生きがいであり天職
──教師という仕事の魅力や喜びはどんなときに感じますか?
13歳から15歳という年齢の生徒は日々成長しています。彼らと接しているとそれが実感できると同時に彼らの成長期の若いエネルギーをもらっていると感じます。そんなとき教師という仕事の喜びを感じます。教師として生徒から言われて一番うれしいのは、「新井先生の授業はわかるからおもしろい」とか「先生に国語を教えてもらってわかるようになった」という言葉。子どもたちにはわかる喜びを少しでも味わってほしいと思いながら授業をしていますからね。また、悩みを話してくれた生徒が「先生に話を聞いてもらえてよかった」と言ってくれるときも教師をやっててよかったと思える瞬間ですね。この辺はほかの教師のみなさんと同じだと思います。
──先生にとって仕事とはどんなものですか?
ひとことで言えば生きがいですね。天職と言ってもいい。だから少々のつらいことにも耐えられるんです。今後もできる限り長く教師を続けていきたいと思っています。
──今後の目標を教えてください。
長瀞中学校に赴任した当初の目標はクラス担任になることだったのですが、それが叶っちゃいましたからね。日本一の学級担任を目指しましょうかね(笑)。とにかく、私のクラスの子どもたちが、このクラスでよかったな、いいクラスだったな、担任が新井先生でよかったなと、1年経ってそう思ってくれればいいかなと思っています。
自分などニュースにならない世の中に
──社会に対して伝えたいメッセージがあればお願いします。
全国には視覚障害の教員が600人ほどいるんです。そう聞けば私の存在なんて珍しくないでしょう? でもそのうちの9割は盲学校に勤務しているんですよ。盲学校の教員の多くは生まれつき視覚障害をもっており、幼稚部から高等部までずっと盲学校で過ごして教員になった人たちで、現状は一般の学校にはいません。盲学校の生徒はこちらが見えないことに対して理解はできますが、やっぱり教員は見えていた方がいいに決まっています。教師と生徒のどちらも見えないのは何かとたいへんですから。でもほとんどの視覚障害をもつ教師は盲学校に勤めているという現実。これでは一般社会にノーマライゼーションは広まらないですよね。そういう現実もあって、一般の人々の理解も進まず、結果普通中学校に戻るのに10年間もかかってしまった。だからその先陣を切ろうというわけではないですが、そういう思いもありますよね。
また、先程もお話しましたが、現在、一般の小学校、中学校、高校にいる教師の中で、盲導犬を連れた全盲の教師は私だけです。でも、私は授業などの手段や方法が変わっているだけで、いたって普通の中学教師と思っています。というのは、私が特別努力して頑張っているから教師ができているのではないからです。私は極普通の人間で、そんなに努力しているなんて思っていません。誰でも病気や事故で中途障害者になる可能性はありますが、そのとき、特殊な職業じゃなくて一般的な職業ならば、普通の人でも自分で方法と手段を工夫して、周囲の人々の理解と協力が得られれば継続できるんじゃないかと思っているんです。教職に限らずね。
でも、この長瀞中学校に赴任して最初の1年目は新聞やテレビなどのマスメディアからの取材攻勢がすごかったんです。形としては一教師が特別支援学校から転勤しただけで、ニュースになるような出来事ではないんですよ。むしろ一番たいへんだったのは特別支援学校に復職したとき。でもどのくらいたいへんだったかというのは、特別支援学校はどんな生徒がいて、どういう学校なのかということを一般の人々は知らないからわからない。中学校の方はみなさん想像できるから取材が来たと思うんですが、現実には特別支援学校で盲導犬を連れた教師がいるということの方がたいへんだし、ありえないくらいレアケースだからニュースバリューとしてはこちらの方が高いはずなんですよね。
いろいろな人がいるのが社会だし、学校は社会の縮図だというつもりで今までずっと教師をやってきたので、私のような人間はどこにでもいる、珍しくともなんともない、当たり前すぎて誰も取材に来ないような社会に早くなってほしい。それが私の願いです。
新井淑則(あらい よしのり)
1961年埼玉県生まれ。埼玉県長瀞町立長瀞中学校教師
大学卒業後、東秩父中学校に新任の国語教師として赴任。翌年、秩父第一中学に異動し音楽教師だった妻と知り合って結婚。初のクラス担任やサッカー部の顧問を務め、長女も生まれた絶頂期の28歳の時に突然、右目が網膜剥離を発症。手術と入院を繰り返すも右目を失明し、32歳のとき特別支援学校に異動。34歳のとき左目も失明し、3年間休職を余儀なくされる。一時は自殺を考えるほど絶望したが、リハビリを通して同じ境遇の人たちと出会ったことなどで前向きに。視覚障害をもつ高校教師との出会いを機に、教職への復帰を決意し、36歳のとき特別支援学校に復職。その後、普通学校への復帰を訴え続け、支援者のサポートもあり46歳で長瀞中学校に赴任。盲導犬を連れて教壇に立つ。2014年4月、52歳でクラス担任に復帰。全盲で中学校の担任を持つ教師は全国でも初。著書に『全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』(マガジンハウス)』がある。
初出日:2014.08.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの