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2016.03.10  取材・文/山下久猛 撮影/早坂正信(スタジオ・フォトワゴン) イラスト/フクダカヨ

震災発生直後から支援活動に尽力

左から「アグリードなるせ」の佐々木常務、安部社長、「美馬森Japan」の八丸健さん、八丸由紀子さん

左から「アグリードなるせ」の佐々木常務、安部社長、「美馬森Japan」の八丸健さん、八丸由紀子さん

八丸健(以下、健) 「アグリードなるせ」さんの安部社長や佐々木常務と初めて出会った日のことはよく覚えています。復興の森のツリーハウス(※C.W.ニコルさんが理事長を務めるアファンの森財団が東松島市野蒜地区で作っている「復興の森づくりと森の学校プロジェクト」の象徴的施設)の地鎮祭でしたよね。

安部俊郎(以下、安部) 2012年の10月だったね。あれから八丸さん夫妻には東松島市の復興支援活動にご尽力いただいて助かってます。

八丸由紀子(以下、由紀子) 震災の時はすごく大変だったんですよね。

安部 うちの会社の田んぼのほとんどが津波で浸水、壊滅的な被害を受けました。津波に流された家や車などの瓦礫で埋まってしまってね。施設や農業機械も被災しました。

佐々木和彦(以下、佐々木) 社員総出ですぐ周辺住民の避難指示、人命救助、行方不明者の捜索、避難所への誘導や支援活動に奔走しました。安部社長は当時消防団の副分団長をしていたから現場で陣頭指揮をしてね。避難所となった中下地区センター、定林寺の支援活動だけでなく、新町地域、亀岡地域、東名地域へは会社が持っていた米や機械などを提供し、被災地域の食料支援を行いました。

東日本大震災で甚大な被害を受けた東松島市

安部 すぐ捜索活動を始めたんだけど、その途中で見えるわけですよ、亡くなっている方が。もしかしたら途中でご遺体を踏んでしまっていたかもしれない。申し訳ないけれども、当時はとにかく生きている人を探すことに一所懸命だった。捜索活動も3月いっぱいまで、後は自衛隊のみなさんにお願いすることになり、消防団は自宅待機ということになった。4月1日に会社に社員を集めてこれからどうするかいろんな話をしました。何にもしないままだとどうにかなりそうだったから、できることの可能性を探りたかった。その中でやっぱり米を作りたいと思ったんですよ。亡くなった人たちの顔が浮かんで、何とか立ち上がらなければという一心だったね。

アグリードなるせの安部社長

アグリードなるせの安部社長

それで県、市、農業関係のあらゆる事務所を回って「稲を植えたい」と訴えたわけです。そしたら県の職員は「まだ田んぼが海水と瓦礫で埋まっているような状況で何を馬鹿げたことを言ってるんだ」と言うんですよ。「そっちこそ何を考えてるんだ、今からやらなきゃいけないんだ!」と大ゲンカになってね。この一件で「アグリードの社長は頭がおかしくなったようだ」という噂が広まったんです(笑)。

佐々木 農業関係で何かやろうと思うと県の方に伺いを立てないとダメなんですよ。ここの地域も排水関係は県の管轄なので、自分たちで勝手に田んぼから津波の水を排水できないんです。あと水の中に有害物質があるかもしれないし、行方不明者もいるし、今思うと県がダメって言うのも当然なんですよね。でも社長はそれを全部知った上でとにかく稲を植えたいんだと。まあよく言ったなあと思いますよね。私の隣で社長が県の職員と電話しているのを聞いていたんですが、話している社長の声が段々大きく、オクターブが上がっていくんですよね。ああだこうだ言ってないでとにかくやろうと必死で説得してました。

また米を作りたい

 当時は津波をかぶった田畑は数年間は復旧不可能だと言われていたと思うのですが、よく震災の直後にまた米を作ろうと思いましたね。

安部 この地域では沿岸部にしょっちゅう海水をかぶる田畑があって、昔から塩害との戦いはあったわけです。私は元農協マンで15年間、干拓地の営農を指導してきました。佐々木常務も元市役所の農林水産課担当だったから一緒にこの地域で除塩に取り組んでたんですね。もちろん今回の震災による津波は規模も被害もハンパじゃなくて、田んぼは14日間も浸水してたんですが、それでもこれまでの経験から得た知識とノウハウがあればここの田んぼも絶対除塩できるというのが2人の共通見解だった。

津波にやられた田んぼは2003年の大区画補助整備事業で、田んぼがぬからないように、排水がよくなるように、地下60~80cmに暗渠管(あんきょかん)が埋設されているんですよ。その暗渠管の近くまで亀裂を入れてやれば絶対塩水は流せるという確信があったわけです。

アグリードなるせの佐々木常務

アグリードなるせの佐々木常務

佐々木 ただ地震の揺れがものすごく大きくて、埋設した暗渠管が大丈夫かという議論を三日三晩やりましたね。でもやってみなきゃわかんないし、正直なことを言わせてもらえば、生かされた命なんだからとにかくやってみようと。

安部 さらに我々には強い味方がいましたから。2007年9月、熊本県の田んぼが高潮により甚大な被害を受けた時、除塩作業に貢献してノウハウを持っていたスガノ農機さんから除塩作業のご協力をいただけることになりました。

佐々木 スガノ農機さんは熊本県で除塩作業をしていた時のデータを持ってきた上で、具体的にここでどういうふうにして除塩作業を行うかということをきちっと私たちに提案してくれた。あれは助かりましたね。

安部俊郎(あべ としろう)

安部俊郎(あべ としろう)
1957年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ代表取締役社長/のびる多面的機能自治会副会長

宮城県立農業講習所卒業後、いしのまき農協(旧野蒜農協)営農指導員として入組。1992年退職し、地域農業発展を目指し、施設園芸を中心とした専業農家となる。2006年、農地を守り、地域と共に発展する経営体を目指して「有限会社アグリードなるせ」を設立。代表取締役社長に就任。東日本大震災時には自社も壊滅的な被害を受けるも、消防団の副分団長として現場で避難指示、人命救助、行方不明者の捜索、避難所への誘導などの指揮を執る。震災の翌月から津波を被った田んぼの復旧を開始。除塩に成功し、その年の秋には米の収穫も果たすという驚異的な復旧を成し遂げる。現在、東松島市野蒜地区で、土地利用型部門に園芸部門、さらに6次産業化施設を加え、次世代の人材育成や雇用促進など地域農村コミュニティの発展に尽力している。

佐々木和彦(ささき かづひこ)

佐々木和彦(ささき かづひこ)
1959年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ常務取締役/のびる多面的機能自治会執行役員

宮城県立農業講習所卒業後、鳴瀬町役場(2005年から市町村合併により東松島市役所に)に勤務。田畑の塩害対策などに従事。2010年有限会社アグリードなるせ入社。東日本大震災時には安部社長とともに人命救助、行方不明者の捜索、田畑の復旧作業などに従事。現在も安部社長のパートナーとして地域振興に尽力している。


八丸健(はちまる けん)

八丸健(はちまる けん)
1970年鹿児島県生まれ。一般社団法人美馬森Japan監事/80エンタープライズ,Inc.代表取締役社長

地元鹿児島の高校を卒業後、東北大学に進学。入部した乗馬部で馬の魅力にはまり、将来は馬を扱う仕事をしたいとオーストラリア人のホースマンに弟子入り。大学を中退して一関市で競走馬の調教を学ぶ。師匠の乗馬クラブ立ち上げにともない、八幡平市へ移住。

八丸由紀子(はちまる ゆきこ)

八丸由紀子(はちまる ゆきこ)
青森県出身。一般社団法人美馬森Japan代表理事/80エンタープライズ,Inc.専務取締役

東京での会社勤務を経て、岩手県内のリゾート総合会社へ転勤。交換研修生としてカナダ・ウィスラーのホテルに4ヶ月出向するも、帰国後1年で勤務先の乗馬クラブが突然廃止となる。その後、大手観光農場を経て、乗用馬トレーニングセンターに勤務。

2000年、同じ勤務先で出会った2人は結婚。2003年、馬を活かし、馬に活かされる社会の創造を目指し、80エンタープライズ,Inc.を設立。2004年、八丸牧場を自分たちの手でいちから開墾、オープンにこぎつけた。2011年、東日本大震災発生の翌月、任意団体「馬(ま)っすぐに 岩馬手(がんばって) 必ず 馬(うま)くいくから」を設立。震災直後から、さまざまな子ども支援活動を継続的に行うとともに、馬たちの力を借りて観光体験、地域活性、子どものライフスキル向上などに取り組む。2013年、当団体を法人化し、一般社団法人「美馬森Japan」設立。震災で甚大な被害を受けた東松島市の新たな町づくりの構想に共感し、アグリゲートなるせとともに野蒜地区でのさまざまな復興支援活動に取り組んでいる。

初出日:2016.03.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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