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2017.09.25  取材・文/山下久猛 撮影/林景沢(スタジオアップル)

子どもの頃から海外志向が強かった

──現在コスタリカにお住まいですが、幼少期から海外の文化に触れる機会も多かったのですか?

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父親の仕事の関係で、2年ほどアメリカ東海岸のバージニア州に住んでいました。また、祖父母も英語の先生で、両親も英語の教授を務めていたので、インターナショナルな要素は少なからずありましたね。自分自身の性格もあるのでしょうが、将来は日本でずっと暮らすイメージはあまりもってなかったです。中学高校はいわゆるお嬢様学校に通っていたのですが、私自身はずっとバレー部で体育会系のタイプでした。チームメイトとも仲がよくて何の不満もなかったのですが、やっぱりこのまま高校時代終わっちゃうのはもったいないと思って、高2のときに1年間アメリカに留学もしていました。


──大学進学後は、どのような勉強や活動をされてきたのですか。

大学時代は環境系の先生の秘書のようなバイトをやっていました。そもそも環境系に興味があったわけではなくたまたま高校の先輩がバイトをしていて、やってみないかと誘われたんです。時給もいいし、たまに国際会議にも連れて行ってくれるから、おもしろそうだと思って。後にその先生のご縁でイギリスの大学院に行くことになったので人の縁でおもしろいと思いますよね。大学卒業後はNHKに就職しました。

NHKに入社も3年で退職

──志望動機は? 学生の頃からマスコミに興味があったのですか?

いえいえ。アメリカには住んだことがあったものの、私はあまり日本の他の場所へ行ったことなかったので、国内転勤のある仕事がよかったんですよ。NHKだったらどこか地方に配属してくれるのでは、という期待がありました。海外の支局に行きたかったというよりも、日本の田舎に行きたかったんです。それで入社後は自ら希望して奈良支局に配属となりました。でも3年で辞めちゃったんですけどね(笑)。


──せっかく難関を突破して入社したのになぜですか? 退社を決断するまでに至った経緯を教えてください。

丹羽順子-近影2

今でこそ、個人で動画配信するのは一般的になりましたが、当時はまだ珍しいことでした。そんな時代に記者として小型のビデオカメラをもたされたことで、これからは個人が配信していく時代だなというのを感じたことが1つ。

もう1つは、ドキュメンタリー映画監督の森達也さんが撮られた『A』という映画を観たことです。こちらの方が理由としては大きいですね。その『A』には私と同じNHKの記者がオウムの方にインタビューしているシーンがありました。記者側がなんとかいいコメントを引き出そうとしているのですが、それをオウムの信者の方が「君とは話してる言葉が違うんだよ」と言って、記者が言葉に詰まってしまうんです。これは、まさに私でもそうだろうなと思いましたし、マスメディアにいたらこうなると思っちゃったんですよね。それでNHKを辞めたんです。

その後、森さんのところに押しかけ、「一緒に映画を作らせてください」と直談判して一緒に映画を作るようになったんです。映画としては最終的に形にはならなかったのですが、今でも森さんは兄貴分のような存在ですね。また、私がその後に結婚する予定だったことも退社の理由のひとつにありました。

丹羽順子(にわ じゅんこ)

丹羽順子(にわ じゅんこ)
1973年神奈川県生まれ。平和環境活動家

慶應義塾大学卒業後、NHKに入社。報道記者として3年間勤務した後、退職。日本映画学校で講師をしつつ、ドキュメンタリー映像制作にも携わる。2003年、イギリスのミドルセックス大学院に1年間留学。持続可能な開発とリーダーシップコース修了。帰国後、フリーランスのサスティナビリティー活動家としてドキュメンタリー制作やイベントMC、各種講師など様々な分野に携わる。2006年、長女を出産。鎌倉を持続可能にするNPOかまわなどで地域活動を展開ほか、オシャレな古着の交換会xChangeを主催。J-WAVEのLOHAS SUNDAYのナビゲーターも務める。2011年、東日本大震災を機に家族で鎌倉を離れ、西日本を放浪後、香川で半年間ほど暮らす。2012年、タイに移住し1年半ほどの自給自足生活を送る。その後、娘とコスタリカへ移住。現在は10歳になる娘と愛犬チョコ、フランス人のパートナーとともに大自然に囲まれた場所に暮らし、自身の心、みんなの心に平和の芽を育てる活動を続けている。著書に『小さいことは美しい』(扶桑社)、『深い愛に気づく女性のためのヒーリング』(ブルーロータス・パブリッシング)などがある。

初出日:2017.09.25 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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