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2013.10.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

「こども未来プロデューサー」として

こども未来プロデューサーとしてさまざまな活動に取り組んでいる小笠原さん(代々木公園で開催された「asobi基地」で子どもたちと一緒に)

──まずは現在のおおまかな活動について教えて下さい。

2年ほど前(2011年)から「こども未来プロデューサー」と名乗って、子どもたちのために日本社会の子育て環境をよりよくすることを目指して活動しています。現在は、保育士として保育園に勤務しながら新しい子育て支援コミュニティ「asobi基地」(2012年7月から)を立ち上げ、週末にイベントを開催したり、今年6月には「こどもみらい探求社」という会社を立ち上げて企業を巻き込むチャレンジを始めました。


──「こども未来プロデューサー」という肩書きの由来は?

子どもたちにとって生きる場所は保育園の中だけでないですよね。地域、社会、日本、地球全部が彼らの生きる世界なんです。でも、保育士と名乗ると一般的には「保育園で働く人」というイメージですよね。「こども未来プロデューサー」と名乗れば地球全部が私にとって職場領域だというイメージが伝えられると思ってそう名づけました。

もうひとつは、私には「新しい保育士の働き方を追求したい」という大きなテーマがあります。会社員から保育士になった私にとって保育士は世界を変えられる仕事だと思ったんです。

世の中にはたくさん情報が溢れていますが、子育てに悩む親御さんがたくさんいます。保育士として働いてきた経験から、保育士の知識や技術が保育園を超えて社会にもっと広がったら、きっと子育てがより豊かになり、楽しくなると思ったんですね。そのモデルを作りたいんです。ですから私の取り組んでいる活動は、保育園の中だけにとどまらない新しい保育士の働き方を作るためとも言えるんです。

活動の原点

──詳しい活動については後ほどおうかがいするとして、そもそもそのような子どもにまつわる活動をしようと思ったきっかけは?

私がこの世界に入ったそもそもの原点は小学生時代にまでさかのぼります。転勤族で3つの小学校に行ったのですが、2つ目の小学校の時に近所に住んでいた同級生と仲良くなりました。その子は生まれつきハンデのある子でしたが、何でも自分でやっていて特にそれがどうということは思いませんでした。私の両親もハンデがあるなし関係なく関わっていたし、私自身もそれがその子のひとつの個性なんだと認識していたので特に何も感じずに一緒に学校に行ったり遊んだりしていました。でも その子と一緒にいると、子どもながらに周りの人の視線が気になることがあったのです。その時は特にそれ以上何も思っていませんでしたが、少したって「豊かさって何だろう? お金があるから豊かなのか? 心の豊かさって何だろう?」という疑問を抱き始めたのでしょうね。

その後、高校生になってアルバイト先にハンデをもつ人が来たとき、私は一般の人と同じように普通に接することができたのですが、他の人たちは対応に苦慮していました。なぜこういうふうになるんだろうと思い、「福祉は向き不向きがあるのか? 福祉って何なんだろう?」という疑問を持ち、もっと福祉について勉強したいと思ったので、法政大学の現代福祉学部に進みました。


──ということは原点は「福祉」だったんですね。

そうですね。この大学での経験で人生観が変わりました。1年生のときに、 授業だけだとよくわからなかったので、学校に貼ってあったボランティア掲示板で見つけた、自閉症の子どもたちが通う保育施設に行き、子どもと接したのですが、彼らは嫌なものは嫌、好きなものは好きだと感情をそのままストレートに出していました。そんな彼らと接して、これまでの自分が崩壊するような衝撃を受けたのです。

なぜなら、私自身が彼らのように感情を素直に表に出すことのできる子どもではなかったからです。私は長女で、弟が2人いました。父親は仕事が忙しかったので、私がしっかりしなきゃと知らず知らずのうちに自分自身を抑圧し、我慢して無理していい子を演じていたことに気がついたんです。小学生から高校までいわゆる優等生で、学級委員やクラブの部長を務めていたのもそのせいだと思います。とにかく自分の存在意義をそこに見いだしていましたね。

頑張って勉強してテストでいい点を取っていた優等生の自分がいつしか本当の自分だと思い込んでいましたが、きっとそれは両親に認められたいという強い願望、承認欲求から来ていたつくられた自分だったと、思いのままに生きていた子どもたちと触れ合ったことで、わかったんです。子どもたちが、「ここならありのままのあなたでいいよ!」と言っているかのように感じ、今までの私は本当の私じゃなかったと教えてくれたんです。そしてこれからは本当に自分らしく生きようと思うようになりました。 子どもたちに出会ってから本当の自分になれたような気がするんです。

この原体験から、子どもたちって人間を変える力を持っていて本当にすごいと思い、人間として子どもを尊敬するようになったのです。これは私のミッションの部分とも深くつながっているのですが、保育士になってみてさらに今の社会では子どもの気持ちがあまりにも尊重されていないというか、大人が子どもを知ってる気になっているのではないかと感じているんです。もちろん他の大人たちも子どもはみんなすごくて大切な存在だとわかってはいますが、私は何度も子どもたちに人生を救ってもらっているので、恩返しがしたいんです。子どものもっているポテンシャル、子どもたちの力とか子どものすごさをもっとちゃんと社会の大人たちに知ってほしい んです。この思いが、私を衝き動かしているパワーの源です。

小笠原舞(おがさわら まい)
1984年愛知県生まれ。合同会社「こどもみらい探求社」共同代表。

大学卒業後、数社を経て、2010年、子どもたちの素敵な未来を創るために、「オトナノセナカ」(2013年6月にNPO法人格を申請)の立ち上げに関わる。2011年、「まちの保育園」の保育士としてオープニングから勤務。2012年6月には、子ども視点で社会にイノベーションを起こそうと「Child Future Center」を立ち上げる。同年7月には新しい子育て支援の形として「asobi基地(2013年8月にNPO法人格を申請)」をスタート。2013年6月、「オトナノセナカ」代表のフリーランス保育士・小竹めぐみとともに「こどもみらい探求社」を立ち上げる。保育士の新しい働き方を追求しつつ、子どもたちにとって本当にいい未来を探求するために奮闘中。

初出日:2013.10.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの

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