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2017.11.06  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

商社に就職も鬱で退職

──商社に就職してみてどうでしたか?

安田祐輔-近影1

もう地獄の日々でした。まず、無理矢理決められた時間に出社しなきゃいけないのが耐えられなかった。お客さんのアポがあれば朝起きるのは苦じゃないんですが、用もないのに8時半とかに会社に行かなければいけないのが意味がわからなくて。でも上司は来るのが当たり前だというわけですよ。

あとお昼の12時にチャイムが鳴ってみんな一斉にランチタイムに立ち上がるのも本当につらくて。どうして大人なのに子どもみたいにこんなに管理されなきゃいけないんだろう、会社なのに学校みたいだと思っていました。僕はそもそもまともに高校に行けていませんからね。

真夏でも社内では革靴を履かないといけなかったのですが、これもつらかった。のちに僕は軽度の発達障害だとわかったんですが、発達障害の方の一部に見られる感覚過敏のせいで、僕は長時間、靴を履いていられないんですよ。でも内勤なのに脱いでいたら上司に怒られるので、無理して履いていたら蒸れて水虫になって。「どうして社外の人に会わないのに脱いじゃいけないんだろう」とずっと思ってました。

仕事の内容もPCを使って油田の投資の計算をやらされたのですが、こういう作業ってそもそも得意じゃなかったのですごくつらかった。同期には東大理系の院卒で石油工学を専攻していたような人がいたので、そういう人がやった方がいいだろうと。

さらに、自分が関わっている仕事が正しいと思えなかったこともつらかったですね。アフリカで起こる紛争の多くは資源の奪い合いで起きるわけですが、当時の仕事は、間接的にではありますが紛争の片棒を担ぐ行為になる可能性もある。そのことを上司にどう思いますかと聞いても「そんなことは考えもしなかった」と。何が正しいかなんてわからないけれども、それでも僕は正しさに悩む人たちと一緒に働きたかった。

それでも我慢して働いていたのですが、入社して4ヵ月くらい経ったある日、デスクで仕事をしていたら突然全身から冷たい汗ががーっと吹き出してきて、まともに呼吸もできなくなりました。パニック障害を引き起こしてしまったんです。すぐに病院に行ったら鬱病だと診断されて、そのまま会社に行けなくなり、1年間の休職期間を経て退職しました。高校時代のアルバイトと同じく、就職しても4ヵ月しかもたなかったんです。

地獄のひきこもり生活

──休職期間はどのような状態だったのですか?

安田祐輔-近影2

会社に行けなくなって半年間が一番ひどかったですね。最初に行った病院がひどくて、こちらの話を聞かず適当な問診で誤診されて、強い薬をたくさん飲まされたんです。それでうつ病がひどくなり、ひどくなるからまたどんどん薬を出されるという悪循環で。どんどん体調が悪くなって常にめまいがして、ものが揺れて見えたり、幻覚まで見ていました。だからまともに起きてられなくてだるくて1日15時間以上寝てました。そういう状態が半年以上続いたんです。あの時は本当にやばかったですね。まさに地獄でしたよ。二度とあれは味わいたくないです。


──そこからどうやって立ち直ったのですか?

さすがにこのままではまずいと思って医者を変えたら、今度はいい医者で、薬を変えたり減らすなどした結果、徐々に症状はよくなっていったんです。

そうこうしているうちに休職手当が切れて食えなくなるから、なんとかして働かなければと、この先のことをいろいろ考えました。今回の経験から、自分が働く上で必要不可欠な3つの条件がわかりました。1つは勤怠管理などされない自由な環境。成果にコミットするのは苦じゃないから、結果さえ出せばあとは自由みたいな環境がいいなと。2つ目は自分が得意な仕事。3つ目は正しいと思える仕事。この3つを満たしてないとダメなんだと気づいて、もうサラリーマンは厳しいかもと思いました。

でも一応、ハローワークとかに就職相談にも行ったんですよ。でも当時リーマンショック直後でまったく求人がなくて。しかも僕、4ヵ月で辞めてますからね。そんな人間を雇ってくれる会社なんてなかった。それで会社に就職するのはもう無理だと完全にあきらめました。

高校生の時アルバイトは無理だと思ったから大学に入って、卒業して就職したんだけどやっぱりダメで。同じことの繰り返しで結果の先延ばしをしただけ。自分はなんてダメな人間なんだろうと落ち込みました。でもなんとかして食っていかなければならないので、自分で事業をやるしかないんだろうなと思ったんです。26歳くらいのことです。

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)
1983年神奈川県生まれ。キズキ代表

藤沢市の高校を卒業後、二浪してICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。在学中にイスラエル人とパレスチナ人を招いて平和会議を主催。長期休みのたびにバングラデシュに通い、娼婦や貧困層の人々と交流を重ねることで、人間の尊厳を守る職に就きたいと決意。卒業後は商社に4ヵ月勤務したがうつ病で退職。1年のひきこもり生活を経て、2011年キズキを設立。代表として不登校・高校中退経験者を対象とした大学受験塾の運営、大手専門学校グループと提携した中退予防事業などを行なっている。

初出日:2017.11.06 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの