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2014.07.07  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

化粧品メーカーで感じた疑問

──ではandu ametを設立した経緯について教えてください。学生の頃から自分で現在のようなビジネスに取り組みたいと思っていたのですか?

いえいえ。もともとアートに興味があり、学生時代は現代アートを専攻していました。


──卒業後は?

きれいなものやキラキラしたもの、ユニークなもの、イノベーティブなものに惹かれ、自分でも作ってみたいと考えたので、卒業後は総合化粧品メーカーにプロダクトデザイナーとして入社し、化粧品の商品企画やデザインを手掛けるようになりました。入社してから最初のうちは、私が考案したものがすぐ商品になり、化粧品をデザインする仕事がとても楽しく、毎日わくわくしながら仕事をしていたことを覚えています。ただ、2年目に入る頃には自分の仕事に疑問をもつようになりました。


──どのような疑問ですか?

化粧品業界では、季節ごとに新製品が作られます。それらは3カ月後の新しい季節の到来とともに新しい商品と入れ替ります。そして残念ながら売れ残った製品は廃棄されます。それがシーズンごとに繰り返されます。あるとき、展示会で各社から発売された何千点、何万点もの製品がずらりと並べられている光景を目にして、これらもいつかは「きれいなゴミ」になってしまうんだなと思ったんです。3カ月後には価値がなくなってしまう、きらきらしたゴミ......。私は一生このキラキラしたゴミを本当に作り続けるのか、それが私が本当にやりたいことなのかと自分に問いかけるようになりました。


──でも、ものづくりそのものは好きでやりたいことだったわけですよね。

そうです。もともとものづくりが好きで、自分の手がけたもので誰かを幸せにしたいという気持ちでその仕事を選んだのですが、いつしか自分の仕事に罪悪感を抱くようになってしまいました。3ヶ月後に価値がなくなる製品を大量に作って大量に破棄するメーカーや、それを毎シーズン買ってしまう消費者は本当にそれで幸せなのか。翌シーズンには価値がなくなると分かっているものを一生懸命作って、デザイナーとしてそれでいいのか。ものづくりへの愛があったからこそ、ものすごく流れの速い潮流にそのまま流され続けるのは耐えられなかったのです。


──では今の事業のそもそもの出発点はそこにあると?

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2012年日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門に入賞

そうです。私の原点は、長く人から愛される、本当にいい物を作りたいという想いなのです。私はいろいろなメディアで「社会起業家」という枠組みで取り上げられたり、社会性とラグジュアリーを両立させたブランドを作ったということで賞を頂いており(※編集部注:鮫島さんは2012年に日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、APEC女性イノベーター賞他多数の賞を国内外で受賞している)、それはとてもありがたいことなのですが、かわいそうな途上国の人の雇用創出のためにお情けでこの活動をしているわけじゃないんです。

だから私はマザーテレサとかナイチンゲールのような「無償の愛」をもつ人や、自分を犠牲にして正義のために戦う人、貧困問題を解決したいと行動に移す社会起業家とは少し違うんです。もちろん彼らの精神や活動はとても素晴らしく尊いことだと思いますが、私の場合は本当にいいものを作りたくて、では本当にいいものって何だろうと考えたときに、今のビジネスにたどり着いただけなんです。


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鮫島弘子(さめじま ひろこ)
東京都出身。株式会社andu amet(アンドゥ・アメット)の代表取締役兼チーフデザイナー。

学校を卒業後、化粧品メーカーにデザイナーとして就職するが、大量生産、大量消費のものづくりに疑問を感じ、3年後に退職、青年海外協力隊に応募してエチオピア、続いてガーナへ赴任。帰国後、外資系ラグジュアリーブランドに入社し5年間マーケティングを経験。2012年2月、世界最高峰の羊皮エチオピアンシープスキンを贅沢に使用したリュクス×エシカルなレザー製品の企画・製造・販売を行う株式会社andu ametを設立。2012年、日経ウーマンオブザイヤーキャリアクリエイト部門賞、2013年APEC若手女性イノベーター賞等、多数受賞。近年は新しいタイプの若手起業家として注目を集め、人気テレビ番組や大手新聞、ネットなどで取り上げられ、講演・イベントの登壇も増えている。

初出日:2014.07.07 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの