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2015.12.01  取材・文/山下久猛 撮影/林賢一郎

病院まで立ち上げる

──障害者教育の指導者の育成はどのようにしたのですか?

雄谷良成-近影3

ドミニカはそもそも障害福祉という考え方がない国なので、まずは障害とは何かというところから教えていかなければなりませんでした。例えば学校の先生になろうとしている人が差別用語を使ったらダメですよね、といった至極基本的なことから始めたのですが、それが終わるまでに1年半くらい掛かりました。

青年海外協力隊の任期は基本的に2年間なのですが、地元から延長の要請があったので、その後もドミニカに留まりました。その間にサント・ドミンゴにあった大きな銀行の頭取から「自分の故郷に病院を作るために基金を立ち上げるから責任者になって病院を作ってくれ」と頼まれたので、3年弱で一度日本に戻ってまたドミニカに渡航。基金を運用しつつマイアミに行って中古ベッドを買ったり、青年海外協力隊のレントゲン医師を送り込んだりして医療過疎地に病院を立ち上げました。


──ドミニカでの経験で学んだことは?

ドミニカ共和国を含め、中南米には幸福度が高い国が多いのですが、その理由は、助け合いの精神が根付いているからなんです。私が指導していた学校には将来先生になる人や障害者などが通っていたのですが、ある人は下肢障害をもつ友人を毎日4時間かけて家と学校間の送り迎えをしていました。仕事ならともかく、日本では考えられないですよね。でもこれは別段珍しいことではなく、みんなが平気でやれる国なんですよ。

こんな信じられないこともありました。私が日本に帰るときに、全国から障害者教育の指導者が集まって成果を発表する集大成的な大会が開催されたのですが、なんと基調講演する人が会場に来なかったんです。本人にその理由を聞くと、隣の家の奥さんがカゼを引いたから看病していたと。これも日本ならバカじゃないのと言われそうなことですが、全国規模の大会で講演することよりも、隣の奥さんの方を優先することに疑問を感じないんですね。

また、ドミニカ人は割と気軽に離婚したり再婚したりするんですが、両方に連れ子がいる男女が再婚するとお互いの子どもが混ざって家族として一緒に生活することになります。これは日本でもありえる話なんですが、ドミニカ人の場合はお父さんとお母さん、どちらの血も引いていない子が家族の中にいたりするんです。それは子ども自身もわかっているけど、両親は別け隔てなく、みんな一緒に育てるのが当たり前なんです。

こんな感じでドミニカの人たちは貧しいのですが、その分やさしくて大らかで人情が厚く、仲間の連帯意識や地域コミュニティの結びつきが強いんです。私はそのまま一つ間違ったら住んでいたかもしれないと思うくらい、ドミニカが大好きになりました。日本でもこういうコミュニティを作りたいと思ったことが、後に立ち上げた三草二木西圓寺やShare金沢の原点になっているんです。

新聞社に就職

──帰国後はすぐに実家の社会福祉法人に入ったのですか?

雄谷良成-近影4

いえ、ドミニカでは裸一貫で福祉施設を立ち上げることはできたのですが、もっと地域の人たちを応援したいのにできなかったこともたくさんあって、かなりつらい思いをしました。そのためには福祉だけではなく、社会全体の仕組みを作り変えないとダメなのだと痛感したのです。日本の場合は社会保障の仕組みはしっかりしているけれど、ドミニカのような住民同士が強く結びついた「地域力」がありません。その2つをうまく組み合わせて地域を再生するためには、地域の行政、風土、経済などの全体の仕組みを把握する必要がありました。そのためには地元の新聞社に入社するのが一番近道と思い、26歳のとき地元の新聞社の北國新聞社に入社したのです。

入社後はスペイン語の通訳をしながら記事を書いたりしていたのですが、すぐにメセナや地域おこしの責任者に任命され、いろいろなイベントを企画したり、能登を活性化するための協議会を作ったりしていました。青年海外協力隊上がりなので、そういう仕事は得意なんです。これらの仕事を通じて市町村の行政長と話す機会が増え、国や県の仕組みや地方行政の特殊性のようなものが学べてとても勉強になりました。当初の狙い通り、新聞社に入社して大正解でしたね。

ただ、仕事は激務でした。毎日家に帰るのがだいたい夜中の2時か3時くらいで、翌日出勤のため8時頃に家を出るという生活パターンだったので、毎日の睡眠時間は4時間くらいでした。毎朝、妻に車で新聞社まで送ってもらっていたのですが、その短い時間が幼い息子と一緒に過ごせる唯一の時間でした。そんなある日、21階建ての新聞社のビルに着いた時、息子が「お父さんのおうちすごく大きいねえ、何階に住んでるの?」って言ったんです。とてもショックでしたね。そのときの衝撃は今でも鮮明に覚えています。なんてことだろうって(笑)。結局新聞社には6年ほど勤務しました。

雄谷良成(おおや りょうせい)

雄谷良成(おおや りょうせい)
1961年金沢市生まれ。

社会福祉法人 佛子園理事長、公益社団法人 青年海外協力協会 理事長、全国生涯活躍のまち推進協議会 会長、日蓮宗普香山蓮昌寺 住職
幼少期は祖父が住職を務めていた日蓮宗行善寺の障害者施設で、障害をもつ子どもたちと寝食を共にする。金沢大学教育学部で障害者の心理を研究。卒業後は白山市で特別支援学級を立ち上げ、教員として勤務。その後、青年海外協力隊員としてドミニカ共和国へ派遣。障害者教育の指導者育成や農村部の病院の設立に携わる。帰国後、北國新聞社に入社。メセナや地域おこしを担当。6年間勤務した後、実家の社会福祉法人佛子園に戻り、「星が岡牧場」「日本海倶楽部」などの社会福祉施設や、「三草二木 西圓寺」「Share金沢」などさまざまな人が共生できるコミュニティ拠点を作るほか、社会福祉法人としては初めてとなるJR美川駅の指定管理も手掛けている。現在は輪島市と提携して町づくりに「輪島KABULET」取り組んでいる。

初出日:2015.12.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの