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2016.03.10  取材・文/山下久猛 撮影/早坂正信(スタジオ・フォトワゴン) イラスト/フクダカヨ

6次産業化を実現

アグリードなるせのみなさん

アグリードなるせのみなさん

安部 この震災で当社も大きく変わりました。当社のそもそもの始まりは鳴瀬地区の中下地域で結成された中下農業生産組合で、水稲収穫作業一貫体制に取り組んでいました。その後2006年2月、地区内での効率的かつ安定的な農業経営の実現、そして次世代の人材育成や農業の担い手確保など地域農業の受け皿となることを目指し、「有限会社アグリードなるせ」を設立しました。10年後に農地を100haに拡大するという夢をもっていましたが、震災で離農した方々の農地を引き受けたので、3~4年一気に早まってしまいました。

また、震災後、生産から加工、販売まで一貫して行う6次産業化のための施設「NOBICO」を2015年7月に完成させました。ここでは国産にこだわる小麦の製粉、米の精米・製粉、野菜のパウダー、納豆、バウムクーヘンの製造を行っているのですが、震災がなければこういうことも考えず、土地利用型の農業、一辺倒な生産をするだけの農業だったと思います。

6次産業化を目指して作った「NOBICO」

6次産業化を目指して作った「NOBICO」

佐々木 バウムクーヘンといえばこれもおもしろい縁があったんですよ。2013年に東京で開催されたフーデックスという食関係のイベントに参加したとき、バウムクーヘンを作る機械を作ってる不二商会さんとたまたま出会ったのですが、阪神淡路大震災で被災していたんですよね。いろいろ話すうちに安部社長と意気投合しちゃって。

安部 あれは引き寄せられたね(笑)。

佐々木 お互い、同じ匂いがしたって(笑)。バウムクーヘンを作りたいなら教えてあげるからおいでと言ってくれたので、社長と2人で神戸まで行ってバウムクーヘン作りの体験をやって、これはいいなと。被災後、津波で田畑がダメになって離農した農家からその田畑を買って、農業だけではなく、もう一度町づくりから始めようと話し合ったときに、社長と2年3作で大豆と小麦を作ろうという計画を立てて、そこからトントンとバウムクーヘンを作ろうということになったんです。

NOBICO内で作られているバウムクーヘン。地域外からも買いに来る客が大勢いるほどの人気

 そもそもなぜ6次産業化を考えたのですか?

安部 この地域の雇用対策のためです。震災でこの地域がめちゃめちゃに破壊されたので、とにかく地域の立て直しを図らねば、そのためには周年で働ける場を作って、雇用を増やさなければと思ったわけです。今はパート含めて約30名の方々に働いてもらってます。

佐々木 当時家も田畑も津波にやられて仮設住宅で放心状態だった農家の仲間がたくさんいたんですよ。もう本当に気の毒でした。そういう人たちを社長が先頭切ってここに集めてきたんですが、やっと農業ができると喜んでましたね。

安部 農業の場合は何でも機械化したせいで人と人との繋がりが希薄になり、結(ゆい)の精神がまるでなくなってしまっていた。これが進むともっと恐い世の中になるから、ちょっと立ち止まって、この地域のみんなで手を組んでいくという心の余裕が必要だろうと常々思っていたんですよ。

佐々木 農業政策も過渡期にきてますが、八丸さんたちのような牧場を運営している方々と、我々農家がきちっと手を結ぶことが必要だと思うんですね。例えば我々が作った飼料を馬に食べていただいて、それを原動力に馬が動いて、私たちに労働力や堆肥、セラピーなどを与えてくれるという。

 それは環境にもやさしい、究極の循環なんですよね。

佐々木 私たちが作ってるバウムクーヘンはそういった願いも込められているんです。鶏に私たちが作った飼料用のトウモロコシをあげて、生んだ卵をバウムクーヘンに使っています。ずっとそんな感じでやれればなあと思ってます。

震災以降、何をするにしても、みなさんと運よく、いいご縁でつながっているんですよね。いろんな人がアグリードの周りに集まってきてくれていろんな話をしていくうちに、できることを協力しながらやってきたという感じですね。八丸さんたちも地元の人じゃないのによくやってくれました。

安部俊郎(あべ としろう)

安部俊郎(あべ としろう)
1957年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ代表取締役社長/のびる多面的機能自治会副会長

宮城県立農業講習所卒業後、いしのまき農協(旧野蒜農協)営農指導員として入組。1992年退職し、地域農業発展を目指し、施設園芸を中心とした専業農家となる。2006年、農地を守り、地域と共に発展する経営体を目指して「有限会社アグリードなるせ」を設立。代表取締役社長に就任。東日本大震災時には自社も壊滅的な被害を受けるも、消防団の副分団長として現場で避難指示、人命救助、行方不明者の捜索、避難所への誘導などの指揮を執る。震災の翌月から津波を被った田んぼの復旧を開始。除塩に成功し、その年の秋には米の収穫も果たすという驚異的な復旧を成し遂げる。現在、東松島市野蒜地区で、土地利用型部門に園芸部門、さらに6次産業化施設を加え、次世代の人材育成や雇用促進など地域農村コミュニティの発展に尽力している。

佐々木和彦(ささき かづひこ)

佐々木和彦(ささき かづひこ)
1959年宮城県生まれ。有限会社アグリードなるせ常務取締役/のびる多面的機能自治会執行役員

宮城県立農業講習所卒業後、鳴瀬町役場(2005年から市町村合併により東松島市役所に)に勤務。田畑の塩害対策などに従事。2010年有限会社アグリードなるせ入社。東日本大震災時には安部社長とともに人命救助、行方不明者の捜索、田畑の復旧作業などに従事。現在も安部社長のパートナーとして地域振興に尽力している。


八丸健(はちまる けん)

八丸健(はちまる けん)
1970年鹿児島県生まれ。一般社団法人美馬森Japan監事/80エンタープライズ,Inc.代表取締役社長

地元鹿児島の高校を卒業後、東北大学に進学。入部した乗馬部で馬の魅力にはまり、将来は馬を扱う仕事をしたいとオーストラリア人のホースマンに弟子入り。大学を中退して一関市で競走馬の調教を学ぶ。師匠の乗馬クラブ立ち上げにともない、八幡平市へ移住。

八丸由紀子(はちまる ゆきこ)

八丸由紀子(はちまる ゆきこ)
青森県出身。一般社団法人美馬森Japan代表理事/80エンタープライズ,Inc.専務取締役

東京での会社勤務を経て、岩手県内のリゾート総合会社へ転勤。交換研修生としてカナダ・ウィスラーのホテルに4ヶ月出向するも、帰国後1年で勤務先の乗馬クラブが突然廃止となる。その後、大手観光農場を経て、乗用馬トレーニングセンターに勤務。

2000年、同じ勤務先で出会った2人は結婚。2003年、馬を活かし、馬に活かされる社会の創造を目指し、80エンタープライズ,Inc.を設立。2004年、八丸牧場を自分たちの手でいちから開墾、オープンにこぎつけた。2011年、東日本大震災発生の翌月、任意団体「馬(ま)っすぐに 岩馬手(がんばって) 必ず 馬(うま)くいくから」を設立。震災直後から、さまざまな子ども支援活動を継続的に行うとともに、馬たちの力を借りて観光体験、地域活性、子どものライフスキル向上などに取り組む。2013年、当団体を法人化し、一般社団法人「美馬森Japan」設立。震災で甚大な被害を受けた東松島市の新たな町づくりの構想に共感し、アグリゲートなるせとともに野蒜地区でのさまざまな復興支援活動に取り組んでいる。

初出日:2016.03.10 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの