2013年8月アーカイブ

"ワクワク"がすべての原動力[後編]

山田貴子個人としての仕事

──仕事の種類としては2つあるとのことですが、もうひとつのワクワーク・イングリッシュとは直接関係のない、山田貴子さん個人として行っている活動とは何ですか?

こちらも2つあります。1つは母校である慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で、非常勤講師として毎週3コマ体育を教えています。元々スポーツが大好きで、体育の先生になるのが子どもの頃からの夢だったので、これは完全に個人的な仕事ですね。授業ではワクワーク関連の活動については一切話していないので、私がワクワーク・イングリッシュの代表を務めているとか、フィリピンでワクワークセンターをつくったりラーニングジャーニーを行っているという活動を全く知らない学生がほとんどです。ただ、授業にラーニングジャーニーで行っているダイアログを取り入れたり、フィリピンでのラーニングジャーニーに参加してくれた学生もいます。

もうひとつは地元・湯河原で子どもたちと一緒に、子どもたち主体での学校づくり、町づくりを行っています。私が小学3年生のときに、担任の先生から「貴子ちゃん、できるよ、やってごらん」と言われたことですごく可能性が広がったという原体験があり、そのおかげでワクワークの設立含め、今の私があると思っているんです。そして、そう言われたときから私もその先生のようになりたいと思っていました。そんな、自分を育ててくれた湯河原に私にできることで何かを還元したいという思いがすごく強いのでこの事業に取り組んでいるんです。

正式名称は「湯河原子どもフォーラム」という研修会で、2010年から湯河原の教育委員会から委託されています。後期に毎月1回、湯河原の3つの小学校の児童会事務局の子どもたちと、その3つの小学校の児童が進学する湯河原中学校の生徒会の子どもたち、計30~40人と一緒に行なっています。

研修会といっても、こちらはファシリテーターとしての最低限の仕切りをするだけで、すべて子どもたちが自主的に考え、行動するというスタイルで行なっています。1年目のテーマは「みんなが居心地のいい学校づくりのために、私たちができること」でした。体育館でブレインストーミングをしながら、理想の学校についてのアイデアをたくさん出しました。そして、そのアイデアの中から、「自分たちができること」と「大人にしかできないこと」(例:津波に強い学校など)にわけ、自分たちができることについて話し合い、10のプロジェクトにまとめました。そして、スローガン「笑顔あふれる最高の楽校(がっこう)」の実現を宣言しました。2年目は、1年目のスローガンを引き継ぎ「笑顔あふれる最高の楽校(がっこう)」の実現にむけて、子どもたち自身が新しいプロジェクトを考え、各学校で実践をしていきました。今年の3月に行われた子どもフォーラムでは、子どもたち、町の住民の方々、議員さん、町長さん、校長先生たちが一緒になってダイアログをしながら未来の湯河原について考えました。こういう活動を通して、ゆがわらっことしてこの町の子どもたちの未来を一緒につくっていきたい、そう思っています。


──子どもたちの可能性のために、という意味ではフィリピンでの活動と日本の活動は根っこの部分ではつながっているんですね。

その通りですね。そこはすごくつながっていて、フィリピンの子どもたちも日本の子どもたちも、1人ひとりが可能性をもっています。フィリピンの路上に生まれたから、日本に生まれたから、その生まれた場所で子どもたちの尊厳が失われたり可能性が閉ざされる社会はおかしいと思うんです。だからこそ、生まれた環境に関係なく誰もが夢をもってワクワクできるような場所やコミュニティをつくりたいと思っているんです。

フィリピンの路上で暮らす貧困層の子どもたちと

そフィリピンではワクワークセンターの建設、100の事業の創出に取り組みながら、日本では子どもたちと一緒に私が生まれた町の10年後の未来につながる活動をしているという感じです。

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日本での活動拠点

──フィリピンや日本でさまざまな活動をしていますが、活動の拠点はどこに置いているのですか?

日本とフィリピンを行ったり来たりしていますが、年間の半分以上はフィリピンで活動しています。現地に部屋を借りていて、フィリピンにいるときはそこで生活しています。

日本での拠点は軽井沢です。去年(2012年)の冬にオフィスを東京の恵比寿から長野の軽井沢に移転しました。それとは別に神奈川に自宅があります。

軽井沢のオフィス

──なぜオフィスを軽井沢に?

元々湯河原という海と山に囲まれた町で育ったので、自然豊かな場所で仕事をしたいという思いが小さいころからありました。それに、我々の仕事はインターネットさえあればどこでもできるので、あえて都内にオフィスを構える必要性がないということもあります。でも移転した最大の理由は東京よりも軽井沢の方がワクワクすると感じたからです。豊かな自然に囲まれているし、軽井沢に住んでいる人もおもしろい人が多いんですよ(笑)。それに私は元々地域活性化に興味があって、これからお世話になるこの軽井沢の塩沢という地域で、村の人たちと一緒にワクワクすることをやってみたいという思いもありました。本当にご縁に恵まれてこの場所で活動できることを幸せに思っています。


──とはいえ東京近辺に行くこともけっこうあるんですよね?

慶応SFCでの体育の授業が毎週あるのですが、その時は神奈川の自宅に帰ればいいですし。その他、東京近辺のワクワーク・イングリッシュを導入してくださっている大学や企業にうかがうこともありますが、軽井沢って東京に1時間で出られるのでむしろ便利なんですよ。それに、それほど頻繁に行くわけじゃないですしね。

ワクワーク・イングリッシュのフィリピンのスタッフとはスカイプで通信するので、日本国内どこにいても問題ありません。このようにそもそも我々の手がけているビジネスは場所を選ばないので、どこにオフィスを置くかということはさほど問題ではないのです。

軽井沢での活動

──軽井沢では具体的にどのような活動をしているのですか?<

日常的な業務の他には、ワクワーク・イングリッシュのWebサイトや新しいシステムの構築、ワクワークセンターのプログラムについて考えたりしています。

あとはラーニングジャーニーに参加する学生を集めて、その前後に軽井沢オフィスで合宿を行なっています。合宿ではダイアログを行い、参加者全員のライフストーリーを共有します。そうするとメンバー同士の信頼関係が強まり、現地に入ってすぐにみんなで協力して密度の濃い活動ができるからです。現地にいられる時間も限られてますからね。帰国後は振り返りを行なっています。

それから、オフィスの近くに緑友荘という古民家があるのですが、そこで地域の方々と一緒に何か活動ができればと思っています。一例としては、緑友荘とフィリピンをスカイプでつないで、1回ワンコイン(500円)で地域の子どもたちやお年寄り向けのワクワーク英会話講座を開く予定です。

また、子どもたちに関しては軽井沢の豊かな自然×英語という形で、ワクワクしながら、夢を描いたり、生きていく力を育めるような活動もしたいと思っています。例えば夏休みになると大勢の家族連れが軽井沢の別荘に来るのですが、その子ども向けのワクワークの英会話講座を緑友荘で実施できたらおもしろそうだなぁとか。ただ英会話を教えるだけではなく、英語を使って森の中でご飯を炊いて食べるとか、体を動かすアクティビティ、スポーツなども含めていろいろやりたいと思っています。

これまではフィリピンに学生を連れていって活動しているのですが、子どもたちが命の大切さに気づいたり、自分の夢に気づいたり、そういう体験って、この軽井沢でもできるんじゃないかなぁと思いはじめています。

こんな感じでここを拠点に子どもたちと一緒に夢を育てていけるような、自分の町の未来をつくっていけるような活動を行いたいと思っています。

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ワクワクを最大値にしたい

──国内外で精力的にさまざまな活動をしていますが、山田さんを動かすモチベーションの源泉は何ですか?

ひとことで言えば「ワクワクすること」。これに尽きます。「ワクワクを最大値にしたい」という思いが根本にあり、すべての活動はこの思いが原動力になっています。単に仕事や雇用を生み出すだけじゃなくて、「ワクワク」の部分が大事で、1人1人が本当に何をやりたいのか、どんなことにワクワクするのか、その1人1人の情熱で、一緒に未来をつくっていきたいと思っています。

今は、改めて子どもたちに興味があるということをすごく感じています。キーワードでいえば「子ども」と「ワクワク」と「可能性」の3つですね。

──現在の仕事のやりがいや魅力は?

一番は子どもの笑顔ですね。フィリピンの孤児院にいた子どもたちが英語を話せるようになってきたときの笑顔や、大学に通うことができて喜んでいる笑顔、そして新しい夢をもちはじめたときの笑顔。日本でも湯河原子どもフォーラムの子どもたちが研修会を通して、「自分たちでこんなにできた!」といったような達成感を得たときの笑顔。そういう子どもたちの笑顔を見られたとき、私自身もうれしくなり、この仕事をしていてよかったなと思います。彼らからたくさんのエネルギーをもらっているんですよ。

子どもだけではなく、大人の笑顔もうれしいですね。今年(2013年)のゴールデンウィークにロレガでワクワークセンターを作るためのラーニングジャーニーを行ったとき、昨年の12月にカフェを立ち上げた人たちも参加して発表会を行いました。

参加者の一人にネリアというお母さんがいるのですが、それまでは内気で全然喋らなかったのに、「私は今カフェの仕事をもっている。働ける場があって、給料をもらえるおかげで子どもに大学を卒業させることができて、刑務所にいる夫にも会いにいけて、本当に人生が変わった。こんな私でもチャレンジをしたことで夢が実現できた。だからみんなも絶対にできるよ」と力強く発言したんです。それを聞いていた、新しく参加したロレガのお母さんたちがみんな涙を流していましたが、私自身もそれを聞いたとき、すごく大きな喜びを感じました。

誰かが自分の可能性に気づいたとき。そして新しい一歩を踏み出したとき。そういう瞬間に大きなやりがいを感じます。

ラーニングジャーニーでカフェをつくった学生たち

──逆に仕事をする上でつらいことや現在抱えている問題などはありますか?

特にはないですね。そもそもあまりつらいとかたいへんだとか思わない性格なので(笑)。あと、我々は「課題」とか「プロブレム」という言葉は全部「チャレンジ」に言い直すんです。そうすることで明るくなるし、元々体育会系気質なので、少しくらいつらいことがあった方が燃えるんですよ(笑)。

ただ、組織をまとめる人間としては、自分自身が人間的にもう少し成長しないと組織がもう一歩前にいかないだろうなということは感じています。これからワクワークイングリッシュを100人体制にして、ワクワークセンターを立ち上げていくのですが、その過程で自分自身の内面を掘り下げながら、1歩ずつ進んでいきたいと思っています。

働くとはワクワクすること

──山田さんにとって働くとはどういうことですか?

ずばり「ワクワクすること」です(笑)。働く意味って人それぞれあると思うのですが、私の場合は、自分のハッピーと相手のハッピーが重なったときに何か大きなハッピーが生み出される。その瞬間に立ち会いたいがために働いていると言っていいと思います。その重なるところが「ワクワーク」で、それが社名にもなっています。言い替えれば私の「働く」は人と何かをわかち合うということ。私のワクワクとあなたのワクワクが重なりあい、新しく何かが生み出され、未来を一緒につくっていくということです。


──誰のために働くかと問われれば?

まずは自分のためです。今の数々の仕事は私がやりたいからやっているわけですから。

それと最近、今の、そして未来の子どもたちのために仕事をしたいなと強く思っています。フィリピンのロレガで作ろうとしているワクワークセンターも未来の子どもたちのためですし。あまり「◯◯のため」とは言いたくないのですが、自分の子どもや孫世代にまでつながる仕事をしたい。今、私が生きているこの社会も親世代、祖父母世代がつくり、つないできてくれた社会ですしね。だから今の仕事によって、未来の子どもたちがワクワク楽しく生きていけるような社会に繋がるといいなと思っています。


──国内外でさまざまな活躍をしていますが、仕事とプライベートの境目はあるのですか?

私の場合、正直仕事もプライベートも1つにつながっているような気がしています。さらに去年(2012年)、結婚したのですが、相手はこれまで一緒に仕事をしてきた人で、今も一緒に働いているのでさらに仕事とプライベートの境目がなくなりました(笑)。

夫の方は日本の子ども向けの仕事や大学への英会話の導入、当社のWebサイトやラーニングジャーニーのパンフレットの制作など、教育系&制作系の仕事がメインです。また、現地ではココヤシを使ったお酒づくりをしていたり、WAKUMAMACAFE(ワクママカフェ)の店長にも就任したり、現地でデザインを通じて仕事をつくる仕事しています。

ともに働き、暮らしている夫の森住直俊さん(写真左)

──仕事も私生活もご主人と一緒というのは快適ですか? ストレスが溜まったりはしないのですか?

確かに、結婚して間もないころは朝起きてから夜寝る直前まで仕事の話ばかりしてしまう状況で、けっこうストレスを感じていました。だから働き方を一度見直したんです。リビングにいるときには仕事の話はしないとか、食事をする場所には絶対パソコンを置かないとか、いくつかルールを決めてからは快適になりました。

また、最近私が体を壊して入院したのですが、抱えている仕事のほとんどを夫がやってくれたり、精神的に弱っているときに支えになってくれたりと、とても助かりました。こういうところが夫婦で一緒に仕事をすることの大きなメリットで、私生活も仕事もパートナーという働き方でよかったなと改めて思いました。最近ではジャーニーなどで深い対話をしている中で、お互いの小さな悩み、葛藤、弱さ、すべてを共有しながら新しいエネルギーが2人の間にあるのを感じています。また、お互いの仕事を深く理解しているので、家事の分担がしやすいのも大きなメリットですね(笑)。

二人でワクワークポーズ

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今後、働き方はこう変わる

──今後の働き方はどうなると思いますか?

もっといろんな働き方があっていいと思っています。他者からはおかしいと言われることも多々あるかもしれませんが、それでも自分の心がワクワクする働き方をすればいいのでは? と思います。実は軽井沢にオフィスを移転するときも、英会話事業だけでなく他の事業をスタートするときも、体育の講師を始める時も、周りからけっこう反対されたんです。でも私自身がワクワクする働き方、仕事づくりができると思ったので、そうしました。

今後は私みたいに若い世代が東京ではなく地方に行く時代が来るんじゃないかな、既にその流れが来ているんじゃないかな、と感じています。実際に最近は地方に眠っている可能性や価値に惹かれて地方に行きたいと言ってる仲間が多いんです。

また、都会の熾烈な競争の中で他者を蹴落とし、勝ち残って成功したいというのではなく、利益追求以上に自分の能力や技術を使ってこの国や社会に貢献したいという人が特に若い世代に増えているように感じています。そうなると、個人のハッピーと社会のハッピーが繋がる形で新しい仕事が生まれていくんじゃないでしょうか。それに今ある職業のほとんどは自分の子どもの世代にはない職業かもしれないですしね。特に今の若い人たちは自分の一つひとつの仕事が社会のどこにつながっているかという意味をすごく見出そうとしてると感じます。

それと、複数の仕事で収入を得るという働き方も増えるんじゃないかなと思います。私自身もワクワーク・イングリッシュを経営したり、ワクワークセンターをつくろうとしていたり、大学で教えたり、湯河原の子どもたちのリーダー育成事業を手がけたりと、いろいろな仕事をして、いろいろなところから収入を得ていますが、こういう自由でフレキシブルな働き方は増えているし、今後もっと増えると思っています。

愛にあふれたコミュニティをつくりたい

──今後の目標や夢を教えてください。

ワクワーク・イングリッシュに関しては、2014年度からまた新しい大学でオンライン英会話の授業をやる予定なので、そこに照準を合わせて現在40人の講師を100人にしたいと思っています。でも我々は大量に雇って、いらなくなったからすぐ解雇ということは絶対にやらないので、採用もこれまで通り、慎重に行います。今のワクワークファミリーとしての文化を維持していくためにも、講師は100人がマックスだと思っていて、それ以上増やすつもりはありません。

大きな目標として、フィリピンで100の事業を創出するというのがあります。そのため、英会話事業に続き、カフェや美容院(9月正式オープン予定)を立ち上げました。そしていよいよ今年の9月にもっと多くの子どもたちや若者、ママ・パパが通うことができるワクワークセンターの建設が開始されます。起業して以来の夢がひとつ形になるので楽しみです。

フィリピンの若者たちと一緒に夢を叶えるべく奮闘する山田さん(写真前列中央)

また、個人的な夢としては、家族が大好きなので大好きな祖母(88歳)に自分の子どもを見せてあげたいですね。そして、ワクワークセンターの1階にはお母さんが安心して幼い子どもを預けて働けるように託児所のようなものをつくる予定で、もし私にも子どもができたらこのロレガのコミュニティで育てたいと思っているんです。ロレガの子どもたちに「私の子どもを受け入れてくれる?」と話したら「もちろん! 早く連れてきて」と笑顔で答えてくれています。愛にあふれたコミュニティをつくることが、自分の将来の子どもにもすごく影響するだろうなと感じています。

あるがままの自分を自分自身で受け入れて、そのあるがままの自分を受け入れてくれる、愛にあふれるコミュニティ。そして自分はこれでいいんだ、自分には可能性があるんだと自信をもって、夢に向かって一歩踏み出せるようなコミュニティを日本でもフィリピンでもつくりたい。それが私の究極の夢であり目標ですね。

"ワクワク"がすべての原動力[前編]

大枠で2つの仕事

──山田さんの現在の活動について教えてください。

手がけている仕事としてはいろいろあるのですが、大きく2つにわけられます。1つは「株式会社ワクワーク・イングリッシュ」の代表・山田貴子としての仕事。もうひとつは個人・山田貴子としての仕事です。

「ワクワーク・イングリッシュ」とは、インターネットのスカイプを利用したオンライン英会話事業です。英語を第二言語とするフィリピン人が講師として日本人に英会話を教えています。2009年、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)大学院1年生の時に、フィリピンの貧困層の若者と一緒に、生まれた環境に関係なく、誰もが夢と自立を実現できる社会を目指そうと立ち上げました。

フィリピン人講師はフィリピンのオフィスに出勤し、パソコンのカメラとマイクを通じて日本人に英会話のレッスンを行なっています。個人だけではなく、学校や企業と提携してレッスンを提供しています。

例えば2011年から嘉悦大学に我々のスカイプ英会話を英語の授業として採用していただいています。さらに今年(2013年)からは2つの大学で導入していただき、3校に増えました。

今でこそスカイプ英会話は大はやりですが、2009年の立ち上げ当時はほとんどありませんでした。他のオンライン英会話との最大の違いは、全員がオフィスに出社して、チームとしてプロフェッショナルなレッスンを提供している点。そして、このビジネスを通してフィリピンの貧困層の若者の夢と自立を目指しているという点です。まずは、このワクワーク・イングリッシュの経営者としての仕事があります。

嘉悦大学での授業風景

起業した当初は5人だったフィリピン人講師も今では約40名。ほとんど正社員として雇用しており、彼らは毎月安定した収入を得ることができます。ここも他のオンライン英会話との大きな違いだと思います。日本側のスタッフは基本的には、私と夫を含め3人。立ち上げから約3年間はフィリピン人講師の採用、教育、チームビルディングなどのため頻繁に現地オフィスに通っていました。

人生を変えたひと言

──なぜワクワーク・イングリッシュのようなビジネスを立ち上げたのですか?

そもそものきっかけは、大学2年生のときに遊びに行ったフィリピンで出会ったストリート・チルドレン。彼らはまだ幼いうちから毎日路上に出てはタバコや布切れを売ったり、ゴミの山を漁ったりしていました。最初彼らを見たときはかわいそうだなとかちょっと恐いなと思ったのですが、触れ合っていくうちに、すごく元気でかわいくて夢もあるということに気づきました。

あるとき「どうして子どもなのに働いているの?」と聞くと、「お母さんのためだよ」と当然のように答えました。それを聞いた時、私は二十歳なのに親のことなんて考えることもなく、何でも自分のしたいようにしている。でもこの子たちは5、6歳なのに子どもとしての責任をちゃんと感じて生きているんだなと、自分のことが恥ずかしくなると同時に、この子たちはすごいなと心底尊敬したんです。それで毎日働かされるだけじゃなくてこの子たちを楽しませたいと思い、一緒にボール遊びなどをするようになりました。子どもたちはとても喜んでくれて、私もハッピーでした。

でもそんなある日、一人の子どものお母さんからこう言われたんです。「子どもたちは楽しそうだけど、あなたと一日遊んでいたせいで、路上で働くことができず、私たちは今日食べるご飯を買うお金がない。あなたが子どもと遊ぶのなら食べるものかお金をちょうだい」と。すごくショックでした。これまで私のしてきたことはただの自己満足に過ぎなかったのかな、もうフィリピンに行くのはやめた方がいいのかなと思いました。でも悩んだ末、自分はフィリピンの子どもたちと時間も夢も共有して友達になったのだから、やっぱり放ってはおけないと思ったんです。

当時私が一番やりたかったのはひとりでも多くのストリート・チルドレンに教育の機会を提供して、学校に通って、夢を実現できるようにすること。そして、援助する、されるの関係性を超えて、彼らのエネルギーを使って、一緒に夢を実現すること。そのためには現地の人たちと一緒にビジネスで実現するのが一番早いと思い、フィリピン人の友人に相談したところ、「フィリピン人の資源は子どもの頃から習っている英語だから英会話ビジネスを通じて夢を実現しようよ」と。そこで覚悟が決まりました。

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ワクワークモデルを確立

──ストリート・チルドレンの夢を叶えるビジネスモデルはどうやって考えだしたのですか?

当時、私は大学院でビジネスで社会貢献を行うノウハウを学んでいました。その研究の一環として徹底的にフィリピンの現状をリサーチしました。その結果、たいへんなことがわかったんです。世界100カ国に支部がある国際NGOが運営する孤児院でも1年間に路上から保護できる子どもの数はわずかひと桁。0人の年もあります。その理由は「コスト」。路上から5歳の子どもをひとり保護すると、月に1000~2000円の養育費がかかります。大学生では学費が高いのでその3倍の月3000~6000円に跳ね上がります。つまり、1人の大学生が孤児院を卒業して自立すると、次の子どもが孤児院に入れるというシステムになっていたのです。逆にいえば、大学生が自立して出て行かない限り、路上にいる子どもは孤児院に入れないんです。

ところが、この大学生がなかなか自立できません。フィリピンでは人口の8割が30歳以下の若者なのですが、多くの人を雇用できる企業があまりないのでそもそも働く場が少ないのと、彼ら自身も仕事を得るだけのスキルを持っていないのでなかなか就職できないんです。ですので、せっかく5歳から15年間支援を受けて孤児院を出てもまた路上や孤児院に戻る若者もたくさんいます。

ただ一方で、フィリピンにおける大学進学率は3割程度ととても低い。大学に通えるのは中流階級以上の家庭の子息が主ですが、中には孤児院で保護されている子どももいます。その大学生自身はすごく優秀かつモチベーションも高いんですね。そこで、この優秀な大学生が孤児院から学費をもらい続けるのではなく、働いて自立できるようにトレーニングする。そうしたら新しく3人の子どもを路上から保護できる。そのために、たとえば大学の授業後に、英会話教師として3時間働いて自活できるだけのお金を得られれば、彼に当てられていた奨学金を次の世代に回すことが可能になります。こういう仕組みを「ワクワークモデル」としてNGOに提案し、5つの孤児院・NGOと提携しました。この流れを加速させることで、支援を受けられる年齢を下げ、子どもたちが里親を待たなくても、自分たちの力で大学に行くという希望がもてるようになったのです。

こうして、フィリピン人講師5人と私でスカイプを使った英会話事業「WAKU WORK ENGLISHワクワーク・イングリッシュ」をスタートさせたんです。

毎週英会話レッスンを行う孤児院にて、子どもたちと夢を共有

──「ワクワーク」という名前をつけた理由は?

ストリート・チルドレンは、その日のご飯代を稼ぐために、路上でわずか数円~数十円の物を売っています。それも1時間に1つ売れるかどうか。そんな状況から、自分の夢に向かってワクワクしながら働けるようにという願いを込めてワクワークという名前にしました。

オフィスにもこだわって、入っただけで自然と仕事がしたいと意欲が湧いてくるようなつくりにしました。例えば壁をオレンジにペイントしたり、いろいろな本をたくさん置いていつでもみんなが読めるようにしています。フィリピンでは本が高いので、こういったオフィスはまだまだ珍しいんですよ。


──当時23歳ですよね。その若さで、しかも誰も手を付けていないビジネスで起業することに不安は感じなかったのですか?

私はめちゃめちゃポジティブなので、やると決めたらできるかできないかではなくて、どうすればできるかに全力を注ぐんです。また、当初は周りの人々にこういうことがやりたいんだと夢を語ったら、誰もが「そんなの無理だよ」とか「やめた方がいいんじゃない?」などと散々言われました。でも私はそう言われた方が逆に燃える性分なんです。「いや、無理じゃないから。それを証明します」みたいな感じで頑張りました(笑)。

サービスのクオリティを重視

──ビジネスとして軌道に乗せるためにしたことは?

あくまでも国際協力ではなく、英会話ビジネスとして社会に認めてほしかった。そうじゃないとビジネスとしてやる意味がないからです。だから優秀な英会話講師を採用するなど、英会話授業のクオリティを高めることに全力を注ぎました。

同時に営業をがむしゃらに頑張りました。営業先として日本の企業を回っていたのですが、当時の私は大学院生で、身だしなみやメールの打ち方など、基本的なビジネスマナーが全然わかっていなかったので、ずいぶんと企業の方に叱られました。でもそうやって叱られながらマナーを身につけていきました。


──実際に自立できたフィリピンの学生の例を教えてください。

例えばある女の子は、せっかく孤児院から大学に受かったのに、実家が貧しすぎるため、一日中、幼い兄弟たちと一緒に路上に出て布切れを縫い合わせて作った雑巾を1枚2円でタクシードライバーなどに売っていました。当然大学にも通えません。しかし、当社に入ってからは1日3時間のトレーニングを受け、合計300時間に達したところで日本の小中学生に英会話を教える先生になりました。大学にも復学し、1年半英会話講師として働いた後、現在はフィリピンで一番有名なコールセンターで働いています。

彼女のように、自立した生活を送る学生や、卒業してから自分の夢を叶える若者も徐々に増えました。また、このような若者が自分の出身孤児院に出向き、子どもたちに現状を語ることで、子どもたちが夢をもてるようになっていることも、とてもうれしいことですね。

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ただ英会話を教えるだけじゃない

また、2010年から、私の故郷の中学の適応指導教室(なんらかの理由で一般教室で授業を受けられない生徒たちが通う教室)でもスカイプ英会話を実施しています。

授業の目的は、英会話の能力を伸ばすことよりも、子どもたちにありのままの自分を受け入れた上で、次の一歩を踏み出してもらうということ。次年度の4月から一般教室に戻れるまで自信を回復しようということをミッションにしてこの授業を行なっています。


──そのミッションを実現するため、具体的にはどのように授業を行なっているのですか?

授業中に子どもがうまくできたら、些細な事でもパソコンの画面に映ったフィリピン人の講師が、子どもをほめたり、元気づけたりします。つまり子どもが自分にもできると感じられる機会を授業の中に散りばめているんです。すると子どもは徐々に自信を取り戻していき、一般教室に戻っていきました。

しっかりと向きあい、少し元気づけ、背中を押してあげるだけで、子どもは自信をつけて次の一歩を踏み出せる。この授業を通して、フィリピンの子どもも日本の子どもも何ら変わるところはないと思いました。フィリピン人の講師たちにそれができる理由は、そもそも持ち合わせている純粋な心根と自分の可能性を信じてフィリピンの貧困層の夢を実現しようとしているからだと思います。

ここが他のスカイプ英会話との最大の違いで、ただ単に英会話を教えるだけじゃなくて、目の前の子どもにちゃんと向きあって、君たちもやればできるんだよということを英語を通じて伝え、勇気づけ、元気づけ、希望を与えることができる。今後も英語を通じて自信をなくした日本の子どもたちが立ち直るきっかけを提供したいと思っています。


──国際協力を仕事にするということはどういうことなのでしょう。

ワクワーク・イングリッシュを立ち上げた経緯のところでも触れましたが、そもそも最初から国際協力的な事業に興味があったわけではありません。ちなみにフィリピンに行くまではスポーツが好きだったので、体育の教師などスポーツ関係の職業に就きたいと思っていました。

今でも私は国際協力とか国際貢献をしているという意識は全くないんですよね。その言葉自体あんまり好きじゃないんですよ。同じく、支援、援助、途上国、貧困層という言葉も便宜上使っていますが本当は使いたくありません。なぜなら現地に暮らしている人々と一緒に社会をつくっていく、日本、フィリピン、双方に意味がある事業だからです。支援じゃなくて協働というイメージですね。

例えば、我々がフィリピンの孤児院から採用した学生が日本の小中学生に英会話を教えているわけですが、それによって確かにフィリピン側の雇用を生んでいるけれど、先ほどお話したように、フィリピンの学生講師が心に傷を負ってしまった子どもを元気づけて、自信を取り戻させています。だからこちらからの一方的な支援ではなくて、ひとつのビジネスとして双方にメリットのあるWin-Winの関係になっているんです。

100の事業を作りたい

──ビジネスで結果を出しているところがすごいですね。今後も英会話ビジネスを拡大していくつもりなのですか?

確かに英会話ビジネスを通じて、夢を叶えた子どももある程度はいます。でもそれだけではまだまだ足りません。

冒頭でも話しましたが、あくまでも私の夢は、フィリピンの貧困層の若者と一緒に、生まれた環境に関係なく、誰もが夢と自立を実現できる社会をつくること。100人の子どもがいれば100の夢があります。その夢を叶えるためには英会話事業だけでは全然足りません。ですので、100の事業をつくるため、フィリピン国内でフィリピン人たちによる持続可能な新しいプロジェクトの立ち上げに取り組んでいます。これが現在のワクワーク・イングリッシュの山田貴子としてのもうひとつの仕事であり、メインの仕事なのです。


──オンライン英会話事業の方は?

経営者としての基本的な方針決定と採用の最終面接くらいです。こちらの方は現地のリーダーが優秀で、スタッフたちもよくやってくれており、チームとしての結束も固いので、私がいなくても問題なく回るようになっているんです。最近、現地オフィスに私のデスクすらなくなってしまって、ちょっとさびしいんですけどね(笑)。


──100の事業の創出に関してはどのような活動を?

一番大きな目標は「ワクワークセンター」の建設です。「ワクワークセンター」とは、英語教師になりたい、美容師になりたい、IT関連の仕事がしたいなど、フィリピンの貧困層の子どもたちがそれぞれの夢に向かって勉強できる学校のような場所です。そしてそこで知識や技術を習得した子どもたちがひとりの職業人としてフィリピン社会へとどんどん飛び出していくという状況を目指しています。

まだワクワークセンターはできていないのですが、すでに日本のNPO「ふくりび」と提携して日本のプロの美容師がフィリピンの孤児院の若者たちにスタイリングの技術指導をし、その訓練を受けた若者たちが美容師として働く美容室「Dream Runway」を出店しました。まずはこの2、3年で10店舗出すことを目標にして動いています。

孤児院でカットの実演をする「ふくりび」の美容師

──着実に前に進んでいますね。

ただ、100の事業を生み出すという夢を実現するためにはひとつ大きな問題があります。それは親です。せっかく子どもが自分の夢のために頑張ろうと学校に通ったり働き始めたりしても、収入のない親を支えるためにまた路上に戻ってしまう子どももたくさんいます。

ですから、子どもだけではなく親も自立させる必要があります。今年3月にはロレガに住むママパパと一緒に「WAKU MAMA CAFE(ワクママカフェ)」というカフェをオープンしました。また、今後ワクワークセンターの中には、ママ&パパ向けのプログラムもつくる予定です。例えば、親が洗濯の仕事ができる「ワクワークランドリー」を設立して、親子一緒に路上から自立できるようなモデルを作りたいと思っています。そうすれば親も仕事を通して収入が得られ、お客さんに感謝されることで自尊心を取り戻せるので、子どもに依存することがなくなり、結果、学校に戻れる子どもが増えると思うのです。

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貧困街にワクワークセンターを

──ワクワークセンター建設のスケジュールは?

今年(2013年)9月に着工して、2014年に完成する予定です。建てる場所はロレガというエリア。ロレガとはセブに4つある悪の巣窟といわれているエリアのひとつで、人身売買やドラッグなどが蔓延している貧困街です。人々は安定した収入を得られる仕事もなく、墓地の真ん中にベニヤ板で四方を囲っただけの小屋を建て、墓石をベッドにして寝るという劣悪な環境で暮らしています。そこに現在、5~600家庭が住んでいて、三世代ほど続いています。貧困の連鎖が続いているわけです。

その劣悪な居住環境を改善するために、現地で活動する国際NGOが住民と一緒に3棟のドミトリーの建設を計画しています。すでにそのエリアに住んでいた住民と協力して、1棟が建ったのですが、住むところを手に入れても彼らには安定した収入を得られる仕事がありません。その問題を解決するために、国際NGOと協力してワクワークセンターを建てようとしているんです。

貧困層が暮らすロレガ地区

ロレガに暮らす子ども

ただ、我々のポリシーは単に作ってあげるという"援助"ではなく、現地の人たちと本当に心からやりたいこと、一緒に見たい未来を一緒に創っていく(Co-Creation)ことです。そこで、まずはロレガ地区に住んでいる人たちに呼びかけて、我々と一緒に夢を実現したいというメンバーを募りました。そして、ドアーズという会社と協働して日本からの参加者を募り、ラーニングジャーニーという新しいスタイルの旅を開催&提案しています。


──ラーニングジャーニーとはどういうものなのですか?

日本人が途上国に行ってボランティア活動をすること自体は珍しくもない話なのですが、我々の進め方が他のスタディツアーやボランティアツアーと決定的に違う点は、まずフィリピン人と日本人、参加者全員のこれまでのライフストーリーをシェアしたり、ダイアログ(対話)を通じて、1人の人間として繋がる、そして目的を共有する。そこからスタートしています。こうすることで、みんな同じ人間なんだ、同じ目的を共有しているんだ、人種や国籍やこれまで育った環境なんか関係ないんだといった感じで参加者全員の信頼関係ができ、メンバー同士の絆が深まり、目的に向かって一致団結できるのです。そして、ジャーニー(旅)なので、その1週間だけでは終わらず、お互いのそれぞれの人生が色鮮やかになるような、同じ目的を持った、信頼できる仲間ができるのです。これを我々はラー二ングジャーニーと呼んでいます。

ラーニングジャーニースケジュール(一例)

実際、ロレガのアデルというお母さんは「今までいろんな国の人たちがここに援助に来てくれたけど、私たちの話をちゃんと聞いてくれたのはあなたたちが初めてだ」と涙ながらに語っていました。

すでにこのラーニングジャーニーを何回か重ねていて、2012年のラーニングジャーニーで、ワクワーク・イングリッシュが入っているオフィスビルの1階に地域の人々が集まれるカフェを作ろうということになり、2013年3月8日にワクワークカフェができました。今、ロレガ地区のお母さんたちがそこで働いていて、お客さんもたくさん来てとても賑わっています。

8月にまたラーニングジャーニーを開催して、ロレガの人々と一緒にワクワークセンターの土台を作るダイアログおよびジャーニーを行うことになっています。

ラーニングジャーニー参加者

──ワクワークセンターの建設にはいくらくらいかかる予定なのですか? また資金はどのように集めているのですか?

土地と建物含めて全部で2000万~3000万円ほど必要なのですが、できれば、セブ市や現地フィリピンの企業さんと協力してつくりたいと考えています。また、現在はユニクロによる子どものためのプログラム「Clothes for Smiles」に選出され、支援を受けることが決まっています。このように今後は現地に進出している日系企業さんともフィリピンのコミュニティと未来を一緒に育てて行けるような良い関係が築ければと願っています。


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