2016年8月アーカイブ

高校時代の原体験

──鯉渕さんの活動のモチベーションになっているのは、「社会にインパクトを与えることで、よりよい未来を描きたい」という思いで、その原体験を高校時代にされているそうですが、どのような体験だったのですか?

鯉渕美穂-近影1

今でもすごくよく覚えているのですが、高校の文化祭での実行委員の経験が原体験になっています。文化祭のパンフレット制作の責任者をしていたときに、年々増えるコストを頑張って削減できたというのがルーツですね。実際に行ったことは、紙質や色数を制限したりすることで、印刷費を10万円も削減しながら、発行部数を増やすことでき、最後の来場者までパンフレットを配ることができました。このような小さな変化で大きなインパクトが起こせたことに大きな達成感と喜びを感じ、経営に興味をもつようになりました。そこで大学は経営工学部に進学し、統計工学や、原価計算、オペレーション工学、プログラミングなどビジネスに関することを幅広く学びました。

外資系コンサルティング会社に就職

将来は企業の10年後にインパクトを与える仕事がしたいと思っていたので、大学3年生の時に戦略系コンサルティング会社のインターンに応募し、一週間のお仕事体験をさせていただきました。徹夜の連続でとてもハードでしたが、課題について納得いくまで議論して結果を出すことにやりがいと喜びを感じ、やはりこの道に進みたいと決意。また、就職するときは、20代は好きな仕事に全力で打ち込み、30歳になったら専業主婦になろうと思っていたので、とにかくやりたいこと、つまり経営にたずさわる仕事に早く就きたいと考えていました。主にこの2つの理由で大学卒業後は、外資系コンサルティング会社に入社したんです。


──具体的にはどのような仕事をしていたのですか?

主に大企業の業務プロセス改善で、会計コンサルタントとしてお客様先に常駐することが多かったです。週6日勤務は当たり前でやはりハードな世界でしたが、体を動かすことも好きだったので、冬場は夜中の0時まで働いて1、2時間だけ仮眠を取ってゲレンデに出発、到着後は始発のリフトからまともに昼食も取らずにひたすら滑ってリフレッシュし、そして翌日からまた仕事というのを繰り返してました。


──若いとはいえすごい体力ですね。

丈夫な体に育ててくれた両親に感謝です。大学時代にテニスサークルで鍛えられたのもよかったと思います。体力をつけておくとその分動ける時間が増えるので、人生は楽しめる気がしてます(笑)。

外資系ソフトウェア会社に転職

最初に就職するときは、どんなに忙しくてもつらくても、社会人としてきちんと経験を積むために5年はとにかく仕事を頑張ろうと決めていました。その5年が過ぎたとき、今の主人との結婚が決まり、もう少し自分の時間がもちたいと、外資系ソフトウェア会社に転職しました。そこでは、今までしていたコンサルティングのいわゆるバックオフィスとして、プロジェクト管理や、請求管理、契約管理、また米国本社へのレポーティングを英語で行うなどの業務を任されていました。フロント業務から、またそれを支えるバックオフィスの大切さを学ぶことができ、いまでもいい経験になったと感じています。

鯉渕美穂-近影2

転職してから2年ほどたち、新しい業務にも慣れて自分の時間もしっかりもてるようになった頃に、ふと「自分にとって仕事とは」ということを考えるようになりました。そこで、仕事が自分の人生にとってかけがえのない大切なものだと気づいたんです。まだ子どももいなかったので、自分の時間をもっと仕事を通じて成長することに費やしたい、全力で打ち込める仕事がしたいと思うようになりました。それまでシステムを通じて企業の変革を支援してきましたが、それと同時にシステムは変わっても人が変わらなければ会社は変わらないということも実感していたので、今度は人を変えることで企業の将来にインパクトを与えるような仕事がしたいと思い、人材育成コンサルティングのベンチャー企業に入社することを決意したんです。

人材コンサルティング会社へ

──転職してみてどうでしたか?

人材コンサルティング会社時代。ベトナム人の講師とともに

人材コンサルティング会社時代。ベトナム人の講師とともに

主に法人向けの企業内研修を提供することで社員の成長を支援し、企業の成長へと導くお仕事だったのですが、自分にとってはまったく新しい未知の分野への挑戦でしたので、日々悩みながらも、充実感がありました。はじめはマーケティング業務、その後は直接お客様に提案できる営業も経験させていただきました。また、人が変わるきっかけとなる研修の講師も自分で行うことで、企業の若手社員の方々が気づきを得ることで行動が変わっていく姿を目の当たりにすることができました。それはとてもうれしく、やりがいを感じましたね。


──プライベートも充実していたのですか?

自分なりにキャリアを築いていく一方で、プライベートでは、なかなか子どもに恵まれず悩んでいたこともありました。仕事を辞めて子どもを授かるための治療に専念するという選択肢もありましたが、結果的に子どもを授からなかったときに自分のキャリアに後悔しないよう、どちらもあきらめずに頑張ろうという思いに至りました。

大きな転機

ちょうどその頃、「グローバル人材育成」というキーワードが注目され、企業でも英語を使った研修の案件が増えてきました。英語にはあまり抵抗がなかったこともあり、積極的にそういった案件に携わる中で、自分も日本でも海外でもボーダレスに活躍できる人材になりたい、そのための経験を積みたいと強く思うようになりました。そこで、はじめは海外でMBAを取得しようと思い、会社に「休職してMBAを取るために留学したい」と相談したところ、シンガポール支社立ち上げのお話をいただきました。主人に相談したところ、「MBAよりも、実戦で経験を積むほうがいいから応援するよ」といってもらい、社内公募に応募し、2011年にシンガポールに単身赴任することになったんです。


──シンガポールではどのように支社を立ち上げたのですか?

オフィスも営業先も人脈も、本当に何もないゼロからのスタートでした。また、雇用についても会社法についても、日本とはルールが違っていたりしたので、はじめは大変でしたね。文字通り右も左もわからなかったので、とにかく会う方にいろいろ教えていただきながら、オフィスや営業先リストを作りながら進めて行きました。

鯉渕美穂-近影3

しかし、ちょうど生活にも慣れてきた頃に衝撃的な出来事が起こりました。シンガポールに赴任して1ヶ月たった土曜のお昼に、父が倒れたという知らせが日本の家族から届いたんです。しかも予断を許さないという深刻な状況で......。ちょうど週末だったので、すぐに日本へのフライトを手配して父の入院した病院に駆けつけました。その後2カ月間は集中治療室からは出られない状態が続いていたので、一時は駐在を打ち切って日本に帰国しようとも考えましたが、最終的にはシンガポールに残る決断をしました。


──それはなぜですか?

やはり家族に応援してもらい、自分で決意したシンガポール駐在だったことがまず1つ。それと、自分のキャリアを長期的に考えて経験したいと思った海外支社立ち上げだったので、ここまで環境が整っている中でのチャンスなんて二度とないかもしれないと考えたからです。とはいえ、やはり父が心配だったので、せめて週末だけでもそばにいたいと、月曜から金曜日までシンガポールで働いて、その足で深夜便の飛行機で出発し、土日は父の入院している病院で看病し、再び成田発の23時の便で月曜日の朝にシンガポールへ帰るという生活を数カ月ほど続けました。精神的にも体力的にも厳しい日々でしたが、学生時代に培った体力のおかげで乗り切れました。その後、幸いにして父は日常生活が送れるまでに快復できたのでシンガポールでの仕事に集中できるようになったんです。

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シンガポールでの仕事

──シンガポールでは具体的にどのような仕事をしていたのですか?

シンガポール時代の鯉渕さん。仕事だけではなくスポーツなどにも打ち込んでいた

シンガポール時代の鯉渕さん。仕事だけではなくスポーツなどにも打ち込んでいた

支社設立後は現地法人ディレクターとして、シンガポール国内はもちろん東南アジア地域の日本企業の現地法人向けに、人材育成の支援を行っていました。主には、現地のミドル層やマネジメント層に対する研修プログラムを、シンガポールの大学や講師などと相談しながら実施していました。また、日本の若手社員や管理職層をシンガポールに呼んで、海外経験を積むようなディスカッション機会を提供したりすることもありました。こちらもゼロからのスタートだったので、最初はなかなか私たちの研修プログラムを導入してくれる企業はなかったのですが、地道に人脈を作っていくことで最終的には大手企業のお客様に導入いただくことができました。

この時の経験から、何かに行き詰まったり、悩んだりした時には、一人で抱え込まずに周囲に相談してみることの大切さを学びました。おかげで助けてくれるシンガポール人の友人がたくさんできました。自分から行動を起こしていればどこかで突破口が見つかる、何もしなければ始まらないというのが一番の学びだった気がします。また、新たな市場開拓と、現地に合った商品の開発が主なミッションだったのですが、これにおいては、現地のことは現地のよきパートナーを見つけることの重要性も学ぶよい経験になりました。これらの経験で得た「行動すれば何かが変わる」も今の私にとっては原体験の1つかもしれません。シンガポールに駐在していたのは1年2カ月だったのですが、私の人生においてとても貴重な時間でしたね。

「あきらめない」という選択

──帰国後はどんな感じで働いていたのですか?

シンガポールでの経験を活かして新規事業の立ち上げに携わっていました。具体的には、グローバル人材育成の1つの大きな要である、社会人向けのビジネス英語のオンライン研修を、フィリピンのコールセンターと連携しながら法人企業向けに提供するという事業でした。まだサービスを開始して数カ月であったため、プログラム開発や外国人講師のトレーニング、ビジネス英会話力を測るアセスメントの開発などです。国によって仕事の取り組み方の違いを問題視されることもありますが、一緒にどこを目指したいかというビジョンを共有した上で、互いの強みをどのように業務に活かしていくかを探るのは楽しかったですね。フィリピンのメンバーは明るく、開発段階のファジーな状況下でもコミュニケーションを上手に取っていきますが、細かいことには目が行き届きにくい。その一方で日本人のメンバーは、慎重で細かい評価をしたり仕組み化するのは得意ですが、その一方で時間を要したり、物事が決まっていないと進みにくいこともあります。互いの文化や強みを尊重しつつ、弱みは補い合って進めるおもしろさはシンガポールで学んだことですね。

鯉渕美穂-近影4

その一方で、帰国をした時、すでに36歳を迎え、高齢出産は避けられない年齢になっていました。年々、出産リスクが高まることを身近に感じながら、少しでも早く子どもを授かりたいと思い、治療を再開することにしました。ただ、そのためには定期的に通院しなければならないというハードルも高く、最初は今の仕事を続けるのは難しいと思い、週3日程度で働ける派遣のお仕事を探したりもしました。

あれこれ悩んでいる中で、最終的には「仕事も、家族もあきらめたくない」という結論に至りました。そこで、会社にありのままを相談した結果、その当時のポジション、責任、業務内容のまま、週4日勤務にしていただくことができたんです。相談する前は抵抗がありましたが、何を一番大事にしたいかを考えると、その思いは自然と自分の中で消化できるようになりました。その後、いろんな苦労もありましたが、幸い子どもを授かることができたんです。


──よかったですね。でもそもそも子どもができたら専業主婦になろうと思っていたはずなのに、その後も働いていますよね。それはなぜですか?

そうですね。確かに就職当時は、自分も専業主婦であった母と同じように子育てにしっかりと向き合いたいという思いから、子どもができたら仕事をきっぱり辞めて、専業主婦になろうと思っていました。しかし、実際にキャリアを重ねていくと、プライベートだけでなく仕事を通じて出会ういろんな方からの気づきや、成長できることへの喜びを強く感じるようになりました。また仕事が大好きな自分にも気づいちゃったんですね。なので、やはり仕事も子育てもどちらもあきらめないで、同じように続けていきたいというように考えが変わっていったからですね。

でも、自分が子どもを授かり、少し先の状況を考えられるようになると、同世代のママさんたちが出産して育児休暇を取った後、職場に復帰しても元の仕事やポジションに戻りづらいという状況を知るようになりました。特に会社勤めをしながら子育てもと思うと、どうしても1週間のうち週5日は保育園に預けざるをえなくなったり、逆に子どもとの時間を大切にすると仕事を辞めてキャリアが途絶えてしまったりする。それは人生の中の優先順位が変わって、仕事よりも子どもの方が大事になるから当然だと思うのですが、私は仕事も子育てもどちらもあきらめないでいられる方法があるのではと考えるようになりました。そこで、働き方や時間の使い方をルールにとらわれずに自主的に選択する方法として、自分自身の一つの将来像であった経営者になることを決意したんです。

仕事と育児の両立のため、起業

──どういう会社を立ち上げようと考えたのですか?

鯉渕美穂-近影5

妊娠中に、自然と地域のママさんや子育て中のママさんと出会う機会が増えました。妊娠を機に退職したけどいずれは再び働きたいと思っている人や、出産を機に仕事を辞めてから復職するきっかけがないまま何年も経ってしまったという人にたくさん出会い、こういう働く意欲はあるけれどきっかけを失ってしまっているママさんたちが子連れでも地域で働けるようなサポートをしていきたいと考えていました。そこで勤めていた人材コンサルティング会社を2014年8月に退職し、自分で起業する準備を進めていました。

退職して間もなく、弊社の役員メンバーの一人から「MIKAWAYA21のまごころサポート事業をもっと拡大していくために、社長になってくれないか」と声をかけられました。社長の話は別として、まずは事業についてきちんと知りたいと思い、いろいろ話を聞きました。その中で、まごころサポートは時間に縛られずに地域に貢献しながら社会との関わりをもてる仕事なので、自分が住んでいる地域の中で子連れで働きたいと希望しているママさんたちに働く機会を提供できるかもしれないと思い、事業への関心が高まっていったんです。

MIKAWAYA21の代表取締役社長に

妊娠中にMIKAWAYA21の代表取締役となり、プレゼンを行う鯉渕さん

妊娠中にMIKAWAYA21の代表取締役となり、プレゼンを行う鯉渕さん

──当時鯉渕さんは妊娠中でしかも出産間近ですよね。迷いや葛藤はなかったのですか?

声をかけていただいたのは、ちょうど出産3カ月前でした。なので、事業に関わりたいけれど、さすがに出産直前に社長を引き受けるのは難しいし、周りにも迷惑をかけてしまうと思い、最初は断ったんですよ。今までいろんなことを応援してくれていた主人からもさすがに反対されましたね。しかし他の役員メンバーと何度も話し、熱い話を聞いているうちに、徐々に気持ちが揺らいできました。

MIKAWAYA21の事業自体は社会的意義が大きく、企業ではなくて社会を変えることで世の中にインパクトを起こすことができるのではないかと感じていました。ちょっとした仕組みを変えることで社会全体が幸せになるというか、社会全体にインパクトを与えられるってすてきだなぁと。特にそのために仕組みづくりの部分に、とても惹かれました。さらに、何かにチャレンジする時は、自分一人ではなく、チームをもつ方が大きな成果につながる可能性も大きくなります。またそれぞれの強みを活かすことで、互いにカバーできます。出産や育児は確かに大変なことも多いかもしれないけれど、チームをもつことで自分が得意な部分は活かしながら、周囲の協力を得ることで、できることも広がるのではと思うようになっていきました。おそらく困難なことも多いと思いますが、この大きな壁を乗り越えることで、初めて見えてくる世界もあるのではないかと思うと、それにチャレンジしたいという思いの方が強くなっていったのです。

そして元々やりたいと思っていた、地域のママさんたちが子連れでもまごころサポーターとして活躍できれば、社会復帰のチャンスをつくれるのではないかと思い、2014年10月にMIKAWAYA21の代表取締役社長に就任することになったのです。その2カ月後、第一子を無事に出産することができました。

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すぐに仕事復帰

出産前、陣痛中でも仕事をしながら笑顔でピース

出産前、陣痛中でも仕事をしながら笑顔でピース

──出産後はどういう働き方に?

まったく仕事をしなかったのは約一週間の入院中だけでしたね。やはりまだまだ事業に関してや組織面でもキャッチアップをしないといけないことも多く、不安な気持ちの方が大きかったので、退院した日から自宅で仕事を再開しました。スカイプで社員と会議や打ち合わせを行い、自分の仕事は娘が寝ている合間にするという感じでした。とはいえ、自分の体の回復もあったので出社するようになったのは出産から1カ月経ってからでした。その時は、母に家に来てもらい、娘の面倒を見てもらったりしていました。2カ月くらい経ってからは、娘も少しずつ外に出られるようになってきたので、オフィスに一緒に連れて来て仕事をすることもありました。なるべく母乳で育てたいと思っていたので、可能な限り一緒にいられる時間は大事にしていましたが、会議が長引いてしまったりして娘のタイミングに合わせてあげられないときもあり、葛藤もありながら徐々にペースを掴んでいったという感じですね。


──現在は幼いお子さんを育てつつ、どんなふうに働いているのですか?

まだ子どもが1歳半(取材当時)と小さいので、なるべく宿泊を伴う出張は他のメンバーに任せて、私は朝に娘を保育園に送ってから行けるような出張に止めています。普段は保育園に預けてから9時くらいに出社して夜は18時の保育園のお迎えに間に合うように退社することを目標にしていますが、なかなか実現できていません(苦笑)。一時期、忙しい時は22時頃まで会社にいることもあったのですが、そうすると娘の就寝時間も深夜になってしまいます。さすがにこれではいけないと思い、最近は遅くとも19時30分までには保育園にお迎えに行き、帰宅してから食事やお風呂など娘との時間を過ごし、とにかく21時までには子どもを寝かしつけるようにしています。

仕事と育児、両立のコツ

──もともと育児も仕事もどちらも同じレベルで頑張りたいとおっしゃっていましたが、それは今実現できていますか?

どうでしょうね。実現できていることと、そうではないところがあると思います。というのは、やはり時間は有限なので、育児と仕事の両方を100%というのは難しいですね。ただ、人生の中の優先順位は確実に変わりましたね。今までは仕事が1位で土日も含めて多くの時間を仕事に費やしたり、2つの選択があった時には仕事を優先していましたが、出産してからは子どもが1位になりました。なので、子どもと向き合う時間、子どものことを考える時間を増やそうというふうに変わってきましたね。例えば、子どもに無理をさせてしまうような夜遅くまでかかる仕事は避けたり、出張も控えたりするようになりました。自分の中での優先順位を明確にすることで、仕事の中でも優先順位を決めて効率よくこなせるようになったような気がします。

徳島でのドローン実証実験にも娘さんと一緒に

徳島でのドローン実証実験にも娘さんと一緒に

また、育児と仕事の時間配分の仕方という意味では、子どもの成長段階によっても違うということを、自分が出産、育児をして初めて知りました。というのは、子どもが0歳児で寝ている時間が多いときは自宅からスカイプで会議したり、パソコンで仕事することもできていましたが、子どもが成長して活動時間が増えてくると様子が違ってきます。

1歳を過ぎた頃からは、子どももいろんなことがわかるようになってくるので、目の前で仕事したり、携帯でメールチェックしたりするのは避けた方がよくなります。ある時、娘がインフルエンザにかかって保育園に行けなくなったので、1週間ほど自宅にいてパソコンで仕事をしていたら、子どもが抱っこを求めなくなったんです。でも主人が帰ってきたら抱っこしてとせがむんです。これを見てショックを受けましたね。また、スマホをいじっているとスマホを取って投げられたりもしました。絶対的に甘えられる存在というのは子どもの心の成長には必要で、ママにとって仕事の方が自分より優先順位が高いということを子どもに感じさせてはいけないと反省しましたね。なので、最近は、なるべく目の前で仕事したり、携帯でメールチェックしたりもしないように気をつけています。もちろん、緊急の仕事など、どうしても無理なときはありますけどね(苦笑)。それ以外の時は、子どもが寝た後や誰かが見てくれるときは、さっと仕事モードに切り替えます。限られた時間の中で、効率よくいろんなことを進めるためのその切り替えは、育児と仕事の両立のコツかもしれませんね。

生後一ヶ月の頃

今、子どもはできることがどんどん増えて、すごいスピードで成長していっているのを日々実感しています。奇跡の連続を経て産まれてきてくれた命に感謝するとともに、その成長を見守りたいというのが、今の私の人生の中での優先順位の第1位ですね。それは変わらず、そのために経営者という道を選んだわけです。まだまだ手探りですが、いろんな人に相談したりアドバイスをいただいたりしながら、なんとかここまで来られたというのが本音ですね。いずれにしても仕事においては、会社員だった頃とは見える世界が変わったのは大きいですし、育児についても何が正解かはわかりませんが試行錯誤できているので、この道を選んでよかったと思っています。


──仕事をしながら子育てをしていて大変だと思うことは?

一番は、時間ですね。子どもの成長や、一緒にいる時間を大切にしようと思うと、自分1人の時間はほとんどなくなりますし、自分のペースでの生活が難しくなりますね。例えば、土日でも子どもの生活リズムを大事に思うと7時には起きてご飯を用意しなきゃとなるので、今日はちょっと遅くまで寝ていようというのはできなくなりましたね(笑)

その一方で、仕事をしていることで、子育てが楽にできることもあると思います。私自身、出産してから今まで、子どもに対してイライラしたことがほとんどないんです。娘自身が割と育てやすいタイプということもあると思うのですが、たまに泣いたりぐずったりすることはあっても、相手を困らせようとしてやってるわけではなく、オムツだったり、お腹が空いていたりなど必ず理由があって、その時してほしいことを一所懸命、言葉ではなく泣くという方法で純粋に訴えているだけなんだと思えるんです。実際の仕事では、原因がもっと複雑なことが多く、問題が起きていてもその場では表面化しないことも多いので、そういうのと比べると泣いている姿さえかわいく思えてきてしまうんです。

また、子どもがいるからこそ、仕事でも精神的に強くなれることも多いと思います。仕事では、なかなか解決できずに難しいことも多く、気持ちがマイナスの方に振れることもありますよね。どんなにつらいことがあっても、毎日家に帰って子どもの顔を見ればリセットされるというか、この子のためにも社会人として自分のベストを尽くせるように頑張ろうと思えます。自分が戻れる場所があるのはメンタル的にすごく強くなる気がしますね。そういうことを考えると、子育てしながら、仕事を続けてこられてよかったと思っています。

多様性を認めることが大事

──鯉渕さんはこれまで複数の会社で働いてきて、コンサルタントとしてもいろんな会社を見てきたと思うのですが、今の社会で女性が子育てしながら働くということについてはどう感じていますか?

鯉渕美穂-近影6

昔と比べて、全体的に晩婚化の影響もあり、社内には独身で子どもがいない女性社員が増えました。また、その一方で、女性の社会進出が進み、小さい子どもを抱える女性社員も増えました。子どもが小さいうちは熱を出すことも多く、そのたびにママ社員は早退したり、その日の朝に突然出社できないということも多くなります。独身だったり、子どもがいない社員は、頭ではわかっていても自身で体験していないと、その大変さや気持ちを理解するのはなかなか難しいですよね。さらに、その負担が彼ら・彼女らに降りかかってくるとママさん社員たちに対してどうしてもマイナスの感情をもってしまうことがあります。もちろん、助けてもらったメンバーは、それに対する感謝の気持ちも大切にしなければならないのですが、互いにそれも1つの経験として受け入れる必要があると思うんですよね。

いろいろ考えていくと、これは多様性の問題の一つで、会社には男性・女性、独身・既婚、子もち・子なしなどさまざまな人たちがいます。グローバル社会になると人種や文化、習慣などいろんな違いがあります。そもそもいろいろな違いをもっている人が共存しているのが社会ですし、そんな社会で生きていく以上、その多様性はお互いに受け入れなきゃいけないですよね。全員が100%快適という社会の実現は難しいですが、お互いの異なる環境を認めながらも、感じていることは相手に配慮しながらも率直に伝え、それぞれの解決策を模索していくことが大事だと思います。そのための許容力や、多様な環境への適応力がこれからはますます求められるでしょうし、それを実現するためのアサーティブコミュニケーション力(相手に配慮しながら、自分の考えを率直に伝える力)がより必要になっていくでしょうね。

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生き方に関する3つのポリシー

──鯉渕さんが生き方や働き方に関して大切にしていることは何でしょうか。

鯉渕美穂-近影7

3つのことを大切にしています。まず1つ目は、社会人として社会に貢献すること。2つ目は、親から命を授かった感謝の思いとして、受け継いださまざまなことを家庭人として今度は自分の子どもに伝えていくこと。3つ目は、女性としての心の柔らかさを大事にすること。この3つは、社会人になった頃からずっと大事にしていて、これらのバランスをうまく取りつつ生きていきたいと思ってきました。

もちろん人生のある時期は、この中の1つにウエイトが集中することもあったり、なかなかうまくいかないこともあったりしますが、その時に周囲や環境のせいにしてあきらめたりせずに、自分でどうやったらうまくいくか試行錯誤を繰り返してきました。例えば、バランスが崩れていると感じた時は、週末にお茶のお稽古で精神的に落ち着ける時間を取るようにしてみたり、仕事で行き詰まった時にはしばらく会っていなかった友人に連絡して会ってみたりと、壁にぶつかったら何かしら自ら行動を起こして突破口を探すなど、自分から環境をつくっていくことが大事なのだと思います。これまでに出産の件なども、何度も家族や友人にも相談したり、自分で行動を起こすことで前に進めてこられたのだと思います。

あとは失敗を恐れないということでしょうか。失敗しても命がなくなるわけではないので、一度しかない人生ならやりたいことがあれば取りあえずチャレンジしてみる。ダメだったらその理由を考えて、次は成功できるようにまたチャレンジしてみる。その繰り返しでこれまで来た気がします。


──基本的にポジティブですよね。ネガティブなことは考えないのですか?

いえ、考えることもありますよ。ただ考えている時間がもったいないので、「違うこと考えよう!」って、ネガティブ思考を意識的に停止させることはありますね。できない理由よりもどうしたらできるかを考えている方が楽しいですね。とはいえ、私もそんなに人間ができていないので、友人や主人にグチって発散することもありますよ(笑)。特に主人は聞き上手なので、たくさん助けてもらっています。お互いが人生を楽しむことを全力で応援し合えるのが主人であり、絶対的な安心感のある場所が主人ですね。そんな自分の強さの源がそばにいてくれるのは、ありがたいです。

仕事は人生を豊かにしてくれるもの

──鯉渕さんにとって働くということはどういうことでしょうか。

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自分の人生を豊かにしてくれるものです。仕事を通じて知り合ったすばらしい友人・知人がたくさんいますし、仕事をしていなかったら経験できなかったことがたくさんあります。その経験が次の新しい道につながることも多々ありました。社会にインパクトを与えたいという今の夢も仕事をしてなかったら気づけなかったと思います。そういう意味で、私にとって仕事とは、「人生っておもしろい! と思えるたくさんの出会いをくれるもの」とも言えるでしょうね。

仕事そのものは、趣味の1つと言ってもいいかもしれません。趣味のテニス、ゴルフ、茶道、ドライブと同じように、自分の人生を豊かに、楽しくしてくれるものですね。仕事で得られる喜びと、テニスなどの趣味で得られる喜びは近いものがあります。今は環境的に土日に仕事をするのが難しくなりましたが、もともとは土日に仕事をしたりすることも多く、きっと苦ではなかったからなのだと思いますね。


──生きている間はずっと働きたいですか?

「働く」ということが「お金を稼ぐ」というのであればNOかもしれませんが、「社会と関わる活動」と考えるとYESだと思います。おそらく死ぬまで何らかの活動はしている気がしますし、社会をよりよくしたいとか人の将来をよりよいものにしたい、それに関わることで自分の人生も豊かになれば、という思いはずっともっているのではないかと思います。

徳島県でのドローン実証実験にて

徳島県でのドローン実証実験にて

幸せなキャリアの作り方

──幸せなキャリアをつくるためにはどうすればいいと思いますか?

前職で人材育成に関わってきた立場から申し上げれば、単純にやりたいことをやるというだけじゃなくて、20歳過ぎくらいから50年間仕事をすると仮定すると、まずは30年後にどういう自分になっていたいかというロングスパンの目標を設定することをおススメします。もちろん30年後というのは固定ではなく、例えば40歳とか50歳とかでもよくて、そのためにどうするべきかを考えることが大切ですね。そして、それまでの期間をいくつかのフェーズに区切って、最初の10年間は○○、そして次の10年では□□、というように少し具体的なイメージをもたせていくと、それまでにしなければならないことや、やっておきたいことが明確になると思います。

私個人的には、最初に就職してからの10年間はとにかく仕事に打ち込むのがいいと思います。というのは、それによって職業人としての土台が築かれ、社会人基礎力が培われ、その力はその後、仕事だけでなく自分の人生の前に立ちはだかる壁を突破する武器になりえるからです。最初の10年間は基礎力を身につけることで、その後の人生で達成したい目標が実現できるのだと考えられれば、どんなにつらいことでも耐えられると思います。逆に言えば、この時期にサボってしまうと後々苦労することにもなるでしょうね。


──今後の目標を教えてください。

鯉渕美穂-近影9

まずは、まごころサポート事業の拠点を全国47都道府県で1000エリア以上に増やすことです。そして、2018年までに地域限定でもドローン宅配を実用化することで、日本の社会問題の解決の糸口を見出したいと思っています。大きなビジョンとしては、地域でのシェアリングエコノミーをもっと広めて活性化することで、人々の生活を豊かにしたいと思っています。そのためにもまごころサポート事業をもっと全国に広めていきたいですね。


──今後もドローン以外にもどんどん新しいことにチャレンジしていくつもりですか?

はい、おそらく5年後はまた新しいことに取り組んでいるだろうなと思います。一つ階段を登ると、また新しい世界が広がります。なので、基本的なビジョンは変わりませんが、まごころサポートの広め方が変わっていたり、ドローンだけではなくて別の新しいテクノロジーを取り入れているかもしれません。また、自分自身の環境変化ともリンクしていることなので、子どもの成長やタイミングにも合わせて変化を楽しんでいきたいですね。


インタビュー前編はこちら

MIKAWAYA21とは

──鯉渕さんが代表取締役を務めているMIKAWAYA21とはどのような会社なのですか?

鯉渕美穂-近影1

当社のミッションは「子どもからシニアまで安心して暮らせる社会を作る」こと。その実現のために地元企業と提携して、新しい価値を創っていくことを目指しています。

当社が取り組んでいることをひと言で説明すると、「地域密着の会社を活用したシェアリングエコノミーを広める」です。誰かの空いた時間を別の人にとっての有益な時間にすることで地域に暮らす皆さんが幸せになれる。それを地域の会社が実現するためのサポートをしています。

例えば現在の日本が抱える深刻な社会問題として「超高齢化」があります。特に地方の山間部の限界集落は年々増加し、買い物や家の片付けなど通常の生活を営む上でお困り事を抱えたお年寄りが増えています。そんなお年寄りをサポートするために当社が展開しているのが「まごころサポート」で、全国の新聞販売店や地域密着ビジネスを行う会社を拠点に60歳以上のシニアのお困り事を解決するお手伝いをしています。


──まごころサポート実施の流れは?

まず、新聞販売店は「ちょっと困った事があったら私たちにご相談ください!」という折込チラシを新聞に入れます。それを見たシニアの方が、ちょっとしたお困り事があった時に電話かFAXで新聞販売店に連絡します。すると、地域の新聞販売店のスタッフがご自宅まで訪問し、サポートを行います。料金は新聞契約者は30分500円、非契約者は30分700円となっています。


 

──例えばどんな困り事の依頼があるのですか?

主な依頼は
・ お庭のお掃除(草むしり、草刈り)
・ 重たい家具の移動、高いところの電球交換
・ 入院中や旅行中のお花の水やり
・ 重たいものやかさばるものの買い出し
・ 難しいサポートや、高い技術が必要なサポートをお願いされた時の地域の専門業者への依頼代行
などです。また、一部の店舗では、障子や網戸の張り替え、エアコンクリーニング、介護タクシー(要資格)などのサービスも提供しています。

新聞配達店はまさに地域密着型の会社の代表格で、配達員の業務内容も基本的に新聞のお届けや集金などで、地域に住んでいる方のお家へ毎日訪問しています。それらの業務の空き時間を活用できるので、このまごころサポートを行う業態としてぴったりなんです。

まごころサポートを依頼したおばあちゃんと

まごころサポートを依頼したおばあちゃんと


──確かに過疎地域に暮らすお年寄りにとっては便利なサービスですね。

おかげさまで年々ニーズが高まっています。まごころサポート実施件数は、1販売店あたり月に平均15~20件ですが、多い店は200件にのぼります。全体の総数としては毎月5000~7000件ほどになります。現在、当社はこの全国の新聞配達店をメインに、まごころサポートのノウハウを提供していますが、それ以外にも全国の各家庭にモップや玄関マットなどのレンタルや販売を行っている企業など、クライアントは異業種にも増加中です。また、最近は出産・育児で退職したママさんや定年退職した方がまごころサポートのスタッフになってくださっています。地域の人たちが、自分の空いている時間に、できることを少しお手伝いする。そんな小さな「まごころ」が集まってシニアのたくさんのお困り事を解決しているんです。

まごころサポートのビジネスモデル

──現在メインとなっている新聞配達店向けのまごころサポートのビジネスモデルを教えてください。御社と契約している新聞販売店数はどのくらいあるのですか?

鯉渕美穂-近影3

2013年12月から全国に広がり始め、現在(2016年7月現在)は37都道府県345店舗にまで広がりました。現在も増加中です。ビジネスモデルとしは、基本的には当社がまごころサポートを適切かつ効果的に行うためのノウハウを新聞配達店に提供し、その対価として新聞配達店から料金をいただいています。料金プランは月額1万5000円、3万円、6万円の3つのコースがあり、料金が高くなるにしたがってきめの細かいサービスを受けられるようになります。お年寄りが支払う30分500円のまごころサポートの利用料はすべて新聞配達店に入る仕組みになっています。


──新聞販売店に提供する具体的なサービス内容は?

例えば、まごころサポートを行う上での基本的なマニュアルです。お年寄りの困り事といってもいろいろありますが、その中には法的にやっていい仕事といけない仕事があるのでその解説や、草むしりでも取っていい草といけない草の見分け方や抜き方などを写真入りで細かく解説しています。他には、チラシなどの販促ツールの作成や、映像でより詳しく活動がわかる研修動画の提供、エアコンや洗濯槽のクリーニングの実技指導、月に1回の対面でのコンサルティングなどがあります。


──先ほど新聞販売店のスタッフ以外にも育児中の女性やリタイヤしたシニアの方もスタッフとして働いているとおっしゃいましたが、どのように募集、管理しているのですか?

新聞に「スタッフ募集」の折込みチラシを入れるなどしてその地域で募集しています。ある新聞販売店様ではFacebookを活用して募集を行ったこともありますが、折込みチラシの反応が一番よかったそうです。希望者は募集した各販売店が面接して採用、登録、管理、派遣しています。多い地域では20~30人がまごころサポートスタッフとして働いています。

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経営者としての仕事

──鯉渕さんは社長として日々どういう仕事をしているのでしょうか。

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私は当社の代表取締役なので、他の企業と同様、経営方針の策定や経営計画の立案、経営課題の解決、あらゆる局面での最終判断、取締役の意見調整など経営全般に関わる業務を行っています。

現在の経営課題の1つに、「まごころサポート事業のさらなる拡大」があります。そのためにわかりやすいマニュアルづくりや動画作成、研修サービスメニューの作成が重要になってきます。私自身は新聞販売業界については未経験ですが、前職で7年間、法人向け社員研修に携わってきたので、スタッフの育成やマニュアル作成、メニューの拡大といった分野においては、私が責任者として制作のマネジメントをしています。また、新規事業の立ち上げなども行ってきた経験を生かして、この事業を他業界に広めるために、新聞販売店以外の企業とのパートナーシップを生み出すための営業活動や対外交渉も行っています。


──今のMIKAWAYA21の経営者としての仕事のやりがいはどういうところにありますか?

一人ひとりの生活に、直接のインパクトを与えられることですね。まごころサポート事業の1つひとつの案件は草刈りや掃除といったニッチで些細なことなんですが、それらを通して地域の中でいろんなエピソードが集まってきます。例えばある地域に住んでいるおじいちゃんが、最近すごくおしゃれになったと町で評判になったんです。恋でもしたのかな? と噂されるくらいに(笑)。

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そのおじいちゃんのまごころサポートへの依頼は、おばあちゃんが亡くなられて以来、家の整理整頓ができないままになっていたので、片付けを手伝ってほしいというものでした。そこでスタッフがおじいちゃんのお家におうかがいし、綺麗に整理整頓してあげたところ、おじいちゃんのおしゃれな洋服や帽子がたくさん出てきました。実は、おじいちゃんは元々おしゃれな方だったのですが、部屋の中がぐちゃぐちゃの状態になっていたので、好きなお洋服や帽子を身につけられなかったんです。それをきれいに整理整頓して、いつでもすぐに手の届くところに置いてあげたら、元のおしゃれなおじいちゃんになった、という話なんです。


──すごくいい話ですね。おじいちゃんの人生がよりよく変わったわけですからね。

はい。ちょっとしたサポートで、おじいちゃんの人生にすごくいいインパクトを与えられました。こういうことを感じられるのが今の仕事の最大のやりがいであり喜びですね。このおじいちゃんのようにまごころサポートを頼んだ人たちがよりよく変わるということがもっと全国に広がって、1人ひとりが元気になって、より長く自分の家に住んで幸せな生活が送れるようになればいいなと思っています。

しかも、それだけではなくて、まごころサポートのスタッフにも変化が見られるようになります。新聞販売店の方々は今まで仕事をしていてもお客様からありがとうなんて言われたことがないんです。それが、まごころサポートでお年寄りから庭の草むしりを頼まれた時、最初は暑いしつらいなぁと思いながら草むしりをしていたのですが、行く先々の家で休憩や終わった後にお茶菓子を出していただいたり、今まであまり言われなかった「ありがとう」という感謝の言葉を直接聞くことができるようになります。

これによって、販売店のスタッフの方々は、自分自身の仕事にやりがいや喜びを見出せるようになります。さらに、自分は手先が器用だからもっとこういうことがやれると、網戸障子の張替えを自らやり始めたり、得意な大工仕事を生かした新しいサービスを始めるスタッフも出てきます。このように、新聞販売店のまごころサポートのスタッフが初めて自分の仕事を好きになって、どんどん自分からできることを見つけてやり始めたという変化が見られるようになります。これらの現象はまさに、販売店のスタッフの方々自身が、自分たちで新しい街づくりを始めたと言っても過言ではないと思います。新聞業界は厳しいと思っていたけれど、こういういい変化によってまだまだ大丈夫、できることがあるんだという明るい未来が見えるようになってきます。まごころサポートは、受ける方だけでなく、提供する方にもメリットや喜びがあふれているサービスなのです。

さらに、5年後も10年後もこのサービスを継続していくために必要だと感じているのが、「まごころサポート」のさらなる新サービスの開発です。その1つがドローン宅配事業です。

ドローン宅配事業

ドローン宅配事業

──ドローンはここ最近、テレビや新聞、雑誌、Webなどのさまざまなメディアで取り上げられて、すごく注目されてますね。

はい。ドローンの可能性は広く、一時は毎日テレビで見ない日はないというほど注目されていました。またそのおかげもあり、私たちのサービスもうれしいことにたくさんのメディアに取り上げていただき、多くの方から共感の声をいただくことができました。ただ、ドローンはあくまでも「まごころサポート」をさらに広め、継続できる仕組みとするための1つの選択肢だと考えています。


──とはいえ、ドローン宅配事業には興味をもっている人も多いと思うので、詳しく教えてください。そもそも誕生した経緯は?

まだ日本でドローンが注目される前の2014年末に、役員メンバーで話していた時に出てきたアイディアです。それまでまごころサポートの依頼件数は、月に5件から10件ほどだったのが、30件、50件と増えていったことで新聞販売店の配達員だけでは人手が全然足らなくなりました。地域のサポーターを募集したのですがなかなか集まらない。そこで、何らかのテクノロジーの力で、この労働力不足を解決できるのではというのが発端でした。いろいろ検討する中で、家に届けるだけならドローンでできるのではというところから、ドローン宅配サービスは生まれたのです。

とはいえ、ドローン宅配サービスといっても、ドローンが何なのか、またどういうことができるのか、言葉で説明しても伝わりづらい。それであれば、言葉で伝えなくても、この世界観をわかってもらうため、イメージ映像をつくろうということになりました。なので、ドローンをやろうと決めて一番最初に取り組んだのが、当社のWebサイトにアップされているドローン動画なんです。

実は、この動画を撮影した一週間後にドローンが首相官邸に落ちるという事件が起きたんです。このおかげでドローンの説明が一切いらないほど日本中にドローンが知れわたり、私たちにとっては追い風になったかもしれません。特に、ドローン首相官邸落下事件が起こってからの注目度は高く、法律改正やサービス開発なども、官民一体となってすごいスピードで進むようになりましたね。


──ではあのドローン落下事件で、ドローンは危険というイメージが大きくなったり、規制が厳しくなったりして逆風が吹くとは思わなかったわけですね。

そうは思いませんでしたね。確かにあの後、航空法の規制もいろいろできましたが、正しい知識を持った人が、正しい使い方をできる環境を整え、間違った使い方を防ごうというのが今の流れだと思います。例えば、航空法でも「国交省の許可を得ている場合を除き」という一文をあえて入れているので、正式に使用を申請して、安全性の審査さえ通れば何でもできるような環境になっています。逆に言えば、倫理に背いたドローンの使い方をして被害が大きくなるというようなことを未然に防ぐ仕組みになっています。また、世間一般の認知度も上がり、サービスの説明もしやすくなったことを考えると、あの一件は、私たちにとってはプラスだったと思います。

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ドローン実用化に向けて

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──それから実用化に向けてどのように進めていったのですか?

まず最初に手がけたのは、先ほどのドローン動画の制作です。まだ誰も見たことがないサービスを作り出すためには、そのサービスが実現された社会を共有することで、はじめて共感が生まれ、サービスの実用化に向けて進めると思ったからです。そこで、早速ドローンメーカーと協力して宅配用のドローンを開発し、2015年4月に徳島県神山町で1回目のテストフライトを実施しました。


──結果はどうだったのですか?

テストフライト自体は概ね成功しました。ただ、まだ日本のドローン業界は、人にたとえるなら赤ちゃんの状態で、ラジコンの延長で技術的には実用化のレベルにまだまだ至っていません。しかしながら、ちょうどホビー用のドローンの「ファントム」も発売開始され、これからドローンは世界的に注目を浴びるのは間違いない、そうすればドローン技術は驚異的なスピードで進化していくから問題ないだろうと確信できました。これをビジネスにするために課金の方法など、継続できる仕組みは考えなければいけないけれど、サービスの物理的な部分に関しては十分実現可能だと手応えを感じました。

また、フライト前に心配だったのは、実験を行う神山町に住んでいるシニアの方々が、実際にドローンを見た時にネガティブな反応をされることでしたが、実際には「こんなものを見られる時代まで生きててよかったわ」というポジティブな反応をしていただき、ホッとしたのを覚えています。案ずるより産むがやすしですね(笑)。


──では「ドローンが落ちて事故でも起こったらどうするんだ」というようなネガティブな反応はなかったわけですね。

そうですね。そういう不安や心配よりも、わざわざ遠くまで買い物に行かなくても、ほしい商品を自宅まで届けてもらえて便利な世の中になることのメリット方がシニアにとっては大きいんだなと感じました。


──今年(2016年)2月にも実証実験を行ったそうですが、これはどういうものだったのですか?

2016年2月の実証実験の様子

2016年2月の実証実験の様子

国交省の物流政策課と共同で徳島県那賀町鷲敷地区で行いました。新聞、テレビ、ネットなどのメディアでもドローンに対する懸念や反対意見が多く出てきていますが、実際の生活圏での物流実験はされていなかったので、実際にドローン飛ばした時に、地域の方々や、サービスを体験した方の反応を調査したいと考えていました。

ドローンの出現によって新しい航空法が制定されましたが、それらをすべて守った上で実際に人が暮らしている地域でドローンによる貨物輸送サービスを実施することで、初めて見えてくる問題があります。そこで、最初のテストに比べて実用化を見据えたより実践的なテストで、サービスの実用に向けた課題の洗い出しと優先順位の決定、その解決策の考案を目的に行いました。

飛行距離は500m、速度は3m/s程度、高度は50m程度で、フライト数は1往復の2回。離着陸のみ手動操作で、飛行は自動航行でした。使用したドローンは、最大積載量6キロの8軸ローターのマルチコプターです。飛行ルートは、地域の新聞販売店そばの駐車場から、モニターのシニアの方の家のそばの畑に設定しました。当日は雨天にもかかわらずたくさんの町の人たちが集まってきてくださり、注目度の高さがうかがえました。

実証実験で使用したドローン。「8軸ローターのマルチコプター最大積載量6kg 全長1111mm×全幅1111mmの中型機」

実証実験で使用したドローン。「8軸ローターのマルチコプター最大積載量6kg 全長1111mm×全幅1111mmの中型機」

ドローンで撮影した画像。高度約50m、距離約500m、約4分ほどの飛行で無事成功した
ズームアイコン

ドローンで撮影した画像。高度約50m、距離約500m、約4分ほどの飛行で無事成功した

宅配荷物は朝食のための食パン一斤、250mlの牛乳パック、ゆで卵2個
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宅配荷物は朝食のための食パン一斤、250mlの牛乳パック、ゆで卵2個

ドローンの操作方法

──具体的にどうやってドローンを操作したのですか?

ドローンの離陸時と着陸時の上げ下ろしは、人がコントローラーで操作しますがあとは自動飛行です。つまりA地点から上空50mに上がるまではマニュアル、その後はオートパイロット、B地点上空から地上に着地させるのはマニュアルという感じです。ただ、現在の技術でも離陸、飛行、着陸のすべてを自動でできるのですが、安全性を考えて離陸と着陸は人の手で行っています。


──でも離陸地点から500m先の着陸地点は目視できませんよね? その部分はどうやっているのですか?

まだ実験段階なので、操縦者は出発地点からドローンを50m上空まで上昇させたら、車の助手席に乗って自動で飛行するドローンの下を走りながら着地点まで移動して、到着したらホバリングさせて着地させました。ちょっとした裏話ですが、車はコントローラーの電波が届きやすいオープンカーが望ましかったのですが、四国のレンタカー会社にはオープンカーがなかったんです。そこで、大阪支社のスタッフに、大阪のレンタカー会社でオープンカーを借りてもらい、徳島まで乗ってきてもらいました。町の人には「なんでこんなかっこいい車で実験するんだ」と言われたんですが、「いや、これしかないんです」と(笑)。


──実証実験の結果はどうだったのですか?

飛行実験自体は無事成功しました。当初の思惑どおり、いろいろな課題が見えてきて、実用化に向けてまた大きく一歩前進しました。


──見物に集まった住民の反応は?

町の人たちはドローンを絶対に飛ばしてほしくないのではなく、事前に告知してくれれば飛ばしていいよという感想が多く聞かれました。実際に実験を行った地域の方も、非常に協力的で、その時間は飛行ルートを避けて通らないようにしてくださったりしていました。そういう意味でも運用ルールを作れば実現可能という確信が得られましたね。モニターとなってくださった80代のおじいちゃんは、この地域は買い物に行くのに車は欠かせなくて今は運転しているけど、近い将来、運転できなくなる時が必ず来るからそれまでに実現してほしいとおっしゃっていました。


──最初に実験した時のドローンと比べて技術的にどの程度進歩しているのですか?

機体自体はそこまで大きくは進歩していないのですが、飛行時の安定性やGPS電波の受信性などが向上したことで、より安全かつ正確に目的地まで飛行して帰ってくることが可能になりました。ドローン技術は日進月歩で進歩し続けています。

事故のリスク対策

──事故のリスク対策は具体的にどのようにとっているのですか?

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実際に生活圏で飛行させてみて考えているのは、機体の安全性を高める仕組みと同時に、運用ルールで回避していくのがよいと考えています。絶対に落ちないドローンを作るのは不可能ですし、そのための技術追求をするよりも、落ちても二次被害が起こらないような運用ルールを作るのが現実的だと考えています。例えば落ちても危険のない、人や車が通らない安全な飛行ルートを確保したり、人や車が通るルートでもドローンが上空を飛ぶ時間帯は町内放送などで告知をしたり、ドローンを飛ぶ時には大きな音を出すなど注意喚起をして運用すればよいのではと思っています。

あと、もう1つ恐いのが山の中に落下した時。バッテリーがリチウム電池なので傷つくと発火の恐れがあり、山火事になってしまうリスクがあります。そうならないように、なるべく飛行ルートを川の上にするなどして二次被害を防ぐようにしています。このように、安全な飛行ルートをきちんと確保することと、町の中での事故を防ぐためのルールづくりが運用面での一番のリスク回避になるかなと思っています。こういったことをドローンの危険性などに不安を感じている方にお話しすると、多くの方に納得いただけるので、きちんと丁寧に説明を重ねていく必要性は感じています。

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ドローンの運用方法

2016年2月に行った実証実験の模様

2016年2月に行った実証実験の模様


──実際に運用する際にはどんな感じになるのでしょうか?

まず着地点の確保が大事なので、お客様と最初にドローン宅配の契約をした時に届け先の着地点を登録したり、着地点に衝撃吸収用のマットをセットする必要があります。それさえ完了していれば近い将来、パソコンで「○○町の○○さん家」と選択してクリックすれば、あとは自動的に飛んでいき、担当者は遠隔操作で飛行状況を監視するだけという完全オートパイロットになります。


──ドローンを商店から飛ばすことも可能になるのでしょうか?

現時点では、ドローンはメンテナンスと万が一の事故対応のため、新聞配達店などに常備して販売店スタッフが管理・運営するのが適切ではと考えています。シニアからお買い物を頼まれた場合は、新聞販売店のスタッフが商店に買いに行き、販売店に戻ってきてからドローンに商品をセットして飛ばすということや、新聞販売店からドローンを商店に飛ばし、商店のスタッフが商品をドローンに乗せてシニア宅まで飛ばすことも十分可能だと思っています。

今後、携帯電波の空中利用が可能になると、例えばドローンが商店に到着し、商店のスタッフが荷物をコンテナに入れたのをドローンに搭載したカメラからの映像で確認し、遠隔で出発させるということが可能になります。また、ドローンがお客さんの家に到着した後も、同じように数キロ離れた操作室にいながらにして、依頼者が商品を受け取って安全が確認でき次第遠隔操作でドローンを上昇、飛行させて出発地点まで帰ってこさせることが可能となります。何かトラブルがあった時もこちらからドローンに信号が送れるようになるので安全性も向上します。そうなればドローン操作のオペレーターは基本的に遠隔でモニタリングだけしていればよくなり、異常が発生した時にだけ操作するというふうになるでしょう。


──そうなればすごく便利になりますね。実用化はいつ頃をメドに考えているのですか?

これは、官民一体となっての取り組みが重要となってきますので、政府発表の2018年を目指しています。これまでの実証実験で得られた課題を元に、今後もサービスの開発に努めていきたいと思っています。

ドローン宅配の料金

──ドローン宅配の料金はいくらくらいを設定しているのですか?

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まだ機体や環境も日進月歩で変化しているため、現時点で○○円とは言えませんが、まごころサービスの利用者へのアンケート結果などから、1回500~1000円くらいが適切かなと考えています。利用者の方が、今はご自宅から買い物先までバスで往復されるのに500円くらいかかっています。この分をドローン宅配で代替できると考えると、それぐらいの価格帯に抑えられればと思っています。


──実用化されたらドローンは新聞販売店が購入して店内に常備するのですか?

安価なものでも産業用ドローンは1機100万円から数百万円します。必ずしも新聞販売店が購入しなくても、ドローンメーカーからのリースなども可能だと思っています。ドローンの運用費はお客様からいただく宅配料の中から捻出するというやり方になるでしょうね。


──でも500円~1000円という低料金で果たしてペイできるのですか?

確かにその料金ではドローンの機体代やメンテナンス代、人件費を考えるととてもペイできません。そこでこのドローンを宅配サービスだけではなく、日々のメンテナンスを含めて、災害時に現場の被災状況の確認に使用する目的で、自治体や企業などとシェアできればと考えています。自治体はそのような災害対応の1つとしてドローンを保有していますが、災害が起こらなければずっと眠ったままになり、メンテナンスもされなくなってしまうことが想定されます。ですので、使用しない間は宅配や農薬散布など他の用途でレンタルするような形も可能ではないかと考えているんです。


──ドローン宅配に対する新聞販売店や自治体の反応は?

新聞販売店だけでなく、大企業や地域の商店など多くの方々に興味をもっていただいています。また、自治体からもたくさんのお問い合わせをいただいています。現在、日本の6分の1の市町村が限界集落で高齢化率も50%を超えて、このままではいわゆる買い物弱者の高齢者がどんどん増えてしまいます。自治体は彼らを何とかして守らなければという使命感をもっていて、その解決策の一つとしてドローン宅配に興味をもたれているケースが多いですね。ドローンを生活圏で飛行させるためには、自治体の許可や協力が欠かせないので、今後も多くの自治体や地域密着企業の方々と良好な関係を築いていきたいと思っています。

ドローン宅配の実現自体が目的ではない

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ただ、実用化に向けて開発を進めているドローン宅配事業はそれ単体がメインではなく、あくまでもまごころサポートの中の1つのサービスと考えています。このインタビューの冒頭でもお話しましたが、我々が目指しているのは宅配事業そのものではなく、いわゆるシェアリングエコノミー、地域の中でお互いが共存していくための仕組みづくりで、その中の1つとしてドローンが活用できそうなので開発を推進しています。だから、何がなんでもドローンで荷物を運ぶというのではなく、人が運んだ方がいいという地域なら人で宅配すればよいですし、自動走行の車が実用化になればそれでもよいと思っています。それらの手段を組み合わせればもっと可能性は広がります。例えばここまでは人かバイクか車で運ぶけれど、ここから先はたいへんなのでドローンで運ぶとか、離島へ届ける場合は、ここまではボートで行くけど海が荒れたらドローンで運び、ここから先は自動走行という感じが実現できるのではと思ったりしています。


──鯉渕さんを突き動かしているのはどんな思いなのでしょうか。

「社会にインパクトを与えることで、よりよい世界を創りたい」という思いですね。解決策を見出すまではあれこれ悩むのですが、それが1本に繋がって答えが見出だせた瞬間がすごくおもしろいんです。そもそもは高校時代に経験した出来事がその原体験になっていると思います。


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