2014年2月アーカイブ

森で働き、森と生きるということ[後編]

まずは自動車整備士としてスタート

──前回のインタビューでは主に現在のお仕事についてうかがいましたが、後編ではまず現在に至るまでの経緯について教えてください。石井さんは神奈川県相模原市のご出身なのに、なぜ長野県の黒姫に移住してアファンの森の番人をするようになったのですか?

僕は中学を卒業後、いろいろとありまして高校へは行かずに車の修理工場で整備士として働き始めました。これが社会に出て初めて就いた職業で、その後も10年ほど続けました。


──そうなんですか。現在の森のお仕事とはずいぶん違いますね。

元々バイクなどメカが好きでしたからね。自動車修理の仕事自体はおもしろかったですよ。調子の悪かった機械が、自分が手を加えることによって良くなることのうれしさや喜びは森の仕事と通じるものがあります。

日本一周ツーリング中の石井さん

バイクで自然が豊かなところに出かけるのが好きで、休暇にはバイクで北海道や信州などに何度も通いました。通ううちに徐々に田舎暮らしへのあこがれが芽生え始めました。24歳の時、仕事を辞めてバイクで日本一周もしたのですが、そのときに、北海道の民宿で2ヶ月間住み込みで働きました。その民宿は畑をもっていて有機農法に取り組んでいたり、羊や山羊なども飼っていました。それまではあくまでも外から自然を見て楽しんでいたのですが、そのとき初めて自然の内部に入って暮らす体験をしたことで大きな魅力を感じ、本気で自然の中で暮らしてみたいと思い、本格的に移住先を探し始めました。そういう意味ではこのときの経験がその後の僕の人生を決定づけたと言ってもいいかもしれませんね。ちなみにその民宿で僕と同じく住み込みで働いていた女性が今の妻なんです。

北海道の民宿でヘルパーをしていた頃の石井さん(前列でしゃがんでいる男性)と奥さん(その右隣のエプロンの女性)

信州に移住した理由

──なぜ移住先を北海道ではなく長野の黒姫にしたのですか?

確かに北海道の自然は大好きでしたが、何かあった時に簡単には実家に帰れないので断念しました。

黒姫にしたきっかけを作ってくれたのは妻でした。妻がニコルのファンだったのですが、ニコルの住んでいる長野県の黒姫に行ったことがないというので、行ってみることにしました。泊まった宿が、ニコルとアファンの森の写真をずっと撮ってきたカメラマンの方が経営しているペンションだったのですが、当時はそんなことも知らず、当然ニコルの話も出ず、普通にご主人と仲良くなって通うようになりました。それが黒姫との最初の縁ですね。

当時黒姫と平行して他にも住む場所を探していて、林業にも興味があったので、岐阜県のIターンの説明会にも参加したところ、飛騨金山の森林組合から住む家も用意するからぜひ移住してくれという話もありました。


──すごくいい話ですね。なぜ断ったのですか?

岐阜の方は、その土地のことをほとんど知らないけど仕事がある。黒姫は、仕事はないけどその土地を好きになった。岐阜はお見合いで、黒姫は恋愛のような感じがしたんです。ならば恋愛の方がいいよねと。妻も同意見でした。黒姫には通ううちにどんどん惹かれていましたからね。

四季折々の美しさを見せる黒姫・アファンの森

黒姫の魅力

──黒姫のどんなところにそれほど魅力を感じていたのですか?

う~ん、それが言葉ではうまく言い表せないんですよね。恋愛も「"好き"に理由はない」というじゃないですか。それと同じですよ。

それで取りあえず黒姫のある長野県信濃町の役場に住む場所を相談に行ったら、500坪、築27年、車庫も畑もついて家賃が月3万5,000円というちょうどいい感じの空き家があって。実際に内見に行ったら僕も妻もひと目で気に入ってその家を借りることにしました。そして1997年11月、30歳のときに仕事も何も決まっていなかったけど、とりあえず行けばなんとかなるだろうと、夫婦で黒姫に移住したんです。

だからどうして移住先を黒姫にしたのか、明確な理由はいまだに自分でもよくわからないんですよね。たまたま黒姫に行っていいところだなと思って、たまたまいい家もあったから借りて、いつの間にか住んでいたという感じなんです。

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年越しパーティーで2度目の運命の出会いが

──移住したら生活が一変したと思いますが、実際に田舎暮らしを始めてみてどうでしたか?

最初に住んだのは住宅地でしたが、周りには豊かな自然があふれていて、住み始めてすぐに移住してよかったと思いましたね。半年間かけてバイクで日本一周したり、北海道で2ヶ月間暮らした経験もあるので、違和感なくすんなり黒姫に溶け込めました。移住してこれまで都会に帰りたいと思ったこともありません。都会は仕事をするにはいいけれど生活する場じゃないなとそのときに痛感しましたからね。


──しかし仕事も決まっていないのにいきなり移住するってすごいですね。仕事はどうしたのですか?

現地で求人情報を探してタイヤ店に就職し、お客様のクルマに最適なタイヤをおすすめしたり、タイヤをメンテナンスするという仕事をしていました。元々車の整備士でしたし、仕事自体はおもしろかったのですが、「こんなことをするために黒姫に来たわけじゃないのにな...」とか「自然に関わる仕事がしたいな」とずっと思っていました。


──そこからニコルさんとはどのようにしてつながったのですか?

引っ越した年の年末に、移住する前から通っていた黒姫のペンションの年越しパーティーにご主人に誘われて参加しました。一緒にお酒を飲んでいたら、突然真っ赤な顔をした大きな人が現れました。それがニコルだったのです。妻は長年ニコルの大ファンだったのでもうパニック状態になってしまってたいへんでした(笑)。

C.W.ニコルさんと不思議な縁でつながった

それからみんなで一緒に飲みながらいろいろと話をする中で、当時ニコルのアシスタントをしていた人が妻に「今、何か仕事はしてるの?」と聞きました。当時妻は専業主婦だったので何もしていませんと答えると、「実はニコルの家でお手伝いをしてくれる人を探しているんだけどやらない?」と誘われました。妻はその場で「はい、やらせてください!」と即答しました。というわけでニコルとの付き合いは妻から始まったんですよ。

アファンに入ったきっかけ

──奥さんの方が先にニコルさんとつながったとはおもしろいですね。石井さんご自身がアファンに入ったきっかけは?

2000年に、財団法人を作ろうとアファンが動き出します。でも当時財団法人はそんな簡単に作れるものではなかったので、その前身としてNPOを作ることにしました。事務局は東京に作るとしても、黒姫にもスタッフが必要だという話になり、そのときにニコルがアファンの現地スタッフとして働かないかと声を懸けてくれたんです。

冬は一面、雪に覆われるアファンの森

──石井さんの方からではなくニコルさんの方からお声がかかったのですね。

当時、タイヤ店に勤務して3年で、長く勤めるつもりだったので家を建てました。それがたまたまアファンの森のすぐ近くだったんです。それを見たニコルは「アファンの森のすぐ近くに家を建てたということは、石井はここから簡単には出て行かないな」と踏んだんじゃないですかね(笑)。またちょうどそのときニコルのアシスタントが辞めたタイミングで、さらに僕自身常々森の仕事をしてみたいと話していたので、声を懸けてくれたのだと思います。

でも当時アファンには人を雇えるお金なんてなかったので、僕の給料はニコルのポケットマネーから出すということでした。当時、家を建てたばかりで、さらにひとり目の子どもも生まれていたので、生活していけるかなと一瞬不安を感じましたが、なんとかなるだろうとタイヤ店を辞めてアファンの現地事務スタッフとして働くことにしました。これが僕がニコル、そしてアファンと仕事で繋がった最初の一歩です。

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アファンでの仕事

──当時、アファンでどんな仕事をしていたのですか?

現地スタッフと一緒に(2013エコプロダクツにて)

最初はニコルの仕事の手伝いが主でした。例えばニコルが新聞・テレビなどのメディアからアファンの森で取材を受けるときに現地でのコーディネイトや雑用などアシスタント的なことをやったりしていました。他にはニコルの畑の手伝いをしたり(笑)、時々森の整備をする松木さんの手伝いをしたりもしました。

2001年にNPOが設立され、アファンの森の事務局の仕事も行うようになり、翌年の2002年に「財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」が創設され、財団法人の事務職としての仕事も増えました。会員の管理や各種書類作成、イベントの企画運営、現地での来客対応に加え、引き続きニコルのアシスタント的な仕事も行っていました。その後財団の規模が徐々に大きくなり、2004年に正式に財団の職員になりました。ニコル個人からではなく、財団から給料が出るようになったわけです。

その後、ニコルと一緒に1986年からアファンの森をつくりあげてきた松木さんが高齢になり、森の管理人を辞めたいとたびたび口にするようになりました。そこで彼の後継者を新しく探さないといけないという話になったとき、そもそも自然や森が好きで自然の中で働きたいと思っていたので僕にやらせてくださいと志願したわけです。

でも最初の頃は財団の事務仕事も多かったので、体が空いているときに松木さんについて森へ手伝いに行くという感じでした。松木さんは黒姫の森を知り尽くした林業家でもあり猟師でもある自然のプロ中のプロなので、森の整備や動物のことなど森に関するあらゆることを教わりました。とはいっても松木さんの知識の中の一部分しか教わっていないと思います。それほどまでに、松木さんの知識や観察力はすごいんです。そして2012年から松木さんが本格的に引退し、周りのスタッフにも協力してもらって、森の管理を主な仕事としてできるようになったのです。

松木さんに教わりながら森の整備・管理の仕方を覚えていった

──石井さんは黒姫に移住して約17年経ちますが、今振り返っても黒姫に移住してよかったと思いますか? 望んでいた森の仕事ができるようになって、これこそ自分の望んだ生き方だという感じですか?

そこまでではないですが、今はそれが自然で当たり前になっていてストレスもないので、移住してよかったなと思いますね。田舎は何かと不便なこともありますが、今さら都会には戻りたいとは思いません。もし移住するならまた田舎でしょうね。

田舎暮らしの魅力

──田舎暮らしの魅力はどういうところにありますか?

先程もお話しましたが、僕の家はアファンの森のすぐそばなので、まず朝起きて窓から見える景色が素晴らしいんです。そういうことを含め、とにかく自然の中で暮らせることが一番の魅力ですね。


──働き方という意味でいいと思う点は?

雪が積もる冬以外はずっと大好きな森にいられるのがいいですね。また、今は森の整備担当の責任者なので、誰かから仕事を指示されるのではなく、自分でやるべきことを考えて、段取りを組み、自分のペースで働きつつ結果を出すという一連のプロセスも大きな魅力です。


──では現在の働き方に関しては満足していますか?

そうですね。満足しています。特に、これまでは森の仕事と財団の事務系の仕事との二足のわらじで、森の草刈りをしている最中に財団の事務仕事のことを考えたりもしていました。しかし、それでは僕にとっても森にとってもよくないとアファンのスタッフたちが僕を森に集中させようと協力してくれたおかげで、昨年(2013年)からは森の仕事に専念できるようになり、とても助かっています。

そのおかげでこれまでできなかったことまで手を伸ばせるようになり、いろんなことがわかってきたので今はとても楽しいですね。これまで以上にいろんなことがつながってきた感じがしています。

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好きなことを仕事に

──これまで働き方に関して大事にしてきたことはありますか?

どうせ働くなら好きなことをしたいという気持ちは昔からあるかもしれませんね。これは何か違うなと思ったらやらない、違和感をもった方向には行かない。自分自身が納得できるような仕事や働き方を選んできたような気がします。

あとこれは大事にしてきたこととは違うかもしれませんが、これまでチームで何かをやるというより、ひとりで完結できるような仕事ばかりやってきました。そっちの方が性に合っているんでしょうね。でも、森や自然はこれでよしって完結できるようなものじゃないですよね。一人でどうこうできるものでもないし。それもまたおもしろいなって。


──石井さんの生き方、働き方に関しては、自分の気持ちに正直に従ってきたという感じですよね。住みたいと思った場所に住んでいるし、やりたいと思った仕事をやってきているし。

その辺は運がよかったと思いますよ。当初はニコルと知り合えて、一緒に仕事ができるなんて想像だにしていなかったし。ほんと運と縁でここまで来たという感じで、とてもありがたいと思っています。


──でもそれは石井さんが行動を起こしているからいろんな縁が生まれるし、いい運もつかめるんだと思います。いくつかのターニングポイントとなった節目で先行きに不安を感じても「なんとかなるだろう」で飛び込んでいってますし。

そう言われればそうかもしれませんね。とにかく行動すれば何かが起こるので、いい運や縁をいかに見逃さないかが大事ですよね。自分でチャンスだと思うことに対して一歩を踏み出せるか。そういう意味では納得の行く人生を歩むためには行動と運とタイミング、そして少しの勇気が必要なのかもしれませんね。

森を案内する石井さん

昔ながらの"山"をつくりたい

──今後の目標を教えてください。

古来、日本の人々にとって"山"は3つの階層をもつものでした。一番上は人が手を付けてはいけない神が住む領域、天然更新できる大木があるような"奥山"という森。その下には狩猟や木材生産の場である"中山"があって、その下に積極的に人がかかわってきた"里山"がありました。こういう"山"が理想型です。アファンの森は、現在は"里山"の要素が強いわけですが、里山だけよくなってもダメだと思います。アファンの森の将来像を見極めながら将来的には3つの階層をもつ昔ながらの"山"を作りたいと思っています。

さらに里山にある種のコミュニティのようなものも作って、例えばアファンで馬を飼って間伐材を馬で運ぶ馬搬や、馬糞や森の落ち葉で堆肥を作って農業をしたりと、循環的なシステムが構築できればおもしろいと思っています。森から生まれる恵みによって、たくさんの人がそこにかかわり暮らしていければ楽しいですよね。

だからゆくゆくは馬を飼いたいですね。森の中に馬がいるって絵になるんですよね。アファンのような小さいところは間伐材を伐り出すにしても大きめの機械を入れるとグチャグチャになって森を痛めてしまう。ちょっと木を伐り出したいというときに、馬なら森を傷めないし、効率もいい。馬の扱い方は以前このWAVEに登場した遠野馬搬振興会の岩間敬さんに教えてもらえばいいしね。

また、森の仕事がないときは馬車として使って、黒姫駅に来た観光客を馬車に乗せて目的地まで運ぶということもできたら楽しいですよね。この辺は僕が勝手に考えているだけですが、今後、地元の方々と協力できればいいなと思っています。


──その光景は想像するだけでわくわくしますね。ぜひ実現に向けて頑張ってください。

ありがとうございます。何事もひとりではできないので、アファンの森財団だけではなく地元全体が活性化できるよう、いろいろな人や団体と力を合わせて頑張っていきたいですね。

森で働き、森と生きるということ[前編]

アファンの森の番人として

──まずは現在の仕事について教えて下さい。

C.Wニコルが理事長を務める「一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」では、森の再生、人々の心の再生、調査研究、トラスト、震災復興など様々な活動を行っています。現在財団の職員はパートさんを含めて5人で、私は森林再生部の責任者として、当財団が所有する約30ヘクタールの森の維持管理を行っています。

一度人の手が入った森というのは、ある程度までは人の手を入れないと荒れ放題になることが多く、日々の手入れが欠かせないのです。

現在、石井さんが整備・管理を担当している美しいアファンの森

森で本格的に仕事をするようになったのは6年ほど前(2007年)で、最初はニコルとともに1986年からアファンの森をつくりあげてきた、林業家であり猟師でもある松木信義さんに師事していろいろと森や自然のことを教えていただきながら作業をしていたのですが、松木さんの引退にともない、ここ2年は僕が中心となって行っています。特に2012年は初めてひとりで作業を行ったのでやりがいもあったしいろいろと勉強にもなりました。 (※アファンの森については財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団のWebサイトを参照)

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ニコルさんとともに森を作り上げてきた初代森の番人・松木信義さん

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石井さんは松木さんに教えを請いながら一緒に森の整備に携わってきた

森の管理は、春先から秋まではだいたい毎日朝6時に起きて、8時から森に入り17時くらいまで行います。年間を通して一番忙しいのは夏ですね。6月の半ばくらいから9月の中旬まではひたすら毎日草刈りです。

また、アファンでは森でスポンサー企業の社員研修を行っており、その対応もしています。彼らに森の中を案内したり、実際に森の手入れの指導をします。毎年児童養護施設の子どもたちを招待しているのですが、子どもたちが来たときには森で一緒に活動したりいろいろな話をしています。

アファンの森を訪れた人に森を案内する石井さん

冬の間や雨の日は森での作業はめったに行いません。そんなときは道具の手入れや事務作業を行っています。また、毎年行われているエコプロダクツやアースデイなどの各種イベントに出展するための準備やイベント当日の運営、出演などもしています。

2013年12月に開催されたエコプロダクツ2013のオカムラブースで開催されたトークセッション「C.W.ニコル 森の学校」でアファンの森について語る石井さん。WAVE vol.8に登場した馬搬馬方で遠野馬搬振興会の岩間敬さんも出演

──森の管理というと、具体的にどのような作業を行うのですか?

アファンの森ではこれまでたくさんの手を入れてきましたが、中には新しくトラストをしたエリアなどまったく手付かずの荒れ放題のエリアがあります。このような場所は基本的には、まずヤブ刈りツル切りを行い見通しをよくします。ヤブが濃いとどんな木が生えているかすらわからないこともあります。見通しがよくなると健康な木、不健康な木がよくわかります。基本はよい木を残して森にしていくので、不健康な木を伐採して大きく空間の空いたところには植林も行います。その後は下草刈りなどを行いながら、天然更新ができるところまで管理をしていきます。言葉にすると簡単ですが、何せ自然相手ですから思うようにいかないことも多く、何十年という歳月も必要になります。

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植物の多様性を守るために手間暇かける

──気の遠くなるような仕事ですね。手入れされているエリアではどのようなことをするのですか?

手入れが進んでいるエリアはその維持・管理が主な仕事ですね。春先、雪解けとともに森の中を見て回って、積雪により折れたり、倒れてしまった木の片付けを行います。植林した小さい木が折れてしまった場合には添え木を行い、倒れてしまったものはきちんと起こして木がまっすぐに育つ手助けをします。そして枯れてしまって空間ができたところには新しく木を植え直します。

6月になると主に植林した周辺での下草刈りが始まります。この草刈りにアファンらしさが如実に現れているんですよ。通常、人工林の手入れなどは、植林した木以外のものはすべて刈り払ってしまいます。植えた木だけを育てればいいし、その方が楽ですしね。しかし、手入れをすることによって地面まで光が届き、明るくなった森にはいろいろなものが芽を出します。花を咲かせるものから大木になる実生や希少種など、今まで森になかったものまで出てくることもあります。これらは刈り払ってしまえばそれで終わりなので、草刈りをする際にはこれらを見極め注意しながら行っています。場所によっては1回で済ませられるようなところも、あえて2回刈ったりもします。アファンの森の植生がとても多様だと言われるのはこういった作業をしているからなんです。草刈りは、のちの森の林床を左右する大事な作業なのです。

アファン流の草刈りによって豊かな植生が保たれている

──草刈りひとつとってもすごく手間暇かけているんですね。

林業を商売として考えた場合、こんなことをしていたら採算が取れないので普通はやりません。アファンでそれが可能なのは、ニコルの存在があるからです。ニコルは1986年からの17年間、個人でずっと森の管理に心血を注いできたわけですが、商売のためではありません。大好きな日本からこれ以上豊かな森がなくなってほしくないというその一心だけで私財を投じて取り組んできたからここまでできたのです。2002年に財団を設立したころは財政的に厳しい状況もあったりとニコルには迷惑をかけましたが、現在は支援してくださる企業や個人が増えて森の管理ができているというわけです。とてもありがたいことです。

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採算度外視で豊かな森をつくりあげてきたニコルさん

そもそも放置され、荒れた森の手入れをしてきたので、森を手入れすることで直接入ってくるお金は今のところほとんどありません。まだ森を育てている段階ですからね。ここ数年オカムラさんがアファンの森から出る間伐材の一部を製品に利用してくれていますが、直接アファンの森の木を売ってお金になったことはまだありません。


──では何のために森を管理しているのですか?

お金とか理屈ではなくて、いい森にしなきゃいけないという思いが強いですね。

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"いい森"とは?

──いい森とはどんな森なのでしょう。

多様性が豊かとか密度管理ができているとか言い出せば色々あると思いますが、もっと単純に入ったときに気持ちいいと感じる森ですね。やっぱり森に入って気持ちいいか悪いかというのはすごく大事で、気持ちいいのは手入れされている森なんですよ。例えばきちんと間伐がされて適度に光が入ってくる森は気持ちいい。そんな森では生き物もたくさん増えます。また、手入れのされている気持ちのいい森は子どもたちが入っても安全なんです。それもとても重要なことです。


──なるほど。でも気持ちのいい森をつくるのは難しいんでしょうね。

本当に難しいですね。森をつくるためには単年ではなく、長期的に考えて、今やるべきことを確実に、地道にやらなければならないので。先代の森の番人の松木さんも「将来の森が想像できないやつに木なんか植えられるか」とよく言っていましたがその通りだなと今、痛感しています。


──石井さんの中に将来こういう森にしたいというイメージがあって、その実現に向けて仕事をしているという感じですか?

イメージは、ざっくりとだけどあります。ただそれだけではダメで、森づくりは僕が責任者として主導はしますが、もちろん僕一人だけで行っているわけではありません。ゆえに僕の中にある実現したい森のイメージとそのためにやらなければならないことを、森づくりのために働いているスタッフみんなが理解できるように整理して共有することが大事で、今はそれに力を入れています。

森を訪れた人々に森について詳しく解説しながら案内する石井さん

同時に、僕の考えだけでやるのではなく、他のスタッフやアファンの森で生物調査をしてくれている方の意見も取り入れるようにしています。先ほどの草刈りの話にしても、もう少し放置していた方がいろいろな植物が生えてくるから草刈りの回数を減らした方がいいんじゃないかという人もいて、確かにそれも一理あります。ですから今は調査区を設けて、刈る回数や時期を変えて、その結果を観察しているところです。

今までは森を強めに管理してきましたが、いかに手をかけずによくしていくかということも大事なので、今までのように思い切って人の手をどんどん入れていくよりは、今あるものを上手に生かしながら森をよくしていくこともやっていきたいと考えています。近年購入した南エリアは今までと比べてあまり手を入れていないんです。

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森づくりの魅力

整理伐をする石井さん

──なるほど。人の手は入れなければならないけれど、その加減が難しいんですね。森の整備という仕事の魅力はどんなところにあるのでしょう。

自分のやったことがはっきり形になって現れるところが最大の魅力ですね。荒れた箇所にヤブ刈りや整理伐などの手を加えると、そこがどんどんよくなっていくのが目に見えてわかります。

あとは生き物ですね。アファンの森にはクマ、ウサギ、リス、キツネ、ヤマネ、ムササビ、テン、それにフクロウなどの鳥類など生き物もたくさんいて、森に入ればそんな生き物にたくさん会えるんです。早朝にひとりで森に入ると、クマなど普段はなかなか会えない動物に会えたりもします。見晴らしのいい森なので、熊も僕の方をちらっと見ますが一定の距離を保っていれば安全です。これまで危ない目にあったこともありません。

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ツキノワグマ

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ヤマネ

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ムササビ

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キツネ

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リス

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フクロウ

──森を整備することで動物も増えているのでしょうか。

一概には言えませんが、元々森には動物はいたけど、森を整備することによってさまざまな環境ができて、これまでいなかった動物が増えたでしょうし、元々暮らしていた動物の個体数も増えたといえるでしょう。植物に関しては間違いなく増えていると断言できますね。現在は明るい里山の環境がどんどん減っていて、それにともない消えていく植物も多いので、アファンは貴重なエリアだと思います。

森づくりのやりがい

──仕事のやりがいを感じるのはどんなときですか?

自分が整備した森に人が入って、気持ちがいいと感じたり、喜んでくれたときですね。10年前から当財団では、自然に親しむ機会の少ない身体に障害のある子どもたちや、虐待や育児放棄などによって心に傷を負った子どもたちを森に招待しています。

森で特にプログラムを決めて何かをするわけでも、この森はこんなにすばらしいんだと押し付けるわけでもなく、森の説明を少ししたら、あとはその森で3日間自由に楽しんでもらうだけなのですが、最初は暗い顔で僕たちに全く心を開いてくれなかった子どもたちも日を追うごとにどんどん元気になって笑顔が出てきて、3日後には別人のように明るくなります。それは風景構成法という絵画療法にもはっきりと現れていて、アファンの森に来る前に描いてもらった絵は色使いやタッチが暗く雑で怒りや悲しみに満ちているのがわかりますが、森で3日間過ごした後は同じ絵柄でも明るく丁寧で楽しそうな絵になっていて心理学的にもいい方向に変わったということが証明されています。

子どもたちに森での楽しみ方を教える石井さん

また、3.11の東日本大震災で甚大な被害を受けた東松島市の子どもたちも招待しているのですが、やはり最初は沈みがちだったのが、森で遊ぶうちにみるみる元気になっていきました。また、アファンの森から帰った後、それまでは全くしなかった津波の話を「実はあのときすごく恐かった」と家族に喋り始め、それ以来笑顔が増えたという話も聞いています。それまで自分の内部に閉じ込めていたいろいろな感情を吐き出すことができただけでもアファンの森に来てもらってよかったなと思いますし、こういった、森に入った人がいい方向に変わるというのは森の手入れをしている身としてはとてもうれしいですね。

アファンの森で子どもたちも笑顔に

──すごいですね。森にはどんな力があるのでしょう。

それは僕にもはっきりとはわかりません。ただ、森だからこそ人をそういうふうに変えることができるのだと思います。よく言われているのは森は受容の存在だということ。児童養護施設にいる子どもの中には自分は親から捨てられた不必要な人間なんだと傷ついている子もいますが、自然の中には不要なものは一切なくて、みんな何らかの存在理由があってつながって生きています。だから自分たちも不必要な存在などではなく、一人ひとりが必要不可欠な大事な存在なんだということを感じてもらえればと思っていますし、そういうことをことさらに話さなくても森が好きな大人たちと一緒に森で過ごすことによって、感じているのかもしれませんよね。


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