2015年10月アーカイブ

山伏としても会社員としても人の幸せを祈る[後編]

大学院卒業後のキャリア

──大学院を卒業してから現在まではどのような仕事をしてきたのですか?

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卒業後は東京都庁に非常勤の学芸員として採用されました。学芸員になるという最初の夢が叶ったわけです。基本的に都庁に勤務して、東京大空襲関連の資料の整理をしていました。非常勤で週4日勤務だったので、山の修行もしつつキャリアを積んでいずれは正規職員の座を狙おうと思っていました。でも4年くらいが経った頃、学生時代から付き合っていた彼女と結婚することになったので、正規雇用を目指して辞職。資料保存のためのマイクロフィルムの撮影、スキャニング、電子化などを手がける会社に正社員として入社しました。職種は営業で、博物館や学校、官公庁などを回っていました。

その会社には7年半勤務したのですが、40歳を迎えるのを機に、山伏として活動しながら生計を立てるためによりふさわしい仕事は何かと考えました。今までの山伏としての生き方と少しでも関わりのある仕事に就きたいと思ったのですが、具体的な仕事はなかなかイメージできなかったんです。それで当時、僕が加入していた生命保険のライフプランナーに相談してみました。ひと通り話を聞いた後、彼は「東さん、生命保険っていつ支払われるものですかね?」と聞いてきました。そのとき「何を当たり前のことを。死んだ時に決まってますよね」と答えたのですが、その瞬間、「あ!」と雷に打たれたような衝撃を受けました。そうか、人が亡くなったらお金が支払われる生命保険の仕事って、神聖といえば言い過ぎかもしれないけれど人の人生にとってすごく重要な部分に触れる仕事なんじゃないかと思ったんですね。だからそもそも生命保険会社って次の仕事としては全く選択肢になかったのですが、この道を行くのは間違っていないんじゃないかと思い、2013年にライフプランナーになったんです。


──生命保険会社の社員としては毎日どんな感じで働いているのですか?

僕は生命保険会社の社員ではありますが、完全歩合制なので個人事業主のようなもの。一般的な会社員の方とは違い、定められた出社日を除き、出社義務や定時がなく、結果さえ出せば基本的に働き方は自由です。その結果を出すことが難しいわけですが。

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働く時間は日によって全然違います。お客様とのアポが朝一のときは朝早く家を出ますし、昼からのときもあります。そこはお客様のご都合次第ですね。ただ、僕はサラリーマン時代が長かったので、あまり自由な働き方は性に合わず、基本的に会社に行くことにしています。だいたい毎日4時半から5時には起きて6時前に家を出て会社に行き、お客様の会社やご自宅を周り、帰宅します。帰宅時間もまちまちで、子どものお迎えがあるときは早めに帰るし、夜のお付き合いがあるときは遅いですね。このへんも自分で調整できます。

一般的な会社員との最大の違いは仕事のメインが土日だということです。やはりお客様の大半を占める会社員の方々にお時間を取っていただき、じっくり人生や保険の話をしようとすると土日しかないからです。ですから土日のスケジュールが空いているとやばいと思います(笑)。というか土日に限らず平日でもアポが入っていないと焦りますよね。働いている方が全然楽です。これはこの業種・職種ならではでしょうね。


──土日が仕事だと家族サービスができないのでは?

確かに小学校に上がったばかりの娘と1日じっくり遊ぶということは難しいのですが、前職と比べると家族といる時間は増えました。妻もイラストや漫画の仕事をしている個人事業主ですし、僕の働き方も自由度も高いし、平日を休みにすることも可能ですしね。


──完全歩合制に対するプレッシャーは?

まだライフプランナーになって2年で経済的に楽になっているとは言えない状況なので、プレッシャーがないわけではありません。でもやればやっただけ結果はついてくるので、やるしかないという思いで仕事に取り組んでいます。

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人生の伴走者

──仕事をする際に心がけている点は?

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いきなり保険商品の説明から入るということはありません。大事なのはお客様の人生に寄り添って、お客様が望む生き方を実現すること。そのために、僕らが手助けできることはないかということを考えます。つまりライフプランナーとはいわば人生の伴走者なんです。ですからその人がどういう人生をお望みなのかがわかるまで何度も面談を重ねてライフプランを一緒に考えます。保険の話が出るのはその後ですね。お子さんや奥さんなど守るべきご家族がいらっしゃる方だけではなく、例えば若くて独身で将来起業したいという夢をおもちの方の場合は起業資金を貯める方法を考えることもあります。ですから基本的にいわゆる生命保険という範疇だけではなくて、その方の叶えたい夢を実現するための手段として生命保険を活用していただくということが多いですね。

僕は仏教を勉強して得度もして山伏でもあるので、人びとの現世利益であるお金を増やすというお手伝いもしつつ、契約者が亡くなったとき心置きなく成仏していただくためにもご家族をお守りできるだけの保険を作りたいと思っています。


──ご自身のライフプランも立てているのですか?

当然立てています。でも人の考え方や望むことなんてその時々で変わるし、人生何が起こるかわからないから、ライフプランもその時々に応じて変えるべき。とらわれてはいけません。事実、僕が最初に立てたライフプランと今では全然違います。お客様にも「ここにあなたの考え方や価値観をまとめましたが、あくまでも今日の時点のものです」と言っています。

人生=修行

──働き方で大事にしていることは?

働き方について意識したことはあまりないですね。人生=修行なので、働くこともまた修行であり、生きることが仕事。それくらい密接になりたいししたいと思いますね。


──仕事のやりがいや魅力はどんなところにありますか?

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先程もお話しましたが、そもそも、ライフプランナーという仕事を働き方の自由さとか完全歩合制で選んだわけではありません。大事なのはどれだけ人に貢献できるか。その中でも個人的な付き合いができるのが保険業。だからお客様との付き合いを保険だけに限定したくないと思っていて、メルマガを発行するなどして保険以外にもいろんな情報を提供しています。あと、仕事柄多種多様な方々と知り合うことができるので、「この人にこの人を紹介したらお互いに喜ばれそうだな」と人と人とをつなぎ合わせることもしています。それも楽しいですよね。仕事を通じて、仕事を超えた付き合いができることがこの仕事の魅力です。また、経営者と話すことも多いのでたくさんのことを学ばせていただいています。仕事はまさに里の行なんだなと思いますね。

このように人の人生の重要な部分に触れてお役に立てて、自分自身にとっても得るものが多いので、仕事に対しては失礼な考え方かもしれませんが、ライフプランナーはボランディアでもやりたい仕事だと思っています。僕の話を聞いてくださった人の人生をよりよく変えるために、その人自身と大切な家族を守るために全身全霊を懸けるという覚悟で仕事をしています。

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「道心の中に衣食有り」

東龍治-近影4

──仕事人として目指している理想像はありますか?

僕はまだ保険金のお支払いを経験していないのですが、そのときが訪れたら契約者のお葬式に出てお経を上げて、遺族の方に「ご主人は亡くなったけれど今後のご家族の生活には何の心配もいりません」と言えるライフプランナーになりたいなと本気で思っています。そうしたら亡くなった契約者も経済的に家族が困らないから往生できると思うんです。

また、基本的に僕らは報酬を会社からいただいているという認識はなくて、お客様がお支払いくださる保険料の一部をいただいているという認識なんですね。ですからライフプランナーは皆様に生かされている存在だと思っています。同時に報酬額が大きいということはそれだけたくさんのお客様に信頼されているという証拠なのでもっと頑張らないといけないとも思います。

僕の好きな言葉で「道心の中に衣食有り」というのがあります。天台宗の開祖、最澄が言ったとされる言葉で、「一所懸命修行をしていれば、着るものや食べるものは自然とついてくる」という意味です。修行=生活=仕事だと考えたときに、ただ生きているだけじゃなくて一所懸命修行に励んでいれば生活の心配はないだろうという、能動的な点が好きですね。

とにかく一歩踏み出す

──東さんは大学・大学院進学時や、得度をして山伏になるとき、転職するときなどけっこう大きな人生の岐路でそれほど悩んだりしなかったようですがそういう主義なのですか?

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確かに人生の節目に立った時、あまり深刻に考えず、勢いとか「何となく」で決めることが多いですね。その道に入ってやっていくうちに段々いろいろなことに気づいていくというパターンが多かったなと。「何となく」で決めたら後で必ず痛い目にあうことが多いです。でも助けてくれる人も必ずいて何とかなるもんなんですよ。僕もある意味勢いで保険業に飛び込みましたが、保険や人の大切さなどこの仕事をして初めて気づけたことがたくさんあります。だから世の中にはあれこれ考えて一歩踏み出すことができない人も多いのですが、そのままだと何も変わらないので、あまり深く考えず、取りあえずやってみた方がいいんじゃないかと思いますね。よく山伏になるにはどうすればいいんですかと聞かれるんですが、山伏になると決めることと答えています。

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人生に正解はない

──では何となく入ったわけですが、修験道の世界に入ってよかったと思いますか?

東龍治-近影6

はい。これは間違いなく即答できますね。自分が目指していた仏教や修験道の世界で気づけたこともたくさんありますし、何も考えずふらふら酒を飲みながらギターを弾いてた学生時代に比べれば、一本芯のようなものが通った、少なくともどんな扱いを受けても自分の中で崩れない部分はできたと思えるので。まだまだ修行中の身なので偉そうなことは言えないのですが(笑)。


──人生の夢や目標は?

僕には「家族を幸せにする」という人生の命題があります。ちょっと欲張りなのが自分の家族だけじゃないというところなんです。


──家族というのはご自分の家族のことだけではないんですか?

もちろん僕自身の家族も含まれますが、それだけではなく、出会ったすべての人の家族、仏教の世界ではご縁といいますが、ご縁のある方皆さんに幸せになってもらいたいなと思っています。それは山伏としてライフプランナーとしても同じで、東に出会ったことで人生がよくなったと言ってもらいたいと思っています。


──いろいろとお話をうかがうと、山伏と現在のお仕事は意外とリンクしているんですね。?

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そうなんです。僕はまだ修行不足でそこがうまくまとめられていないのですが、両者はかなり強く結びついているような気がするんです。山伏としてその人たちの幸せが成就するために修行を積むわけですが、ライフプランナーとしても仕事をする上でいろんな勉強をさせていただいています。自らを高める努力をしつつ、身につけた能力で少しでも皆さんのお役に立ちたいという考え方がライフプランナーと山伏とは似ているんですよね。今後も人様のお役に少しでも立てるよう、両方頑張っていきたいと思っています。

山伏としても会社員としても人の幸せを祈る[前編]

サラリーマン山伏として

東龍治-近影1

──東さんは「サラリーマン山伏」として奥様が描かれた漫画エッセイやメディアに登場されていますが、日々どんな活動をしているのですか?

平日は生命保険会社のライフプランナー、いわゆる生命保険の営業マンとして働き、休みの日は山伏の装束を身にまとって山に入って修行を行っています。


──そもそも山伏とはどういう存在なのですか?

山中で修行をする修験道の行者のことで、「修験者」(しゅげんじゃ)ともいいます。「修験」とは神通力や霊力などの人智を超えた力のことで、それらの力を山の中の自然から得るために"山"野に起き"伏"して修行するので「山伏」といいます。そもそもは平安時代の呪術者・役小角(えんのおづぬ)が始めたもので、山中で厳しい修行を積むことでさまざまな験力を身につけ、それを使って多くの民衆を救ったといわれています。


──山伏は僧侶なのですか?

得度(僧侶になるための儀式)しているので僧侶といえますが、厳密には半分だけ僧侶の「半僧半俗」です。というのは山伏の開祖である役小角は元々僧侶ではなかったからです。ですので俗の仕事をしながら山伏をやるというサラリーマン山伏はいたって普通のありかたで、「半聖半俗」ともいいますが日常生活における肉食、飲酒、結婚、全部OKなんです。(もちろん山の行に入ったときの飲酒、肉食はしません)。その他の山伏としてはお寺の住職や神社の神主などが本職の仕事をする以外に、山に入って修行を積むという形があります。

修験道とは

東龍治-近影2

──修験道とはどういうものなのでしょう。

修験道にもいろいろな解釈があるので一概には言えないのですが、基本的に宗教としては仏教で、修験道はその中の1つのジャンルという感じでしょうか。僕の場合は、制度的に天台宗で得度したので宗派は天台宗です。先ほどもお話しましたが、神主の山伏もいるというのはそういうことです。礼拝対象は基本的には山そのものですが、不動明王も拝みます。これも修験の宗派によって違います。

いつも修験道をわかりやすく説明するためによくお話しているのは「修験道とはカツカレーにチーズをかけて、味噌ラーメンを添えた感じの独特の宗教」ということです。カツカレーはインドのカレーに、元はフランス料理であるカツを乗せてますよね。そこにどこかの国で生まれたチーズを乗せて、さらに中国から来たラーメンに日本独自の食文化である味噌を合わせる。このように日本人はいろんな国の食べ物を混ぜ合わせ、独自のアレンジを加えて全く別の料理にするのが得意ですが、修験道もこれと全く同じで、元々インドで生まれた仏教に中国の儒教や陰陽道、道教、ヒンズー教、日本の神道や民間信仰が混じって、日本独特の山岳信仰になったのが修験道といっていいと思います。

山伏装束紹介

螺緒(かいのお)急な岩場などを登る際のザイルとして使用する。宗教的な意味はへその緒。修験道では擬死再生といって、山の中がお母さんのお腹の中とみなす。へその緒=ロープをつけることで胎児に戻って生まれ変わる
錫杖(しゃくじょう)上部の金属の輪を揺すって音を立てることで、蛇や熊を寄せ付けない。

山の行に入るときに身につける山伏装束。1つひとつに意味がある。 左/結袈裟(ゆいげさ):お坊さんの袈裟を折りたたんだもの。6つの緑の丸い物は梵天といい、六波羅蜜を表しており、山伏の身を守っている 右/錫杖(しゃくじょう):上部の金属の輪を揺すって音を立てることで、蛇や熊を寄せ付けない。

螺緒(かいのお)急な岩場などを登る際のザイルとして使用する。宗教的な意味はへその緒。修験道では擬死再生といって、山の中がお母さんのお腹の中とみなす。へその緒=ロープをつけることで胎児に戻って生まれ変わる
最角多念珠(いらかたねんじゅ)修験道独特の数珠。通常の数珠と違い、そろばんの珠のような形状をしているが、これは不動明王の剣を表している。珠の数は煩悩と同じ108つあり、こすり合わせることで煩悩を打ち砕く。組み合わせると独鈷杵にもなる。

右/螺緒(かいのお):急な岩場などを登る際のザイルとして使用する。宗教的な意味はへその緒。修験道では擬死再生といって、山の中がお母さんのお腹の中とみなす。へその緒=ロープをつけることで胎児に戻って生まれ変わる 左/最角多念珠(いらかたねんじゅ):修験道独特の数珠。通常の数珠と違い、そろばんの珠のような形状をしているが、これは不動明王の剣を表している。珠の数は煩悩と同じ108つあり、こすり合わせることで煩悩を打ち砕く。組み合わせると独鈷杵にもなる。

頭巾(ときん)形が丸くなっているのは如来の冠の形で、黒い色は無明を表している。12のひだは、十二因縁、因果応報を表している。
エア地下足袋 かかとの部分にクッション代わりの空気が入っている。別名、山伏のAIR MAX。岩場などで大活躍する。

左/頭巾(ときん):形が丸くなっているのは如来の冠の形で、黒い色は無明を表している。12のひだは、十二因縁、因果応報を表している。右/エア地下足袋:かかとの部分にクッション代わりの空気が入っている。別名、山伏のAIR MAX。岩場などで大活躍する。

法螺貝(ほらがい)かつてはこの音で山で連絡を取り合っていた。力いっぱい吹くとものすごく大きな音がする。東さんは皇居外苑の北の丸公園で法螺貝吹きの練習をしている。現在は天然記念物なので捕獲が禁止されている。

法螺貝(ほらがい):かつてはこの音で山で連絡を取り合っていた。力いっぱい吹くとものすごく大きな音がする。東さんは皇居外苑の北の丸公園で法螺貝吹きの練習をしている。(現在は天然記念物なので捕獲が禁止されている)

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厳しい修行の目的

──修験道の修行にはどのようなものがあるのですか?

山での修行中の東さん

山での修行中の東さん

代表的なのは、奈良県の大峰山脈に点在する拝所を5日間かけて踏破する「奥駆け」、奥駆けの最中に行う急な山を登りながらずっと大声で念仏を唱え続ける「掛け念仏」、大岩壁の上からロープで体をくくられて突き出される「覗き」、羽黒山の唐辛子入りの煙で攻められる「南蛮いぶし」、滝に打たれる「滝行」などがあります。ちなみに有名な、熱く熱せられた炭の上を素足で渡る「火渡り」は、これらの修行で得た験の力を確かめるためのものです。

修験道では山の行は十界修行といいます。この世には地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の10の世界があって、それぞれの世界の苦しみを耐えて、10種類の修行をおさめ終わると仏の世界に行けるといわれています。長時間、険しい山を歩くつらさは普通の登山者と同じで、僕も先日、山の行をしているとき、頭の中が真っ白になりました。頭の中を真っ白にするって普段の生活ではなかなか難しいですよね。人間、そういう状況になればとにかく生きること以外、何も考えられません。山の中を歩くというのはそういう極限状態に近づけるわけです。


──なぜそのような厳しい修行をするのですか?

まずは、山に入って厳しい修行を積むことで聖なる草や岩に宿る神仏のお力をわけてもらって、験力、神通力を身につけるためです。そして、その力を自分のためではなく皆様が幸せになるために使うこと。これが最終的な目的です。ですから修行中は世界平和を筆頭に、人びとの商売繁盛、家内安全、身体健全、五穀豊穣など、ありとあらゆることを祈ります。祈ることが山伏の仕事と言っても過言ではありません。山の行もレジャー登山もやってることは同じですが、違いがあるとすればそういう意識で登っているかどうかです。

その験力、神通力を得るために、自ら苦しい状況の中に身を投じて、自分の中を空っぽにして擬死再生を目論むわけです。

擬死再生で力を得る

──擬死再生とは何ですか?

東龍治-近影3

苦しい行の中で罪を滅ぼし、一度死んだようになって新しい力を得て生まれ変わることです。そもそも古来、日本には山をこの世とは別の世界、いわゆるあの世とみなすという考え方があります。民俗学的には「山中他界観」といいます。ですから山に入るということはあの世に行くということなので山伏は白装束で入るわけです。お山によっては死ぬ儀式を行うし、下山するときは生まれる儀式を行うところもあります。

昔は山は道も整備されてなかったし、危険もたくさんあったので、誰もが気軽に入れる場所ではありませんでした。ですから民衆にとって山の中に入って出てきた修験者は自分たちの知らないことを知っていたり、神通力を身につけているという感覚だったのかなと思います。

ちなみに擬死再生は日本の普段の生活の中にもあって、結婚もそうです。花嫁は白無垢を着ますが、あれは死に装束なんですね。自分の生まれ育った家を出ることでいったん死ぬ、だから白装束を着る。でも式の途中でお色直しで赤い着物を着ますが、あれは嫁ぎ先の家で生まれ変わるという意味なんです。白と赤は死と生を表しているんです。

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山の行は氷山の一角

東龍治-近影4

──山にはどのくらいの頻度で入っているのですか?

しょっちゅう入っているわけではなく、行事や行があったら山に入るという感覚です。頻度としては2ヶ月に1~2回程度でしょうか。必ず入る行(お寺が主催するイベント)が年に3回あります。1つは毎年6月第1週末の日光修験道の春の峰入り修行(花供入峯)。2つ目が7月の男体山の夏峰。登拝祭です。3つ目が1月の僕のお師匠が住職を務める日光のお寺のお祭です。その他にお寺の行事のお手伝いや、時間ができたときに本番の行の調整のために山に入っています。

ただ、今までお話したような山の行はあくまでも山伏としての修行のほんの一部に過ぎません。行というのは何も滝に打たれたり、山籠りをしたり、苦しいことをすることではないんです。山伏としてどんな修行をしているのですかとよく聞かれるのですが、いつも説明に困るんですよね。普段はどこかに行って何か特別なことをやるわけでもなく、行は普段の生活でも日常的に行っています。例えば朝起きたら仏様にお経を上げます。その後会社に行って仕事をして、夜帰ってきたら念仏を唱えます。朝起きて寝るまでが行で、つまり山伏にとっては、仕事や子育てなどを含め普段の日常生活、生きることすべてが修行なのです。特に仕事は多くの人びとに貢献できるので、山伏の使命と完全に合致します。

24時間365日、常に山伏

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ですから山伏の姿に変身したら山伏になる、というわけではないんです。僕は24時間365日、常に山伏なんです。つまりサラリーマンが休みの日に山伏になるのではなく、山伏が平日にサラリーマンとして仕事をしているという感覚なんですね。山伏といわれる人のほとんどが僕のような、宗教とは全然関係のない仕事をもっている人ですが、全員同じ感覚だと思いますよ。

この日常生活を送ることこそが僕にとっては最大の修行です。よく山の修行はつらくて苦しいのにすごいですねと言われるのですが、そもそも山の修行って全然つらくないんですよ。山に入ったら予算もないしノルマもない。会社や家のわずらわしいことも考えなくていい。地位や身分も関係ない。山に入ったらみんな平等です。むしろ里の行、つまり世の中のいろんなしがらみにがんじがらめになった世界で生きていくことこそが最大の行で、こちらの方がよっぽど大変です。そう考えれば普段の生活、里の行は苦行かもしれません。でもみなさんは山に入る修行の方がつらいと思っています。実は真逆なんですよ。

でも、日常生活のいろいろなたいへんなこともすべて修行だと思っているから耐えられるという側面はあります。生命保険の営業マンという仕事柄、あからさまな拒否、拒絶にあうこともしょっちゅうあります。そんなとき、「これも修行」と思うと心が乱れることはありません。

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山伏のメリット

──他に山伏のメリット、山伏になってよかったと思うことは?

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これもよく聞かれるんですが、特にないんですよね。しいて言えばお行儀がよくなったこと。あとは日常生活を普通のことだと思って何も考えずに生きるか、行だと思って生きるかが普通の人と山伏との最大の違いで、行によって考え方が変わって生き方が変わったことでしょうか。僕がそうなったのが得度以降ですからね。以前、師匠から教えていただいてものすごく印象に残っていることがあります。暑い中、山の中を歩いているときに、ひゅっと涼しい風が吹くと、気持ちいいなあ、ありがたいなと感じました。そのとき師匠が「東くん、それが仏様の教えだよ」とおっしゃいました。つまり、生きていればつらいことや苦しいことの方が多いでしょうが、たまにうれしいことや楽しいこと、幸せだと感じることがあります。そのときに心から感謝できるようになり、生きていること自体やこの世界そのものに対してありがたいと思えるようになりました。こういう心持ちになれたことは大きいと思います。


山伏になった経緯

──どういう経緯で山伏になったのですか?

大元には祖父の存在があります。祖父はとても信心深い人で、自宅の仏壇は毎日拝んでいたし、お寺に行く機会も一般的な家庭よりは多かったんです。仏教がかなり身近な環境で育ったので自然と興味をもつようになり、幼い頃から僕も祖父と一緒に仏壇を拝んでいました。中学、高校に上がっても毎日朝と夜に仏壇に手を合わせる習慣は続いていました。とはいえ日常的に仏教徒らしいことをやっていたわけでもないんですけどね。本当に仏教にのめり込んだのは大学に入ってからです。

小さい頃から日本の歴史に興味があったのですが、日本史と仏教って密接な関係にありますよね。日本史を学ぶ過程で仏教のことをもっと知りたいと思っていたところ、父親から「大学に行って何を勉強するんだ」と聞かれました。当時、チベットや敦煌などの中国仏教に少し興味があり、それらを勉強したいと言っちゃったので、仏教系の大学の文学部史学科に入学しました。だからお坊さんになりたいから仏教系の大学に入ったわけではないし、今でも本職のお坊さんになるつもりはありません。


──仏教のどういうところに魅力、興味を感じたのですか?

それがいまだによくわからないんですよね。小さい頃から何となく身近なものでもあったので、その方向に行くのが自然だったんでしょうね。


──大学ではどのような勉強を?

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学部のときは呪術的なものに興味があったので、平安、奈良時代の陰陽道などについて勉強していました。また、僕の地元は長野県なので、山岳信仰にも興味をもったのですが、学部で勉強してきたことが浅いからもっと深くちゃんと勉強したいと思っていました。また、小さいころから博物館の学芸員になることが夢で在学中は東京の博物館で資料整理のアルバイトをしていました。学芸員になるためには最低でも修士号くらいは取っておかないという思いもあり、大学院に進学しました。山岳信仰について何からどう調べたらいいかわからなかったのですが、たまたま同級生と話しているときに何となく山岳信仰の研究をしたいんだと言ったら、「それなら僕の父親は住職でありながら修験道の先達、山伏をやってるよ」と。彼が日光にあるお寺の息子だということは知っていたのですが、お父さんが山伏だとは知らなかったので、ぜひ紹介してとお願いしてすぐお寺にうかがいました。

そこで住職に修験道についていろいろ教えていただいたり、自分でも調べて論文をまとめたり、山伏の修行に参加する過程で、とんでもない世界に入っちゃったのかもと思いました。特に人びとの幸福のために厳しい修行を行う住職の姿を見て心を打たれ、それをただ見ている側じゃなくて自分も実際に修行を行う側へ行きたいと思ったんです。

また、当時はこの先の人生を生きていく上での確たる柱が定まっておらず、ふらふらしている自分を変えたいと強く思っていました。仏の道に入り、山伏になればまともな人間に変われるのではないかと思い、その住職、今のお師匠に「得度したいです。弟子にしてください」とお願いして弟子にしていただいたんです。その直後、大学院在学中の25歳のときに得度して、以来山伏として修行しているというわけです。


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