2017年6月アーカイブ

国境なき医師団看護師の仕事論[第1回]

国境なき医師団の看護師とは

──まず国境なき医師団の看護師という仕事について教えてください。

2013年、シリア北部イドリブ県にある国境なき医師団の病院で処置に当たる白川さん(©MSF)

2013年、シリア北部イドリブ県にある国境なき医師団の病院で処置に当たる白川さん(©MSF)

国境なき医師団とは中立・独立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。紛争や自然災害、疫病などで緊急医療を必要としているにもかかわらず、医療物資や医療スタッフなど自国で用意できない国に行って、医療を提供するのが主な活動です。

基本的に現場では自分で患者さんに注射したり包帯を巻いたりという実際の看護行為ではなく、マネージャーやヘッドナースとして現場を指揮し、スタッフの管理や指導、教育を行うのがメインの仕事です。例えば手術室でも、通常の看護師は手術に立ち会って、医師へメスなどの器材を手渡したりしますが、私自身は基本的にそれをせず、スタッフが行えるように指導します。

また、私たちの仕事は医療援助だけではありません。私たちがいなくてもその国の人々が独立して医療ができるようになることを目標にもしているので、現地の医療スタッフの育成も重要な任務の1つです。現場では私たち海外派遣スタッフだけで医療を賄うことはできないので、現地でスタッフを雇用します。特に初めて医療活動を行う現場では自分たちで採用しなければならず、その時私が看護師長のような立場で採用します。


──派遣先はどのような場所が多いのですか?

手術室看護師という特性から、外科治療が必要な患者さんが多い紛争地に派遣されることが多いです。2010年からシリア、イエメン、イラク、ガザ地区など14回派遣されています。


──派遣先は国境なき医師団から指定、要請されるのですか?

そうです。それを受けるかどうかは自分の選択になります。自分からここに行きたいとリクエストすることは基本的にできません。

フリーランスの看護師として

──白川さんは国境なき医師団に所属しているというわけではないのですか?

白川優子-近影1

私は特定の団体・医療機関に所属していない、立場的にはフリーランスの看護師です。でも普段は病院などの医療機関の職員として勤務していて、ある時期だけ休みを取って国境なき医師団の医師や看護師として派遣国に飛んで活動するというスタイルを取っている人もいます。国境なき医師団との関わり方は人によってさまざまです。


──派遣期間はだいたいどのくらいなのですか?

派遣先のプロジェクトの特性によってさまざまです。紛争地での活動は長くても3、4ヵ月ほどでしょうか。紛争をしていない地域での難民の支援やHIVや結核、感染拡大の防止などのプロジェクトの場合は1、2年と長く派遣されることもあります。


──突然、明日からこの国に行ってくださいというような急な要請が来ることもあるのですか?

時々ありますね。昨年(2016年)の10月、イラクでモスル奪還に向けての戦いが始まった時や2015年にネパールで大地震が起きた時などは治療しなければならない患者さんが爆発的に増えるので、国境なき医師団は緊急で現地に行けるスタッフを募ります。初動とオープニングがとても重要になるからです。過去に私も3週間後に次の派遣が控えていたのですが、とりあえずすぐに現地に飛んで次の派遣まで現地で活動したというケースがありました。派遣期間が短いのは大抵こういったケースですね。昨年はこのような緊急要請が多かったこともあって、4回ほど派遣されました。

2016年に派遣されたイラク・モスルで、病院のオープンとともに早速運び込まれた患者の手術に対応する白川さん(©MSF)

2016年に派遣されたイラク・モスルで、病院のオープンとともに早速運び込まれた患者の手術に対応する白川さん(©MSF)

私はこのような急な要請にもすぐ対応したいのでフリーの立場を取っています。特定の医療機関に所属しなくても仕事はあるし、看護の仕事以外でもやりたいことがあるので、今は心地のいいワーキングスタイルで、働き方としてはベストな状態といえますね。

もっともこういった突発的な要請は手術室の看護師ならではで、通常の看護師はこのような突発的な派遣はあまりないです。

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派遣先での生活

──派遣先ではどのような場所で生活するのですか?

基本的には現地で国境なき医師団が借りた家や建物でみんなで共同生活しますが、これも派遣先によって全然違います。例えば自然災害での緊急援助の際は、まずは何もない土地にテントを張るところから始めたり、病院にする建物を決めてその一部を自分たちの居住スペースにしたりするなどいろんなケースがあります。

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時には建物の屋上を居住区とするケースも(©MSF)

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何もないところから、チーム一丸となって病院を立ち上げた(2015年ネパール大地震)(©MSF)

でもこれは特殊なケースで、ある程度長期の活動ではこのようなことはありません。基本的にはきちんとご飯を食べることができて、夜はぐっすり眠れるなど、自分たちの生活を最低限確保することが活動任務を全うするためにも重要な事です。


──看護という仕事をする上で大事にしていることは?

白川優子-近影2

「個」を大切にしています。例えば同じ病気の患者さんでもそれぞれ性格も感じ方もこれまで歩んできた人生も全く違う人間です。それは戦地でも同じです。例えば空爆で負傷した人が10人一気に運ばれてきた時でも、同じケガだから同じようにばーっと流れ作業で処置するのではなく、すごく忙しい戦地であってもその人固有の人生があるので、一人ひとりちゃんと名前を呼んで接するなどして、個を尊重してあげたい。それが看護というものだと思っていますが、現場が修羅場になるとつい忘れがちになるので気をつけたいと思っています。


──白川さんの派遣先はほぼ紛争地ですが恐怖心を抱くことはないんですか?

特別に恐怖心を抱くことはありません。それは私だけじゃなくて国境なき医師団で働いているスタッフはみんな同じだと思います。少なくとも一緒に働いている仲間で空爆や銃撃が怖くて仕事が手に付かないという人は見たことがないです。恐怖よりも、そういう場所だからこそ人道援助が必要なんだという気持ちの方が強いです。


──紛争地ではひどい状態で運ばれてくる患者さんも多いと思うのですが、精神的にショックは受けるようなことはないのですか?

確かに紛争地って過酷で、1回の空爆で何十人もひどい怪我で運ばれてくるとか、たくさんの罪のない人が血だらけになって運ばれてくるというのが日常です。でもそれでショックを受けたり動揺して働けなくなったりということはありません。国境なき医師団がどういう活動をしていて、当然このような患者さんを看るという事をわかった上で活動しています。覚悟は初めからありました。ただ、非人道的なことが起こっているという現状そのものにショックを受けることは多々あります。

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激しい空爆が行われている紛争地では重症患者が多数運び込まれることも。2013年シリアにて(©MSF)

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2015年イエメン、アルカフラの診療所にて(©MSF)

立ち止まってなどいられない

──当然すべての患者さんを助けることはできないですよね。目の前で死んでいく患者さんも多いと思いますが、それはつらくはないのですか?

当然、目の前で亡くなっていく患者さんを見るのはつらいです。つらくない医療スタッフはいないでしょうね。でもその瞬間にも重篤な患者さんが続々と運ばれてくるので、1人の患者さんの死に立ち止まっていてはいけないという現実があります。だからそこは気持ちを切り替えなくてはいけません。そこで切り替えがうまくできずに、「医療者として無力だ」と自分を責めすぎてしまい、潰れてしまって自国に帰っていったという人もごくわずかですが実際にいます。

ただそこで立ち止まってしまったら救える命も救えないし、そういう過酷な現実の場所に来ているわけですからその現実を受け入れて対応しなきゃいけない。その場で悲しさやつらさで落ち込んでいたら仕事にならないので、そうならない自信もありますし、そのような適応力が必要となってきます。むしろ本当につらいのは日本に帰ってきてこういうふうに現地でのことを思い出して話をしている時ですね。


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