大きなショックを受けた2016年・ガザ
──白川さんは国境なき医師団の看護師として7年間で14回も派遣されているわけですが、これまでで一番印象に残っている出来事を教えてください。
どこも過酷な現場なので派遣先それぞれに忘れられない思い出はあります。ただ、紛争地ではないけれど、世の中でこんなことがあっていいのかというほどに非人道的なことが行われている地もあります。例えば去年(2016年)パレスチナのガザ地区に初めて行きました。当時は戦闘状態ではありませんでしたが、爆撃機や戦闘機は常に上空を飛んでいて時々空爆が起こります。それだけでももちろん恐怖ではありますが、町の人たちは慣れてしまっていてまるで何事もないかのような生活を送っています。180万人ものパレスチナ人を四方から完全に閉じ込めてしまっているエリアで起こっているこの現実を見て、とても大きなショックを受けました。
ガザ地区での任期は4ヵ月間だったのですが、その短い時間でも閉鎖された地域にいることにものすごい閉塞感を感じて精神的に支障をきたしそうになりました。私は任期が終われば出られますが、そこに暮らす人々は出られません。数年おきに激しい戦闘があり、たくさんのミサイルや爆弾が飛んでくるにもかかわらず、四方を囲まれているためどこにも逃げ場なんかない。その恐怖とストレスたるや想像を絶するものがあります。
戦闘のたびに町中がめちゃめちゃに破壊されていますが、直近の2014年の紛争で破壊された建物やインフラはまだ全然復旧されていません。発電所が破壊されると上下水の処理もできないので、シャワーの水も口に入るとしょっぱかったり苦かったり、髪の毛もボロボロになりました。ここにいる人たちはそんなひどい状態の中で何十年も生活を余儀なくされています。普段は明るい人々ですが、みんなが深い悲しみと絶望を抱えていることが、少し接するだけでも明白にわかりました。
ガザ赴任初日。現地の人も普段は笑顔を見せているのだが...(©MSF)
ガザでは2つのクリニックの看護部長の役割で、合わせて50人ほどの現地スタッフを指導・育成していたのですが、深く関わる彼らや患者さんはじめ、道端で知り合ったおじさん、おばさん、子どもたち、みんながみんな紛争で家族・友人を亡くして悲しい思いをしていたり、自分たちはいったいいつここから出られるんだという閉塞感を抱えて暮らしていています。
特に若者たちが不憫でした。高い教育が受けられる大学があるにもかかわらず、そんな大学を出ても就職先がなく、当然占領区域の外にも出られません。だから若者たちがよくイスラエルに対して抗議デモをするんですが、そのたびにイスラエル軍に銃で撃たれるんです。そういった若者たちをクリニックに収容して治療やケアするのですが、病院から送り出した後にまたデモに参加して撃たれてクリニックに戻ってくる。そんなことを3回も繰り返している若者も実際にいました。
もちろんこういったパレスチナ問題はニュースなどで知ってはいましたし、何十年も前から起こっていることではあります。しかし、実際にガザに行って2016年のこの時代にいまだにこんなことが続いていて、占領区域内から届かない叫び声を上げ続けている人たちがいるという世界を見てしまったときに、今までの紛争地で感じたこととは違う重いものを抱えてしまいました。それはいまだに胸の奥に感じ続けています。
大きなジレンマ
──患者を治しても治してもまた撃たれて病院に戻ってくることに無力感に襲われたりはしないのですか?
2012年イエメンでの手術の様子(©MSF)
手術室看護師として、国境なき医師団から派遣される先が紛争地ばっかりだったわけですが、やっぱり治しても治しても患者は来る。治している最中にも空爆や銃撃の音が聞こえる。こういう経験を重ねるうちに、こういう絶対に許されないことを止めるには、その根本的原因である紛争を止めなくてはいけないと考えるようになりました。そのためにはやはり看護師ではなくてジャーナリストのように、こういう非人道的なことが行われているという現状を世界に伝えなくてはいけないなというところに行き着いてしまったことは確かにあります。自分が国境なき医師団の看護師として従事している医療活動は紛争を止めるための根本的な解決にはつながっていないということにすごいジレンマを感じた時期もありました。
この思いはいまだにあり、現場で見てきたことを伝えることはすごく大事だとは思います。だからこういう取材や講演で伝えてるわけです。もちろん私たちの使命は現地で傷ついた人を治療したり医療スタッフを育成したりすることですが、国境なき医師団には、世界で起きている人道危機について証言するという事も使命の1つにしていますので、私が現地で見てきたものを世に伝えることも大事な任務の1つだと思っています。戦争や紛争を止めたいというのが一番の思いではありますが、でも伝えることで本当に争いが止まるかといったらわからない。その辺で確かに無力感に襲われることもありますが、発信して知ってもらわないことには始まらないなとも思うので......。
──戦争を止めるためには看護師じゃなくてジャーナリストになる方がいいと思いつつも、いまだに看護師として活動し続けているということはやっぱり看護師の方がやりたいということなのでしょうか。
そうですね。そもそも国境なき医師団に入ったのは紛争を止めたいからではなく、看護師として人道援助をしたいと思ってたからです。今従事している活動もとても大事だと思い直しましたし、看護師だからこそ伝えられる事もたくさんある事に気づきました。
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憎しみの連鎖を断ち切りたい
──具体的にはどう思い直したのですか?
先程お話したとおり、現地スタッフの育成が私のメインの仕事ではありますが、患者さんと接する機会も実際には多くあります。患者さん、特に子どもですね、気にかけて話しかけて、手を握ったりハグしたりしてあげるととても喜びます。イエメンやシリアなど世界から見放されたような地域で暮らしている人々はみんな悲惨な体験をしています。本当に毎日大変でつらい思いをしている。そんな中、こんな危険な地域にでも海外から看護師さんやお医者さんが来てくれると思ってもらえるだけでも、やっぱり違うかなと思うんですね。
紛争によって教育体制が崩壊しているような地域では、紛争しか知らない子どもたちがたくさん育っています。自分の親兄弟を殺されてしまって、深い悲しみや怒り、悔しさ、恨みによってテロリストになってしまう子どももたくさんいる。紛争が紛争を生む。いわゆる憎しみの連鎖。こんなにかわいい子どもが親を殺された恨みと怒りで復讐に走ってテロリストになってしまっても、それを責めることができるんだろうかと思ってしまいます。
それでも、そうはならないでねという思い、憎しみの連鎖を断ち切りたいという思いを込めて私は子どもの手を握ってあげています。それはジャーナリストではなく、看護師だからこそできること。そんな思いで看護師を続けています。
子どもの手を握って思いを伝える白川さん。2016年イエメンにて(©MSF)
──つらいことや大変なことが多いと思いますが、これまで国境なき医師団の看護師として活動をしてきた中で、心が折れそうになったことはないのですか?
特に思い当たりません。ひとつエピソードを挙げるとしたら、一度、国境なき医師団のヨーロッパの事務局から、1年間のオフィスワークの募集要項が出ていて、仕事内容やポジションに惹かれてやってみたいと思いました。その履歴書を書いている時、2015年10月、ちょうど3回目のイエメン派遣に向かう途中だったのですが、アフガニスタンで国境なき医師団の病院が爆撃されたことを知って、履歴書を書くのをやめました。心が折れるどころか、それは許されることではなく、世界でこういうことが起き続ける限り私は現場に行こうと決意したきっかけになりました。
──国境なき医師団の病院は過去に何度も攻撃されているようですね。攻撃している側は誤爆だと言っているようですが。
意図した爆撃、誤爆、無差別など攻撃のタイプは様々ですが、状況的に誤爆とは考えられないケースもあります。軍事に詳しい人の話によると病院は自分の陣地にあれば真っ先に守らないといけない場所で、敵の陣地にあれば真っ先に攻撃目標にするという話を聞いたことはあります。軍事目標の攻撃や地域のライフラインの破壊が目的なのでしょうが、紛争地で医療施設を攻撃する行為そのものが国際法の違反です。
空爆で負傷した息子を抱える父親。2016年イエメンにて(©MSF)
覚悟は決まっている
──自分が働く病院が攻撃されるかもしれないわけですよね。過去には実際に国境なき医師団の病院が攻撃されて死傷者が出ています。その恐怖感ってないんですか?
過去に1、2度、戦闘機が病院の上空を何度も旋回して、ここがターゲットになっているんだなと思った時に恐怖を感じたことはあります。でももし病院が爆撃されて私が犠牲にならなかったとしても他の誰かが犠牲になるわけですし、誰かが現地に行かなかったら援助は続かないという気持ちの方が強いですね。
それから、これまで何度も現場に行って国境なき医師団のセキュリティマネジメントを信頼しているので、その不安を感じる事はありません。現場の安全が確保されていないと医療活動はできませんが、それでも万が一何かあったらそれは仕方がありません。誰のせいでもないし、誰かを責めることもない。自分で選んだことですし、覚悟も決めています。
──では最悪、死んでしまっても後悔はないというところまで覚悟を決めているということですか?
自分が死ぬということを意識したことはありません。初めて国境なき医師団の存在を知った時からすごく尊敬してずっと入りたいと願って入れた団体です。もちろんリスクもわかっていますし、それでもし死んでしまっても、自分がやりたいと信念をもってやり続けた結果、自分の夢を叶えた結果なので後悔は絶対にないということです。
──メンタルの強さというか覚悟の決め方がすごいと思います。
これが自分たちのライフワークだと思っているから、というだけのことだと思います(笑)。
自身を駆り立てる思い
──なぜ、時には命の危険を感じるような紛争地に行って、自分とは縁もゆかりもない人のために看護活動ができるんですか?
そこは言葉でうまく説明できないんですが......。ただ、私は国境なき医師団に入る前、日本とオーストラリアの病院で看護師として働いていたのですが、私がこの国からいなくなっても看護師って何百万人もいるから病院も患者さんも困らない。一方、国境なき医師団が入り込むような、特に紛争地では医師も看護師も少ないために私1人の価値がすごく高くなります。
日本でもオーストラリアでも仕事にやりがいを感じ、充実した看護師生活を送っていたのですが、よりいっそう私という人間が求められて、看護活動が傷ついている人の援助に100%つながるから国境なき医師団に入りました。そのことに看護師としての喜びとやりがいを見出しているというのはあります。
また、先ほども触れましたが、特に紛争地のような場所に生きる子どもたちは精神的にも肉体的にも過酷な毎日を送っています。そんな子どもたちに対して看護をするだけではなく、「今はつらいし怒りや悲しさ、恨みしかないかもしれないけど、やさしさや愛とかも感じて学んでほしい」という思いを込めて手を握っています。日本で看護している以上のことをしたいし、実際にしている自負も、その価値もあると思っています。
そもそも私は看護という仕事が大好きなんです。これまで看護師として老人ホームでの勤務や、在宅医療で訪問看護、病院の手術室、外科、産婦人科などいろんな分野の看護の仕事に携わってきましたが、どこで働いても看護師として働いている自分がすごく好きで、本当に看護師になってよかったと思い続けています。私にとって看護師という仕事は天職です。たとえ、国境なき医師団に入りたいという夢をもっていなかったとしても、何の疑いもなく看護師の道を選んでいたと思います。
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