WAVE+

2016.02.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

絵を描くことの魅力

──絵を描くという行為のおもしろさや魅力は?

壁画ペイント中のミヤザキさん(撮影:小野慶輔)

壁画ペイント中のミヤザキさん(撮影:小野慶輔)

描き始めの段階では、広くて真っ白な紙に最終的に何が描かれるか自分でもわかりません。まさに0からのスタート。特にライブペイントはそうで、2時間後にどういう絵が完成しているのかわからない。だから、最終的にどうやって絵ができていくんだろうということも自分で楽しみながらやっているので、絵を描くことは旅みたいな感じなんですよね。アプローチの仕方やゴールもいろいろあって、もちろん苦しみもある。描き始めから完成まで全部うまくいくなんてことはありえません。でもその苦しみを乗り越えると1つの絵になる。新しい世界が出現する。だから完成した絵を見ると、あのときこの部分で悩んだんだよなとか、あのときこういうアイディアがあってこの絵が出てきたんだよなと思って感慨深いんですよね。なので僕の場合、もちろん絵は完成した時の形がすべてなのですが、そのプロセスを楽しんで描いているんですよ。


──そもそもミヤザキさんにとって絵を描くことは仕事なのでしょうか?

そこは難しくて、最初は仕事と捉えないようにしていました。誰に頼まれなくても描きたいときに描きたい絵を描くと。でも、お金をいただいて描く絵もあるので、それは当然「仕事」という意識をもって描いています。例えば同じ壁画を描くにしても、全部自分でお金を出して描く壁画とお金をいただいて描く壁画とでは、やっぱり気持ちの中では違いはあります。でも、だからといってお金をいただく壁画は仕事として割りきってクライアントの言うとおりに描いているわけではなくて、自分がこう描きたいという気持ちも入れて描いています。そういう意味ではそれほど明確な線引きはないのかもしれません。

画風の変遷

──ミヤザキさんの絵は原色を多用して明るく元気な画風ですがその理由は?

ミヤザキケンスケ-近影24

観る人に元気になってもらいたいからです。でも実は今でこそ原色をたくさん使って明るい絵を描いているのですが、大学時代はすごく攻撃的な絵だったんですよ。最初に影響を受けたのがバスキアとかキース・ヘリングなどニューヨークの路上で芸術活動をしてたアーティストで、彼らの作品がすごく好きでした。だから当時の僕の絵も社会に対して批判を込めた、殴り描きのような作品が多かったんです。色も使ってはいましたが、今のようなポップな感じではなかったですね。


──ではどのような変遷を経て現在のような画風に?

一番最初のきっかけは、大学院を卒業後、絵の修業のために渡ったロンドン時代に経験した出来事です。当時、生活費を稼ぐためにインターネットでお好みの絵を何でも描きますと宣伝して、ぽつぽつ来た注文に合わせて描いてたんですね。結婚式で飾る絵の注文を受けることも多かったのですが、結婚式でトゲトゲした絵を描くわけにはいかないじゃないですか。だから少し明るい絵も描き始めたんです。でもそういう絵は僕が本当に描きたい絵ではなかったので、僕自身の描きたい作品と頼まれて描く絵はわけて考えていました。仕事用だと割りきって描いてたという感じですね。

次のきっかけは、ロンドンから帰国していただいた仕事でした。NHKの番組のセットと毎週出演するゲストの似顔絵を描いていたのですが、最初の方は暗いタッチでしか描けなくて。当然その似顔絵を見たゲストの方がこれが自分かと悲しそうな顔をするんですよ。それが心苦しくて。せっかく出演してくれたゲストの方をそんな気持ちにさせてはダメだと思って、明るい色使いで笑顔を描こうと努めました。結局この仕事は3年間続いたのですが、そうしているうちに自分が描きたい作品と依頼されて描く作品とわけていたのが徐々に同一になってきたんです。


ズームアイコン

大学時代の絵。攻撃的な絵柄

──それはなぜでしょう?

僕自身、大学時代は心が荒んでいたから攻撃的な絵柄になっていたと思うんですが、この仕事をやっていくうちに心も落ち着いてきて、自分の作品と仕事として描く作品に対してあまり違和感がなくなってきたんです。その頃、今まではただ自分の中から湧き上がってくるものを描くだけだったですが、自分自身に何のために絵を描いているんだということを問いだしたわけですよ。

画家にもいろんな人がいて、過去のトラウマのようなネガティブなものをテーマに描くような人もいるけれど、僕の場合は家庭にも周りの人にも恵まれていたのでそういうものではない。では僕の描けるものは何だろうと思ったときに、楽しく生きてきたからそれじゃないかなと。むしろポジティブな、楽しいと思えるものを全面的に自分の人生に取り入れてそれを絵にしてきたいなと思ったんです。どうしたら楽しい絵を描けるかと考えた結果、中途半端じゃいけない、100%ハッピーな絵にしようと思ったんですよ。

そうやって考え出した手法が、まずは色を混ぜないこと。混ぜると色がくすむから。よりビビッドな純度の高い原色をたくさん使って描くということを1つのルールとしました。あとは何でも100%の状態にするということ。例えば花を描く時も七分咲き、八分咲きじゃなくて全開に。顔も後ろを向いていたらポジティブじゃないので絶対前を向かせる。こういう感じで全部100%で描いたらすごいパワーになるんじゃないかと思ったんです。そのために自分自身も超ハッピーな気持ちで絵を描かなきゃいけないと考えて、楽しいプロジェクトをして楽しい絵を描くという流れを意識的に作っているんです。

壁画

現在の絵は原色を多用し、見ているだけで元気が湧いてくるような画風

──目指している理想のアーティスト像は?

筆一本で生きていきたいという思いが強かったので、最初の頃はテレビドラマ『裸の大将放浪記』を観て、絵を渡しておにぎりをもらって生活する山下清さんのような絵描きになりたいと思っていたんです(笑)。もう1つは、その場に絵の具と筆さえあればいろんな世界を生み出せる、魔法使いのような存在になりたいと思っていました。例えばスラム街にあるただの壁でも、僕が何かを描いてそこが楽しい場所になるとすれば、すごい能力だと思うんですよね。そういうレベルに到達できればいいなというのが理想としてあります。だからよく花咲か爺さんみたいな絵描きになりたいと言っているんです(笑)。僕の絵が居間に飾られてあるだけでその部屋が明るくなるというような、ポジティブなオーラがバンバンあふれる絵を描きたいですね。


インタビュー後編はこちら

ミヤザキケンスケ

ミヤザキケンスケ(みやざき けんすけ)
1978年佐賀市生まれ。トータルペインター。

高校の頃から本格的に絵を学び始め、筑波大学芸術専門学群、筑波大学修士課程芸術研究科を修了。在学中にフィリピンの孤児院に壁画制作、テレビ番組「あいのり」に出演。世界を周りながら絵を描く。その後、イギリス(ロンドン)へ渡り、2年間クラブやライブハウスでライブペイントを行うなどのアート制作に取り組む。帰国後、東京を拠点に活動。NHK「熱中時間」にて3年間ライブペインターとして出演。この他、ケニアのスラム街の壁画プロジェクト(2006年、2010年、2014年)、東北支援プロジェクト(2011年)など、「現地の人々と共同で作品を制作する」活動スタイルで注目を集める。現在、「Over The Wall」というチームを立ち上げ、世界中で壁画を残す活動に取り組んでいる。一女の父として家事・育児に積極的に取り組むイクメンでもある。

初出日:2016.02.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの