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2014.08.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

23年ぶりのクラス担任に

──やはり担任への復帰は希望してたのですか?

まずは普通中学校に復帰して授業をしたいと思っていたのですが、授業をやってるうちに欲が出てきたんですね。もっと子どもたちと深く関わりたいという欲が。やはり授業だけだと子どもたちとの関わりが希薄ですし、担任の喜びを知っていましたからね。


──担任の喜びとは?

いろいろありますが一番は子どもたちと感動を共有できることでしょうね。たとえば体育祭では各種競技の勝ち負けを争って盛り上がるし、文化祭でもクラスごとに劇をやるので子どもたちと一緒に練習したり、悔しがったり喜んだりできます。11月には合唱コンクールもあるし、折にふれて子どもたちと感動を共有できるのは素晴らしいことなんですよね。そういうことができるクラス担任の先生をずっとうらやましいなと思っていたんです。子どもたちの意識も単なる国語教師と担任とでは大きく違いますしね。だからこそクラス担任になれたときはとてもうれしかったです。

52歳からの新たな挑戦

──しかしクラス担任になるとたいへんなことも増えるのでは。

もちろんやらねばならない仕事も増えて責任も重くなりますが、それが52歳になった私の新たな挑戦ですよね。私の知る限り、現在、普通中学で全盲のクラス担任は私だけなので、うまくやるためのマニュアルのような参考にできるものも何もありません。4月に担任になったばかりなので、現在その方法を必死で模索しているところです。本当に毎日必死ですよ。1年経って振り返ってみてどうかという感じでしょうね。ただ、何かとたいへんな分、得られる喜びも大きいので今は充実しています。そんな中、ひとつ有利な材料は、パートナーの先生ですね。新任の若い先生なので、ここはこうしてほしいとか、こうした方がいいよねという変化に柔軟に対応でき、融通が効くのでとても助かっています。

パートナーの志賀先生と二人三脚で臨機応変に授業を行っている

さわやか相談室

──長瀞中学校に赴任されてから印象的なエピソードがあれば教えてください。

長瀞中学校には心の悩みを抱えている生徒の相談を受ける「さわやか相談室」というのがあって、そこに詰めている「さわやか相談員」さんと一緒に、担任になるまでの6年間、週2日ほど生徒の悩みを聞いていました。

生徒の悩みで多かったのはやはり人間関係ですね。同級生とのコミュニケーションがうまく取れないために心が傷ついてしまう子が多いです。中にはなかなか学校に来られない不登校の子どもや学校で暴れてしまう子どももいます。やはり彼らも誰かに話を聞いてもらいたいんですよね。私は目が見えないので人の外見にとらわれないですし、声をかけたくないなと思えば無視できる。それが子どもにとっては都合がいいみたいですね。こうなってみてわかったのですが、視覚障害者って都合のいい存在だなと思います(笑)。

3代目の盲導犬、リルと

もうひとつ私には盲導犬という強い武器があります。盲導犬の頭をなでるだけで子どもの心は癒されるようで、そのために相談室を訪れる子どももいました。ちなみに、盲導犬はハーネス(胴輪)をつけている時は仕事中です。声をかけたり、頭をなでたりしてはいけません。相談室ではそのハーネスを取っています。

新井淑則(あらい よしのり)
1961年埼玉県生まれ。埼玉県長瀞町立長瀞中学校教師

大学卒業後、東秩父中学校に新任の国語教師として赴任。翌年、秩父第一中学に異動し音楽教師だった妻と知り合って結婚。初のクラス担任やサッカー部の顧問を務め、長女も生まれた絶頂期の28歳の時に突然、右目が網膜剥離を発症。手術と入院を繰り返すも右目を失明し、32歳のとき特別支援学校に異動。34歳のとき左目も失明し、3年間休職を余儀なくされる。一時は自殺を考えるほど絶望したが、リハビリを通して同じ境遇の人たちと出会ったことなどで前向きに。視覚障害をもつ高校教師との出会いを機に、教職への復帰を決意し、36歳のとき特別支援学校に復職。その後、普通学校への復帰を訴え続け、支援者のサポートもあり46歳で長瀞中学校に赴任。盲導犬を連れて教壇に立つ。2014年4月、52歳でクラス担任に復帰。全盲で中学校の担任を持つ教師は全国でも初。著書に『全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』(マガジンハウス)』がある。

初出日:2014.08.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの