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2015.02.25  取材・文/山下久猛 撮影/ 守谷美峰

起業を決意した理由

──そもそもなぜ大学に残らず起業しようと思ったのですか?

KSELのような、有志によるボランティア団体ならたいてい経験したことがあると思いますが、活動はメンバー個々人の能力やモチベーションに大きく依存します。しかもKSELの場合、2年間でほとんどの院生が卒業・就職してしまうため、メンバーの入れ替わりが激しく、活動の頻度や性質にも大きな波が生じます。また、ノウハウの蓄積や活動の質の向上にも限界があります。そこで、メンバーの入れ替わりが激しい組織でも、地域や社会に対して安定的に高い価値を提供し続けるためには、ビジネスとして成り立たせる必要がありました。ですので、起業しようと思うことは、自分にとっては自然な流れでしたね。もともと、中学生くらいの時から漠然と社長になってみたい、と思っていたことを思い出し、ようやくそれにチャレンジできる時が来たのかな、とのんびり構えています。

大学に残って研究をする人生は今でも魅力的だと思っていますし、それをあきらめるつもりもありません。科学を伝える活動をしていると、今まさに世界の最先端で行なわれている研究について、実際に研究している本人から話してもらえる、ということに大きな喜びを感じる方が数多くいらっしゃることがわかりました。ですから、将来的には、自分が作った科学館の一部門として研究所を作り、仲間とともに研究を行って、その成果を科学館で発信できるようにもしていきたいですね。


──それはすごくいいですね。企業に就職するという道は考えなかったのですか?

それも考えはしましたが、私はだいぶ変わり者なので、会社という組織の中でうまくやっていく自信がなくて(笑)。だから就職活動は一切してないんです。


──組織の一員として人間関係に気を遣うよりも自分がトップに立って思うようにやりたいという感じですか?

いえ、自分のやりたいことをやろうと思えば手続きとか根回しとか筋を通すといったような、人間関係に気を遣うことはどうしても必要になるので、既存の会社に勤めるサラリーマンでも起業してトップに立っても、その苦労は同じだと思っています。むしろ、トップに立った方が気苦労は大きいかもしれません。それよりも、私は会社に限らず既存の組織が今までの長い歴史の中で作り上げたルールや暗黙の了解、企業風土などに素直に馴染めない性格なんですよ。それに一から何かを作りあげることに生きがいや楽しさを感じるので、自分にとって起業という道を選択したことは、野球がとてつもなくうまい小学生がプロ野球選手になりたい、と思うくらい自然なことだったんです。

子ども向けの自由研究ツアーにて

強い気持ちで起業に挑戦

──大学院を卒業していきなり起業することに全く不安はないのですか?

卒業してすぐに結婚する予定なので不安がないと言えば嘘になりますが、取りあえず自分でどこまでやれるのかチャレンジしたいという気持ちが強いですね。自分のチャレンジによって地域や社会がよりよく変われば、それが巡り巡って自分や大切な人たちを守り、温かく育むことにもつながると思うので、そうした未来を実現するためにまずは全力を尽くします。


──周囲の人の反応はどうでしたか? いきなり起業することに反対する人も多かったのでは?

私の気軽な雰囲気が何も考えていないように映ったんでしょう、両親も婚約者も最初はびっくりして反対しましたが、時間をかけて丁寧に説明したら納得してくれたと、少なくとも私は思っています(笑)。多くの方から「起業するのは1回会社勤めしてみてからでもいいんじゃない?」とか、「本当にうまく行くの?」とか、心配の言葉やアドバイスをよくいただきます。確かに、イバラの道だと言うことは、社会経験のない私でも容易に想像できます。でも、起業を決めた経緯を思い出せば、恐いからやめる、皆に反対されたからやめるという選択肢はないんです。だから反対されればされるほど、起業して事業を成功させ、自分を育ててくれた柏の葉という街や、自分や大切な人たちが暮らす日本の社会に価値を提供するんだ、という気持ちをより一層強くしているように思います。

仕事は自分の理想を実現するための手段

──これから社会で活動していくわけですが、働くということに関してはどのようにお考えですか?

難しい質問ですよね。まだ働いてもいないわけで、現時点でなかなか明確な答えは出なそうにありません。ただ、働くことは人生の一部にすぎないので、働くことだけを人生のすべてだという考え方はしたくないと思っています。

強いて言うなら、働くことは自分を表現する手段のひとつなのかなと思っています。仕事を通じて自分らしく生きていけるとか、社会をよりよく変えられるとか、大切なものを守れるとか、自分の理想を実現するための手段として働くということがあるのかなと思っています。


──羽村さんの理想とする生き方、働き方は?

嫌だけど仕事だからしょうがないと割り切って働くということは極力したくない、好きなことやおもしろいと思えることだけをやって楽しく生きていきたいなと思っています。こういうことを言うと、まだ社会に出てないからそんな甘いことが言えるんだと思われるでしょうし、自分でも思うのですが。もちろんそれだけで人生を終えられるかどうかはわからないし、いろいろ我慢しなきゃいけないことも多々あるとは思うのですが、自分にそれがどこまでできるのかを試してみたいという感じです。楽しみながら働くことで自分を表現していきたいですね。

プライベートに関しては、大きな家族で暮らしたいです。映画やドラマで、昔の生活の形として、長屋にいくつかの家族が集まり、頻繁に近所との交流があり、まるで大きなひとつの家族のように暮らしている姿が描かれることがあります。現代の核家族化とは逆行しますが、そんな暮らし方をできたらいいな、と妄想しています。近所に住む人々が、お互いに得意なものを持ち寄って提供しあうという暮らしの形へのあこがれは、先に述べた科学館を中心とするコミュニティにおいて、私が理想とする人と人との関わり方にも大きく影響を与えていると思います。

羽村太雅(はむら たいが)
1986年山梨県生まれ。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程/KSEL創立メンバー

慶應義塾大学理工学部卒業後、「宇宙人を見つけたい」との想いを叶えるため東京大学大学院 新領域創成科学研究科 複雑理工学専攻 杉田研究室へ。専門は惑星科学、アストロバイオロジー。隕石の衝突を模擬した実験を通じて生命の起源を探る研究を続けてきた。研究の傍ら、2010年6月に柏の葉サイエンスエデュケーションラボ(KSEL)を立ち上げ、地域に密着した科学コミュニケーション活動を行なっている。その活動が認められ、日本都市計画家協会優秀まちづくり賞やトム・ソーヤースクール企画コンテスト優秀賞などを受賞。また「東葛地域における科学コミュニケーション活動」が2014年度東京大学大学院新領域創成科学研究科長賞(地域貢献部門)を受賞。さらに単独でも多様な科学コミュニケーション活動を行なっている。国立天文台定例観望会学生スタッフ、宇宙少年団(YAC)千葉スペースボイジャー分団リーダーなども務めてきた。2015年3月卒業後は起業を予定している。ちなみに名前の「タイガ」は寅年生まれに由来する。

初出日:2015.02.25 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの