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2014.04.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

コミュニティデザインの進め方

──コミュニティデザインをするときには具体的にはどのように仕事を進めていくのか、印象的な仕事を例に具体的に教えてください。

2002年に参加した台北市コミュニティ開発プロジェクトの「トレジャーヒル・ガーデン・ポートレイト・プロジェクト」は初めてコミュニティデザインという仕事に関わったという意味で、また自分が取り組んでいることがコミュニティデザインだという認識がまだなかったということもあり、すごく印象的な仕事ですね。

舞台となったのは、台湾台北市。台湾大学の近くに戦後、行き場を失った中国国民党の老兵やリタイアした軍人たちが集まって住み着いたトレジャーヒル(寶藏巖)という地域コミュニティです。その地域は建物も老朽化して危険で、スラム化して街の景観的にもよろしくない。しかも台湾の中心地で立地的にもすごくいいところだったので1980年代には政府がそのエリアから住んでいる人たちの立ち退きを要請し、公園・公共施設にしようと再開発に乗り出しました。たくさんの街が取り壊され、2000年代に入る頃にはトレジャーヒルという地区だけが残るのみとなっていました。

元中国国民党の老兵などが住み着いていたトレジャーヒル

この地区には農園もあり、住民たちは細々と暮らしていたのですが、他の地区と同じように壊されてしまえば、住民は生きていくのに困ります。そこで2001年、この地域の存続のための活動を継続して行ってきた台湾のNPO団体OURSと台湾大学建築学部が中心となってトレジャーヒルを残すために活動を開始しました。

ただ、正面から政府に抗議し、トレジャーヒル取り壊し反対を訴えても、住民の社会的地位や立場を考えたらとても勝ち目はありません。そこでOURSたちはアートという仕掛けでチャレンジしようと考えました。おそらく当時はその手法以外でトレジャーヒルを存続させる手段がなかったのではないでしょうか。そのOURSから参加を要請されたんです。


──なぜ菊池さんに参加要請が来たのでしょう。

ひとつはOURSの中に知人がいたことが大きいですね。当時私はMITで働いていたのですが、アメリカ・ボストンにあるBerkeley Street Community Gardenというコミュニティガーデンのプロジェクトなど、アートとコミュニティ・デベロップメント関係のプロジェクトを手掛けていました。このような「アートと地域の融合」をテーマにコミュニティづくりをしていた、つまりArt+Activism=Artivism的な活動を行っていたことが、OURSの中にいた知人を通じて首脳部に伝わり、Global Artivism Participation Projectという活動の一環として、推薦されたんです。最初にアーティストだからできることをやってほしいと言われたことを今でも覚えています。

プロジェクト遂行のプロセス

──それから具体的にどのようなプロセスでプロジェクトを進めていったのですか?

住民の家を回る菊池さん

まずはそのトレジャーヒルについて歴史的な背景を勉強し、住民の家を回って聞き取り調査をしました。当然ですがコミュニティデザインをする上ではまずはその地区のことを知ることが必要不可欠です。それから目的・目標を決めました。

目的は、1.住居の取り壊しを防ぐ 2.住民と住民の気持ちを守る

目標は、1.国側が推し進めようとした老朽化を理由としたコミュニティの取り壊しに対し、住民の生活の場と環境を守るための案を考える 2.住民が協力しあうことでコミュニティを守る意識をもたせる としました。

そしてプロジェクトチームを結成しました。当時関わっていた団体は先ほどお話した台湾のNPO団体OURSと台湾大学に加え、台湾政府文化局、淡水大学、カリフォルニア大学バークレー校、シアトル大学、アーティビスト派遣事業、アメリカ某基金などです。これらの団体の中の建築家、研究者、デザイナー、戦略・経営コンサルタントなど各分野のさまざまなプロフェッショナルがどういう役割でどう動くかというチーム編成を行いました。

それからコミュニティ全体をもっと深く理解するために時間をかけて住民一人ひとりとじっくりと会話し、時間をかけて信頼関係を築くコミュニケーションを図りました。まずは地域に入っていって、そこで暮らす人たちといろいろなことを話す、その積み重ねによって彼らが自分の中に、地域のために何かをしたいという思いがあると自覚するようになり、自分にも地域をよくしていくためのアイディアや力があるかもしれないと思い始めます。コミュニティデザイナーとはそういう人々の気づいていない強みを見出す仕事でもあり、同時にそこがおもしろい点でもあります。

住民の話に徹底的に耳を傾けた(写真右側が菊池さん)

その過程でこの街が存続するための正当性と方法を考えました。同時に社会的側面や国側の思惑の分析、財政的なやりくりを行いました。社会的な側面としては、スラム的なイメージが定着していたので都市部の高級化のため「老兵たちを都市部から追放したい」という風潮がありました。権力側としては立地条件が整ったこの場所の再開発に向けて、ごくわずかの立退き料でこの土地を回収したいという思惑がありました。

それらを元に課題を検討し、方向性を決めました。課題としては、先程もお話しましたが、彼らは社会的に弱い立場にいる人々なので裁判などでまともに戦ったら勝ち目はありません。したがって、住民たちが現状を理解するためにはどのような方法を取ればいいのかを考えました。

その結果、

1.
文化的遺産としての価値を見出すことで土地の権利存続へつなげる
2.
政治色をアートで緩和する
3.
観光的な要素を取り入れ、商業地としての方向性を見出す
4.
多世代が住む街づくりを目指す存続性を提案
5.
農園を「新環境持続型コミュニティガーデンという自給自足+新たな収入源」として提示、ブランド化する

という方向性を打ち出しました。

多くの住民からいろいろな話を聞いている中で、ひとつの気付きがありました。ここの住民たちはこれまで自分をちゃんと撮影してもらったことがなかったので、ここの農園を背景として住民全員の肖像画をフォーマルに撮影することにしました。農園を背景にしたのは、住民に話題の共通項を与えることで、人の動きを変えるねらいがありました。

農園をバックに住民の写真を撮影

菊池宏子(きくち ひろこ)
1972年東京都生まれ。コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表

1990年、高校卒業後渡米。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了(芸術学修士)後、マサチューセッツ工科大学・リストビジュアルアーツセンター初年度教育主任、エデュケーション・アウトリーチオフィサーやボストン美術館プログラムマネジャーなどを歴任。美術館や文化施設、まちづくりNPOにて、エデュケーション・プログラム、ワークショップ開発、リーダーシップ育成、コミュニティエンゲージメント戦略・開発、アートや文化の役割・機能を生かした地域再生事業や地域密着型の「人中心型・コミュニティづくり」などに多数携わる。2011年帰国。「あいちトリエンナーレ2013」公式コミュニティデザイナーなどを務める。現在は、東京を拠点に、ワークショップやプロジェクト開発の経験を生かし、クリエイティブ性を生かした「人中心型コミュニティづくり」のアウトプットデザインとマネージメント活動に取り組んでいる。立教大学コミュニティ福祉学部兼任講師、NPO法人アート&ソサエティ研究センター理事なども務めている。

初出日:2014.04.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの