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2016.04.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

テレビ業界を離れた理由

──テレビ業界から離れようと思ったのはなぜですか? ディレクターの仕事が嫌になったとか?

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いや、そんなことないですよ。ディレクターとしてうまくやれてたと思うし、仕事そのものは楽しかったです。ただ、先程もお話しましたが、とにかくテレビ番組を作る仕事は超激務で、1年360日くらい働くわけですよ。1ヵ月ほど会社に泊まることもあるし、突然明日から海外にロケに行けと命じられることもよくある。それでも若い頃は平気だったんですが、30代も半ばを過ぎるときつくなってくるんですよ。そしてあるとき気付けばほとんどのプロデューサーが自分より年下になっていて、やりにくさを感じるようになります。そもそもフリーのディレクターなんて立場的にはものすごく弱いですから。

そしてあっという間に40歳を過ぎ、そしてその先のキャリアが見えなくなる。テレビ局の正社員ならまだいいのですが、僕みたいな制作プロダクション上がりのフリーランスだと特にそうなんですよね。だからこのままずっとテレビの仕事をしてたら、50歳くらいになった時にある日突然会社からいらないって言われて、あるいは燃え尽きちゃって、人生が終わるんじゃないかという危機感は常にありました。実際に、僕の先輩とか身近でそういう人をたくさん見てきましたから。これは切ないですよね。そのときになって、こんなにこの仕事に人生を捧げてきたのに......と思っても遅いわけですよ。そこを反逆したい。だったら自由に生きてやると、人生のあるとき自然と気持ちが切り替わったんです。

もう1つは、マスコミ特有の体質にも違和感を抱いていた部分も大きいですね。特にテレビは数百万、数千万の人々に情報を発信できるという強い影響力をもつ媒体なので、実力以上に自分はすごいと勘違いしている人がいました。やたらと偉そうで、周りを見下しているような人も多くて、自分もそうなるのが嫌だった。

それで徐々にテレビ業界からフェイドアウトしようとネクサスを退職してフリーランスでディレクターをやりつつ、2008年末に6次元をオープンしたというわけです。


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──カフェの仕事は未経験だったわけですよね。

その点に関しては何の不安も疑問もなかったですね。やればできると思っていたので。でも実際にやってみたらやらなければならないことが多すぎて大変でした。開店から3年間くらいは週5日間、12時から0時まで営業していて、食事も出していたので本当にしんどかったし、ちょっと無理かなと思ったこともありました。でもオープン時間を不定期にして、食事を出すのをやめて、イベントメインにすることで、今、カフェとしてようやく落ち着いてきたという感じですね。


──並行してフリーのディレクターの仕事はいつ頃までやってたんですか?

つい最近までやっていました。やっぱりテレビ業界も人手不足だし、僕みたいなディレクターって重宝がられるんですよ。扱いが非常に難しい女優を使う番組や突発的なトラブルの解決とか、難易度の高い仕事が好きで得意だったので、そういう依頼が多かったです。でも6次元が軌道に乗り、年々本関係の仕事など他の仕事も増えてきて、テレビの仕事をやらなくてもやっていけるというか、やる時間がなくなったので、去年(2015年)の始めからは一切受けてないです。

等身大の自分に戻った

──テレビ業界から完全に離れた今の心境は?

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先日、テレビ局に行って入館証を返却した時、ついにテレビ業界から完全に足を洗ったんだなと思って感慨深いもの、一抹の寂しさもありましたね。ああ、もうここは僕のいる場所じゃなくなったんだなと。でも、その一方ですっきりしました。今、やっと映像の方は終わった感があるので、必死に他の仕事を増やしているところです。何でもやりますという感じで、テンションは高いですよ。今、第2の人生が始まったばかりというか、1年生のような新鮮な気持ちですね。

あとはやっぱり自由な感じがいいですよね。時間や仕事に追われず、平日の昼間に優雅にいろいろ好きなことをできるってのは幸せですよ。だからこそ気付けるいいことってあるんです。こうやってコーヒーをゆっくり飲むってすごくいいなあとか、絵をのんびり鑑賞する時間ってすごく重要だなと感じます。

それから、テレビ業界から離れて今やっと等身大の自分に戻ってきた感があります。働くというのはこういうことかと。店のテーブルを拭いたり、コーヒーを淹れたりすること一つとっても楽しいんです。


──それは自分で手を動かして働くことが楽しいということですか?

そうですね。単純にそれもありますが、もっと言うと、自分の力でお金を稼ぐ実感がより得られるというんでしょうか。1つひとつの仕事の値段がわかるのも新鮮で楽しいんですよね。「この記事、1本5000円なんだ」とか「1日これやってこれだけもらえるんだ」とか。(笑)。「小商い」を始めた感じがおもしろくて。

そういうの、今なかなかないでしょ? 自分で手を動かして額に汗して働いて、お金をもらう。それは働くということの原点だし、忘れちゃいけないと思うんですよね。会社員だと、だいたい毎月決まった給料で、営業職でもフルコミッションでない限りはもらったお金を全部自分だけの力で稼いだ感覚ってないじゃないですか。個人事業主になると、もらった分は自分だけの力で稼いだ感が強いし、その日働いた分をその日にもらえるみたいなのがすごい楽しいですね。それが5000円でも1万円でもすごくうれしいんですよ。

50万より5000円の方がうれしい

──でもフリーのディレクターとしてテレビ番組を1本作ったら比較にならないほどのお金がもらえるでしょう? それこそ桁が違うというか。それでも1本5000円の方がうれしいんですか?

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うれしいですね。テレビは大勢の人たちでつくりますが、書いたりイベントを企画するのは自分1人ですから。自分でお金を稼ぐ実感が得られるので、満足度が高くてすごく幸せなんですよ。だから50万円のテレビの仕事の依頼は全部断って、5000円の書き仕事の方を受けているわけです。こちらの方が今の自分にとって価値があるんです。

あと今は自分が企画したことがそのまま形になる、考えたことがダイレクトに実現することが多くなっていて、それが何よりおもしろいんです。こういうことって今までなかったんですよ。テレビのディレクター時代は、自分で書いた番組の企画書が滅多に通らなくて。ディレクターを20年くらいやった中でも実際に自分の企画といえるものって数えるくらいしかないんです。

それに規模的にも、ディレクターとして3ヵ月に1本くらいの頻度で、大規模な番組を担当してたのですが、作り終えてもそれほど達成感や幸福感ってなかったんです。何ていうんでしょうね、ただ仕事に追われちゃってるみたいな。でも今は小さくてもたくさんのプロジェクトを同時に走らせて、確実に達成しているので、満足感が高く、日々が幸せなんです。そんなに大儲けはできないけれど、それでもこっちの方が断然いいと思っています。

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あともう1つ、やりがいという意味で大きく違う点は、極端な話、自分が作ったテレビ番組を数字の上では数百万とか数千万人の人が視聴していても、次の日に「見たよ」とか「おもしろかったよ」と言ってくれる人なんて誰もいないわけですよ。作った人の名前すらほとんど認識されないわけだから。自分がこんなに一所懸命やっているのに全く手応えが感じられなかった。でも今は観客が20~30人程度の小さなイベントでもすごくたくさんのリアクションがリアルに受け取れる。それがすごくうれしいんです。今はマスコミよりも6次元のような小さいメディアの方に可能性があると強く思っているんですよね。6次元という"ミニコミ"を使ってマスコミに逆襲したいというのが今の活動のモチベーションとしては一番大きいですね。


──それが6次元のようなカフェをやろうと思った動機なんですね。

カフェというよりもこういう「スペース」ですよね。カフェという名の自分の「村」をもちたかったんです。といっても村長とかリーダーをやりたいというわけではなくて、いろんな人が集まる村を作って、うまく運営していくことに興味があったんです。

ナカムラクニオ

ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。ブックカフェ「6次元」店主。

高校時代から美術活動に取り組む。作品を横尾忠則氏に絶賛され、公募展に多数入賞、個展開催などアーティストとして頭角を現す。大学卒業後はテレビ制作会社に入社。「ASAYAN」「開運!なんでも鑑定団」、「地球街道」などを手掛ける。37歳の時に独立し、フリーランスに。NHKワールドTVなどで国内外の旅番組や日本の文化を海外に伝える国際番組を担当。2008年ブックカフェ「6次元」をオープン。その後オーナー業と平行してフリーのディレクターとして番組制作の仕事も請け負う。現在は「6次元」店主として年間200回を超えるイベントの企画、運営、執筆活動、出版プロデュース、大学講師、金継ぎ講師など、さまざまな仕事に取り組んでいる。執筆業では、+DESIGNINGで「デザインガール図鑑」、朝日小学生新聞で「世界の本屋さん」、DOT Placeで「世界の果ての本屋さん」、IGNITIONで「Exploring Murakami’s world」などを連載中。著作に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方‐都市型茶室「6次元」の発想とは』(CCCメディアハウス)、『さんぽで感じる村上春樹』(ダイヤモンド社)などがある。

初出日:2016.04.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの