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2015.07.08  取材・文/山下久猛 撮影/大平晋也

離婚、帰国、再就職

──MBA修了後はどうしたのですか?

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ボストンにいる頃、もう1つ大きなライフイベントがありました。夫との離婚です。当時子どもがまだ5歳だったので、2007年6月に帰国して翌月にはこれまでの経験で身につけた会計と金融の両方のスキルが活かせる投資ファンド会社に就職しました。そこでは現状のままだと成長が望めない会社を買収して、戦略を練って再成長させ、価値が上ったところで売却し、より高いリターンを得るという仕事をしていました。お金を他の金融機関からたくさん借りて会社に投資するわけですが、その会社の事業がこれから伸びるかどうかを一所懸命調べて勉強し、たくさんの法律家や会計士さんたちと一つの大きな会社を経営するような仕事だったのですごくおもしろかったですね。このときの経験は、実際に経営者になった今にかなり活きてますし、投資を受ける側として、当時の経営者の気持ちが痛いほどよくわかります(笑)。


──そんなに仕事が楽しかったのになぜそのまま勤務し続けなかったのですか?

理由はいくつかあります。1つは、買収される会社にとってみれば一生に一度あるかないかというレベルの大きな決断をしてもらうわけですが、そのときまだ35歳くらいの女性の私がお話しても説得力に欠けるのが自分でもわかっていました。職場の上司からも「どうすれば君がもっと営業成績を伸ばせるようになるかを考えたらどうか」というようなことを言われていました。決定的だったのは、1年に1度年末に社長と一緒に1年を振り返るイヤーエンドレビューというセッションです。2011年末のセッションで社長から「君はよく頑張っている。分析して実務をこなす仕事はちゃんとできている。でも、新しい大きな買収案件を取ってくるとかチームを育てるといったもう一段上の立場を目指さなければいけない」と、とうとうと諭されました。そのとき社内で最年少という立場が長く続き、経験不足も痛感していて、この先この会社で私自身がさらに上のステージに登ることがイメージできませんでした。そこで「一段上のポジションに行ける気がしません。このまま社内にいるより逃げ場がない場所に自分を追い込んでプレッシャーをかけた方がいいと思う。背中を押されたと思って会社を辞めて、自分で起業します」とタンカを切ってしまったんです。でもこのときはまだどんなビジネスをやるか決めていませんでした。とにかくキャリアの壁を打ち破りたかったんです。

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もう1つの大きな理由はちょうどその頃、娘から「中学受験をしたい」と相談されたことです。子育てを手伝ってくれていた姪が1年間イタリアに留学に行ってしまい子育てを頼めるあてがなくなってしまった。さすがに1人で投資ファンドの仕事をしながら娘の受験を応援するのは無理だと思い、これもいいタイミングだと思ったんです。

でもすごく温かい社長で「本当にそれでいいのか? しばらく冷静になってちゃんと考えなさい」と言ってくれて、私の決意が変わらないことを伝えた後もきりのいいタイミングまで会社においてくれました。しかも今でもいろんな方を紹介してくれるんです。だから当社のメンバーがうちに転職してくるときには「辞めるときは必ず今の職場に応援してもらえる形で辞めておいで」と言っています。

起業

──起業はどのタイミングでしたのですか?

社長に辞意を伝えたのが2011年の年末で、退職したのが2012年7月なのですが、その前の2012年3月に会社だけは作って、投資ファンドの仕事をしながらビジネスモデルを考えていました。


──どうしてビザスクのようなサービスをやろうと思ったのですか?

まずは、娘が中学受験の準備を始めるタイミングだったのでできるだけ家で仕事ができるビジネスをやりたいと思い、どういう方法があるかまずはネットで検索してみました。その過程でクラウドソーシングのサービスを見つけたのですが、初めてその仕組みを知ったときは衝撃を受けましたね。デザイナーやエンジニアが全然知らない人からインターネットでどんどん仕事を取っていけることを知り、これは今までにない、すごく新しい働き方だと思いました。でも世の中の大半は私のようなビジネス総合職のような人たちで、職人系の人たちのように「これが自分のスキルです」とはなかなか言い難いけれど、こんな私たちだってこれまで得た知識でできることは結構あるはず。そう思ったのがビザスクにつながる最初の原点かもしれません。

もうひとつは、自分のキャリアを振り返り、周りの友人たちの状況を考えたとき、当時私は35歳で、友人たちは駆け込み出産ラッシュでした。みんな10年くらい仕事をしているので働くことにはそこそこ満足し、子どもを作ると、優秀な人ほど家庭に入っていました。それはもったいないなと思いつつ、でも私自身も専業主婦だった時期があるのでそうしたい気持ちもわかる。でも30代半ばでいったん仕事から離れると40代でもう一度会社に就職するのはけっこう難しいだろうなということもわかっていました。そういう彼女たちが自身の持っている知識や経験を活かせるサービスが作れないかなと考えるようになったんです。同時に、投資ファンドでの経験から会社が成長するには人や情報が必要不可欠だと痛感していたので、個人の知識を会社の事業に生かすサービスって社会的なニーズがあるんじゃないかとも考え、その線でアイディアを100個考えて手帳に書き出しました。

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同時にいろいろ調べる中で、アメリカに個人が自分の経験を生かして商品を勧めてECとして販売するというWebサービスを発見したとき、私のやりたいこととかなり近いと思いました。こういうサービスを日本でも作りたいと企画書を書いたのですが、これで本当にいけるのかわかりません。私の周りには起業している人が少なかったのでつてをたどって、企画書をもっていろんな人にアドバイスをもらいに行きました。その中の一人、紹介してもらったある著名な経営者にプレゼンしたところ、1時間めちゃめちゃダメ出しされてコテンパンに叩きのめされました。重要なことを何も考えていない、この企画書は数字遊びでしかない、成功確率0%とか2000%失敗すると言われて(笑)。でもそれがすごくありがたかったのです。

人生を変えた1時間

──全否定されたのにありがたかったとはどういうことですか?

彼は実際に自分で物販サービスの会社を作って運営していたからこそ物販のたいへんさが誰よりもわかっていた。だからこそ私の事業計画のダメな所を容赦なく、的確に指摘できた。そのとき、やっぱりコンサルタントではなく、実際に自分でその事業を実践したことのある人の言葉だからこそ説得力がものすごく強いと痛感し、とてもありがいと思った。今、私、めちゃくちゃ役に立ったとまさに身をもって体験して、これは絶対に社会的なニーズもあるはずだと確信したんです。それでこのアドバイス自体をマッチングするサービス、つまりアドバイスがほしい人と経験者のアドバイスをつなぐサービスはどうでしょうとその場で彼に言ったら、似たようなサービスがアメリカにあると。そこでいったん帰って調べてみることにしました。本当に私の人生を変える、目からうろこの1時間でした。

端羽英子(はしば えいこ)
1978年熊本県生まれ。株式会社ビザスク代表取締役社長

東京大学大学経済学部卒業後、結婚。ゴールドマン・サックス証券に入社。投資銀行部門で企業ファイナンス等に従事。入社半年で妊娠し1年で退社。その後女児を出産。USCPA(米国公認会計士)を取得後、日本ロレアルに入社。化粧品ブランドのヘレナルビンスタインの予算立案・管理を経験。夫の留学に同行し家族で渡米。1年間主婦をした後、MIT(マサチューセッツ工科大学)のMBA(経営学修士)コースに入学。2年後MBA取得。帰国後離婚、以来シングルマザーとして働きながら子どもを育てる。帰国後すぐに投資ファンドのユニゾン・キャピタルに入社、企業投資を5年間経験後、2012年株式会社ビザスクを設立。2013年ビザスク正式オープン。知識と経験の流通を変える新しいプラットフォームの構築に日夜奔走している。

初出日:2015.07.08 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの