WAVE+

2015.03.09  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

原点は阪神淡路大震災

──弁護士の中には震災の問題に関わっていない人もたくさんいますよね。河﨑さんの中に震災で困っている人を何とか助けたいという思いが強くあるということなんですか?

そうですね。ただ、それは誰もがもっている気持ちなんだろうと思います。私の場合は弁護士という仕事をしているので、それが表に出やすいというだけで。

それと僕の場合、突き詰めていくと、原点は1995年に起きた阪神淡路大震災にあるのかなと思います。震災発生時は私はまだ18歳でしたが、震災発生から半年後、多少自分にも何かできることがあるだろうと神戸の被災地にボランティアとして入ったことがあります。そこで1ヵ月ほど滞在して手伝いのようなことをしたのですが、まだ世間も知りませんし、たいしたことはできないんですね。自分としてはほとんど何も役立つことはできなかったという思いがあるんです。己の無力さを痛感し、すごく悔しかったし歯がゆかったんです。

その思いはずっと僕の中に残っていて、3.11の東日本大震災が起こったとき、大人になった今、人の親になった今の僕ならあのとき以上のことができるはずだ、やりたいと思ったんです。だから阪神淡路大震災のときに感じた無力感があるから、今、原発事故の避難者支援に取り組んでいるといえるかもしれません。

こうした体験は僕だけじゃないみたいなんですね。SAFLANの活動をしていく過程でいろいろな場所でたくさんの方々に出会うのですが、リーダーシップをとっている人の中には僕と同世代の30代後半から40代前半の人たちが多いんです。いろいろ話を聞いてみるとやっぱり阪神淡路大震災で多かれ少なかれ、僕と同じような経験をしているんですよ。若いころの経験が今に繋がっている。だからみんな同じなんだなと思って。

最近は講演に呼ばれて子どもたちの前で話すことも多いのですが、そのとき、この話をするんです。いま、震災を前にして自分には何もできなくて悔しい思いをしている人はたくさんいると思うけど、落ち込む必要はない。自分の目で見た災害の風景や今感じている悔しい気持、無力感がいつかどこかであなたの出番というときに役に立ってくれる。そのときの原動力になる。というような話をしているんです。

法律家としてできることを

──弁護士としてどういうスタンスで行動を起こしたのですか?

僕たちは法律家であって医者でも科学者でもないので、どのくらいの放射線なら安全なのかあるいは危険なのか、その答えは出せません。だからこれまで社会がどういうルールを作って運用してきたかを考えました。そこで法令の条文を調べると、原発事故が起こる前の日本国内の一般人の年間の放射線被曝限度は1ミリシーベルトだったんですね。つまり、一般人の場合、年間1ミリシーベルトを上回る放射線被曝をしないように、とルールが決められていたのです。これは国際的な基準を参照した上で、国内で決められたルールだったわけです。しかしご存知のように、事故後、たとえば福島原発から60キロメートル以上離れた福島市でも、観測された線量はこの値を大きく超えていました。

しかし、事故後、政府は年間20ミリシーベルトという線量を基準に、避難指示を出すかどうか、政府として支援するかしないかを決めてきました。ですから例えば1ミリシーベルトを超える線量下にあった福島市に対しても、避難指示は出されなかったんです。一方で、除染の対象や食品の基準などは、従来通り年間1ミリシーベルトを基準に定められています。従来からの基準を完全に撤回したわけでもないんですね。つまり、政府はダブルスタンダードなんです。

避難指示を出すかどうかの基準を年間20ミリシーベルトに引き上げた政府の説明としては、「年間100ミリシーベルト以下の被曝量での健康への影響は疫学的に証明が難しい」からだとされています。でもその説明では、論点がかみ合っていないんです。1ミリシーベルト基準を守ってほしいと求めている市民の側が言っているのは、「従来のルールを守ってほしい」ということなんです。科学的な論争ではなくて、社会的な合意の有無を問題にしているんですね。

例えば20歳まではお酒を飲んではいけないという法律がありますよね。未成年者飲酒禁止法という法律の第1条にそう書いてある。仮にあるとき権威のある学者が「19歳でお酒を飲んでも健康に影響がないことがわかりました」と発表したとします。それが科学的に正しいんだと。しかしだからといって「なんだ、じゃあ19歳で飲酒してもいいんだ!」とはなりませんよね。ルールが決まっているわけだから。ルールを変えない限り、決まっているルールに従うわけです。あたりまえの話なんですが。

社会的な合意に基づいてルールを定めるというのは、そういうことなんです。一旦定まっているルールを変えるのであれば、ちゃんと民主的な手順を踏まなければならない。つまり法改正ですね。しかし政府はそれもしないわけです。除染や食品安全の基準は1ミリシーベルトのままですから、やろうと思っても難しいとも思いますが。

本当に年間20ミリシーベルトでよいという主張に自信があるなら、ちゃんとした根拠を元に議論を経た上で法令を変えるべきなんです。でもその議論をしないままに既存の法令を事実上骨抜きにして勝手に基準を変えようとしている。それは法律家としておかしいとこれまで散々言ってきたわけです。

社会問題化を目指して

──SAFLANを立ち上げてから具体的にはどのような活動を?

最初に取り組んだのは、政府が避難を指示した区域の外側の人たちも、原発事故の被害者なんだということを、社会問題化するという取り組みです。私たちがSAFLANとしての活動を始めた2011年の7月頃に、文科省の審査会が原発賠償の基本的な考え方の素案を公表したんですが、その中では、政府が避難指示を出した区域の外側の人たちが避難しても、全く賠償されないということになっていたんです。しかし私たちは外側の人たちも被害者なんだから賠償対象にするべきだと考え、手始めに区域外の方々411世帯の11億円ほどの損害賠償の請求書を作って提出するというアクションを行いました。これは大手の新聞にも報道されて、区域外避難という問題があるんだ、ということを世間に知ってもらう一つのきっかけになったように思います。

先ほど触れた原発賠償の基本的な考え方の素案というのは、文科省の中にある原子力損害賠償紛争審査会という学者の集まりで決めていたのですが、そのメンバーの多くは法学者だったんですね。そうした方々には私たちの考えをまとめた意見書を持参して、被害の実態と救済の必要性を個別に訴えていきました。その甲斐があったのかどうかは分かりませんが、結果的には2011年の終わりに審査会は「自主避難者の損害も相当因果関係がある場合は賠償の対象とする」という追加の指針を出すに至りました。また、避難指示区域から漏れた地域の中でも福島市、郡山市、白河市、いわき市などの隣接区域は「自主的避難等対象区域」という括りを新設して、大人一人あたり8万円、子どもと妊婦は一人あたり40万円を、避難した人もしなかった人にも全員に賠償することになったんです(のちに実際に避難した人には60万円)。これは区域外避難という問題が、国の予算決定にまで影響を及ぼした瞬間でした。

この頃になると「自主避難」という言葉が新聞紙上で大きく扱われるようになりました。社会問題化に成功したわけです。これこそが僕らが最初にやりたかったことで、実現できた達成感はありました。

河﨑健一郎(かわさき けんいちろう)
1976年埼玉県生まれ。弁護士/早稲田リーガルコモンズ法律事務所共同代表/福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表

早稲田大学法学部卒業後、1999年、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア株式会社)入社。経営コンサルタントとして人事や組織の制度設計などに従事した後、2004年に退社し、早稲田大学法科大学院(ロースクール)に入学。2007年、同大学院修了、同年司法試験合格、新61期司法修習生に。2008年、弁護士登録(61期)東京駿河台法律事務所に勤務。議員秘書も経験。2011年3月11日の東日本大震災発生直後から現地にボランティアに赴く。7月には「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」を共同で設立し、原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。2013年3月 早稲田リーガルコモンズ法律事務所を設立。経営の仕事のほか、弁護士としても活動中。得意分野は中小事業者の経営相談全般、および相続や離婚、子どもの問題などの家事事件全般。特定非営利活動法人山友会の理事を務めるなど、生活困窮者支援にも積極的に取り組んでいる。日弁連災害対策本部原子力プロジェクトチーム委員、早稲田大学法科大学院アカデミックアドバイザーなど活動は多岐にわたる。『高校生からわかる 政治の仕組みと議員の仕事』『避難する権利、それぞれの選択』『3・11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事』など著書多数

初出日:2015.03.09 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

pagetop