2014年1月アーカイブ

父親が変われば、世界は変わる[後編]

タイガーマスク基金

──安藤さんが代表を務めているNPO法人「タイガーマスク基金」はどのような団体なのですか?

タイガーマスク基金のミッションは児童養護施設の子どもたちへの支援と子どもへの虐待やDVを減らし子どもを守ることです。それを実現するために社会への啓蒙活動、企業とのタイアップ、関連する法律・政策を改善するための働きかけなど、さまざまな活動に取り組んでいます。代表としていろいろなプロジェクトを企画立案して、推進していくのが僕の役割です。

活動の根っこにあるのは、「施設の子どもたちがかわいそうだからお金をあげる」ではなく、彼らに人生の楽しさや仲間や家族を持つことの意義などを伝えていきたいという、父親のようなマインドがあります。そういう意味ではファザーリング・ジャパン(FJ)とは根本的な部分ではつながっているんです。

──タイガーマスク基金の立ち上げの経緯を教えてください。

FJやパパ's絵本プロジェクトで絵本の読み聞かせライブを行う過程で、児童養護施設にも呼ばれるようになりました。そもそも僕らFJの活動の根底には、子どもを笑顔にしたいという思いがあるので、僕も含めメンバーたちは児童養護施設での活動の中で「自分の子どもだけが幸せな社会など存在しえない」ことに気づき、大人はすべての子どもたちに信頼される存在でなければならないという思いが強くなっていきました。

そんなとき、児童養護施設にランドセルを送る人が続々と現れたというニュースがテレビや新聞で大きく報じられました。いわゆる「タイガーマスク現象」です。その報道を知った漫画『タイガーマスク』の原作者の故・梶原一騎先生の奥様である高森篤子さんが「これはきっと夫の遺志だから、私も何かできることをしたい」と『タイガーマスク』の出版元である講談社に相談したところ、たまたま講談社にFJの会員がいて、FJの活動や僕のことを高森さんに紹介してくれました。すると高森さんが僕に会いたいと言ってくださったのでその日にタイガーマスク基金の事業計画書を持って梶原邸へ。構想を話したところ「ぜひ一緒にやりましょう」と言っていただき、その場で多額の寄付を約束してくださいました。講談社も僕らの理念に賛同してくれて「タイガーマスク」という作品名を活動のために使うことを快諾してくれました。

僕自身もFJの活動を通じて子どもたちの総合的な支援が必要だと感じており、さらに寅年生まれなのでこれは運命だと。それで2011年3月1日に、発起人に高森さん、代表に僕が就任して「タイガーマスク基金」を立ち上げたのです。発足の記者会見をしたところ1週間で500万円ほど寄付金が集まりました。幸先の良いスタートで、これで施設の子どもたちをたくさん支援できるぞと思っていたら、10日後の3月11日に東日本大震災が起こってしまい、個人からの寄付がピタッと止まりました。僕もFJメンバーたちとすぐに被災地に行って支援活動を行ったのですが、タイガーマスク基金の方も気になって仕方がなかった。せっかく立ち上げたのにこのままではまずいと思い、震災支援がひと段落ついてから、企業などを回って協力をお願いしました。

発起人の高森篤子さん(後列中央)を始めとするNPO法人タイガーマスク基金の理事、事務局のメンバー。タイガーマスク基金設立総会にて(2012年7月30日)

タイガーマスク基金では児童養護、虐待根絶のための政策提言など、政府への働きかけも積極的に行っている。写真は「児童の養護と未来を考える議員連盟」の会長を務めている塩崎恭久議員と元少子化相で当時は財務副大臣の小渕優子議員と面会した際に撮影(2013年9月25日)

子どもたちをさまざまな形で支援

──具体的にはどのような活動をしているのですか?

企業とのタイアップでは、コンビニチェーンのセーブオンの協力を得て、タイガーマスクタイアップ商品が1個売れるごとに2円寄付していただくCRMキャンペーンを実施。また、ベビー・キッズ用品などを扱うパパジーノ株式会社にマスク1袋(3枚入り)が売れるごとに10円寄付していただいたり、サントリーコーポレートビジネス株式会社に自動販売機の売り上げから一定額を寄付していただいたり、いろいろな企業や人々の協力のおかげで、1年弱で860万円あまりの寄付金が集まりました。その寄付金で基金設立初年度に児童養護施設を出所する22名の子どもたちに大学の入学金を援助することができました。

ズームアイコン

2011年の「セーブオン」とのキャンペーンにおける寄付金贈呈式

ズームアイコン

売上の一部が基金に寄付される「タイガーマスク基金・募金対応型自動販売機」

また、児童養護施設の職員の方から「中学生以下の子どもたちの多くは携帯電話をもっていないので親や友達など外部の人との連絡は施設内の公衆電話に頼らざるをえず、毎日夕食後には電話の前に行列ができている」という話を聞きました。使っていないテレホンカードを集めて施設へ送る「テレカプロジェクト」を立ち上げて呼びかけたところ、全国から8万枚のテレカが集まり、約170カ所の児童養護施設へ送ることができたんです。

全国から集まったテレカは手紙とともに施設へ送付

──すごい数ですね。やはり施設の子どもたちを支援したいという人はたくさんいるんですね。

中には現金を送ってくださるお年寄りもいました。30代、40代の子育て世代の人たちも経済的に余裕はない中で「力になりたい」という思いはもっています。ある地方在住の父親からは「テレカプロジェクトの話をしたら、大掃除するときに子どもたちも協力してくれてテレカが20枚集まったので送ります」という手紙が送られてきました。こういう手紙を読むとうれしくなるとともに、手紙にあるようなコミュニケーションが起こることはテレカというもの以上の価値があると思えるんです。

社会には児童虐待、育児放棄のような問題があって、実の親と暮らせずに施設に保護されている子どもたちがたくさんいます。この状況を広く社会に訴え、支援を啓発することもタイガーマスク基金の重要なミッションです。そういう意味では、お父さんがなぜテレカが必要なのかを子どもたちに説明してくれることがうれしいのです。

また、もうひとつのメリットとして、親から見放された子どもたちの多くは大人不信になっていますが、そうやって集められたテレカを渡すことで、「世の中にはこういう信頼できる大人たちもいっぱいいるんだよ」と伝えることができますからね。

こういう大人をもっと増やすために、会員や資金を集める方法を常に模索しています。施設の子どもたちのために何かしたいという人にはぜひ協力していただきたいですね。

このサイトからクリックで簡単に支援できる。集まったお金は、子ども虐待防止の啓発活動や施設から大学に進学する子どもたちの支援に活用

<$MTPageSeparator$>

音楽で伝える

児童養護施設で演奏するタイガーBAND。安藤さんはギターを担当

また、啓蒙・啓発活動という意味では昨年(2012年)、FJでも一緒に活動している7人のパパたちと「タイガーBAND」を結成して、音楽で社会的養護下の子どもたちへのサポートの必要性や、子どもへの虐待防止などを訴えています。講演などで「虐待をなくそう」と言葉で伝えることも重要ですが、それよりもメッセージソングという形の音楽ならより多くの人々が興味をもってくれるし、心に届くと思ったんです。児童養護施設でも演奏しているのですが、子どもたちが楽しそうに聞いてくれたり一緒に歌ったりしてくれるとうれしいですね。仲間と一緒に音楽に打ち込む僕らの姿をみて「何か」を感じ取ってくれればなおいいですね。

ズームアイコン

タイガーBANDのメンバー

ズームアイコン

演奏の後、絵本の読み聞かせも

自立の重要性

タイガーマスク基金の活動をしていて強く思うのは「自立」の重要です。自立とは一人暮らしを始めることだけではなくて、自分の「活き場所」を見つけるということ。常に自分が自分らしく活き活きと力を発揮でき、楽しくいられる場所を見つけたときに人は初めて「自立」=「自律」するんじゃないかと僕は思っていて、子どもたちには、そういう「自分だけの活き場所」を見つけてほしいし、見つけられるだけの力を身につけることを支援したり、そのために必要な情報を発信していきたい。施設の子に限らずそういう子どもたちが増えればきっと将来、多様な人材が自分の能力を十分に生かせる豊かな社会になっているはずです。

そのためにはまず子どもの身近にロールモデルとなる大人がたくさんいることが大事で、父親の自立を支援するFJではそのロールモデルを作ることに貢献していると思っているし、こういう部分でもタイガーマスク基金とFJはつながっているわけです。

タイガーマスク基金では定期的に児童養護に関する勉強会やシンポジウムなどを行っている

社会起業大学の講師

──安藤さんはFJやタイガーマスク基金の他にもさまざまな活動をしています。主な活動について教えてください。

NPOを2つ立ち上げたり、さまざまなNPOの理事を務めている経験を買われて社会起業大学の講師をしています。

昨今のプロボノ(専門知識やスキルを生かして社会貢献活動に参加すること)ブームで、「社会起業家になりたい人」「NPOをやりたい人」が増えています。でもそもそも社会起業家とは、「NPOを立ち上げた人」ではなくて、ある社会的な課題に問題意識をもち、その解決に取り組む人のことであって、NPOはその一つの形態にすぎません。そもそも社会起業家は「なろうと思ってなるもの」でもなく、まずは自分が実社会で暮らす中で「これって変じゃない?」「こんな社会はおかしい。自分が変えたい!」という強烈な意志が生れることがまず第一です。それがないのにまるでカタログで商品や企業を選ぶように「何の社会起業家になろうかな?」的な人が多い気がします。

つまり、「社会起業家になること」を目的にするのではなく、「なぜ自分がその社会的な課題を解決したいのか?」をもっと掘り下げて考える必要があるのではないか、と大学では教えています。実際、僕も自分のことを社会起業家だと思ったことなんて一度もありません。このインタビューの前編でもお話しましたが、FJにしても「NPOを作りたかった」わけではなく、僕らの掲げるミッションを達成するための手段として「NPOという形態が最適だ」と思ったからそうしただけ。NPOでも一般の企業でも社会のニーズと合致すればおのずとそれが「ビジネス」になっていくだけなのだと思います。

ただ現状において、生活するための仕事=ライスワークだけで満足せず、「社会貢献活動をしたい」という人が増えているのはとてもいいことだと思います。でも本業との両立のためには時間と体力が必要で、結局そのときにワークライフバランスが必要だという話になります。最近では社会貢献活動のための休暇を設け始めた会社もありますが、コソコソ社会貢献するのではなく、会社での仕事も社会貢献活動も等価値なんだよ、ともっと社会が示してあげる必要があると思いますね。

本の執筆も

──これまで本もたくさん書いていますね。

ここ最近は本を書く仕事も増えましたね。これまで共著も含めると10冊ほど出しています。昨年(2012年)の11月末に出版した最新刊の『父親を嫌いだった僕が笑顔のパパになれた理由』は、僕と父親の関係を軸に、親との関係に苦しんでいて自身の子育てもつらくなっている人のために書きました。幼少期からの実親との関係が自分の子育てに影響を与えているということに気づかず、親に厳しく育てられたから自分の子どもにも「躾」と称して虐待まがいのことをしてしまう親がたくさんいます。親が子どもに対して取る言動は子どもの人生にものすごく大きな影響を与えるのだということに気づいてほしいという思いも込めています。

また、親との関係に苦しんでいて、自分の親を許せないという人もいます。僕も自分の父親のことは他界しても許してない部分はありますしね。「過ぎたことなんだからもういいじゃないか」「そんなに親父さんのことを悪く言うなよ」という人もいますが、そんな簡単なものではない。父は僕の幼少期に母親を毎日あんなにいじめていた、それだけは許せないんです。だから親に同じような感情をもつ人には無理に自分の親を許さないでいいんだよと言いたい。

そしてそのネガティブな感情をどうプラスに変えられるか。自分を含めそうした親との関係で今も苦しむ人に少しでも楽になってほしいという思いでこの本を書いたんです。タイガーマスク基金の仕事を通しても、つたない親子関係の連鎖で、今つらい思いをしている子どもも多いと感じるからです。

単著、共著合わせて著書多数

<$MTPageSeparator$>

仕事の三原則は音楽の三原則

──仕事論についておうかがいしたいのですが、これまで仕事をする上で大事にしてきたものは何ですか?

僕は10代の頃からロックミュージックが大好きで自分でもバンドを組んでギターを弾いたりしていました。生きる上で、また働く上で大事なことの多くはそのロックから学んできたような気がします。

例えば、音楽の三原則である「メロディ」「リズム」「ハーモニー」を仕事にもそのまま当てはめています。まず仕事のテーマやコンセプト=「メロディ」がしっかりしているかどうか。次は、その仕事が時代の流れ=「リズム」に合っているかどうか。3つめはいい仲間と一緒にやれるか=いい「ハーモニー」を奏でられるか。どんな仕事でもこの三原則に当てはめてみて、どれか一つでも欠けていればダサい曲=仕事にしかならないのでやりません。逆に3つそろったらみんながハッピーになるいい仕事ができます。僕の仕事の三原則は音楽の三原則なんですよ。

ワークライフバランスについて

──安藤さんは非常にうまくワークライフバランスを取っていると思うのですが、やはり子どもが生まれたことが大きな転機となっているのでしょうか。

16年前に娘が生まれたとき、「育児というステージ」が来たわけだからそのチャンスを活かしたかった。子育てを自分の人生に取り入れることが自分の人間的な成長につながるんじゃないかなと直感的に感じたんです。それで当時、朝から深夜までとにかく仕事中心の生活だったのを、意識的に子ども・子育てを軸にした働き方に大きくシフトチェンジしました。当時は書店に勤めていて、ちょうど新しい書店を立ち上げる頃に長女が生まれたので、その書店を作る場所も自宅と保育園の両方から自転車で15分以内で通える距離の場所を選びました。勤務先に合わせて生活する場所を選ぶのではなく、自分の生活する場所に合わせて勤務先を決めたのです。共働きの妻も賛成してくれて、夫婦の役割分担もうまくいきました。

また、その後ヘッドハンティングされて移った数社でも入社初日に子どもの写真をデスクに飾り、「早朝の会議と火、木の会議は保育園の送り迎えがあるから出ません」とか「必要だと思えない早出や残業はしません」と宣言しました。上司からの命令でも時間の無駄だと思うことは徹底して断って、そのぶん家事や育児に費やしました。これもサラリーマンの宿命だと仕方なく付き合っていると、自分の時間をどんどん奪われるからです。


──上司はそれをすんなり受け入れてくれたんですか?

上司から小言を言われたりしてやっぱりぶつかることはありました。でもそんなときは「子どもは会社が提供するサービスの未来のユーザーなんだから、男性が子育てすることは将来、会社の利益、社会の安定につながる」と主張したり、なぜこれをやる必要がないかを論理的に説明するとわかってくれました。また、仕事の成果をその都度出していたので、上司もあまり小言めいたことは言ってこなくなりました。自分のやり方を認めさせるには、説得力のある理論武装と成果・実績を出すことは必要不可欠です。この辺のワークライフバランス感覚は実際に子どもをもって働いていくうちに会得していった感じですね。


──子どもの誕生によって、人生における仕事の価値感も変わったということでしょうか。

娘が生まれて家族も仕事もどっちも大事だなと思ったんですよね。そもそも僕は仕事が好きだし、仕事で得られる達成感は他に替えがたい喜びがあるのですが、それだけじゃなくて子育てをしたり、家族というチームをうまく運営していくことの達成感、喜びもそれ以上に大きいということに気づいたんです。

「ワークライフバランス」は好きじゃない

──そういう考えの元、ワークライフバランスを取っていったと。

そもそも僕は「ワークライフバランス」という言葉は実は好きじゃないんです。「なんでワークが先なの? まずライフが先だろ?」って思っちゃう。ライフ(人生)の一部がワーク(働くこと)であり、育児も地域活動も僕の人生にとって重要なリソースなんだと思う。だから子どもが生まれたときに、ワークとライフのバランスを取るのではなく、どっちも人生という名のリュックに詰め込んで背負っちゃった方がうまく歩けるんじゃないか、仕事と育児を天秤にかけるのではなく、両方やってみてその相乗効果を楽しみたいなと思ったんです。だからワークライフ「バランス」じゃなくてワークライフ「シナジー」。別の言い方をすれば、自分の人生という「寄せ鍋」の中に具材として仕事、子育て、介護、趣味などがある。それを全部グツグツ煮た方が味わい深い人生、「ライフ・イズ・ビューティフル」になるんじゃないかなと思ったんです。

<$MTPageSeparator$>

仕事は具材のひとつにしかすぎない

──では安藤さんにとって仕事とは?

仕事は楽しいですが「仕事だけの人生」ではさびしいと思う。仕事は「人生という寄せ鍋」の中のひとつの具材に過ぎません。子どもが小さいうちは育児や地域という具材の方が大きいですが、子どもが成長したら育児にはそれほど手間や時間もかからなくなるので仕事という具材を大きくしていけばいい。こんな感じでその時どきでいろいろな具材の大きさを変えればいいと思っています。


──では何のために働くかと問われれば?

仕事は食い扶持ではありますが、やっぱり自分が自分であるために働いているのでしょうね。仕事と労働は違いますよね。「労働」はお金を得るために指示されたことだけをやる作業。いわゆる「ライスワーク」です。一方、僕にとって「仕事」は志を持って世の中に新しい価値を生むことであり、困っている人を支援する仕組みを作ることだと思っています。僕の場合はこのような「志事」「ライフワーク」に取り組むことで、自分が自分であると感じられるんです。だから40歳過ぎてこれまでお話してきたような活動をしているわけです。

会社と社員は対等、という考え方

──なるほど。仕事論もロックですね。今後の人々の働き方はどうなっていけばいいと思いますか?

多くの人は「会社に雇用されて給料をもらっている」という意識だと思いますが、そうではなくて「自分の能力や時間を企業に一時的に貸してその対価として報酬を得ているのだ」、という気持ちで仕事をすればいいんじゃないかなと思います。そうすればより主体的に仕事に取り組めるし、成果も出ると思うので。

働き方のシステムとしては、例えばオランダのワークシェアリングのように、今は子育てのためにお金よりも時間がほしいという人はフレキシブルに週2回、あるいは時短勤務にして、その人が働けない分をほかの人とシェアリングする。そして育児が一段落したらまたフルタイム組に戻ってバリバリ働く、それが子育て中や介護で時短している人とのシェアリングになる。そういう相乗効果のある仕組みが一般化すれば育児や介護で離職する人も減り、みんながハッピーになれるんじゃないかと思います。

いま政府や企業で盛んに言われる「女性活用」にしても、仕事と育児の両立策だけではなく今後は介護の問題、それにともなうベテラン社員の離職問題も出てくるはずです。だから企業は多様性を考慮した働き方やルール・組織の改革を進めないといけません。

働きやすさの環境や待遇も大事ですが、しかしそれ以前に「働きたい」というモチベーションってそもそも「自分がやっている仕事がおもしろいかどうか」に一番関わっているものです。だから女性社員を活躍させたい、貢献してほしいと願うならば、企業は子育て支援だけじゃなくて、入社した段階から本人がおもしろみを感じる仕事に就かせておけばいいと思うんですよね。つまり、代わりがきくような単純作業しかしていない人の多くは、子どもが生まれると「会社の仕事より子育ての方が私にとっては重要な仕事だ」と思って離職してしまうのだと思う。逆に仕事にやりがいや使命感をもっている女性の多くは、出産してからも特別な事情がない限りは育休取得後に職場復帰しています。僕の妻も「子どもも好きだけど、仕事もしていたい」という考え方でした。あ、男の僕ももちろんそう思ってますよ。

まずは人生における価値順位を決める

──確かに仕事に使命感やおもしろみを感じていればまた仕事に復帰したいと思いますよね。働き方に関して疑問や不満をもっている人に伝えたいことがあればお願いします。

働き方の問題は「会社への不満」にすり替えられることが多いと感じています。どういう条件ならこの会社で働けるかではなく、大事なのは「自分がどういう生き方をしたいのか」、「自分の人生において何が一番大事なのか」ということを常に意識すること。そこが定まっていれば、時間の使い方も自ず考えるようになるので、自分なりの働き方や仕事観・人生観も見えてくるでしょう。そういう男性は子どもが生まれたら育休を取るし、仕事でも結果を出すのだと思います。

やりたいことが盛りだくさん

──「いったい自分はどんな人生を送りたいのか」という基本的なことが定まっていない人の多くが仕事や人生に悩みを抱えているのだと感じます。最後に安藤さんご自身の今後の個人的な夢を教えてください。

特にこれという夢はありません。「夢」って言った時点で叶わなそうな気がするので夢はみないことにしています。夢じゃなくて「ビジョン」や「具体的なプラン」はたくさんありますけどね。

例えばラジオのDJ。昔からのあこがれの仕事で、現在、プライベートで「トークライブ revolutions」というイベントをラジオ番組風に毎月開催しています。また、コミュニティカフェのマスターもやりたいですね。店は学校の前に開いて、昼間は喫茶店です。近所の子どもたちが親から「あの喫茶店にいくと不良になるから行くな」と言われるような店がいい。夜になるとロックバーになって悩めるお父さん、お母さん、教師たちが店に集まってきて酒を酌み交わしつつ彼らの相談に乗るんです。一緒にバンド演奏もできるといいね。あと、図書館の館長もやってみたいですね。本のレファレンスだけでなく、自分で絵本の読み聞かせしたり視聴覚室でコンサートやっちゃう館長。あこがれるなあ。この3つを同時にやらせてくれる県や市があればどこでも喜んで移住しますよ(笑)。

仕事も遊びも、人生そのものを楽しんでいる安藤さん

父親が変われば、世界は変わる[前編]

さまざまな活動に取り組む

──現在取り組んでいる主な活動について教えてください。

メインの活動は2つあります。ひとつは「NPO法人ファザーリング・ジャパン」(以下FJ)。2006年にファウンダーとして立ち上げたのですが、2012年に代表理事を退き、現在は副代表を務めています。もうひとつは2012年に立ち上げた「NPO法人タイガーマスク基金」。FJの代表を退いて、タイガーマスク基金の代表に就任したという形です。

その他は、「パパ's絵本プロジェクト」メンバー、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進チーム顧問、内閣府・男女共同参画推進連携会議委員、子育て応援とうきょう会議実行委員、にっぽん子育て応援団団長、社会起業大学の講師などを務めています。本の執筆も多く、これまで共著も含めると10冊ほど出しています。

FJの主要メンバーとともに2013年10月に出版した『新しいパパの教科書』

──FJといえばイクメンブームを巻き起こしたNPO団体としてつとに有名ですが、FJとはどのような団体なのか、改めて教えてください。

「ファザーリング」とは「父親であることを楽しむ」という意味で、ファザーリング・ジャパンは「よい父親」ではなく「笑っている父親」を増やすことで社会をよりよく変革しようとスタートしたソーシャルプロジェクトです。その実現のため「ファザーリング・スクール(父親学校)」「さんきゅーパパ・プロジェクト(男性の育休取得促進)」「ペンギンパパ・プロジェクト(産後うつ予防)」「パパエイド募金(東日本大震災復興支援)」「フレンチトースト基金(父子家庭支援)」「イクジイ・プロジェクト(祖父・中高年男性のエンパワーメント」などなどさまざまな活動を立ち上げ、取り組んできました。その根底には困っているパパ・ママたちの代弁者となるような活動をしたいという思いがあります。

FJは笑っている父親を増やすため、さまざまなシンポジウムやイベントを開催している

──現在のFJの副代表としての仕事・役割は?

講演中の安藤さん

立ち上げから7年間で活動もいろいろと増えてきましたが、その企画を考えたり、新しい代表含め会員たちを統括しアドバイスするのが現在の僕の主な役割ですね。

また、立ち上げ当初から僕のメインの活動のひとつである、ファザーリングという概念を広め、世の父親の意識を変えるための講演活動は現在も引き続き行っています。現在は全国各地で年間200回ほど行っていますが、イクメンブームの頃は年に300回以上行っていました。この7年間で会ってきたパパの数は2万人以上だと思います。


──やはり講演ではご自身の父親としての体験を元に話すのですか?

もちろんです。大学の先生のように論理だけでは聞く人になかなか響きません。僕自身3人の子どもがいるので、育児が始まったころから今にいたるまでの苦労や喜びをバランスを取りながら話しています。やっぱりウケるのは失敗談ですね。

家事や育児が全然できなかった

──例えばどのような失敗談があるのですか?

僕も最初は家事や育児が全然できなかったんですよ。おむつ交換もおしっこはできるんですがうんちは嫌で、よく妻に「おむつ交換はうんちができて一人前なんだからね!」と叱られていました。当時はうんちのおむつ替えなんて男の仕事じゃないとかなんで俺がやらなきゃいけないんだとどこかで思ってたんですよ。図書館で男がおむつ交換をしなくてもいい理由はないかなと調べたけどそんなものあるわけがない(笑)。やらなくていい理由がないからやるしかなかった。

でもこのおむつ交換は2年半くらい毎日続くわけなので嫌々やってたら楽しくないなと。一晩中、紙おむつを握りしめながらどうやったらこの作業をポジティブにできるかと考えた結果、「子どものうんちというのは単なる排泄物じゃなくて健康のバロメーターとなる貴重な情報だ」と気づいたんです。つまり子どもの命を守るのが父親の使命だとしたら、その健康を測る最先端情報をまず毎朝チェックするのが自分の大切な仕事だと思えるようになったんです。それ以来、うんちのおむつ替えが全く苦ではなくなり、気がついたら一人の子どもあたり2200枚、3人で約7000枚のおむつを替えていたんですよ。


──それは安藤さんならではのアプローチですね。講演では他にどんなことを話すのですか?

もう少し大きな視点からワークライフバランスや男女共同参画についての話をしています。現在、自民党のアベノミクスの戦略のひとつとして「女性活用」が叫ばれていますが、女性に社会で活躍してもらうためには当然家事や育児の負担を減らさないとダメで、そのためには父親の家庭回帰と育児参加が不可欠。だからまずは男性の意識と働き方を変えなければならないわけですが、それを大上段から叫んでも男の凝り固まった意識はなかなか変わりません。そこを僕らは当時生まれた「イクメン」という言葉で攻めたわけです。

子育てはこんなに楽しいことなんだ、今は積極的に子育てをするイクメンな父親がかっこいい時代なんだと盛り上げることで男性の意識と社会の見方を変え、男性が働き方を変えて育児にコミットできたり、育休を取りやすい雰囲気を醸成できれば必然的に職場のワークライフバランスもよくなって、女性も仕事と育児の両立ができて離職せずに能力を発揮できる社会になる。それが男性の伝統的な役割からの解放と、真の女性活用に繋がると思うんです。

でもそもそも僕は「女性活用」という言葉自体、上から目線なので嫌いです。「女性を活用する」って、何か違う。女性は道具じゃないんだから。しかもちゃんと活躍している女性はたくさんいますしね。FJを作るときに、ママたちにこれ以上頑張れって言いたくなかったんですよ。たいへんな思いをして毎日育児や家事をやっているし、働く母親は保育園に朝も晩も送迎に行って仕事も家事もこなしてきた。これまで十分頑張ってきたんだから、そろそろ男性たちの番でしょと思ったわけです。

<$MTPageSeparator$>

父親の変化が社会の変革を生む

こういうことが政治や企業の中の重要な決定をする立場の男性には理解されていないことが多いのですが、彼らの多くも実は家に帰ればひとりの夫であり父親なのでまずは彼ら男性の意識や行動を変えることで家庭や地域が変わり、企業の働き方が、そして社会が変わっていくと考えたのです。僕らがFJを立ち上げて以来ずっと言い続けてきた「父親が変われば、社会は変わる」とはこういうことです。

2013年8月にはFJで田村厚生労働大臣に面会し、育児休業給付金についての意見書を提出。過去には政府に働きかけた結果、それまで母子家庭しか受け取れなかった児童扶養手当を2010年からは父子家庭でも受け取れるように法律が変わった

セミナーや僕の講演に参加する男性、特に奥さんに連れて来られるお父さんたちは最初のうちは「俺はちゃんと家事も育児もやってるのに、なんでこんな話を聞きに来なきゃいけないんだ」というような仏頂面をしていますが、「父親の変化が社会の変革を生む」という話をすると、「そうか、俺が子どものおむつを替えるのは国を変えることに繋がるのか」と腑に落ちてスイッチが入る人は多いです。男性はみんなウルトラマン気質ですからね。「自分が誰かを、世界を救う」というストーリーが好き。まあ3分しかもたないのが玉にキズですが(笑)。

また、リーマンショックや東日本大震災の影響で、仕事の達成感やお金を得る物質的な幸福感よりも「家族の絆」や「地域との関わり」が重視されるようになりました。そういう流れの中で家事・育児や地域参画に関心をもつ人は確実に増えています。「働いて収入を得て、お金さえ家に入れていれば絆ができるわけじゃない。時間を使って子どもと遊んだり家事をしたり奥さんの話を聞いてあげるなどをしないと、本当の家族の絆は築けない」というようなことを僕のサラリーマン時代の実体験を基に伝えています。そこに共感してくれる人は僕の講演後に、「自分もFJに入ってみなさんと一緒に活動したい」と会員になってくれるパパは多い。それが積み重なって、FJを始めたときはたった13人だった会員が、現在は400人にまで増えたんです。

FJ納会にて。子どもたちと絵本やバルーンで遊ぶ

パパの学校も運営

──講演だけではなく、実際に笑っている父親を育成するための活動にはどのようなものがあるのですか?

校長として講義をする安藤さん

パパの笑顔が幸せな家族と明るい社会をつくる出発点だというコンセプトで取り組んでいるのが「ファザーリング・スクール」です。今では数多くの自治体や団体が似たような活動を行っていますが、日本で初めて行ったのが我々でした。

スクールではこれからパパになる予定の人、パパになりたての人に、パパにはなったけど悩んでる男性向けに、笑っている父親になるための心構えやパパとして必要なスキルを教えています。かなり好評で、これまで5000人以上のパパに参加してもらっています。先日始まった都内のあるパパスクールは15人の新米パパに5回シリーズでさまざまなことを教えるのですが、1ヶ月前に予約が埋まってキャンセル待ちが出たほどです。「もっと人数を増やしたら」という声もありますが、少人数にしているのは一人ひとりと向き合ってじっくり丁寧に教えたいのと、受講するパパ同志が地域で仲良くなることが大事だと考えるからです。


──育児や家事のテクニックよりはマインドを変えるのが目的ということでしょうか?

その通りです。パパたちは週末に子どもが喜んでくれる「遊び」のテクニックや子育ての「正解」を求めがちですが、まず「どういう家族にしたいのか」「そのために自分はどういう働き方や家族の一員として行動するか」を考えてもらいます。ただ頭だけで理解していても子育ては楽しくならないので、パパならではの絵本の読み聞かせ法や、バルーンアートの作り方などけっして保健所では教えてくれないエンターテインメント色の強い、子どもと一緒に遊べるアクティビティを教えています。また、ときどき父子キャンプも開催しています。これらのプログラム参加者にはまだ生後2ヶ月の赤ちゃんを一人で連れてくるパパも最近はいます。母性たっぷりにあやしたりおむつを替えたりしていますが、10年前にはこうした風景はみられなかったと僕も感じます。ただ、参加してくるパパの中には笑顔が少ない人も多い。「僕は日々子どもを風呂に入れたりおむつを変えたり、ときには食事を作ったりと家事や育児に協力しているつもりなんですが、妻の望むレベルに達していないみたいなんですよね」と妻への不満を語ります。この辺がまだイクメンの過渡期で、ビギナーパパはまだ自分がやった家事や育児をママに「褒めてもらいたい」と思っていて、いちいち家で自慢していたりするんですよね。

僕もかつてはそうだったのでその気持ちはよくわかります。でもここがそもそもの間違いで、「家事や育児はパパもやって当然なのよ」、と多くのママは思ってるわけです。家事や育児は「手伝い」じゃなくて「シェア」する自分の仕事なのだとマインドセットができていないからママからの評価が低いんだよと言うと「ああ、なるほど」と気がつきます。妻からは言われたくないんだけど、先輩パパからそう言われると妙に納得してくれるわけですよ。

このマインドセットのことを「OSを入れ替える」と僕らは呼んでいます。父親になる前の古いOSから笑っている父親になるためのOSに入れ替えるということです。パパになるときにはこれが何よりも重要なんですが仕事をしながらではなかなか難しい。女性の場合は妊娠したときから主に身体的な変化により母親としての意識が芽生え、育児を通してより確立していきます。つまり自然と母親のOSに入れ替わっていきますが、男性の場合は自身には何も変化がないし、働き方も子どもが生まれてからも変わりませんからね。

僕は16年前に父親になったのですが、最初はやはり苦労しました。OSを完全に入れ替えるまで3年かかり、ようやく肩に力が入らずに家事や育児できるようになったのです。これまでの経験から言っても普通、子どもが生まれて1年未満のパパ、育児より仕事が大事だと思っている男性はまだ古いOSのままの人が多いので根気強く、そして分かりやすく教える必要があるんです。


──教え方のコツは?

「父親になることを楽しもう」と提案しているわけですが、「楽しむとはどういうことか」を説明するのがミソで、参加者には「仕事でも言われたことだけやっていてもつまらないでしょう。自分で企画を考えて企画書を作ってプレゼンして予算取って営業して利益が出るところまでやってみんなが笑顔になるからおもしろいんだよね。育児も同じなんだよ。自分でどういう子どもに育てたいか、どういう家庭を作りたいのか、それらを考えて自分と家族をマネジメントしてください」と話しています。そうすると大抵のパパは「そういう視点ではなかったです。妻に言われたことだけ、あるいは自分がやれるときにやれることしかやってなかったです」と言います。「そんな人は会社でも評価されないでしょう?」と言うと、「確かにその通りです」と肚落ちするわけです。

また、みんなもちろん幸せになりたいと思って結婚して子どもをつくるのですが、それがうまくいかない時代になってきているんだと感じています。夫婦の働いている環境や、妻が働いているか専業主婦か、夫がもっている理想の父親像などその家庭によって事情は違うわけなので、ルールややり方はその家庭で作ればいいのですが、笑っている父親を作るためのメソッドはFJにありますよとパパたちに訴えかけているわけです。言い方を変えれば、僕らは父親になることの答えはないけどメソッドはあると思っていて、それを明文化してプログラム化して実践してるのがFJなんですよ。


──スクールに参加したお父さんたちの反応は?

スクールが終わる頃には、参加したほとんどのパパがOSの入れ替えに成功して子育てを楽しめるようになっています。当初から父親として育児や家事に参加したいというモチベーションはありながらも、具体的に何をしていいかわからない、あるいはママがパパに求めるニーズの違いでケンカになるというケースが多い。でも事前に、子どもが生まれると何が起きるのか、こういうケースではこうすると大変にならないということをあらかじめ教えておけば、「ちょっと失敗しても必要以上に慌てずにすみました」、あるいは「悩んだ時に相談できるパパ友がいて助かった」という声は多いですね。

<$MTPageSeparator$>

支えあってパパとして成長

──仲間ができるというのは大きいですよね。

パパ同志が繋がれる、親子で参加できるイベントも開催している

育児ではいろいろなことが起きます。男性は「自分のやり方が正しい」と固執しがちですが、困ったり悩んだりしたら独りよがりにならず、FJの講師や一緒にスクールに参加しているパパ友に相談すればいい。今はSNSの時代なので情報を共有して多様なアドバイスをもらえます。または家族のお出かけ、花見やピクニックに「一緒に行こうよ」と誘いあえる仲間ができる。一緒に行けばお互いの育児の仕方が見えたりコミュニケーションも増す。そうすると育児が楽しくなって次第に「笑っているパパ」として成長していきます。こういうポジティブなパパコミュニティを僕らは作りたかったわけです。

ママたちからも感謝のメールが多数届いています。「私がいくら言っても夫は全然変わらなかったのにファザーリング・スクールに通い始めて、安藤さんの話を聞いて変わりました」という内容が多いですね。

パパのための料理教室も

FJ立ち上げの経緯

──安藤さんはなぜFJを立ち上げて現在のような活動をしようと思ったのですか?

父親を嫌っていた僕が笑顔のパパになれた理由』(廣済堂出版)では父親との葛藤を軸に安藤さんがFJを立ち上げた理由が詳細に描かれている。これまで語ってこなかったエピソードも満載。嫌いだと思っていた親を乗り越え、そしてわが子に対して「笑顔のパパ」になるために、やさしくも頼もしいメッセージを具体的な方法とともに紹介している

自分自身が父親になってしばらくはうまくいかなかった。でもOSを入れ替えて仕事と家庭を両立できるようになってラクになってきたのでそれを悩める日本の父親たちに伝えつつ一緒に成長したい、というのが主な動機ではあります。しかし、もっと大元にあるのは3年前(2010年)に亡くなった実の父親の存在です。僕の父親は男尊女卑的な思想の持ち主で、母をいつも精神的に追い詰め、言葉の暴力で支配していました。そんな父を間近に見ながら、将来は絶対にこういう夫・父親にだけはなるまいと心に誓っていました。

実はFJの立ち上げメンバーの中にも子どもの頃に父親から虐待を受けていた者や、父親が家を出て行った者など、自分の父親との葛藤を抱えているメンバーがたくさんいます。FJを立ち上げるときに、「自分たちの子どもに俺たちが味わったような思いをさせてはならない。この負の連鎖を俺たちで止めよう。世の中に"笑っている父親"を増やそう」と話し合ったんです。


──そうだったんですか。安藤さんの過去のインタビューや著作を読みましたがこういったことは書かれてなかったので驚きました。

当初はより多くのパパに参加してもらうために、ポップかつライトに活動したかった。こういう重い話をすると当事者団体みたいになって多くの人が入ってこれないと思っていたので、これまであまり語ってきませんでした。でももう会員もだいぶ増えたし、3年前に父親が亡くなったのでその禁を解いたわけです。このあたりの詳しい顛末は昨年(2013年)11月末に出版した『父親を嫌っていた僕が笑顔のパパになれた理由』という本に書いています。

娘の誕生でOSを入れ替えた

──反面教師にして自分は絶対にああはならないぞと思う一方で、もしかしたら自分も父親と同じことをしてしまうんじゃないかという恐れはないですか?

ありますよ。ご存知のように、成育環境は子どもに多大な影響を及ぼします。小さい頃に親から虐待を受けた子どもは、自身が親になったとき、子どもを虐待してしまうケースが多いと言われています。いわゆる「虐待の連鎖」です。

これもこれまであまり話していなかったのですが、僕は1度結婚に失敗しているんですよ。25歳の時に結婚して4年で離婚しました。子どもができなかったのでよかったのですが、当時はまだ家族とは何か、夫婦とは何かということがよくわかっていませんでした。とても幸福とはいえない両親の姿しか見ていないので...いや、それは言い訳にしかならないですね。

2回目の結婚は35歳のときで、妻のお腹の中にいるのが女の子だとわかったとき、父親になるということについて考えました。そのとき脳裏にあったのが自分の父親のことです。ああいう父親にならないためにどうすればいいか考えた結果、無理矢理にでも自分は父親になるんだというスイッチを入れようと思いました。父親のOSにアップデートしようと。でも生まれてくる子が女の子らしい。どうすればいいかいろいろ考えたのですが、当時書店の店長だったので絵本を100冊買って娘が1歳の頃から毎晩読み聞かせました。僕は父親に絵本など読んでもらった記憶はない。つまりこの絵本読み聞かせという行為を通じてまずはパパOSをアップデートできたのです。出来事としてはこれがFJ誕生の原点です。

パパ's絵本プロジェクト

──そこからFJの立ち上げにどうつながるのですか?

娘が生まれて6年の間に、Web書店をオープンさせたり、ネット書店「bk1」やNTTドコモの電子書籍事業の立ち上げに事業リーダーとして関わったりしました。その間も家では毎日絵本の読み聞かせを行っており、ある日、仕事で知り合った2人のパパ友と一緒に居酒屋で自分の好きな絵本やそれぞれの育児論について熱く語り合いました。そしたら予想以上に盛り上がって、草野球チームやバンドを組むようなノリで「この3人で絵本の読み聞かせチームを作ってライブをやろうぜ」ということになったんです。チーム名は「パパ's絵本プロジェクト」と名づけました。そのうちプロのミュージシャンも加わり、ただ読むだけでなく絵本に曲をつけて、ギターやカホンなどの楽器を演奏しながら歌うというライブスタイルへと変わっていきました。

2003年に日本橋の丸善で初めて絵本の読み聞かせライブを開催したときには約40人の親子が参加してくれました。その様子が全国紙で報じられたのですが、予想以上の反響があり、全国の図書館や自治体や書店などから読み聞かせの依頼が来て、週末は「パパの出張絵本ライブ」で全国を回るようになりました。これがFJの前身ですね。この活動は現在でも続けていて、昨年(2013年)10周年を迎えたので、「パパ'sがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!~ パパ's絵本プロジェクト☆マジカル全国ツアー2013」と題して全国ツアーを展開中です。

現在も各地で絵本の読み聞かせライブを行っている

<$MTPageSeparator$>

笑わない親子

「パパの出張絵本ライブ」はどこに行っても大盛り上がりで参加してくれた親子は笑って楽しんでくれました。でもどこの会場でも1人か2人くらいは笑わない子どもがいて、その後ろには笑わないパパやママがいることに気づいたんです。子どもは「笑っていいのかな」というような眼差しでパパやママを見上げるけど、無表情のまま。そんな子どもの様子を見て、たぶんこのパパやママは家でも笑っていないのだろうなと思いました。

また、絵本ライブの後、ママに話を聞くと、夫は仕事で夜遅くまで帰ってこない、子育てにちっとも協力してくれないからつらい。だから家の中でもこういう場所に来ても心から笑えないと。両親が家で笑っていないから子どもが笑い方を知らないんだなと思うと同時に子どもはつらいだろうなと思いました。僕自身の少年時代を思い出し、その気持は痛いほどよくわかりました。こういうことがいろいろとわかってきて、笑ってるパパを増やすための活動をしたいと思うようになったのです。そうすることでママと子どもも笑えるようになるはずだと。

決定的だったのは2006年6月に起きた、奈良の高校生による自宅放火事件です。この事件で放火した高校生の母親と弟、妹が焼死してしまいました。高校生がこんな悲惨な事件を起こした理由は父親による虐待だという事実を知って、これは今すぐに行動を起こさなきゃと思い、その日の晩にFJの事業企画書を書き上げて、翌日から「パパ's絵本プロジェクト」のメンバー含め仕事で知り合った「父親」の知人に会って、FJの事業理念や活動内容を話したら、13人のパパ・ママが賛同してくれました。このコアメンバーとともに2006年11月に「父親が変われば、家族が変わる。地域が変わる。企業が変わる。そして、社会が変わる」をスローガンに「ファザーリング・ジャパン」を立ち上げたというわけです。


──なるほど。そういう経緯だったのですね。でも当時、安藤さんは会社員だったんですよね。FJ1本に絞った経緯は?

当時は楽天で働いていました。楽天ブックスを軌道に乗せてほしいと請われて2004年に入社したのですが、2年半で売り上げも伸びて軌道に乗せることができたので、その頃僕の中ではひとつ区切りができていました。何かを新しく立ち上げたり、立て直したりする仕事が僕は好きなので、正直あの頃はやりがいやおもしろみをさほど感じられなくなっていたのかもしれません。

そんな状況でしばらくは楽天の仕事とFJの活動を平行して行っていたのですが、2007年4月、FJはNPO法人格を取得し、僕が代表理事に就任しました。当時は「子育てパパ力(ぢから)検定」も実施して話題になっていたし、FJの仕事が増え、おもしろくなってきたので、2007年10月に思い切って楽天を退職してFJ1本で行くことに決めたんです。

年収は3分の1に激減

──楽天という大きな会社を辞めることに不安はなかったのですか?

会社で偉くなる、出世するというモチベーションはまったくなかったし、僕は新しいことを手掛けるのが好きなんだよね。その楽しさは何ものにも代えがたい。お金はもちろんほしいけど、まあ家族が不自由なく暮らしていける分だけ稼げればいいやと考えるタイプ。加えて我が家は妻も働いており、3年くらいは何とかなるだろうと思っていた。実際、辞めて年収は3分の1に減ったけど事業がうまくいく自信はあったので、不安はあったけどまた元の水準に戻れると思ってたし、3年で年収は元通りになりました。妻にもそう言って説得しました。

当時、父親支援を事業として行っている団体・会社は存在してなかったので、マーケットのニーズからして事業の成功と先行者利益があとからついて来ることは間違いないと思ってました。これはこれまでネット書店など新しいビジネスをいくつか手がけてきたビジネスマンとしてのカンです。だから転職してNPOを始めることが僕にとってはリスクではなくチャンスだったんですね。


──そういう常人ではなかなかできない発想はこれまでの経験があったからこそということなんですね。奥さんは反対しなかったのですか?

僕が当時の仕事にあまり魅力を感じなくなっていたのを見抜いていて、転職を口にしたとき「よくもったわね」と逆に労ってくれました。実は当時、妻のお腹の中には3人目の子どもがいたのですが、会社を辞めてFJの活動に集中することに賛同してくれました。「あなたはやりたいことをしているときが一番輝いている。その姿を子どもたちにも見せてあげて」と。改めていいカミさんだなと思いましたね。

NPOにした理由

──本当にいい奥さんですね。ところで、FJはなぜ株式会社ではなくNPOにしたのですか?

僕らのミッションは「男性のライフスタイル革命」。それによって社会を変革するというものです。僕の著書を読んだりセミナーに来てくれる男性は既にOKで、問題なのは幼い子どもがいるのに毎日仕事漬けで帰って来なかったり、週末も仕事絡みか自分の趣味に時間を使って家族と向き合っていない、いわゆるアンテナが立っていないお父さんたちです。そういうパパたちにメッセージを届けるには講演だけでは無理で、マスメディアをうまく巻き込む必要がある。事業的には株式会社で運営してもよかったのですが、共感者を増やしたり、活動の風景をメディアが取材に来る先としては企業よりもNPOだと思った。TVや新聞、雑誌に載った情報が彼らに届くんです。そして「俺、父親として笑っているかな?」と考えてほしかったんです。つまりNPOがやりたかったのではなく、「笑っている父親を増やす」というミッションを達成するための手段としてNPOという顔が有効だったので、そうしたというだけのことです。

右から副代表の安藤さん、新代表の吉田大樹さん、副代表の小崎恭弘さん、事務局長の徳倉康之さん

──このところの社会起業ブームで急激にNPOが増えましたが、運営者側がちゃんと生活できるほどの収入を得られているNPOは数えるほどしかないと聞いています。その点、FJの経営状況はどうなんですか?

現在は経営的にはちょっと厳しいですね。スタッフが増えて人件費が増えたし、イクメンブームもピークは過ぎましたからね。イクメンだけでは事業収入は伸びないのでさまざまなプロジェクトを立ち上げているわけです。 僕らはボランティアをしているわけではないので、スタッフが食べていける仕組みを考えないと活動を継続していけないし、何より優秀な人材が入ってこない。そこが現在のひとつの問題点で、講演収入だけでなくうまく回していける仕組みをみんなで常に考えています。


──FJで今後取り組んでいきたい活動はありますか?

僕の子どもたちも娘が高1、息子が中1に成長しました。子どもがいる以上親としての悩みは尽きないのですが、やはり子どもが3、4歳の頃とは違うわけです。僕と同じように我が子の思春期問題を抱えてる親はたくさんいると思うので、来期は難しい年頃の子どもをもつ親のための「思春期ジュニアを持つパパのためのプロジェクト」をやりたいと考えています。この他にもいろいろアイディアはありますよ。

家事はブレインワークの時間

──これまでFJのさまざまなプロジェクトは安藤さんが中心になって生み出してきたということですが、よくそんなに次から次へとアイディアを思いつきますね。

講演などで全国を回って、いろいろなお父さんやお母さん、子どもに会って話を聞くと今まで見えていなかった課題・問題が見えてきて、それがヒントになります。

また、新しい事業は家事をしているときに結構思いつくんですよ。事実、今まで成功したプロジェクトは皿を洗っているときや洗濯物を干しているときにアイデアが浮かびました。家事をしているときに動いているのは手だけなので何かを考えるには最適なんですよ。パパの家事労働は苦役ではなく、実は有効なブレインワークの時間なんです。


──FJの代表から退いた理由は?

FJを創設して5年間、さまざまな活動に取り組んだことで、イクメンのムーヴメントも起こせたし、父親の育児参画の必要性も社会的にある程度認知されました。父親支援事業も一定の評価をいただけ、自治体・企業との協働も増えました。そういう流れの中でさらに我々の活動を理解して推進するには、より若い当事者世代が代表を務めた方がベターだと判断しました。「パパよ、育休を取ろう!」と呼びかける人はその権利がある世代の方が説得力があると思うのです。

またこの間、僕がメディアに多数出演したせいで、FJ=安藤というイメージが定着してしまいましたが、ひとりのカリスマ性だけでNPOの存続や多様性を維持するのは無理があると思ったんです。そもそもどんな組織でもそうですが、同じ人がトップに長くいてもあまりいいことはないんですよ。組織が硬直化、マンネリ化するし、ネタが尽きちゃいますからね。だから若いスタッフにこれからはお前たちの考えでFJを運営していけと、2012年に35歳の吉田パパに代表理事になってもらって、僕はタイガーマスク基金の代表に就任したんです。


インタビュー後編はこちら

このアーカイブについて

このページには、2014年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年12月です。

次のアーカイブは2014年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。