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2017.04.17  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

転機となった起業塾

──スタッフがほぼ全員辞めて会社が空中分解状態になった時、厚待遇でスカウトしてきた企業に入らなかったのはなぜですか?

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起業した翌年、NPO団体が主宰する「社会起業塾」にこの事業を応募していたのですが、ちょうどこの頃(2010年9月末)、合格通知が来たんです。この社会起業塾出身の中には有名な社会起業家の方が多数いらっしゃるので、入塾すれば社会起業家になるための虎の巻があって、講師がプロデュースしてくれて、私も有名社会起業家になれるのかな、なんて最初は思っていました。

ところがその考えは言うまでもなく甘すぎました(笑)。いざ講座が始まると、虎の巻なんか何もなくて、「起業塾」という名前の割には事業計画書を作るとかPRリリースを打つということも全然学びません。担当のメンターが一人ついてくれるんですが、とにかく「誰の、何を、いつまでに、どのくらい変えたら社会は変わるのか」ということを尋問のように問われ続けました。「誰の」は「支援してほしいお母さんと支援したい世の中一般の人です」とさらりと答えると、「その人たちはどこの誰で、何歳で、何人くらいの子どもがいて、年収いくらで、何をしてどのように育った人なんですか? どんな時に困ってなぜ頼らないんですか?」などという具体的な人物像についてひたすら突っ込んだ質問が矢継ぎ早に飛んできます。

最初は思いつきでバンバン答えるんですが、「では5人ほど支援してもらいたい人、支援したい人の名前を挙げてください」なんて言われると、さすがに出てこない。返答に窮していると、メンターから「マーケティングの経験がある甲田さんから見て、その人物像を調べようと思ったら、どのくらいの人に尋ねたらおおよその傾向が見えますかね?」と聞かれたので、何も考えず「1000人くらいですかね」と答えると、「じゃあ1000人の人に聞いてきたらどうでしょう」と言われたんです。アンケートってただの主婦が道端で聞いてみんなが答えてくれるようなものじゃありません。10人に1人なら1000人、100人に1人なら10万人に聞かないといけない算段です。咄嗟に「嫌だ...」と思いましたが、メンターは「頑張りましょう!」って。頑張りましょうじゃないですよ、他人事だと思って、みたいな(笑)。

地獄の1000人アンケート

重い腰を上げてニーズ調査をすることになったわけですが、2人に1人が答えてくれるとしたら1日に200人聞ければ10日で終わる、と自分に言い聞かせて、印刷した1000枚のアンケート用紙を全部持って、朝7時くらいから駅前や保育園の前で子連れのお母さんたちに声を掛けまくりました。でも、当たり前ですが朝、子どもを預けた後、通勤に急ぐお母さんが足を止めてくれるはずがありません。全然答えてくれなくて、これはダメだと思い、昼間にスーパーや図書館、子育てサロンに行って声を掛けるんですが、これまた警戒されまくりで誰も答えてくれないんですよ。初日に200人くらいに声を掛けたんですが、答えてくれたのって何人だと思います? たったの2人ですよ。まさに100人に1人。

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その後もアンケート用紙を抱えて街に繰り出したのですが、2日目、3日目は確かほとんどゼロ。4日目は雨が降っていて、それでも傘をさしながら相変わらず「地域の頼り合い子育てに取り組んでいるAsMamaです! 今、課題対象者ニーズ調査を行っています!」と声を掛けるんですが、とにかく逃げられる。怪しいことをしているわけじゃないのにと思いつつ「すいません、ちょっと待って下さい!」と、逃げるお母さんを追いかけるんですが、「うっとうしんですけど!」とか「恐いんですけど!」とか言われる始末。お母さんたちの後ろ姿を呆然と眺めながらふと紙袋を見ると998枚のアンケート用紙が雨に濡れてへにゃってなっていました。それを見た瞬間、情けなさと不甲斐なさで、ポロポロ涙がこぼれてきて。私、いったい何やってるんだろうって。

バリキャリ目指して10年間、死ぬほど仕事してきて、今でもうちの会社で働きませんかと好条件で声が掛かるのを、いや、私は誰もが自己実現できるための頼り合いのインフラを作るんだと頑なに断り、1人こんな雨の町の中で手あたり次第に子連れのお母さんたちを追いかけ回して頭下げながら声を掛けて、ことごとく無視されて逃げられて。片手には雨に濡れてくちゃくちゃになりかけたアンケート用紙の山。これまでの日々を思い返しても、お金にはならない交流会の人集めを必死にしながらも参加者からお金をもらうのは申し訳ないと思い、企業に協賛してもらおうとしたものの、その企業さんには怒られる──というのはついこの間の記憶。一緒にやってたメンバーには罵倒されて愛想を尽かされて、結局一人ぼっちに。そういう状況にはたと気づいたとき、もう無理だという思いがこみ上げてきました。

「根性ないんですね」で復活

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完全に心が折れかかり、起業塾のメンターに電話をして、「この3日間だけでも1000人に声を掛けて2枚しか集まりません。1000人分の声を集める街頭アンケートなんてほんと無理です」と言いました。そしたらメンターから、「甲田さんてバリバリ仕事されてきた方で、起業してからも1年間も実際に事業を続けてこられていて、それでもそんなこともできないんですね。意外と根性ないですね。そんなんで、どうして社会的な事業なんてしようと思われたんですか?」というようなことを優しい声で言われたんですよ。「そうですか~、あきらめちゃうんですか~」と話は聞いてくださりながら。

それを聞いた瞬間、「くっそ~、なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ」とさっきまでとは違う、別の悔しさがこみ上げてきて、「わかりました。大丈夫です。1000枚集めてみせますのでご心配なく!」と電話を切って、1000人とにかく集めてやるぞと闘志がメラメラ燃えてきたんです。


──まさにドラマとか漫画のような話ですね。それからどうやって集めたのですか?

とはいえ、今までと同じやり方だと結果は同じなので、まず怪しまれないためにどうしたらいいかを考えました。駅前を見回したところ、募金活動をやってる人たちは怪しまれていなかったので、「頼り合いこそが豊かな社会を作ります! 子育ての頼り合いに関する調査を行ってます! ご協力よろしくお願いします」とボードにアンケート用紙を張り付けたものを地面に並べながら、「(近寄ってくれる人を)待ち作戦」で叫び始めたんですね。当然、物珍しそうな目で見られるわけですが、スーパーの店長がやってきて「何やってんの?」と声を掛けられて、事情を説明すると、「そんなところでやってても怪しまれるだけだから、ここでやりなよ」とたくさんの人が出入りするスーパーの入り口でやらせてくれたりもしました。

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地元の横浜だけじゃなくて東京などいろんな地域でもニーズ調査をしなきゃいけないと思ったのですが、そこでも怪しまれたらアンケートは集まりません。募金活動作戦だけではなく、選挙時期に駅前に立って街頭演説をしている立候補者や議員さんは怪しく見えないからその真似をしようと、ドンキホーテでタスキと拡声器を買ってきて、駅前に立って「みなさん、おはようございます! 地域の頼り合い活動に取り組んでおりますAsMamaの甲田恵子と申します! 皆様方の生活をよくするためにアンケートのお願いをしております。今からお配りしますのでお断りになられないようにお願いいたします!」って叫びながらアンケート用紙を配ったら、けっこう受け取ってもらえた、なんてこともありました。


──うまいことを考えましたね。やり方を変えてからは順調にアンケート用紙が集まるようになったのですか?

