なぜこれに成功できたかは、3つ目の「ストレスフリーな育て方」に理由があります。一般的な養豚場では血統のばらばらの豚を、豚なのにギュウギュウ(笑)詰めにして豚舎に詰め込んで育てていますが、うちでは同じお母さん豚から生まれたお互い気心の知れた兄弟の子豚たちを1つのグループとしてゆったりとした小屋で育てています。これを「腹飼い」というのですが、これにより豚は余計なストレスを感じずのびのびと育つことで、こうりゃんを食べるようになり、その結果旨味にあふれ、白くてきれいな脂肪をもつ肉質のいい豚になるというわけなんです。

育て方で味は変わる

──実質的にはエサの違いが一番の理由なのかもしれないけど、育てる環境が重要ということですね。

ストレスフリーな環境で育てられているみやじ豚

その通りです。同じ血統の豚を同じエサで育てても生産者の育て方によって味が変わるというのが養豚農家としてのうちの考え方です。環境が一番大事でいかにストレスなく育てるかが肝となる。ストレスの強い環境で育てられた豚の肉は臭いと感じたり、ゆでたときにアクがたくさん出ます。ご自宅でみんなで集まって豚しゃぶパーティーを開催するときも一般的な豚肉だったらアクを取るのにたいへんだったり、終わった頃には部屋の中が匂いでたいへんなことになったりしますが、うちの豚は臭みもないしアクもほとんど出ません。ちなみに現在でこそ畜産業界でストレスフリーという言葉は普通に使われていますが、こういうことを最初に言い始めたのはうちだと父は言ってます。ホントかどうか知りませんが(笑)

さらにおいしさの指標ともいえるグルタミン酸の含有量は、一般国産豚の2倍もあり、旨味が圧倒的に違うんです。また、冷凍保管中のドリップ量が23%少なく、凍結解凍時は50%も少ない。つまりおいしさが長持ちし、たっぷりと含まれた旨味を味わい尽くすことができるんです。もう一つ、みやじ豚は脂にも特徴があります。一般的な豚に比べ動脈硬化などの生活習慣病を防ぐオレイン酸が多く、逆に生活習慣病を引き起こすリノール酸の割合が低いんです。よくお客様から「こんなにうまい豚は食べたことがない」とか「豚の脂身がこんなに甘く感じたことはない」と言われますが、それが科学的にも証明されているわけです。研究と試行錯誤を重ね、ここ2年でも確実においしくなっていると思います。

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社長としての仕事

──株式会社みやじ豚の社長としては何を目指して日々どのような仕事をしているのですか?

僕の社長としてのミッションはみやじ豚のトータルのブランドイメージを作り、その価値を高めること。今までどういうふうに流通して誰が食べているかわからなかった当社の豚を「みやじ豚」としてブランド化を図り、流通の経路を変えて直販できる体制を作り、みやじ豚の知名度を上げ、コンスタントに買っていただけるファンを作る。この一連の仕組みを作るために、実家に戻って社長になって以来、さまざまな仕事をしています。

大人気のみやじ豚バーベキュー

具体的には、まずは僕が実家に戻った原点でもあり、最初にやったことでもある「みやじ豚バーベキュー」の企画があります。定期的に湘南の果樹園で行っており、父や弟などみやじ豚スタッフ総出の催しです。バーベキュー用の食材も機材も全てこちらで用意し、会場の準備や片付けもまで、みやじ豚スタッフが行います。お客様は手ぶらで来て、僕らスタッフと一緒にみんなで焼き台を囲ってワイワイ盛り上がりながら、おいしい豚肉が焼けるのを待ち、おいしく焼き上がったら心ゆくまで食べるだけです。

こうして一緒に盛り上がりながら、豚の育て方へのこだわり、肉のおいしさ、焼き方のコツなど、いろいろなお話ができるのもみやじ豚バーベキューの特徴です。これは僕たち生産者にとっての一番のメリットでもあります。食べ物って結局、実際に食べてもらわないと本当のところはわからないじゃないですか。バーベキューをやることによって消費者にその機会を提供することと僕ら生産者の思いを直接伝えることが同時にできる。これが本当の意味での生産者と消費者の顔の見える関係づくりです。そしてバーベキューに来てもらったお客様がみやじ豚を知って、好きになって、何かの機会にみやじ豚を買ってくれたり、みやじ豚が食べられるお店に行ってくれたりといい循環になればうれしいなと。そういう意味ではバーベキューを最重要視しているんです。また、大きなガラス張りのぶどう畑のハウスの中で行うので雨でも台風でも問題ありません。全天候型バーベキューです(笑)。


──バーベキューは参加者にとっていろいろなメリットがあることに加え、これまで何度もメディアで紹介されているということもあり、すごい人気でなかなか予約が取れないと聞きました。

おかげさまで現在は3ヶ月待ちという状況です。一時期は4ヶ月待ちでした。「みやじ豚といえばバーベキュー」というところまで認知度が上がってきているので開催頻度を増やしたいと思ってはいるのですが、なにせ5人の家族経営なので簡単に増やすわけにもいかず何かいい方法はないか、現在検討中です。

4つの出会いのシーン

──先ほど流通経路を変えたとおっしゃっていましたが、みやじ豚は他にどんな方法で食べることができるのですか?

顔が見えるお客様に買っていただく直販にこだわっているので、スーパーや肉屋などの小売店には一切置いていません。バーベキューの他には、うちのオンラインショップ、松屋銀座、飲食店のみです。バーベキューももちろん大事ですが、買える場所が限られているので、販路の拡大のため営業活動にも注力したいと思っています。ですが、現状はそこまで手が回らず、お客様やお取り引き先の口コミ頼みです(笑)。

大人気のソーセージとポークジャーキー。オンラインショップなどで購入できる

──みやじ豚のブランド価値を高めるために、ほかに力を入れていることは?

パンフレット制作にもこだわっています。昨年(2014年)結婚した妻にパンフレットやネットショップ制作に参加してもらっているのですが、例えば、先ほどお話したみやじ豚の優位性をデータでアピールするだけではなく、こんな特別なシーンで食べていただければうれしいとか、家で食べても匂いがつきませんよということを発信しています。そもそもうちは月100頭しか出荷できないから毎日食べてくださいとはいえません。でもだからこそ特別なときに食べていただきたいという思いを込めているんです。あとはお客様からいただいた声をたくさん掲載したり、生産者紹介もなるべく人となりがわかるような感じで書いたり。全体的なイメージもこのパンフレットをもらった人が手元においておきやすいように、写真じゃなくてあたたかみのあるタッチのイラストや書き文字をふんだんに使っていたりと、徹底的にお客様者目線で制作しているんです。それがみやじ豚のブランド価値を高めるためにかなり貢献していると感じています。

お客様目線で作成されているみやじ豚のパンフレット

「お客様は友だち」

──宮治さん個人の日々の仕事としてはどんなものがあるのですか?

僕は農業従事者ですが、養豚場に行って生産に関連する仕事をすることはまずありません。生産面は父と弟に任せておけば間違いなくおいしい豚を作ってくれるので。僕の仕事としてはみやじ豚を卸している飲食店からの注文の受け付けやこういった取材の応対など、細々としたことがたくさんあります。ただ、一つ言えるのが僕の場合は人に会うことが仕事みたいなものなんですよね。どういうことかというと、仕事って出会った人が運んできれくれるもの、縁で決まるものだと思っていて、肉は直販がメインなので、出会う人すべてがお客様になる可能性があるわけです。どんな人であれいい関係を築ければ、お肉を食べる機会にはみやじ豚を買っていただける可能性が高まります。だから僕の哲学は「お客様は神様ではなくてお友だち」なんです。

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家族経営にこだわる

家族経営が最高と語る宮治さん。豚の生産を担当する父の昌義さん(写真中央)と弟の大輔さん(左)と

──経営ポリシーは?

1つは家族経営にこだわるということ。これまでお話したように、株式会社みやじ豚は生産担当の父と弟、電話応対をする母、事務や広報などを担当する妻、プロデューサー的役割の私の5人の家族で養豚業を営んでいる零細企業です。この家族経営こそが農業の理想だと思っているんです。

かつて世界中を席巻した日本の代表的なものづくりの企業は衰退の一途をたどっていますが、その主な原因の一つにはいかに効率よく利益を上げられるかという短期的な視点で経営を行ってきたことがあると思うんです。そうせざるをえない理由は株主からの圧力も多分にある。そもそも株式会社は株主のもので、株主により多くの配当を払うために儲けないといけないという論調が強いですが、僕は本当にそうなのかなと思います。株主を重視するよりも実際に働いている従業員のためを考えるべきだと思いますし、その方が結果としてより良いパフォーマンスを発揮して顧客にも喜ばれるのではないでしょうか。

家族経営の場合、最大の目的は子の代、孫の代まで事業を続けていくこと。そのために何をすべきかという超長期的な視点で経営を考えるので、目先の利益のみにとらわれず、本当に大事な残しておくべきものを大切にできます。それが最大の強みだと思っています。赤の他人の株主の目を気にしなくていいですし。そして大企業は大抵の場合、労働組合による労働争議があったりして、経営側と労働者側が対立関係にありますが、小規模な家族経営の場合は一般的な労使関係になく、全員が経営者であり労働者。利害関係が完全に一致しているし、子々孫々まで残していくという同じ目的のために働いているので争いは起きません。

規模を大きくしない

もう1つ大事にしていることは養豚業の規模をこれ以上大きくしないということです。多くの人は会社の成長というと規模の拡大や増収増益という認識でしょうが、僕らは必ずしもそうじゃないと思っているんです。もちろん成長することは必要ですが、それら以外の成長もある。例えばみやじ豚が目指しているブランド価値の向上も間違いなく成長の一つですし。

先ほどもお話しましたが、うちは1ヶ月に生産できる豚の数は100頭と日本の養豚農家の平均の半分以下の本当に小さな農家です。でも今後も大量生産するつもりはありません。規模を大きくして豚の頭数を増やせば味にばらつきが出ます。こっちの豚舎の豚はうまいけど、こっちはそうでもない。でも効率と利益を重視して一緒に混ぜて出荷するような真似は絶対にしたくない。それよりも月100頭を丁寧に育てて、人数は少ないかもしれないけど食べたみんながおいしいと喜んでくれて圧倒的な満足感を得てほしい。顔の見える、味のわかる、僕らの思いに共感してくださるお客様に食べて満足していただければそれでいい。それがみやじ豚の生き方だなと考えています。規模や売り上げの拡大よりも、ブランド価値を高め、よりコアなファンを増やしていく方を大事にしたいので、規模を大きくしないんです。

「農家のこせがれネットワーク」

──もう1つの活動の柱である「NPO法人農家のこせがれネットワーク」とは何を目指し、どのような活動をしている団体なのですか?

農家のこせがれネットワークの交流会にて

農業が「かっこよく・感動があって・稼げる」3K産業へと成長し、小学生の就職希望ランキング1位になることを目指し、都市で働く農家の子息が実家に戻って就農する後押しをしている団体です。

国は新規就農者の支援を行ってはいますが、彼らが成功するのは本当に困難です。まず、縁もゆかりもない土地に入って農地を借りるだけでもかなりハードルが高い。先祖代々受け継がれてきた大切な農地をどこの馬の骨ともわからない赤の他人に簡単に貸せるはずがないというのが一般的な農家の考えだからです。運よく農地を借りられたとしてもビニールハウスを建てたりトラクターなどの機材を買ったりとか初期投資に多額のお金がかかりますが、それでも1年目はまともな収穫は期待できないので無収入を覚悟せざるをえないでしょう。2年目にやっと収穫できたとしてもどうすれば上手に販売できるかわかりません。こういった数々のハードルを乗り越えないと新規就農者は食べていけないのです。

ところが農家のこせがれは実家に帰れば即就農可能です。すでに農地も道具もあるし家賃も食費も無料。技術指導は経験豊富な親がやってくれる。新規就農者と農家のこせがれとはスタートの時点でこれだけの差があるんです。農家のこせがれとして生まれたら跡を継がないと損だと言っても過言ではありません。

さらに、都市で働く農家のこせがれは厳しいビジネスの現場で積んだ経験や培ったスキルをもっています。例えば名刺の受け渡しや電話応対、会話のマナー、コピーの取り方、パソコンの使い方、インターネットの活用方法、取り引き先との交渉の仕方、お金の取り決めの話、理不尽なことが起きた時の対処法など、農業しか経験していない人がもっていない強力な武器をもっていて、農業をやるときに絶対に生きます。ソーシャルメディア、デジタルツールを使いこなしつつ既存の枠にとらわれず、若い感性で大胆に行動することも可能でしょう。こういった農家のこせがれたちがどんどん帰農するようになれば、かなり以前から危機に瀕していると言われ続けている日本の農業を再度盛り上げることにも繋がると信じています。

しかし農家の厳しい現実を知っているだけになかなか実家に戻って就農するふんぎりがつかないこせがれが多いのも事実です。そこでそんな悩める農家のこせがれたちに農業の魅力と可能性を伝えて、実家に帰って農業を始めるその後押しをしたい。そんな思いで2009年に立ち上げたのが農家のこせがれネットワークです。以来、農家のこせがれと食や農業に関心が高い生活者とがつながれる場を作り出すことを中心に活動してきました。

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新たな軸「REFARM会議」

──Webサイトを拝見したのですが、すごくたくさんの活動をされていますね。

そうですね。確かに立ち上げてからこれまでの5、6年でいろいろな活動をやってきて、実際に実家に帰って農家を継いだ人もいます。しかし、正直なところ、どこまで農家のこせがれの背中を押せたかというと、とても僕が満足のいくレベルには達していないので、成功とはとても言えないと思っているんですね。だから今年は本当の意味で農家のこせがれの役に立つ存在になるために農家のこせがれネットワークのゼロからのスタートと位置づけ、メインの活動を3つに絞る予定です。その軸となる活動の1つが「REFARM会議」です。

第1回REFARM会議に参加した農家のこせがれの方々と一緒に

──「REFARM」にはどんな思いが込められているのでしょうか。

農家のこせがれネットワーク時に掲げたミッションである
・農家のこせがれが実家に戻る(REturn FARM)
・地域の農地を有効活用する(REused FARM)
・実家と地域の農業を変革する(REmake FARM)
・尊敬される農業を実現する(REspect FARM)
という意志が込められています。

REFARM会議では以上のミッションを改めて踏まえ、東京での暮らしを続けるか、帰農するかで悩んでいる農家のこせがれが帰農をあきらめず、一歩を踏み出すため仲間を得て自信をつける場を作ることを目指して2015年3月15に第1回を開催しました。


──REFARM会議では具体的にはどのような活動を?

こせがれたちの現在の心境や漠然と考えているプランをプレゼンテーションしてもらいます。さらに実際にこせがれの実家が作っている農作物を食べてその特徴やこだわりを聞く中で、参加者は自分の知見をフルに活用して悩めるこせがれにアイディアを提供します。その中で支援をしたい人や同じ想いをもつこせがれと一緒にチームを結成してプロジェクトがスタートすることもあるでしょう。

第1回ではバーベキューを楽しみながら開催しました。4人のこせがれを軸に4つのグループにわけ、各グループにファシリテーターをつけて、活発な議論が展開されました。農家のこせがれのほかには、現役の農家、農業関係で起業した人したい人、ITと農業を融合させたビジネスをしたい人、純粋においしいものを食べたい消費者などなど総勢50人ほどのさまざまな人たちが参加して大いに盛り上がりました。今後もバーベキューに限らずさまざまな形で定期的に開催していく予定です。

農家のこせがれを囲んで活発な議論が繰り広げられた

最大のメリットは業界業種を問わずさまざまな人たちに出会えて交流することで、生産者が作った農作物のファンが増える可能性が高まることだと思います。近年、みやじ豚の売り上げが伸びたのも、いろいろな人と出会ったことが大きい。やっぱり食べ物は顔の見える、信頼できる知り合いから買いたいと誰しも思うものですからね。農家のこせがれや新規で農業をやる予定の人はもちろん、僕らの思いに共感して協力したいと思ってくれる人は業界・業種を問わずぜひREFARM会議に参加してもらいたいです。

「農家のこせがれ交流会」

こせがれ支援に特化した活動としては、こせがれ限定の「農家のこせがれ交流会」を2カ月に1回開催しています。農家のこせがれは親の高齢化や農地の相続、あるいは処分など跡継ぎ問題で特有の悩みをもっています。こういう悩みは特殊すぎて会社の上司や友人に相談しても理解してもらえないし、適切なアドバイスももらえません。また農家のこせがれが夢と希望をもって実家に帰ったはいいけれど、父親と全くそりがあわなくて辞めてまた都心に戻ってしまうというケースもよく聞きます。お互いにとって非常に不幸なことだし、農業界全体の損失ともいえます。

もちろん我々が親父さんの考え方を変えることはできないけれど、この交流会には同じ境遇の人しかいないので、悩みを共有し安心できるし、有益なアドバイスをもらえるかもしれません。相談できる人を見つけて独自で勉強会を開くこともできるでしょう。そうすればもう少し踏ん張れるかもしれない。そんな農家のこせがれにとって心の支えになる有益なネットワークづくりの手助けをしたいと考えて全国各地を回って交流会を開催してきたんです。

農家のこせがれネットワーク関西の交流会にて

このような農家のこせがれネットワークの設立発表会やこせがれ交流会などで全国の農家のこせがれに僕らの思いを伝えてきました。その結果、その思いに共感してくれた人たちがその地域で地方版の農家のこせがれネットワークを立ち上げてくれているんです。現在は「農家のこせがれネットワーク北海道」「宮城のこせがれネットワーク」「農家のこせがれ千葉」「農家のこせがれ群馬」「農家のこせがれネットワーク東海中部」「農家のこせがれネットワーク関西」の6つの地域ネットワークが立ち上がっています。今後は悩めるこせがれを支えるために、この地域ネットワーク間の連携をより強化していきたい。これが今年から取り組む2つ目の活動の柱です。

地域ネットワークの重要性

──農家のこせがれネットワークと6つの各地域のネットワークとの関係性は?

各地域のネットワークは農家のこせがれネットワークの支部ではなく、各自で独立した集まりになっています。僕らは地域でネットワークを作ることを推奨はするけれど、無理矢理設立させて活動させるというようなことはしていません。そもそも各地域や作っている農産物によっても活動の内容は違ってくるし、メンバーやリーダーによっても特色が出ますからね。ですので各団体で自由に活動してもらえればいいというスタンスでやっています。

ただ、ネットワークを作る際に僕が提唱しているのが農家だけの集まりになってはダメだということです。なぜなら農家だけが集まってもイノベーションは生まれないし、お客様の獲得にはつながらないからです。わかりやすい例でいうと、農家が集まるコミュニティの中に飲食店の経営者がいたら、「君は実家に帰って親父さんの跡を継いだのか。頑張ってるみたいだからうちの店で君が作ってる農産物を買うよ」と取り引き先を一軒獲得できる可能性もあるし、実際にこういうことは起きています。だからいろんな職種の人が参加する地域ネットワークの重要性を説いているわけです。

3つ目の活動として、今年は全国100名のこせがれ就農組と全国主要都市在住1500名のこせがれのアンケート調査を行い、こせがれの実態を正確に把握します。そしてこせがれの手本となる今後の農業モデルの実践研究を行い、情報提供をしていく予定です。


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