2015年7月アーカイブ

仕事と子育て、両立の秘訣[後編]

社会人1年目で妊娠、退職

──端羽さんのこれまでのキャリアについて教えてください。大学を卒業後はどのような会社に入社したのですか?

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大学卒業後、外資系証券会社の投資銀行部門に入社しました。父が熊本の地銀に勤めていて、金融は産業を育てる社会のインフラだと話していたのを聞いて金融に興味をもったからです。また、普通の銀行よりも新しい金融の分野にチャレンジできそうな気がしたので投資銀行を選びました。当時付き合っていた彼も同様に忙しい会社への就職が決まっていたので、お互いかなり忙しくなるだろうから結婚しておこうかと大学卒業直前に結婚しました。その予想は大当たりで、1年目から毎日朝から深夜2時3時頃まで働いて、0時に帰宅すれば今日は早かったねと言われるほどの激務でした。


──どんな仕事をしていたのですか?

例えば外資系企業の日本法人が日本の証券取引所に上場する際の資料を英語で作成したりしていました。その他にもさまざまな会計資料を作る上でのたたき台の作成なども。自分が手がける作業が目に見える形になる仕事だったので、涙が出るほど忙しかったのですがやりがいも大きかったですね。入社1年目の新人にいろんな仕事を任せてもらえていろいろ勉強になったしありがたかったです。なにより外資系証券会社で学んだのが根性。当時の先輩たちは「誰でも99%まではできる。最後の1%までやりきることができるのは限られた人間だけだ。俺たちはその最後の1%までやりきって100%目指せる人間なんだ!」とよく熱く語っていました。みなさんすごく熱くて仕事に対するコミットメントがすごい人たちばかりだったので、そういう環境が働くことの意識の基準を上げてくれたと思っていて、その後の人生にもかなり活きました。

でも、就職して半年ほどで妊娠したので2002年3月に外資系証券会社を退社しました。辞めるときは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。会社は妊娠したからといって辞めなくてもいいんじゃないか、産休と育休を利用して落ち着いてから戻ってくればいいじゃないかと言ってくれてありがたかったのですが、そうはいっても妊娠したらそれ以前のように深夜2時3時までバリバリ働くことなんて到底できません。配慮してもらった分、だれかにしわ寄せがいき、迷惑をかけることになります。しかも実績も何もない1年目だったので余計に会社に迷惑をかけたという気持ちの方が強かったので、産休や育休を利用させてもらうだけの資格が私にはないと思っていたんです。当時は若気の至りで負い目を感じてまで働きたくないと思い、会社からのありがたい申し出をお断りして退職したんです。

出産、資格取得、海外へ

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退職後、2002年6月に娘を出産した後、11月にUSCPA(米国公認会計士)の資格試験を受けました。出産後も働く気はあったので、何か武器を身につけておきたいと考えたからです。当時は乳飲み子を抱えていたのでいきなりフルタイムで働くというよりは資格をもったスーパー派遣みたいなものを目指そうと。何の資格がいいかなと検討したとき、外資系証券会社での仕事を通じて会計と英語の知識とスキルは多少、身につけられていたので、その2つがあれば仕事には困らないだろうとUSCPAを取ろうと思ったんです。

しかし、最初はスーパー派遣として働こうかと思っていたのですが、やっぱりこの先何があるかわからないので正社員としてフルタイムで働こうと思い直して、USCPAの資格試験の勉強と同時並行で求人サイトに登録するなど就職活動を開始しました。するとエージェントから外資系化粧品会社の経営管理の仕事を紹介されて、USCPAの合格通知が届く前の2003年3月、子どもが9ヶ月のときに入社しました。入社動機は、ブランドの予算を作って予実を管理するという仕事がおもしろそうと思ったことが1つ。もう1つは妊娠していたときお腹が大きいとファッションは楽しめないけど、お化粧だけは楽しめたので、初めてそのとき化粧品に興味をもったからです。外資系化粧品会社での仕事は会計の知識を活かせたこともあり、とても楽しく、充実していました。でも働き始めて1年ほどで夫が海外にMBA留学したいと会社を辞めて家で勉強し始めたので、私が外で働いて、夫が主夫みたいな感じになりました。

その後、夫がボストンにある大学への留学が決まったので外資系化粧品会社を辞め、2004年8月に一家でボストンに渡りました。夫の留学期間は3年だったので、1年は主婦をして残りの2年は私もビジネススクールで勉強しようと2005年9月にマサチューセッツ工科大学(MIT)のスローンスクール(MBA)に入学しました。当時子どもは3歳だったのですが、大学付属の保育園があってそこにあずけていました。子連れで入学している人はアメリカ人含めてもほとんどいなかったですね(笑)。

MITでMBA

──なぜ端羽さんもビジネススクールに通いたいと思ったのですか?

私はそもそも新しいものを生み出す仕事がしたいという思いが強く、当時は起業したいと思っていて、そのために勉強したいなと。あと、一国一城の主になりたいという気持ちも強かったのですが、当時幼い子どもがいてすでに2社を経験しているので、これから先どこかの会社に就職しても組織の中で出世してトップに立つことが想像できなくなっていました。1社目で人に負い目を感じながら生きていきたくないなと強烈に思ったので、ならば自分で事業を作って起業してまさに自分の城を作り、大きくしていく方をやりたいと思ったんです。


──1社目を1年目で妊娠して辞めたことの衝撃がかなり大きかったんですね。

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どの企業も新卒採用には結構なお金をかけますよね。それなのに入社半年で妊娠して、午前0時に帰宅できれば早いねといわれるような職場で自分だけ早く帰ることに申し訳なさを感じていました。その負い目に耐え切れず1年で辞めてしまったことで同僚や先輩、上司に多大な迷惑をかけてしまったという強い罪悪感も感じていました。だから起業したかったというより、もう会社員になりたくない、雇われる人になりたくないという思いの方が強かったのかもしれません。

それでMBAに提出するエッセーにも「将来は自分でビジネスをやりたい」と書いたんですが、入ってみると自分の甘さを痛感しました。というのは、当時ボストンはバイオベンチャーブームで、再生医療など最先端の分野で起業プランを練っている超優秀な人たちがたくさんいて、彼らを間近で見ていると私レベルが起業したいというのはおこがましいなと思ったんです。私は儲かる事業を見極める目も金融の知識に関してもまだまだ中途半端だったので、まずはそれらの分野でしっかり腕を磨いてから起業しようと考え直したんです。


──MITに留学してよかったと思うことは?

学生のときにアメリカとイギリスに2回短期留学したことはあるのですが、ちゃんと留学したのはこのときが初めてでした。先ほどの話とも関連するのですが、周りの超優秀な同級生とこれからやりたいこと、人生プラン、キャリア目標などについてたくさん議論したことがものすごくよかったです。子どもを産んで会社を辞めて主婦に戻ったことで1回後方に下がったような気がしてしまっていたのですが、もう1度自分が働く最前線に立てると思えたんです。野心が戻ってきたというか気合いが入りましたね。

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離婚、帰国、再就職

──MBA修了後はどうしたのですか?

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ボストンにいる頃、もう1つ大きなライフイベントがありました。夫との離婚です。当時子どもがまだ5歳だったので、2007年6月に帰国して翌月にはこれまでの経験で身につけた会計と金融の両方のスキルが活かせる投資ファンド会社に就職しました。そこでは現状のままだと成長が望めない会社を買収して、戦略を練って再成長させ、価値が上ったところで売却し、より高いリターンを得るという仕事をしていました。お金を他の金融機関からたくさん借りて会社に投資するわけですが、その会社の事業がこれから伸びるかどうかを一所懸命調べて勉強し、たくさんの法律家や会計士さんたちと一つの大きな会社を経営するような仕事だったのですごくおもしろかったですね。このときの経験は、実際に経営者になった今にかなり活きてますし、投資を受ける側として、当時の経営者の気持ちが痛いほどよくわかります(笑)。


──そんなに仕事が楽しかったのになぜそのまま勤務し続けなかったのですか?

理由はいくつかあります。1つは、買収される会社にとってみれば一生に一度あるかないかというレベルの大きな決断をしてもらうわけですが、そのときまだ35歳くらいの女性の私がお話しても説得力に欠けるのが自分でもわかっていました。職場の上司からも「どうすれば君がもっと営業成績を伸ばせるようになるかを考えたらどうか」というようなことを言われていました。決定的だったのは、1年に1度年末に社長と一緒に1年を振り返るイヤーエンドレビューというセッションです。2011年末のセッションで社長から「君はよく頑張っている。分析して実務をこなす仕事はちゃんとできている。でも、新しい大きな買収案件を取ってくるとかチームを育てるといったもう一段上の立場を目指さなければいけない」と、とうとうと諭されました。そのとき社内で最年少という立場が長く続き、経験不足も痛感していて、この先この会社で私自身がさらに上のステージに登ることがイメージできませんでした。そこで「一段上のポジションに行ける気がしません。このまま社内にいるより逃げ場がない場所に自分を追い込んでプレッシャーをかけた方がいいと思う。背中を押されたと思って会社を辞めて、自分で起業します」とタンカを切ってしまったんです。でもこのときはまだどんなビジネスをやるか決めていませんでした。とにかくキャリアの壁を打ち破りたかったんです。

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もう1つの大きな理由はちょうどその頃、娘から「中学受験をしたい」と相談されたことです。子育てを手伝ってくれていた姪が1年間イタリアに留学に行ってしまい子育てを頼めるあてがなくなってしまった。さすがに1人で投資ファンドの仕事をしながら娘の受験を応援するのは無理だと思い、これもいいタイミングだと思ったんです。

でもすごく温かい社長で「本当にそれでいいのか? しばらく冷静になってちゃんと考えなさい」と言ってくれて、私の決意が変わらないことを伝えた後もきりのいいタイミングまで会社においてくれました。しかも今でもいろんな方を紹介してくれるんです。だから当社のメンバーがうちに転職してくるときには「辞めるときは必ず今の職場に応援してもらえる形で辞めておいで」と言っています。

起業

──起業はどのタイミングでしたのですか?

社長に辞意を伝えたのが2011年の年末で、退職したのが2012年7月なのですが、その前の2012年3月に会社だけは作って、投資ファンドの仕事をしながらビジネスモデルを考えていました。


──どうしてビザスクのようなサービスをやろうと思ったのですか?

まずは、娘が中学受験の準備を始めるタイミングだったのでできるだけ家で仕事ができるビジネスをやりたいと思い、どういう方法があるかまずはネットで検索してみました。その過程でクラウドソーシングのサービスを見つけたのですが、初めてその仕組みを知ったときは衝撃を受けましたね。デザイナーやエンジニアが全然知らない人からインターネットでどんどん仕事を取っていけることを知り、これは今までにない、すごく新しい働き方だと思いました。でも世の中の大半は私のようなビジネス総合職のような人たちで、職人系の人たちのように「これが自分のスキルです」とはなかなか言い難いけれど、こんな私たちだってこれまで得た知識でできることは結構あるはず。そう思ったのがビザスクにつながる最初の原点かもしれません。

もうひとつは、自分のキャリアを振り返り、周りの友人たちの状況を考えたとき、当時私は35歳で、友人たちは駆け込み出産ラッシュでした。みんな10年くらい仕事をしているので働くことにはそこそこ満足し、子どもを作ると、優秀な人ほど家庭に入っていました。それはもったいないなと思いつつ、でも私自身も専業主婦だった時期があるのでそうしたい気持ちもわかる。でも30代半ばでいったん仕事から離れると40代でもう一度会社に就職するのはけっこう難しいだろうなということもわかっていました。そういう彼女たちが自身の持っている知識や経験を活かせるサービスが作れないかなと考えるようになったんです。同時に、投資ファンドでの経験から会社が成長するには人や情報が必要不可欠だと痛感していたので、個人の知識を会社の事業に生かすサービスって社会的なニーズがあるんじゃないかとも考え、その線でアイディアを100個考えて手帳に書き出しました。

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同時にいろいろ調べる中で、アメリカに個人が自分の経験を生かして商品を勧めてECとして販売するというWebサービスを発見したとき、私のやりたいこととかなり近いと思いました。こういうサービスを日本でも作りたいと企画書を書いたのですが、これで本当にいけるのかわかりません。私の周りには起業している人が少なかったのでつてをたどって、企画書をもっていろんな人にアドバイスをもらいに行きました。その中の一人、紹介してもらったある著名な経営者にプレゼンしたところ、1時間めちゃめちゃダメ出しされてコテンパンに叩きのめされました。重要なことを何も考えていない、この企画書は数字遊びでしかない、成功確率0%とか2000%失敗すると言われて(笑)。でもそれがすごくありがたかったのです。

人生を変えた1時間

──全否定されたのにありがたかったとはどういうことですか?

彼は実際に自分で物販サービスの会社を作って運営していたからこそ物販のたいへんさが誰よりもわかっていた。だからこそ私の事業計画のダメな所を容赦なく、的確に指摘できた。そのとき、やっぱりコンサルタントではなく、実際に自分でその事業を実践したことのある人の言葉だからこそ説得力がものすごく強いと痛感し、とてもありがいと思った。今、私、めちゃくちゃ役に立ったとまさに身をもって体験して、これは絶対に社会的なニーズもあるはずだと確信したんです。それでこのアドバイス自体をマッチングするサービス、つまりアドバイスがほしい人と経験者のアドバイスをつなぐサービスはどうでしょうとその場で彼に言ったら、似たようなサービスがアメリカにあると。そこでいったん帰って調べてみることにしました。本当に私の人生を変える、目からうろこの1時間でした。

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「0から1%に」

──まさに今のビザスクのサービスそのものですね。

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そうなんですよ。ただ、彼にたどり着くまでに2カ月くらいかかりました。もっと早く彼に出会えていれば、私は最初のECのアイデアをもっと早く捨てて違うことを考えられたのにと思うと時間がもったいなかったなと。これもビザスクのようなサービスがビジネスとして成り立つと思った大きな要因です。自分で彼のような人を簡単に探せていればもっと早くこのサービスを発想できていたはずですからね。

それでその人に教えていただいたアメリカのサービスを調べてみると、一握りの超優秀な専門家と、高額な料金を払える一部の会社をつなぐサービスでした。アイデアや助言など形のないサービスに高額のお金を払う習慣が一般に根付いていない日本では成り立たないと思い、一部の有名な専門家だけでなくその分野で実務経験のあるすべての人と、その分野の情報、アドバイスがほしいすべての企業や個人をつなぐサービスを考え、有料ですが、中小零細企業や個人でも気軽に利用できるように料金を安めに設定しました。それからもう一度企画書を作ってその人のところにもって行ったら「成功確率が0から1%になったかな」と(笑)。ですので、ビザスクが生まれたのはその人のおかげなんです。以降、彼は私のメンターのような感じで今でもたまに会いにいってお話をうかがっています。

覚悟を決めた瞬間

──そこからどうやって会社とサービスを作っていったのですか?

Webサービスを作ろうにも、どうやって作ればいいか皆目わからなかったので、今度は知り合いのつてをたどってWebエンジニアを紹介してもらいました。当時は別の会社に勤めていたのですが、私と会う日にたまたま同じエレベーターに乗った同僚のエンジニアも1人連れてきてくれて、ランチを食べながらビザスクのプランを話しました。そうしたらありがたいことに、週末に手伝うくらいでいいならノーギャラでシステムを作りますよと言ってくれて。その2人は今、当社の社員になっています。私と話したのが運の尽きですね(笑)。

エンジニアとの創業時合宿の模様

エンジニアとの創業時合宿の模様

彼らの協力のおかげで2012年12月にベータ版ができました。まずは知り合いだけのクローズドで運営しようと思っていたのですが、認証のかけ方を知らなかったのでオープンになっていて、知らない間に少しずつユーザーさんがつき始めたんです(笑)。そしたら1人のエンジニアが、このサービスはおもしろいから今働いている会社を辞めてこっちでフルタイムで働いてもいいかもと言ってくれました。

でも社員を雇えるだけのお金はなかったので、2013年5月くらいから資金調達のためベンチャーキャピタルを回り始めたのですが、「アイデアもいいしコンセプトもおもしろい。でも投資は難しい」と断られました。理由を聞くと「気合いが足りないから」と。当時はまだエンジニアが別の会社の社員として勤務しながらうちの仕事を手伝ってくれている状態だったので、「彼を本気であなたの会社で働こうと思わせられないのはあなたのリーダーシップが足りないからだ」「今のままではあなたのチームが成功するとは思えない」とズバリ言われてすごく悔しい思いをしたのと同時に、その瞬間、気合いが入りました。

そこからお金を稼げそうな情報を必死で集め始めたら経産省の「多様な人活支援サービス創出事業」を知り、企画書を提出したら2013年7月に採用され、支援金をもらえることになりました。それで1人のエンジニアは8月からうちで正社員としてフルタイムで働くことを決意してくれて、ビザスクも10月末に正式オープンにこぎつけました。12月にはもう1人のエンジニアもフルタイム勤務になりました。振り返ればあのときのベンチャーキャピタルの方の「気合いが足りない」という言葉が大きなターニングポイントになりましたね。

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──サービスと社名の由来は?

最初のサービス名は「walkntalk」だったんですよ。「歩きながら話そう」という意味で、気軽に人の話を聞きに行けたらいいねという思いを込めたのですが、誰もウォークントークって正しく読んでくれなかったんです(笑)。それで「walkntalk」はあきらめて、「ビジョン(vision)をアスク(ask)する」サービスなので2つの言葉をくっつけて「visasQ」ビザスクにしました。アドバイザーは細かいことだけではなく、いろんな経験を通じて得たビジョン、意見までを答えられるというサービスを目指すという思いを込めました。最後の文字「Q」はクエスチョンのQです。

社員を雇って起業した理由

──そもそもどうしてひとりではなく、社員を雇って起業しようと思ったのですか? 端羽さんのキャリアがあれば1人でも十分稼げるし、社員を雇ったら責任とリスクが生じますよね。

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確かに前職が特殊な仕事だったので、フリーランスとしても私と娘が生活できる分は稼げるとは思っていました。ただやはり1人ではやれることも社会に対するインパクトも限界があるので起業して仲間と一緒にやりたいと思ったんです。また、うちのエンジニアは優秀なのでうちの仕事がダメになってもいつでも次の仕事が見つかると思っていますが、彼らは収入が下がってもうちに来てくれたし、私のやりたいことのために時間を費やしてくれた。このプロジェクトの成否いかんで彼らのその後の人生は大きく変わる。彼らにも家族はいますからね。だからこのプロジェクトは絶対に成功させなければならないと覚悟を決めたんです。


──起業して新しいビジネスを生み出す決断をするとき、もしうまくいなかったらどうしようという不安はなかったのですか?

それは全然考えなかったですね。起業にチャレンジするだけでも私の価値が今よりも上がるに違いないと思っていたので。MITに留学したときと同じ感覚ですよ。海外留学は会社を辞めて、高い授業料を払って行くわけですが、起業はただでいろんな手段を使ってプロジェクトに挑めます。何かリスクがあるというわけではないですよね。万が一うまくいかなければ何か他に仕事を見つければいいだけですし。もちろん私はこのプロジェクトがうまくいくはずだと確信していたので、どっちに転んでもアップサイドしかないという感じでした(笑)。

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謙虚に、一所懸命

ビザスクのスタッフのみなさんと

ビザスクのスタッフのみなさんと

──夢や目標はいつも自分には絶対に達成できると信じて挑戦しているのですか?

大抵のことは努力すれば叶うとは思いますが、自分が絶対に実現、達成できると思っているわけではありません。そもそも私が立ち上げたビザスクというWebサービスはいろんな人にアドバイスをもらってやりたいことを実現させようとか問題を解決しようというのがコンセプトなので。自分自身も一所懸命努力して知恵を振り絞って、それでも足りない部分はそれをもっている人から謙虚に学ばせていただきたいと思っています。すごく努力したら、きっとより遠くまで到達できるはずだし、それは誰にでもできうることだと思います。


──すごく前向きですね。落ち込むこともないのですか?

もちろん私も人間なので失敗したり嫌なことがあれば落ち込むことも娘に愚痴ることもありますが、あんまり引きずらないですね。そもそも落ち込んでも何にもいいことないですからね。1日落ち込むと時間をひどく無駄にしたような気がして。これはよくメンバーにも話すんですが、失敗は目標設定が間違っていたか、努力のやり方が間違っていたか、努力の量が足りなかったかのどれかが原因で起こるもので、全部改善できるから落ち込む必要なんてない。間違っていたところを変えればいいだけなんですよね。だからあんまり落ち込まないし、気持ちを切り替える必要もあまりないんです。あとは、何事もこうあらねばならないとは極力決めないようにしています。それも落ち込まない理由の1つかもしれないですね。

今後の女性の働き方

──起業家の立場として、これから女性の働き方がどう変わるか、感じていることがあれば教えてください。

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最近、特に女性活用の話が活発化しているのは肌で感じています。女性が結婚や出産などで一度会社を辞めてもまた戻ってきやすくなる社会になることが重要だと思っているのですが、今は1回会社から出たら終わりなので、会社も個人もお互いにすごく気を遣わないといけない。それが会社も個人も不幸にしていると思います。

また、いくら働き方が自由になっても、フルタイム勤務がなくなるわけではないので、それをコアとして一定期間休んだり1回辞めたり戻ったり、副業が自由になったりと、もう少し企業における人の出入りや働き方が柔軟になればいいと思います。そういう意味では一部の大企業には、女性がいったん辞めても5年以内ならいつでも会社に復帰できるという制度が設けられていますが、すごくいい制度ですよね。

また、産休・育休はまさにその人をトレーニングする絶好のチャンスなので資格を取るために勉強する機会を与えるとか他の会社に短時間出向させるなどすればいいと思います。例えば私たちベンチャーは猫の手も借りたいほど忙しいので、2時間でも毎日手伝ってくれたらすごく助かるしうれしいわけです。働く方も長期間全く働かないよりは1時間でも2時間でも働いている方が社会との接点ができて精神的にもスキル的にもプラスになるわけですしね。出産は働き方を考えるタイミングなので、新しい働き方は女性が作っていくんじゃないかなと思っています。

働くシングルマザーへ

──働くシングルマザーに伝えたいことがあればお願いします。

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「働くシングルマザー」とひと口にいってもさまざまな状況、事情を抱えている人がいるのですごく難しい問題だと思います。ただ、母子家庭はパパとママの両方がそろっている家庭と比べたら1つ欠けているかもしれないですが、周りに応援して手伝ってくれる自分の親や親戚、ママ友など頼りになる人がたくさんいるような状況を作っておくことが大事だと思いますね。私の場合も、夫がいた頃よりよっぽど助けてくれる人が増えて幸せだなと思います。ほかに助けてくれる人がたくさんいたらシングルじゃないってことですよね。その方が、両親がいるけれど社会的に孤立している家庭よりも全然ハッピーだと思いますよ。

だから私は娘に「パパがいなくてごめんね」とは絶対に言いません。いつも「みんなに愛されてよかったね、みんなに育てられて幸せだね」と言っています。極力、子どもに足りないものに目を向けさせないようにしようと思っていて。不幸だと言えないような雰囲気を作っているんです(笑)。


──手伝ってくれる人を増やすためにはどうすればいいのでしょう。

まずは遠慮せずに「手伝って」と言葉で伝えることですね。日本人は困ったときに誰かに助けを求めることが苦手なのでどんどん言っていいと思います。助けてもらったらちゃんとお礼を言うことと、逆にその人が助けを欲しているときは必ず手伝ってあげること。あとは、子どもは社会の宝だからみんなで協力しながら育てようって言えばいいと思います(笑)。

究極の目標

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──端羽さんを動かしている原動力は?

一番は「社会にいい影響を及ぼしたい」という思いですね。そのためにどうすればいいかをいつも考えています。自分が死ぬときに「私はこれを成し遂げたんだ」と思いたいですね。そうすれば自分の人生に満足できますから。だから子育てでもなんでもやれることは全部やっておきたい。死ぬときに自分がいたことで社会が何か少しでもよりよく変わったと感じることができればすごくうれしいと思います。


──最終的な夢や目標は?

子どもの頃は歴史の年表に載るような人物になりたいという野望をもっていました(笑)。今はひと言でいえば幸せだなと感じることですかね。どんなときに一番幸せを感じるかというと、新しいものに出会ったり新しい刺激をもらったり、自分や娘、会社も含めて成長したと感じたとき。だから死ぬまで働きたい。うん、生涯現役。これが究極の目標ですかね。

仕事と子育て、両立の秘訣[前編]

ビジネスに使える知恵袋

──現在の活動について教えてください。

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2012年に起業し、仲間たちとビザスクというWebサービスを運営しています。ビザスクとは、課題を持つビジネスパーソン(=クライアント)と、専門的な情報や豊富なビジネス経験を持つビジネスパーソン(=アドバイザー)が、「1時間の電話/対面会議(=スポットコンサル)」という形で出会う機会を提供する有料のWebサービスです。言い方を変えれば、売り物は個人がこれまでに身につけた専門的な知識やスキルで、それを必要としている人が買う、その仲介役ですね。最近は、ひと言でいうと、「ビジネス(企業の意思決定)に使える知恵袋のようなものです」と紹介しています。

──ビザスクに関しては後ほど詳しくおうかがいするとして、まずは現在の働き方について教えてください。端羽さんはネットベンチャーの経営者であると同時にお一人で子どもを育てているシングルマザーでもありますが、仕事と育児の両立をどのようにしてこられたのでしょう。特に起業してからは大変だったのではないですか?

起業した2012年当時娘は小学校4年生で、家をオフィスにして社員もいなかったので、むしろ娘との時間は多かったんです。それよりも2013年の夏に1人エンジニアがフルタイムになってチームができてからが大変でした。家で仕事をするわけにもいかなくなり、オフィスを構え、さらに営業や資金調達のため外回りに行かなくてはいけなくなりましたから。最初はキッズルームがあるシェアオフィスに入っていました。娘もそこが気に入って夏休みに来ては小さい子と遊びながら宿題をやっていました。

その頃は私を入れて2、3人のチームだったので朝から夜までずっと仕事をしていました。娘にも「会社を辞める前の方が忙しくなかったんじゃない?」と言われたり。その頃娘は中学受験をしていたのですが、一緒にカフェに行って私はPCを開いて、娘は勉強道具を広げてお互い作業をしてました。娘は塾で帰りが遅かったので私も遅くまで仕事がしやすい部分もあり、働くお母さんこそ子どもに中学受験をさせた方がいいのかもと思いますね。


──働き方で大事にしていることは?

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起業していると仕事とプライベートを分けることは難しいですよね。四六時中仕事のことを考えているし、周りの友人もそういう人たちが多くなって、夜食事をするのでも、起業仲間と一緒だと絶対仕事の話がメインになるので、どこまでが仕事でどこからがプライベートなのかわからないですよね。線引きが非常に難しいというか。また、そもそも私たちのサービスはビジネスパーソン向けなので、お客様・ユーザーなのか友達なのかも曖昧になることが多く、その辺の境界も溶けていく感じはしています。でも今はそれが楽しいんですよね。

起業すると公私の区別が曖昧になって24時間365日仕事みたいになりますが、プライベートでの楽しみと、ビジネスとして利益を出せる目算と、自分が起こした事業で社会がきっとよくなるはずだという思いの3つが同じ方向を向いてるから頑張れるんです。どれか1つでも欠けていたらつらいと思いますね。仕事自体がすごく楽しくてわくわくすることなので、趣味も必要じゃないんですよ。ただ気分転換というか、意識して心を落ち着けるために茶道を習っています。

ライフステージによってバランスを変える

──ではいわゆるワークライフバランスについてはあまり気にしていないのでしょうか。

いえ、ワークライフバランスはとても大事なことだと思います。家族がいたら自分だけではなくて配偶者や子どもの問題でもありますからね。私はそもそも仕事がすごく好きで、放っておくといつまでも働いてしまうので、娘の時間を大事にするとか、いろんな人に会いに行く時間を意識的に取るようにしています。ただ、ずっとワークライフバランスを求める必要はないと考えていて、人生のある時期によってワークとライフの行き来が自由であってもいいと思います。例えば私の場合は大学卒業後1年間外資系投資銀行で勤務→娘を出産→1年間主婦→1年半外資系化粧品会社で勤務→1年間アメリカで主婦→2年間学生→離婚→5年間投資会社で勤務→起業して2年、という感じでワークとライフを行き来しているんですが、すごく幸せだったと思いますね。仕事に打ち込む時期、主婦に専念できた時期、娘とたっぷり一緒にいられる時期を持てたので。

最初に入社した会社ではワークにかなりの比重を置いていたし、娘が産まれたら会社を辞めて育児に専念。その後MBAを経て働き始めましたが、娘の受験を手伝いたいと思ったので家にいられる時間を多くもてるような働き方にしました。中学受験も終わったこれからはもう少し働く時間を増やせるかなと思っています。子どもの年齢によっても大きく違ってきますよね。その行き来が自由にできやすい社会になればいいと思います。

助けてくれる人やサービスを使う

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私は最初に就職した会社で1年目で子どもができて辞めるときに、生意気にも「申し訳なさを抱えて子育てをしながら仕事をしたくない」と上司に言ったんです。外資系証券会社での仕事は午前0時に帰宅して早いねといわれるような激務だったので、どんなに頑張っても絶対に周りの社員や上司にごめんなさいと言わなきゃいけないし、まだ1年目なので実績もありません。外資系化粧品会社で働いていたときは22時には帰宅できて娘を23時まで保育園にあずけられていたので誰にもごめんなさいと言わずにみんなと同じように働けました。娘がまだまだ手がかかるときに離婚していて仕事も子育ても両方頑張らなければならなかったのですが、独身の年上の友人に一緒に住んでもらったり、私の姪にベビーシッターとしてうちに来てもらってすごく助かりました。

だからワークライフバランスを自分と夫と子どもだけで考えるとすごく大変で行き詰まってしまいますが、手伝ってくれる友人を見つけたり、経済的に余裕があればベビーシッターに来てもらったりして、ライフステージに合わせてそのときベストのバランスを他人の力やサービスを使って取ればいいと思います。全部を完ぺきにはこなせませんからね。最近ではこの4月から中学生になる娘が一緒に食事を作ってくれたりして助かっています。


──では現在の働き方に関しては満足しているという感じですか?

中学生になったばかりの子どもをもつシングルマザーで、ベンチャーの経営者という立場で仕事をしているという身としては、ある程度理想に近い形かなと思います。今後、娘がもう少し大きくなればもっと仕事に費やす時間を増やしたいし、社員のことを考えるともう少しスタッフを増やしてあげたいとは思いますが、私個人はすごく好きな仲間がいて、時間の融通が効かせられて、好きな仕事ができているので、起業してよかったなと思いますね。

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「パパだと思ってね」

──離婚してからは仕事も家事も育児も全部1人で抱えてきたわけですよね。仕事が大好きで真剣に打ち込みたい、でも母親として子育てもちゃんとしたいという気持ちの間で葛藤したことはないですか?

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夫がいるときはさらに「いい妻でいたい」が加わるので3つが重なって大変でした。でも離婚してそれが外れたら、子どもを守るために夫の代わりに働いて稼がなきゃいけないので悩みが1つ減りましたね。娘には「私のことをママだと思うとなかなか一緒にいられる時間がなくて不満も感じるかもしれないけどパパと思ってごらん。そうしたら私相当なイクメンだよ」と発想の転換を促してみました(笑)。シングルマザーの友人に「一人で子どもを育てながら働くのってすごく大変なんだけど」とよく相談されますが、「大変だと思ってるのは自分ですごく高いハードルを設定しちゃってるせいだよ。誰に褒められたくてそんなに頑張ってるの? 自分のことをイクメンだと思ったら相当褒められるレベルだよ」と言っています。


──新卒入社半年で妊娠ということですが、子どもはできるだけ早くほしいと思っていたのですか?

いえ、そういうわけではありません。子どもは授かりものですからね(笑)。


──もう少し後で産んでおけばよかったなと思ったことは?

それはあります(笑)。特に20代の頃は。周りの同世代の友人は仕事に遊びに独身ライフを謳歌しているのを見てうらやましく思ったこともありましたし、一度親になると死ぬまで親なので、親じゃない時期をもう少し楽しんでもよかったかなと思うことがなかったわけではないですが、今となっては早く産んでおいて本当によかったなと思います。もう一度新しい仕事にチャレンジしたいと起業してビザスクのような新しいサービスを生み出せたのも、子どもが成長して余裕ができたからこそですし。さらにこれから子どもが成長するにしたがって仕事に割ける時間も増えるでしょうし、仕事に打ち込める期間もこの先まだまだありますからね。

育児方針

──育児をする上で大事にしていることは?

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うちの育児方針は「3G」です。3Gとは自信、自立、自活。この3つが大事だと娘には教えています。「自信」は、横柄でひとりよがりという意味ではなく、自信をもてれば人に対して優しくなれると思うのでまず基本として自信をつけさせたい。自信は愛されてこそ初めて持てるので娘が物心つく前から「ママはあなたのことを愛しているよ」という気持ちを言葉や態度で伝え続けてきました。だからうちは一般的な家庭と比べて親子で一緒に過ごしている時間は少ないけれど、娘はうっとうしいほど自分が愛されているという自覚はあると思いますよ(笑)。あとの2つは精神的に「自立」して自分で意思決定できて、自分で稼いで「自活」できる人間になってほしいということです。娘には将来好きな人を見つけて子どもも作ってほしいと思っていますが、そのためにもまずはその3Gを身に付けるために頑張ってほしいと思っています。


──お子さんとの接し方で気をつけていることは?

以前、娘とごはんを食べている時に社員からメールが来てスマホを見たとき、すごく嫌な顔をしたことがありました。それ以来、娘と過ごすときはたとえ仕事で気になることがあったとしてもスマホを見ないようにして娘との話に集中するように心がけています。

私の母が専業主婦で、あるとき「お母さんが忙しいと子どもがかわいそう」と娘の前で言ったことがありました。かわいそうとか大変とかネガティブに考えるとどこまでもネガティブになってしまうので、「うちの子はこんなにハッピーにしているし、私が働いている姿を見て自分はこんな仕事がしたいと言っているから、かわいそうなんて絶対言わないで」と母に言ったんです。確かに楽ではないですが、何の仕事をしても大変ですよね。今は仕事よりも娘との時間を優先することもできるし、娘はオフィスに来ようと思えばいつでも来られる環境なので、大変なことばかりではなくて、すごくいいこともありますから。大変と思えば大変だけど、こんなものだと思えばこんなもの。社会人1年目のときと比べれば全然大変じゃないなと思いますね(笑)。

娘とは仕事の話もよくするんですよ。娘からビザスクのロゴについてダメ出しをされたり、会社であった嫌なことを話したら慰められたりアドバイスされたり(笑)。起業する前は私の仕事に全然興味なかったのですが、今は会社にもよく遊びに来るし、自分も一員だと思ってますね。会社に勉強道具をもってきて宿題をしてることもあります。私が起業して働く姿を近くで見せるようになってから、将来はあれになりたい、こういう仕事がしたいと言い始めました。今から働くのがすごく楽しみみたいですよ(笑)。

ビザスクというサービス

──ではその端羽さんが起業して立ち上げたビザスクについて教えてください。具体的にはどのようなサービスなのですか?

端羽英子-近影6

冒頭で「ビジネスに使える知恵袋のようなもの」と紹介しましたが、無料の匿名Q&Aサイトと違うのは、回答者(=アドバイザー)が特定の業界・業種に精通した実務経験豊富なビジネスパーソン、実名制なので情報の信頼性が高い、電話や対面でクローズドに相談できるので安心といった点です。ここがまさに私たちが「ビジネス(企業の意思決定)に使える」とうたっている理由です。つまり、知恵袋の手軽さに、信頼性とクローズドさをプラスしたサービスなんです。

例えば、新規事業を立ち上げるとき、まずはいろいろとリサーチすると思いますが、上司にネットの匿名のQ&Aサイトで聞いたとは言えませんよね。ビザスクなら先ほど説明したような利点があるので、アドバイザーから得た情報に信憑性があるし、稟議書にもどこのどんな人に聞いたのか書けます。2013年10月に正式に運用を開始し、現在ではさまざまな業界・業種・職種の5,000人ほどのアドバイザーに登録していただいています。私自身もアドバイザーとして登録しています(笑)


──利用方法は?

おおまかな流れは、1.ビザスク上でのマッチング(公募・指名・紹介)→2.無料テキストメッセージで確認の上、依頼(決済)→3.対面or電話での面談実施、です。
(※詳しくは→https://service.visasq.com/

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個人も法人も利用

──ビジネスモデルは?

端羽英子-近影7

基本は個人間の相対の取引、いわゆるC to Cです。頼む人とアドバイスする人の直接取引で決まった金額、1回1時間3000円から1万円ほどを支払い、そのうちの3割を当社が手数料としていただいて、7割をアドバイザーさんにお支払いします。謝礼は、webサイト上でクレジットカードで決済。謝礼はいったんビザスクがお預かりし、決済の翌月末に、振込・決済手数料等を含む利用料30%を控除した金額が、ビザスクよりアドバイザーに支払われます。ビザスクが事前にお預かりすることで、万一のトラブル時の返金に対応できるようにしています。ただ、これまでそういったトラブルはほとんどありません。やはり正式に依頼する前に事前に無料でしっかりとやりとりができることが奏功しているんだと思います。

法人利用の場合は取引相手が当社となり、1回1時間5万円で、クライアントから問題と要望をヒアリングして、こちらで最適なアドバイザーを見つけてきて紹介するコンシェルジュというサービスがあります。見積書や請求書の発行も可能です。また、定額の法人契約もあり、契約者数は数十社ほどです。コンシェルジュの場合は、もし私たちが推薦したアドバイザーが適切ではないと判断された場合は追加料金なしで別のアドバイザーを推薦し直します。こちらもこれまでほとんどないですね。

メインは30代半ばの会社員

──アドバイザーとして登録しているのはどのような人なのですか?

登録者の7割強は現役の企業の方で、2割がフリーランス、残りの1割が引退したシニア層。年齢層では35〜45歳が一番多くて約7割を占めています。業種ではヘルスケア、農業、IT等が多いですね。


──クライアントで特に多い業界・業種は?

一番多いのはメーカーですね。一部上場で売り上げ数千億円規模の大企業をはじめ、その他、専門商社等にもご利用いただいています。


──クライアントに大企業が多いことに驚きました。

まず、大企業は資金も豊富ですし、新規事業のニーズも高い。さらに新規事業といっても、すぐ売れるものよりも時間がかかってもいいから将来的に会社を支えてくれる製品を新たに開発するというミッションが多いので、今までの知識や経験では難しいし、身の回りの人に聞こうにも新しい領域になればなるほど難しい。さらに新規事業は会社にとっては機密事項中の機密事項なので、知り合いといえども簡単には聞けない。漏洩する危険性もありますからね。そこで当社に「この分野に詳しい人を探してほしい」という依頼が来るわけです。私たちはクライアントの社名を出さずに詳しい人を見つけてきて、クライアントに紹介。実際に対面か電話でスポットコンサルを受ける段階になってはじめてお互いに名前を明かすという、社名をどの段階で出すかというコントロールができるという利点があります。それがコンシェルジュです。ただ、コンシェルジュじゃなくてWebで公募する際にも匿名で相談することも可能です。

新規事業のニーズが多い

──大企業の場合は社内で解決するか外部のコンサルティング会社に依頼することが多いものだと。

今年(2015年)の3月に大企業で新規事業に取り組む方々に対して情報を提供する場としてオープンイノベーションラボを複数社で立ち上げた際、40社以上の大企業に参加していただき、これほど多くの大企業が社会の情報・知見をどう活用するかというテーマに強い関心を持っていることに驚きました。新規事業のプレッシャーが増せば増すほど社内だけでは解決できない状況が増えているような気がします。


──具体的な事例を教えてください。

まずは「対企業」の場合。クライアントが企業で、社内に必要とする知見がない領域について複数の経験者がアドバイスや意見を提供するケースで、最もニーズが多いのが新規事業の立ち上げや他業界・領域への新規参入、新しい国や地域、顧客層へのアプローチをする際のリサーチです。例えばサプリメントの新規開発プロジェクトの担当者が、初めて人の口に入るものを作るので法規制や安全性についての情報を知りたいと、天然物原料の食品用素材の企画についてのアドバイスを求めるケースがありました。次に多いのが業務改善の相談で、例えば他社よりR&D(研究開発)効率が落ちているから改善の方法を知りたいというケースがありました。また、その他社外メンター、講演、研修などの要望も多いです。

次に「対個人」の場合は、新しい分野へチャレンジしたい個人がアドバイスを求めるケースが多いです。特に多いのが起業相談で、「事業計画や資本政策をどう作ればいいのかわからない」という相談に対して起業経験者がアドバイスや意見を提供します。また、異業種やベンチャーへの転職や、MBA受験、資格試験の勉強方法に関するアドバイスを募る人や、社内異動や新プロジェクトのリーダーに必要なスキルやマーケティングのヒント、プログラミングの方法を得たいなど、知識やスキルアップを目的に募集するケースも多いですね。

経営者としての仕事

──端羽さんは、ビザスクの経営者として日々どんな業務をしているのですか?

「社外ネットワークの活かし方」というテーマのイベントで話す端羽さん

「社外ネットワークの活かし方」というテーマのイベントで話す端羽さん

ひと言でいうと、コードを書く以外は何でもやっています(笑)。一番大きなウエイトを占めるのはビザスクを世の中に広めるための活動です。去年1年間はアドバイザーを増やすことを頑張りましたが、創業3年目の今年(2015年)は法人への営業活動に積極的に取り組むことにしています。ビザスクをより多くの人に理解して使ってもらうために、クライアント先で社内ワークショップを開催することもあります。ビザスクの使い方のほか、社会に埋もれている知見をどう使うか、自分自身の強みをどう発信するかなどについてお話しています。また、積極的にイベントなどに登壇してビザスクのPRに努めています。

端羽英子-近影10

また、「地域を超えられる」こともWebサービスの大きなメリットの1つなので地方のいいものと東京の知恵を繋げたり、地方に進出したい東京の人を地方の人が助けるなど、互いが地域を超えていくサポートもしたいと思っているので、最近では地銀や地方の自治体などにいろんな企画を持ち込んでもいます。

もちろん当社はビザスクというWebサービスがメイン事業で、これをみんなで作っているので、ビザスクをより良くするためにはどうすればいいかを常に考え、改善策を思いついたらエンジニアたちメンバーに提案しています。

加えて最近はファイナンス、資金調達も重要な仕事です。2014年2月にベンチャーキャピタル(VC)から資金を調達したのですが、今後さらに優秀な人材を雇って規模を大きくしていくためにそろそろ2回目の資金調達に動こうとしていて、その準備をしています。VCへのプレゼンでは今後会社を大きくしていくためにどんな戦略で経営していくか、ビザスクというサービスをどうやって社会に広めていくか、どんなチームを作っていくかという今後のビジョンに加えて、今回は前回のプレゼンで投資してもらってからの実績もアピールしなければなりません。

資金調達は本当に難しいです。なかなか私のプレゼンで納得させることは難しいのですが、いろんな企業、案件を見ている経験値の高いVCの方が、無料でいろんなダメ出しやアドバイスをしてくださるのでとてもありがたいんです。まさにただビザスクです(笑)。

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働き方をよりよく

──ビザスクを通して目指しているものは?

端羽英子-近影11

ひと言でいうと、この社会の「知識と経験の流通を変える」ことを目指しています。日本の場合、豊富な知識やスキル、経験を持つエリートサラリーマンと言われる人ほど社内に残っていてなかなか転職しません。そして60〜65歳のときに定年を迎えて突然第一線から引退してしまいます。それは豊富な知識と経験も同時に消えてしまうことを意味します。女性も重要なポジションでバリバリ働いていたのに結婚や出産を機に9時5時の仕事を選択するケースが多い。そうやって知識や経験の流動性がなくなるのは、会社が人材を雇用するとき、フルタイムと決めて組織の中に閉じ込めてしまうから。それを私たちは、「ITと人の力」を利用して、社外の人とも簡単に繋がれるとか、歳に関係なく活躍できるとか、地域を超えて遠い人と繋がれるというふうに変えたい。そうすると個人がフルタイム、正社員に限らない知識や経験の活かし方ができるのではないかと考えています。

そもそも私は「雇用」とか「被雇用」ってあんまり素敵な言葉じゃないなと思っています。まず各個人が自分の強みを自覚できていたら、自分で選んでこの会社で働いていると認識できて、より主体的に働くことができる。それってすごく幸せだなと思うので、私が一番やりたいのは「自分の強みを自分で認識して、だからここで働いているんだ」という意識を持てる人を増やすこと。それがまず基本コンセプトとしてあって、実現できればこの世の中の働き方をよりよく変えられると思っているんです。みなさんが自分の強みをしっかり認識できる機会は会社の中にいると難しいので、そういう機会がたくさんあるような社会を作りたい。そのためのツールとしてビザスクを開発し運営しているわけです。

もう1つ目指しているのは社会全体を元気にするということです。まずは個人に元気になってほしいと思っていて、そのためにはお金は重要なファクターの1つですよね。お給料が上がれば人々は元気になる。そうなるにはお給料を払う会社が元気じゃないといけない。そうなるには新規事業がどんどん生まれて成功する必要がある。そこに個人の知識や経験が助けになればどちらもハッピーになる。だからビザスクはB to Bのコンシェルジュというサービスに力を入れているんです。

ただ、そういう大きなコンセプトはあるのですが、端的にいうと個人が自分の強みを貯めていけるようなデータベースを作っていると思っています。今までこんな会社でこんなことをやってきたのでこういうことができるという強みに深さが出るような人のデータベースを作っていきたいんです。


──会社の新規事業担当者と話をする機会が多いとのことですが、そのときに特に感じることは?

新しい事業を作り出して利益を上げることってかなり難しいし、失敗するリスクもあります。失敗したら減点されて昇進に響いたり社内的地位が下ってしまうという会社が多いですが、それなら新規事業なんて誰もやりたがらないですよね。だから大企業は減点主義をやめて社員を褒めて伸ばす加点主義にすればいいのになと思います。そうすれば個人のモチベーションも上がるし、成功する可能性も高まると思うんですよね。当社は小さい会社ですが、私も経営者としてそうありたいと思っています。

仕事のやりがい

ビザスクのスタッフと一緒に

ビザスクのスタッフと一緒に

──今の仕事のやりがいはどういうところにありますか?

普通のビジネスパーソンであるアドバイザーさんから「クライアントからすごく役に立った、ありがとうと言われてうれしかった」という言葉をいただいたときが一番うれしいし、ビザスクを作ってよかったと思う瞬間です。あとはすでに引退している方がご活躍いただける場合もあるので、これまでつながっていなかったものがビザスクでつながったなと感じるときもうれしいですね。


──逆に仕事の大変な点やつらい点は?

それはフェーズによって違いますね。立ち上げてから最初の1年はこのサービス自体がこれまでにない新しいものだったし、私自身もWebサービスを作るのも、起業するのも初めてだったので全部がわからないことだらけで暗中模索でした。たくさんの失敗、トライ&エラーを繰り返してやっとここまでサービスの形ができてきて、多くの人にも受け入れられるようになった今、一番苦労しているのはいいチームを作ることです。事業拡大に向けてもっとアクセルを踏みたいので、たくさんのいい人に入社してきてほしいし、入ってきた人にどんどん活躍してほしいと思っています。

理想のチーム

──端羽さんにとって理想のチームとは?

端羽英子-近影13

みんな目的にはコミットしているけれど自立していて自由なやり方で結果を出す、みたいな感じです。これまでにない新しいものを作っているので正しいやり方なんて誰にもわからない。たくさん失敗をしながらも早く高速回転していけることが大事なので、目的だけぶれずにやり方は試行錯誤できるような大人なチームを作っていきたいと思っています。

チームのカルチャーとして大事にしているのは失敗してもいいからどんどん新しいことに挑戦していこうというのが1つ。もう1つは子どもがいるメンバーも多いので、私たち自身もこれまでの常識にとらわれず、新しい働き方を考えていこうとしています。例えばリモートワーク。当社にはいわゆる定時、決まった勤務時間やコアタイムがありません。ただ毎朝10時にチャットで集まって各自のその日の予定を報告し合っています。もう1つのルールは週に1度、月曜日だけは10時にみんなで会社に集まって今週やることを報告し合い、月の1度の土曜日だけはロングミーティングを開催してその月の振り返りと翌月の目標を話し合います。あとはどこで働いてもらってもかまいません。子どもの面倒を見なきゃいけないので今日は実家で働きますというのも全然OKです。とはいってもみんなけっこう会社に来て仕事してますけどね(笑)。また、比較的時間と場所にとらわれない働き方が可能なので、今度地方に引っ越す優秀な人にうちで働いてもらおうと考えています。いろんな働き方が当社の中でもあってもいいかなと。

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私自身は自宅で働く日もありますが、基本的に毎日会社に来るようにしています。営業やファイナンス関連の仕事が多いので、外に出て会社を回ったり、空き時間にカフェで仕事をすることが多いです。でもチームを作らなければいけないので、できるだけ社内にいる時間の方を多くしようとはしています。一番典型的なタイムテーブルは、10時に出社してメールをチェックしたり、企画を作ったりします。来客があれば対応し、午後からは会社訪問。夕方に帰社して残りの作業をしたり人とのアポをこなします。中学生になる娘がいるので19時30分には退社、帰宅して娘とご飯を食たり、いろいろ話したり。22時までは娘と過ごす時間と決めています。それから社員にメールを出したりと作業をします。大事なミーティングの前日や資金調達の時期には自宅で遅くまで作業をすることもありますね。

だから朝から夜中まで1日中ずっと働いているというわけではなくて、間に娘との時間を入れたり、休息を取ったりして細切れに働いているという感じですかね。確かにオフィスにいるときの集中力を保って家でも仕事をするのは難しいという側面はありますが、スカイプミーティングや社内チャットを使ってどこからでも働けるようにするという体制を作ってなんとか乗り切ってきたかなと。

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