2014年5月アーカイブ

コンプレックスの塊だった

──前編ではREADYFOR?の仕組みや米良さんの役割・仕事についてお聞きしましたが、後編ではまずREADYFOR?立ち上げの経緯について教えてください。やはり学生の頃から人がやらないようなことをやりたいとか社会を変えたいと思っていたのですか?

いえいえ、とんでもないです! そもそも私は小さい頃から人と違うことを好んでするとか、将来絶対に叶えたい夢をもっていたとかは全然なくて、本当に普通の子どもでした。むしろ、無個性というかいつもぼーっとしているような子どもで、さらに父や祖父は個性的でクリエイティブな人たちだったので、彼らに比べて自分なんてバカだしダメな人間だなとずっとコンプレックスを抱いていました。高校でも特にやりたいことも将来の夢も何もなかったですね。

転機が訪れたのは大学時代です。私は小学校から大学まで一貫教育を行っている私立の学校に通っていたのですが、成績がよかったのでより上の大学を目指そうと大学受験をして慶應義塾大学の経済学部に入学しました。ここで私の人生を大きく変える出会いがありました。

3年生のときにインターゼミで当時東京大学大学院数理学研究科准教授だった松尾豊さんと出会いました。松尾先生はWebと人工知能の研究を行っており、当時「あのひと検索 スパイシー」(以下、スパイシー)というあらゆる人のプロフィールとつながりを知ることができる人物検索Webサービスを開発中でした。松尾先生からインターネットのことを教えていただいて、無限の可能性と面白みを感じて、スパイシーの開発プロジェクトのメンバーに加えていただきました。たくさんの人が集まって今までにない、社会にインパクトを与えられるサービスをつくることはとてもおもしろく、スパイシーの研究・開発のお手伝いに没頭しました。

READYFOR?の原型をつくる

4年生のときには、何か成し遂げたいことをもっている個人を応援できるサイトをつくれないかと松尾先生に相談して、「cheering SPYSEE」(あのひと応援チアスパ! 以下、チアスパ)という、何かに取り組む人が、ネット上でたくさんの個人から少額ずつ寄付を集められるサービスを立ち上げました。私自身、パラリンピックのスキーチーム日本代表のワックス代100万円の寄付を募るプロジェクトを立ち上げ、成功させました。自分で手を動かして何かをつくって成果を出せたので、今の私に至る大きな原点だと思います。

チアスパの仕組み

──チアスパはまさにREADYFOR?の原型のようなサービスですね

確かに成功は収めたのですが、このままではいけないと思いました。というのは、このサービスは、いわゆる「ネット投げ銭」的なプラットフォームなので、確かに支援された側はうれしいのですが、支援した側はあまり楽しくないしメリットがありませんでした。ここがREADYFOR?との最大の違いです。つまり、スキーチームの監督やハンディキャップをもつ選手たちはすごく頑張っているから支援をしてくださいとネットで訴えかけてお金を集めたのですが、それ自体があまり楽しいコミュニケーションではないなとすごく感じたんです。支援者にはもっと純粋に彼らの活動自体を知って、おもしろそうだから支援したいと判断した上で主体的にお金を出してほしいし、支援する側とされる側が何らかの形でつながって、長期的に一緒に活動し、結果を出したときは一緒に喜びを分かち合うという仕組みをつくりたい。そしてみんながやりたいことに気軽にチャレンジし、実現できるようなプラットフォームをつくりたいと強く思うようになったんです。そういう意味では、このチアスパがREADYFOR?の原型だといえるでしょうね。

イギリスの大学へ留学

──大学3、4年生のときは一般の学生のようにインターンや就職活動はしなかったのですか?

やりましたよ。ただ、これからの世の中はインターネットがトレンドになると確信していたので、もう少しインターネットの世界を勉強したいと思っていましたし、スパイシーのようなワクワクするプロジェクトを途中でやめたくないなと思っていました。それでいったん海外へ出てこれからのことをじっくり考えようと思い、ロンドンのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE/ロンドン経済学校)に留学したんです。

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留学先で衝撃を受ける

──留学してみてどうでしたか?

LSEは世界でもトップクラスの優秀な大学なのですが、学生はみんなとても自由に生きていて、衝撃を受けました。日本の大学の場合、就職活動の時期が来ればほぼ全員の学生が一斉にリクルートスーツに身を包み、50社100社は当たり前のように受けますよね。でもLSEの学生はそういう感じじゃなくて、研究したいことがあれば大学に残って研究したり、好きなことがあればそれを仕事にするために努力するということをみんなしてたんです。いわゆる就職活動というものが存在しなかった。それを目の当たりにして、この差は何だ、そして日本の就職活動っていったい何なんだと衝撃を受けたんです。

LSE留学時代(左から2人目が米良さん)

──確かに新卒一括採用は日本独自の採用システムですよね。

そうなんですよね。日本独自のシステムよりも世界のトップクラスのやり方に合わせた方がいいじゃないですか。だから自分がもう少し追求したいことがあるならやってみようと思い、就職するのはやめて、帰国後、慶應大学大学院のメディアデザイン科に入学しました。

スタンフォード大学へ

──留学したことも今の米良さんをつくる上でひとつの大きな転機となっているんですね。大学院に入ってからは?

大学院に入学してからも松尾先生の研究室に出入りしていたのですが、松尾先生がアメリカの学会に出席することを聞き、その後にITベンチャーが密集しているアメリカの情報・通信産業のメッカ、シリコンバレーに行くことを知りました。とても興味があったし、ちょうどゴールデンウィークの時期だったので、私も幾人かの学生と一緒に同行させてもらったんです。その期間中、いろいろな起業家と会って話を聞いたのですが、中には私と同世代なのにすごいことをしている人もたくさんいました。そういうライバルが身近にたくさんいるような環境に身を投じればすごく刺激になるし、成長の糧にもなるから私も大学院を修了したらここで勉強したいと思いました。

そのようなことを帰りの飛行機の中で松尾先生に話すと、「大抵の人はこれをやりたいとか言っても口だけで実際にはやらないんだよね」と言われて、絶対に留学してやるとさらに決意を固めました。帰国した日から留学の手続きを始め、大学院と交渉を重ね、翌月からスタンフォードに留学したんです。


──スタンフォード大学の授業はどうでしたか?

スタンフォード大学は周りにすごいと思うような刺激的な学生がたくさんいて、やはり留学してよかったと思いました。私自身も留学中にできるだけいろんなことを吸収しようと懸命に勉強しました。今でも忘れられないのが、あるときに受けたアントレプレナーシップの授業。講演をしに来た女性の卒業生が、私と年齢が変わらないのに「自分がつくった会社をグーグルに売却した」みたいな話を誇らしげに語り始めたんですよ。その話に大きな衝撃を受けました。

というのも、大学3年生の就職を考える時期にダニエル・ピンクの大ベストセラー『ハイ・コンセプト』を読んで、「これからは組織ではなく、価値を生める突出した個人だけが生き残ることができる時代だ」と書かれてあった内容にすごく感銘を受けて、以来私のバイブルになっていました。卒業生の彼女の「自分の能力を最大限に発揮して、自分のやりたいことで世界と戦ってナンバー1になるんだ」というような話を聞いた時、「これぞまさに私があこがれていた『ハイ・コンセプト』の世界だ!」と感動したんです。

と同時にすごく悔しい気持ちにもなりました。私と歳が変わらないのになんてすごいことをやっているんだ、それに比べてなんて私は小さいんだと。そう思わせてくれる人は日本にはいなかったので、私も彼女のようにただサービスをローンチして終わりではなく、社会を動かす人になりたい。日本でなんとなくWebサービスをつくってます、みたいなので終わりたくないと強く思ったんです。

クラウドファンディングとの出会い

それで、さらにインターネットやビジネスについていろいろ勉強したのですが、その過程でクラウドファンディングに出会いました。当時、ちょうどアメリカでクラウドファンディングがはやり始めた時期で、200ほどのサイトが生まれていました。この中に私がチアスパの経験で抱えた問題を解決できるヒントがきっとあると思い、帰国して東大の松尾先生の研究室の人たちとさっそく新しいクラウドファンディングサービスの設計に取り掛かりました。

研究・分析を繰り返し、クラウドファンディングサイトをコミュニケーションやお金の流れなどの視点で「購入型」「投資型」「寄付型」の3つに分類しました。寄付型はチアスパと同じなので、最初から除外しました。投資型はまだ日本でやるには現実的ではないと判断。購入型は、やりたいことのために資金募集をする人が、支援してもらったかわりに、支援者に何か利益になるようなことをお返しするシステム、つまり、支援者はお金を寄付するんじゃなくて、何かを購入することで支援するという感覚のシステムは双方にコミュンケーションが生まれるし、やりたいことを実現する可能性も高まるので非常におもしろいなと。それで購入型のクラウドファンディングサービスを立ち上げようと決め、試行錯誤の末、大学院在学中の2011年3月末にREADYFOR?を立ち上げたというわけです。


──今仕事をする上で特にたいへんだと思う点はどんなところですか?

ワークショップ中の米良さん

自分をマネジメントするのが一番たいへんですね。書類作成のような地味な仕事から講演やワークショップのような刺激的な仕事までいろいろあって、一つひとつの仕事に対する向き合い方が全然違うんですね。だから仕事によって自分の気持ちをうまく調整・切り替えをして、その仕事に向き合うことがたいへんだと思います。例えば講演をするとアドレナリンが出てテンションが非常に上がるので、その後すぐにルーティーンの事務作業にとりかかるのは難しいんです。その切り替えがうまくいけばもっと早く仕事ができるはずなんですよね。1日の時間をもっとうまく効率的に使うためにはどうすればいいのかが目下の私の大きな課題のひとつです。

また、ルーティーンの仕事は基本的に集中していけばいくほど速度も精度も上がりますが、READYFOR?の統括責任者としてチーム全体を把握しないといけないので、そのバランスも難しいですよね。そういう意味でマネジメント層の人たちはもっと私よりたいへんだと思います。タスクによってレイヤーが違う話を瞬時に把握するのってきっとすごくたいへんな仕事だろうなと。私もそれが完璧にできるようにならなきゃなと思っています。

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日曜の夜から仕事開始

──現在の働き方についておうかがいしたいのですが、1日のスケジュールはだいたいどんな感じですか?

平日はだいたい外で打ち合わせしてから10時から11時くらいに出社することが多いですね。夜は終電くらいまで仕事をしていますが、打ち合わせを兼ねた会食が入ることも多いです。

一応土日は休みですが、講演やイベント、ワークショップが入ることが多いので、完全に1日オフという日はあまりないです。予定が何もない日曜日はいつも夜には自宅で仕事をしています。月曜からすぐにクリエイティブな仕事に取り掛かれるように、資料作成などの事務作業は日曜の夜に終わらせたいんです。作業が多いときは明け方までやっています。日曜の夜にはメールや電話が来ないから集中できるんですよね。


──日曜の夜から仕事をしているとはすごいですね。

私は元々のんびり屋で、コツコツ地道に物事を進めるタイプではなく、ゴールが決まっているとめちゃめちゃ集中して取り組めるのですが、ギリギリまで追い詰められないとうまく力を発揮できない性格なんです。だからあまり気乗りのしない仕事は先に済ませてメインの仕事に集中するためにこういう工夫をしているんです。


──仕事とプライベートはあまりわけないタイプなのでしょうか。

基本的に仕事優先です。優先したいすてきなプライベートがあるわけでもないですしね(笑)。オフの日にわざわざ外に出かけたりはしません。私は寝ないとダメな人なので、土日でも講演から帰ってきたらすぐ寝ています。一番の気分転換は寝ることですね(笑)。


──仕事に占める割合が多いようですが、それは苦でないのですか?

全然苦じゃないですね。今はたいへんなこともたくさんありますが、すごく楽しいです。今取り組んでいる仕事が好きなんでしょうね。

日常生活が仕事につながっている

──寝ること意外には空いた時間はどんなことをしているのですか?

普通にドラマや映画を観たり、ネットサーフィンをしたりしてますよ。そのとき「どうしてこれにみんなが熱狂するんだろう」と考えるのが好き。また全然違う分野で活躍する作家やクリエイターのインタビューを読むことも、いろんな考え方を知ることができるので好きですね。それを通して、無意識にREADYFOR?をよりよくするためのヒントを探っているのかもしれませんね。でも一番好きなのはやっぱり寝ることです(笑)。


──今の社会の人々の働き方について思うところはありますか?

今の私は社会人になって3年目で、まだまだ職業人として未熟ですが、同じくらいの世代の人からそんなに若いのに自分で事業を立ち上げてすごいねと言われたり、今後の生き方や働き方の相談を受けたりすることがあります。でも私は何か社会にいいインパクトを与えるようなことをしたいと思ったとき、起業するとか自分で事業を起こすことが正解だとは思っていなくて、もちろんそういうやり方もあるかもしれないけれど、それよりもっと重要なのは自分がどうしたいのかとか自分が社会に対してどう向き合うかだと思うんですね。

例えば、企業で社員として働きながら任意団体を発足させて、READYFOR?でプロジェクトを立ち上げているような人たちがけっこういます。このような会社に属しながらも外でいろんな人を巻き込んで何かを始める人もこれからどんどん増えていくと思うし、一方で会社の中でみんなを集めて何かを始めようというソリューションもありえます。

また、「私は会社でこんなやりたくないことをやらされていてつまらない」みたいな愚痴めいたことを言う人もいますが、このようにちょっと見方を変えることで自分がやれることや社会との向き合い方は変わります。なぜなら人は基本的には仕事を通して社会とコミュニケーションする生き物だからです。仕事がつまらないのはすごく悲しいなというかもったいないなと思うので、相談してくる人には自分のやりたいことや社会との向き合い方を考えた方がいいですよといつも言っています。

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夢や目標は行動しながら見つけるもの

──でも自分にはやりたいことがないとかいう人もけっこういますよね。

そうなんですよね。「米良さんはやりたいことがあっていいですね。自分には何もないから...」みたいなことを言う人がけっこういるのですが、私もはじめからやりたいことがあったわけじゃないんですよね。それどころか、最初は身近にいた人に比べて夢も才能も何もない自分に劣等感のようなものを抱いていたというところからスタートして、興味のあることは取りあえずやってみるということを繰り返していくうちに、自分が全力で打ち込めるものを見つけられました。転機となったのは大学4年生のときに立ち上げたチアスパです。頑張る人を応援することは、社会的な意義や責任感を感じられるし、やってて楽しいし、すごく気持ちがいいと感じました。世の中には価値を生み出せるワクワクするような人がたくさんいて、そういう人たちの背中を押すことを自分の生きるミッションにしたいと走り始めてからは、毎日が楽しくなりました。

そしていろいろな人との出会いがあり、READYFOR?を立ち上げたわけですが、READYFOR?を使って一歩踏み出し、夢を実現して喜んでいる人が増えることで、私自身ももっとこの価値を大きくしていきたいというモチベーションが上がり、すごくたいへんなことがたくさんあっても楽しみながら前に進んでいけるわけです。

だから好きなことややりたいこと自体がないという人もたくさんいますが、私含め最初からやりたいことがある人なんてあまりいないと思うんですね。生きている中で何かやらなきゃと思うことは大なり小なり必ずあるはずで、それに気づいたらまず始めてみて、全力で取り組んでいるうちに、好きなこと、やるべきことが見えてくると思うんです。

幸せになりたいと思ったことがない

──仕事観についてお聞きしたいのですが、米良さんにとって働くとはどういうことでしょう。何のために働いているのでしょう。

学生のうちから事業を始めてしまったということもあり、私はお金にさほど執着がないんですよね。いい暮らしをするためにお金を稼ぎたいとか、お金を得るために仕事をしていると思ったことが今まで一度もありません。もちろん生きていくためにお金は必要ですが、それよりも、もっと事業を大きくして、たくさん利益を生み出して、それをよりよいサービスにするために投資して、支持して使ってくれるユーザーを増やす、というふうに社会がもっとよくなるようなお金の流れを生み出したいと思っていて、そのために働いているという感じなんです。

自分のミッションをもって社会のいろいろな課題に取り組んで新しい仕組みをつくったり、世の中にいいインパクトを与えたりするという生き方の方が幸せなのかなと。たぶん、若い世代の人たちは私と同じような価値観をもっている人が多くて、さらに今後増えると思います。


──では人生の最終目標というか、米良さんにとっての幸せな人生とはどういうものですか?

う~ん、それはわからないです。私にとっての幸せ......そもそも私はこれまで幸せになりたいと思ったことがないんですよね。それよりも社会に価値を提供し続けられるような個人でありたいという思いの方が強いですね。またこれから強い個人たちを世の中に輩出したいという思いもあります。

ですから今やっていることは仕事という意識はあまりないんですよね。もちろんプロフェッショナルとして結果を出すという意味では仕事ですが、それよりもライフワークというか人生そのものといった方が近いかもしれません。今後家族ができれば働き方は変わるかもしれませんが、一生やり続けたいライフワークであることに変わりはないですね。

READYFOR?を社会にもっと浸透させたい

──今後の目標を教えてください。

昨年、東山動物園がコアラの餌代を集めるプロジェクト(コアラを守りたい!~東山動植物園コアラ応援プロジェクト~)を立ち上げました。コアラの餌となるユーカリはすごく高価で餌代だけで莫大な費用がかかりとても税金だけではまかないきれません。そこで広く一般に支援を求めたところ、目標金額を大幅に上回る支援金が集まり、コアラというみんなが大好きな動物をみんなで守るということを実現させました。

目標金額を大幅に上回る支援金が集まった東山動物園コアラ応援プロジェクト

このように、READYFOR?が人々の生活に身近なことにもっと利用されるようにしたい。日々の生活の中でやりたいことがあったら、READYFOR?を使うのが当たり前というくらいにユーザー数を増やしていきたい。それが今の一番の目標ですね。

READYFOR?とは

──米良さんが立ち上げた「READYFOR?」とはどんなサービスなのですか?

2011年4月にスタートした、日本初にして日本最大のクラウドファンディングサービスで、たくさんの人がウェブ上で実現したい夢や目標をプレゼンし、共感した人から支援金と想いを集めています。私はファウンダー及び統括責任者としてREADYFOR?の運営の指揮を執っています。

クラウドファンディングとは、「クラウド=群衆」「ファンディング=資金調達」という意味の言葉を組み合わせた造語で、その名の通り、インターネットを利用して、多くの人から少しずつ支援を募り、最終的に目標とする大きな支援金を得るというサービスです。そもそもアメリカ発のサービスですが、新しい資金調達の手段として注目されており、今では世界中で500以上のクラウドファンディングサービスが運営されています。日本でもREADYFOR?の出現以来、いくつかのクラウドファンディングサービスが生まれています。

──READYFOR?の仕組みを教えてください。

「こんなことがやりたい」「こんな問題を解決したい」という夢や目標を抱いたら、READYFOR?上にプロジェクトを掲載します。掲載料は無料です。READYFOR?ではプロジェクトを立ち上げた人のことを「実行者」と呼んでいます。実行者は、支援金の目標金額と募集期間とリターンを設定します。3ヶ月の募集期間内にプロジェクトに共感した支援者から目標金額が集まった場合のみ、プロジェクトは成立し、実行者は支援金を受け取ります。目標金額に1円でも満たない場合は、支援金は支援者に全額返金されます。不十分な資金ではプロジェクトは実行できず、支援者へのお礼もできないからです。


──お礼というのは?

プロジェクトが成立した場合、実行者は支援金を受け取る代わりにお礼として支援者に「リターン」を返します。支援したい人は、このリターンを受け取るための引換券をネット上で購入することで支援者となり(※引換券を購入するにはJCB/Visa/Masterのクレジットカードが必要)、実行者が実現したいプロジェクトを達成したときに「リターン」を受け取ることができます。つまり、単なる寄付ではないということです。このようにREADYFOR?は数あるクラウドファンディングサービスの中でも「購入型」&「オール・オア・ナッシング型」のサービスなのです。

現在サービスを開始して丸3年と少しですが、順調にユーザー数を伸ばし、これまで約800のプロジェクトが立ち上がり、支援した人は合計で3万5000人、集まった支援金は約5億円、全体の7割以上のプロジェクトが目標金額に達しています。ユーザーも高校生からお年寄りまで幅広い年齢層で、ゴミ拾いをして街をきれいにしたいという小さなものから、社会問題を解決するために起業したいという大きなものまでさまざまなプロジェクトが日々立ち上がっています。私たちはプロジェクトが成立した場合のみ、総支援額の17%を手数料としていただいています。開始2年目で黒字化することができました。(※READYFOR?の仕組みについてはこちらを参照)

プロジェクト立ち上げまでの流れ

READYFOR?で目指しているもの

──米良さんはどんな思いでREADYFOR?を運営しているのですか?

READYFOR?のミッションは、「年齢、性別、保有資産の多寡にかかわらず、誰もがやりたいことを実現できる世の中にする」ということです。今の社会は「こういうふうにやればこの社会問題が解決するんじゃないか」とか「こういうふうにやればみんながもっと気持ちよく、元気に楽しく生きていける社会にすることができるんじゃないか」と思っても、資金や人脈の問題であきらめるという人が多い。つまりやりたいことがあっても実行するまでのハードルが高いと思うので、それをREADYFOR?でもう少し低くすることによっていろんな人たちがやりたいことにチャレンジして、実現できるような社会にしたいというのがまず根底にあります。そのために、READYFOR?というプラットフォームをさらに使い勝手をよくして、世の中に広めていくことが私の使命だと思っています。

口で「こういうことがやりたい」と言う人はたくさんいるんですが、その実現のために実際に自分で一歩踏み出して実行する人はあまり多くはいません。私はその一歩は本当に大きな一歩だと思っていて、READYFOR?でプロジェクトを立ち上げる人のことを「実行者」と名づけたのはまさにそこにあります。なぜ一歩踏み出せないかというと、資金不足ということもあるとは思いますが、失敗するのが恐いから、成功の見込みが薄いから、ということも大きいと思うんです。でも私は失敗しても全然いいと思うんです。失敗したら、落ち込むけれどなぜ失敗したんだろうと振り返って検証するはずなんですよね。それが必ず次の一歩につながります。

また、日本、特にネット社会では何か新しいことをやろうとする人、何かに挑戦しようとする人に対して否定的な意見を言ったり、足を引っ張ったりする風潮があると思いますが、一人ひとりがやるべきことを明確にして実行者となり、それをお互いに支え合うような世の中になっていけば、そういうことも減ると思うんですね。一度実行者になった人は、その熱意やたいへんさ、成功した時の喜びがわかるので、新たに何かを始めた実行者を応援したくなりますから。そんな感じで実行者が増えて有機的につながると社会がよりよくなっていくし、人々の成長や、引いては経済成長にもつながると思うんです。だからREADYFOR?を使ってみんなが実行者になる社会を作りたいと強く思っているのです。

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READYFOR?ならではの特徴

──今、日本にクラウドファンディングサービスはいくつか存在しますが、READYFOR?ならではの特徴は?

システムとしては今はどのサイトもほぼ同じですが、READYFOR?の場合は特に公共性・社会貢献性の高い活動、例えば自治体やNPOなど社会問題を解決するプロジェクトへの支援が多いことが挙げられます。そのほか、クリエィティブなジャンルのプロジェクトも数多く立ち上がっています。

もうひとつの大きな特徴としては、実行者へのサポートが手厚いという点です。実行者ごとに「キュレーター」というスタッフがついて、プロジェクトページを作成する際に、より実行者の思いが伝わり、共感を集めるための書き方などをアドバイスしたり、公開されるとより多くの人の目に触れる方法を指南したりして、プロジェクトが成立するようにバックアップします。


──なぜそこまで実行者をサポートするのですか?

いわゆるソーシャルメディアを使って多くの人からどんどん支援金を集められる人なんて、ほんの一握りしかいません。他のクラウドファンディングサイトは、強い人をもっと強くするためのツールというか、元々自分の意見を通せる、強い影響力をもつ人が使ってる印象があるんです。

そうじゃなくて、私自身もそもそも普通の学生という立場からREADYFOR?を立ち上げ、今まで戦ってきたので、これまでやりたいことはあってもなかなか一歩踏み出せなかった、強い力をもっていない普通の人にこそREADYFOR?を使ってほしいと思っているんです。そういう大多数の普通の人たちにこそ社会を変える可能性があると思っていて、だから実行者の背中を押すことを一所懸命やりたいし、いろんな面からサポートできるような体制を作っていきたいし、多くの人に伝わるようにシステムとしてどんどん改良していきたいと強く思っているんです。それだけにやりたいことがあるんだけどなかなか実行に移せない人たちがREADYFOR?を使って一歩踏み出したときに、この仕事をしていてよかったなと痛感します。とにかくすべての人の力になるようなサイトをつくりたいんですよね。このような点が、他のクラウドファンディングサイトとは一線を画している点かなと思います。

企業とも連携

──特にユニークなサービス、取り組みは?

マッチングギフトサービス」があります。READYFOR?で過去に成功したプロジェクトがその後も継続して支援を求めるとき、目標金額の半分を一般の人々からの支援、残りの半分を企業が提供する仕組みです。企業が共同実行者となるわけなので、より大きな目標金額を得ることができます。


──なぜそのようなサービスをつくったのですか?

特に公共性・社会貢献性の高い活動は1回だけじゃなくて、何度も継続して行うことがとても重要です。その支援をしたいという思いがひとつ。もうひとつは、READYFOR?が社会を変えるひとつのシステムになっていくために、個人が個人を応援するだけじゃなくてより大きな力をもつ企業という枠組みでも何かの活動を応援できるような仕組みをつくりたいという思いでマッチングギフトサービスをつくりました。

マッチングギフトサービスの仕組み

企業側は、CSR活動の一環として、多くの市民から共感を集め、資金調達に成功し、かつプロジェクトを達成したものに限って支援を行うことができるため、企業の新たな社会貢献活動として活用できます。また、READYFOR?のプロジェクトを支援するとSNSで世界中に広まっていくので、効果的な企業PRの一環になるというメリットもあります。事実、これまで別のところに使っていたCSRの予算をREADYFOR?に使ってくださるようになった企業も増えています。第1弾は、asobi基地代表の小笠原舞さん(WAVE vol.7に登場)の、親子で楽しんでもらえる場をつくるというプロジェクトで、支援企業はアサヒグループホールディングスさんでした。READYFOR?もソーシャルな活動をする人たちのデータベースになりつつあるので、実行者と企業をいい形でマッチングしていくことを今後もっと推進していきたいと思っています。

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文化的事業も

また、企業とREADYFOR?がコラボしているプロジェクトもあります。例えば、映画会社の松竹さんの「映画『晩春』デジタル修復プロジェクト」は、日本が世界に誇る名監督・小津安二郎の『晩春』(1949年)を、最新のデジタル技術(4K)で修復・復元するというプロジェクト。日本の名作映画が高いクオリティで保存されることは、映画文化を未来に残していくためにとても重要なことです。また、こういう事業は国の財政状況を考えた場合、助成金や補助金に頼るのは現実的ではないので、小津安二郎や映画が好きな人たちが少しずつ資金援助することで日本の文化を守ることを浸透させていきたいと思っていて、そこに松竹さんが参加することになったので一緒にやろうということになったわけです。プロジェクトは目標金額を大きく上回る額が集まり、成立しました。今後も今の文化を守る活動を増やしていきたいと思っています。

もうひとつは、J-WAVEの「復興途上の三宅島を伝える番組を皆で作ろう!一口スポンサー募集中!」プロジェクト。通常、民放の場合、番組の制作費はスポンサーとなった企業の広告費で賄われますが、そうなっている以上、番組制作にスポンサーの意向もある程度は反映せざるをえません。しかし、そもそも番組はリスナーのためにつくりたいというのが制作に携わっている人たちの思いです。ですので一般のリスナーから制作資金を募って、自分たちが本当にリスナーに届けたい番組をつくりたいようにつくろうということでプロジェクトを立ち上げ、私もその思いに賛同したので実行者のひとりとして加わりました。

こちらも目標金額に達し、番組をつくって放送できました。スタッフは「リスナーが望む番組をつくってたくさんの人に伝えることができたのはとても画期的。マスメディアの原点にある喜びや手応えをもう一回手にできた感じがした」と感動していました。

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READYFOR?にプロジェクトを立ち上げ支援を呼びかけるJ-WAVEのスタッフ

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番組テーマは、「島の人たちと島の外側の人たちをつなぐ友情」だった

──他に特に強く印象に残っているプロジェクトは?

ここ最近では「沖縄の大自然に"森のおもちゃ美術館"を皆で作ろう!一口館長募集中!!」というプロジェクトですね。支援者は1万円の引換券を買うとヤンバルクイナの形をした積み木がもらえます。それを繰り抜いた外枠には購入者の名前が彫られ、「森のおもちゃ美術館」に展示され、完成後は来館の証として、ヤンバルクイナのピースを購入した積み木の中央に収めることができます。

支援者の名前が掘られた外枠とヤンバルクイナの積み木

このプロジェクトを支援したあるお年寄りから「孫が10人いるので10口購入しました。成人して1人で森のおもちゃ美術館に行けるようになったら1人ずつピーズをはめに行きます」という声を頂きました。頑張る人と応援する人との新しいつながりを生むということも、私の目指していたことのひとつであったので、すごくうれしかったですね。ただプロジェクトを立ち上げて、お金をもらって終わりです、ではなくて、そこに人と人とのつながりや新しい出会いが生まれたとき、READYFOR?を運営していてよかったなといつも思います。この他にもたくさんのプロジェクトを通して実行者と支援者、実行者と実行者、支援者と支援者の新しいつながりが生まれているんですよ。

成功しなくても失敗ではない

──どんなプロジェクトが成功しやすいのでしょう。

成功に導くための最大のポイントはいかに人々の共感を得られるかなので、共感を得られるような紹介文が書かれたプロジェクトですね。また、途中経過をマメに書くことや魅力的な引換券を用意することも重要です。

ただ、プロジェクトそのものが成功しなくても失敗とは言い切れないと思っているんです。今はみんな何をするのでも「失敗」、「成功」の2つしか頭にないようで、確かに何かに挑戦するなら成功を目指して一所懸命努力をする必要がありますが、結果的に失敗に終わったとしても、成功するために全力で頑張っていれば何かしらの学びはあり、身につくものもあるので、失敗とは言い切れないと思うのです。一番よくないのは「何もしないこと」なのではないでしょうか。

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統括責任者としての仕事

──米良さんはREADYFOR?の統括責任者として、日々どのような仕事をしているのですか?

ひと言でいえば「何でも屋さん」ですね(笑)。最も重要な役割は事業戦略の立案ですね。READYFOR?を今後さらに大きくしていくための方法を考えています。そのために、一つひとつのプロジェクトをきちんと遂行させることも重要です。各プロジェクトマネージャーと密にコミュニケーションを取り、プロジェクトの進捗状況を随時確認したり、問題が起こったら即対応したりしています。また、システム面でも、READYFOR?をユーザーにとってより使いやすいサービスにするための仕組みを考えています。デザイナーやシステムエンジニアと話し合い、デザイン面とプロダクト面の両方においても方針を決めています。

さらに、プロジェクトの実行者をサポートするキュレーターに、過去の経験からこうやったらもっとおもしろいとか、資金をもっと集められるというアドバイスをしています。元々アイディアを練ったり何かを企画したりするのが好きだし得意なので、半分趣味みたいな感じでやってます(笑)。私自身も、目標金額が高く規模が大きいプロジェクトやREADYFOR?にとって効果的なプロモーションになるようなプロジェクト、次のプロジェクトのお手本になるようなプロジェクトには実際にキュレーターとして入ることもあります。

その他、マッチングギフトサービスなどの企業とのパートナーシップ、マーケティング、プロモーション、人材採用、会計などの他、取材対応などの広報活動、講演、ワークショップなどで全国を飛び回っています。

講演中の米良さん

──まさにプレイングマネジャーという感じですね。米良さんはREADYFOR?を立ち上げたということですが、ご自身で起業しているわけではないんですね。

READYFOR?はオーマ株式会社という会社がもっている2つのWeb事業のうちのひとつとして運営されています。私は学生時代からオーマを立ち上げた東京大学大学院工学系研究科准教授の松尾豊先生に師事し、研究のお手伝いをしたり、Webサービスを一緒につくったりしてきました。大学院3年生のときにREADYFOR?を立ち上げたときも起業するつもりはなかったので、学生時代からお世話になったオーマの中でやらせてもらい、大学院を卒業するタイミングでREADYFOR?の統括責任者としてそのままオーマの取締役に就任したというわけです。いわばREADYFOR?という会社の経営者のようなものなので、何でもやらなければならないのです。

卒業後、いきなり取締役に

── 一般的な社会人は新入社員として会社に入ると新人研修を受けて、部署に配属されると先輩社員の下で雑用から始めて徐々に仕事を覚えていくと思うのですが、卒業と同時に取締役に就任し、いきなりREADYFOR?の統括責任者として仕事をするのはかなりたいへんなことだと思うのですが。

最初の2年間はものすごくたいへんでした。ビジネスの実務的なことは何一つわからなかったし、教えてくれる人もいなかったので。例えば何かの書類を作成するときもフォーマットなんてないからいちから自分でつくらなければなりません。それがすごくたいへんで。最初の2年間はいろんなフォーマットをつくるという作業にほとんど費やしたと思います。大企業に入って、先輩や上司からいろいろ教えてもらえる同級生がうらやましかったですね。その他、会計、スケジュール管理、営業の仕方、契約書のつくり方、マネジメントの仕方などなど、一つひとつ自分で勉強して覚えていきました。

当然最初は失敗もたくさんしましたよ。1年も経っているのに何にも進まないという案件も普通にありました。それでも現場では私の上には誰もいないので、誰かに怒られるわけでもないし、逆に成果が出てもほめられるわけでもないので孤独でしたね。すべて一人でトライ&エラーを繰り返しながら進んできたわけですが、もっとこういうふうにやればよかったんだなとわかるのはかなり後になってからなんですよね。今3年目なのですが、最初の2年間は答えがまったくわからなくてしんどかったですね。

今になって思うのは、つくりたいものがあるなら、それに関することは基本的にすべて勉強しておかないと、なかなか前に進まないということですね。すごく苦手で嫌な仕事、こんなことをするためにREADYFOR?を立ち上げたわけじゃないと思うような仕事はたくさんありましたが、大きな目標をクリアしたいと思うのであれば、そのくらいのことはささっとやれるようにならなくてはいけないなと今、痛感しています。今でも憂鬱になる仕事はたくさんありますが、あえて真っ暗な部屋でやったり、逆に好きな音楽をかけるなど、環境を変えることで気分を盛り上げ、あまり気乗りしない仕事にも前向きに取り組むようにしています。

また、立ち上げ当初は批判を浴びたりして、こんなことをして何になるんだろうというマイナス思考に陥ったりしてとてもつらかったです。

日本人最年少でダボス会議に参加

──そんなつらい局面をどうやって乗り越えたのですか?

2012年、日本人最年少でダボス会議の出席メンバーに選ばれた

自分が手掛けている仕事がなにがしかの成果につながったということだけを原動力にして頑張っていました。また、2012年に参加したダボス会議がひとつのきっかけにはなりました(※編集部注:米良さんは世界経済フォーラムグローバルシェイパーズ2011に選出され、日本人史上最年少でスイスで行われたダボス会議に参加)。私はたまたまラッキーで参加できたのですが、ダボス会議には数ある社会問題に対してさまざまな角度から取り組んでいるいろんな国の人がいて、みんな自分を信じて、実現したいことに対してできる限り、精一杯取り組んでいました。そんな彼らと出会うことによって、私自身もそういう人でありたいと思ったのと同時に、当時抱えていたもやもやとしたものが晴れてまた前を向いて進んでいけるようになりました。参加できて本当によかったと思っています。

ダボス会議出席メンバーと

インタビュー後編はこちら

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