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2013.05.01  取材・文/山下久猛 撮影/村上宗一郎

大手広告代理店から独立

──まずは馬場さんのこれまでのキャリアを教えて下さい。

早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、博報堂に入社して「世界都市博覧会」「東京モーターショー」などの大型事業の計画・実施に携わりました。それから都市のリノベーションやコンバージョンを手がけました。これは今の仕事の核にもなっています。また、建築デザイン系の雑誌『A』の編集もやっていました。

仕事はやりがいがあって楽しかったし、その頃の会社も好きでしたが、2000年に退職し、「Open A」という設計事務所を設立。ほぼ当時に「東京R不動産」という不動産仲介サイトを立ち上げました。


──博報堂を退職したのはなぜですか?

もっと建築のことを学びたいと思い、途中で休職して同じ大学の大学院建築学科の博士課程に進んだんです。2年後に会社に戻ったのですが、休職する前はおおらかで自由だった社風が、上場したせいか、細かいルールがたくさんできていて、とても厳しくなっていたんです。居づらくなっちゃったなあと思いながらもしばらくは働いていたのですが、やっぱり耐え切れなくなって辞めちゃったんです。

それでOpen Aを設立するわけですが、独立してからの方が博報堂は僕をかわいがってくれて。元上司は「馬場は辞めてから使いやすくなったなあ」といいながら仕事をたくさん発注してくださっています(笑)。今年(2013年)で独立10周年になります。

本職は建築家

──さまざまな分野でご活躍の馬場さんですが、現在の仕事の内容について教えて下さい。

大きくわけて「設計事務所"Open A(オープン・エー)"の代表」「不動産サイト"東京R不動産"のディレクター」「東北芸術工科大学の准教授」「本の執筆」の4つの仕事があります。


──その中でメインとなる仕事は何でしょう?

Open Aですね。軸足はここで、仕事的にも精神的にも拠り所となっています。事務所の代表ですが、もちろんひとりの建築家としても仕事をしています。さっきお話した通りいろんな仕事をしていますが、本職は何かと問われれば、「建築の設計」ですね。

馬場さんが代表を務める「Open A」のWebサイト

──Open Aではどのような案件が多いのですか?

個人住宅から商業施設の建築設計・監理まで幅広く扱っています。個人住宅では、僕自身、海の近くに住みたくて房総の海辺に新しい家を設計して建てているので、同じような価値観で生活したいという人からの相談を受けて設計しています。

これまでの「郊外」の概念って、都心から遠いけど物件の価格が安いから仕方なく住む場所という感じでしたが、僕が提唱している新しい郊外は、明確な意志と目的をもって積極的に住む場所なんです。例えば穏やかな自然の中で暮らしたいとか、大好きな海の近くで暮らしたいから郊外に住みたいという、都会だけではない価値観で生活したいという人のための家を造っているわけです。

住宅以外ではリノベーションの案件が多く、ここ最近は無印良品とコラボして築30?40年の団地やマンションの再生に随分力を注いでいます。また、地方都市の再生の案件も増えています。僕が生まれ育った佐賀市のまちづくりのプロジェクトや、道頓堀の再生プロジェクトなどを手がけました。元気がなくなった地域を活性化してくださいというオーダーが多いです。

このように、建築の設計を基軸にしながらそれを町にどう関連付けていくかというような、「建築と都市」をつないで横断するような活動がOpen Aでは多いですね。

馬場正尊(ばば まさたか)
1968年佐賀県生まれ。建築家/Open A ltd.代表取締役/東京R不動産ディレクター

早稲田大学理工学部建築学科卒業後、博報堂へ入社。博覧会やショールームの企画等に従事。その後早稲田大学大学院博士課程へ復学、建築とサブカルチャーをつなぐ雑誌『A』編集長を務める。2003年、建築設計事務所Open Aを設立。個人住宅の設計から商業施設のリノベーション・コンバージョン、都市計画まで幅広く手がける。東京R不動産では編集・制作面を担当し月間300万PVの人気サイトに育て上げる。東北芸術工科大学准教授を務めるほか、イベント・セミナー講師など多方面で活躍。『だから、僕らはこの働き方を選んだ 東京R不動産のフリーエージェント・スタイル』(ダイヤモンド社)、『都市をリノベーション』(NTT出版)、『団地に住もう! 東京R不動産』(日経BP社)、『「新しい郊外」の家』(太田出版)、など著書多数

初出日:2013.05.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの