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2014.07.22  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

グローバルトップブランドへ

──日本に帰国してからは?

先ほども触れましたが、ガーナに赴任する前、エチオピア発のラグジュアリーでエシカルなファッションブランドを立ち上げようとした際、デザインや商品のコンセプトや製作方法などはいくらでも思いつくのですが、事業計画の策定や資金調達、マーケティング、物流の仕組みなど、ものづくり以外のブランドマネジメントに関する様々な知識が足りていないことに気付きました。そこでガーナから帰国後はグローバル企業に入り、それらを徹底的に身に付けようと決め、就職活動を開始しました。

ガーナから帰国して就職活動をしていたとき、同時に英語の習得にも懸命に取り組みました。グローバル企業の場合、英語力の高さを証明できなければ、その後の業務に支障をきたすと考えたからです。私の今の英語力はそのときに習得したといっても過言ではないくらい、必死に勉強しました。その努力の甲斐あって、2005年に世界的に有名なフランス系のラグジュアリーブランドにマーケティング職として就職しました。


──働いてみてどうでしたか?

ブランドとはどういうものか、世界的トップブランドであり続けるために具体的にどのような戦略をもって動いているのかなどを、実務を通じて学ぶことができ、とても実り多い時間を過ごすことができました。そして入社して5年間でブランドビジネスについて、全てではないまでも一通りのことは理解できたので、2010年に退社し、本格的に起業準備に入りました。

とにかく品質にこだわる

──起業する過程で大変だったことはなんですか?

事業計画の策定や資金調達など、実際の起業に必要な実務的な作業について把握することが大変だったと記憶しています。ただ、そこは人に聞いたり自分で試行錯誤したりする中で、少しずつ理解できるようになりました。資金は自分の貯金と友人からの出資、インキュベーション企業からの助成金などで賄いました。

またブランドの理念の追求とオペレーションの構築のバランスも非常に難しい課題でした。そもそものブランドの方向性として、「エチオピアの貧しくかわいそうな人たちが作ったから買ってください」というものづくりはしたくはありませんでした。仮にそういう理由で買ってもらったとしても、品質が低く使えない製品であれば、結局のところゴミになってしまいます。そうなるのが嫌で始めた事業なので、中途半端な製品ではなく、クオリティが高く、購入してくれた方に長く愛用してもらえる製品を作らなければならないと思いました。

しかし品質にこだわればこだわるほど、オペレーションが煩雑化しお金がかかります。いいものをつくらなければならないというプレッシャーと、一方でどんどん目減りする資金の狭間で、不安や葛藤もありました。ただそうした中でも、品質は妥協したくありませんでした。そのような葛藤とトライ&エラーの末に、2012年2月にandu ametを設立し、その後4月に国内販売開始までこぎつけることができたのです。

六本木ヒルズに出店していたandu ametの店舗(現在はそごう横浜店に常設)

鮫島弘子(さめじま ひろこ)
東京都出身。株式会社andu amet(アンドゥ・アメット)の代表取締役兼チーフデザイナー。

学校を卒業後、化粧品メーカーにデザイナーとして就職するが、大量生産、大量消費のものづくりに疑問を感じ、3年後に退職、青年海外協力隊に応募してエチオピア、続いてガーナへ赴任。帰国後、外資系ラグジュアリーブランドに入社し5年間マーケティングを経験。2012年2月、世界最高峰の羊皮エチオピアンシープスキンを贅沢に使用したリュクス×エシカルなレザー製品の企画・製造・販売を行う株式会社andu ametを設立。2012年、日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、2013年APEC若手女性イノベーター賞等、多数受賞。近年は新しいタイプの若手起業家として注目を集め、人気テレビ番組や大手新聞、ネットなどで取り上げられ、講演・イベントの登壇も増えている。

初出日:2014.07.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの