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2015.03.19  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

外資系コンサルティング会社からスタート

──前編では主にSAFLANの活動についておうかがいしましたが、本業の弁護士としての仕事について教えてください。そもそもどうして弁護士になろうと思ったのですか?

学生の頃から弁護士になりたかったわけではないんですよ。早稲田大学を卒業して最初に務めた会社は現在のアクセンチュア株式会社、当時アンダーセンコンサルティングという経営コンサルティング会社でした。

これも偶然というかなりゆきで、私は大学生のときから最初はどこかの企業に就職してもいずれは独立して働きたいと思っていました。中でも記者やジャーナリストにあこがれていたので、就職活動のときに新聞社や出版社などをいくつか受けたのですが全部落ちたんです。そっちの方面には才能がないのかなと思い就職関係の資料を読んでいたら、あいうえお順で一番最初にあったアンダーセンコンサルティングが目に入りました。当時は経営コンサルティングなんて全くイメージも湧きませんでしたが、何かおもしろそうだなと応募してみたところ、面接官と意気投合して通ってしまったんですね。

私は大学時代、まじめな学生ではありませんでした。授業に出ないで麻雀ばかりやっていたので成績も悪いし、ザック担いでアジアやアフリカをふらふら旅していたら留年もしてしまったので、何が評価されたのか不思議でした(笑)。ただ、そうした経験の中で考えたことを、自分なりの言葉で語ったことが面接官にはおもしろいと映ったのかもしれません。選考の過程で出会った人たちが魅力的だったし、外資系のコンサルティング会社の人は一生勤めるという風土でもないと聞いたので、これもご縁と思って入社したんです。


──入社後はどんな仕事を?

「人」の観点に着目して経営革新を支援するコンサルティングの部署に所属していました。企業が何か変わらなくてはならないというときに、経営戦略や業務のやり方、あるいは情報システムなどさまざまな観点からのアプローチが考えられますが、いずれにしても働くのは「人」ですよね。人事制度や組織の設計、あるいはナレッジと呼ばれるような仕事のコツのようなものを、どうやって組織の共有財産として活用していくかというプロジェクトなどにも取り組みました。大企業同士の合併の際に両社の業務のやり方を統合しながらよりよいものに変えていくにはどうすればよいか、といったプロジェクトもありました。ハードワークな会社だったので、いつも深夜まで働いていましたね。大変でしたがやりがいもありおもしろかったですよ。

早稲田大学法科大学院へ

──ではなぜ辞めて弁護士の道へ?

先ほどもお話した通り、元々独立志向が強く、そう長くは会社にいるつもりはありませんでした。入社5年目くらいのときに30歳を目前にして、さて、どうしようかなと思っていたところ、法科大学院、いわゆるロースクールが創設されることを知り、興味を引かれました。というのも、例えば企業再生のプロジェクトに関わったとき、不良債権処理の現場の最も重要なシーンで弁護士や会計士が力を発揮しているのを目の当たりにしまして、経営コンサルティングに取り組む上での法的な問題解決の重要性を痛感していたからです。

また、世間ではこれまで弁護士は敷居が高いというイメージでしたが、ロースクール教育を通じてもっと庶民の間に法的なサービスを広げていこうという司法制度改革の理念もおもしろいと感じました。自分が弁護士になるかどうかは別としても、法律家を目指す優秀な集団の中で切磋琢磨することは、人脈を広げるという意味で価値があると思ったのです。それで取りあえず法律の世界に飛び込んでみようと、2004年に早稲田大学法科大学院の第一期生として入学しました。入ってみると予想以上におもしろく、のめり込みまして、法科大学院では三年間学び、2007年に修了し、司法試験に合格。一年間の司法修習を経て、2009年から東京駿河台法律事務所という事務所で弁護士として働き始めました。

生の事件に触れて弁護士に

──ビジネスのために法律を学ぶ目的でロースクールに入学したのに弁護士になったのはなぜですか?

ロースクールで色々な人に刺激を受けて、やはり自分が弁護士になりたいと思ったからです。これはロースクールに入学してよかったと思う点なのですが、ロースクールは法曹(法律を扱う専門職として実務に携わる者)を育てる教育機関なので、在学中から実務に触れる機会を与えてくれるんです。臨床法学教育というんですが、実際に現役の弁護士が扱っている生の事件に関わって、学生も一緒に依頼者の方から聞き取りをしたり訴状を作る手伝いをしたりするんです。例えば不当に勾留されていた人を釈放したり、お金を騙し取られて困ってる人にお金を取り返してあげたりすると、依頼者の方はやはりすごく喜ばれるんですね。私自身は学生ですから大したことはやっていないのですが、困っている人を助けることに少しでも関われたことがうれしかった。

このような経験を通じて、弁護士には、目の前の人が困難に直面していて、自分が手を差し伸べなければこの人は死んでしまう、大変な目にあってしまうという局面があるということを実体験として知りました。そこで弁護士っておもしろいなと思ったんです。これが弁護士になりたいと思った直接のきっかけであり、今振り返ると大きな転機ですね。

いきなり貧困問題に取り組む

──弁護士になってからは主にどのような分野を?

弁護士登録をしたのが2008年の末ころで、就職先の東京駿河台法律事務所には年明けの1月6日から勤務することになっていました。それまでの2週間ほどはやることもなく、正月にテレビで箱根駅伝を見てたんですね。そのとき、緊急速報のテロップが流れました。前年に起こったリーマンショックの影響で大手メーカーなどから解雇されたたくさんの派遣労働者が日比谷公園に集まっていて、支援するボランティアがテントを設営して政府と交渉をしているというニュースでした。当時大きな話題となった派遣村です。

日比谷公園は司法修習で1年間通った東京地裁の目の前だし、気になったので現地に見に行ったんです。もう弁護士資格はあるわけだし、何かできることもあるだろうと。その流れで巻き込まれるように活動に参加することになりました。派遣村の村長をしていた「NPO法人 自立生活サポートセンター もやい」の代表(当時)の湯浅誠さんとは、その後も何かと一緒に活動しています。

私が実際に担当したのは、解雇されて住む家もお金もない大勢の派遣労働者の方々を一人ひとり福祉につなげるお手伝いをする仕事でした。彼らと一緒に役所に行って生活保護申請をし、ちゃんと生活保護費を受給できるように役所の担当者に意見書を提出したりして交渉するんです。弁護士といっても新人でズブの素人です。先輩弁護士のやり方を見ながら、六法全書と生活保護手帳を携えて現場で必死に考えました。それが私の弁護士としての初めての仕事になったんです。

このとき集まっていたボランティアの人たちと知り合いになり、その後、東京の山谷で無料法律相談を実施するなどホームレスや生活困窮者の支援活動に関わるようになりました。2013年からは山谷に集まる生活困窮者の支援団体である「NPO法人 山友会」の理事も務めています。

河﨑健一郎(かわさき けんいちろう)
1976年埼玉県生まれ。弁護士/早稲田リーガルコモンズ法律事務所共同代表/福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表

早稲田大学法学部卒業後、1999年、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社。経営コンサルタントとして人事や組織の制度設計などに従事した後、2004年に退社し、早稲田大学法科大学院(ロースクール)に入学。2007年、同大学院修了、同年司法試験合格、新61期司法修習生に。2008年、弁護士登録(61期)東京駿河台法律事務所に勤務。議員秘書も経験。2011年3月11日の東日本大震災発生直後から現地にボランティアに赴く。7月には「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」を共同で設立し、原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。2013年3月 早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立。経営の仕事のほか、弁護士としても活動中。得意分野は中小事業者の経営相談全般、および相続や離婚、子どもの問題などの家事事件全般。特定非営利活動法人山友会の理事を務めるなど、生活困窮者支援にも積極的に取り組んでいる。日弁連災害対策本部原子力プロジェクトチーム委員、早稲田大学法科大学院アカデミックアドバイザーなど活動は多岐にわたる。『高校生からわかる 政治の仕組みと議員の仕事』『避難する権利、それぞれの選択』『3・11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』など著書多数

初出日:2015.03.19 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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