WAVE+

2014.08.18  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

生徒に寄り添う

──相談に来た生徒にはどういう対応を?

カウンセリングマインドで対応するので、傾聴で悩みを存分に吐き出させて、受容して、共感してあげるというのが基本的な対応です。こうした方がいいよというアドバイスはしませんが、「私も目が見えなくなってすごくつらくて死んでしまいたいと思っていた時期もあるけれど、今はこうしてちゃんと生きて人生を楽しんでいるんだよ」と自分の体験を通して得たものを生徒に語りかけています。それしかできないんですよね。

そうすると子どもは「じゃあもう一回頑張ってみる」とか「高校に入学したら教室に入ってみんなと授業を受けてみる」と前向きな気持ちになってくれるんですよね。このように心に傷を負った子どもの悩みを聞いて、癒してあげることが私のもうひとつの重要な役割、使命だと思っています。また、この相談室を巣立った生徒から今もよく連絡が来るんですよ。それがうれしいですよね。高校に入ってうまくやっているという報告を聞くとすごくうれしいです。

ただ、担任になったらこういうこともなかなかできなくなったので、それが今の大きな悩みのひとつです。今度は担任として受け持ちのクラスの子どもとしっかり向き合わなければなりません。1クラス40人、一人ひとり、大なり小なりいろいろな悩みを抱えています。でも自ら望んだ担任なので、なんとか子どもたちの力になりたいと思っています。

無駄なことなんて何ひとつない

──長瀞中学校に赴任して7年目、担任になった今、もっと早く赴任したかったという思いはありますか?

両目が見えていたとき、8年間中学校で教師をやっていましたが、20代だったし何でもできるという全能感をもっていました。それから両目の視力を失い、つらいリハビリを乗り越え、養護学校から盲学校を経て、この長瀞中学校に来たのは46歳のときです。両目が見えていたとしても40代は体力的にきついし、教える子どもも中学生で変わっていないので、基本的にはやってることは同じだと思っています。

ただ、もっと早く、例えば30代のときに普通中学校に受け入れられていたら、サッカー部の顧問ができない自分に対して悔しい、つらいという自己嫌悪を抱えて長く続かなかったかもしれないとも思いますね。今は50代ですから生徒と一緒にバリバリ動き回るというのは無理。だからものは考えようで、養護学校復帰から10年かかったのはつらくたいへんだったけど、若い先生たちも子どもたちも頑張ってるな、自分は相談室で悩みを聞いてあげようかなと気持ちが変わってきたので、いい時期に赴任できたかなと。10年間、無駄なことはひとつもないんだなと、今振り返ればそう思います。

違いを許容できるやさしい人に

──教師として、子どもにどんな大人になってほしいと願って、どんな言葉を投げかけていますか?

みんな一人ひとり顔形が違うように、性格や個性も一人ひとり違います。人それぞれの違いを当たり前のこととして認めて受け入れることのできる思いやりのある人になってほしい。同級生に目の見えない子や耳の聞こえない子、車椅子の子はいないだろうけど、今は学校が違うからいないと思うだけで、社会の中にはいろいろな人が実際に生きて存在している。「彼らは君たちと何ら変わるところはない、同じ人間なんだよ。社会に出てもそのことを忘れないでね」ということを子どもたちにはよく話しています。

それが今の時代、一番大切なことなんじゃないかなと思うんですよね。インターネットやSNSで友だちをいじめたり、仲間はずれにしたり、死ねとかウザいとか相手を傷つける言葉が飛び交っている時代だからこそ、思いやりの心を大切にしてもらいたいと思っています。また、いじめや差別を許さない子どもに育ってほしいとも願っています。そういう教育をするのが、重度の障害を負っているのにわがままをいってクラス担任をやらせてもらっている私の存在意義、使命だと思っているのです。

新井淑則(あらい よしのり)
1961年埼玉県生まれ。埼玉県長瀞町立長瀞中学校教師

大学卒業後、東秩父中学校に新任の国語教師として赴任。翌年、秩父第一中学に異動し音楽教師だった妻と知り合って結婚。初のクラス担任やサッカー部の顧問を務め、長女も生まれた絶頂期の28歳の時に突然、右目が網膜剥離を発症。手術と入院を繰り返すも右目を失明し、32歳のとき特別支援学校に異動。34歳のとき左目も失明し、3年間休職を余儀なくされる。一時は自殺を考えるほど絶望したが、リハビリを通して同じ境遇の人たちと出会ったことなどで前向きに。視覚障害をもつ高校教師との出会いを機に、教職への復帰を決意し、36歳のとき特別支援学校に復職。その後、普通学校への復帰を訴え続け、支援者のサポートもあり46歳で長瀞中学校に赴任。盲導犬を連れて教壇に立つ。2014年4月、52歳でクラス担任に復帰。全盲で中学校の担任を持つ教師は全国でも初。著書に『全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる』(マガジンハウス)』がある。

初出日:2014.08.18 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの