2017年8月アーカイブ

緊張で真っ青に

──初めて一人で水先業務を行った時はどうでしたか?

西川明那-近影1

1隻目は今でも強烈に覚えてますが、事務所を出る前からもう気持ち悪くなるほど緊張してしまって。ベテラン事務員の女性に「あなた、顔色すごく悪いけど大丈夫?」って心配されるほどでした(笑)。教官がいないので、何か突発的なトラブルが起こっても助けてくれる人がいません。初めてのその状況にめちゃめちゃ緊張したんです。真っ青な顔で出ていったのですが、業務は無事に終えることができてほっとしました。


──その時はどんな業務だったのですか?

船をバース(停泊所)から離して出港させるハーバー業務でした。最初は東京湾の入り口から着岸まで通しではパイロット業務をやらせてもらえないんですよ。独り立ちしてから最初の1年間は東京湾の入り口からバース近くまでの操船と、バースへの着岸作業のどちらかだけを集中的にやって覚えるんです。初めて通しでパイロット業務をやる時はだいぶ慣れていたので特に緊張はしませんでした。


──これまでこれほど若い、しかも女性の水先人はいなかったわけですよね。乗り込んだ先の船の船長や船員の反応は?

特に最初の頃は船長がすごくびっくりしていましたね。新しい制度ができるまでは水先人って若くても50代半ばで、しかも日本人って若く見えるので、こんな若い娘に本当に水先人が務まるのかと疑っていたと思います。


──では最初の水先人になりたての頃って、船長が西川さんの指示に従わなかったともあったんですか?

それはよくありました。新人だろうが女性だろうが資格をもってる以上はパイロットなので表面上は立ててはくれるんですが、本当にこの人の指示で大丈夫かと疑われたり、ずっと監視されるような感じでした。さすがにこちらの指示やアドバイスを頭から突っぱねられたことはあまりないのですが、中には全然聞いてくれない船長もいましたね。


──それをどうやって克服していったのですか?

とにかく船長とコミュニケーションをしっかり取るようにしました。その指示の理由や根拠をしっかり細かく説明することで少しずつ信用してもらえるようになったんです。今では疑いの目で見られることも心配そうに見られることもなくなりました。

小型のパイロットボートからさらに大きいタグボートに乗り換えて本船に向かうケースも

小型のパイロットボートからさらに大きいタグボートに乗り換えて本船に向かうケースも

勤務は日によってまちまち

──勤務はどんな感じなんですか?

東京湾には24時間365日、休むことなく船がどんどん入ってくるので、我々パイロットも当直制で24時間体制で勤務にあたっています。勤務はいろんなパターンがあるんです。大まかにわけると日勤と夜勤の2パターンがあって、夜勤は月に数回ほど。日勤の勤務パターンは朝4時から16時、6時から18時、8時から20時の3つに分かれています。船が少ない日は、4時出勤の日に7時に水先業務が終わって、今日は続きの船はないですとオペレーション部から言われることもあれば、今日は船が多いので予定では16時までですが17時スタートの船に乗ってくださいというケースもあります。

西川明那-近影2

4時から16時と言っても16時で勤務が終わるわけではなく、16時オーダーの船までなので、16時スタートの船に当たると終わるのが20時くらいになる時もあります。とはいえ4時から20時までずっと仕事をしているわけじゃなくて、1隻終わって次の船まで時間が空く場合が多いので、昼間はずっとどこかで待機して夜に出勤するというケースもよくあります。ちょっと前は8時間待機とか普通にありました。一般的な通勤・通学と同じで、朝と夕方に入港ラッシュがあって昼間は船が少ないんです。


──空いた時間は何をしているんですか?

仮眠を取っている人が多いですね。私は事務仕事をするか、事務所の近くにマンションを借りているのでいったん帰って休むか、若い水先人と話したりご飯を食べに行ったりしながら待ってます。


──4時からの勤務の場合はどんなスケジュールなんですか?

4時スタートの入港船に当たった場合は久里浜(東京湾の入り口、パイロットステーションに近い)にある東京湾水先人会の支部に夜のうちに移動して仮眠を取ります。2時に起きて準備して3時くらいにパイロットボートに乗って久里浜から出発して、本船に乗り込みます。4時にスタートして着岸するのは横浜港のバースでだいたい6時半くらいですね。

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乗船予定が急になくなることも

──シフト制ってことは船に乗る予定はけっこう前からあらかじめ決められているんですか?

東京湾水先人会の事務所で先輩水先人と楽しげに話す西川さん。和気あいあいとした雰囲気

東京湾水先人会の事務所で先輩水先人と楽しげに話す西川さん。和気あいあいとした雰囲気

大まかには決まっているのですが、最終的には前日の夕方17時に船舶会社からの水先業務のオーダーに対して水先人を割り振るオペレーション部から、翌日に乗る船、乗り込む場所、スケジュールなどの連絡が来ます。

でも予定されていた水先業務がなくなることもあるんです。例えば海が時化て船が東京湾に入ってこられないとか、海難事故が発生した時など。先日アメリカ海軍のイージス艦と衝突したコンテナ船は、パイロットが乗る3時間くらい前に事故を起こしているので、急にキャンセルになりました。また、原料を運ぶ船は雨が降ると荷役ができなくなるので直前で予定が変わったりします。小麦や綿花は雨に濡れるとダメになるので荷役を止めちゃうんです。理由はいろいろですが、スケジュール通りにきっちり行くことはあまりないし、乗船予定がなくなることもしょっちゅうあるんです。

逆に、以前、入港してくる船が多かった時は1隻終わった後、2隻目の予定が急に変わったので15分後に乗ってくださいと言われることもよくありました。特に行ったことのないバースに着ける場合はそれなりの準備が必要なので、その時間がない時はベテランの水先人を捕まえて教えてもらったりしてました。いきなり言われてもやるしかないので、今は難しいバースはいつ当たってもいいようにあらかじめ資料をストックするなど準備をしてます。こんな感じで勤務時間は日によって全然違うし、突然変わったりするので、勤務の日は予定を入れられないんですよ。

シフト制なので休みは決まっててほぼその通りに休めるんですが、ごくまれに休みの日に水先人が足りないから出勤してくださいと言われることもあります。すべては船が何隻入ってくるかで決まるので。

水先人は個人事業主

──現在の働き方は気に入っていますか?

西川明那-近影3

性に合ってると思います。確かに生活は不規則になりがちですが、それが大変だとも感じません。むしろ多くの人が働いていない時に働いたら、多くの人が働いている時に休めるのでいいですね。旅行も空いてる時に行けますし。ただ、一般的な企業で働いている友だちと休みを合わせるのが大変です。デメリットとしてはそのくらいですかね。


──長期休みも取りやすいのですか?

取りやすいと思いますよ。ただ、私たちは会社員じゃなくて個人事業主なのでいわゆる有給休暇というものがありません。収入はパイロット業務を行う船の数で決まるので休んだらそれだけ収入が減るのであまり休みたくないんですよね。先程お話したように、急に乗船予定がなくなったらその分収入が減るから痛いんです。だから月によって収入は全然違います。報酬は乗る船によっても違っていて、大きい船の方が多くいただけるんです。


──学校を卒業して企業・団体に属さず、いきなり個人事業主として働くことに関して不安はなかったのでしょうか。

全然なかったですね。親が個人事業主だったので、サラリーマンの方が想像がつかなかったです(笑)。

好きなことを仕事にできて幸せ

西川明那-近影4

──西川さんにとって仕事とはどういうものでしょうか。

働かないと生きていけません。だとしたら、少しでも興味のあること、好きなことで生きていきたいと思い、水先人という仕事を選びました。

また、日本は資源を船で大量に輸入して製品を作る国なので、水先人がいないと日本の経済は成り立ちません。水先業務はなくてはならない公共サービスに近い仕事なので、それに携わることができるのはうれしいですよね。

今は自分がやりたいことを仕事にして、楽しく働いて、世の中の役に立ち、人から感謝してもらっているのでとても幸せだなと感じています。だからいろいろ大変なことも多いですが、水先人の道を選んでよかったと思っています。たまたま入った大学がよかったんでしょうね。ちょうどうまくハマった感じです(笑)。

目指すは東京湾のスペシャリスト

──今後の目標を教えてください。

2015年に試験に合格して二級水先人に昇格したのですが、その先、一級の資格を取ることですね。一級にならないと何のために水先人の免許を取ったのかわからないので。

西川明那-近影5

──どういうことですか?

東京湾の水先人って東京湾のことなら何でも知ってて何でもできるスペシャリストなんですが、一級にならないとそうとは言えないので、まずは一級を目指しているんです。


──そのために今から勉強しているのですか?

ただ、二級から一級に上がるための期間や試験内容などはまだ国交省が決めていないので、勉強というよりも、今は毎日の水先人としての仕事をきちっとこなして、経験を積むことに注力しています。そしていずれは東京湾のスペシャリストになりたいと思っています。


最初から船乗りになるつもりではなかった

──西川さんがなぜ水先人になったのか、その動機や経緯を教えてください。小さい頃から船関係の仕事がしたいと思っていたのですか?

西川明那-近影1

いえ、そういうわけではありません。元々は機械が好きだったので、高校に入った頃は工学部に進学しようと思っていました。でも機械を作るより使ったり操ったりする方が好きだと気づいたので、進路選択の時期はパソコン関係の大学に入ろうかなと思っていたんです。そんなある日、担任の先生が「こんな大学もあるぞ」と見せてくれたのが東京海洋大学のパンフレットだったんです。その時初めて海洋大を知ったのですが、こんな大学があるんだと驚きました。私は京都府の日本海側にある海辺の町で育ったので海と船がすごく身近な存在だったということもありおもしろそうだなと思って、東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科に入学しました。

元々船乗りになりたいと思っていたわけではないので、当初は海洋大に入ってみて合わなければ別の道を探せばいいやと思っていたのですが、航海士になるための勉強は予想以上に楽しく、自分に合ってるんだろうなと感じました。だから当時は将来は航海士になろうと思っていました。

でも大学3年の時、2007年に水先法が改正されて、これまで大型船の船長の経験がないと水先人になれなかったのが、しかるべき教育を受ければ航海士や船長の経験がなくても、学卒者でも水先人になれるというふうに制度が変わったんです。それで、将来の職業を航海士から水先人に針路変更して、大学卒業後、パイロット養成コースに進んだんです。

航海士から水先人に針路変更した理由

──航海士よりも水先人がいいと思ったのはなぜですか?

最初は航海士になるつもりだったんですが、航海士になれたとしても何年続けられるかなと思ったんですよ。もし結婚、出産したら長期間船に乗れないのでそのまま辞めなくちゃならなくなるかもしれないし、10年続けられるかなと。最初からいずれは辞めるつもりで船会社に入りたくなかったんですよね。そんなことを考えていた時にちょうど水先人の新制度ができるという話を聞いて、水先人の方がずっと長く船に関わっていられる可能性が高いと思ったので、この道を選んだんです。


──そもそも海の世界は男社会じゃないですか。最近女性の船乗りも増えてきたとはいえ、まだまだ圧倒的に男性の方が多い。さらに水先人の世界はそれまで女性が1人もおらず、船乗りの中でも大型船の船長を経験したベテラン中のベテランがなる職業ですよね。女性で、船乗りとしての経験がゼロの新卒でそんな世界に飛び込むことに不安は感じなかったのですか?

不安はなかったですね。受け入れてもらえるのかなというのは少しありましたが、私自身は水先人になりたいと思っていたので、そのためには水先人養成コースに進むしかないという極めてシンプルな思いしかありませんでした。そもそも養成コースに入る前、大学時代から女性は1割しかいなくて周りは男ばっかりだから慣れちゃってて。むしろ女性が多いところの方がしんどいです(笑)。

当時は必死だった

──水先人養成コースに入ってみてどうでしたか?

養成コース時代、シミュレーターで訓練中の西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

養成コース時代、シミュレーターで訓練中の西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

その当時は必死だったので何とも思ってませんでしたが、2年半の間に水先人として必要な知識や技術を覚えなければならなかったので、今思えば相当ハードだったと思います。べテランパイロットが教育担当となるのですが、私のような大学を出たばかりの二十歳そこそこの女性を見て「君、何しに来たの?」みたいな感じの人も少なからずいました。でもそれはどこの世界でも同じですよね。これまでになかった新しいことに挑戦する時にはついてまわることだと思います。


──ほかに同期はいたのですか?

私のほかに女性はあと1人いました。でも乗船経験が全くない学卒者は私しかいなかったのでどうしても目立ってしまって。

とにかくやるしかない

──養成コース時代、つらくて辞めようと思ったことは?

大学時代も含めて辞めようと思ったことは1度もないですね。特に養成コースは「向いてる、向いてない」とか「楽しい、楽しくない」じゃなくて、入ったからには水先人になるまで何が何でもやりきるしかないと思ってたので。

新制度の第一期生という周りからの期待も大きくてプレッシャーもすごかったので、どうやってきっちり課程を修了して国家試験に合格して水先人になるかということしか考えていませんでした。だから毎日必死でしんどいとかつらいとか感じる余裕すらなかったんです。先日養成コース時代の同期と会った時も「今思えばしんどかったよね」という話をしました(笑)。

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職人の世界

──やっぱり養成コースで勉強することって、学部時代に勉強してきたこととは全く違うんですか?

西川明那-近影2

いえ、あくまで水先人は航海士、船長の先にある職業なので全く違うということはないです。ただ、勉強だけで何とかなる世界じゃないというか、紙の上で習ったことがそのまま船の上で起こるわけじゃないんですよね。前にもお話しましたが、船はどこかしらしょっちゅう壊れるし。だから水先人の世界は経験がものをいう世界で、ギルドの世界だという先輩もいらっしゃいます。先輩の背中を見て学ぶというか、実際にやって覚えるしかない職人の世界なんです。

だから養成コースでは実際に船に乗って水先業務を学ぶ実習に多くの時間が割かれていました。難しかったのが、人によってやり方、教え方が違うこと。特に昔はギルド色が強かったので、人によってやり方が全然違うんですよ。そしてそのやり方が自分に合ってるかどうかは別なんです。だからいろんな先輩のやり方を見て、どれが自分に一番合うかを考えて、実際に自分でいろいろ試して、決めるんです。

絶対的な正解もありません。同じことをしても昨日はこうしちゃダメって言われても今日はこうしなさいと言われる。日によって気象条件も違うので当たり前なんですけどね。それはたぶん大変だったんだろうなとは思うんですけど、その時は何を言われてもはいって聞くしかなかったです(笑)。

養成コースは2年半なのですが、約1年間の実船研修で指導水先人と一緒に船に乗って、水先業務を目の前で見せてもらうことで、操船の方法を覚えました。そして2011年5、6月に行われた国家試験に合格して水先人になれたんです。

未経験、女性初の水先人、誕生

──新制度の第一期生、航海士としての乗船経験がない、女性初の水先人誕生の瞬間ですね。国家試験に受かった時の気持ちは?

すごくうれしかったですね。試験が本当にしんどかったので。筆記試験では海上衝突予防法や海上交通安全法など4つの法律を全部暗記しなきゃいけなくて。一番しんどかったのは、制限時間3時間でB3の紙と鉛筆と定規だけを使って海図を3枚描けという問題。どこの港の海図が出題されるかわからないから、何種類もの港の海図を頭に叩き込んで置かなければならないし、私はそもそも美術が苦手なので海図を描くのが本当につらかった。二度とやりたくないですね(笑)。

その後、国家試験に合格した翌月、26歳の時に東京湾水先区水先人会に入会しました。しかし入会後すぐに1人で水先業務を行えるわけではありません。1年間は実船訓練として、指導水先人の監督下で水先業務を行いました。自動車の仮免、路上教習みたいなものですね。

1年後、初めて1人で水先業務を行ったのですが、その日のことはいまだに忘れられません。今までで一番印象に残っている水先業務と言っても過言ではないですね。

水先人になって1年目、指導水先人の監督下で水先業務を行う西川さん。後ろで指導水先人の目が厳しく光る(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

水先人になって1年目、指導水先人の監督下で水先業務を行う西川さん。後ろで指導水先人の目が厳しく光る(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)


インタビュー第4回はこちら

出港時の水先業務

──出港時の水先業務はどのように行うのですか?

西川明那-近影1

やることは基本的に入港時と同じです。出港時は原則、岸壁から本船に乗り込み、船長と出港計画の説明など情報交換を含めた打ち合わせを行った後、嚮導作業を開始します。係留ロープが外されると、スラスタを使い、タグボートの補助を得ながら慎重に岸壁を離れ船首をゆっくりと港の出口方向へ向け、決められた航路へ入ります。そして湾の出口付近まで来ると迎えにきたパイロットボートに乗り移り、事務所に帰ります。


──入港と出港ではやはり入港の方が難しそうですね。

原則、入港の方が難しいです。でも場所によるんですよね。出港の方が難しいバース(船を停泊させる場所。車でいうところの駐車場)もあります。狭くて角度が急なバースでは一回下がって回さないと出られません。車も狭い駐車場だと何回かハンドルを切り返さないと駐車場から出し入れできないですが、船は車と違って基本的に後ろに進むようにできていないし、まっすぐにも進まないので難しいんです。だからもちろん、出港時も気は抜けません。

船長とのコミュニケーションが大事

──仕事をする上で心がけていることは?

船長を不安にさせないことですね。特に私は水先人の中でかなりの若手でしかも数少ない女性なので不安を感じさせないようにしなければなりません。そのために重要なのがコミュニケーション。初めて東京湾に入港する船長もいるので、私がなぜこういう航路を取るのか、その理由、根拠を丁寧に説明するようにしています。

船長とのコミュニケーションが一番重要

船長とのコミュニケーションが一番重要(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

それと、船は湾に入ったらゆっくり進めばいいというものでもないんですね。水先人の仕事で重要なのは安全と効率なんですよ。港湾施設も船舶も厳しいタイムケジュールで動いています。もし一隻の貨物船が予定着岸時間より大幅に遅れたら、それだけ荷役の時間も遅れ、その港全体の荷役作業スケジュールが大幅に狂って経済的損失を招くことになりかねません。だから安全に船を着けなければならないけれど、効率も度外視はできません。なので、こちらが大丈夫だと判断した時は速度アップの指示を出します。でも船長は恐がるので、大丈夫な理由をきっちり説明するように心掛けているんです。

それから、東京湾は出入りする船の数も日本一だし、コンテナ船、タンカー、ガス船の他にも軍艦、客船、プレジャーボート、漁船などあらゆる種類の船が入ってきます。でも、困ったことに同じ船でもプレジャーボートと大きな危険物船では必要となる免許も違えば操縦性能も全く違うんですよ。だから向こうも自分と同じ考えだと思って操船していると大きな事故につながる危険性があります。特に小さい船と事故になると、小さい船の方が被害が大きくなるので、そうならないように相手と自分を同じだと思わず、細心の注意を払うよう心掛けています。

また、大きい船になればなるほど急に止まったり曲がったりできないので、常に3、4キロ先を見て仕事をしています。減速する時も5、6キロ先くらいからスピードを落とし始めています。


──ちょっと常人には想像つかない距離感ですね。1日に何隻くらいの水先業務を行うのですか?

その日によります。1日1隻の日もあれば3隻の日もあります。1日最高が3隻ですね。1隻にかかる時間も乗ってから着岸する場所によります。近い距離なら短い時間ですむし、遠ければ時間かかるので。

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一番難しい作業

──仕事の難しい点は?

西川明那-近影2

やっぱり船を安全に着岸させるのが一番難しいです。前に教官に言われたことですが、船を着岸させるというのは、自分から船を岸にぶつけに行くということ。その時、勢いよくぶつけると岸壁と船体の両方が壊れてしまい、莫大な損害を出してしまうし、水先人としての信頼も失われてしまいます。そうならないように、そっとぶつけに行ってるわけだから難しいに決まってるよなと教官に言われた時、確かにそうだよなと思いました。


──確かにそうですね。その他は?

水先人として乗るのは初めての船ばかり。車でも代行運転が難しいとよく言われる理由は他人の車は同じ車種でも所有者独特のクセがあり、それが初めて乗る場合はつかみづらいからです。その上、水先人の場合は今日は軽自動車だけど明日はダンプカーといったふうに大きさにかなりのばらつきがあります。さらに船長・船員の技術レベルや練度もまちまちなのでそれを把握するのが難しいですね。

また、船ってエンジンやスラスタが動かなくなったり、錨も出ないなど、いろんなところがしょっちゅう故障するんですよ。私は運がいいのか悪いのか、その壊れる船によく当たるんです。以前、スラスタが壊れている船に乗って、着岸作業をしている時に、岸壁から離そうと思ってスラスタを操作すると逆に岸壁に近づいていったことがあったんです。船長に、「おかしい、スラスタが逆に動いてるから機関室に直接連絡してスラスタそのものを止めて」と指示したら「そんなわけないだろ」と言うので「じゃあちゃんと見てみて」と確認させたら本当にそうなっているのがわかって、船長がすぐスラスタを止めてくれたので、何とかギリギリ手前で止まって事なきをえました。この時がこれまでで一番焦りましたね。

一番危険な気象現象

──船以外、例えば気象、海象条件でも難しい状況はたくさんあるでしょうね。

強風が吹いたり高波が立つと操船が難しくなりますが、天気で一番困るのは霧ですね。1人立ちして2隻目の出港の時、嚮導を開始してからしばらくして、湾内がものすごく濃い霧で包まれたんですよ。すれ違うたくさんのパイロットから「全然見えないから気をつけろ」って言われて。本船に私を下ろすために接舷してきたタグボートが霞んでたくらいの霧だったので、たぶん100m先も見えてなかったと思います。あまり霧が濃いと事故が発生する危険度が高まるので海上保安庁が東京湾内に船を入れないようにするんですが、その寸前でした。私が航路に入った直後にクローズになったんです。


──すごく恐いですよね。視界がきかない時はどうするんですか?

水先業務にレーダーは欠かせない(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

水先業務にレーダーは欠かせない(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

レーダーだけで操船します。航路に入る前にクローズになったらどこかの錨地に入ってアンカーを打たないといけないのですが、当時は錨地を探すのに時間がかかったので結果的に走らせてもらってよかったです。今なら、どこに連絡してどこの錨地に行ったらいいというのが全部頭の中に入っているので問題ないですけどね。


──本当にトラブル続きでご苦労されたんですね。

でも一人立ちしたての頃からいろんな突発的なトラブルに遭遇したことで、その対処法を身をもって学べたので、もう何が起こっても大丈夫だという自信がつきました。だからその時はもちろん大変でしんどいですが、トラブルをたくさん経験してきてよかったと思いますね。

船酔いもする

──素朴な疑問ですがやっぱり船酔いって全くしないんですか?

しますよ(笑)。パイロットボートは小さいので少しの波でもよく揺れるんです。特に東京湾の入り口の久里浜沖が波が高くて、風が吹いたりすると大変です。ちなみに4mぐらいになると出られませんが、2~3mくらいだと普通に出ます。高波に揺られて本船に着くまで1時間、船に乗り込むまでに疲れますが、本船に乗ったとたんにシャキッとします。仕事モードに入って気が引き締まるのと、大きい船はそれほど揺れないので大丈夫なんです。

水先人という仕事の魅力

──水先人の仕事は楽しいですか?

西川明那-近影4

楽しいですね。船が思ったとおりに曲がらないとか止まらないとか、予測不可能な動きをするとか、故障するとか、急に他の船が航路上に出てきてぶつかりそうになるとか、胃に穴が開きそうになることも多々あるんですが(笑)。乗り物に乗ってるのが好きだし、もちろん船が好きなので、すごく楽しいです。


──仕事の魅力ややりがいは?

計画をしっかり立ててから本船に乗り込むのですが、計画通りに最後まできれいにうまく水先業務ができたなと思えた時、自分の思った通りに船を動かせた時が一番楽しいですね。例えていうなら一発できれいに車庫入れできた時の感覚と言うとわかりやすいかもしれませんね(笑)。しかも、何せものが大きいので。最大280m、5万トンもある巨大なものを自分のオーダーで思い通りに動かして、思った通りの場所に運ぶというのはなかなかやりごたえがありますよ。

一番うれしいのは、無事に着岸した時に船長から「Thank you pilot, good job!」とか「Excellent」とかいう言葉をいただく時。この時は、ああ、この仕事をやっててよかったなと思いますね。でも上には上がいて、最上級の褒め言葉は「Beautiful!」なんだそうです。そこにはまだたどり着けてないので、そこを目指して仕事をしているんです。


インタビュー第3回はこちら

水先人とは

──西川さんは女性初の水先人ということですが、水先人になったのはいつなのですか?

西川明那-近影1

2011年3月に東京海洋大学大学院の水先人養成コースを卒業し、5、6月の水先人の国家試験に合格して、7月から東京湾水先区水先人会に入会して水先人として働いています。それまでは、水先人は大型船の船長を3年以上経験した人でないとなれなかったのですが、そういう人がどんどん減って、水先人になれる人も減ってしまったので、2007年に法律が変わり、船長や航海士の経験がなくても国が定めた教育課程を修了して合格すれば水先人になれるようになったのです。私はその新制度ができて水先人になった第一期生なんです。


──水先人とはどのような職業なのでしょうか。

ものすごくわかりやすく、ひと言で言うと、「東京湾限定の船の代行運転兼カーナビ兼通訳」みたいな感じですね(笑)。東京湾に入ってきたり東京湾から出ていく船舶に乗り込み、安全に着岸したり、湾外に出られるよう操船の指揮を採るのが私たち水先人の仕事です。

通常、船は船長の指揮で航行していますが、船長は世界中の様々な港の地形や海流など、その港湾特有の事情をすべて覚えて適切に対応するのは不可能です。そこで船長はその港湾・水域の事情に精通している水先人を要請し、求めに応じて乗船した水先人が船長にアドバイスして船を安全に効率よく入出港させるわけです。

水先人の仕事

──水先人としてどんな船に乗ることが多いのですか?

ほぼ外国船です。たまに日本の船に乗ることもありますが全体の1%くらいです。ハーバーでの離着岸作業、車でいうと車庫入れ作業で、私が水先人になって丸6年と少しの間にハーバー業務を約1100隻行いましたが、そのうち日本船は30隻くらいしかありません。

船の種類は、コンテナ船、バラ積み船、LNG船など、客船以外のあらゆる船に乗ります。客船は、私は二級水先人なのでまだ乗れないんです。二級水先人で乗れる船は5万トンまでの船舶、危険物積載船は2万トンまでと定められています。これまで乗った1番大きい船は4万5000トン、小さいのが700トン。最近は2~4万トン、200m程度の貨物船が多いですね。


──一連の仕事の流れを具体的に教えてください。

まず、入湾の場合は、横須賀市久里浜にある東京湾水先区水先人会の横須賀事務所から水先挺(パイロットボート)に乗って、東京湾入り口へと入ってくる船に向かいます。パイロットボートが到着すると本船に横付けして(本船からたらされた)専用のはしご(パイロットラダー)を登って本船に乗り移ります。


──大きな船にラダーで乗り移る時、風や波があったら危ないですよね。

パイロットボートからラダーを伝って本船に乗り移る西川さん。慎重さと素早さが求められる

パイロットボートからラダーを伝って本船に乗り移る西川さん。慎重さと素早さが求められる(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

ラダーを登る西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より

風が強かったり波が高かったりうねりがあったりすると、ラダーから手や足を滑らせて海に落ちる危険があります。私は握力に自信がなく、船が揺れたら危ないので、そうならないようにラダーを登る前から安全を確保します。つまり、風はだいたい一方向からしか吹かないので、風が吹きつける方向とは反対側にパイロットボートを着けるのです。だからこれまで乗り移る時に危ない目にあったことはありません。

あと、本当に危険な場合はパイロットボートから本船に乗り移ることができません。命に関わるので風が弱まったり、波が穏やかになるまで待ちます。波がすごく高かった時は、どう考えてもパイロットボートから乗り移りできないと判断してラダーまで行かずにあきらめたこともあります。また、ある時は海が大しけで東京沖に投錨した本船(大型船)から下船できずに、そのまま28時間待機せざるをえなかったこともありました。

やりとりはすべて英語で

──大型船とはいえ丸1日以上も荒れた海の上で待つって大変ですね。本船に乗り込んでからは?

ブリッジで船長と打ち合わせを行う西川さん

ブリッジで船長と打ち合わせを行う西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

すぐに船を操縦するブリッジ(操舵室)まで駆け上がります。ブリッジは船の一番高い場所にあり、小型コンテナ船でもビルの6階に相当する高さがあります。ブリッジに到着すると船長と速やかに情報交換を行います。水域の状況、岸壁までのルート、接岸方法、タグボートの数と配置を説明し、「今日はこういう潮と風ですからこういうルートを通ってここに行きますからね」などと伝えて船長の了解を得ます。外国船の乗組員は外国人なので、やり取りはすべて英語で行います。また、ブリッジでは適切な海図があるか、レーダー、AISなどの航海計器が正常に作動しているかを確認して、舵効きなどの運動性能、乗組員の配置や練度などを迅速に把握します。

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実際に機器を操作することも

──どのようにして岸壁まで船を安全に案内するのですか?

船長に英語で助言する西川さん

船長に英語で助言する西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

我々パイロットは原則アドバイザーなので、船内における指揮系統のトップである船長を介して、いろいろとオーダーをして、操船します。例えば、浦賀水道に入ったら、制限速度は12ノットなので、速度計を見ながら12ノット以下に落としてくださいとか、逆に速度を上げていい場所ならもっと上げてくださいなどと指示します。

また、航路を曲がる時は舵の角度も指示します。例えば左のことをポート(Port)といいますが、船が曲がる角度を見ながら「Port 10.」などと舵を傾ける角度を指示するんです。船は風と潮流に大きな影響を受けるので、それらを計算に入れて指示を出します。

このような、水先人のアドバイスによる操船のことを「嚮導(きょうどう)」といいます。先に立って案内するという意味で、パイロットの役割を的確に表しています。


──船長はパイロットのアドバイスや指示にすべて素直に従うんですか?

西川明那-近影2

いえ、そういうわけではありません。例えば減速を指示した時「この船は止まりやすいからまだスピードを落とさなくていいよ」と船長から言われることもありますし、逆に「この船は止まりにくいから早く落としたほうがいい」と言われることもあります。そういう時は船長の意見を受け入れます。常に船長とコミュニケーションを取ることが重要なのです。


──パイロット自身が実際に船の機器を操作することはないのですか?

ありますよ。大型船には船首の船体横に、スクリューを回転させて水流を吹き出して船体を横移動させるスラスタという補助推進機がついている場合があるのですが、着岸の時に実際に岸壁と船体の距離を見ながら操作します。舵は舵を操作する専門の操舵手がいるので自分で直接動かすことはないですね。


──嚮導を行う上で特に大事な要素は?

風と潮ですね。常にこの2つをチェックしながら船長に助言します。「今日のこの時間のこの場所は潮の流れが特に強いから気をつけなきゃダメだよ」などとアドバイスをしています。とにかく常に天気図や海流図はチェックしています。

海図を指差しながら水深をアドバイスする

それともう1つ、パイロットが覚えていなければならない非常に重要な要素があります。それは水深です。例えば(海図を指差しながら)ここの水路は片側が浅く水深が2m40cmしかないので、喫水が5mある船はこの部分は通れないんですよ。もし知らずに2m40cmのエリアに入ると座礁してしまいます。また、船が故障した時も水深が頭に入っていれば、効率的な脱出ルートがすぐに浮かびます。初めてやってきた船長も風や潮や波、水路の幅は目で見てわかりますが、水深はその水域を知り尽くしたパイロットしかわからない。そこがパイロットのすごさでもあります。水先人の国家試験で東京湾の海図を書かされたんですが、水深も全部書かされるんです。それだけパイロットにとって水深は大事なんです。

もっとも難しい着岸作業

──着岸はどのようにするのでしょうか。

本船が着く岸壁が近づいてきたら減速します。風向きや潮流を考慮しつつ、本船の速度の落ち方を見ながら、エンジン出力の調整を航海士などに指示します。

岸壁の近くまで来るとエンジンを止めます。船は低速になると舵が効きづらくなるし、車と違ってブレーキもないし、海面自体が動いているので制御が難しくなります。特に大きな船は小回りがきかないので、タグボートという小型だけどすごい馬力のある船に操船を補助してもらいます。港からやってきたタグボートを本船の右の後ろや前にロープで結びつけて、どのくらいの力で引いてくださいとか押してくださいと指示します。ここは全神経を集中して多くの判断を瞬時に下さなければならない最も重要な場面ですね。

トランシーバーで指示を出す西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

トランシーバーで指示を出す西川さん(画像:「若き海のパイロット」(日本水先人会連合会)より)

そうやって船体をゆっくりと岸壁と平行にもっていって、岸壁や船体を損傷してしまわないように、船体を毎秒数センチ以下という速度でゆっくりと指定の岸壁に近づけ、静かに着けるんです。そして本船から送り出した係留ロープが岸壁のビット(係留柱)にしっかりと固定された時、パイロットの船内での業務は完了です。一番ほっとする瞬間ですね。


──着岸後は?

船長から業務完了の確認書類を受け取り、挨拶を交わして下船します。これがその日操船する最後の船ならパイロットボートに乗って水先人会の事務所に帰ります。事務所では業務記録や報告、申し送りなどの手仕舞いをして一日の業務が終了します。その後も他の船舶の水先業務を受けている場合は指定された時間にまたパイロットボートに乗ってその船に向かい、乗り込んで同じ嚮導業務を行います。


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