いえ、やっている最中もやっぱり嫌で嫌でしょうがなかったですね。最初のうちは通りすがる人に怒られたり怪しまれたりしましたし、警察官に職務質問されて派出所に連行されたこともありました。あちこちでとにかく必死に怪しいものではありません! と説明していたのを憶えています(笑)。

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毎日同じ場所に立って叫んでいたので、最近あそこに変な人がいると噂になったり、これまですごく仲良かった保育園のお母さんさえ、私が変な宗教とかマルチ商法にハマったと勘違いして、「最近の甲田さんはお鍋とか売り出したらしいよ」とか、あらぬ噂を立て始めたこともありました。なんでそれがわかったかというと、保育園に娘を迎えに行った時、娘が私に「ママはお鍋を売り始めたの?」って聞いてきたんです。「ママはお鍋なんて売ってないよ~」と言うと「そうだよね~うちにはお鍋が4つしかないもんね~」って。「なんでそんなこと言うの?」って聞くと、「○○ちゃんのママがおうちでお鍋を売ってるの? とかシャンプーを売ってるの? とすごく聞いてきたの」って言うんです。

アンケート調査をしている間に、娘を自転車の後ろに乗せていたら道中で偶然同じ保育園の親子と出会った時があって、娘がその子の名前を呼ぶとそのお母さんが「あの子とお話しちゃダメ! 帰るよ」という声が聞こえたこともありました。自転車に乗りながら何度涙を流したかわかりません。娘には泣いている母親の姿を見せたくないので、自転車のペダルを漕ぎながら、前から歩いてくる人の怪訝な顔を気にしつつも、ドラえもんとかアンパンマンの歌を大きな声で歌ったことも数え切れないほどありました。

予想が確信に変わった

──それも涙なしには聞けない話ですね。自分自身より子どもに影響が及ぶのが何よりつらいでしょうね。

そうですね。子どもにマイナスの影響があるかもしれないということが一番つらかったです。それでも歯を食いしばりながら続けていくうちに、娘が通う保育園の先生や子育てサロンの施設長が協力してくれるといった機会が増えてきて徐々に集めやすくなりました。400枚くらい集まったころには少しコツがつかめてきた感じでした。


──それはなぜですか?

そのあたりから、いつ、どこに助けを求めているお母さんや、助けてくれそうなお母さんがいるかということがわかってきたんですよ。例えば毎日保育園の前に立っていたら、週に何回か閉園時間間際に飛び込んで来くるお母さんが常習でいるんですよね。そういうお母さんに毎回声を掛けて、私自身の会社員時代の経験を話しているうちに打ち解けて、心の内を語ってくれるようになったんです。会社からも保育園からも子どもからもちゃんとしたお母さんだと思われたくて、そのために日々精神をすり減らすような思いをして頑張っている。そういう話をしているうちに、どうしてここまでして頑張らなきゃいけないんでしょうね、と私もそのお母さんも泣けてきちゃったりして。そんなとき頼れる知り合いがいたらすごく助かりますよねと言うと、みんながみんな、大きく縦に首を振りました。やっぱりみんな思っていることは同じなんだと徐々に毛穴からみんなの思いが染み込んでくるような気がしました。

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また、公園などでは、自分の子どもをあやしながらも明らかに他の子どもにも目配り気配りをしている人がいたりするんですよね。しかも、子どもに対して明らかに他のお母さんと違う動きをする。話しかけてみると、やっぱり元保育士さんとか幼稚園の先生とかなんです。「出産を機に、子どもが小さいうちは自分で子どもを見たいから(仕事は)辞めてしまったけれど、自分の子どもだけを育てていると専門知識をもっている自分でさえ息が詰まるときがある。普通のお母さんたちだったらもっとそうかもしれないと思うと少しでも役に立てればと思うし、他の子どもと接している方が自分も楽しいので」と。こういう話を直接本人から聞くと、起業前からデータ等で調べて知っていたとはいえ、他人事からジブンゴトになっていくのが自分でもよくわかり、いっそう何とかしなければという思いが強くなったんです。

そしてアンケートを取り始めて4ヵ月、ついに1000人分の声を集めることができました。その頃にはこれは無限の可能性を秘めたものすごいビジネスモデルになるという確信と同時に、絶対に目の前の人たちが自分らしく生きられる環境整備をしなきゃいけないという使命感・責任感がより強固になりました。社会起業塾で学んだこと一つひとつが、今の礎になっていると思っています。

収益モデルを確立

この1000人アンケートで子育て世代のお母さんたちと話しているうちに、子どもを預けたい、預かりたいという頼り事以外に、多様な子育てや生活に役に立つ情報を求めていたり、子どもと一緒に出掛けられる場所をいつも探していることがわかりました。でも、周りに聞きたいことを教えてくれる専門知識をもっている知り合いがいる人は少ない。どうしているかというと、周りの人たちに聞きまくったり、インターネットで闇雲に情報収集していたんですね。子育てや生活に関する正しい情報を得たり、比較検討する機会をもてていませんでした。ここにビジネスチャンスを感じたんです。


──どういうことですか?

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私自身、仕事として広報やマーケティングに携わってきた経験から、企業は自社商品やサービスの周知に何千万、時には何億というお金を使うんですが、その広告宣伝費を投入する場所に必ずしもドンピシャのターゲットばかりがいるわけじゃないんですよね。むしろ数%いるかいないか。それがマス広告というものなのですが、それに何億も使うくらいなら、広告を打ちたいエリアにどういう人たちがいるのかを地の利がある人たちを集めてあらかじめ調べておき、直接一定数の人に顔を見て伝えたり、関心のある人たちだけを集めて企業が直接会って情報訴求できる機会を創出したりすることは全関係者にとってWINだと思ったんです。

つまり、子育てを応援したい、自分たちの商品や施設を知ってほしいと思っている企業と、そういう商品や施設があればいいなと思っている生活者が出会う機会を、同じ関心ごとがある人たち同志の交流イベント機会づくりを両立させる、ということですね。

このアイデアをいろんな企業に提案してみたところ、アンケート調査を通じて私が子育て世帯のニーズを臨場感を伴って説明できるほどになっていたということもあり、直接のターゲット訴求が本当に可能ならばぜひやりたいと数社から正式にオファーをいただけました。最初のクライアントは横浜の商業施設なのですが、そこで実施したイベントがテレビで取り上げられると、活動理念に共感する有志の声掛けによる広報・マーケティング手法に興味をもって、ぜひ一緒に協働したいという企業さんからの問い合わせが日増しに増えていきました。やがては商業施設やメーカー、保険会社などのエリアマーケティングや集客支援、顧客獲得のためのPR支援を、広報のためのツール制作から広報戦略の立案・実施まですべてワンストップでやらせていただくようになりました。こうして2011年4月頃、ようやく収益モデルが確立できたわけです。でも創業から18ヵ月もかかってるんですよね。その後は、順調に収益が伸びていきました。

甲田恵子(こうだ けいこ)

甲田恵子(こうだ けいこ)
1975年大阪府生まれ。株式会社AsMama 代表取締役CEO

関西外語大学英米語学科入学後、フロリダアトランティック大学留学を経て環境省庁の外郭団体である特殊法人環境事業団に入社。役員秘書と国際協力関連業務に従事。2000年、ニフティ株式会社入社。マーケティング・渉外・IRなどを担当。2007年、ベンチャーインキュベーション会社、ngi group株式会社に入社し、広報・IR室長に。2009年3月退社。同年11月、33歳の時に誰もが育児も仕事もやりたいことも思い通りにかなえられる社会の実現を目指し、株式会社AsMamaを創設、代表取締役CEOに就任。2013年、育児を頼り合える仕組み「子育てシェア」をローンチ。多くの子育て世代の支持を得ている。著書に『ワンコインの子育てシェアが社会を変える!! 』(合同フォレスト刊)がある。

初出日:2017.04.17 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの