WAVE+

2014.10.01  取材・文/山下久猛 撮影/宋英治

大人の社会科見学スタート

──「社会科見学に行こう!」を立ち上げた経緯と活動内容を教えてください。

小学生の頃に京葉工業地帯を車窓から眺める機会がけっこうあって、そのときにかっこいいと思ったのが原体験でしょうね。特にパイプが好きなのは間違いなくここから来ています。ネット上で最初に参加したのは「はてなダイアリー」の巨大建築愛好会っていうグループです。参加といっても日記にキーワードを書いたり、コメントを残したりするというような、なんとなく、ゆるく参加していたという状態でした。そこでジオサイトプロジェクトというのを目にして、実際に見学に行ってみたというのが始まりですね。

「はてなダイアリー」と平行して当時はやり始めていたSNSにも参加して、「どうやらこれは人を集めるのには最適なんじゃないか?」とおぼろげながら感じたわけです。その後、前述のジオサイトプロジェクト(日比谷共同溝)に行き、東京の地下にこんな広大な空間があるんだととても感動しました。僕は地下もすごく好きだったのですが、これは映画や、アリャマタコリャマタ先生、ドラクエ、ウィザードリーなどのゲームの影響でしょうね。地上からは見えないところに何かあるということにどうしようもなく心惹かれるものがありました。

その後、仲良くなったブログ仲間にmixiに招待されて、当時ちょうどコミュニティ機能がついたばかりでこっちの方が人を集めやすそうだと思ったのと、もう一回日比谷共同溝に行きたいと思い、2004年6月にmixi内に「社会科見学に行こう!」というコミュニティを立ち上げて活動を本格的に開始したんです。僕が行きたい工場や発電所、工事現場、巨大地下施設などを見つけ、コミュニティ上で参加者を募集し、施設の見学担当者と打ち合わせをして開催日時や見学時間、ルート、スケジュールを決め、解説もお願いするなどいろいろ交渉、やりとりをして、当日は見学者側の代表として添乗員役などをしていました。

mixi内のコミュニティ「社会科見学に行こう!」

──それらすべて無料で?

はい。完全にボランティアというか趣味でやっていました(笑)。


──なぜ一円にもならないのにそんなかなり面倒なことを?

まずは単純に僕自身がそこに行きたかったからです。僕が参加したかった工場見学って個人ではなかなか申し込めなくて、だいたい10人以上の人が集まらないと見学できないんですよ。それと、一人で行けたとしてもつまらない(笑)。僕は昔から人をたくさん集めてみんなでわいわい楽しむのが好きなのでこういう活動を始めたわけです。ちなみに、「社会科見学に行こう!」の他にも「ホワイト餃子を愛す」、「藤岡弘探検隊を応援する会」などのコミュニティを立ち上げていたし、最近ではフェイスブックで集まってただただステーキを食べる「ステーキ部」を主宰しています(笑)。

社会科見学がブームに

転機が訪れたのは、「社会科見学に行こう!」を立ち上げた翌年の2005年。産経新聞の女性記者から突然取材したいと連絡があり、僕の活動を1面で取り上げてくれたんです。全国紙の1面で取り上げられたとあって、それからはイベントの参加申込が激増したり、他の新聞やテレビ、雑誌などでも取り上げられるようになったりと、ちょっとした社会科見学ブームが起こりました。


──小島さんは大人の社会科見学ブームの火付け役でもあったんですね。その他にいい影響はありましたか?

個人的には旅行会社や企業が主催する社会科見学ツアーのコーディネートの仕事が入ったり、出版社から撮影に加えて記事執筆の仕事が入り始めたりして収入も少しずつ増えていきました。

その後、高エネルギー加速器研究機構(KEK)などの先端科学研究所や羽田空港D滑走路工事現場、下北沢駅複々線化計画工事などの土木工事現場、首都圏外郭放水路などの巨大地下施設や産業遺産などを見学したり、それらを通して仲良くなった研究者や技術者と一緒に新宿にあるトークライブハウスのロフトプラスワンで「深海の夜」や「加速器の夜」などのトークライブやサイエンスカフェなども開催していました。

また、参加者の中にはフリーのライターや編集者などマスコミ関係者やイラストレーター、漫画家、デザイナー、映像作家などのクリエイターたちが多く、これまで想像もしていなかった世界の人たちとどんどんつながっていきました。中には世界的に有名な、その分野の第一人者もいらっしゃいます。そういう人たちとの交流はとても楽しくて刺激的でした。このことこそが「社会科見学に行こう!」を立ち上げて一番よかったと思う点ですね。この関係は現在に至るまでずっと生きています。ありがたい限りです。そのつながりの中で、『社会科見学に行こう!』『ニッポン地下観光ガイド』などの書籍や『見学に行ってきた。』などの写真集も出版することができましたし。

小島さんの著書など(共著、協力含む)

──見学は無料だとしても写真集や本の出版で、収入は増加していったのですか?

さすがに始めた当初に比べるといくらかは増えましたが、贅沢はできない感じでした。

当時の主な収入源は先程もお話した社会科見学ツアーのコーディネートや企画、メディアでの撮影や記事執筆に加え、テレビや雑誌の企画や出演料などでした。また、直接の収入にはあまりつながりませんが、富山市や埼玉県などの自治体からの依頼で産業観光系のイベントに登壇したり、地域おこしのセミナーの講師として講演したりといった仕事もありました。とはいえ、社会科見学を立ち上げて5、6年経った頃、それら全部を足しても同年代の平均年収よりは低かったと思います。打ち合わせや人とのご縁をつなぐための飲み会なんかも多く、収入の半分は交際費に消えるような状況でしたし。

小島健一(こじま けんいち)
1976年埼玉県生まれ。長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センター研究員/元地域おこし協力隊員(長崎市池島)/見学家/フォトグラファー/「社会科見学に行こう!」主宰

大学卒業後、コンビニでのアルバイト、商社、IT企業、Web制作会社などを経て、2004年からフリーランスとして社会科見学団体「社会科見学に行こう!」を主宰。先端科学研究所や土木工事現場、産業遺産や工場などの見学をコーディネートを行い、大人の社会科見学ブームの火付け役となる。同時に工場などを一般向けにテレビ、ラジオ、書籍、WEBなどで紹介。また、トークライブやサイエンスシートなどを通して、技術者や研究者などの専門家と専門外の人を結びつける活動も。写真家として活動するほかに執筆、イベントやロケーションのコーディネートなども手掛ける。2011年10月から長崎市の地域おこし協力隊の一人として長崎の離島「池島」へ赴任。2014年8月まで「産業遺産で地域再生」を目標に地域おこしに従事。池島の認知度向上、来島者大幅増加に貢献。2014年9月からは長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センターの研究員として勤務。テレビ、新聞、雑誌などのメディア出演・登場多数。著書に『社会科見学に行こう! 』、『ニッポン地下観光ガイド』、『見学に行ってきた。』などがある。

初出日:2014.10.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの