2015年2月アーカイブ

科学をツールに世界を幸せに[後編]

生命の起源を解き明かしたい

自身の研究について高校生に講義する羽村さん

──東大大学院の博士課程に在籍する研究者としては、これまでどういった研究をしてきたのですか?

私の専門領域は惑星科学、アストロバイオロジーです。惑星科学は水金地火木土天海を始めとする太陽系の中の惑星や衛星、小惑星や彗星などさまざまな天体を調べる学問です。アストロバイオロジーは宇宙における生命の存在やその起源を調べる、比較的新しい研究分野です。中でも私は、今から約40億年前に地球に大量に降り注いだ隕石の衝突にともない、生命の材料がどうやって作られたのか、に迫る研究をしてきました。


──そもそもどうして、いつごろから宇宙の研究をしたいと?

若いころは、お金持ちになりたい、女性にモテたい、有名になりたいなど、ありがちな願望がいくつかあったんです。私の場合は中でも特に「有名になりたい」が強かったんですよね。それも、歴史に名を残す人になりたいと思っていたんです。

では、万人が知ってる歴史上の人物ってどういう人だろうと考えたとき、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインの3人の名前が浮かびました。この3人って、宇宙にまつわる物理学の分野でそれまでの常識をくつがえすような、またその後の科学の進歩に大きく貢献したすごい功績をあげた研究者なんですね。だから私も宇宙と物理を学ぼうと思って、大学受験のときに物理学科を受験し、唯一受け入れてくれた慶應義塾大学理工学部に進学しました。

隕石の衝突を再現するために、神戸大学や宇宙科学研究所(ISAS)の巨大な銃(実験機器)を使用している(写真はISASのもの)

宇宙人・地球外生命を探したい

大学4年生の研究室配属のときに天文系の研究室に入りたかったのですが、すごい人気で抽選に外れて入れなかったんです。そこから自分探しの新たな旅が始まりました。ひと言で宇宙とか天文といってもすごく広いんですよ。そこで、いろいろ本を読んだりして情報収集をしていたところ、天文学者が宇宙のことについて話して、その後参加者とお酒を飲みながら宇宙談義をするという「アストロノミーパブ」という会が毎月開かれていると知りました。おもしろそうだと思って、情報収集を兼ねて参加しました。

するとその場で国立天文台の観望会のスタッフと出会って、宇宙に興味があるなら観望会を運営したり、参加者に解説したりするアルバイトをしてみないかと誘っていただきました。これは渡りに船とバイトをし始め、それが後にKSEL立ち上げのきっかけのひとつになったのは先にお話した通りです(※前編参照)。

そこでいろんな先輩研究者の話を聞いていたら、自分が最も興味をもてるのは宇宙人・地球外生命の有無だと思ったんです。どんなに小さな生き物でも地球以外のところに地球由来ではない生物がいたらすごくおもしろいし、宇宙人を見つけたら歴史に名を残せると。確かなことが確認できるのは遥か未来の話でも、そこに繋がる大きな一歩を自分が担ってみたかった。それができそうな研究室を探して、東京大学大学院 新領域創成科学研究科の杉田研究室に入ったんです。

ただ、広い宇宙の中から、まだいるかどうかもわからない地球外生命体を探そうと闇雲にもがいても、何かが見つかる可能性は極めて低い。一方で、宇宙のどこかに仮に生命がいるとしたら、地球と似た発生の仕方をしているんじゃないかと思いました。そこで地球での生命の起源を調べる方向に研究の舵を切りました。地球の生命の起源にはいくつかの説がありますが、中でも有力だと思われるもののひとつに、隕石が地球に衝突したことで生命の材料のそのまた材料のようなものが作られたのではないか、という考えがあります。そこで、そのプロセスの解明を志し、以来、ずっとその研究をしてきました。

実験、計測中のひとコマ

宇宙人は存在するか

──そもそもの夢だった地球外生命体は宇宙のどこかに存在すると思いますか?

いてほしいと思っています。いるとは断言できないし、いないとも言いたくない、みたいな(笑)。じゃあ出会えますかと聞かれたらそれは無理だと思っています。交信もできなさそう。なぜなら宇宙はあまりに広すぎるし、候補となる天体も多すぎるからです。太陽から一番近くの星との間で通信するだけでさえ、往復約9年もかかります。直接行くとなったら、何万年かかることか......私が生きている間どころか、人類が存続している間に可能かどうかすら怪しい気がします。ただ、この広い宇宙のどこかにはいてほしい、とは思いますけどね(笑)。

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卒業後の進路

──この3月に大学院を卒業するそうですが、卒業後も大学に残って生命の起源の研究を続けるのですか?

いえ。起業しようと思っています。博士課程に進んだときは大学に残って研究をしたいと思っていたんですけど、今では考えが変わりましたね。


──具体的にどういう事業をやるのか決めているのですか?

柏の葉に民営の科学館を作ろうと思っています。そして将来的な夢、野望としては、小さくていいので日本中に科学館を増やしたい。今、日本の科学館は大きく2つにわけられます。1つは国や県、市などの行政が運営するもの。もう1つは企業が自社の技術などをPRするための施設です。いずれも都市部に集中していて、誰もが気軽に行ける施設ではないですよね。

それに大きな科学館でも常設展にそう何度も行くという人は国民全体で見れば少数派ですよね。企画展が変わればまた行きたくなる、という人はいるでしょうが、規模が大きい科学館で毎月企画展を刷新するのはなかなか難しいのではないでしょうか。

だから私は映画館のように街のあちこちにあって、コンテンツもドンドン入れ替わり、誰もが頻繁に行きたくなるような科学館を作りたいんです。そして誰もが気軽に科学を楽しみにいく文化を根付かせたいんです。そこで、第一弾としてまずは、これまで活動を支えていただいてきた柏の葉に、広めの会議室程度の小さな科学館を作りたいと思っています。そしてハコの小ささを逆手にとってこまめにコンテンツを入れ替え、誰もが気軽に頻繁に来てくれるような場所にしたいと考えています。

いろいろな要素をミックス

──それは今までにない新しい取り組みですね。

もちろん、ただ展示物を設置するだけで終わらせるつもりはありません。今までKSELでは「人と人とのコミュニケーションの活性化」にフォーカスを当ててきたのでそれを踏襲し、例えば土曜日はイベントの日として、展示に囲まれた科学館の中でワークショップやサイエンスカフェを開催して参加者と交流を深めたいと考えています。同時に、誰もが気軽に集まる場所に育てることで、来場者同士の交流も生まれ、科学館を中心とするコミュニティが自然発生的に生まれたらいいな、と思っています。

「理科の修学旅行」で行った星空観測。光の筋のように見えるのは人工衛星

イベントやワークショップでサイエンスに興味をもってくれたら、科学館を飛び出して現場に出かけることに繋げたいですね。例えば宇宙に関する展示やワークショップの後には星空のきれいなところに繰り出して望遠鏡で星を眺めたり、発酵について学んだら蔵元さんを見学させていただいて夜は日本酒を楽しんだり。大人版の「理科の修学旅行」ですね。こうした活動も、私が仕掛けるだけでなく、科学館を中心としたコミュニティができて、イベントの参加者の方から、うちの別荘に泊まってよ、なんてお招きいただいたり、参加していた農家の方から一日就農体験をしないかと誘っていただいたりして活動が拡がっていったらすてきだな、と思っています。

2013年に苗場で実施した「理科の修学旅行」にて、観察用に採取した昆虫を掲げる子どもたち

街全体を科学館に

一方で、小さな科学館では設置できる展示の数も限られますし、その中で初学者とマニアを同時に満足させることは困難です。そこで、これまで柏の葉の街で活動する中で拡がってきた、街に関わる方々の輪にお力添えいただき、街全体に展示を配置し、街そのものを科学館にすることも考えています。意外と知られていないサイエンスの基礎知識に街中で気軽に触れられる環境って、魅力的だと思いませんか? 例えば駅のトイレに入ると木星についての展示があったり、コーヒーを飲みにカフェに入ると壁一面にコーヒーにまつわる科学の解説図が展示されていたりしたら、トイレの時間もコーヒーを飲む時間も、今より生産的で有意義な時間になるし、何より楽しいと思うんですよね。街全体を科学館として展示を配置する試みは、実現に向けてすでに走り出しています。この試みが柏の葉で成功すれば、周辺地域、そして全国へと拡げていきたいですね。

KSELのイベントの参加者と一緒に(最後列中央の浴衣を着ているのが羽村さん)

──まさにKSELでやってきたことのエッセンスをすべて活用するといった感じですね。起業は羽村さんお1人でする予定なのですか?

一部はKSELの活動の一環として、メンバーと一緒に進めていきたいと思っています。でも、KSELのメンバーはそれぞれ本業を持っていて、ボランティアで活動しているので、彼ら・彼女らには各々が楽しいと思えること、やりたいことを、各々が負担にならない範囲で楽しんでもらいたいんです。それに学生メンバーの多くは卒業とともに柏の葉を去って行きますので、活動できるのは2年間です。ですから、こうした活動を続けていくための仕事や、長い目で見た活動の設計などを業務として行なう人数、という意味では、今のところ1人で起業するつもりでいます。誰か手伝ってくれないかなと思っているのですが(笑)。この記事をお読みいただいて、一緒にやりたいと思ってくださる方がいらしたら、是非連絡をお待ちしています!(※連絡先:info@exedra.org

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起業を決意した理由

──そもそもなぜ大学に残らず起業しようと思ったのですか?

KSELのような、有志によるボランティア団体ならたいてい経験したことがあると思いますが、活動はメンバー個々人の能力やモチベーションに大きく依存します。しかもKSELの場合、2年間でほとんどの院生が卒業・就職してしまうため、メンバーの入れ替わりが激しく、活動の頻度や性質にも大きな波が生じます。また、ノウハウの蓄積や活動の質の向上にも限界があります。そこで、メンバーの入れ替わりが激しい組織でも、地域や社会に対して安定的に高い価値を提供し続けるためには、ビジネスとして成り立たせる必要がありました。ですので、起業しようと思うことは、自分にとっては自然な流れでしたね。もともと、中学生くらいの時から漠然と社長になってみたい、と思っていたことを思い出し、ようやくそれにチャレンジできる時が来たのかな、とのんびり構えています。

大学に残って研究をする人生は今でも魅力的だと思っていますし、それをあきらめるつもりもありません。科学を伝える活動をしていると、今まさに世界の最先端で行なわれている研究について、実際に研究している本人から話してもらえる、ということに大きな喜びを感じる方が数多くいらっしゃることがわかりました。ですから、将来的には、自分が作った科学館の一部門として研究所を作り、仲間とともに研究を行って、その成果を科学館で発信できるようにもしていきたいですね。


──それはすごくいいですね。企業に就職するという道は考えなかったのですか?

それも考えはしましたが、私はだいぶ変わり者なので、会社という組織の中でうまくやっていく自信がなくて(笑)。だから就職活動は一切してないんです。


──組織の一員として人間関係に気を遣うよりも自分がトップに立って思うようにやりたいという感じですか?

いえ、自分のやりたいことをやろうと思えば手続きとか根回しとか筋を通すといったような、人間関係に気を遣うことはどうしても必要になるので、既存の会社に勤めるサラリーマンでも起業してトップに立っても、その苦労は同じだと思っています。むしろ、トップに立った方が気苦労は大きいかもしれません。それよりも、私は会社に限らず既存の組織が今までの長い歴史の中で作り上げたルールや暗黙の了解、企業風土などに素直に馴染めない性格なんですよ。それに一から何かを作りあげることに生きがいや楽しさを感じるので、自分にとって起業という道を選択したことは、野球がとてつもなくうまい小学生がプロ野球選手になりたい、と思うくらい自然なことだったんです。

子ども向けの自由研究ツアーにて

強い気持ちで起業に挑戦

──大学院を卒業していきなり起業することに全く不安はないのですか?

卒業してすぐに結婚する予定なので不安がないと言えば嘘になりますが、取りあえず自分でどこまでやれるのかチャレンジしたいという気持ちが強いですね。自分のチャレンジによって地域や社会がよりよく変われば、それが巡り巡って自分や大切な人たちを守り、温かく育むことにもつながると思うので、そうした未来を実現するためにまずは全力を尽くします。


──周囲の人の反応はどうでしたか? いきなり起業することに反対する人も多かったのでは?

私の気軽な雰囲気が何も考えていないように映ったんでしょう、両親も婚約者も最初はびっくりして反対しましたが、時間をかけて丁寧に説明したら納得してくれたと、少なくとも私は思っています(笑)。多くの方から「起業するのは1回会社勤めしてみてからでもいいんじゃない?」とか、「本当にうまく行くの?」とか、心配の言葉やアドバイスをよくいただきます。確かに、イバラの道だと言うことは、社会経験のない私でも容易に想像できます。でも、起業を決めた経緯を思い出せば、恐いからやめる、皆に反対されたからやめるという選択肢はないんです。だから反対されればされるほど、起業して事業を成功させ、自分を育ててくれた柏の葉という街や、自分や大切な人たちが暮らす日本の社会に価値を提供するんだ、という気持ちをより一層強くしているように思います。

仕事は自分の理想を実現するための手段

──これから社会で活動していくわけですが、働くということに関してはどのようにお考えですか?

難しい質問ですよね。まだ働いてもいないわけで、現時点でなかなか明確な答えは出なそうにありません。ただ、働くことは人生の一部にすぎないので、働くことだけを人生のすべてだという考え方はしたくないと思っています。

強いて言うなら、働くことは自分を表現する手段のひとつなのかなと思っています。仕事を通じて自分らしく生きていけるとか、社会をよりよく変えられるとか、大切なものを守れるとか、自分の理想を実現するための手段として働くということがあるのかなと思っています。


──羽村さんの理想とする生き方、働き方は?

嫌だけど仕事だからしょうがないと割り切って働くということは極力したくない、好きなことやおもしろいと思えることだけをやって楽しく生きていきたいなと思っています。こういうことを言うと、まだ社会に出てないからそんな甘いことが言えるんだと思われるでしょうし、自分でも思うのですが。もちろんそれだけで人生を終えられるかどうかはわからないし、いろいろ我慢しなきゃいけないことも多々あるとは思うのですが、自分にそれがどこまでできるのかを試してみたいという感じです。楽しみながら働くことで自分を表現していきたいですね。

プライベートに関しては、大きな家族で暮らしたいです。映画やドラマで、昔の生活の形として、長屋にいくつかの家族が集まり、頻繁に近所との交流があり、まるで大きなひとつの家族のように暮らしている姿が描かれることがあります。現代の核家族化とは逆行しますが、そんな暮らし方をできたらいいな、と妄想しています。近所に住む人々が、お互いに得意なものを持ち寄って提供しあうという暮らしの形へのあこがれは、先に述べた科学館を中心とするコミュニティにおいて、私が理想とする人と人との関わり方にも大きく影響を与えていると思います。

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キャリア教育プログラムにも参画

「理科の修学旅行」事後発表会にて、学んだ中で印象に残ったことをそれぞれが描いた絵の前で

──今の一般的な社会人の働き方についてはどのように感じていますか?

一般的な社会人の働き方をどれだけ熟知しているか疑問なので、そんな私がコメントするのははばかられますが、数少ない身近な例を見ていると窮屈そうだなと感じています。最近は考え方が自由で柔軟な人も増えているとは思いますが、まだまだ偏見や固定概念に縛られ、通り一遍の発想から抜け出せずにいる人が多いような気がしていて。それを象徴するような出来事がつい最近ありました。

詳細は話せませんが、KSELの活動を通じて知り合ったある女子中学校の先生から、キャリア教育プログラムを立ち上げるから手伝ってほしいと頼まれました。元々教育には興味があったので快諾し、その中学校の先生たちと打ち合わせをしたとき、いろいろな社会人をゲストに呼んで仕事について話してもらおうと考えているというお話でした。それを聞いて生徒たちにとってはかけがえのない有意義な時間になりそうだと感じました。

では、みなさんが先生だったらどんな方をゲストにお招きしますか? 社長さん? OLの方? 画家さん? 板前さん? 想像は膨らみますね。女子校ということもあり、私は「主婦の方は呼ばないんですか?」と聞いてみました。すると、先生たちは鳩が豆鉄砲を食らったように目が点になってしまいました。よく話を聞いてみると、ゲストは会社経営者と会社勤めの方だけだそうです。

それを聞いて驚きました。働き方が多様化しており、今後その傾向がさらに強まるであろう未来の社会へと羽ばたく生徒たちに対して、会社員としての未来しか示さないつもりなのだろうか。そう思ったら心がざわつきました。世の中には医者や弁護士、カメラマンやデザイナーなどいわゆる一般企業に勤めるサラリーマン以外にも個人事業主を含め多様な働き方がある中で、何を目的として子どもたちにキャリア教育をしようとしているだろうと疑問に思ったわけです。


──主婦も1つのキャリアの形ですよね。

そうですよね。その人にとって自分の人生の中で家族とともに過ごす時間こそが一番大事ならそれが幸せな人生で、それも成功だといえるはずですよね。でも、子どもたちが、正社員こそすばらしいという価値観を植え付けられて社会に出て行くのはかわいそうだと思いました。そこで、当日教壇に立つだけでなく、キャリア教育プログラムの作成段階から、私の立場でできる範囲で、ではありますが、協力していくことにしました。

私がこれまで付き合ってきた方々の中には、ちょっと変わった思考をもつ革新的な人が多々いましたので、日本って世間で言われているほど全然保守的じゃないじゃないか、と思っていたのですが、まだまだ偏った価値観に縛られている方が多いのかもしれない、と感じる瞬間は時々あって、この出来事もそうした体験のひとつでしたね。

科学という世界観に支えられた平和な社会を作りたい

──今後の夢・目標を教えてください。

私は、科学とは世界観を支えるものだと思っています。例えば昔、山に囲まれた世界に住んでいた人々は、自分たちが暮らすその村が世界だと思っていたでしょう。次第に科学や技術の進歩にともなって人類の行動範囲が広がると、大陸全体を世界とみなし、次第に地球、宇宙の全体像を認識するように、世界観を拡げてきました。このように、科学の進歩によって人類にとって新しい世界が見えるようになってきます。

そして人類が認識できる世界を拡げるための科学的探求は、人びとが安心して幸せに暮らせる社会にこそ成り立つと思います。そこで私は、誰もが安心して幸せに暮らせる世界を作りたい。その前段階としてまずは、自分と自分の大切な人が安心して幸せに生きていける地域社会を理想郷にしたいと思っています。


──羽村さんが考える理想郷とは例えばどんな社会なのでしょう。

みんなが夢をもって、それに向かって頑張っている社会です。夢を語っている人って目がキラキラしてるじゃないですか。そうやってみんなが夢を語るようになれば、犯罪に手を染める人も減りそうだし、そうすれば結果としてみんながハッピーに安心して暮らせる社会になるんじゃないかと思うんですね。

先にもお話しましたが、その夢をかなえるための1つのツールとして科学はある。もちろん科学が万能だというつもりはありませんが、科学にできることはたくさんあります。それは、生活に直結する科学技術の基礎となるという意味でも、現時点での世界観を認識して努力すべき方向性を示すという意味でも。だから私は自分の夢をかなえるためにこの先も科学を媒介とした活動をしていきたい。

中には科学がわかっていることだけが幸せの形ではないという人もいて、さまざまな生き方があると思いますが、何らかの形で科学やその活用の仕方を伝える仕事が役に立てることがあるはずです。そうしたことを、相手と一緒に考えながら歩み、その方の人生や世の中をよりよく変えていきたいなと思っています。それこそが、自分や自分の大切な人を守り、安心して暮らせる社会につながることだと信じているんです。

科学をツールに世界を幸せに[前編]

研究とKSEL、二足のわらじ

──羽村さんの現在の活動について教えてください。

東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程に在籍しており、専門領域は惑星科学、隕石の衝突を通じて生命の起源を探る研究を続けてきました。大学院は今年(2015年)3月に卒業予定です。

その一方で「柏の葉サイエンスエデュケーションラボ」(以下KSEL:ケーセル)を立ち上げて主に柏の葉周辺で科学教育活動などをしてきました。KSELは「科学コミュニケーションを通じて柏の葉地域での人と人との交流を促進する」ことをテーマにボランティアで活動しているサイエンスコミュニケーション団体です。


──KSELを立ち上げた経緯は?

そもそもは柏の葉周辺の街づくりに携わる方々に「地域を活性化したいから協力してほしい」と相談を受けたのがきっかけです。そのとき、元々私は教育関係に興味があったので、専門とする科学を切り口に何かできないかと考えました。ちょうどその頃、国立天文台で天体観望会に参加した方々に望遠鏡を覗いていただき、宇宙のことや星のことなどを解説する解説員のアルバイトをしていました。そのときに参加者と宇宙や星について話をするのがおもしろいと感じていたので、科学を通じて地域の人たちと交流したいと思いました。

そこで、相談を持ちかけた一人であり、都市計画を研究している大学院生に協力を依頼したところ、各所に声をかけて仲間を集めてくれました。そこで2010年6月に同じ東大の柏キャンパスと慶應義塾大学の大学院生4人でKSELを立ち上げたのです。

サイエンスカフェ

──KSELでは具体的にはどのような活動をしているのですか?

だいたい毎月1回、多い時は2~3回、サイエンスにまつわるイベントを開催しています。小学生向けの理科実験教室や、近隣の小学校・高校や図書館・博物館などへの出張授業、大人向けのサイエンスカフェや地域のマルシェ(市場)への出店など、活動の種類は多岐に渡っています。「サイエンスカフェ」という言葉は、科学好きじゃなければあまり聞き慣れない言葉かもしれませんね。一般の方はサイエンス、科学というと一部の研究者による高尚な学問で、難解かつ堅苦しいというイメージをもっているかもしれません。でも、そんなことはなく、実際はとても楽しいものなんです。そこで、サイエンスをもう少し身近に感じてもらうため、サイエンスについて気楽に語り合う会が全国で多数開催されています。こうした会のことを、サイエンスカフェと呼んでいます。 ですからサイエンスカフェという言葉の意味はとても広いんですよ。レストランやカフェでお茶やお菓子、お酒や料理をつまみながら科学の話をする会をサイエンスカフェと呼ぶことが多いですが、例えば講演会場を借りてセミナーという形でするのをサイエンスカフェと呼ぶこともあります。

お酒を飲みながら気楽に科学の話を聞く形式のサイエンスカフェ

KSELでは以前、駅前のカフェに科学の本を置かせていただき、多様な専門分野を持つメンバーがそれぞれ自分の得意分野の本を紹介するプロジェクトを行なっていました。そして、本を選んだ我々大学院生が近くにいるという利点を生かして、紹介しているうちの1冊を切り口に自分の専門とする科学・研究の話をする「だんらん」というイベントを定期的に開催していました。この「だんらん」のような形態もたくさんあるサイエンスカフェの形態のひとつです。現在は残念ながらカフェが閉店してしまったので本棚は撤去され、それに伴い「だんらん」も終了してしまいましたので、新たな連携先を探しています。


──現在は主にどのような場所でサイエンスカフェを実施しているのですか?

現在は東京大学柏の葉キャンパス駅前サテライトの1階にある「柏の葉アーバンデザインセンター(UDCK)」や東大の前にある広い柏の葉公園、ららぽーとの中や街中のレストラン、マンションの共有スペース、スマートシティミュージアムなど、柏の葉周辺のさまざまな場所で開催しています。


──毎回のイベントはどんな感じで行っているのですか?

サイエンスカフェの形式はさまざまですが、KSELの場合は活動を通じて参加者同士、もしくは参加者とKSELスタッフやゲスト講師などとのコミュニケーションを活性化するということが目的なので、講師が一方的に話すだけで終わる講演会みたいなイベントは今までやったことはないですね。例えば2時間のサイエンスカフェなら前半1時間は講師が話したとしても後半は参加者みんなで輪になって意見や感想を交換したり、参加者が一緒に作業をするワークショップを行なうなどみんなが活発にコミュニケーションできるように工夫をしています。

料理をテーマにしたサイエンスカフェで、参加者と一緒に

幅広いテーマ

──サイエンスカフェのテーマはどんなものがあるんですか?

料理から宇宙や生命、地球環境や都市計画、スポーツ、バイオメカニクスなど多岐にわたっています。先ほどお話したように、基本的にKSELのメンバーのやりたいテーマで開催することが多いですが、2つほどいつも気をつけている条件があります。

1つはおもしろいかどうか。もう1つは「どういうサイエンスなのか?」を問いかけ続けることです。特に子ども向けのイベントの時には、子どもだましの工作教室、体験教室になりかねません。でも、科学というからには、扱うテーマは身の回りの不思議な自然現象と関わりがあり、その要因を解き明かそうと試みてきた歴史があるわけです。そこに焦点を当てて、科学の何たるかを少しでも実感してもらえるようにイベントを設計するよう、心がけています。KSELの中心メンバーである大学院生の強みは、学部生よりも特定の研究分野をより専門的に研究しており、深い知識をもっているということ。だからこそ、ただ科学は楽しいよという話や単なる科学工作に終わらないように、強みを発揮できるよう、専門分野を生かして科学的に深堀りできるイベントにしたいと思っています。

また、小学生向け、高校生向け、一般向けと年代によって内容を分けています。これは、年代に応じて知識も理解度も興味も異なるのに合わせて最適な内容で実施し分けることで、参加者の満足度を上げるための試みです。子どもと大人が一緒に参加できる親子向けのイベントもあります。例えば親子向けでは毎年夏にセミの観察会を実施しています。また、ある年の夏に柏の葉キャンパス駅前にいろんなお店が出店するイベントが開催され、そこにKSELもブースを出店しました。そのとき主催者が企画の一つとして作ったビアガーデンで、子どもたちも一緒になって楽しめるよう、ビールに見えるゼリーを作るワークショップを開催しました。大人はビールを、子どもはゼリーを片手に乾杯し、大いに盛り上がって大好評でした。

セミの羽化を観察

──イベントにもよるとは思いますが、参加者は何人くらいなのですか?

毎回異なりますが、20名程度の定員になることが多いです。会場の制約もありますが、コミュニケーションを円滑にしようと思うと、このくらいの人数が最適です。概ね毎回ほぼ定員に達しています。告知はKSELのWebサイトとFacebookがメインです。あとは過去に参加した人へ告知メールを送ったり、予算があるイベントはチラシを作って配っています。

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人気テーマ

──特にたくさんの参加者が集まる人気のテーマは?

子ども向けのイベントはいつもあっという間に満員になりますが、大人向けで特に人気があるのは、宇宙と料理ですね。一般に、科学にまつわるイベントの参加者は大きく2つのグループにわけられます。科学マニアと普通の人(科学に興味はあるけれども、積極的にイベントに参加するほどではない方々)です。マニアに人気なのが宇宙ですね。専門家顔負けの質問が飛び交う光景をよく目にします。

それほど科学に興味のない普通の人向けの当たり企画が料理です。話をしてみると、料理は科学だと納得してくれる人はけっこういるんですね。イベントでは実際に料理を作ったり食べたりしながら、ちょっとだけディープな科学の話をします。料理も習えて、料理に役立つサイエンスの話もたっぷり聞けるので毎回好評で募集告知を出すとすぐ満員になります。

料理と科学が学べるサイエンスカフェ。料理教室なのに月のポスターが貼ってあるのが特徴的

──料理の回の参加者はやっぱり女性が多いのですか?

はい。女性が9割ですね。これも狙い通りです。というのは、一般的に科学にまつわるイベントの参加者はその多くが男性です。一方で子どもと接する時間は女性の方が長いケースが多く、女性の科学に対する興味や理解は子どもの教育について考える上で欠かせないテーマです。我々が子どもたちに向けてイベントでサイエンスの話ができるのはせいぜい2時間です。しかも、その中でいかに工夫してわかりやすく伝えて、子どもたちのサイエンスに対する意識や興味が高まったとしても、イベント終了直後から時間の経過とともに熱や興味、知識は失われていきます。

クッキングサイエンスカフェで作ったロールケーキ

でもお父さんやお母さんもサイエンスに興味をもてば、子どもが日常生活の中でサイエンスに触れる機会が増えます。例えば毎日の料理をするときでも、料理のサイエンスカフェで学んだことを子どもに話すことでサイエンスが日常の中に普通に存在することになります。それが高じれば、今度何か科学的なことを体験しどこそこへ行ってみようということになるかもしれません。

このように、子どもに対して24時間365日影響を与えられる親にこそまずサイエンスに興味をもってもらうことの方が有意義なので、これから親になる世代や今小さな子どもをもつ世代を対象にしたイベントを数多く実施しています。特に、一般的な科学イベントには集まりにくいけれども子どもに対する影響力の強い女性にもたくさん参加していただきたい。そう考えて作り出されたのが料理のサイエンスカフェというわけです。

高校生から社会人まで

──メンバーは何人くらいでどんな人たちなのですか?

現在、総勢20数人で活動しています。立ち上げ当初は私を含め東大の大学院生が3人、慶應大学の大学院生が1人でした。そこから東大の大学院生が増えて、柏の葉高校の高校生が加わり、さらに柏の葉周辺に住んでいる大学生や社会人も加わりました。大学院生は主に2年間で卒業してメンバーが入れ替わりますが、社会人が入ることによって団体のポリシーやノウハウを後々まで長く伝えていくことができるようになりました。社会人メンバーの職業はまちまちで博物館の学芸員や物理学の博士号取得者もいますし、一般企業の会社員も多いです。大学院生時代に中心メンバーとして活躍した後、卒業後に社会人メンバーとして継続的に活動に参加している人も多くいます。

KSEL初期のメンバー。現在は高校生から大学院生、さまざまな職種の社会人まで、年齢差最大約50歳の仲間たちが各自の能力を生かして活躍中

代表としての仕事

──羽村さんのKSEL内での役割と仕事について教えてください。

私は立ち上げメンバーとして加わり、2011年4月から2年間、2代目の代表を務めました。現在は後輩が4代目の代表として活動を主導しています。リーダーシップの在り方は人それぞれですが、私が代表の時に果たした一番重要な役割は、KSELの方向性を決めてメンバーを引っ張っていくこと。イベントのテーマを決めたり、メンバーミーティングのスケジュールを設定して議論を促したり、すべての企画・運営に関わるとともに、活動全体の方向性もまとめていました。その他には予算の獲得や後輩メンバーの育成、メディアの取材対応なども代表の仕事のひとつですね。

KSELは各メンバーが自分ひとりでは成し遂げられないことを、組織の力を使って実現するためのプラットフォームです。したがって、毎回の企画は代表から指示されて実施するのではなく、各人がやりたいことを提案し、共感して協力者として手を挙げた人と一緒に実現します。その企画を実現するために開催場所を押さえて、集客のためのチラシを作るなどして告知して、受付をして、イベント当日は講師を務める。この一連の流れを基本的には1?2人で行います。もちろん新人は先輩メンバーに助けてもらい、流れを学びながらながら実現させます。

一連の仕事が1人で全部できるようになるまで後輩を育てるというのも代表としての大きな仕事の一つでした。KSELに新しく入ってくるメンバーに「こうやったらいいよ」とか「あれやってごらん」とアドバイスして独り立ちさせます。もちろんこのような代表としての仕事をこなしつつ、自分も本業の研究を進め、KSELでは独自にイベントを企画して講師も務めていたのでけっこう忙しかったですね(笑)。

現在の役割

──現在はどういう役割でどんな仕事をしているのですか?

KSEL全体のマネジメントや後輩への声かけなどは、現代表が頑張ってくれています。したがって私は現代表が忙しい時にサポートをしたり、メンバーが新しい企画のアイデアに行き詰まっている時に経験を生かしてアドバイスをしたり、資金獲得やその他の業務に必要な書類を作成したり、外部から依頼された企画に対するクオリティコントロールを行なったりと、裏方の仕事に従事しています。もっとも、自分もメンバーの一人ですので、自分で何かやりたいことがあれば、企画を実現できるようにメンバーとしても活動しています。こうして並べてみると、アドバイザーとか指導役という感じで、代表だったころとやっていることはあまり変わっていないかもしれないですね(笑)。ただ、現代表が他のメンバーとコミュニケーションを取りながら引っ張ってくれているので、自分はいちメンバーに戻って、より好き勝手にやりたいことをやっている気がします。

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出張講座も

──KSELでのその他の活動について教えてください。

小学校への出張講座や理科実験教室で子どもたちに夢を語ったり、KSELの活動や理科についてわかりやすく教えている

柏の葉周辺の小学校や柏の葉高校、図書館などに出かけていって、自分の専門分野や身近なサイエンスにまつわる話をする出張講座も行っています。柏の葉周辺だけではなく千葉県内の他の地区や東京など遠方からの依頼も増えてきました。中でも多いのが、小学生を対象に、フラスコやビーカーなどを使って文字通り理科の実験を行う「理科実験教室」です。学校の理科の授業と違うのは、なるべく小学生が興味をもつような身近なテーマの実験を行うよう心がけていることですね。ご依頼いただく先生や職員さんもそれを期待しているように感じます。

地域密着と理科の修学旅行

──KSELの強みや特色は?

1つは「地域密着型」ということです。他の業界では「地域密着型○○」という活動や団体はたくさんありますが、サイエンスコミュニケーション業界では特徴的です。今は「地域密着型のサイエンスコミュニケーション団体」の代表格に成長しつつあるのではないかと自負しています。活動の拠点である柏の葉周辺地域では、この約5年間の地域に根ざした活動で周辺住民からの認知度がかなり高くなりました。イベントに参加したことのない人でもKSELという名前だけは知っているという人はかなりいるように感じています。街の中でイベントを開催したいときもKSELの子たちだからいいよと街の方が快く開催場所の使用許可をくださることもありますし、街中でイベントを行うといろんな方から声をかけてもらえるようになりました。このような実績が認められて、2014年には日本都市計画家協会の優秀まちづくり賞を受賞しました。

もう1つは自然体験活動を通じて理科を学ぶ合宿型の理科教室「理科の修学旅行」です。昨年は子どもたちとバスで新潟の苗場に行って日中は山の中を歩いたり、夜は焚き火をして星を見たりしながらサイエンスについて学びました。自然の中で五感を使ってサイエンスを学んでもらおうという試みです。子ども向けは過去に2回実施し、1泊2日の合宿に毎回40人ほどの子どもたちが参加しています。ちなみに小規模ですがKSELとは切り離して個人的に大人向けにも実施し、既に5回を数えています。

子ども向けのプログラムでは、現地での活動だけではなく、事前に学習会を開いて実際に行く場所で見られる自然現象と関係のある理科の知見を、専用の理科実験器具を使用した実験などを交えながら教えています。さらに帰ってきた後も、知識の定着や保護者への学習内容・現地での子どもたちの様子の報告を目的とした振り返り学習会を実施しました。この予習、本番、復習の一連の流れを通して体で学んだサイエンスが血肉になるわけです。この取り組みは、自然体験活動の企画力を競う「トム・ソーヤースクール企画コンテスト」で2014年度の優秀賞をいただきました。

2014年の「理科の修学旅行」では苗場で炭焼き実験や星空観測などを行い、子どもたちは自然の中で身をもって科学を学んだ

参加した子どもたちの反応は上々で、みんな帰宅するとすごく楽しかったと親御さんに話し、そこからKSELのイベントに繰り返し参加してくれるようになる子たちが多いんです。KSELのイベントは団体立ち上げ当初から大人のリピーターが多いのが特徴でしたが、この「理科の修学旅行」以降は子どものリピーターもすごく増えました。

受賞に関しては他にも、KSELを立ち上げてすぐに東大の新領域創成科学研究科長賞の地域貢献部門や、世界三大奉仕団体の千葉支部である千葉キワニスクラブから教育文化賞をいただいています。ここまではKSELという団体やプロジェクト全体に対しての賞だったんですが、トム・ソーヤースクール企画コンテストで個別の活動に対しても賞をいただけたので、一つひとつの企画の練り込みができるようになってきたかなと手応えを感じました。

対象とする参加者を意識

──イベントの講師を務めるときに心がけている点は?

「これは誰のための企画なのか」ということをすごく考えて話を用意するようにしています。例えば小学生向けのサイエンスカフェなら小学生にわかりやすい言葉で話すし、マニア向けの企画ならマニアが喜びそうなディープな話をします。そのための準備ができるよう、イベントの申込み時には年齢、性別、興味の内容をアンケートに答えてもらっているんです。


──今まで一番印象的だったイベントは?

先ほどお話した「理科の修学旅行」は子どもたちも喜んでくれたし、私も手応えを感じられたので印象に残っていますね。もう一つは2012年に開催した「Xmas Science Festival」ですね。クリスマスに合わせて科学にまつわるさまざまなテーマのイベントを街なかの10数カ所で同時多発的に開催。街自体を会場にして、住民と一緒に、街全体を巻き込んでサイエンスのイベントができて、とても盛り上がりました。トータルで約5000人のお客さんがお越しくださいました。準備はかなりたいへんで当日もてんてこ舞いの忙しさでしたが、それだけに終わったときの喜びもひとしおでした。

町のあちこちでサイエンスのイベントを開催

──KSELの活動のやりがいは?

よく聞かれるんですが自分でもよくわからないんですよね。いつも目の前のことに全力投球していて、ひとつの事業が終わると次にまたやりたいことがあふれてきて、それらを順番に実現させている、という感覚です。


──イベントの参加者が喜んでくれたらやってよかったと思うのでは?

確かに思いますね。でも、参加していただいた方々に喜んでいただけるように、満足していただけるように企画を練り込んでいるつもりなので、参加してくださった方が喜んでくださったら私もうれしいですしよかったと思いますが、もう少し上を目指したいですよね。例えば街全体、社会全体が自分たちの活動を通じて変わりつつある、と実感できたとすれば、その時に一番のやりがいを感じられるのではないかと思います。

ただ、うれしい瞬間という意味で言うと、大きな企画をやりきったとき、その達成感はやみつきになりますね。

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最初の段階が一番楽しい

──では一番楽しいと思うことは?

私の感覚としては、KSELのイベントまでのフェーズは企画構想段階と準備段階と本番当日に大きく分けられます。その中で、最初の構想段階、これをやったらおもしろそうだな、もっとこんなこともできるかもしれない、と妄想をふくらませているときが一番楽しいですね。

逆に一番たいへんなのはイベント直前の準備段階です。お客さんを喜ばせるために万全の準備を整え、あらゆる事態を想像し、シミュレーションしなければなりません。その中には、扱っているテーマの科学的な本質や、お越しいただいた方々への伝え方といった部分ではなく、イベント運営などにまつわることも多く含まれます。本来やりたいことを実現するためには、イベント運営に関わるさまざまな仕事も重要ではありますが、やはり企画の本質から外れた仕事は、単純で簡単な作業であっても精神的には堪えますね。イベント本番はそれまでに準備したことをシミュレーションに沿って粛々と実現していくというオペレーションの作業ですので、ベストなシミュレーションを実現できるように冷静に運営するように心がけています。

うれしいと思うのは先にもお話した以外にも、外部団体からさまざまな賞をいただいたり、地域密着型サイエンスコミュニケーションといえばKSELだと言っていただいたり、KSELがサイエンスコミュニケーション業界や柏の葉の地域社会、そして日本社会の中で認られつつあるのを感じるときですね。サイエンス系イベントの討論会でパネリストとして呼ばれたり、今回みたいに取材依頼が来たり、いろんな団体やメディアから話を聞きたいと思ってもらえる存在になれたのは素直にうれしいですね。

特に、日本科学未来館と上野国立博物館のサイエンスコミュニケーター養成講座の卒業生たちから勉強会講師の依頼を受けたときもうれしかったですね。日本を代表するふたつの科学館で育成された科学コミュニケーターたちがKSELの活動を学び取ろうと考えて私を勉強会に招いてくださったことは、KSELの活動を続けてきてよかったと大きな手応えを感じる節目の出来事になりました。

地域に根付いてきたと実感

──KSELという団体を立ち上げてよかったと思うことは?

もともとKSELを立ち上げる前は、地域の人たちに話を聞くと、東大のキャンパスはどんな研究をしているのか分からなくて恐い、とか、大学で研究している人は取っ付きにくいとか、距離や敷居の高さを感じる、といった感想を耳にする機会が多くありました。しかしKSELが街の中で活動を続けるにともない、大学院生や研究者も話しやすい普通の人間だ、と認識していただけたのは、地域に密着した活動を立ち上げた意義を実感した瞬間のひとつでした。それが具体的に形になった瞬間として、例えば地域の方々から、友だちと行なうお花見や自宅で行うクリスマスパーティーに来てちょっとサイエンスの話をしてよ、とお招きいただいたことがありました。こうした時には、地域に根づいてきたことを実感して、KSELを立ち上げてよかったと思いましたね。


──まさに地域密着型という感じですね。ではKSELの活動を通じて得たものは?

地域に根付いた活動の中で、街に関わる多くの方々と知り合うことができました。こうして築かれた人と人との交流やネットワークは、かけがえのない財産だと実感しています。また、技術的には、リーダーシップや企画運営に関わるさまざまなスキルを身につけることができました。KSELでは各人がリーダーシップを発揮し、1つの企画実現に向けて必要なバラエティに富んだ仕事をパラレルで進めていくというシステムなので、企画書を書いたり、予算を獲得したり、チラシを作って広報したりといろんなノウハウが身につきました。こうしたトレーニングを通じて、おおよそのイベントは実現できるという自信がつき、卒業して社会に出てもスキルとして生かせると思っています。

「マイナスからゼロへ」と「ゼロからプラスへ」

──今のKSEL、あるいは羽村さんが目指しているものは?

科学コミュニケーションには大きく分けて2つの役割があると考えていて、私はそれを「マイナスからゼロへ」と「ゼロからプラスへ」と呼んでいます。

例えば、東日本大震災に起因する原発事故後の放射能汚染に対する恐怖や、将来起こりうる巨大地震に対する不安は、程度の差こそあれ多くの方が抱いているのではないでしょうか。

しかし、分からないからと闇雲に恐れたり、デマか真実かもわからない情報に振り回されたりするのはあまり賢くないように感じます。何かが恐い、でもそのリスクを自分では理解することができないからパニックを起こしたり、誰かを批判したり、周囲の人間にまで恐怖を煽ったりするわけですが、そうではなく、恐怖に対して正面から向き合い、科学的根拠を踏まえてリスクを客観的かつ正確にとらえ、正しい恐がり方をすることが必要です。それができれば、冷静な対応が可能になり、いざという時に必要なものを準備したり避難ルートを考えたりと生き残る可能性も高くなりますし、大切な人と万が一の時の対応を相談することもできるでしょう。

他にも生活していく上でのリスクはたくさんあります。それぞれのリスクを正しく理解し、評価するときに科学が役に立ちます。冷静に自分と自分の大切な人を守るための科学的知見を知り、科学的に考え、大事な人と共有すること。それが私の考える「マイナスからゼロへ」の科学コミュニケーションです。

もう1つは、科学には夢をかなえる力があると思っています。夢は人それぞれですが、科学のことを理解していたり、科学を道具として使えたりしたら、実現に一歩近づける夢も多いと思うんですね。例えば私の場合は「宇宙人を探したい」という動機が元々あって研究者になろうとしたわけですが、その夢を叶えるためには科学の力が欠かせませんでした。他にも新薬の開発やロボットの研究などもしかりです。このような未来を作るために、先人たちが積み重ねてきた知識を学び、発展のさせ方を身につけ、そして自分や社会の夢を叶えていく力を身につける働きこそが、科学コミュニケーションのもつ「ゼロからプラスへ」の役割だと私は考えています。

夢を実現するツールとしての科学

こういうふうに、少しでも多くの人が自分と自分の大切な人を守りながら、自分の夢を叶えていくツールとしてサイエンスが一つの役割を果たしてくれたらいいなと願っています。そのためにまずはサイエンスを一人でも多くの人に身近に感じてもらいたい。それでもとっつきにくくて、敷居が高いと感じるのなら、科学を研究している科学者や大学院生を身近に感じてもらいたい。たぶん一般の人は科学者、特に大学教授などは恐いとか難しいことしか喋らなそうというイメージをもっているかもしれませんが、実際に喋ってみるとその辺の普通のおじさん・お姉さんと変わらないんですよね(笑)。

科学者のことが好きになれば何を研究しているんだろうと興味が生まれてくるし、その科学者の話を聞きたい、理解したいという思いも生まれてくると思うので、まずはそこの窓口として科学者や大学院生の姿を見せる存在にKSELはなりたいと思っています。


──3月で卒業とのことですが、卒業後のKSELとの関わり方は?

一応卒業後も関わっていくつもりではありますが、どのような形になるかはまだ模索中です。私が卒業すると初期メンバーが完全にいなくなるので、その後どうやっていくのかとても心配だから離れたくないと思う一方で、後輩たちによって作られる新しいKSELの姿を見てみたいとも思います。そもそも、誰かがいないと成り立たない組織って不健全で、それよりは誰がいなくなっても組織としてうまく回るような仕組みを考えた方がいいんじゃないかなという思いもあるんですよね。私がいつまでもいると新人がなかなか独り立ちできないという部分もありますしね。

ただ、現実問題として、これまで中心となって活躍してきた他のベテランメンバーもこの3月でごそっと卒業するので、次の世代にバトンをつなぐためにも、もう少し頑張る必要がありそうだし、5年間で培って来た地域でのネットワークやノウハウを始めとする財産を元に、さらにおもしろいことができそうな予感もしているので、今後のことは後輩たちとも相談しながらじっくりと決めていこうと思っています。


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