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2013.04.01  取材・文/山下久猛 撮影/守谷美峰

──どうしてやらなかったんですか?

頭の中で考えていただけだったからだと思います。その頃、他にも会社を辞めてやりたいことのプランはけっこうあったんですよ。

でも全部実行できなかった。なかなか最後の一線が越えられなかった。そして越えられない自分を、何やってんだ俺は、なんてカッコ悪いヤツと卑下する。その繰り返し。かなり悶々としていました。

そんなある日、会社の同じ部の後輩がトコトコと僕の席に来て、「西村さん、僕、会社辞めることにしました」と言ったんです。

そのとき、「え!」って立ち上がって、衝動的に「俺も辞める!」って言ったんですよ。

それが30歳のとき。それから会社を辞めて、フリーランスのデザイナーとして活動を始めたんです。

未経験の書く仕事で「働き方研究家」に

──その頃から「働き方研究家」を名乗っていたのですか?

「働き方の研究」という意味では、実はサラリーマンだった頃からやっていたんです。

設計部に所属していたのですが、本業とは別に部署横断的な研究開発のプロジェクトに参加していまして、次のオフィス像を考えるというワークプレイス研究に携わっていました。

ワークプレイスってまず空間のことを考えるんですが、そのうちに空間を超えてどんな制度の中で働いているかも考えるようになりました。例えば「終身雇用制」というものもひとつの大きな空間ととらえることができて、その中で社員のメンタリティが形成されていくんですよね。

そういったワークプレイスを通して働く意味が時代によってどう変わってきたかなど、「働き方」についていろいろ研究していたんです。

その延長線上で最後は「じゃあ俺はいったい何のために働いているのか」というところに行き着いて、その意味が感じられず辞めてしまった、というのは先ほどお話した通りです。

正式に「働き方研究家」を名乗ったのは、会社を辞めた翌年に『AXIS (アクシス)』というデザイン情報誌に自分から企画を持ち込んで「Let's work」と題した連載を始めてからです。


──本職はデザイナーなのにライターのような仕事を始めたのですか?

はい。それまで文章を書く仕事なんて全くやったことはなかったのに(笑)。その理由は、大きな会社を辞めて独立したら自分の働き方を作らなければならない、そのために、自分が尊敬するフリーランスのデザイナーや建築家に日々どんな働き方をしているのか、仕事に対する思い、会議の仕方、スタッフとのコミュニケーションの取り方、残業時に食べる食事、仕事中に音楽は聞くのか聞かないのか、土日の過ごし方などなど、細々としたことまで全部聞いて回って、参考にしたかったんですね。

それでサラリーマン時代に知り合った『AXIS』の編集長に、「こういう連載をやりたいんですけど」というメールを送ったら、翌朝「その企画、いいね」と返事がきて「Let's work」という連載がスタートしたんです。そのときに「働き方研究家」という肩書きをつけたんです。

この連載がのちに『自分の仕事をつくる』という僕の処女作になり、今に繋がっているので、あの編集長あっての私です(笑)。

書く仕事をやりたかったもうひとつの理由は、「スパンの短さ」ですね。

雑誌に記事を書く仕事は、取材して原稿を書いて、読者から感想が来るまでわずか3ヶ月程度しかかからないのでいいなと。

だから連載が始まったとき、迷わず自分のメールアドレスを僕のプロフィールスペースに掲載しました。期待通り記事を読んだ読者から感想が返ってきて、それが好意的なものでも批判的なものでもすごくうれしかったですね。ほくほく(笑顔)みたいな。俺が求めていたものはこれだと(笑)。

西村佳哲(にしむら よしあき)
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表/プランニング・ディレクター/働き方研究家。

武蔵野美術大学卒業後大手建設会社の設計部を経て30歳のときに独立。以降、ウェブサイトやミュージアム展示物づくり、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクション、働き方・生き方に関する書籍の執筆、多摩美術大学、京都工芸繊維大学非常勤講師、ワークショップのファシリテーターなど、幅広く活動。近年は地方の行政や団体とのコラボレーションも増えている。『自分の仕事をつくる』(2003 晶文社/ちくま文庫)、『自分の仕事を考える3日間』『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』(2009,10 弘文堂)、『いま、地方で生きるということ』(2011 ミシマ社)、『なんのための仕事?』(2012 河出書房新社)など著書多数。

初出日:2013.04.01 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの