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2015.03.09  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

原発被災者の支援活動に取り組む

──まず現在の仕事について教えて下さい。

細かいものを含めればいろいろありますが、大きくわけて2つあります。1つは弁護士としての通常の仕事、もう1つは原発事故の被災者の方々への支援活動です。


──弁護士としての仕事については後ほどうかがうとして、まずは原発被災者の支援活動について教えてください。

2011年7月に有志の法律家で「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAve Fukushima children LAwyers'Network)」通称SAFLAN(サフラン)を立ち上げ、政府指示による避難区域外の避難者(区域外避難、あるいはいわゆる「自主」避難)の方々の支援活動に取り組んでいます。現在(2015年2月)、約50名の法律家がSAFLANに参加しています。

SAFLANには大きく分けて4つの活動があります。1つ目は福島県の内外で原発事故に不安を抱える人や賠償を求める方々のための無料の法律相談会やセミナーの開催です。2つ目は、主に区域外避難の方々を対象に、原子力損害賠償紛争解決センターへのADR(代替的紛争解決手続)の申し立てを代理しています。3つ目は、区域外避難者の方々の声を踏まえて、法律的な意見書や立法提言を作成しています。政府や原子力賠償紛争審査会、国会議員への情報提供(ロビイング)を重ねることで、私たちの主張する「被曝を避ける権利」実現のための働きかけを行なっています。4つ目はウェブサイトやツイッター、YouTubeを活用して、原発事故に関連する損害賠償や、対策立法を求める動き、区域外避難に関する情報を提供する広報活動です。


──どういう経緯で原発被災者の支援活動を始めたのですか?

私自身は、原発事故が発生してすぐ避難者の支援活動に取り組んだわけではありませんでした。むしろ最初に関わったのは津波被災地の支援でした。3月の中頃に、知人から「津波で被災した病院に医療物資を届けに行くんだけど、一緒に行くか」と声をかけてもらって、もちろん行くと即答しました。とにかく自分にできることがしたいという思いと、あまりにも巨大で未曾有の災害なので現地の状況を自分の目で見ないことには始まらないと思ったからです。それで3月の終わりに医療支援団の末席に加えてもらって気仙沼、陸前高田、南三陸、石巻などの被災地を回りました。

被災地でのボランティア活動

──壊滅的な被害を受けたところばかりですね。被災地を見てどう感じましたか?

河﨑さんが被災地にボランティアで入ったときの様子(河﨑さん撮影)

それまで街があったところが何にもない状態になっていて、あちこちで煙が上がっていて、ひどい匂いが立ち込めていました。海から遠く離れた道路の真ん中に大型の船が乗り上げていたり、山の上に車が突き刺さっていたり、空を見上げれば何機もの自衛隊機や防災ヘリ、報道ヘリが空を飛び交っていました。これまで見たこともない、想像を絶する惨状をこの目で見た時はあまりの衝撃にうまく言葉にすることができませんでした。この惨状を前にこの後東京に帰って何事もなかったように日常生活を送ることできるんだろうか、と漠然と思ったことは記憶に残っていますね。

このときは1泊2日で医療物資を運ぶ手伝いなどをしたのですが、同時に大きな無力感も覚えました。弁護士ってああいう局面では何もできないんですよね。活躍できるのは医師や自衛隊、消防、警察、電気・ガス・水道のインフラ関係者といった方々で。せめて一人の労働力として何か役に立ちたいと4月に泥かきやがれき撤去のボランティアをしに何回か被災地へ通いました。

このとき、すでに福島原発はメルトダウン、水素爆発などの深刻な事故を起こして周辺住民の避難も始まっていましたが、その問題にはあえて目をつぶっていました。福島市などの町中でもガイガーカウンターで放射線量を測定すると高い値を示していて、マスクをしている人も多いんだけど、だから福島は危ないんだとは言ってはいけない気がして。何となく放射能の問題には触れてはいけないような雰囲気でしたよね。

日本でここまでの原発事故が起こったのは初めてで、当時は国や専門家からもどこがどの程度危険なのかについて明確な発表がなかったので、私たちも何が起こっているのかわからない、何だかわからないけど恐いという認識で、だから頭から排除していたという感じだったんです。


──では福島原発の問題に関わるようになったのはいつ頃、どのようなきっかけで?

ゴールデンウイーク明けに梓澤和幸という先輩弁護士(後のSAFLAN共同代表)から福島で現地の人のための無料法律相談会を実施するから参加しないかと誘われました。それまで福島の原発事故の問題をよくわからないからとシャットアウトしていたので、自分に何ができるかわからないとは思いつつ、せっかくの機会だから参加することにしました。

その相談会では横でお医者さんたちの支援グループも相談を受けていました。そのお医者さんが「今、この地の線量はこれだけあります。被曝の健康影響はよくわかっていないところも多いが、妊婦や子どもには影響が大きいのは確か。この線量が続くのであれば、少なくとも子どもや妊婦は、一時的にでも避難すべきと言わざるをえない。避難は大変な決断だし、最後は自分で判断するしかない」というような発言をしていました。当時は専門家の責任が厳しく問われていたころで、ここまで言う人がほとんどいなかっただけに、そこまで言うんだ、けっこう踏み込んだ発言をするんだなと感じました。

幼子を抱えたお母さんの一言がきっかけに

──当時は福島の人びとや県外でも原発からそれほど離れていないところに住んでいる人たちは不安だったでしょうね。

政府から避難指示が出ている区域の人びとは避難を後押しされますが、その区域外だけど被曝の危険性のあるエリアに住んでいる人びとは政府からは何の指示も支援もなかったので、本当に住み続けていいのか、避難するべきじゃないのか、とどまるにしてもその後被曝を避けてどうやって暮らしたらいいのか、などといろいろ悩んでいたわけです。しかも小さな子どもを連れた親はなおさらその不安や苦悩は大きいでしょう。その会場にもそういう不安や苦悩を抱えた人たちがたくさん詰めかけていました。

そのうちの小さなお子さんを連れたお母さんに「お医者さんは私たちのためにこれだけ踏み込んだ発言をしてくれているのに、弁護士さんは何もしてくれないんですか」と言われたんですね。決して私たちを責めるというような口ぶりではなくて、純粋に悩んでいてポロッと口から言葉がこぼれた、という感じでした。ただ、そのお母さんの言葉が僕の心に突き刺さって、すぐには何も答えられずうーんと考えこんでしまったんです。これがこの人たちのために何かしたいと思った最初のきっかけです。

大人はまだ自分で何とかできますが、子どもは無力ですからね。僕自身もその当時0才児と4歳児の父親だったのでなおさら何とかしなきゃ、ここで何か行動しなかったら人の親として、法律家としてダメなんじゃないかと思ったんです。

もう1つは、素朴な後ろめたさもありました。というのも、福島原発でつくっていた電気のほとんどは福島の人たちではなく、首都圏に住んでいる僕らが使っていたわけですね。首都圏のための電気を作っていたのに、事故が起きて苦しんでいるのは福島の人たちなわけです。その後ろめたさです。

ネットではむしろ逆方向の言説も目立っていました。「これくらいなら体に影響ない」「放射能恐怖症がむしろ福島を壊している」などと書き立てるわけです。しかし、現地で悩んでいる人たちの声を聴くと、そんな単純な二項対立の問題ではないわけです。安全地帯にいながら前線の人の悩みを揶揄する言説の不誠実さに、素朴な憤りを感じましたし、そういった憤りや後ろめたさのようなものも、今の活動に取り組み始めた動機の1つといえるかもしれません。

そんな気持ちを知り合いの法律家たちに率直に話したら、特に僕と同じような子育て世代には響いたようで、ぜひやろう! とすぐに20~30人ほどのメンバーが集まりました。その仲間たちと2011年7月にSAFLANを結成したというわけです。

河﨑健一郎(かわさき けんいちろう)
1976年埼玉県生まれ。弁護士/早稲田リーガルコモンズ法律事務所共同代表/福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表

早稲田大学法学部卒業後、1999年、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社。経営コンサルタントとして人事や組織の制度設計などに従事した後、2004年に退社し、早稲田大学法科大学院(ロースクール)に入学。2007年、同大学院修了、同年司法試験合格、新61期司法修習生に。2008年、弁護士登録(61期)東京駿河台法律事務所に勤務。議員秘書も経験。2011年3月11日の東日本大震災発生直後から現地にボランティアに赴く。7月には「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」を共同で設立し、原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。2013年3月 早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立。経営の仕事のほか、弁護士としても活動中。得意分野は中小事業者の経営相談全般、および相続や離婚、子どもの問題などの家事事件全般。特定非営利活動法人山友会の理事を務めるなど、生活困窮者支援にも積極的に取り組んでいる。日弁連災害対策本部原子力プロジェクトチーム委員、早稲田大学法科大学院アカデミックアドバイザーなど活動は多岐にわたる。『高校生からわかる 政治の仕組みと議員の仕事』『避難する権利、それぞれの選択』『3・11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』など著書多数

初出日:2015.03.09 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの