WAVE+

2016.04.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

まずはADからスタート

──大学卒業後、テレビ番組制作会社に入社したわけですが、実際に仕事をやってみてどうでしたか?

ミヤザキケンスケ-近影1

僕が配属されたのは「ASAYAN」という番組制作チームで、シャ乱Qのつんく♂さんが「モーニング娘。」をデビューさせようとしていた頃。そんな時にテレビの世界に足を踏み入れたんです。

まずはアシスタントディレクター、ADとしてスタートしたのですが、毎週全国各地で開催される地方オーディションに行って、応募してくる何千人という女の子を最初にふるいにかけるのが僕に最初に与えられた仕事でした。すごく楽しくて、働くっておもしろいと思いましたよ。バブルの余韻が続いていて、テレビも元気な時代でしたしね。でもADって雑用全般を行う一番下っ端なので、仕事はめちゃくちゃ忙しかったですね。入社して3ヵ月くらいは家に帰れず会社に泊まり込んでましたし、半年間くらいは休みが1日もありませんでした。


──ADだと理不尽なことも多かったのでは?

それはもうたくさんありましたよ。まず現場で立ってたら怒られるし、座ってても怒られるんです。つまり、1日中ずっと動いてなきゃいけないんですよ。止まったら怒られるっていうのはすごくおもしろかったなあ(笑)。


──つらかったことは?

つらかったことは多すぎですが、例えば盆暮れ正月など世間一般の人が休んでる時も普通に仕事していました。ご存知の通り、テレビは年末年始に特番を組むんですが、AD時代は番組の立ち会いで、局にいて視聴者の問い合わせやクレームに対応しなきゃいけなかったので大変でした。だからテレビ業界といっても現場の仕事は全然華やかじゃなくてめちゃめちゃ地味でしたよ。だからみんなあっという間にいなくなるんです(笑)。同期入社の社員が20人くらいいたんですが、1年後は僕以外に1人か2人くらいしか残っていませんでしたね。それでも僕は全然嫌じゃなかったですよ。むしろ、そういうテレビ業界の、常識では考えられないめちゃくちゃなところがおもしろかった。毎日がお祭りみたいな感じで楽しかったですね。

入社翌年にディレクターに

──ADは何年ほどやったのですか?

ミヤザキケンスケ-近影2

それが僕はすごくラッキーで、たまたまADをやり始めて1年半くらいの時に誰もディレクターをやりたがらない通販の番組があったので、やりたいですと手を挙げたらディレクターをやらせてもらえることになったんですよ。普通はADを3、4年経験しないとディレクターにはなれないので、奇跡のようなラッキーでしたね。もしADを3年もやらなきゃいけない状況だったら辞めていたかもしれません。

その後、ニユーテレスに勤務して6年が経った頃、番組制作部がなくなるというので、ネクサスという「開運!なんでも鑑定団」や「美の巨人たち」を作っていた番組制作会社に転職しました。そこでもディレクターとして6年ほど勤務しました。辞める直前にはカフェをやりたいと思って物件をいろいろ探していたのですが、なかなかイメージに会う物件が見つからなかくて。でも「ひなぎく」と出会ったので退職し、2008年12月にディレクター時代の後輩と6次元をオープンしたんです。(※現在の場所で6次元を運営することになった経緯については前編を参照)

でも、いきなりカフェ1本で生計を立てるのは難しいし、ネクサスを辞めた後、NHKから声がかかったので、フリーのディレクターとして引き続き番組制作の仕事をすることにしました。最初はNHKの国際局で4年ほど海外向けの番組を担当し、その後Eテレの番組を担当しました。6次元のオーナーもやりつつだったので、ものすごく忙しくて毎日ドタバタでした。合計で20年近くテレビ業界にいたので、僕の人生の中ではテレビの仕事をしていた間の方が圧倒的に長いんですよね。


──ディレクター時代はどんな番組を?

情報、ワイドショー、旅、ドキュメンタリー、バラエティ、ドラマなどあらゆるジャンルの番組の制作に携わりました。


──一番好きだったジャンルは?

やっぱり旅番組ですかね。世界中の未知の土地を自分の価値観で選んで取材して紹介するのが超楽しかったですね。いろんな国に行けることも魅力でした。これまで訪れた国は約40ヵ国。世界中を車で旅する番組では女優さんと一緒に3、4週間海外ロケに行ったりしてたのですが、あまり公言できないハプニングもたくさんあってすごくおもしろかったですよ(笑)。

パプアニューギニアでのロケ
ズームアイコン

パプアニューギニアでのロケ

ダライラマ取材
ズームアイコン

ダライラマ取材

──テレビディレクター時代に得たことは?

あらゆるジャンルのテレビ番組の制作を通じていろんな知識やノウハウを得られたことですかね。それが今の6次元の活動にすごく役立っています。働くことのよさって、その時はわからなくても後々わかるんだなと、今頃気づきましたね(笑)。

あとは、会社に泊まるときはいつも床で寝ていたので、固い床でも平気で寝られるし、椅子が3つあれば熟睡できるし、10分あれば移動中でも寝られます。1ヶ月くらい監禁されても平気ですね。ごはんを食べる時間もなかったから忙しい時は5分で食べることもできます。どんな状況でも生きていけるように鍛えられたことも大きいですね(笑)。

ナカムラクニオ

ナカムラクニオ
1971年東京都生まれ。ブックカフェ「6次元」店主。

高校時代から美術活動に取り組む。作品を横尾忠則氏に絶賛され、公募展に多数入賞、個展開催などアーティストとして頭角を現す。大学卒業後はテレビ制作会社に入社。「ASAYAN」「開運!なんでも鑑定団」、「地球街道」などを手掛ける。37歳の時に独立し、フリーランスに。NHKワールドTVなどで国内外の旅番組や日本の文化を海外に伝える国際番組を担当。2008年ブックカフェ「6次元」をオープン。その後オーナー業と平行してフリーのディレクターとして番組制作の仕事も請け負う。現在は「6次元」店主として年間200回を超えるイベントの企画、運営、執筆活動、出版プロデュース、大学講師、金継ぎ講師など、さまざまな仕事に取り組んでいる。執筆業では、+DESIGNINGで「デザインガール図鑑」、朝日小学生新聞で「世界の本屋さん」、DOT Placeで「世界の果ての本屋さん」、IGNITIONで「Exploring Murakami’s world」などを連載中。著作に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方‐都市型茶室「6次元」の発想とは』(CCCメディアハウス)、『さんぽで感じる村上春樹』(ダイヤモンド社)などがある。

初出日:2016.04.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

pagetop