RC化から木造化へ
このニコル氏の必死の訴えで小学校の建設は見直され、当初のコンセプト通り、木造建築で進められることとなった。この時のことを工藤教育長と阿部市長(当時)はこう振り返る。
「公立の学校は文科省が定めた基準に基づいて造らなければなりません。教育委員会としてももう何十年もそういう学校を造ってきました。だから今回の宮野森小学校のような、これまでにない、新しい発想で学校を造るというのは非常に思い切った挑戦だったわけです。私も熊本の木造校舎の小学校を視察させていただき、木造校舎のよさ、利点は感じていました。だから確かにコストはかかるけれど、ニコルさんのパワーに押していただきながら、最終的に木造の方向で進めることにしたんです。市長に賛同していただいたのも大きかったと思いますね」(工藤教育長)
「私はニコルさんの思いを理解していましたからね。それに、教育委員会が本当に子どもたちへの教育効果だけではなく、人材育成を含めて将来への投資という意味で木造校舎の方が適切だと判断したならば、それを尊重・支持したいと思ったのです。確かに木造校舎にした方が予算はかかりますが、子どもたちのためにもお金であきらめるという選択はしたくなかった」(阿部前市長)
かくして実施設計で提案コンペ入札が行われ、基本設計でRC化された設計が木造化に変更され、2015年9月、新校舎の施工が開始されたのだった。
小学校統合の裏に隠されたドラマ
この新しくできる学校には、津波によって校舎が破壊された野蒜小学校と児童数が減少していた宮戸小学校を統合し、両校に通っていた児童が入る予定になっていた。市は新たに設立する小学校の名称を市民から募集。選考の結果、学校名は宮野森小学校に決まった。「宮野森」と提案したのは6名。そのうちの1人が夫である雄吾さんとともに、初期段階から森の学校づくりに関わってきた、児童養護施設支援の会の神吉恵子さんである。「統合される宮戸小学校の"宮"と、野蒜小学校の"野"の字はどうしても残したくて、あとは森の学校にするということだったので"森"の字も入れて、宮野森小学校がいいんじゃないかと」。
そして2016年4月7日、市の教育委員会は宮戸小学校と野蒜小学校を統合し、宮野森小学校が開校した。新校舎が完成するまで児童たちは小野地区にある野蒜小仮設校舎に通うこととなった。仮設校舎に通っていた野蒜小学校の児童に加えて、無傷だった宮戸小学校に通っていた児童は新校舎完成前に仮設校舎に通うことになる。なぜ新校舎完成のかなり前にこのような措置を取ったのか。
「実は当初、新校舎が完成するのは2017年4月の予定で、それに合わせて両校を統合する予定でした。ところが、校舎完成が早まることになったのです。それならば、あの震災直後、鳴瀬庁舎の仮教室に入学し、その後ずっと仮設校舎で学んできた野蒜小学校の子どもたちが卒業する前に、少しでも新しい校舎で学ばせてあげたいと考えました。だから両校の統合を1年前倒しにして2016年4月にすることにしたのです。しかし統合を前倒しにするということは、宮戸小学校の児童は、自分たちの学校があるのに、新校舎が完成するまで小野地区にある仮設校舎にスクールバスで通わなければならないわけで、様々な議論があったのは事実です。しかし宮戸小学校のPTAの中でも丁寧に議論していただいて、最後は投票までしていただき、僅差で統合賛成に決まって去年の4月に統合できました。その後、様々な課題が次々に出てきましたが、建設会社の方々をはじめ、すべての関係者に努力していただき、2016年12月の校舎完成という目標を達成することができたのです」
初出日:2017.05.22 ※会社名、肩書等はすべて初出時のもの