2014年7月アーカイブ

一生の仕事とは

──鮫島さんは美術学校を卒業して最初に就いたデザイナーの仕事で、シーズンごとに商品が変わり、ものづくりへの愛着が感じられない仕事に疑問を感じるようになったと思ったとのことですが、そこからどのようにキャリアを切り開こうと考えたのですか?

私は具体的にどういう仕事であれば人生をかけてやれるのか、満足できるのかと考えたのですが、なかなか答えが見つかりませんでした。やりたいことは、本当にいいもの、長く大切に使ってもらえるものをつくること、そして好きなことは、デザイン、アート、クリエイション、イノベーティブなこと。デザインという仕事そのものは好きで、やりたいことでしたが、今の化粧品のデザインという仕事は一生の仕事じゃないということは分かっていました。しかしどうすればいいかわからず、その頃は日々悶々としていました。


──その突破口はどのように開いていったのですか?

自分一人で悩んでいても埒があかないので、NPO関係やビジネス、デザイン、アート系の勉強会に参加したり、いろんな人と会って話を聞いたり、いろんな本を読んで自分で考えたりしました。そういうことを繰り返していく中で、表現やアートは、哲学や価値観を発信し、それが誰かの心に響き、生き方に対する考えを変える可能性やイノベーションを秘めていること、デザインは、それらを一般の人々が享受しやすいよう、製品など目に見える形に落とし込まれた結果であるということ、すなわち、ものづくり自体は、上記要素をもちうるおもしろい仕事であるはずで、尊く、価値がある行為だということに気がつきました。そして私の場合、作る人、売る人、買う人みんなが幸せになるようなものづくりをしたいと強く思えるようになりました。ここまで来るのに1、2年ほど悩みました。

決定的だったのが、ある勉強会で出会った元青年海外協力隊員の方のお話です。彼から青年海外協力隊の仕事の中にデザイン系のものもあると聞いて、デザインの仕事で何か人の役に立てるのであれば、そこに私が求めているもののヒントがあるかもしれないと思い、入社して3年3カ月が経った頃に会社を辞めて青年海外協力隊のデザイン隊員として、エチオピアに渡りました。

エチオピアへ

──英語は堪能だったのですか?

いえ、子どもの頃、父の仕事の関係で海外で生活していたので、苦手ではなかったのですが、堪能というレベルでもなかったです。ただ赴任前に英語研修もあるとのことでしたし、なんとかなるだろうと思い、応募しました。

デザイナーという職種では3カ国からの要請がありました。その中にエチオピアもありましたが、エチオピアはアフリカの貧困国であり、何かと大変そうだなと、最初はむしろ敬遠していました。

しかし、今となっては「呼ばれた」としか思えない出来事がありました。青年海外協力隊に申し込んだ後実際に赴任するまで、好きな国を周ろうと、会社を辞めて海外旅行に出かけました。南米に2カ月、東南アジアに1カ月、計3カ月間旅行して、その間にJICAから青年海外協力隊選考の合格通知が来ていました。その後、たった一週間の間に、見ず知らずの、それぞれ全くつながりのない3人の外国人に、「エチオピアはいい国だ」と言われたんです。しかも3人とも私の方からエチオピアの話はしておらず、普通の会話の中で彼らの方からエチオピアの話が出てきたのです。実は青年海外協力隊でエチオピアからオファーが来ていてという話をすると、みんなからぜひ行くべきだと勧められました。

当初はエチオピアではない国にしようかなと思っていたのですが、こんなに短期間の間にこれだけエチオピアの話が出てくるのは普通ではありえない、これも何かの思し召しなんだろうと、JICAにエチオピア赴任を承諾するメールを送りました(それ以降、帰国するまでエチオピアの話は誰からも出ませんでした)。そして2002年2月、青年海外協力隊のデザイン隊員としてエチオピアへ赴任しました。

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衝撃のエチオピア

雄大な自然に囲まれたエチオピアの村

──それは確かに運命としかいいようがありませんね。実際に御自身の目で見たエチオピアの第一印象はどうでしたか?

まずはやはり日本とは比べものにならないスケールの大自然に圧倒されました。また、エチオピア人も素朴で純粋でとてもいい人たちばかりでした。

一方で、すさまじい貧困を目の当たりにし、衝撃を受けました。道端に日常的に人が倒れており、生きているのか死んでいるのか分からないような人々を多く見かけました。仕事がなく、日々の生活の糧が得られず困っている人もたくさんいました。また、電気や水道、ガス、道路、医療などのインフラも整っていないので、日常生活にもかなり支障をきたしていました。こういう現実に身を置く中で、この国のために、デザイナーである自分ができることは何だろうかと深く悩みましたが、私はとにかく自分にできることから始めようと思い直しました。

世界最貧国のひとつ、エチオピアの風景

仕事の面でも想定外のことが待ち受けていました。配属された派遣先がデザインとは関係のない職場で、デザイナーである自分にできる仕事は、ほとんどありませんでした。後から聞いたら、そういうことはよくあるようで、仕事らしいことはほとんどしないまま、赴任期間を終える人もいるようでした。私は自分が本当に望む人生のヒントを求めてエチオピアに来たので、このまま何もしないで帰るわけにはいきませんでした。そのため現地でもいろいろな人と会ったり、派遣先以外でデザインの仕事を探してボランティアで取り組んだりしました。その中で、情熱をもって仕事に取り組んでいる現地の職人に出会い、またエチオピアならではの素材やデザインを見つけ、それらの潜在的可能性にも気づくようになりました。

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エチオピアのオフィス

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自分で仕事をつくっていった

帰国半年前には、青年海外協力隊の皮革隊員として派遣されていた友人と話し合い、外国人である私たちがエチオピアから得たインスピレーションをもとに、ドレスや靴を製作し発表する、ファッションショーを企画しました。早速、手伝ってくれるスタッフやモデルを募集し、一緒にファッションショーを作り上げていきました。慣れない作業で苦労しましたが、ショー本番は大いに盛り上がり、大成功の内に終了しました。参加者からはとてもよかったといううれしい感想を多数いただきましたし、日本大使館からも「日本とエチオピアの友好史上に残る偉大なイベント」として表彰されました。さらに、このときファッションショーの企画に参加してくれたメンバーの一人が、現在の現地パートナーとなり、この時の体験が今の活動の原点となっています。

自らファッションショーを企画・開催

再びアフリカへ

──帰国後はどうしたのですか?

この2年間の経験で、エチオピアがもつ潜在的可能性を秘めた素材と人材、そして私のデザイン力を生かして、作る人、売る人、買う人、みんなが幸せになる「エシカルなものづくり」ができないだろうかと、友人とともにファッションブランドビジネスの構想を練り始めました。しかしこのときは2人ともビジネスの知識や経験が皆無だったこともあり、継続的に収益を生み出すビジネススキームを作り出すことができず、一度起業を断念しました。

その後、一度体系的にブランドマネジメントを学ぼうと、日本ブランドの商品開発とデザイナーとして働こうと決意しましたが、その頃再びJICAから短期ボランティアの要請が来たため、内定を蹴ってガーナへ赴任しました。


──ガーナではどのような仕事を?

職業訓練校でアクセサリーなどのハンドクラフト作品の製作指導をしていました。これまで手づくりで何かをつくったことのない人に、デザインの仕方やつくり方を教えるという難しい仕事でしたが、その時の経験が、今の仕事、例えばエチオピアの職人にバッグづくりの指導をする上で大変役に立っていると感じています。

ガーナの職業訓練校の生徒たちと

ガーナでは、素材自体は現地で調達した比較的安価なものを使用するのですが、ハンドクラフトの最終加工製品をつくることで付加価値をつけ、それを販売するというフェアトレード事業を立ち上げました。その事業の中では、実際に製作している人が、製作工賃としてお金を得るという体験をしたとき、とても喜び、次の仕事へのモチベーションがすごく上がったこと、また買った人も、こんなにいいものを買えたと喜んでくれたことが、非常に印象深かったです。作る人、買う人、両者が喜んでいる姿を目の当たりにしたとき、ここに私がやりたいことの可能性があるなと気づきました。そういう意味で、ガーナでの経験は今の事業を立ち上げる上でとても大きいですね。エチオピアでもフェアトレードのコンセプトは頭のどこかにはあったのですが、ガーナでそれが確信に変わったという感じです。とても有意義な4カ月間でした。

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グローバルトップブランドへ

──日本に帰国してからは?

先ほども触れましたが、ガーナに赴任する前、エチオピア発のラグジュアリーでエシカルなファッションブランドを立ち上げようとした際、デザインや商品のコンセプトや製作方法などはいくらでも思いつくのですが、事業計画の策定や資金調達、マーケティング、物流の仕組みなど、ものづくり以外のブランドマネジメントに関する様々な知識が足りていないことに気付きました。そこでガーナから帰国後はグローバル企業に入り、それらを徹底的に身に付けようと決め、就職活動を開始しました。

ガーナから帰国して就職活動をしていたとき、同時に英語の習得にも懸命に取り組みました。グローバル企業の場合、英語力の高さを証明できなければ、その後の業務に支障をきたすと考えたからです。私の今の英語力はそのときに習得したといっても過言ではないくらい、必死に勉強しました。その努力の甲斐あって、2005年に世界的に有名なフランス系のラグジュアリーブランドにマーケティング職として就職しました。


──働いてみてどうでしたか?

ブランドとはどういうものか、世界的トップブランドであり続けるために具体的にどのような戦略をもって動いているのかなどを、実務を通じて学ぶことができ、とても実り多い時間を過ごすことができました。そして入社して5年間でブランドビジネスについて、全てではないまでも一通りのことは理解できたので、2010年に退社し、本格的に起業準備に入りました。

とにかく品質にこだわる

──起業する過程で大変だったことはなんですか?

事業計画の策定や資金調達など、実際の起業に必要な実務的な作業について把握することが大変だったと記憶しています。ただ、そこは人に聞いたり自分で試行錯誤したりする中で、少しずつ理解できるようになりました。資金は自分の貯金と友人からの出資、インキュベーション企業からの助成金などで賄いました。

またブランドの理念の追求とオペレーションの構築のバランスも非常に難しい課題でした。そもそものブランドの方向性として、「エチオピアの貧しくかわいそうな人たちが作ったから買ってください」というものづくりはしたくはありませんでした。仮にそういう理由で買ってもらったとしても、品質が低く使えない製品であれば、結局のところゴミになってしまいます。そうなるのが嫌で始めた事業なので、中途半端な製品ではなく、クオリティが高く、購入してくれた方に長く愛用してもらえる製品を作らなければならないと思いました。

しかし品質にこだわればこだわるほど、オペレーションが煩雑化しお金がかかります。いいものをつくらなければならないというプレッシャーと、一方でどんどん目減りする資金の狭間で、不安や葛藤もありました。ただそうした中でも、品質は妥協したくありませんでした。そのような葛藤とトライ&エラーの末に、2012年2月にandu ametを設立し、その後4月に国内販売開始までこぎつけることができたのです。

六本木ヒルズに出店していたandu ametの店舗(現在はそごう横浜店に常設)

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24時間仕事

──現在はどのような働き方をしているのですか?

早朝から深夜まで自宅やオフィスで仕事をしています。寝ている間も、仕事の夢を見ていることもあるので、24時間働いているといってもいいかもしれないですね(笑)。エチオピアと日本を行ったり来たりの生活で、1年の半分くらいはエチオピアにいます。長い時で3、4カ月、短いときでも最低1カ月は滞在しています。

実は私が10代のときに考えていた憧れの働き方は、春夏を日本で過ごし、秋冬を南国で過ごすというものだったんです。というのも、私は極度の寒がりでして、冬より夏を好んでいるためです。しかし今は革製品の売れ行きがいい秋冬を日本で過ごして、その秋冬の販売を支えるための製品づくりをしようと、春夏をエチオピアで過ごしています。ただ日本の春夏の季節は、エチオピアではちょうど雨季にあたり、実はとても寒いのです。結局のところ、一年中寒い場所で過ごすということになっており、私が望んでいたのと正反対の働き方になってしまっているんです(笑)。なんとかそれを逆転させて、常に温かいところにいられる働き方を実現しようと考えてはいるんですが、難しいですね。

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工房で職人を指導

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現地スタッフと一緒に

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現地スタッフと一緒に旅行にもよく出かけている

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エチオピアは標高が高いため良質の革が採れるといわれている

プロボノに助けられ

──鮫島さんのほかにスタッフはいるのですか?

いいえ、社員は私ひとりで、あとは15名ほどいるプロボノの方たちに手伝っていただいています。プロボノには、ファッション関係の仕事をしている人のほか、NPO職員、区役所職員、会計士、弁護士、メーカーに勤務する会社員など多種多様な業界・職種の人がいます。専門知識を活かしながら当社業務に取り組んでもらっているので、大変助かっています。各人の仕事の割り振りや問題があれば随時オンライン、オフライン・ミーティングを開くなど、彼らがより働きやすい環境を整えることも私の大事な仕事のひとつです。

プロボノの皆さんと

私自身も起業する前は、白木夏子さんが立ち上げた日本で初めてのエシカルジュエリーブランド「HASUNA Co.,Ltd.」でプロボノを経験していました。起業する上でとても勉強になりましたし、ベンチャー企業が一歩ずつ成長していくのを自分のことのように体験できたり、本業だけでは知り合えない人と知り合えたりと得るものがとても多かったと実感しています。基本的に無償のボランティアで、本業との兼ね合いに悩まされることもありますが、今となってはプロボノを経験してすごく良かったと思いますし、ぜひ多くの方にお勧めしたい働き方ですね。


──決まった休みはあるのですか?

私自身は起業してこれまで、まともな休みを取ったことはないです。


──それがつらいとは感じないのですか?

睡眠不足の日が続くとつらいですが、仕事は楽しくておもしろいので苦にはなりません。そもそも私は、仕事はまず自分が楽しまないで誰が楽しむのだろうと思っています。そういう意味では、今は毎日楽しみながらやれているのでいい状態だと思います。

今後の課題

──ではワークライフバランスについてはあまり気にしていないのでしょうか。

いいえ、とても大事だと思います。私も今のこの生活をいつまでも続けられるとは思っていません。一番重要なのは健康管理なのですが、私の場合、日々仕事が山ほどあり、しかも楽しいのでついついのめり込んで、休まずに延々とやってしまうことが多々あります。親から1日のゲームのプレイ時間を決められていても、やめられない子どもと同じですね(笑)。

しかし事業の継続性を考えた時、今のままではいけないという危機感はもっています。大きな夢の実現のためには、10年20年先を見据えて現在の生活をコントロールしなくてはいけないので、体力的、精神的に長く健康であるために、うまくワークライフバランスを取っていくことが、今の私の最大の課題のひとつといえます。

世界一のファッションブランドに

──その夢とは?

今の夢はandu ametを世界に通用するラグジュアリー・ファッションブランドに育て上げることです。とはいえ、世界中のすべての人に好かれるブランドになりたいとは思っていません。私たちのコンセプトやフィロソフィー(哲学・思想)に共感してくれる人に、バッグを買ってもらいたい、本当にファッションが好きな人や本当にいいものを求め、長く愛用したいと思っている人に、憧れられるようなブランドになりたいと思っています。だからこそ、品質には妥協せず、徹底的にこだわり続けたいと考えています。

課題はサービス面の向上です。現在は直営店をもっているわけではなく、またお客様からの様々なご要望すべてに応えられていません。その点を今後は改善し、お客様との接点を多くもち、お客様に末永く愛される、一流のブランドにしていきたいと思っています。

生き方を形にするのがデザイン

──まず現在の活動について教えて下さい。

株式会社andu amet(アンドゥ・アメット)の代表取締役兼チーフデザイナーを務めています。andu ametではエチオピアンシープスキン(エチオピア産の羊革)を使用したレザー製品の企画・製造・販売を行っています。主力商品は世界最高峰の品質を誇るエチオピアンシープスキンを贅沢に使用した高級バッグで、エチオピアに直営工房があり、約10名のエチオピア人の職人が作ったものを日本で販売しています。


──代表取締役社長として、日々どのような業務をこなしているのですか?

日本では事業計画の策定、資金調達、予算管理のような経営業務から、製品の企画・デザイン、接客・販売、営業、検品、お客様への発送など。エチオピアでは素材調達から、現地職人たちの採用、指導・育成、品質管理、交渉など、日々幅広い業務をこなしています。


──andu ametの製品のコンセプトは?

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高級エチオピアンシープスキンを贅沢に使ったandu ametのバッグ

もっとも重要なコンセプトは「Happy!」です。私にとってデザインとは「見た目を装飾する」とか「おしゃれな形にする」といった表面的なことではなく、生き方を形にすること。常に「使っている人が幸せになるようなデザイン」についてすごく考えています。例えば「Big Hug(ビッグハグ)」というバッグでは、その名の通り抱きしめたくなる、触るだけで癒される、いつも一緒にいて安心できる、大切なパートナーのような存在を目指しています。

色使いも、みんなが幸せな気分になれるように、エチオピアの自然や文化をデザインに取り入れたカラフルな配色を積極的に取り入れています。また弊社のアイコンでもある装飾部分は、実際にバッグを作るエチオピア人の職人に「ここの部分はあなたがハッピーだと思う色合わせにしてくださいね」とお願いしています。実はこの装飾、日本の職人の伝統的な技法である寄木細工を革で再現しています。つまりandu ametの製品はエチオピア人の色彩感覚と日本の伝統技術の融合の産物ともいえるわけです。

エチオピアの職人と言葉を交わしながらバッグを作る鮫島さん

エシカルなものづくり

──ほかに御社ならではの独自性は?

企画、素材調達、製造、セールス&プロモーションなど、事業におけるすべての工程において社会や環境に配慮することを目指しています。例えば革というのは素材的にどうしても端切れ、つまり産業廃棄物が出やすい素材なんですね。通常の工場の場合、端切れがたくさん出ますが、andu ametの場合は最初からゴミとなる端切れが極力出ないようなデザインを考えたり、通常では使わない羊の足やお腹の部分の革を使ったりしています。

また、素材を調達するときも環境に配慮しています。例えば革を加工するときに出る排水をそのまま垂れ流して環境を汚染しているような工場もたくさんあります。先進国ではそうならないように、ほとんどの工場に浄化システムが完備されていますが、途上国ではなかなかそうはなっておらず、それがすごく大きな社会問題になっているんです。andu ametでは私がすべての工場を視察して周り、きちんと環境に配慮した皮革工場か確認した上で取り引きしています。

エチオピアの環境にも配慮したものづくりを行っている(写真はナイル川の源流)

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高い技術力をもつ職人

──現在の売り上げ状況は?

おかげさまで好調で、一年半待ちの商品もあるという状況です。ただ例えば革を寄木細工の技法で積み重ねたり、取っ手の部分も一つひとつ編みこんでいたり、少数の職人が手作業で作ったりと手間ひまをかけているので、ひとつのバッグを作るのに何日もかかるんです。だから需要に対して供給がなかなか間に合わないというのが現状です。

最初の1年間は資金繰りやエチオピア人の職人の育成などに苦労しました。でも逆に利益優先の経営思考が強い人ならうまくいかなかったのではと思います。とにかくいいものを作りたいという気持ちで最後まで品質に妥協しなかったことで、結果的に目が高いお客様にもご満足いただく製品を作れるようになりました。


──エチオピア人の職人の働きぶりはどうですか?

日本人とは価値観が違うので、そこをすりあわせるのが大変です。特に品質に対するこだわりは日本市場は世界でもトップレベルなので、そこまで高めていくのは簡単ではありません。また会社設立当初だけでなく、現在も新しい職人をどんどん入れているので、その大変さは続いています。ただ、「エチオピア人だから」ということではありません。彼らなりに仕事に真摯に取り組んで、頑張っています。そのおかげで今は技術的にかなり高いレベルのものが作れるようになりました。

高い技術をもつエチオピアの職人たち

時の積み重ねを大事にしたい

──「andu amet」という社名に込めた思いは?

「andu amet」とは、エチオピア語で一年(ひととせ)という意味です。革は化学繊維とは異なり、一年一年、年を重ねるごとに、使い込むほどに味が出て、使う人に長く楽しんでいただけます。使ってくださるお客様と一緒に年を重ね、美しく滅びていくものを作りたい、時の積み重ねを大事にしていきたいという気持ちが込められています。

また、通常は製品を通して、お客様とクリエイターと現地の生産者が関わるのは製品を購入する際の一度だけ、それすらない場合もたくさんあります。しかしandu ametでは、販売の場面のみならずイベントやワークショップ、メディアを通じて、一年一年お互いを知り、尊敬しあって交流を深めていけるブランドにしたいという思いも込めています。

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──この事業を立ち上げてよかったなと思う瞬間は?

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他のバッグでは味わえない感触に熱烈なファンも多い

バッグを買っていただいたお客様とお話することがよくあるのですが、そのとき本当に喜んでくださっているのを見ると、大変だけどこの仕事をやってきてよかったなと思います。

「思わず抱きしめたくなるこの感触を一度味わってしまうと、他のバッグは使えない」とか、「自分が買って気に入ったので、母にもプレゼントしたら母も気に入って、他の人にプレゼントした」というメールをいただいたこともあるんですよ。1年前に買ったというバッグを持って店頭に来てくださる方もいらっしゃるのですが、それを見ると、使い込まれているけどちゃんと手入れもされていて、すごく大切にしてくれているのがわかります。革の場合はエイジングというのですが、使い方がそのまま出ますからね。

そして、そんなバッグをエチオピアで作っているということと、作っている職人さんのことをとても誇りに思っています。というのは、日本人の場合は、生まれたときから高品質なものに囲まれていて、いいものと粗悪なものの見分けがつきますが、エチオピア人にそれができる人は極めて少ないんです。そんな環境の中でいいものを作るというのは、日本の職人がいいものを作るということとは違って、気合いや努力などいろいろな意味でハードルが高いわけです。それを彼らが実現しているということをすごく誇りに思うのです。

現地の工房でエチオピアの職人たちと

フロントランナーとしての誇り

──鮫島さんを突き動かす原動力はなんでしょう。

私はそもそも国際協力だけをしようと思ってandu ametを立ち上げたわけじゃないですし、今でも国際協力をしているとは思っていません。そうではなく、まずはandu ametの品質やデザイン、サービスなど、すべての面において、一流のブランドにすることを目指しています。その一つとして「製造過程」でも完璧を目指したいと思っているんです。製造過程を完璧にするというのは、つまり社会や環境に配慮して製造していくということ、そして職人さんたちに対し正当な対価を支払うということです。その結果として、エチオピアの貧困問題に少しでも貢献できればいいと思っています。

フェアトレードやエシカルを前面に出したブランドはこれまでもたくさんありますが、ここまで社会貢献性とラグジュアリーさを両立させたブランドはないのではないかと自負しています。これまで対極にあると思われていたラグジュアリーとアフリカをつなげ、新しい価値を発信しているという点で、自分の仕事に誇りをもっていますし、自分にしかできない仕事をしていると考えています。

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化粧品メーカーで感じた疑問

──ではandu ametを設立した経緯について教えてください。学生の頃から自分で現在のようなビジネスに取り組みたいと思っていたのですか?

いえいえ。もともとアートに興味があり、学生時代は現代アートを専攻していました。


──卒業後は?

きれいなものやキラキラしたもの、ユニークなもの、イノベーティブなものに惹かれ、自分でも作ってみたいと考えたので、卒業後は総合化粧品メーカーにプロダクトデザイナーとして入社し、化粧品の商品企画やデザインを手掛けるようになりました。入社してから最初のうちは、私が考案したものがすぐ商品になり、化粧品をデザインする仕事がとても楽しく、毎日わくわくしながら仕事をしていたことを覚えています。ただ、2年目に入る頃には自分の仕事に疑問をもつようになりました。


──どのような疑問ですか?

化粧品業界では、季節ごとに新製品が作られます。それらは3カ月後の新しい季節の到来とともに新しい商品と入れ替ります。そして残念ながら売れ残った製品は廃棄されます。それがシーズンごとに繰り返されます。あるとき、展示会で各社から発売された何千点、何万点もの製品がずらりと並べられている光景を目にして、これらもいつかは「きれいなゴミ」になってしまうんだなと思ったんです。3カ月後には価値がなくなってしまう、きらきらしたゴミ......。私は一生このキラキラしたゴミを本当に作り続けるのか、それが私が本当にやりたいことなのかと自分に問いかけるようになりました。


──でも、ものづくりそのものは好きでやりたいことだったわけですよね。

そうです。もともとものづくりが好きで、自分の手がけたもので誰かを幸せにしたいという気持ちでその仕事を選んだのですが、いつしか自分の仕事に罪悪感を抱くようになってしまいました。3ヶ月後に価値がなくなる製品を大量に作って大量に破棄するメーカーや、それを毎シーズン買ってしまう消費者は本当にそれで幸せなのか。翌シーズンには価値がなくなると分かっているものを一生懸命作って、デザイナーとしてそれでいいのか。ものづくりへの愛があったからこそ、ものすごく流れの速い潮流にそのまま流され続けるのは耐えられなかったのです。


──では今の事業のそもそもの出発点はそこにあると?

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2012年日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門に入賞

そうです。私の原点は、長く人から愛される、本当にいい物を作りたいという想いなのです。私はいろいろなメディアで「社会起業家」という枠組みで取り上げられたり、社会性とラグジュアリーを両立させたブランドを作ったということで賞を頂いており(※編集部注:鮫島さんは2012年に日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、APEC女性イノベーター賞他多数の賞を国内外で受賞している)、それはとてもありがたいことなのですが、かわいそうな途上国の人の雇用創出のためにお情けでこの活動をしているわけじゃないんです。

だから私はマザーテレサとかナイチンゲールのような「無償の愛」をもつ人や、自分を犠牲にして正義のために戦う人、貧困問題を解決したいと行動に移す社会起業家とは少し違うんです。もちろん彼らの精神や活動はとても素晴らしく尊いことだと思いますが、私の場合は本当にいいものを作りたくて、では本当にいいものって何だろうと考えたときに、今のビジネスにたどり着いただけなんです。


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