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2014.03.03  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

リフィッシュ誕生の経緯

──リフィッシュはどういった経緯で誕生したのですか?

そもそもの発端は2011年3月11日に発生した東日本大震災です。震災で壊滅的な被害を受けた東北の太平洋沿岸一帯は、国内の水産加工の9割を占めており、日本の水産業としては超重要なエリアでした。このままでは日本の水産業が死んでまうからなんとかせなあかんと、震災の4日後に水産庁の上田さんによって僕や、鮮魚の達人協会代表、大地を守る会の代表、報道関係者、大手広告代理店のプランナーなどが招集されて、みんなで復興のアイディアを考えようということになりました。このときは「東北の水産の復興を考える会」というような名称でこれがリフィッシュの前身です。

ミーティングでは僕が議事録を取って、タスクリストを作り、次のミーティングの段取りなどを行いました。しかし、みんなで集まっていろいろとアイディアを出して、仲間の団体は船やエンジンを集めて現地に持っていったりしましたが、現地の方との温度差を感じたんですね。そもそもまだ復興の方針が固まっていなかったし、現場は瓦礫の山で物資を運ぶ道もなければ製氷機などの機材も、港そのものも破壊されて使えない状態なのに、船だけ与えられても漁師の方たちも困りますよね。それでこれは長期戦になるぞと考え直しました。こんな短い期間で僕らがジタバタ動いても結果はたかが知れてるし、赤十字には莫大な募金が集まってる。ならば僕らができることはなんだろうとまたみんなで集まって考えたとき、メンバーの中の「タクトプロジェクト」というクリエイティブ集団が、「魚を食べる人たちを増やしていくこと、つまり魚食マーケットを拡大していくことが、被災した水産業に携わる人たちへの支援につながるのではないか。彼らがこれから操業を再開しようと思ったときの受け皿を作っておくことが必要なのではないか」と提言して、それを具現化する名称とデザインが「リフィッシュ」だったんですよ。

Facebookのリフィッシュファンページ。約3000人のファンがいる

リフィッシュではPR用にTシャツも販売している。
イベントなどでスタッフも着用

それを聞いた他のメンバー全員も、確かにその通りだ、やろうぜと賛同し、団体名を「リフィッシュ」にして、まず一人でも多くの人びとに僕らの思いや活動を知ってもらおうとWebサイトFacebookの公式ファンページを開設し、シールやバッヂやTシャツを作りました。ネット上の告知やPRだけでは不十分なので、感度の高い人たちが集まる青山のファーマーズマーケットでフィッシャーマンズマーケットを作って魚の販売に乗り出したり、「フルフィッシュフェスティバル」というバーベキュー大会を企画して浦安の総合公園で開催しました。「フルフィッシュフェスティバル」には初年度(2011年)は400人、2年目はその倍の800人も集まってとても盛り上がったんですよ。最後に、800人もの人間がリフィーッシュ!て叫びながらニコーとしてばしーっと記念撮影撮ったときはものすごい達成感を感じましたね。みんなええ顔してましたからね。

2011年、浦安で開催したフルフィッシュフェスティバルにて

青山国連大学前ファーマーズマーケットにて

僕はみんなが今よりももっと進んで魚を食べるようになればいいと思っていて、それが引いては東北の支援になる、そのために啓蒙になることなら何でもやるというスタンスで活動しているんです。

河野竜太朗(こうの りょうたろう)
1969年大阪府生まれ。築地仲卸尾辰商店五代目当主/リフィッシュ事務局長

近畿大学理工学部建築学科卒業後、国内大手の総合印刷会社、大日本印刷株式会社へ入社。営業、開発、企画などを経験後、2004年、35歳のとき築地で鮮魚の仲卸を営む尾辰商店に転職。2006年法人化し株式会社尾辰商店代表取締役社長に就任。経営の多角化に乗り出し、千葉そごう、横浜そごうに鮮魚と惣菜の販売店「つきすそ」を開店。2013年11月には銀座に魚料理店「銀座 尾辰」を開業。経営者として辣腕をふるう一方で、水産庁の上田氏が代表を務める有志の団体「リフィッシュ」の事務局長や日本全国の仲買人をネットワークしている「鮮魚の達人」の東京担当を務めるほか、リフィッシュ食堂の運営(現在は一時休業中)など、「魚食で世界制覇」という野望を胸に魚食文化の発展と啓蒙活動に取り組んでいる。「キズナのチカラ」「夢の食卓」「ソロモン流」などテレビ出演多数。

初出日:2014.03.03 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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