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2015.01.15  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

ダイアンさんから見た日本

──ダイアンさんは今の日本についてどのように感じていますか?

私が来た頃(1990年)と比べてだいぶ変わった、ちょっと国際的になってきたね。日本人は柔らかくなってきたと感じます。来日した当時、日本人は仕事や会社が1番大事で家族は2番というイメージでした。最近は家族が1番になっているような気がします。

景気もだいぶ変わったから、大学を卒業して会社に入ったらそのまま30年、40年働くのが当たり前だったけれど最近はそうじゃないですね。「どこの会社で働く」じゃなくて、自分でやりたいことを探して仕事にしている人、例えば起業したり、デザイナーやカメラマンになる友だちが増えてきました。それはすごく変わったと思います。もっとも私自身が個人事業主なので、周りにそういう友だちが多いからかもしれませんが。

日本人の生活も変わったと思いますね。働く女性が増えました。昔の日本人女性は結婚する前に生け花や茶道や着付けを習っていました。でも最近はみんな仕事で忙しいから習う時間がない。それと核家族が増えて昔みたいにお爺ちゃん、お婆ちゃんと一緒に住んでいないから、子どもの頃に家で日本文化やマナーを教えてもらうということが少なくなっています。着物の着付けも昔はお婆ちゃんに教えてもらっていたけど、今はそんな機会もずいぶん減っています。一人暮らしでは着物を持ってても着る機会も滅多にないですよね。そういう人たちから着物をもらうこともよくあります。住宅も洋風化が進んで和室がどんどん減っているように感じています。ちなみに私の家には畳の部屋が2つあります(笑)。

あとですね、日本の人は自分の国の文化に対してもっと自信をもっていいと思います。日本の文化は世界中ですっごい人気なんですよ。世界の多くの人がかっこいいと思っているし、あこがれています。だって世界中のどこに行ってもみんな日本のことを知ってるし、勉強したいという人もたくさんいるんですよ。でもそれに気づいている日本人はとても少ない。だから日本人は自分の国の文化にもっと自信や誇りをもっていい、自慢してもいいと思う。若い人たちにはもっと日本の文化を勉強してくださいと言ってます。

2つの大震災を経験

──1990年から現在まで日本で暮らしているということは阪神淡路大震災も東日本大震災も経験しているということですよね。特に阪神淡路大震災は大阪在住ということもあり、たいへんだったのでは?

地震が起こったとき、すごく大きく揺れて、大パニックになりました。2階で寝ていたのですが飛び起きて、階段を使わずに1階まで飛び降りました。足がちょっと痛かったけど大丈夫でした。家の壁の音もギシギシ鳴って、すごく怖かった。


──その時はイギリスに帰ろうとは思わなかったんですか?

さすがに悩みました。ショックで1カ月くらいはあんまり寝られなかったね。また地震が来るかもととても心配でした。イギリスの両親は帰ってくるかと聞いたんですが、まだ帰りたくなかったので大丈夫、帰りませんと答えました。


──東日本大震災ではボランティアもされていたんですよね。

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被災地にて自衛隊員と

はい。神戸の地震のときは、みんなすぐ手伝いに行けたけど、東北は行きにくいし、年配の人が多くて手伝える若い人が少ないと思ったので、震災発生後2週間後くらいに被災地に入りました。言葉では言えないほどひどい状態でした。雪が降ってすごく寒かった。最初に行ったときは2週間くらい滞在しました。


──被災地ではどんな活動を?

避難所では落語やバルーンアートで被災した方々を元気づけた

子どもたちは学校が避難所になってたから学校に行けないし、外で遊べないし、退屈していてとてもかわいそうでした。親たちも疲れとストレスが溜まっているようでした。みなさんに苦しみや悲しみを少しでも忘れてもらいたい、元気になってもらいたいと避難所で落語をやったりバルーンアートをやったりしました。すると、みなさん、笑ってくれました。うれしかったし、あんなひどいことがあったのにすごいなあと思いました。そういうことを4回ほど被災地に行ってやりました。


──印象に残っていることは?

いろいろありましたね。被災した人たちは、周りの大勢の人も家をなくしたり、肉親を亡くしたりしていたから、自分が苦しんでいてもその悩みを他の人に言えませんでした。だからみんな相当ストレスがたまっていたと思います。

でも私は部外者だったので、たくさんの人が私に個人的な悩みや困りごとを打ち明けてくれました。それが驚きでもあったし、うれしくもありました。私のことを信じてくれてるんやろなと思って。私は何にも言わない。聞いてるだけ。悩みは人に話すだけでストレス発散になるでしょう。だからセラピストみたいな感じだったと思います。たくさんの人から悲しいこと、苦しいことを聞きました。そんなとてもつらい状況の中でも私の落語を見て笑えるみなさんの強さに感動しました。

この東日本大震災でボランティアをしたことが私の人生を一番大きく変えたターニングポイントになりました。

ダイアン吉日(だいあん きちじつ)
イギリス・リバプール生まれ。英国人落語家/バルーンアーティスト。

ロンドンでグラフィックデザイナーとして働いた後、子どものころからの夢だった世界放浪の旅に出る。1990年、旅の途中で友人に勧められ日本へ。たちまち華道・茶道・着物などの日本文化に魅了される。後に華道、茶道の師範取得。1996年、英語落語の先駆者、故・桂枝雀氏の落語会で「お茶子」をする機会を得て落語との運命の出会いを果たす。その巧みな話芸とイマジネーションの世界に感銘を受け落語を学び始め、1998年初舞台を踏む。以来、古典から創作までさまざまな工夫をこらして英語・日本語の両方で国内外で落語を公演。「わかりやすい落語」と幅広い年代に愛されている。また、ツイスト・バルーンを扱うバルーンアーティストとしても活動中。今までに40ヵ国以上を旅した経験談や、日本に来たときの驚き、文化の違いなどユーモアあふれるトークを交えての講演会も積極的に開催。その他、落語、バルーンアート、着物・ゆかたの着付け教室、ラフターヨガ、風呂敷活用術、生け花教室、即興劇などさまざまなワークショップの講師としても活躍中。現在はどこのプロダクションにも所属せず、フリーで活動を行っている。2011年に発生した東日本大震災では被災地で落語やバルーンアートなどのボランティア活動で多くの被災者を励ました。また、これまでの日本と海外の文化の懸け橋となる国際的な活動が高く評価され、2013年6月に公益財団法人世界平和研究所において第9回中曽根康弘賞 奨励賞を受賞。テレビ、新聞、雑誌などメディア出演多数。

初出日:2015.01.15 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの